紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

水戸からの帰りの列車

2004-10-13 22:19:26 | 15・心に残ること
それは2001年、3年前の12月。水戸で行われた沼田氏のお別れ会に出席し、帰ってくる列車の中での出来事。
その時水戸に行った人は、沼田氏が移植手術をうけるための費用、9000万円集めるために、募金活動をしていた中学同期の仲間だった。すでにその時、募金活動した同期30人くらいは、沼田氏の東京の実家で、お別れをすませていたため、少人数の参加だった。

会の終了後、8人は列車に乗り込んだ。その時の気持ちは、悲しさともちょっとちがう。残念ともちがう。沼田氏も精一杯がんばったし、私たちもできるだけのことはやった。達成はできなかったけれど、力の限りがんばった後というか、ふつうに誰かとお別れした時とは違う感情が流れていた。

確かなのは、終わりを迎えたということだった。沼田氏が病気と闘うことも。私たちが募金活動をすることも。3ヶ月間ほど、毎週のように街頭に立って、募金活動をしたが、もうすることもないのだ。
この募金活動のために、35年ぶりに再会を果たした人もいた。でも、3ヶ月の間に、もうずっと長い間の友だちのようになっていた。

その帰りの列車の中での出来事。ビールやお酒を手にして、座席を回して、四人ずつ向かい合う。通路を隔てた向こう側も同じようにする。すぐに通りかかった車掌さんから、
「通路をはさんで話しをしないでください。」
とのお達しがある。何もしゃべる前から、うるさくするだろうと思われたのだった。

そして約一時間半の後。その間がうるさかったかどうかは、多分想像通りでしょう。
上野駅でおりる直前のことだ。
突然、仲間の一人が立ち上がって、ほかの乗客に向かって、頭を下げたのだ。
「ぼくたち中学の友だちどおしで、今日は友だちのお葬式があって水戸までいってきたんです。うるさくしてすみませんでした。」
ほかの乗客の人たちの顔は、一気にほころび、みな笑顔でうなずいてくれた。

T君。そんなことを、他の乗客に言ってくれたあなたは、ほんとうにエライ!!


(写真は「沼田さんを助ける会」の解散式。職場の元同僚や同期生など)