紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

いろいろな体験の中から

2004-10-07 06:33:13 | 15・心に残ること
募金活動をしている時、私にとって、初めての体験ということは、数限りなくあった。
その中でも、一番印象に残っているのは、新聞に記事を書かせてもらったことだ。

募金額が、目標に到達できないでいた時、多くの人の目にとまるよう、マスコミ関係でとりあげてもらうことを考えた。たくさんの新聞社、テレビ局にみんなで片っ端からファックスを送った。

そんな頃、知り合いを通じて、S新聞社の文化部のT氏に会わせてもらえることになった。T氏から社会部の人を紹介してもらって、記事をのせてもらえるよう頼むつもりだった。
ところが、T氏に会いに行ったところ、私に自分で記事を書いてみないかというのであった。これには、ビックリしたし、うろたえた。

しかも、かなり難しい制約がついた。
募金の呼びかけをしてはいけないこと。
でも、募金してもらうのが目的で文章を書くのだから、文章の中で募金集めに駆け回っているのを伝えるのはかまわないということだった。
もし書けたら、土曜日の夕刊文化欄に載せてくれるという。字数にして千八百字。

私が何を書いたらいいか思い悩んでいると、T氏は聞いた。
「新聞に原稿を書くなら、誰に向かって訴えたいと思いますか?」
私は即答した。
「世の中に大勢いる、善意のある人です。」
すると、T氏はそれでは載せてあげられないといった。
「では、誰に訴えれば、載せてもらえるんですか?」
と私はたずねた。
T氏はそれには答えず、逆に私に質問をした。
「街頭募金していて、ただ目をそらして行き過ぎてしまう人、無関心な人の割合はどのくらいですか?」
「多分、五十人中、募金してくれるのは1人で、あとの49人の人は素通りしてしまいますね。」
私が答えると、T氏はうなずいて、
「その49人の無関心だった人が、あなたが書いた文章を読んで、募金したくなるようなものが書けたら、載せてあげられます。」
目からウロコ。私の発想は全くちがっていたのだ。

実際に、そういう文章が書けたかどうか、今でもわからない。
が、ありがたいことに、私の文章は新聞に掲載してもらうことができた。

題名は「50歳の挑戦ー心臓移植と街頭募金」 
けれど、結果的に、その記事は役に立たなかった。新聞に掲載された11月24日に沼田氏は亡くなったからだ。
もうじき、命日がやってくる。

(写真は子(孫)連れの人を中心にのせてみました。もし問題あったらメールをよろしく。あれから3年。子ども達大きくなっただろうなあ。)

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