紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

汽車にのってヨーロッパ旅行・その3

2005-06-30 06:26:03 | 8・山と旅の思い出
■旅の計画

いつもは旅をしながら、本のストーリーを考えるのだけど、「汽車にのって」のストーリーはすでに頭の中にあった。ただアイルランドを実際に見てくればいいのだった。
だから、8日から10日くらい滞在すれば十分だろう。

残りは旅をしよう。ヨーロッパを回るなら、ユーレイルパスを買って列車の旅をしようと思った。
それから旅立つまでの間、時刻表をめくりならが、至福の時間を過ごした。
私は何が好きって、時刻表をみながら、あれこれ旅のことを考えるほど好きなことはない。
もしかしたら、旅のコンダクターになる、という道もあったのじゃないかと思うくらいだ。


そうして、行くことにしたのが、アイルランドの後、

<イギリス・ロンドン> → <フランス・パリ> → 
<フランス・地中海地方> → <スイス・ツエルマット>


思う存分列車に乗って、有名な観光地を巡る旅。
山あり海ありの、変化に富んだコースになった。
私はふだん都市をあまり訪れることがないので、それは今までにしたことのないような旅だった。

そして、子ども達にとっても、ふだんはあまり会うことはないけど、仲のいい従兄弟達と、朝から晩まで一緒に過ごしながら旅をする、というめったにできない日々を過ごした。途中、3日間分かれて泊まって別行動した時のほかは、ずっと一緒だった。毎日毎日が、ほんとうににぎやかで楽しかった。





◆汽車にのってヨーロッパ旅行
その1その2その3その4その5その6その7その8その9その10その11その12その13その14その15

汽車にのってヨーロッパ旅行・その2

2005-06-29 07:00:33 | 8・山と旅の思い出
■姉家族との旅

結婚して家を離れてしまうと、女の姉妹というのは、たまに会ったりすることはあっても、一緒にそんなに長期間の旅をすることなんてないものだ。

だから、姉たち家族と一緒に旅をしたのは、後にも先にもそれが最初で最後。
(写真右:全員集合写真。アイルランド・キラニーの町で)


しかも、その頃、父に認知症の症状が少しあらわれ始めたこともあって、まだ軽かったが、この先はすすんで行くだろうと思われた。もっと重くなった時には、姉と私が一緒に出かけることはかなり難しくなる。 

でも、その年、ありがたいことに、両親はまだ元気だった。一緒に行くと聞いて、
「ケンカなんかするんじゃないのよ。」といわれたのが、子ども達じゃなくて、私と姉だったのだから。(笑)

しじゅう旅行ばかりしていた私と違って、姉が子ども達と一緒にそんなに長い間旅に出るのは初めてのことだ。
私はものすごく張り切って、旅の計画を練った。初めてヨーロッパ旅行をする人が行きたいような所をなるべく回ってあげようと考えた。



(写真:左から息子、甥、姪、娘。アイルランドの旅の途中で)



◆汽車にのってヨーロッパ旅行
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汽車にのってヨーロッパ旅行・その1

2005-06-27 06:53:50 | 8・山と旅の思い出
■汽車にのって

♪汽車にのって 汽車にのって
 アイルランドのような いなかへ行こう
 人々が 祭りの日がさを (日がさを)
 くるくるまわし
 日が照りながら 雨のふる
 アイルランドのような いなかへ行こう♪


実はこの歌で、私はその後の自分の人生が変わったと思うできごとが、中学生の時に起きたのだけれど、そのエピソードはまたの機会があったら、書こうと思う。
その頃のいろいろな思いをおりこんで、書いた物語が「汽車にのって」である。

この歌がBGMに流れるようなストーリーを、いつか書きたいと思っていた。そのためには、どうしてもアイルランドに行かなくてはならない。
そして、ようやくアイルランドに旅立ったのは、今から14年前、息子が小学校6年、娘が4年の時だった。
(写真右:ダブリンからコークへ向かう車中)


いつも一緒に旅をする良流娯さん母娘を誘ったけれど、その前の年、夏休みじゅう、一緒にアメリカの旅をしていたので、二年続きの長期旅行は無理だという。
もう1年先にのばすことも考えたが、息子はその時、小学校6年生。おそらく中学生になったら、25日間も旅に出ることはできないと思われた。だから、なんとしてでも、その年に行きたかった。

そして、私と子どもたちの3人で行こうとしていたところに、「一緒に行きたい」といったのは、姉と子どもたち。小学校4年の姪と1年の甥。

次回からはその旅の話し。



◆汽車にのってヨーロッパ旅行
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6月26日(日)の日記

2005-06-27 05:59:34 | 19.友人との時間
昨日は、朝もはよから夫と娘が、築地山岳会で沢登りに出かけていった。その後、また寝てしまい、起きたのが7時半。こんなにおそくまで寝ているのは珍しい。
朝は近くのKさんとアンズとりに行く約束をしていたのを思いだし、あわてて飛び起きた。

8時に家を出て、Kさんと車でアンズ通りまで行く。そこは、街路樹にアンズの木がずらーっと植わっている。果たしてその実は誰の物だろうかという疑問はあるが、道端の木なので、とってもいいことにする。
真蘭さんのBlogに詳しくのっているが、私たちは木には登らなかった。(笑)

私は今年、アンズ取りに行くのは、4度目。東京でこんなにアンズの木がある所もめずらしい。でも、昨日までにかなりとり尽くされた感じだった。
それでも、落ちている実など拾って歩いて、一時間ちょっと。

家に帰ると10時で、アメリカから来たNちゃんから留守電が入っている。大阪在住のKちゃんが来てるというので、連絡をとって、ランチを一緒にすることにした。
それからが大忙し。とってきたアンズを、ジャムにするべく煮たり、洗濯したり、電話をかけて約束したり、午後の約束を少し後にしてもらったり。

そして、11時過ぎ、ジャムは煮っぱなしで、鍋にいれたまま、自転車で母の病院へと向かう。ほんと暑かった。
母に昼ご飯を食べさせるなどしてから、また自転車で吉祥寺に行く。

1時に、友人二人と会い、一気に小・中学生の頃にもどって、チャンづけて呼び合いつつ、食事。
アメリカのNちゃん、大阪のKちゃん、東京の私。そんなに離れた所に住んでいる3人が、一緒に会えるなんて、めったにないことだ。話しはいつまでもつきない。
そして、今度、いつこんなチャンスがあるかわからないけど、また明日にでも会えるように、「またねー」といって別れる。

夕方、Kさんの家にいくと、約束していた真蘭さんはもう来ていて、夕飯の支度ができていた。それから、ベランダビアガーデンで、夜おそくまで3人で話しつつ飲んだ。

(昨日の走行距離25km)

暑い一日

2005-06-25 16:09:25 | 22・両親のこと
来たー! 夏が。
というような一日でしたね。
今日はホイッスルの人たちは、大蔵高丸山にいっているが、残念なことに私は参加できなかった。
先週、母が入院して以来、ほぼ毎日病院通いが続いている。

夏は近づく。トレーニング山行には行けない。
よく考えると、荒川三山、赤石岳登山まで、もうあと一ヶ月ちょっとである。
ということで、体力アップのため何かしようと考え、母の病院のある高井戸まで自転車で行くことにした。
片道10kmくらいか。車だと道の混み具合にもよるが、約3-40分の距離。

最初の日は、片道40分かかった。が、今日は、32分。
だんだんペースが上がってきた。これなら、車より速いくらいだ。

帰りに甲州街道沿いに走ってくると、上下線とも渋滞している。そりゃあ、梅雨の晴れ間だ。出かける人も多いだろう。でも、自転車だとすいすい。ちょっと優越感を味わう。

雨が降った時、どうするか。目下迷い中である。

(写真:渋滞する甲州街道。携帯で撮影)

夜行列車が好き・その4

2005-06-24 06:59:05 | 8・山と旅の思い出
この先チャンスがあれぱ、ぜひ乗ってみたい長距離夜行列車がいくつかある。
アメリカのは昨日書いたが、その他の国では・・

◆オーストラリア(三泊位乗っている間に、何時間も真っ直ぐな所を走る)
◆シベリア鉄道(昔ヨーロッパに貧乏旅行する人が乗った列車。最近聞いたことがないが、はたして今もあるか?)
◆中国・北京とヨーロッパを結ぷ列車
◆アラスカ鉄道
◆南米のペルーの世界で一番高地を走る列車(先日のコメントにFunky-uさんも書いていた)

などなど。

そして、「シベリア鉄道」といえば、夜行列車が好き・その1 のコメントに書いていて、思い出した本がある。
赤坂三好さんともう一人の人がシベリア鉄道に乗った時の旅行記だ。
大学時代、繰り返し読んでは、いつかその列車に乗ってヨーロッパに行きたいと思っていた。ヨーロッパは、その頃果てしもなく遠く、金銭的にも全く手の届かない場所だった。

その本は、いつの間にか紛失してしまった上、題名も忘れてしまった。
今でも、もしあったら「私の本棚」にいれたいと思う一冊だ。Blogに書いているうちに、その本が急になつかしくなり、「赤坂三好 シベリア鉄道」でネット検索してみた。

そうしたら、なんとあったのだ。しかも1998年に新装版が出版されていた。
「明日は貴族だ!―ヨーロッパ無宿の旅」

それだ。なつかしい題名。著者の方には申し訳ないことであるが、赤坂三好さんは挿絵担当で、文を書いているのは、みやこうせいさんであった。挿絵もすごくよかったので、赤坂さんの名前が頭に残っていたようである。ぜひまた読んでみたいと思う。

大学時代、その本を読みながら、一生に一度でいいから行きたい! と強く願っていたヨーロッパに、私はその後、ざっと数えただけで、7回訪れた。格安航空券というものが出回ってくれたおかげである。まさか、簡単に渡欧できる日がくるとは、大学時代思ってもいなかった。

(写真:友人と二人で初めてのヨーロッパ旅行。初めて乗った列車。パリからスイス・ニューシャテルまでの車中)

夜行列車が好き・その3

2005-06-23 07:16:42 | 8・山と旅の思い出
アムトラックでの旅には、ヨーロッパの列車のような胸のときめきはないけれど、そこはアメリカ大陸だ、というか、これが地球だと感じさせるものがある。

荒野を走りながら、地平線を見て、地球って丸いなあと思う。
夜は夜で、人家の明り一つない所を果てもなく走っていくと、地球は宇宙に浮かぷ一つの星なんだな、と感じる。
多分、何時間も何時間も、全く変わらない光景が、車窓の外に広がっているからなのだろう。
(右の写真;車窓から見た景色)

森の中に入れぱ、延々と奥深い森の中を走り続ける。突然ぼつんと、小屋のようなものがあらわれて、そこが駅だったりする。そんな駅で、若い女の人が、バスケットに入れた赤ちゃんごとおりて行くのを見た時は、本当にこんな所に住んでいるのか、不思議に思ってしまった。

また、延々と町などない砂漠の中を走っていると、これで事故でも起きたら、次の列車が通るまで、丸々一日誰にも知られないんじゃないかと心配になる。そして、気にしてニュースをみているせいか、アムトラックの事故は、案外多い。

私が属している「山の会ホイッスル」の知人、原田さんが、何年か前に、アムトラックを使って旅をした時の記録が、ホームページにのっている。
「原田公平アメリカ旅行記」  ~定年おじさん、アメリカ一周15000㌔鉄道の旅~

定年退職したのを期に、友人二人とアメリカ一周旅行をした時の紀行文だ。
二人が回ったところは、この地図にのっている。もうほんとうに精力的に回ったのがよくわかる。

原田さんは、私が乗りたいと思いながらも、まだ乗ったことのない列車にも、たくさん乗っている。
シアトル・サンジエゴをアメリカ太平洋岸を通って結んでいる「コースト・スターライト号」。
サンフランシスコ・シカゴ間をロッキー山脈を越えて結んでいる「カリフォルニア・ゼッファー号」。
この二本の列車には、いつか必ず乗ってみたい。
(明日もつづく)

(トップの写真;ロスのユニオンステーション。タイトルをクリックすると大きくなる)

夜行列車が好き・その2

2005-06-22 06:55:44 | 8・山と旅の思い出
月日はたち、少し裕福になった私は、夜行寝台というのを利用するようになった。日本各地や北アメリカやヨーロッパで、どのくらい夜行寝台に乗ったことか。
ヨーロッパのコンパートメントスタイルの列車は、思い出すだけでもなつかしく、胸がしめっけられそうになる。別に、そこで何があったわけでもないけど。

でも、もっと好きなのは、このBlogにも何回か登場したことがある、アメリカを走る長距離列車、アムトラックだ。
「レインマン」という映画を見た人がいれぱ、映画のラストで、あの飛行機嫌いのダスティン・ホフマン演じる主人公が、施設のある町に帰っていく時乗って行くのが、そのアムトラック。
アメリカでは、飛行機やバスは網の目のように通っているけれど、列車、とくに長距離列車の本数は、ほんとうに少ない。一日一本しか走ってないなんて所は、ざらだ。だから、”あっ、乗り遅れた! と思ったら、丸々一日待たなくてはならない。


そのアムトラックの夜行寝台に私は
<グレーシャー~シアトル>
<ロスアンジェルス~ソルトレイクシテイー>
<ロスアンジェルス~セントルイス>
<マイアミ~ニューヨーク>

など何回か乗ったことがある。
その中で、一番長いのが、セントルイスまでの二泊三日のコースだ。これはもう、本当にいやになるくらい乗り続けた。
(明日に続く)

(写真はセントルイスに行った時のアムトラック)