紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

叔父のこと

2013-01-30 07:01:52 | 7・連句・俳句・短歌
母には兄弟がたくさんいたが(8人)、母の晩年に存命していたのは、弟1人だった。
母とは歳が近いせいか、とても仲が良かった。
私からは叔父にあたるが、母の後を追うように、母の1週間後に亡くなった。

先週金曜日に葬儀があり、姉と妹と私で行ってきた。

母方の親戚は、どういうわけか、お酒の大好きな人と、まったく一滴も飲めない人と、2種類の人しかいない。
私の祖父も、大酒飲みだったらしい。

私は大酒飲みではないけれど、まあまあ好きな方なので、親戚で集まると、叔父さんと、いとこのターボさんと3人で、焼酎を飲むことが多かった。
他の女性はみな、お茶を飲んでいた。

そして、またお酒好きな人は、俳句が好きなのであった。
叔父さんの俳号は、「四葩」(よひら)。紫陽花のことだという。とても美しい俳号だ。

その叔父さんの俳句を忘れないようにここに載せておこう。







みんな帰る

2013-01-28 06:58:59 | 10・孫と家族
広島から来た娘と心ちゃんは、我が家に4泊、息子たちは1泊して、26日(土)に帰って行った。

その間に、私は叔父(母の弟)の葬儀も入り、心ちゃんとはあまり一緒にいられなかった。
家のマンションで遊ぶ心ちゃん。



みんなでテーブルを囲んだ朝。




前回の大雪があるので、おいたてるように、息子夫婦を長野に帰す。







その後、昼ご飯を食べてから、娘と心ちゃんを送りに行く。




ばいばーい。また会おうね~。




昨日はヨレヨレと家で過ごしたが、今週からはやることは山積みだし、生活をふつうに戻さねばならない。






義父のこと

2013-01-24 21:38:39 | 18・家族のことなど
義父が、突然、今週1月21日(月)に亡くなりました。
あまりに急なことで、いまだに信じられないというのが正直なところです。

暮れには、まだ初期の食道がんが見つかり、幸い内視鏡手術で、たったの3日入院しただけで、退院することができました。
術後の検査が、今年の15日に癌センターであり、そこで、手術は成功、だいじょうぶといわれたばかりでした。

あ~よかったとお祝いをした翌日未明、お腹が痛いといいだし、義母は食べ過ぎだろうくらいに考えていたけれど、昼にはものすごく痛いというので、救急車で病院に運ばれました。

そこで腸閉塞と診断。助かるには手術しかないけど、休日だったし、そこではできず、また救急車で別の病院に転院。
けれど、もう手遅れで、手術をしても、ほとんど助かる見込みがないので、痛みをやわらげる方法がとられました。

一晩あけて、翌日の3時10分、義父は息をひきとりました。義母、夫、義姉、孫たちに囲まれて。
私が午前中用事をすませて、病院に到着した30分後のことでした。

義父の痛みは相当だったらしいけど、モルヒネをうちながら、義母に感謝の言葉をいい(遠い北海道に嫁にきてくれてありがとうと)、早朝長野から駆けつけた息子(孫)には説教をしてくれて、息子のIphoneのスカイプのテレビ電話を通して、急なことで行けなかった娘と心ちゃん(ひ孫)に、ありがとう、二人のことは忘れませんよといってくれたそうです。

たった1日入院しただけで、ほとんど誰の世話にもならずに、突然旅立っていった義父。
享年89歳。

本日、葬儀をすませました。


そして、つい先週広島に帰っていったばかりなのに、またまたやってきた娘と心ちゃん。





(トップの写真は一昨年の軽井沢家族旅行で、米寿のお祝いをした時のもの。)





高校仲間との飲み会

2013-01-20 16:50:12 | 19.友人との時間
昨日は、池袋で飲み会があるので、出かけた。
繁華街に行くのは、2ヶ月ぶりくらい。

他のみんなは、永井愛・作 演出のお芝居
「かたづけたい女たち 」
を見に行った帰りで、そこに私一人だけ合流した。

いつもは私も見に行くが、今回は母のことで予定が立たずに、パスした。

永井愛さんのことは、このブログに何度も書いているが、高校同期の人。
今回の芝居には、高校同期のあの人やこの人、と思われる人が何人か芝居に出てくるので、それは誰だろうかと考えるだけでも楽しかったようである。
私も見たかったので、再演がかかったら、ぜひ見に行きたい。

その席で話題になったのは、私たちの同期で、レーサーになりたいといって、高校中退した人のこと。
バスケ部だったそうだけど、昨日飲みに行った5人とも、その人の名前を知らなかった。(忘れたという人もいたっけ?)

そんなこんなの話しで楽しいひとときを過ごした。


エンディングノート

2013-01-19 09:11:40 | 20・日々のできごと
母の葬儀が終わり、残った年金受給や、保険その他の手続きをしている。
なんとなくぼーっとした毎日だけど、やることも、まだまだたくさんある。

仕事はもうちょっと気持ちに区切りがつかないと、始められそうもない。
とはいえ、この2ヶ月間ほど、全く手がつかないでいたので、1月最終週には、スタートしなくちゃ。

それ以外に、やっておかなきゃと思うのは、エンディングノート。
いつかこのブログに書いた時に、おおかたのことは記入した。
入っている保険やら銀行口座やら何やら。

けれど、その時に書こうと思っただけで、書かなかったことも多い。まだ未完成なのだ。今度こそ完成させよう。

今一番大事だと思っているのは、自分の最後は自分で決めなくちゃならないということだ。

病院での治療をどこまで受けるか、葬儀はどうするか。

かなり弱って入院した場合、必ず聞かれるのは、延命治療をどうするか。
経管栄養、胃ろう、そのどちらかを受けるか。
母の場合は、前もって聞いておかなかったので、それは頼まなかったが、ほんとうにそれでよかったのか。
それを受けていれば、ほぼ寝たきりではあったが、もっと長生きできた。
深く考えると、迷うことだらけだ。

そして、私は、自分では、それは望まない。寝たきりになって、ただ長く生きていることはしたくない。

それと、葬儀。母は家族、近くにいる(住んでいる場所と心理的にも)親族だけで行った。

自分の場合も、ちゃんと書き残しておくことにする。
前のブログにも、家族、親族。それに、ほんとうにごく親しい、近しい友人と書いてあるが、それをまだノートには記していない。
私はその時すでに亡いわけだから、近い友人が誰なのか家族にはわからないので、友人の名前もちゃんと記しておくことにしよう。

こんなことを書くと、私が先に逝くみたいに思われるけど、実はそんなことはなくて、案外しぶとく最後まで生き残っているのかもしれない。

今日は、そんな大事な、親しい友人たちと飲みにいってくる。

おまけの写真。

葬儀のために集まった家族。




心ちゃんのヘアーカット写真他。

















娘親子が広島に帰る

2013-01-16 17:30:42 | 10・孫と家族
おととい、雪のため飛行機が欠航して、我が家に舞い戻った娘と心ちゃん。
そのおかげで、ゆっくりと二日間一緒にいられた。

せっかく雪が積もっているので、昨日は外で心ちゃんを遊ばせようとした。

呆然と立ち尽くす心ちゃん。




雪はあまり好きじゃなかったようである。







スーパーにいったら、元気をとりもどした。




昨年12月23日に帰ってから、2週間と少し。
何が変わったかというと、ほとんどはいはいをせず、すっかり歩く。

それと、心ちゃん語でたくさん話しをするようになった。

私の机の上は、いつでもごちゃごちゃしているので、お気に入り。







そして、今日、まだ首都高の混乱の残っている空港バスにしようか、遅延している京王線にしようか迷ったが、電車で帰っていった。




午後の2時過ぎに広島到着の知らせがきて、やっとほっとした。
お疲れさまでした~。





大変な1日

2013-01-14 21:21:38 | 10・孫と家族
葬儀などすべて終わり、今朝、娘親子、息子はそれぞれ、広島、長野に帰っていった。はずであった。

息子の車で、娘と心ちゃんを、羽田空港に向かうバス停まで見送りに行ったのは、朝の9:00。




そして、つぎに「いらっしゃーい」と調布駅に迎えに行ったのは、夕方の5:00。
娘たちは、いったん機内に入った後、欠航が決まり、我が家に舞い戻った。
荷物はすべて、羽田空港においたまま。
大人はくたびれはて、心ちゃんは「お母さんと一緒」を真剣に見ている。




急いで、心ちゃんの洋服とオムツを買いに行った。
新品パジャマでごきげんの心ちゃん。




息子の方は、そのまま長野に向かったが、上田でストップ、泊まることにしたのは7:30。

まあ、ほんとうにだれにとっても、長い1日だった。







母のこと

2013-01-13 23:00:10 | 18・家族のことなど
母が1月8日(火) 未明に亡くなりました。

11月21日に入院して、12月3日には、担当医から、
「あと1-2週間だと思ってください。」といわれて、1ヶ月と5日。
ほんとうに、ほんとうによくがんばったと思います。
享年88歳。あと3日で、89歳の誕生日という時でした。

12月8日に友人のW月氏に会った時に、母が危篤だということを伝えたところ、
「できるだけ長く、そばに付き添ってあげなさい。」
「それがあなたにできる一番のことだから。」
といわれました。
その言葉にしたがって、できるだけ、できうるかぎり、そばについていてあげることにしました。

1月8日は、午前2時に姉から連絡をもらって、急いで駆けつけた時には、母はすでに息を引き取っていました。
できれば、最期の瞬間に、一緒にいてあげたかったけど、かないませんでした。

でも、その前の1ヶ月と少し、できるだけそばにいてあげたので、母も「いいよ」といってくれたような気がします。
それでも、その夜の当直のお医者様は、私が到着して、母の顔を見た2:45を、死亡時間として書いてくれました。

いろいろご心配して頂いたみなさまには、ほんとうにありがとうございました。

1月12日にお通夜、13日、本日告別式をとりおこないました。

そんなこんなのおかげで、またまた東京にやってきた母のひ孫の心ちゃんと、りんちゃん。
お姉ちゃんと一緒に遊んで、すごい浮かれている。











こうやって、命はつぎからつぎへと受け継がれていくんですね。





俳句を詠んでみる

2013-01-09 17:03:07 | 7・連句・俳句・短歌
=年末・年始に母のいる病室で俳句を詠んでみる

名を呼べば はいと答える 晦日かな
(私が呼びかけても、あまり答えてくれないけど、その日は何度もはいといっていた。)

元日や にぎる手と手の あたたかさ
(おめでとうといっても、おめでとうは返ってこないが、手をにぎると手をにぎり返してくる。)

冬木立 空飛ぶ鳥が 入り乱れ
(病室の前に何かの実をつけた大きな木がある。そこにヒヨドリでしょうか。にぎやかに飛び交ってエサを食べていた)

そろそろ連句を始めたいかも。


トントンブログ、それに「パリの居候」にのっていたお正月の折り鶴が気になったので、ネットで検索。
折ってみたが、なんかちょっと違うかも。






朝日歌壇

2013-01-07 09:12:24 | 15・心に残ること
毎週月曜日は朝日歌壇を読むのを楽しみにしている。
今日は、朝日歌壇賞に選ばれた歌がのっていた。

佐々木幸綱さんが選出した歌は、松田わこさんの歌だった。私も彼女の歌がのるのを毎週楽しみにしていた。
歌から、すてきで温かい家族、大好きなお姉ちゃん、というのがわかったが、彼女はまだ小学校5年生なのだった。
素直な感性で、いい歌だなあと思っていた。お姉ちゃんの梨子さんの歌が今日は選ばれていたが、とってもいい家族なのが感じられて、ほんわかした気持ちになる。