1999年、「最後の夏休み」を書き始めた時のことは、よく覚えている。その年の2月、父は重い感染症にかかり、入院した。痴呆症があったので、24時間付き添ってくださいと病院の人からいわれた。それが、私たち姉妹の介護生活の始まりだった。
3週間で、私も姉も疲れ切り、私はまっすぐに歩けなくなった。まっすぐに歩いているつもりなのに、気がつくと、塀の方に寄っていってしまうのである。倒れる寸前だった。
這うようにして、高井戸のY病院に、転院のお願いにいった。その病院は24時間付き添わなくてもいいと、中学の友人の久保島氏と末岡氏から聞いていたのだ。そして、その友人のおかげで、転院させてもらうことができた。
それからも、病院通いは続いたが、倒れそうなほど疲れることはなかった。でも、本は書けなかった。仕事をしようと思っても、取材にゆく余裕がなかったのだ。
そんなある日、友達から電話がかかった。「狛江で花の展覧会を開いているから見に来てよ。」「いつ?」と聞くと、「今日、たった今。」という。断る理由を見つける暇もない急な話に、私は久しぶりに病院以外の所に出かけた。
近道なので、多摩川沿いに行こうと、自転車を引いて、土手を上がった。そのとたん、川面を渡る風とともに、多摩川の穏やかな流れに、迎えられた。なつかしい人に会ったような、あたたかな気持ちになった。
その時、私は気がついたのだ。こんなに好きな場所が近くにあったんじゃないのと。その瞬間、多摩川を書こうと決心した。
その時個展に誘ってくれたのが真蘭さんです。
「真蘭花工房」 ホームページ Blog
3週間で、私も姉も疲れ切り、私はまっすぐに歩けなくなった。まっすぐに歩いているつもりなのに、気がつくと、塀の方に寄っていってしまうのである。倒れる寸前だった。
這うようにして、高井戸のY病院に、転院のお願いにいった。その病院は24時間付き添わなくてもいいと、中学の友人の久保島氏と末岡氏から聞いていたのだ。そして、その友人のおかげで、転院させてもらうことができた。
それからも、病院通いは続いたが、倒れそうなほど疲れることはなかった。でも、本は書けなかった。仕事をしようと思っても、取材にゆく余裕がなかったのだ。
そんなある日、友達から電話がかかった。「狛江で花の展覧会を開いているから見に来てよ。」「いつ?」と聞くと、「今日、たった今。」という。断る理由を見つける暇もない急な話に、私は久しぶりに病院以外の所に出かけた。
近道なので、多摩川沿いに行こうと、自転車を引いて、土手を上がった。そのとたん、川面を渡る風とともに、多摩川の穏やかな流れに、迎えられた。なつかしい人に会ったような、あたたかな気持ちになった。
その時、私は気がついたのだ。こんなに好きな場所が近くにあったんじゃないのと。その瞬間、多摩川を書こうと決心した。
その時個展に誘ってくれたのが真蘭さんです。
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紅連さんさんの作品を通しての自然と人の関わりや、優しさが、こういうお話を知ることによってより深く理解できます。
それがちゃんと本になって出版されたんだ、と思うと、感無量です。
その日、多摩川に出会ったのだから。
それと、田所さんの展示を見て、田所さんも介護で苦労しているのを知っていたので、お花を活けるような心の余裕があることにビックリして、私ももうちょっと余裕をもたなきゃと、思ったんですよね。田所さんを見習おうと。
多摩川を見たことと、田所さんのお花のおかげで、本を書く決心ができました。
でも、どちらも真蘭さんが誘ってくれたからなので、ありがたかったです。
田所さんの作品を見ていただきたいと思ったのでお誘いしたことは覚えているのですがが。
あなたにそんな影響があったなんて、後で知ってびっくりです。
何処でどう影響するかわからないものですね。
いずれにしても嬉しいですね。「初めの一滴」の誕生に。
チャンスだと思わなければ、そのまま通り過ぎてしまうようなこと。
いずれにしても、嬉しいです。では