紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

多摩川とのかかわり

2004-10-20 06:58:55 | 2・仕事の周辺
この本だいすきの会報にのせた文章です。

「子どもの頃、春休みや夏休みになると、友だちと一緒に、「旅」と称して、一日かけてどこかへ歩いて行くのが好きだった。旅といっても、半日で歩いて行ける範囲なので、せいぜい十キロというところだろう。

朝早くおむすびと水筒を持って、家を出る。途中おしゃべりしたり、寄り道したり。昼に着いた所が、その日の目的地。昼ごはんを食べたら、また歩いて帰る。それだけのことなのに、当時本物の旅をする環境にいなかった私には、十分にわくわくする「冒険」だった。

ある年の春休み、南を目ざして歩いて行った。昼に行き着いた先は、多摩川。川といえば、神田川くらいしか知らなかった私と三人の友だちは、こんなに大きな川があるんだ!と本気で驚いた。それが私と多摩川との出会いだった。

時は流れ、二人の子どもの母となった私は、多摩川からそう遠くない地に引っ越してきた。そして「くすの木少年団」という地域の遊び集まりに、親子して関わるようになった。
それからの数年間は、「くすの木」の活動を通して、多摩川に浸りきった日々だった、といってもいい。
日曜ごとの運動会やスポーツ会、市のふるさと祭りへの出店、連凧揚げ、サケの卵をふ化させて、稚魚の放流、花火大会…etc。

やがて、私とくすの木の多摩川への関心は、単なる遊び場(点)から上流から下流までの流れ(線)に向けられる。
手初めに、河口にある羽田空港まで往復七十キロのサイクリングをした。保育園の子から、小学校六年生まで、総勢八十台の自転車がずらっと並んで、川に沿って走り続けた。海までたどり着き、頭上を飛ぶ巨大な飛行機を見た時は、みんなで、やったね!と思った。

その後、小三だった息子は、友だちと二人で、もう一度行ったが、その時のことを元に書いたのが「自転車で行こう!」である。

次は、上流へ。羽村までのサイクリングをする。後に書いたのが「サイクリングキャンプに行こう!」。

その先は自転車では無理なので、別の日に、電車で羽村まで行き、奥多摩の沢井まで、一日かけて川沿いに歩いた。

そこまで行くと、次は、どうしても多摩川のはじまりが見たくなる。山梨県塩山市にある笠取山。頂上下の水干という所から、最初の一滴がしたたり落ちていることを、子どもたちとつきとめた。
近くのキャンプ場に泊まり、山に登って、その一滴を口に含んだ時、ついにここまで来た!と思った。

そんな多摩川をめぐる日々から生まれたのが、「最後の夏休みーはじまりの一滴をめざして」(あかね書房刊)である。」
(写真は水ひ近くの笠取山頂上直下)