紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

みんな東京・内地に帰っていった

2024-01-03 20:39:50 | 18・家族のことなど

にぎやかな8日間、みんなが船に乗って、内地に帰っていった。

静かな日常はもどってきた。

今朝は、ニワトリのエサヤリにみんなでいっている間に、昼ご飯と弁当の支度。

11時ころからは、こうたとあやかちゃん、ゆいとくんが、息子と夫と一緒に、隣の家にもちつきにいった。

12時ころ帰ってきてからは、もうバタバタで、昼ご飯を食べた。

家を離れるので、記念撮影。

幸い1番近い伊ヶ谷港から出港することに決まった。

船を待つ。

橘丸がやってきた。正月3日は、当然のことながら、いつもより乗客が多い。

 

先日芋掘りにきたSさんが、全員一緒の写真を撮ってくれた。

みんな、乗り込んでいく。

テープをもらったので、投げるしんじとこうた。

そして、だんだんと離れていく。

船のお別れは、楽しいなあと思う。

今日は2家族で、調布の家に泊まる。

だけど、果たして、昨日の航空機事故の影響もあり、娘たちは福岡に帰れるのだろうか?


富山から帰りました

2023-10-20 19:15:14 | 18・家族のことなど

姉の夫、義理の兄が亡くなって、2年がたとうとしている。
去年の一周忌は、三宅島にいたので、いけなかった。

今年の三回忌は私もいくことにし、妹も一緒にいくことになった。

遠いので、山梨から出てきた妹の時間に合わせて新幹線をとると、富山駅についたのは、14:00くらい。

それからタクシーで浄泉寺に向かった。

お経を唱えて頂いて、ご住職様とお話をして、外に出たら、もう夕暮れ時。

車で送ってくださるとのことだったけど、あまりに景色がいいので、歩いて駅に向かうことにした。

新幹線に乗っているときから、剱岳がよく見えた。お寺からも、もっとよく見えた。山頂あたりには、雪がついている。

お義兄さんは、こんな景色を毎日見ながら、育ったのだと思った。

タクシーでお寺に向かうときに、別の白い山が見えたが、薬師岳ということだった。

その昔、薬師岳の下の太郎小屋に泊まったとき、夜外にでると、富山の夜景が見えたのを思い出した。

滑川までの列車は、かわいかった。行き先を間違えて、途中で乗り換えたりしたけど、それも楽しかった。

夕食をとって、ホテルもどると、あっという間に寝てしまった。

翌日早朝起きると、剱岳が目の前に見えた。なんとすばらしいお部屋。

山の向こうから日が昇ると、もう山はくっきりとは見えなくなってしまった。

暑いくらいの日で、帰りに剱岳を見ると、昨日白かったのに、雪がとけて、白いところが小さくなっていた。

その日に、お墓参りにいって、帰ってきた。


今日は姉妹で墓参り

2023-05-24 20:28:44 | 18・家族のことなど

コロナが蔓延した年に、法事をキャンセルして以来、初めてお寺にご挨拶に伺った。

このところ、私らも年をとってきたし、女だけの姉妹なので、お墓をこれからどうするかが気にかかっていた。

今日はご住職さまにもお目にかかれて、いろいろ相談にのっていただき、長年の心配から開放された。

そして、山のてっぺんにあるお墓にお参り。

ここのお墓には、私たちの両親と、父の母親だけが入っている。父が複雑な家庭環境だったためだ。

お墓のあたりから眺めた景色。今日は空気がクリアで、山(高尾山のあたりか?)がくっきりと見えた。

両親が眠っているところは、山の上なので、ほんとうに眺めがいい。

けれど、急な階段が上まで続いている。そのために、このような乗り物がある。2人乗り。

 

用事をすませた後は、いつも楽しみにしている、お墓から歩いて3分の「ミューゲブラン」でランチ。

おいしいフランス料理と赤ワインで、たのしい時間を過ごす。(写真は姉からお借りしました)

3人で会うのも、コロナ以来。

 

料理のあとは、庭を見せていただいた。

オシャレな名前のクレマチスの花が、いろいろな種類咲いていた。

てっせんに似てるねといったら、ほとんど親戚の間柄らしい。


船橋の霊園にお墓参り

2023-03-24 21:58:49 | 18・家族のことなど

夫と一緒に、東京にきたのは、1年少し前の、法事以来。

島で生き物を飼っていると、どうしても2人で家をあけるのは難しい。

今回は若者に頼んで、久しぶりに一緒にお墓参りにいくことにした。

船橋駅で、義姉、義兄さんと待ち合わせ。それぞれけっこう遠いところからきたが、1分ほどの時差で出会った。

霊園は、桜の花が咲きほころんでいて、それだけでもうれしい。こんなにたくさんの桜の花を見られると幸せな気持ちになる。

三宅島にいると、お墓参りにくるのも一仕事。とくに、夫も私も病気をかかえていた去年は、東京にきても、病院にいくのでせいいっぱい。

感謝という墓碑(母の字)は、いつみてもいい字でいい言葉だと思う。

帰りは、うなぎやさんにいって、あまりのおいしさに感動。

そして、楽しく4人で会話をして、お開きとなった。

夫は帰ってきてから、食料品を買い込み、8時過ぎには家をでて、今晩の船で三宅島に帰った。

私はそれからゆっくりとサッカーを見た。


姉とフランスからきた姪と会う

2022-10-31 07:22:37 | 18・家族のことなど

もう1年たっだんだなあ、と昨日はしみじみ思った。

義兄の一周忌で、姪が夫のパスカルと共に来日した。

来られるかどうかわからないとき(5月)にチケットをとったそうだけど、見込みはあたって、日本も外国からのお客さんを迎える体制になっていた。

昨日は、私は手術以来、初めて外出をした。

ちょうど昼時で、突然ランチをしにいくことを決めたので、どこも一杯のお客さん。

唯一入れそうなのは、ロイヤルホスト。ファミレスは久しぶりといいながら、入った。

時節柄、栗のパフェと、栗のシフォンケーキを食べたいということになり、そこからメイン料理を選ぶことに。

このファミレスは、1つ1つカロリーが書いてあるのがいい。

3にんで久しぶりのおしゃべりを楽しんだ。旅行中のパスカルとは会えないまま、三宅島に渡る。

今度はぜひ、ゆっくり三宅島にもきてほしいものだ。

白内障の手術をして1週間、術後ののんびりした時間はきのうで終わった。

今日はこれから台所の大掃除をして、午後ガス台と換気扇の工事をしてもらう。

 


雨の日曜日

2022-05-01 20:49:17 | 18・家族のことなど

今日は、午前中大掃除と断捨離で終わった。GWだというのに、地味に過ごしている。

GW明けに、九州にいこうと思っているので、今のうちに家の中を片付けたい。

午後プールにいこうと思ったら、すごい大雨が降っていた。

夫から電話があり、もし飛行機が出るようなら、荷物を載せたという。

連絡がくるのを待っていたら、午後荷物がきていますと飛行場から電話があった。

飛行機に乗せるのは、一番早く荷物が届くけど、大雨でもなんでも飛行場までいかなくてはならない。

雨具の上下をきていても、びしょ濡れになった。それでも、午後の便は欠航になったということで、ギリギリ届いたのだった。

伊豆諸島へ飛ぶ飛行機が何機も、雨に濡れていた。

家に帰ってから荷物をあけてみると、このような野菜と卵が入っていた。

里芋と枝豆とイチゴは、早速今日頂いた。


法事とお墓参り

2021-12-23 08:45:19 | 18・家族のことなど

三宅島に移ってから、夫と一緒に都内にいくのは、法事、葬儀くらいで、いつもどちらか残ってニワトリの世話をしている。

昨日は義母の7回忌の法要をとり行ったので、三宅島の若い農業従事者のかんべくんに、ニワトリの世話を頼んだ。

これを頼めないと、どちらかが残って世話をするしかないので、とても助かった。先月もお世話になったので、2ヶ月連続で感謝です。

朝9:15に家を出て、阿弥陀寺で11:30より法要。着いてすぐに、建物の写真を撮ろうとしていると、法衣を召された方が通りかかって、ツーショットで写してくださった。

あとで、その方がお経を上げてくださったので、恐れ多いことだと思った。若いお坊さんだった。

じきに義姉、義兄も到着し、4人で法要の席にのぞんだ。

それが終わったら、船橋市の墓地にお墓参りにいくことにしていた。

義兄の車で連れて行ってもらった。途中で、昼ご飯の時間になり、ウナギを食べた。めったに食べられないので、すごくおいしかった。

写真掲載の許可がまだおりてないので、小さいのを載せてみたが、これもあとで取り下げるかもしれない。

そして、三輪家のお墓参り。三宅島に行って以来、めったにお墓参りもできず、いつも義姉さん、義兄さんにまかせっきりで、申し訳ないことだと思っている。

いつもありがとうございます。

帰りの車で、私の姉のダンナさまが73歳で亡くなった話になり、私たちも年齢的にいつどうなるか分からないという話になった。

浄土真宗では、生前に戒名(法名)をつけてもらえる。義母も亡くなる2ヶ月前につけてもらっていた。

11月の報恩講という席でつけてもらえるそうなので、一緒につけてもらおうということになった。

 

さて、今日私は三宅島に帰る。

明日の船には、娘やお嫁さんや孫達が乗る予定である。なぜこんなに早く来ることになったかというと、週末から来週にかけて、天気が荒れそうだからだ。

おそらく船は欠航すると思われる。

なにも片付けや掃除をしていないので、今日、明日はそれに追われる。でも、みんなで会えるのは嬉しい。


姉と姪とランチ

2021-12-11 20:48:05 | 18・家族のことなど

今日は姉と、姪のAちゃんと一緒にランチをした。

姪がフランスから来たのは、約1ヶ月前のことだった。

パリを発つ頃、父親が亡くなったり、来てからは亡くなった後の手続きなど、姉を手伝って、奔走してくれた。

せっかくの来日里帰りだったのに、ほんとうにおつかれさまでした。

三宅島だって、もしものときには遠いと思うのに、このコロナ禍の時代、海外はくらべものにならないくらい遠い。

来週フランスに帰るので、その前に1度食事をしようということになった。

中華料理のランチコースを頼んで、コロナを気にしつつ小さい声で(ほんとうか?)しゃべり倒した感じ。

次回来日するときには、パスカルも一緒にぜひ三宅島にきてほしい。

前回三宅島にきたときは、まだ開墾中だったが、あれから広々とした畑になった。

それにしても、吉祥寺の街は、すごい人出。ランチの店も予約でいっぱいだったし。

そういうことを、三宅島にいると忘れてしまうね。


義兄の死

2021-11-22 17:28:27 | 18・家族のことなど

昨日、義兄(姉の夫)Aさんのお通夜、本日は告別式が執り行われた。



こんなコロナ禍なので、家族葬で見送った。遠いフランスのパリに住んでいる姪も日本にくることができ、通夜の前日PCR検査も陰性となったので、葬儀に参列することができた。
姪が飛行機の中にいるときに、義兄はなくなったが、パリを離れる前にSkypeでお互いの顔を見ることはできたそうだ。

義兄が明け方、家の中の事故で亡くなったのは、11月13日だった。まだ73歳で、そう年はいってなかったが、なにか心に思うことがあったのか、姉や家族のために、自分が亡くなったあとのことをあれこれ書き記していたという。

天気予報によると、今日は大荒れの日で、いかにも嵐を呼ぶ男、Aさんらしい日になりそうだ、と夫と話していた。ところが、こんなにあっという間に亡くなったこともそうだし、Aさんの持つ力が、晩年になって失われたのかもしれない。天気はそれほど荒れなかったので、参列者は助かった。けれど、それもまたさみしかった。

夫がAさんと知り合ったのは、まだ10代の頃で、Aさんは大学の寮の寮委員長だったという。
その後新卒で入った会社も同じで、Aさんは先輩だった。その会社はじきに倒産したので、道は分かれたが、Aさんが姉と結婚したこともあり、縁はとぎれることはなかった。

Aさんは、子どもの頃から海の近くで育ち、海が好きな少年だったそうだ。戒名には「海」の一字が入っている。

心よりご冥福をお祈りします。

夫は、今日の船で三宅島に帰り、私は一足おくれで、明日の飛行機で帰る予定である。


母の七回忌

2019-04-24 12:08:47 | 18・家族のことなど
私のが他界したのは、1月8日だった。
本来なら、その頃七回忌の法要をするのだけど、姉妹の予定が合わずにのびのびになって、昨日ようやくお寺に伺って、お経を上げていただくことができた。
ご住職様も、お母様もお元気そうで、お目にかかれたのが嬉しかった。

ご住職様と私とは、ほぼ同じ年だけれど、いつも心にしみる話をしてくださる。

お経を唱和する間、心を込めて私たちも一緒に唱えた。
あまり信心深くない私であるが、このときは、心が清められる気がする。

終わったあとは、両親のお墓参りをした。

山の上なので、いつもながら、眺めがいい。





それがすんだあとは、ホッとしながら、「ミューゲブラン」へ。



三人で会うのも何年かぶりなので、会席料理に舌つづみを打ちつつ、近況や、これからのことなど、話は尽きなかった。













注)料理の写真はトントンからお借りしました。