記し継ぐべきことシリーズ、年を越してしまいましたが残りを続けます。
今回からの2話は、前回から新たに加えられたものです。事件としては小粒ですが、小粒なゆえに忘れられるのも早くなるんだけど、当局のフォローの愚かさを勘案するに、ボクがこのブログに記し継がなければならない、と決心しているものです。皆が忘れてしまうと、おんなじ轍をまた踏んでしまいます。(先に記した滝川市農業開発公社粉飾決算事件も同様です)
・・・
前回の記し継ぐべきことシリーズ、滝川市の負の遺産 田村・病院として、十数年前に当時の市長・田村弘がいかに無謀な市立病院の建設にいそしみ、市民に大きな負の遺産を遺したのかを記しました。
しかし彼が遺した市立病に係る負の遺産はこのことだけに留まらないことが、昨年明るみに出たのです。十数年前といえば、ごろつきSを市幹部職員として登用したり、ごろつき夫婦による生活保護費2億4千万円恐喝事件など、滝川市が犯罪的行為に耽(ふけ)っていた時分です。
そんな渦中に行われた今回のテーマである、医師確保のための“旭川医大学長への袖の下事件”は、偶然あからさまになったんだけど、ボクにとってことさらいやらしくおぞましく思われる出来事でした。前回から項を改めて“田村・新 病院分”として、記し継ごうと決心しました。
・・・
滝川市(立病院)が14年間にわたり総額7千万円の“袖の下”を旭川医科大学トンデモ学長・吉田晃敏へ渡し続けていた事件です。(吉田晃敏はパワハラや不適切な公金使用でクビチョンパになっています)
2020年年末発覚した旭川医科大学トンデモ学長・吉田晃敏の暴言は酷(ひど)いものでした。
旭川市内で医療機関でのクラスターが相次ぐ中で吉田晃敏が当初、患者の受け入れを拒否し「コロナを完全になくすためには、あの病院(吉田病院)が完全に無くなるしかないんだということで」と発言したのです。
旭川医大病院・古川博之院長は「吉田病院は、もともと感染症に十分対応できる病院じゃない。できるだけ早く患者を出してあげなきゃいけない。ちょっとずつ残しておけばその人から感染して、次から次へとうつるわけです。」と述べたのですが、そんな状況がありながら、旭医大トンデモ学長・吉田晃敏は、「それは大学の仕事ではない。職員を危険にさらしたくない。」として 受け入れを拒否したのです。
旭医大学長は病院長を任命する立場にあり、圧倒的な権限を持っているんです。
一方、患者を受け入れる準備をしていた旭医大病院の医師や看護師らは残念がっていたといいます。
2021年11月13日、病院長が学長に直談判すると・・・「2回目もかなりしつこく受け入れろと言いましたけど『それならやめろ』と言われたので、ショックでしたね。」
この4日後に開かれた会議で、吉田晃敏トンデモ学長が発言します。
「あの病院の中で、軽症者の認知症、あるいは重症者の肺炎がある人。治らない、認知、肺炎ですから、ここに、旭川市に吉田病院があるということ自体が、ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅとコロナをまき散らして…」
・・・
前触れが長く・・・滝川市への係わりについては次回以降となります。この特異な犯罪的行為、登場人物の吉田晃敏の人と成りから問わなければ理解に及びません。