紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

連句の集まり

2007-08-31 12:26:29 | 7・連句・俳句・短歌
昨日は、久しぶりに連句仲間が集まった。
せっかち歌仙・その16と、エマノン歌仙・その11の反省会。
今年は私の体調が悪かったり、みんなも忙しかったりで、ブログを見てみると、去年の12月以来の集まりだった。

連句の楽しさはなんだろう。一言でいうと、みんなで一つのものを作り上げる楽しさだろうか。

わずか「5・7・5」「7・7」の中に、いろいろな条件を組み込んで詠まなくてはならない。
前の句についていなくてはならない。けれど、つきすぎてはいけない。
春と秋は、3句続ける。
そして、なおかつ、今の自分の状況や、気持ちを織り込みたい。

いろいろ面倒な約束事はあるけど、ごくたまーに、うまく詠めると、おぉ、やったね。という気分になる。めったにないけど。

そして、昨日のように久しぶりに集まってみると、連句は巻いている間も楽しいけど、巻き終わった歌仙について、あれこれ勝手なことを言い合うのも楽しい。
途中とぎれかけたこともあったけれど、年齢とともに人間がまあるくなってきたから、あと20年くらいは続けてゆけるかもしれない。
9月の半ば頃から、次の歌仙を始める予定である。

連句の部屋



100名山達成おめでとう!

2007-08-29 17:32:46 | 15・心に残ること
だいぶ時間がたってしまったけれど、今夏、くすの木山の会の仲間、Wさんが100名山踏破を達成した。場所は、北アルプスの薬師岳。
100座全ての山頂に立つのに、40年くらいかかっているそうだ。

ちょうどその日は、台風がくる予報の出ていた7月の海の日の連休。
私と良流娯さんは、ホイッスルのUeharaさんと一緒に尾瀬の燧ヶ岳に登りに行くことにしていたけれど、台風直撃はまぬがれそうもないので、1週間延期した。

でも、WさんはIさんと二人で、出かけていった。
そして、山頂に立った。
天気は当然ことながら、悪かったけれど、一生わすれられない100座目の踏破となったことだろう。
1泊目の太郎平小屋にはたったの6人、2泊目の薬師小屋には、2人しか泊まっていなかったそうだ。

私は「日本百名山」のうち、31座しか登っていないけど、今年あと3座くらい登ろうと計画中である。
楽しみながら、さしあたって、50座くらいの踏破を目指そうと思う。

バグか故障か

2007-08-28 17:07:29 | 12・Blog・PC・カメラ・家電など
今年4月に購入して以来、ずっと使いづらいと思い続けているウィンドウズ・Vista。
やっぱり一番使いにくいのは、インターネット・イクスプローラで、辞書登録したのが使えないこと。いちいちメモ帳に書いて、それをコピー・ペーストするという、一手間、二手間かけて変換している。
例えば「住所」と書くと、家の住所が出てくるよう辞書登録しているけど、住所を書く事って、ほとんどがインターネットで何かを申し込みする時だから、使えないって、かなり不便。

でも、それでも、もうあきらめて、やっていくしかないのだけど、今回は、故障か? と思うことがあって、それもたいしたことではないので、修理に出そうかどうか考え中。

何がダメかというと、「y」を押して変換すると、5行くらい前に勝手に戻って、そこから文章を書いてしまうこと。他にも「t」でも、そうなる。けど、困るのは、「y」を押しても、必ず飛ぶわけじゃないこと。5回に1回くらいのわりあいでそうなる。
サポートセンターに問い合わせたら、知らず知らずのうちにフラットポイントに触っているのじゃないか、というので、フラットポイントにロックをかけたけど、やっぱり飛ぶ。今「や」と書いたら、今回は、10行くらい前に飛んだ。

その話をしたら、そんなことは、よくあるよ。という人がけっこういること。しかも、私の前のXPでもそうだった。回数はもっと少なかったけど。これって、当たり前のことなのか、それとも、故障なのか。
今は保証期間中なので、故障だとすると、その間に出さなくてはならないと思うけど、修理中パソコンが使えなくなるのが困っちゃうね。でも、10月の半ばまでは、パソコンなしでは暮らせないので、それから出すしかないか・・。

ps)写真トップは今のデスクトップ。裏技を使って、やっと好きな写真をデスクトップにおくことができるようになった。いつもデスクトップはこれから仕事をしようかな~という写真を載せることにしている。

和太鼓コンテスト

2007-08-27 17:30:19 | 13・本・映画・演劇・音楽など
昨日は、近所のOZASAさんファミリーと一緒に、『東京国際和太鼓コンテスト』を見に青山子ども劇場に行った。

組太鼓に出場した調布の「風聚」グループの応援をするために。

メンバーの1人、伸さんは、その昔「雪山のひみつ基地」という本に、実名で書かせてもらったことがある。もう絶版になってしまったけど。(泣)
他にも、息子のクラスメイトだった加代ちゃんもメンバーの1人。力強いばちさばきで、すばらしかった。

会場での写真撮影は禁止されていたので、写真はパンフレットからとりこんだ。




他にも全国から、最終選考に残った10組のグループが、課題曲、自由曲を演奏して、競い合った。
もうどのグループもすごくいい演奏で、審査員なら困っちゃうね。

残念ながら、風聚は、入賞できなかったけど、来年もぜひ出場してほしいと思った。
また応援がてら、他のグループの演奏も聴ききたい。

中国の旅・12

2007-08-26 09:50:50 | 5・旅の日記
■北京観光・その3

帰る前の日は、朝早く起きた4人でホテル近くを散歩した。

ちょっと歩くと、天安門広場がある。
北京天安門広場は世界で一番広い広場で、中華人民共和国のシンボル的存在ということである。

毛主席記念堂。



人民英雄記念碑




その日は、オリンピック開会1年前ということで、広場の隣りの中国革命歴史博物館にもこのような案内が。




広場にも特設会場が作られて、その日はイベントが開かれたようだ。これは翌日通った時にはもう撤去されていた。




北京の街の朝の通勤風景。




そして、その日は、故宮博物館と北京動物園と、全く趣味趣向のちがう二つのグループに分かれた。
私は、動物園組。




パンダを今までに一度も見たことがないので、ぜひ見てみたかった。
しかし、その日は、日中37℃と暑く、どちらのグループも暑さにやられ、相当くたびれた。




その後、古い町並みを残す鼓楼のあたりを歩く。鼓楼は昔から鐘を鳴らして、時刻を知らせていた。




最後の晩餐は、「北京ダック」人気のお店だったので、かなり待った。








そして、翌日。10日間の旅を終え、午前中に空港に行き、東京に戻った。


中国の旅の同行者のみなさま、10日間ほんとうにお世話になりました。
みんなのバイタリティーはすごいすごい! またどこかでお会いしましょう。


■中国の旅・1011・12

中国の旅・11

2007-08-25 11:30:44 | 5・旅の日記
■北京観光・その2

午後は、頤和園(いわえん)に行く。

「頤和園は、北京の海淀区西郊外に位置し、市の中心からの距離は12キロほどのところにある、中国に現存する最大の古代庭園(園林)である。1998年12月に、ユネスコの世界文化遺産リストに登録された。頤和園元々は清蔬園と呼ばれ、清代の繁栄期である乾隆年間(1736~1795年)に創建された。園内の各種宮殿や庭園建築には、合わせて3000間(部屋)あまりあり、その用途によって執政、居住、遊覧の三つの活動エリアに分けられた。」北京の見所案内。

昆明湖を船で渡って行く。




湖から見える万寿山。




建物を結ぶ回廊。




世界遺産を示す碑の前で安井さん。




この日、「鳥の巣」と呼ばれている、建設中のオリンピック競技場を見た。上に人が上って、工事をしている。




車の中から北京中央駅を写す。
この駅からロシアや遠くはドイツまでの長距離列車が出ているという。大陸というのは、ダイナミックだ。ドイツまでどのくらいかかるか聞いたら、なんと2週間。
列車の旅が好きな私は、あと一度くらい、いやっというほど長々と列車にのって、寝たり起きたり景色を見たりしながら、旅をしてみたいものだと考えていた。




その夜も、ホテルで日本食。中国の旅も、残りあと一日。翌日はフリータイムで、それぞれ好きに過ごすことになっている。




■中国の旅・10・11・12

中国の旅・10

2007-08-24 15:27:04 | 5・旅の日記
■北京観光

北京のリュウさんに連れられて、一日北京観光をする。

古賀さんはもう何度も北京に来ているので、その日は1人で回ることに。



他の6人は、北京名所、自然遺産めぐり。

午前中に訪れたのは、明の十三稜。



明代十三人の皇帝とその皇后が眠る墓。一般公開されているものは定陵と長陵、昭陵で、私たちがいったのは、このうち定陵。






その後は、かなり一般的な観光名所だけど、ぜひ訪れてみたかったというか、上ってみたかった万里の長城。

「万里の長城は紀元前7世紀の春秋時代から明代まで、約2000年以上に渡り造成を重ねてきた。
現存するものの大部分は、明代の建造で、総延長約6000キロの世界最大の城壁で、衛星写真でもはっきりと見ることができる。
現在の形の長城は秦の時代に、各国で作られていたものををつなぎ合わせた「秦の始皇帝」がその始まりで、その後、特に漢、明時代に堅固な城壁が作られた。明の時代には、西は「嘉峪関」から東は「山海関」、更には遼寧省の北朝鮮国境まで延長された。また北京近郊の長城は二重に築かれている。北京近郊の長城は、石やレンガで作られた重厚なもので、敵監視台、狼煙台などが均等に分布しており、芸術性も高い。
長城が造成された目的は、北方騎馬民族の進入を防ぐ為で、初期の長城は紀元前5世紀の周時代に建造が始まったといわれる。」


時間制限は1時間ということで、その間に登れるところまで登って、もどることにする。

この日は猛烈に暑いし、人は多いし、渋滞しているしで、かなり汗だく。
それでも、できるだけ距離をかせごうと急ぐ。

道はけっこう急。



行けども行けども、先がある。



途中から、1人で登って行く。
35分過ぎたところで、中国人の親子に会い、証拠写真を撮ってもらう。



その親子。楽しい二人であった。言葉は通じなかったけれど。



その後、昼ごはん。
みな、だいぶ食欲も回復したようで、お皿もけっこうたくさん並んでいる。




■中国の旅・・10・1112

中国の旅・9

2007-08-23 15:29:27 | 5・旅の日記
■北京到着

北京からスタートして7日目。
リュウさんのご自宅に招いて頂いた翌日、私たちは飛行機で再び北京へともどった。
わずか7日間だったけれど、山西省の旅行会社のカクさんと運転手のハクさんには、ほんとうにお世話になった。

まだまだ、ご一緒したい気持ちではあったけれど、
「もうじきお別れですね。」
と空港に向かう車の中のカクさんは嬉しそうで、心なしかホッとしているようであった。
夜中の3時に起こされたり(これは私のせい)、まあ大変な1週間だったので、無理ないね。 
ほんとうに、心より「謝、謝♪」




リュウさんの奥様とお嬢さん(ツイちゃん)も空港まで見送りにきてくださった。



太原の空港では、飛行機が1時間もおくれたが、無事北京にたどり着いた。
北京でお世話になったのも、リュウさん(同じ名前)。

北京では、私がする旅ではそうめったに泊まることがない(って2度目だよ)、5★の「北京飯店」というホテルに3泊した。(写真トップ)

ベランダに出て、外を見る。大きな街だけど、空気が汚い。来年のオリンピックまでには多少改善されるのだろう。




着いてすぐに、大雨が降る中、昼食を食べに行く。




すいとん入りのおじやだの、おかゆだの、うどんだの、消化の良いものばかり並ぶ。(笑)すいとんは、すごくおいしかった。



その後早速街に出る。王府(わんふー)という東京でいうと銀座通りのような所。



そこで、真っ先に行ったのは、クスリ屋さんであった。




夜は、日本食を食べに行く。生ビールでカンパイ!



■中国の旅・・9・101112


昨日は受診日

2007-08-22 06:48:54 | 11・健康
昨日、一ヶ月に一度、正確に書くと4週間に一度の膠原病外来の受診日だった。
4月にリウマチ性多発筋痛症と診断された時には、10mgのステロイドを毎日飲んでいたが、昨日からはまた1mg減って、一日5mgになった。
やっと、半分に減った。

先月まで、左腕が痛かったのだけど、ばか暑くなってからは、ほとんど痛みを感じない。腕の奥に痛いところはあるような気はするのだけど、とくにどうということはない。寒い時の方が、痛みを感じるのかもしれない。
元々、クーラーも好きではないので、この暑さの中、家ではほとんどクーラーもつけず、汗を流しながら暮らしている。それが筋痛症にもいいようだ。

昨日病院を訪れながら、最初に痛みをこらえつつ、やっと病院にたどり着いた時のことを思い出した。その時のことを思うと、中国旅行に行けたなんて、奇跡的という気がする。運良くこの病院と先生にめぐりあったおかげだなあと、つくづく感謝の気持ちがわいてきた。

今年、急性胃腸炎で中国の病院でみてもらった時に失敗したと思ったのは、リウマチ性多発筋痛症という病名を書いていかなかったこと。糖尿病は、漢字で書いたらすぐにわかってもらえたが、筋痛症の方は最後までわかってもらえなかった。でも、プレドニンというステロイド剤を持参していたので、それを見せて飲んでいることを説明したら、それで事足りたようである。

中国の旅・8

2007-08-21 16:52:22 | 5・旅の日記
■リュウさんの家に行く

今回の中国の旅行の手配をして下さったのは、古賀さんの長年の友人であるリュウさん。リュウさんを通して、山西省国際旅行社が請け負ってくれて、カクさん、運転手のハクさんが案内して下さった。

そのリュウさんの家に、ご招待を受けた。
30何階建てかの近代的なマンションであった。(上まで写ってないけど)
そして、リュウさんご家族とのご対面。



そこで教わったのは、餃子の作り方である。リュウさんの家では1週間に1度は食べるという。
皮から手作りだけど、皮は作ってからしばらく寝かせるので、私たちが行った時には、もうできあがって、寝かせてあった。

そこで、リュウさんの奥様から皮の作り方とのばし方を教わる。



つぎつぎに、我々もやってみる。



次に、具をいれて、皮の閉じ方を教わる。具は、何でもいれるそうだけれど、この時はセロリが入っていた。




皮の閉じ方には初級、中級、上級とあって、上級まで合格した人はわずかであった。
上級になると、形が、ネズミのようだったり、サカナのようだったりするけど、これがやってみると、難しい。皮から手作りじゃないと、こうはうまくゆかないのだろう。

リュウさんの家では、水餃子にすることが多いそうだ。

台所でゆでる。こちらのマンションはまだ入居したばかりで、ガスが通ってないため、電気の調理器で湯をわかした。



そして、みんなでカンパーイ! (写真トップ)
点滴の翌日なので、たくさんビールを用意してくれたのに、ほとんど飲めなかったのが残念。


お嬢さんは大学でフランス語を学んでいるそうだけど、英語も堪能。
ちょっと前まで中学で英語の教師をしていた大熊さんと、ずっと英語で話しをしていた。二人とも美しい英語で、うっとりするほどであった。
中国では最近(この10年)、小学校2年生から授業で英語を学んでいるそうだけど、大人は学校で習っていないので、あまり通じない。



そうして、楽しい一夜を過ごさせて頂いた。移動の旅はこの太原が最後だった。


■中国の旅・・8・101112