紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

新解さんはおもしろい

2004-10-30 12:50:20 | 13・本・映画・演劇・音楽など
「新解さん」って何か知っていますか?
それは、三省堂から出版されている「新明解国語辞典」のことである。
ふだん、辞典いうのは、知ってのとおり、辞書ともいって、言葉の意味がわからない時に、調べるために開く本である。

この「新解さん」がおもしろい、と教えてくれたのは連句の仲間たちであるが、もともと辞書なんて、おもしろいものでも、なんでもない。
そう思って、興味も示さなかったら、ぜひ読みなさいといわれたのは、
「新解さんの謎」赤瀬川原平・著。

どんな風におもしろいかというと、例えば、「ばか」

<意味>記憶力・理解力の鈍さが常識を越える様子。また、そうとしか言いようのない人。[人をののしる時に最も普通に使うが、公の席で使うと刺激が強すぎることがある。また、身近の存在に対して親しみを込めて使うこともある]

と、こんな風に書いてある。私はあっという間に、新解さんのファンになり、国語辞典を新たにもう一冊購入した。(第四版のもの)

Blogを始めて、なんとなく気にしていたら、新解さんのことが書いてあるBlogを見つけました。

BLOG版「新明解国語辞典を読む」

「新明解国語辞典の一ファンとして、この辞書の面白さを伝えるのが使命」という万省堂さんのBlogです。
いつか、コメント書こうかなあと思いつつ、記事として完結しているので、ただ読んで楽しませて頂いていました。

というわけで、
◆お玉さんの、『ロム専』お気に入りブログ★教えて下さい!への回答です。

お二人にトラックバック。

運転免許更新にいって献血を・・

2004-10-29 14:16:33 | 20・日々のできごと
今日は、久々の運転免許証の更新にいってきた。
といっても、3年ぶりなので、全く自慢もできないが。
前回、ゲンチャリに乗って、スピード違反をとられたのだ。

今回は優良一般だったので、次回は5年後更新すればよいので、嬉しい。

府中の運転免許試験場から出ると、献血車がとまっていて、この看板が目に入った。
「台風、新潟県中越地震の影響で大量の血液が必要です!」
きのうは、夕方新宿にいって、献血車の前を通ったけど、友人と待ち合わせていたので、素通りしてしまった。
今日は、時間の余裕もあったので、O型、400cc、献血をしてきた。

ささやかですが、自分のできることを・・

◆下のBlogの方たちにまたTB送らせて頂きました。

【新潟県中越地震】支援の輪

2004-10-27 11:32:06 | 20・日々のできごと
この度の地震によって、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
被災者の皆様が、1日も早く安心した生活を送れるよう願ってやみません。

余震は続いているし、寒い時期に入りつつある。避難生活が続く中、疲労とショックで亡くなられる方もいる。過酷な状況を伝えるニュースを見ていると、何かをせずにはいられない気持ちになります。
たった今、私にできることといえば、義援金をお送りすることくらいでしょうか。
いつもだと生協(東都)を通して送金しているのですが、一刻も早い方がいいので、郵便局にいって送らせて頂きました。

このくらいしかできないかなあと思っていたら、
KenさんがBLOG STATIONで、【新潟中越地震】出来ることから始めよう。  
「ブロガーだったら、「記事を書く」という協力の仕方もあるのかもしれません。
自分に出来ることから始めてみませんか。」
という呼びかけをしていました。

KenさんのBlogからリンクしているところと、トラックバック送っている方々の記事を読みました。
この二日ほどの間に、ブロガーの人たちに、あたたかく力強い支援の輪が広がっているのですね。

また小千谷市に住んでいて被災されたSEBAさんが、地震の後Blogを立ち上げて、現地からの情報や必要としていることを知らせています。
「新潟中越地区地震緊急掲示板」

トラックバック>
◆Kenさんの、【新潟中越地震】出来ることから始めよう   【新潟中越地震】義援金を送ろう。
◆お玉さんの  【新潟中越地震】『変わらなかった場所』から出来ること  
◆スノーさんの  【新潟中越地震】私にできること    【新潟中越地震】もし・・・
◆むっしゅさんの いま できること
いま できること 最近の若いもんは・・・編】
◆薄浅葱さんの 新潟への援助方法
◆デジタルさんの【新潟県中越地震】何かやってみませんか。

劇団二兎社

2004-10-26 11:47:10 | 13・本・映画・演劇・音楽など
この劇団を率いているのは、永井愛さんという劇作家・演出家である。
私は、ふだん忙しいこともあって、あまり芝居を見に行くことがない。多分、何年かに一度くらいしか見ないと思う。

でも、来週11月4日には、劇団二兎社の「新・明暗」という芝居を見に行く予定。すごく楽しみ。
実は、永井愛さんは、私の高校の同期生なのである。私の仲の良い友人が、永井さんの隣の席にすわっていたというご縁で、チケットを手配してくれたので、何人かで見にゆくことになった。

昨日の朝日新聞に「新・明暗」の記事がのっていたので、もし興味があったら見てください。
「漱石の世界 シュールに」
 
永井愛さんのプロフィールをみると、演劇の賞をそうなめしている感じ。すごい人が同期生にいたものである。

第31回紀伊國屋演劇賞個人賞受賞
   ('96「僕の東京日記」)
第1回鶴屋南北戯曲賞受賞
   ('97「ら抜きの殺意」)
芸術選奨文部大臣新人賞受賞
   ('97「見よ、飛行機の高く飛べるを」「ら抜きの殺意」)
第44回岸田國士戯曲賞受賞
    ('99「兄帰る」)
第52回読売文学賞
    (シナリオ戯曲賞)受賞
第8回読売演劇大賞 優秀演出家賞受賞
    ('00「萩家の三姉妹」)
第1回朝日舞台芸術賞 秋元松代賞受賞
    ('01「こんにちは、母さん」「日暮町風土記」)


小さな生まれ出ずる命

2004-10-25 16:26:31 | 15・心に残ること
先週21日の木曜日の朝。
近くに住む友人のKさんの娘さんに赤ちゃんが生まれた。
おお、無事に生まれてよかった。と思うと同時に、前の日無事に病院に連れて行ってあげられてよかった、と思った。
前の日の20日は超大型の23号台風が来た日だった。

その日、私の所に友人から電話がかかってきたのは、午後3時頃だった。
「どうも何かおかしい。でも、陣痛ではないみたい。」ということだった。
「でもね、これから台風が東京にやってくるし、すごい暴風雨の時に病院に連れてゆくのは大変だし、タクシーつかまんないかもしれないよ。」
そして、とりあえず病院に行くことになった。病院の場所は府中だというし、20分くらいか。私が運転してゆくことになった。
家を出た時はそう大したことはなかったが、甲州街道まで行ったら、滝のような大雨。ちょっと先も見えない。おまけに反対車線では事故があったらしく、パトカーだの救急車だの止まっていて、渋滞している。

そのあたりで、こんな大変な日に、私が運転する車に、妊婦さんをのせていってよかったのか、心配になった。なんせ、25年間運転したことがなくて、3年ほど前に、再開したばかり。それも父と母を病院に連れて行く時しか運転したことがない。とにかく、ゆっくりゆっくり行こうと、思った。
病院に着いた時は、本当にほっとした。

次の日の朝、生まれたと聞いた時は、嬉しさもさることながら、よかった、無事に運んであげられてと思った。

ちょうどその頃、「週末の翼」というBlogで、赤ちゃんのコブシの話しを読んだ。

「赤ちゃんって、生まれてくる時にはコブシを握っているんですね。
何かを大事そうに握っているようにも思えます。
ある人によれば、「夢」と「希望」のようなものを、その両方のコブシに握り締めて生まれてくるのだと・・・。
そうして大きくなるにつれ、大事に握っていた"何か"を失くしてしまうのだと・・・。」

なんとなくいい話しだなあと思ったので、ここに書かせていただきました。
◆ 「週末の翼」Birth -そのコブシを握り締めて-にトラックバック。

(写真は息子が一ヶ月目の時の。まだコブシをにぎっている。あれから25年。果たして今は・・)

秋の山を行く

2004-10-24 12:13:07 | 3・山の日記
きのうは、山梨県の今倉山と二十六夜山に登ってきた。もっとパーッと青空と紅葉と富士山のながめを期待したが、残念なことに曇りだった。

バスがなく、タクシーで登り口まで行くしかないへんぴな所にある山なので、ほとんど人にも出会わず、静かな山を味わってきた。晴れてると紅葉がもっときれいだけど、ぜいたくはいわない。約一ヶ月ぶりの山を10人のホイッスルの仲間と一緒に楽しんできた。こんなに大勢の山行に参加するのは、私は6月以来。

わりと登りでのある山だった。山からおりた時には、すでに足下も見えにくくなっていて、1日たっぷり秋の山で過ごした。
山に登るのは、久しぶりなので、早くも今朝起きると筋肉痛。ストレッチをかねて、午前中プールで1km泳いできた。

二十六夜というのは、旧暦の1月と7月の三日月の夜に女衆が集まって、一夜を明かす信仰の行事だということで、二十六夜山もそこから命名されたそうである。月はよく見られそうな頂上だったし、平らで宴会もできそうな頂上だったが、それにしても1月では寒いんじゃないの。きのうも、かなり寒かった。
(右の写真は今倉山頂からのながめ・前の山は九鬼山)

帰りは、大月で反省会(?)。多いに盛り上がった。

計画表

明日は今倉山(1470m)

2004-10-22 15:00:33 | 3・山の日記
明日はホイッスル山の会で、今倉山に登ってきます。

計画表によると、秋空にはえるブナ、ミズナラ、カラマツの黄葉と富士山の端正な眺めを期待できる山だそうです。

<行 程 >
富士急線 谷村町駅 10:00(タクシ-)→10:30 道坂トンネル 10:35→
12:00 今倉山東峰 12:10→12:50 松山(昼食)13:20→
14:25  二十六夜山 14:35→16:15  上戸沢 16:20→
17:10 赤坂駅 17:21(富士急)→17:36 大月駅

(歩行時間 約5時間30分、標高差=約1000m)

去年は6月に同じ山域、尾根続きの御正体山に登った。1日コースだったが、帰りに飲みにいったのが運のツキ。
K氏による迷句が生まれた。

御正体 正体なくした ダメオヤジ <しんち

そういえば、その後にみんなで句を続け、半歌仙を巻いたのを思い出した。
探したら、まだホームページに残っていた。
ホイッスル歌仙 その1 <御正体山の巻>

(右の写真は御正体山頂上)

リーダーの沼上さん、他のみなさん、よろしく。

約半年が過ぎ・・

2004-10-21 11:30:39 | 12・Blog・PC・カメラ・家電など
今日から、このBlogも6ヶ月目に突入です。
それで、思ったことは、約半年間はあっという間に過ぎた。
けれど、Blogの1週間は、とても長い。
それは、書く側にとって長いのではなく(とくに私の場合、いきあたりばったりで、いろんなことを脈絡もなくただ書いているだけなので)、ほかのBlogを読んでいて、長い感じがする。
例えば、あるBlogを1週間見にゆかないと、もうほとんど話しについていけないということもある。

途中、いろいろな人のBlogを読むのがすごくおもしろくて、私にしてはずいぶん時間を使っていたことがある。が、書くことより読むことで、生活が圧迫され始めたように感じて、いかんいかんと思い、それからはマイペースを心がけるようにした。

覚えたこと、いい出会いもたくさんあった。始めた時には、考えもしなかったことだ。
Blogはホームページより簡単なのでいいと人にすすめたが、実際にやり始めてみると、タグを知っていた方が便利なので、少しずつ覚え始めた。また、全然わけのわからない私にも、ほんとうに懇切丁寧に教えてくれる人がたくさんいて、嬉しい。これも考えもしなかった誤算。覚えようと思いさえすれば、あちこちから手をさしのべてもらえる。

Blogで今まで知らなかった人と出会うというのも、全く考えもしなかったことだ。今は旧知の仲という感じで、毎日会話している。それに、Blogをこっそりと読んでは、いつか物語に登場させたいと思う人も見つけた。新しい出会いなど、最近めったにないので、これもすごく楽しい。

これからも、マイペースで続けていきたい。6ヶ月目突入の感想でした。

◆絵は、Blogで知り合ったお玉さん作

この絵はだいぶ前にも使わせてもらって、画像フォルダーに入れてあったのだけど、探すのに、
◆はじめま略さんの便利URL&Bookmarklet集♪ 画像フォルダ内100件表示 を使いました。

絵を右側にはりつけ、文章を左側に書く、回り込みというのも覚えました。
◆tom-chanの"写真をうまくレイアウトしてみよう!>
◆むっしゅさんの【タグ講座】画像表示 

それぞれの方々に感謝を込めて、トラックバック。

多摩川とのかかわり

2004-10-20 06:58:55 | 2・仕事の周辺
この本だいすきの会報にのせた文章です。

「子どもの頃、春休みや夏休みになると、友だちと一緒に、「旅」と称して、一日かけてどこかへ歩いて行くのが好きだった。旅といっても、半日で歩いて行ける範囲なので、せいぜい十キロというところだろう。

朝早くおむすびと水筒を持って、家を出る。途中おしゃべりしたり、寄り道したり。昼に着いた所が、その日の目的地。昼ごはんを食べたら、また歩いて帰る。それだけのことなのに、当時本物の旅をする環境にいなかった私には、十分にわくわくする「冒険」だった。

ある年の春休み、南を目ざして歩いて行った。昼に行き着いた先は、多摩川。川といえば、神田川くらいしか知らなかった私と三人の友だちは、こんなに大きな川があるんだ!と本気で驚いた。それが私と多摩川との出会いだった。

時は流れ、二人の子どもの母となった私は、多摩川からそう遠くない地に引っ越してきた。そして「くすの木少年団」という地域の遊び集まりに、親子して関わるようになった。
それからの数年間は、「くすの木」の活動を通して、多摩川に浸りきった日々だった、といってもいい。
日曜ごとの運動会やスポーツ会、市のふるさと祭りへの出店、連凧揚げ、サケの卵をふ化させて、稚魚の放流、花火大会…etc。

やがて、私とくすの木の多摩川への関心は、単なる遊び場(点)から上流から下流までの流れ(線)に向けられる。
手初めに、河口にある羽田空港まで往復七十キロのサイクリングをした。保育園の子から、小学校六年生まで、総勢八十台の自転車がずらっと並んで、川に沿って走り続けた。海までたどり着き、頭上を飛ぶ巨大な飛行機を見た時は、みんなで、やったね!と思った。

その後、小三だった息子は、友だちと二人で、もう一度行ったが、その時のことを元に書いたのが「自転車で行こう!」である。

次は、上流へ。羽村までのサイクリングをする。後に書いたのが「サイクリングキャンプに行こう!」。

その先は自転車では無理なので、別の日に、電車で羽村まで行き、奥多摩の沢井まで、一日かけて川沿いに歩いた。

そこまで行くと、次は、どうしても多摩川のはじまりが見たくなる。山梨県塩山市にある笠取山。頂上下の水干という所から、最初の一滴がしたたり落ちていることを、子どもたちとつきとめた。
近くのキャンプ場に泊まり、山に登って、その一滴を口に含んだ時、ついにここまで来た!と思った。

そんな多摩川をめぐる日々から生まれたのが、「最後の夏休みーはじまりの一滴をめざして」(あかね書房刊)である。」
(写真は水ひ近くの笠取山頂上直下)

あの時に見た多摩川

2004-10-19 14:46:27 | 2・仕事の周辺
1999年、「最後の夏休み」を書き始めた時のことは、よく覚えている。その年の2月、父は重い感染症にかかり、入院した。痴呆症があったので、24時間付き添ってくださいと病院の人からいわれた。それが、私たち姉妹の介護生活の始まりだった。
3週間で、私も姉も疲れ切り、私はまっすぐに歩けなくなった。まっすぐに歩いているつもりなのに、気がつくと、塀の方に寄っていってしまうのである。倒れる寸前だった。

這うようにして、高井戸のY病院に、転院のお願いにいった。その病院は24時間付き添わなくてもいいと、中学の友人の久保島氏と末岡氏から聞いていたのだ。そして、その友人のおかげで、転院させてもらうことができた。
それからも、病院通いは続いたが、倒れそうなほど疲れることはなかった。でも、本は書けなかった。仕事をしようと思っても、取材にゆく余裕がなかったのだ。

そんなある日、友達から電話がかかった。「狛江で花の展覧会を開いているから見に来てよ。」「いつ?」と聞くと、「今日、たった今。」という。断る理由を見つける暇もない急な話に、私は久しぶりに病院以外の所に出かけた。
近道なので、多摩川沿いに行こうと、自転車を引いて、土手を上がった。そのとたん、川面を渡る風とともに、多摩川の穏やかな流れに、迎えられた。なつかしい人に会ったような、あたたかな気持ちになった。
その時、私は気がついたのだ。こんなに好きな場所が近くにあったんじゃないのと。その瞬間、多摩川を書こうと決心した。

その時個展に誘ってくれたのが真蘭さんです。
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