Reflections

時のかけらたち

名古屋街歩き(四間道と久屋大通り) ・・・ walking the streets of Nagoya-1

2024-09-21 23:57:59 | wonderland

9月16日

今回の名古屋行きはコンサート目的で、観光は考えず、ゆっくり出かけて早めに帰るという予定でしたが、
その少ない時間の中で近くを回りながらコンサート会場に行き、コンサート後は朝ドラでも舞台となった
鶴舞公園に寄ってから帰りました。4時半ころには公園も閉まってしまうので近くの公園へ。友人が設計した
というしらかわ庭園にはなかなか行けません。

8:40品川発のひかりでゆっくり出かけて、10:14名古屋着。
昼食だけコンサート会場に近いエロイーズ・カフェに決めて11:30に予約を入れておいておきましたが、時間があるので
四間道によるのはどうかとの友人の提案で、地下鉄桜庭線で国際センターまで行き、「四間道町並み保存地区」を歩きました。
祝日だったのでドニチエコ切符が利用でき活用しました。

四間道は初めて名古屋にコンサートに行ったときに、どこか回ろうと思って調べた時にマークしていた場所のひとつでした。


 

浅間神社

四間道沿いに鎮座する古社で、1647年にこの地に移されたと「尾張誌」に記されています。元は名古屋市東区に
ありましたが、名古屋城築城の際に現在の場所に移され、そのまま今に至っています。祭神の木花開耶姫神
(このはなさくやひめ)は日本神話の中でも最も美しい神といわれ、主に子孫繁栄や五穀豊穣などを守護される神様です。
こぢんまりとした神社ですが、境内には樹齢300年を超えるクスノキやケヤキがあり、厳かな雰囲気が漂っています。
                                               エキ/シロ/ナビ より




雅楽の音色が聞こえてきて、この建物の中で何人かの若い人たちが練習していたところが見えました。

堀川沿いには蔵が並んでいます。
この地区は乱開発され、昔の街並みは少ししか残っていないとのこと。
友人はおしゃれにリメイクされたカフェやレストランはあまり好きでないと言っていました。

四間道
名古屋の城下を流れる堀川の西側にあって、江戸時代の初め慶長15年(1610年)名古屋城築城とともに始まった清須越に
ともなってつくられた商人町です。

四間道(しけみち)は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅を四間
(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。

石垣の上に建つ土蔵群と軒を連ねる町家が通りに面して建ち並んでいる現在の四間道の景観は、元文年間(1740年頃)に
形成されました。
                                          名古屋コンシェルジュ より






子守地蔵尊





円頓寺商店街


ランチのカフェは軽井沢にある本店が建物老朽化のため休業中だったので、名古屋にもある店に行くことにしていました。




エロイーズ・カフェ レイヤード久屋大通公園



エッグベネディクトはスモークサーモンとアボカド。


フレンチトーストはベリーソース。

ドリンクはサングリアをチョイスしたお得なペアランチです。


 

まだ午後の会場まで時間があるので灼熱の久屋大通を歩き、途中から地下に潜りました。



もともと公園だったこの場所は最近再開発されたらしい・・・



Sep. 16  2024   Nagoya

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北村朋幹のシューベルト~タケミツ~ヤナーチェク~リスト ・・・ Piano Recital by Tomoki Kitamura

2024-09-20 23:59:55 | music

 

9月16日 14:00~
宗次ホール (名古屋)


出演者 北村朋幹(ピアノ)

曲目 シューベルト:ピアノ・ソナタ 第7番 変ホ長調 D 568
   武満徹: フォー・アウェイ
   ヤナーチェク:1905年10月1日
    ***
   リスト:巡礼の年 第1年「スイス」S.160

 

   アンコール)
   ヤナーチェク :草かげの小径にて 第1集より 散りゆく木の葉

 

北村朋幹のコンサートが何と伊勢路歩きの翌々日、名古屋宗次ホールであることを知って、どうしても行きたくなり、
翌日なら名古屋泊もありだったけれど1日置いて再び名古屋へ。

このプログラムを見たら、なかなか聞けないカップリングだと思いました。北村さんのコンサートはプログラムが絶妙です。
彼の弾くシューベルトも初めてでしたし、ヤナーチェクはめったに演奏されない曲でこれも初めて。政治的な背景の曲ですが
とても興味をそそられました。タケミツも得意な分野だし、この前全曲演奏を聴いたリスト巡礼の年もまた聴いてみたい曲でした。

 


名古屋にはしらかわホールと言う素晴らしいホールがあったけれど、経済的な理由で大切な文化が保持できなく
なった残念な閉館でした。クラウドファンディングでもやればいいのに。

この宗次ホールは規模が小さいけれど音楽に親しめるすてきなホールでした。名古屋の文化施設にもだんだん
なじんできましたが、愛知芸術劇場はよくなかったですね。

この宗次ホールはなんとCoCo壱番の創業者である宗次德二氏が2007年に作った音楽ホールで、開館公演は五嶋龍だったと
知りました。310席ほどですが音響もよく素敵なホールでした。三枝成彰が監修を務めたとのこと。






いのちを感じるコンサート。今生きているということ、そしてリストの命が北村朋幹によって
具現化され、北村さんと対話しているような感じ。

いのちを燃やすことってこういことなんだと思いました。

北村朋幹はまだ若いのにその音楽の取り組み方のすごさには圧倒されます。音楽以上のものを追求していて、最終的には
音楽で表現しているというようなそんな感じがします。ただ美しいとかそういうものではなく・・

シューベルトはまるで終わらないようないつまでも続くような感じがする美しい音色でしたが・・
シューベルトの若くして散った命を思ってしまいました。

現代曲も北村朋幹が弾くとすっと入ってくるのはなぜだろう・・
不思議な音の世界に連れて行ってくれます。

ヤナーチェクの悲しみと怒りに溢れた曲を情熱的に力強くひいたのが前半の山場でした。
それが後半のリストの山また山の曲につながって行きました。

リストの壮大な世界へ圧倒されるコンサートでした。なぜかうっすらと涙がたまってしまいました。

一緒に聴いた友人は北村朋幹の演奏はTVで見たことがあり、前回しらかわホールでモーツァルトのコンツェルトも
一緒に聴きましたが、今回のコンサートはすごく良かったと話していました。

 

アンコールにヤナーチェクの心休まる曲でクールダウン。
舞台のそでに戻る前に手を横に振ってターンするところを撮ってしまいました。

 

コンサートの前後に友人が案内してくれた四間道、フラリエ庭園、鶴舞公園については後ほど。
今回は伊勢路のすぐ後だし、どこも行く予定を立てずのんびり音楽を聴くだけでいいと思っていましたが
近場で簡単に行ける所を探していてくれました。

 

Sep. 16  2024   Nagoya

 

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Magic in the Moonlight とRailway man

2024-09-19 12:59:17 | movie

スマホ写真の中から英国王のスピーチのコリン・ファースの写真と台詞をみつけて、2022年末に見ていたMagic in the moonlightと
Railway manのメモの続きを書くことにしました。

伊勢路の写真も整理して、続けての北村朋幹のコンサート、昨日観たthe Kabukiと言うくらい定番の勧進帳と、玉三郎の妹背山婦女庭訓
は追ってアップすることに。フランクルについても1回しかまだ載せていません。

昨日はちょうど満月



その前日が十五夜

家の窓からは見ることができませんでしたが、名古屋のコンサートに行く前に買っていたお月見饅頭。


自由が丘 蜂の家  ここの麩饅頭がとてもおいしかったのですが、季節柄もう終了でした。

 



名古屋駅名鉄デパートの入り口でやっと買うことができた栗羽二重


栗きんとんをくるんだ羽二重のお菓子。犬山の「もちたけ」製

今日はやっとボビンレースに集中。相変わらず、間違いをみつけては少し戻りながら進めています。
間が空くとこういうことが必ずあります。でも戻る距離が短くなったような・・・

やりながらときどき、「ある晴れた日」のレッスンテープを聴きながら・・・

一日集中して目も疲れて、夕方友人が貸してくれた「聖母マリアの夕べの祈り」を聴き、気持ちを
落ち着けてからカーブスへ筋トレに行きました。宗教音楽には癒されて、そして自分を高い所に引き上げて
くれるような感じがあります。

 

 

2年近く前にコリン・ファースの映画を2つ続けて見ました。この後にSinglemanも見たのですが、ほとんど印象に
残っていません。

マジック イン ムーンライト
MAGIC IN THE MOONLIGHT

監督:ウディ・アレン 出演者:コリン・ファース、エマ・ストーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン

ウッディ・アレン監督が1920年代の南仏リゾート地を舞台に描くロマンティックコメディ。出演は「英国王のスピーチ」の
コリン・ファース、「アメイジング・スパイダーマン」のエマ・ストーン。英国人マジシャンのスタンリーはニヒリストで
毒舌家だが、天才的なマジックの腕前で人気を博していた。ある時、幼なじみのハワードから、ある大富豪が入れあげている
米国人占い師の真偽を見抜いてほしいと依頼される。魔法や超能力など存在しないと信じるスタンリーは、ペテンを見抜いて
やろうと自信満々で噂の占い師ソフィのもとへ乗り込む。しかし、彼女の透視能力を目の当たりにして価値観を揺さぶられ、
さらには容姿も性格も完璧な彼女にほれ込んでしまう。

2014年製作/98分/G/アメリカ・イギリス合作   
                                                  映画.comより 

 

解説 ケイト・ブランシェットにオスカーをもたらした前作『ブルージャスミン』も大ヒットを記録したウディ・アレン監督が
エマ・ストーン、コリン・ファースをキャストに迎えた最新作。1920年の南フランスを舞台に、死者と会話できる不思議な能力が
あるらしい謎の女と、彼女のトリックを暴こうとするマジシャンの男の駆け引きをコミカルに描く。
                                                 映画ナタリーより

 

 

もともとウディ・アレンは好きでも嫌いでもないのだけれど、たまたまコリン・ファースだったので見た映画でした。

タルコフスキーのサクリファイスの次にメモを取ったのは2022年の11月でした。

メモを取っていた台詞
・生きることに目覚めさせた上に、脳だけでなく心まで征服する気か?
・神を信じていなかったものが 神に祈る
・人生には幻想も必要  ニーチェ
・合理的だけでなく、理論、理性は無意味
・この世は神が創ったものだけど、マジックなしには回らない
・大切なのは同伴者

魂の存在を認めたウディ・アレンの映画で、エマ・ストーンの魅力も満載のコメディでした。

 

 

レイルウェイ 運命の旅路

監督:ジョナサン・テプリツキー
キャスト:コリン・ファース、ニコール・キッドマン、石田淡朗、真田広之

 

コリン・ファース、二コール・キッドマン、真田広之らの共演で、第2次世界大戦時、日本軍の捕虜となり、鉄道建設に狩り
出された英国兵士と日本人通訳らの実話を映画化したヒューマンドラマ。鉄道好きで平凡な人生を送るはずだった英国軍兵士の
エリックは、シンガポール陥落時に日本軍に捕らえられ、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設現場で過酷な労働を強いられる。
それから約50年後、当時の記憶に苦しめられながらも、愛する妻と平穏な日々を送っていたエリックは、鉄道の建設現場にいた
日本人通訳の永瀬が、戦争体験を伝えるためいまもタイに暮らしていることを知る。永瀬の存在が心の奥の傷をよみがえらせ、
動揺するエリックだったが、意を決して永瀬に会うためタイへと向かう。原作は1995年「エスクワイア」誌ノンフィクション賞
を受賞したエリック・ローマクスの自叙伝「泰緬鉄道 癒される時を求めて」。

2013年製作/116分/G/オーストラリア・イギリス合作
原題または英題:The Railway Man

                                                  映画.comより

 

今エミー賞で話題の真田広之も出演の実体験に基づく映画。
戦争の個人責任はどこまで追及されるのか、今のロシア・ウクライナにも関連して考えさせられる映画でした。
裁判を通訳と偽り逃れた主人公の贖罪の日々と赦しが描かれた地味な映画でしたが、ニコール・キッドマンやコリン・ファース
と言った素晴らしいキャストの作品でした。

 
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熊野古道伊勢路の再チャレンジは猛暑と熊アラートの中で ・・・ Kumano Kodo Ise Road again in intense heat and bear alert

2024-09-17 23:59:15 | wonderland

3泊4日(9/11~14)の熊野古道伊勢路トレッキングをしていったん東京に戻り、翌日はイタリア語のレッスンがあり
旅行から一日置いた16日に名古屋宗次ホールでの北村朋幹の素晴らしいコンサートを聴いて名古屋散歩をしてきたところです。

猛暑で日陰に入れば休憩して、熊の鈴を鳴らしながら歩きました。無事帰ることができて、旅で出会った人たちや
友人に感謝です。熊が多く出るのも今まで経験したことがないという地元の人の言葉でした。養蜂家がいるので、
熊はときどき見かけても何もしないで行っちゃうとのことでしたが、今年はハイカーが被害にあっていました。
こんなことはもう今しかできないねと高齢者ハイカーの二人です。私の熊野古道歩きは一人じゃ熊が出るから危ないと
言って友人がついてきてくれることから始まりましたが、意外と急な所もあり、一人では歩きとおすのが難しい場所
でした。私の無謀さと無知さに呆れてしまうけど。経験すればするほど世の中恐さも出てくるということもありますね。

行きの紀勢本線南紀の中で熊スプレーの使い方を確認して、ケースに入れ、すぐ使えるように準備をして
紀伊長島に降り立ちました。

前回道に散々迷った魚まちは、スイスイと移動して、長島神社、加田教会まで行きましたが、午前中から歩き始めたのに
たまらない猛暑です。時に、国道の日陰のないところも歩きながら日陰で休みを取りながら一石峠に入ることが
できました。この付近では熊の目撃があるので、注意の看板が立っていました。

なだらかな一石峠と平方峠と言われていますが、峠なのでアップダウンが思ったよりはありました。
友人は朝食を食べてなかったのと水分をあまり取っていなかったせいか、ふらついていたので
心配になりました。いつも私が助けてもらっていたので、立場が逆になると大変と、たくさん休みながら・・
熊より暑さの方が嫌でしたね。



古里でやっとお弁当タイム。海水浴場のキャンプ場で、屋根があるところがあったので
日陰に入り、ほっと一息。
サラダやサンドイッチ、オムレツやラタトィユ等家にあるものを詰めてきたランチ。
友人もたくさん水分を取って、食事をしたら、回復してきたというのでほっとしました。
私自身も日射病的になってふらっとしそうな時もありました。


海の周りを通る佐甫道。海と山が入り組むのが伊勢路の魅力です。




最後の三浦峠は急な下りが最初あったので、その時だけリュックを持ってくれました。
今回助けてもらったのはその時だけで済んだのでよかった。

三野瀬駅におりてきて、予定していた電車に乗ることができました。間に合わないと思ったのですが、
運よく間に合いました。逃すと1時間待ちです。夕方だからそれでも1時間おきにあるのでいい方です。

三野瀬から相賀まで12分程度乗って、料理民宿に着きました。宿からの眺めもよく、2組しか泊まれない
小さな宿です。

汗だくになったのでまずお風呂に入ってすっきりしてから夕食を取って、疲れたのであっという間に寝て
しまいました。こんなに水分を取って汗をかいたのはここ何十年で経験したことはありませんでした。

 

 

2日目の朝も5時過ぎに目が覚めて、ずっと日が昇るのを見ていました。

朝早く朝食をとって、馬越峠の入り口まで車で送ってもらいました。この宿はほとんど馬越峠に行く人が利用するとか・・
ここでもクマに出会う危険があるので前日まで悩みましたが、やっぱり行こうということになりました。前回は大雨で断念。
他の所では人に会いませんでしたが、馬越はこのあたりでは一番美しい峠と言われるだけあって、人に何人か会いました。
皆さん、滑りやすい所とか教えて注意してくれます。私はここでわら縄を靴に二重に二カ所ずつまいて準備をしました。
急な所もあり、結構怖かったです。沢の水が増水して、水の中を渡った所もありました。


どんな人がこの石の道を作ったのだろうと作った人たちに思いをはせながら。


馬越峠からの眺めは素晴らしかったです。ここから天狗倉山への登山コースにも入れますが、私にはとんでもないので
ここから尾鷲方面に下ります。まめに休憩しながら歩くので、標準時間の倍は見ていないといけません。
どんなに苦しくても一歩ずつ歩けば前進して行くことができます。引き返すことができないので前に進むだけです。


滝を過ぎれば、民家がある方に入って行くことができます。途中で休憩を取っていた作業員の人が
暑いのにご苦労さんだねと言ってくれました。本当にこんなに暑いとは思いませんでした。連日34度くらいです。



街の喫茶店のようなお店でかき氷! しかも昔ながらの・・ 真っ赤なストロベリー。
遅ればせの昼食はsandwichしかありませんでした。途中行動食は取ったのですが、
友人は一組しか食べないの。暑さでそれほど空腹感も感じなくて・・・

駅の周りにも喫茶店も食堂っぽいところもなくて・・・
最初にみつけた氷の旗が閃いているお店に入ってよかった。

特急が停まる尾鷲駅でもこんな感じ。尾鷲駅より20数分でこの日の宿泊先の賀田駅に行くことができます。
賀田駅に送迎の車が来ていました。

尾鷲シーサイドビューと言う名前の通りの海に面したホテルです。


やはり汗を流してからの夕食。毎日汗だくです。

この日はお酒も飲めなくて、前日もノンアルだったけど。おいしいお水をいただきました。

この前の海で取れた魚だけの、とてもおいしい夕食でした。品数が多いので減らしてほしいと電話でお願いしたのですが
減らせないということで、ゆっくりできるだけ食べました。



そしてまた早く寝たので見事な朝の景色、海の色が変わっていくのが見れた3日目の朝です。


 

3日目もリベンジコースで前回道がみつからなった波田須の道を歩きます。

新鹿駅から海岸沿いに歩いて国道をまたぎ波田須の道に入るのですが、海岸沿いに歩いてしまうと
又迷ってしまい、たまたま外に出てきた住民の方に聞くことができたので、今回はうまく入ることができました。

しかしやはりところどころ急な坂もあるし、前回の雨の中はなかなか大変だったと思うので
道が見つけられず国道を通ったことが距離はあっても正解であったことがわかりました。

前回も見た庚申塚の所に来て、国道に出ました。


今度は国道から草ぼうぼうの石段を上がって山の村落を回って波田須に出ます。
ここの村落の入り道も、なかなか大変で前回の嵐では無理で、すべてその時の最善の道であったことがわかりました。

波田須の道の石は苔むしてとてもきれいでした。鎌倉時代に作られたというこの辺では古い道です。


そして前回嵐の中で見た徐福の宮が見れる場所に到着。
なんという天気の違い。あの時はずぶぬれでした。


徐福の宮

 

今度は波田須駅に行かず、大吹峠に向かいます。
峠の入り口で宿で作ってもらったおにぎり2個のうち、1個の半分だけ食べてランチにしました。


 

大泊駅に電車の時刻よりだいぶ早く着いてしまい、無人駅で待っていたら眠くなってうつらうつらしてしまいました。

時間通りに熊野市駅に着いたのですが、ここでまさかのハプニング。バスで40分くらいかかるのですが、送迎の車が来ていない
のです。連絡したところ手違いで配車していなくてこれから来てくれるとのこと。待つことは慣れているのでなんでもありません。
泊まるところが湯ノ口温泉のバンガローで、前回泊まった瀞流荘に送迎をお願いして何回も確認したのに。駅から湯ノ口温泉まで
お願いしたのに瀞流荘から湯ノ口と思ったみたい。迎えに来てくれたドライバーは申し訳なさそうにしていたのですが、
前回送ってくれた人とわかり、翌日のこともとてもよくしてくれました。翌日は年に2回の大行事の日で稲刈りのイベントがあり
500人以上集まるとか、道路も規制がはいり、オートキャンプまでしか送れないということでしたが、帰りに乗る公共のバスも
一日に4本くらいしかない厳しい場所で、中を回る時間のことを考えるギリギリでしたが、何とか早朝、規制の入る前に
千枚田の中心まで送ってもらうことができました。このドライバーの方には大変お世話になりました。

バンガローについて、とても効くような温泉まで入りに行ってから自炊の夕食。さとうのごはんも売っていたので、買ってもどり
無印のレトルトカレーをかけて食べるつもりでしたが、おにぎりを残していたので、その上にカレーをかけて食べましたが、
とてもおいしかったです。

翌朝も早いのですぐ寝ましたが、なかなか寝付けない初バンガローでした。

朝食もスープと前日熊野駅前で買ったミルクパンのみ。あとはマドレーヌとかお菓子で・・



そして黄金に輝く丸山千枚田へ。今回は通り峠からではなく下から見る千枚田です。
早かったのでプレスの人がたくさん歩いていて、準備をしている人たちが大勢いました。

オーナー会員がやってくる頃には私たちは通り峠に向かって歩き始めました。


 

通り峠入り口からバスで阿田和駅に出て、JRで熊野市に行き、特急で帰路に。

阿田和駅近くから見る七里御浜。
ちょっと天気が荒れてきました。


熊野市駅。

駅前の物産館でめはり寿司と焼きドーナッツなどを買って、昼食です。アイスクリームや柑橘のジュースも
冷たくておいしかったです。

駅にこの前風雨を3時間耐えた波田須駅の写真がありました。やっぱり「秘境駅」ですって。
ほんとうに何もなくて、もちろんタクシーなんて来てくれる場所ではありません。

 

私のスーベニール。拾ったときは少し緑がかっていたと思ったけど・・・

今回もアドヴェンチャーと人の温かさに触れた旅でした。

 

帰ってから写真をパソコンに送ったり、スマホの容量がいつも足りないので写真を消していたら映画の写真が
出てきました。

この他者と真の関係を築くという言葉に魅かれました。
これはコリン・ファースで「英国王のスピーチ」みたいですね。

国王と吃音を直してくれる療法師との家族以上の友情や家族の愛を描いた映画でした。
inaさんと言う人のブログに
「家族」とは、血縁関係ではなく、人間関係を築く努力の末に形成される関係だというのが
この映画の重要なテーマではと書いてありました。

この映画を見たのが2022年末。あの頃見た映画のメモがアップされていないので同じくコリン・ファースの
Magic in the moonlightなど思い出していました。

 

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行く前に疲れた~ ・・・ tired before the trip

2024-09-10 21:07:15 | a day in the life

2年前の10月に初めて熊野古道を歩いたときは熊のことはあまり騒がれていなかったけど
今年は6月ごろにも熊が出没というニュースに触れたので、調べたら8月から頻繁に目撃されて、単独で古道を歩いて
いた女性が先月襲われ、今度行く場所の近くはかなり危険だということがわかりネットで昨日はいろいろ調べていました。
ツキノワグマ出没情報マップが整備され、どこに現れたか一目でわかります。観光協会や町役場の農林課に問い合わせて
聞いてみました。今三重県クマアラートのうち警報が出ているのが明日行く紀北町なのです。警報は2カ所しか出ていなくて、
あとは注意報です。尾鷲は注意報なのですが、紀北町より出没数がずっと多いのでよくわかりません。とにかく歩く場合は
夕方や朝は避けて、単独行動は避ける、音を出して歩く・・ マップを見ると大丈夫そうだけど一石峠あたりでの目撃情報はあり、
観光協会は行くことを勧めていません。被害があったのはツヅラト峠で馬越峠も危なそうで、馬越の方はやめようかと代案も考え中。
尾鷲物産観光協会では熊スプレーと笛を貸してくれるとか・・。 明日宿泊予定の民宿に電話で状況を聞くと、前日泊まった外国人は
馬越峠に行ったとのこと。知っていて行ったのかしらと聞くと「わからないけど、恐がらせても行けないから言わなかった」という
びっくりの返事。ずっと南の今度再び行く予定の千枚田まで出没の記録があります。全国的に熊が人のいるところまで出ていている
ので、共存するにはどうしたものかと思います。10月からは食料を求めて出てくるということでしたが・・

台風を心配していたのに、思わぬ心配です。

滑り止めのため靴をくくるわら紐が届きました。TVで伊勢路の語りべのおばあさんが教えてくれたものです。
わらじって滑らなかったのですね。かんじきとかも藁だし。

買い物に行く途中で見た公園の花。夕方になると少し涼しくなる感じもしますが、毎日猛暑で
特に湿度が高いので汗だらだらです。


なつかしいオシロイバナが強い香りを放っていました。
小さい頃、遊んだ記憶があります。


朝起きて一番にはボビンレースを少しだけすることができました。

あとは明日からの旅行の最後の準備。家に保存食を作ったり、お弁当に持って行くものを作り
買い物、掃除と忙しく、パッキングもほとんど済ませて、カレーラスを聴いてすこし気持ちを
ゆったりさせました。教会の音楽が聴きたくなっていたところでした。

あとはスマホの容量が少なくなっているのでデータをまとめて捨てなくては・・・
重たいカメラは山歩きの時には持って行くことができません。

無事行って帰ってくることができますように!

 

Kyrie - Misa Criolla 1 - Jose Carreras

 

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都内駆け回りの3日間 ・・・ three days of walking around Tokyo 

2024-09-08 23:59:11 | a day in the life

9月6日

高田賢三展に行った帰りには新宿のスポーツ店によって、水曜日からの伊勢路歩きに必要な大きなリュックのレイン・カバーと
熊用の鈴とついでに頼まれた熊スプレーを買う予定でした。

今度行く熊野古道伊勢路では大紀町と紀北町を対象地域として、三重県クマアラート(警報)が8月15日に発表されて、8月以降
ツヅラト峠では登山者が襲われ、馬越峠登り口近くでは目撃情報が2回、一石峠入り口あたりでも目撃情報があり
慌てました。今の鈴は小さいので大きいのに変えるつもりでしたが、熊スプレーまで思いつかなくて友人にスポーツショップに
行くのなら買っておいてと頼まれていたもので、高田賢三の展覧会でハッピーな気分になっていたあとに現実に
ぶつかりました。なんと今熊スプレーは在庫切れ続出で売っているお店が少ないとのことでした。それだか需要があるという
いま日本のあちこちで出没している熊問題です。それに値段がめちゃくちゃ高いので驚きました。レインカバー4000円近く
だったのですが、熊スプレーはその何倍もすると言われました。小さな虫のスプレーとは違うと店員さんに言われて、それは
そうだよねと納得。その場は帰って家でネットで在庫のあるPCで探してとも思ったのですが、デパートの登山関連のお店に
寄って、ここでは取り寄せと言うことで、帰り道高田馬場の今井通子さんのご主人が創業者のカモシカスポーツで
残っていたのを悩んだ挙句買いました。小さいスプレーはなかなか入らないとのことで、その上のサイズでなんと2万円
近いのです。それに誤作動を防ぐためのホルダーを合わせれば2万円越えです。カモシカスポーツでも在庫がやっと入って
来たところだということで、もう後2本しか残っていません。これはもうお守りだと思って買うしかないと思い購入。
熊保険だと思って。しかもそのスプレーは熊と対峙した時に使うのだから怖いなんて言うものじゃない。使用はもちろん
友人任せです。

 

初めて熊野古道に行きたいと友人に話したら、熊が出るから一人では危ないと言われ、それ以来二人で行くことにして
いますが、まさか本当に出るとは驚きました。行ってから現地の人にもよく話を聴きながら行動したいと思います。

 

9月7日

午前中にボビンレースをして、カーブスに行って筋トレしました。



やっとこの模様にも慣れてきました。rose ground とひし形、扇形の組み合わせです。


あまりの暑さに午後少し遅くなってからやっと骨董道りのとみひろに行って、胡桃下駄の修理が終わったのを
取ってきました。

玉虫正直さんの作品が置いてあり、ご本人もいらして科布や紙布で作った帯を見せていただきました。
今年の伝統工芸展に出して入選していらっしゃいます。

木の皮を履いて作るとてつもなく大変な作業。そして大福帳から作る味のある風合い。
どれも素敵ですが、その工程を思うと身に付けるには私にはぜいたくすぎます。

後継者がうまく育って生活が成り立つような仕組みになってほしいです。

玉虫工房

とみひろHPより 


そのあとで外苑西通りまで歩いて、ワタリウムに来年の手帳を買いに行きました。去年遅くなったら、種類がほとんどなくて
今回は選択肢が多い中から選びたいと思い早く行きました。大好きなな皆川さんのテキスタイルです。

 







 

外苑西通りのこのライトのお店がすてきでした。
ルイス・ポールセンですね。 家の食堂のライトもこのまねっこでしょうか・・
すてきなデザインです。




 

ワタリウム美術館のショップで毎年手帳を買っています。




来年はどんな年になるのかしら・・無事に過ごすことができるのだろうか

 

 

9月8日

図書館に次に予約が入っているヨシタケシンスケの本を返しに行きました。他のは予約が入っていないので延長をしました。
その前に新宿によって、旅行中の行動食などを買いました。最終日は山奥の温泉地のバンガローなので無印のレトルトカレーを
持って行くことに決めました。



こころの動きを描いた絵本。自分なりに解決方法を見つけて、対処して生きて行く・・

木曜日に旅行の初日のお弁当に野菜が生春巻きにしたら食べやすいかと思って久々に作って、テストに翌日まで
置いて見ましたが、やはりお弁当には向かないみたい。普通のサラダを持って行くことにしました。

めちゃくちゃワイルドです。海老とスモークサーモンにしてみました。
お弁当にはやはりカップにたくさん野菜を詰め込みます。


10年ぶりくらいに食べるトップスのケーキ。トップスは60周年。ずっと変わらない味が嬉しいですね。
ビターチョコレートが食べたくなりました。チョコレートも原料値上げとか・・だんだん食べられるものが
すくなくなってきました。

 

 

 

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KENZO展 ・・・TAKADA KENZO Chasing Dreams 

2024-09-07 23:59:02 | art


 

なつかしい空気。

高田賢三展にはその時代の人だったシニアから、今ファッションを勉強している若い人たちで
いっぱいでした。Akiko さんのおかげでチケットが安く手に入ったので、来週は伊勢路に行くので
今しかないと思い行ってきました。まさに私たちの時代の人です。IsseyとKenzoはその中で先端を
走っていたと思います。





ファッションから手を引いた後、油絵をまた習い始めたとのインタビューを見たことがありました。
賢三さんは親にファッションの勉強をすることを反対され、最初は英米学科に進み、途中から文化服装学院へと
ファッションの世界に入ったと知りました。

若い頃描いた自画像もさすがですね。











たくさん集めたリボンで作ったというフォークロアのドレス。小夜子さんも懐かしい。

時代を超えたシンプルさがすてき。



遊び心のあるモードですが、アクセサリー一つでvividな感じになります。


ミリタリー調だってエレガント。


とにかくあの頃はファッションが先端に来るような、生きることみたいな時代でした。
今は個人の自由なファッションの時代で、流行なんてあるのかな? 和服があればいいと思うように
なったので、ますますファッションから遠のきました。


KENZOのエスニックやフォーク調の柄が好きで、この赤い花柄に似たハンカチをいつもお弁当包みに
使っていました。 Kアトリエに通っていたころ、クリスマスプレゼント交換でもらったものです。

また主人から結婚前にもらったスカーフもKENZOのでそれは淡いグリーンと茶系の花がらでした。
今は使う頻度ぜロですが、出汁て使ってみようかな・・・ すべて30年以上も前のものです。

賢三は日本人であることをとても意識していました。
ここに書かれたグザヴィエを調べて最下段に記事にリンクを貼りました。
ファッションデザイナーにありがちなことで、彼もゲイだったのですね。初めて知りました。

「それいゆ」や「ひまわり」にハマり、宝塚も好きだったとか。
宝塚の舞台衣装も手掛けています。





ファッション業界での経営は大変な苦労であったことを改めて知りました。
そのあとはデザインもしながら油絵を描いてまた新たな夢に向かっていたようです。


オペラ「蝶々夫人」の衣装も手掛け、最近日本の舞台を見た人から衣装がすてきだったお話を聞きました。




















 

Kenzoの30周年のファッションショーを会場で画像で見たけれど
ファッション・ショーを見るのは初めてでとても面白かったです。
Kenzoのショーは服ではなく、人間そのものが主役と言う感じがしました。
楽しそうに踊りながら通り過ぎる人たち。町の風景がそのまま舞台になっているようで
人間賛歌になっている。生きることのすばらしさがテーマになっていました。
服を見せるのが目的ではなく、その服を着て楽しんでいる人間を現していました。
自由に生きることが伝わってきます。
後から記事を読んでテーマが「Liberté(自由)」だったことを知りました。
そしてただのファッションショーではなく、ケンゾー最後のショーで30年間の集大成だったことも。

気持ちが解放されて、楽しい展覧会でした。

パリと東京の近さも感じました。フランスと日本と言うか・・
彼がフランスで温かく迎えられ、日本人のデザイナーとして自分らしさを充分に表現できたことは
素晴らしいことです。

 

高田賢三さんと私の37年間
Kenzo 30 ans のことやグザヴィエと建てた家のことなどついていました。

追悼・高田賢三さんひめられた愛と赤裸々な日々 

 

Sep. 6 2024  Tokyo Opera City Art Gallery      (Hatsudai)

 

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上野広小路を通って帰る ・・・ return through Ueno Hirokoji

2024-09-06 23:57:25 | a day in the life

8月22日

展覧会を見に行くことを突然決めて朝出かけたのですが、上野に着いたとたん豪雨でしばらく駅で
雨が弱まるのを待ってから駅の目の前の西洋美術館に行きました。

展覧会を見たあと、グッズ売り場の長蛇の列にパスして、上野広小路まで歩くことにしました。
クリアホールダーが紙のホールダーになっていて、ポストカードもたまる一方だし・・ それで
あきらめておなかがすいていたこともあり・・

嵐の後のような上野公園

今年初めて見る蓮の花も強い雨によれよれになっていました。





大江戸線で帰ると新宿まで出られるので、シルバーパスで上野御徒町から帰ろうと思って
選んだコースですが、Zちゃんから聞いていたキッチンさくらいの本店が上野御徒町駅の
目の前にあったのでそこでランチ。もう1時半を回っていました。




オムライスのハーフサイです。にんじんのポタージュも冷たくておいしかったです。
人も少なく、落ち着いていいお店でした。「キッチンさくらい」のオムライスはビーフで「厳選洋食さくらい」のオムライスは
チキンとのこと。卵がフワフワでおいしかったです。


  飲みたかったコーヒーもついていました。


広小路あたりは昔ながらのお店も多く、以前行ったことのあるカフェ・ラパンもレトロで素敵でした。

思い立って出かけた写本展を見た一日でした。

 

Aug. 22  2024  Ueno

 

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祈りの世界 内藤コレクションで中世の中へ ・・・ into the medieval prayer

2024-09-05 23:59:33 | art

8月22日

内藤コレクション 写本 いとも優雅なる中世の小宇宙

またしても終了間近の展覧会に滑り込みです。
気になっていた西洋美術館での写本展でしたが、イタリア語の先生から中世にタイムスリップしてきたとの
ラインで、やっぱり西洋美術館に行きたくなって、時間があまりないので翌日行ってきました。
西洋美術館は長い間リニューアル工事をしていましたが、2年も前のことだったのですね。

若い頃、井上靖の「化石」を小林正樹監督が映画化されたのを見て、フランスのロマンの寺に行きたいと思ったことが
あり、「中世が見た夢」という美術紀行の本を買って、写真だけよく眺めていたことがありました。

内藤コレクションは断片的に見たことがあると思いますが、西洋美術館に寄贈された膨大な作品を一度に
見ることができました。

25日終了でしたが、それほど混雑していなくて、ゆっくりと見ることができました。
静かに教会音楽でも流れていたら、最高でしたが・・・

嬉しいことにほとんどの作品が撮影可でした。

 内藤氏が初めて買った詩編集零葉 パリ又はアミアン 1250-60年

内藤裕司 ないとう ひろし
1932- 昭和後期-平成時代の麻酔学者,中毒学者。
昭和7年2月5日生まれ。エール大付属病院勤務,札幌医大助教授などをへて,昭和51年筑波大教授。のち茨城県立医療大副学長。
56年筑波中毒センター(中毒110番)を開設,一時資金難で活動を中断したが,61年(財)日本中毒情報センターを設立した。
平成3年中毒症状治療のバイブルといわれる「中毒百科」を刊行。13年つくば中毒研究所所長。16年吉川英治文化賞。
東京出身。札幌医大卒。

まず最初に展示してあった最初に買った零葉。こんなに小さな字がよく書けるというくらい小さな字です。
印刷がまだなかった時代。まだ紙の技術もヨーロッパに伝達されていなかった時代に動物の皮に書いているのです。

ここから膨大な内藤氏の趣味のコレクションが始まったのです。
内藤先生はその作品の書かれた時代や場所などがわかるととても喜ばれたそうです。

ヨーロッパ各地から集められた作品。フランス、イングランド、オランダ、ドイツ、イタリア・・なかには
スペインに発注されたものもあり、ヨーロッパは一つのように思えます。文字と装飾の担当は別々で分業。

印刷技術導入前の人による一字一字の写本は伝わってくるものが大きいですね。空海展で空海の直筆を見た時も
歴史に触れたような感じがしました。

中世の空間に浸った夏の終わりのひとときでした。

 





































 

 






















 

 

 


カリグラフィも素敵でしたが、周りの装飾が時にレースのようで素晴らしかったです。ボビンレースのイングランドで
作られたものを思い出したりしていました。

人の手によって作られた貴重なコレクションでした。世の中ますます味気なくなってきましたが、静かな時間が流れて
行く貴重な一日でした。

 

美術展ナビ 【レビュー】 内藤コレクション 写本 - いとも優雅なる中世の小宇宙

晴れときどき展覧会 輝く写本で彩る人生 中世の画家に耳を傾ける 内藤コレクション

 

August 22  2024  The National Museum of Western Art (Ueno)

 

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昨日の続き ・・・continuing from yesterday 

2024-09-04 23:53:21 | a day in the life

9月4日

昨日は高齢者運転免許更新のための認知機能検査でぐったりして、ボビンレースの間違えた所だけ
チェックして、朝ほどいてやり直すことにしました。その前日たくさん解いて、まだそこまでリカバリーしていない
のに、また間違えていました。

失敗は成功の基と言う言葉をかみしめました。


そして後は運転技能検査を申し込みました。とても混んでいて9月の末くらいからしかとれないのですが
10月10日を予約することができ、それに合わせてペーパードライバー講習を友達を通してお願いしました。
何しろ車の動かし方忘れているのですから。運転は今後もする予定はないけれど免許証だけは持っていたい派です。

 

やっと最初にほどき始めた地点近くに着きました。


夕方カーブスに向かう時の青空。9月になったら朝夕は少ししのぎやすくなり、
日が短くなってきました。

 

昨日の東陽町の写真を追加

らぁめん山口の「麻婆まぜそば」 西早稲田にあるお気に入りのラーメン店の東陽町店で
お昼を食べることにしていました。ここにしかない辛いラーメンです。
辛くてお水をたくさん飲んでしまいました。

記憶力テストの前になんだかお腹がいっぱいに膨れてしまって、よくなかったかなと反省。



東陽町もキョロキョロしてしまって、面白い街でしたが、最初に来るときに見た竹中工務店は通らなかったので
写真が撮れませんでした。 

JDLは懐かしくて撮りました。職場で初めて会計ソフトを導入したのがJDLでした。フロッピーディスクを
使っていた時代です。それからCDに変わりUSBメモリーの時代になりました。

オフィスの変遷はすごかったですね。就職した時はコピーは青焼き、もちろんパソコン以前。テレックスを使って
いました。使っていたのは和文タイプ。専門の職員が一人いて、印刷屋さんはしょっちゅう出入りしていました。
あとは英文タイプ。

そのうちコピー機ができて、富士ゼロックスで定着。J-Starと言う特殊なソフトの入っている印刷もできる高価な
ものは欧文誌と国際課が専用で使っていました。

ワープロが導入され、オアシスと言うのを使っていましたね。そして画期的なWindowsが来て、パソコン時代の
幕開けです。オフィス内もネットワークでつながり、E-mailが当たり前になり、会計ソフト、会員管理ソフトなどを
開発してもらって使っていました。国際会議も外部に業務委託をして行うようになりました。HP作成とか仕事の
やり方がどんどん変わって行った時代です。最近はコロナ以降、リモートワークも生まれて一つの働き方と
なりました。 

JDLのソフトはほんの初期だけで、あとからは独自に作ってもらったものだったかと記憶しています。

事務の仕事もやることがどんどん限られてきてこれからはどんな業務が人間に残るのでしょうか・・
パソコンがツールとしては当たり前になって、もう切り離せなくなってきています。

人間らしい仕事って・・と考えてしまいます。 人間しかできないもの・・


食べ過ぎ感があった昼食の後で、試験場の食堂で問題を眺めながら静かに過ごしました。
落ち着くことができて良かったです。

 

Sep. 3  2024  Touyouchou 

Sep. 4       2024       Takadanobaba

 

 

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