ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



あの人が羨ましいー、っていう感情は、嫉妬だと思うけど、人間だから、しょうがないことなのかな。どう考えればいいんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『愛、無限〔新装版〕』(幸福の科学教典部)で、こう教えておられます。

 嫉妬に打ち克つ方法は何でしょうか。それは祝福の心です。自分が嫉妬している対象こそが、実は自分自身の理想像にほかならないのです。(中略)
 みなさんも、よくよく心しなければなりません。みなさんが嫉妬する場合、その相手はたいてい、みなさんが理想とするものを持っている人です。自分がまったく関心を持っていない人に対しては、嫉妬しないものなのです。
 それは、みなさんの体験からも明らかでしょう。自分が活躍したいと思う分野で、自分以上に光っている人であるからこそ、その人に嫉妬をするのであって、そうでない人には嫉妬しないのです。
 雪山で上手にスキーをしている選手に対して、たいていの人は嫉妬を感じることがありません。それに深い関心を持っていないからです。しかし、プロのスキーヤーを目指している人であれば、嫉妬を感じることがあるでしょう。そうしたものです。
 結局、自分の魂が強く求めている対象に対して、嫉妬をしやすいのです。そのことを知って、嫉妬の思いを切り換えなくてはなりません。
 自分が理想とする相手は、尊敬すべきであり、肯定すべきなのです。自分もそのようになりたいと思ってこそ、その理想に対して、一歩一歩、近づいていくことができるのです。ところが、嫉妬を始めた瞬間から、もはや近づくことはできなくなって、遠ざかっていきます。
 嫉妬したあと、人間はどうなるでしょう。「あの人のようになりたくない」ということを言いはじめます。なんらかのかたちで、嫉妬の対象である人に対してマイナスの評価を与えます。
 しかし、「あのようにはなりたくない」「あんな人は、大したことがない」「あんな人のことは、何とも思っていない」などといった言葉を繰り返すことによって、自分自身が、その理想の対象から、だんだん遠ざかっていくことになるのです。
(86~88ページ)

嫉妬に打ち克つ方法は、祝福の心である。

嫉妬している対象こそが、実は自分自身の理想像にほかならない。

だから、嫉妬すれば、その理想から遠ざかるが、尊敬し肯定すれば、その理想に一歩一歩、近づいていくことができる──。

大川隆法先生は、最初にはっきりと答えを述べておられます。

嫉妬に打ち克つ方法は、「祝福の心」である、と。

その根拠として提示されるのは、嫉妬している対象こそが、実は自分自身の理想像にほかならない、という事実です。

ここで説かれた具体例を自分自身の問題に置き換えてみると、考えれば考えるほどに、まったくそのとおりであることがしみじみとわかってきます。

だから、嫉妬によって、自分の理想像を否定してはならない。
 
逆に、祝福することによって、尊敬し肯定していくことで、自分が理想に近づいていくことができる。
 
大川隆法先生は、これこそが心の法則であるということを、誰もがわかるようにやさしく教えて下さっていたんだと思います。

改めて、ほんとに大事な教えをいただいていたのだなと、今日も深く私は感じ入っているのです。

 

愛、無限 〔新装版〕―偉大なる信仰の力― (OR books) 『愛、無限〔新装版〕』

  大川隆法著

 

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悪口を言われてるんだ。不当な嫉妬の言葉は、黙って通り過ぎさせていくこと、と教えてもらってるけど、もっと積極的に対処する方法って、ないのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『光ある時を生きよ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

人々よ
言葉には力があるのだ
これを言魂(ことだま)という
消極的な言葉を
数多く使う人は
打ちのめされた人生を送るのだ
積極的な言葉には
いのちがある
魂がある
これをなぜ活かさないのか
人々よ
自分の人生を肯定するように
他人の人生をも肯定せよ
他人をよき人だと思え
他人を悪く思う人は
自分も他人から悪く言われる
陰、日向(ひなた)なく人をほめよ
ほめる力でその人はよくなり
ほめる力で
あなたもよくなるのだ
(60~61ページ)

そうだ。

まず、悪口を言ってる人のよい点を、積極的に良いものとして見てあげる。

そして、かげひなたなく、そこをほめてあげるんだ。

そうすれば、言葉の持っている力で、その人はよくなる。

そんな努力をしてる自分も、不思議なことに、よくなっていく。

つまり、人生を好転させる秘訣は、「言魂(ことだま)を使うこと」、だったのです。 
 

光ある時を生きよ 『光ある時を生きよ』

 大川隆法著

 

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なんで、あの人は、あんなに美人でスタイルがいいの? なんであの人は、あんなに頭がいいの? なんであの人の家は、お金持ちなの? あーあ、それに比べて、私って、おれってなあ・・・なーんて考えて、落ち込んだりしてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の仏陀』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

おまえたちは、いたずらに他の人をうらやんではならない。
その人が、たまたま、いい家に生まれたとか、
その人の両親が、たまたま優秀であったとか、
その人が、たまたま都会に生まれたとか、
その人の兄弟が、恵まれた経歴を持っているとか、
その人の肉体が、たぐいまれなる美しいものであるとか、
このようなもので、心を嫉妬で曇らせてはならない。
人には、それぞれの過去があり、
過去、積み上げてきたものがある。
そのすべての結果が、現在というものに表れているのだ。
他の人の人生に取ってかわることはできないのだ。
自分は、自分の人生を生きなければならないのだ。
おまえたちが心しなければならぬことは、
自分の名前で他人の人生を生きることではなく、
自分の名前で自分の人生を生き切るということなのだ。
自分の人生は、自分以外には、生きてくれる人はいないのだ。
それを大切にしなくてはならない。
自分の名前を大切にするように、
自分の人生を大切にしなくてはならない。

他の人とその身を置きかえたところで、
いかばかりの幸福感があるであろうか。
人には、それぞれの悩み、苦しみもあるものだ。
それらの人々の幸福なる点のみを見て、
悩みや苦しみを見ていないのが、
自分の、その迷いの姿であるのだ。
他の人のよいところのみを見て、
それを、おのが惨めさと引き比べてはならない。
あなたが、あなた自身をいかに低く評価しているとも、
他の人のなかには、それを高く考えている者もいる。
このように、すべて、お互いの目からは、
物事は相対的に見えるということを忘れてはならない。
(79~82ページ)

うーん、とってもありがたい教えです。

自分の名前で他人の人生を生きるのではなく、自分の名前で自分の人生を生き切ること、なんだ。

こんな自分ではあるんだけど、でも、いただいたものに感謝しながら、がんばってみよう。

今日は、改めてそう私は思っているのです。
 

永遠の仏陀ー不滅の光、いまここに 『永遠の仏陀』

 大川隆法著


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あーあ、なんで思い通りに生きるって、できないんだろう。嫌なことばかりだなあ。恋には敗れるし、嫌な同僚はいるし、争いはあるし、風邪引いて体調悪いし、・・・なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この世のなかを見渡してみると、不幸の種はあちこちにたくさんあるので、「これを取り除かないかぎり、幸福になれない」という考え方をし、不幸の種を完全に取り除いて極楽浄土の姿をこの世に下ろそうとしても、それは極めて難しいことです。
 しかしながら、「この世という世界は、そういうものである。この世には、闘争や破壊、憎しみ、嫉妬、恨み、狂気の世界がたくさんある。また、この世は弱肉強食の世界でもある。この世は、生きていくのがなかなか難しい世界なのだ」ということを認めつつも、それはそれとして、逆に、そのなかで、この世に自分が生まれた意義、生きている意味を見いだすことが、非常に大切なことなのです。
 仏法では、これを「泥中の蓮華の花」にたとえています。(中略)
 大切なのは、「そのなかで、あなたは、いかにして一輪の花を咲かせるか。いかにして、蓮の花のような清らかな花を咲かせるか」ということです。(中略)
 「どのような環境のなかにあっても、泥沼のなかから咲く蓮の花のように、一輪の花を咲かそう。清らかに生きていこう。すがすがしく生きていこう」と決意して生きていけば、それなりの花を咲かせることは可能です。その花の大きさは、さまざまでしょうが、小さい花でもかまわないのです。
(42~46ページ)

見渡せば不幸の種はいくらでもあるが、この世はそういうものだと認めた上で、そのなかで、この世に自分が生まれた意義、生きている意味を見いだすこと。

仏法では、これを「泥中の蓮華の花」にたとえている。

大切なのは、どのような環境のなかにあっても、泥沼のなかから咲く蓮の花のように、一輪の花を咲かそうとすることである──。

今日は、一つのすごい「悟り」を教えていただいたんだと思います。

一つの悟りの言葉で、人生の苦しみは、パシッと切って捨てられる。

人生の意味はここにあるという、明確な視点、人生を透徹した目。

自分が咲こうとしている泥の池から逃げ出すことはできないけれど、そのなかで、すーっと茎を伸ばして、一輪の花を咲かせることは、自分にもできる。

その花が大きくても、小さくても、自分なりに精一杯、今の環境の中で、美しい花を咲かせていくのが、この人生の意味なのだと。

よし、前をしっかり向いて、明日もがんばろうと、改めて私は強く思っているのです。 
 

信仰のすすめ―泥中の花・透明な風の如く (OR books) 『信仰のすすめ』

 大川隆法著


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なんで自分がこんな非難とか中傷とか受けるの。こんなに頑張ってるのに、間違ってないはずなのに、こんなおかしなこと言われて、自分はどう受け止めて、これからやっていけばいいのか分からない。なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への方法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 たとえば、よく勉強ができ、よく仕事もできる優秀な女性が、男性から厳しいことを言われたとしても、たいていの場合、嫉妬であることが多いのです。それをまともに受け取ってはいけません。「これは嫉妬の言葉だ」と理解して、通り過ぎさせていくのが、いちばんいいのです。
 もちろん、男性の場合も同じです。
 世の中では、非難や批判、中傷が集まってくるときには、成功している場合が非常に多いということを知ってください。学力においても、この世的な仕事においても、人生観においても、みなさんが急速に成長しているとき、魂的に伸びているときには、非難や中傷が集まりやすいものなのです。
(70~71ページ)

なんとも勇気が出る教えですね。

嫉妬の言葉は、黙って通り過ぎさせていくこと。

こう書いていて、ちょっと元気が出てきた気が私はしているのです。

幸福への方法: この世とあの世を貫く人生論 (OR books) 『幸福への方法』

 大川隆法著


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経営って、やってみたいよね。やっぱり創造的だし、ものすごく面白いものだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営とは、実に厳しいもの。』――逆境に打ち克つ経営法
(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 経営に関する何回かの説法をまとめてみた。「経営とは、実に厳しいもの。」と題してみたが、まさにその通りである。第1章で「経営は命懸け」と述べているが、その言葉通り、私自身、この話の数週間後、生死の境をさ迷う大病をし、奇跡のカムバックを果たしている。
 立宗五年目で宗教法人格を取得した一九九一年には、東京ドームでの講演会を始めたが、マスコミからの猛攻と兵糧攻めも受けて、初めての大量リストラや、支部数削減も経験した。九五年の「O教事件」の時には、命を狙われて、大新聞にも載った。そこまで嫉妬されているとは思ってなかった。夫婦の危機も経験しつつ、再び命懸けの全国行脚、英語による世界伝道にも挑戦した。学園や大学、政党づくりにも体当たりで挑戦した。(中略)
 「挑戦」「忍耐」「精進」のたえざる繰り返しが「経営」である。
 景気にかかわらず、常に「逆境」はある。しかし、トップの誇りもそこにある。
(1~2ページ)

経営とは、実に厳しいもの。

経営は命懸け。

「挑戦」「忍耐」「精進」のたえざる繰り返しが「経営」である──。

経営というのは、そんなに甘いものではないと、本書で大川隆法先生は、手を変え品を変え、語っておられます。

だけど、だからやめてしまえなんて話ではありません。

大川隆法先生は、同時に、その厳しさに耐える「トップの誇り」をも語られています。

この不況のなかで、「経営」という創造的な営みに真剣に立ち向かう覚悟がある方、必読の文献のひとつであると、改めて私は思っているのです。
 

『経営とは、実に厳しいもの。』

 大川隆法著


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悪霊に憑依されてるんじゃないかって思うんだ。もうどうしようもないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『地獄の方程式』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 悪霊に憑依されている人の特徴は、たいていは暗い表情をして、いつも取り越し苦労、持ち越し苦労で頭を痛めている人たちだと言うことができます。
 まず笑うことです。笑顔も顔施といって、仏教では大切な布施の一つとされています。笑顔は会う人の心を明るくし、自分の心も明るくします。努力して明るく笑うことです。そのとき、仏の光が入ってくるのです。
 また取り越し苦労や持ち越し苦労をして幸せになった人など一人もいないのだから、よいことが必ず来ると信じて、希望を持って生きてゆくことです。
 そして他人に心を向けて、他人の幸せを祝福する心を、念を持つことです。悪霊に悩まされている人というのは、結局のところ、自分のことしか考えていない人たちなのです。努力して他人を祝福することです。その善念は必ずや自分にも返ってくるはずです。
(168~169ページ)

悪霊に憑依されている人と思う人は、まず、努力して明るく笑うこと。そのとき、仏の光が入ってくる。

よいことが必ず来ると信じて、希望を持って生きてゆくこと。

そして、他人の幸せを祝福すること。その善念は必ずや自分にも返ってくる──。

なるほど、なるほど、です。

光を天上界からいただくことができれば、憑依してる悪霊は、はがれていくはずです。

で、努力してニコッと笑う。それは会った人への「与える愛」。

そしてそのとき、仏から光が与えられる。

憑依された状態というのは、心が暗く、すぐ絶望したりするので、心して、希望を持って生きていくよう努力すること。

また、他の人の幸せに嫉妬したりせず、おめでとう! と言ってあげる。

それは他の人への「与える愛」だから、やはり仏から光が与えられる・・・。

今日のお教えは、仏法真理の基本に照らすことで、とっても深く腑に落ちる気がします。

悪霊がやってきたりして悩んでる方、まずはちょっと試してみましょうよと私は思っているのです。
 

『地獄の方程式』

 大川隆法著


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オレって、いつもマイナス思考なんだよね。いけないって分かってるんだけどな。どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仕事と愛〔改装版〕』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 では、マイナスの思考を出さないための方法は、どこにあるのでしょうか。それを大きくひとまとめで言うならば、「余裕」ということだと思います。
 余裕のある人からは、まず愚痴が出ません。また、心に余裕のある人からは、そう簡単には怒りが出ません。すぐ怒りが出る人は、心に余裕がなく、考え方が狭く、短気です。
 また、他人に対する嫉妬心でも同じことが言えましょう。自分自身に対して十分に自信があり、他の人に対して寛容な心があれば、ひがみというものは、そう簡単に出てくるものではないのです。あるいは、妬み、嫉妬も、自分に自信と余裕があれば、そう簡単には出てこないものです。
 不平不満についても考えてみましょう。なぜ不平不満が出るのでしょうか。それは、「本来、こうあってほしい」という自分の姿と現実との間に、乖離、隔たりがあるからではないでしょうか。
 むしろ現実が理想を追い越しているような状態ならば、不平不満は出るはずがありません。現実と理想が一致していても、もちろん出ません。できれば理想以上に素晴らしい現実が展開していると、申し分ないと言えましょう。
 このように考えてくると、どうやら、すべてについて言えることは、「ゆとり、余裕というものがあれば、マイナスの思考が出てきにくいものだ」ということでしょう。
(198~200ページ)

余裕のある人からは、まず愚痴が出ない。心に余裕のある人からは、そう簡単には怒りが出ない。妬み、嫉妬も、自分に自信と余裕があれば、そう簡単には出てこない。

現実が理想を追い越しているような状態ならば、不平不満は出ない。

ゆとり、余裕があれば、マイナス思考は出てきにくいものである──。

マイナス思考をふせぐのは、ゆとりであり、余裕だと考えてみたとき、どう対応していけばいいのかって、なんとなく自分なりに、方法が見つかってくる気がします。

では、具体的にどうすれば、ゆとりを作っていくことができるのでしょうか。

余裕を作っていくことができるのでしょうか?

大川隆法先生はもちろんその具体論も教えておられるわけですが、それは、またの機会に!
 

『仕事と愛〔改装版〕』

 大川隆法著


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前回、統一教会の開祖の文鮮明って方は、イエスさまの生まれ変わりじゃなさそうな話だったよね。で、その続きはどうなってるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教決断の時代-目からウロコの宗教選び①』(幸福の科学出版)で、文鮮明氏の守護霊の言葉(霊言)を、司会者と質問者Aとの対話の形で、このように伝えておられます。

司会 そのあと、地上で何か悪いことをしたことがありますか。
文鮮明守護霊 え? 地上で悪いこと? 
司会 地上で何かされたことがありますか。
文鮮明守護霊 地上で……。ああ、そうだね。ユダっていう……。
A── ユダ?
文鮮明守護霊 いやあ……。ユダに取り憑いて……。
A── 思い出してください。
文鮮明守護霊 嫉妬させた感じがするな。
 イエスがマグダラのマリアとあんまり仲良くやってるので、「あれはいかん。あれは堕落している。ああいうことをしておったんでは、神の怒りを買うから、マグダラのマリアを近づけてはいけない。あれは、おまえのもんじゃ」と、ユダに囁いたことはある。
司会 ああ。
文鮮明守護霊 ああ! 何で、わしがこんなことを言わなきゃいけないんだよ。君ら、妖しい催眠術師だろうが。何かおかしいぞ。
司会 いやいや。そのあとは、また何かされていますか。
文鮮明守護霊 「そのあとの偉大な業績として何があるのか」って言うのか。
司会 はい。
A── “救済”の歴史を教えてください。(中略)
文鮮明守護霊 そうだな。そのあとの偉大な業績としてはだなあ……、ローマの時代は、まだ、だいぶ続いておったから、やっぱり、ローマの皇帝に取り憑いたことはあるような気がするなあ。
司会 何と言う皇帝ですか。
文鮮明守護霊 カリー……、え、いや。カリギュラだったかな? あれ? ネロ? カリギュラ? ネロ? ん? カリギュラ? ネロ? いや、何だか、いつもいたような気がするなあ。
 ハハ、まあ、イスラエルとローマは続いてるからねえ。わしは勤勉だから、いつも働いておったような気がする。うーん。
司会 ローマでは何をされていたんですか。
文鮮明守護霊 宮廷に入り込んでだな……、いやいや、宮廷を指導しておった。「ローマ皇帝はどうあるべきか」ということをいつも指導しておったな。
司会 目的は何ですか。
文鮮明守護霊 だから、まあ、「みんなから捧げ物を集めさせて、貢がせる」ということをやっておったな。うん。
司会 貢がせるのがお好きなんですね。
文鮮明守護霊 うーん、そうだねえ。まあ、どちらかと言ったら、貢がせるのは好きだなあ。権力や、血を見るのも好きだった。
司会 血を見るのが好き?
文鮮明守護霊 剣闘士の戦いもやらせた。コロッセウムで剣闘士にライオンと戦わせたり、ライオンにキリスト教徒を追い回させたりしたな。人をライオンに食わせたり、人を殺したりするのを見世物にしたんだ。
 そういうことをローマ皇帝にさせるために、わしが指導をしたなあ。うーん。(中略)
司会 「自分にひざまずかせたい。貢がせたい」ということですか。
文鮮明守護霊 いや、そんなことはない。単に、大勢の人が喜ぶ姿を見たかったんだよ。
司会 ああ。
文鮮明守護霊 だから、イエスを十字架に架けたときも、みんなが「ワーイ、ざまあみろ」と言って、手を叩いて喜んでるのを見るのは、気持ちよかったなあ。
司会 ああ。
文鮮明守護霊 ん? ん? ん? ちょっとおかしいかなあ。
司会 いやいや、全然、おかしくないです。
文鮮明守護霊 なんか、おかしいこと……。わし、何かおかしいことを言ったかなあ。
A── 全然、おかしくないです。歴史を教えていただいております。
文鮮明守護霊 いやあ、だから、もう、十字架に架けてブスブスッと刺すのは、快感だったなあ。あれは、ほんとに。
(147~155ページ)

このやり取りをみると、文鮮明氏の守護霊は、裏切りのユダをそそのかしたことがあった。

イエスが十字架にかかる(死刑になる)のを煽動していたことがあった。

それから、悪名高きローマ皇帝が、キリスト教徒を残虐な方法で虐殺していたのを指導していたことがあったことが、分かります。

要するに、文鮮明氏がイエスさまの生まれ変わりなんてとうていあり得ないことを、改めて確認できた気がします。

でも、だからといって、いま世間で話題の「宗教法人解散命令」については、簡単に出されてはならないと幸福の科学はコメントしているようです。

つまり、ある一つの宗教が邪教かどうかという問題と、政府が安易に「宗教弾圧」してしまっていいのかは全く別の問題であると、大川隆法先生は教えておられるのだと私は理解しているのです。

『宗教決断の時代』

 大川隆法著


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嫉妬心を感じたら、逆に「祝福の心」を持てって教えてもらったんだけど、でも、そんなの無理じゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真実への目覚め』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 例えば、みなさんが、勉強に関心のある勉強熱心な人であるとしましょう。
 そして、勉強のできる人に対して嫉妬心を持ったとしても、露骨に嫉妬して、その人のことを悪く言うのではなく、その人に対して、「よく頑張ったね。素晴らしい人だね。あなたは立派だね」ということを、努力して言えるようになったとき、みなさんは、その人のほうへ向かって、一歩、二歩と近づいていくようになるのです。
 「嫉妬というものは、実際には自分の理想像を否定しているのだ」ということを、よくよく理解していただきたいと思います。
 また、最も嫉妬が集まりやすいのは、お金に関することでしょう。裕福な人を見れば、嫉妬の心が湧いてきます。その嫉妬の心は、さらに増幅されてくると、憎しみになってきます。憎しみが、さらに増幅されてくると、攻撃性になってきます。そして、犯罪がはびこるようになってくるのです。
 しかしながら、「自己実現ができないことで反社会的行為や破壊活動をすることは、それによって自分の夢を打ち砕いているのだ」ということを知らなくてはなりません。
 お金持ちと友達になりたければ、祝福の心を持つことです。彼らを祝福し、「彼らのようになりたい」という気持ちを持ったときには、その裕福な人たちは心を開いてくれます。そして、貧しい人たちの友達になってくれます。さらには、「どうすれば経済的に成功するか」ということを教えてくれるようにもなります。
 人は、「自分を祝福してくれる人と友達になりたい」という気持ちを持っているのです。それを忘れてはなりません。
(118~120ページ)

嫉妬というものは、実際には自分の理想像を否定している。

努力して勉強のできる人を褒めるとき、その人へ向かって少しずつ近づいていく。

お金持ちを祝福すれば、彼らは心を開いて友達になってくれ、さらには、どうすれば成功するかを教えてくれるようにもなる──。

祝福の心は「肯定の心」であり、「他の人の幸福を願う心」であるから、この心を持っていれば、自分が祝福している人の方向に向かって人生を歩んでいくようになる、というお教えについては、一度ご紹介したことがありました。

今日は、これをさらに具体化して説かれたお教えを、ご紹介しているわけです。

ともかく、嫉妬を感じる勉強のできる人に対しては、努力してにっこり笑って、「すごい成績だね。おめでとう!」と言ってしまうことです。

また、嫉妬を感じるお金持ちの人に対しても、やっぱり努力してにっこり笑って、「素晴らしいですね!」と言ってしまうことです。

まずはこのお教えを実践してみることで、大川隆法先生が教えられる「仏法真理」の素晴らしさを、実際に誰もが味わえることをお伝えしたいと、改めて私は思っているのです。
 

『真実への目覚め』

 大川隆法著


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ね、幸福の科学の教えって、「現代の四正道」とかいって、「愛の原理」は4つの原理の一つなんでしょ。だったら、愛の教えの大切さは、4分の1なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 愛の原理は、「『奪う愛』をやめて、『与える愛』に生きなさい」ということであり、これを守るだけでも天国に入れるのですから、ありがたいことです。
 ただ、「与える愛」の実践に智慧が足りないと、失敗することもあります。人を甘やかして堕落させたり、悪いことをしている人をほめて、それを助長したりすることも、たまにあるので、そういう局面が出てきたら、智慧を使わなければいけません。
 そういう意味で、智慧を使って、ときどき、心ならずも叱らなくてはいけないときがあります。厳しい面、厳しい父親のような面を見せて、導かなくてはいけないところもあります。そういう生かす愛も勉強しなくてはいけないでしょう。
 ただ、生かす愛が強くなると、善悪の目がかなりはっきり出てきますが、善悪を分けすぎると、本来の仏の心から少し離れるところもあります。それを超えていくものは、やはり、許す愛なのです。生きとし生けるものに対する深い慈悲の心、これで超えていけるのです。
 さらには、「自分の今生での数十年、あるいは百年の人生を、最大限の光として遺したい。多くの人に光を与えたい。闇夜の法灯のように、できるだけ光で照らしたい。港にある灯台の光のように、できるだけ遠くまで光を届けたい」という気持ちを持たなくてはいけません。
 そういう愛の発展段階があるということを、修行者はみな、心のなかに銘記しておかなくてはならないのです。
 しかし、現実には、最初の出発点からつまずくでしょう。「存在の愛の実践をしよう」と思っても、夫婦げんかや親子げんか、兄弟げんか、友達とのけんか、職場での上司とのぶつかり合い、同僚の嫉妬など、いろいろなものがあって、うまくいかないものです。
 したがって、「この段階が終わったから、自分の修行はもう終わった」というようなものではないのです。いつも原点はここにあり、くり返しくり返し出てくるものであって、常に点検し、修行しなくてはいけないものなのです。
 これが愛の原理です。ここだけでも押さえていただければ、世界は平和になりますし、もう一つ、キリスト教の愛の教えに足りない部分を補うことができます。キリスト教では、愛の教えが説かれていながら、足りないものがあるため、争いが絶えません。そこへ、仏教的な部分を加味した愛の教えが入り、慈悲の教えに転化すると、争いがやんでいくところがあります。
 したがって、当会の愛の教えが世界に広がるだけでも、人類はかなり幸福になると思います。
(258~361ページ)

「愛の原理」は「与える愛」の大切さを説くが、愛にも発展段階があることを銘記しておかなくてはならない。

そして、愛の発展段階の最初の出発点から、現実にはつまずくものだから、修行はそう簡単に終わるものではなく、常に点検し修行し続けなくてはいけない。

「愛の原理」は、キリスト教の愛の教えの足りない部分を補うから、当会の愛の教えが広がるだけでも、世界は平和になり、人類はかなり幸福になっていく――。

大川隆法先生は、仏法真理というのは、抽象的に頭で理解すればいいわけではないことを、未熟な修行者である私たちの実態を見据えた上で、説いておられるのだと思います。

愛の教えの深さ、広がり、そして大切さ。

改めて学び直していきたいと私は思っているのです。
 

『幸福の法』

  大川隆法著

 

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経済学ってのも、なんだか、勉強したから不況に打ち勝つのに、役に立ちそうにないよね。もっと希望がもてる経済学って、ないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の経済学入門』――生きていくための戦いに勝つ(幸福の科学出版)のあとがきで、以下のように説いておられます。

 私の「希望の経済学」は、左翼的な欲求不満の経済学ではない。政府批判さえしておればお金(補助金)が出てくるという、マスコミ経済学でもない。ましてや被害妄想と嫉妬心の体系である「マルクス経済学」でもない。
 各人を創造的人間に変えることで、未来を拓く、希望の経済学である。
 厳しい時代を乗り越える個人と組織の「サバイバル戦略」である。
 どんな大不況期にも生き延びる企業はある。同じように、消費税が5%から8%、10%に上がっても、必ずサバイバルする個人も、店も、企業もあるのだ。
 マクロのレベルで制度の改悪に反対することは大事である。しかし、ミクロのレベルでは、生き残る道は無限にあることを知ってほしい。この一冊が必ずや、あなた個人と、あなたのお店を護ることだろう。
(124~125ページ)

「希望の経済学」は、各人を創造的人間に変えることで、未来を拓く経済学である。

厳しい時代を乗り越える個人と組織の「サバイバル戦略」である。

この一冊が必ずや、あなた個人と、あなたのお店を護ることだろう――。

左翼的な欲求不満の経済学では、未来は拓けず、不況の時代にサバイバルはできない。

だからこそ、大川隆法先生の「希望の経済学」がある、ということです。

この厳しい時代に、商売やビジネスで悩んでおられる方は、本書をぜひとも座右の書にされるよう、改めて強くお勧めしたいと私は思っているのです。
 

『希望の経済学入門』

 大川隆法著


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女性が仕事で成功するって、ほんっとにむつかしいよね。どうしたらいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『北条政子の幸福論―嫉妬・愛・女性の帝王学―』(幸福の科学出版)で、日本史上もっとも有名な女性の一人である北条政子の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 また、例えば、男性と同等の能力があるとしても、世の中は、どちらかというと、やはり男性社会ではありますので、できれば、男性を立てようとする傾向性といいますか、そういう言葉遣いや態度等を出していくことが、一つの処世の道になるんじゃないかと思います。
 「自分のほうが、できるんだ、できるんだ」というようなことを、あまりにもPRしすぎる女性だと、敵の数のほうが増えてきて、この世的には、本来はやれるところまで仕事ができないで終わってしまうことが多いかと思います。
 したがって、将棋で言うと、「駒落ち将棋」になってしまうけれども、「歩」を一枚落としたり、「槍(香車)」を落としたりしなくてはなりません。ハンディ戦にはなるのですが、駒を一つ抜いて戦うつもりでいかないと、女性としての成功は、なかなか成り立たないのです。
 女性は、男性と同じだけの成果をあげようと思えば、本当に、男性よりも、一枚、実力が上でなければならず、そうでないと、同じだけの成果はあげられないものだと思います。
 「同じぐらいの能力だから」ということで、同じだけの成果を要求しても、敵のほうが多すぎて、たぶん、それは実現できないでしょう。
 そういう意味で、「一歩を引く心構え」が大事です。
(38~40ページ)

世の中はどちらかというと男性社会なので、女性は、男性と同等の能力があっても、男性を立てる「一歩を引く心構え」が大事であり、処世の道になる。

自分のほうができることをあまりにPRしすぎると、敵が増えてきて、本来やれるところまで仕事ができないで終わってしまうことが多い。

女性は、男性と同じだけの成果をあげようと思えば、本当に、男性よりも一枚、実力が上でなければならず、そうでないと同じだけの成果はあげられないものである──。

本書の紹介文によると、北条政子というのは、鎌倉幕府の初代将軍となった源頼朝の正室で、二代目の頼家、三代目の実朝の母です。

そして、幕政の実権を握って、北条氏による「執権政治」の確立に道を開いた方とのことです。

ということは、考えてみると、日本の大物キャリアウーマンの草分けの一人と言ってもいい方ではないでしょうか。

幕政を実際に動かしたという、その経験に裏打ちされた言葉の重さは、とても深い説得力に満ちていると、私は感じているのです。

 

『北条政子の幸福論―嫉妬・愛・女性の帝王学―』

 大川隆法著


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上司としては、もういい年齢なんだし、自分の努力がどうこうなんて段階じゃないんだから、部下を指導してやるのが仕事だよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 要するに、「上の立場にある人が、どこまで人格や器を大きくできるか」ということによって、組織全体の成功、発展も決まっていくわけです。(中略)
 上の立場にある人が器を大きくするためには、どうすればよいのでしょうか。それは「永遠の挑戦」をしていくことです。簡単に出来上がらず、「自分の成功は、これで完成した。最終点に到達した」と思わないことが大事です。
 そして、「まだまだ、これからだ。毎年毎年、前進し、成長していこう。能力的にも、経験的にも、知識的にも、いろいろな面で成長しよう」と思うことです。
 もちろん、年を取れば体力や気力は衰えてきますが、体力や気力の衰えを、知識や経験、あるいは、深い洞察力で補い、「別なかたちで成長し続けよう」と思うことです。
 上に立つ者が成長し続けるかぎり、その人に続く人たちも成長し続けることができます。上の者が、「もう、これでよい。これ以上、何もする必要はない」と思う“天井状態”になったら、それは、百年間、伝統の味を守り続けている老舗のようなものであり、あとに続く者たちも、伸びることはできなくなります。そして、嫉妬や競合、追い出しばかりがはびこる組織になるでしょう。
 したがって、結果をもって成功とせずに、「成功とは、成長していく過程を楽しむ気持ちである」と考え、「ますます発展していこう」と願うべきです。
 そのようなことを常に志していけばよいと思います。
(79~80ページ)

上の立場にある人が人格や器をどこまで大きくできるかで、組織全体の成功・発展も決まっていく。上に立つ者が成長し続けるかぎり、続く人たちも成長し続けることができる。

そのためには、上の立場にある人は、簡単に出来上がらず、まだまだこれから、毎年毎年、前進し、成長していこうと思うことである。

結果をもって成功とせずに、成功とは成長していく過程を楽しむ気持ちであると考え、ますます発展していこうと願うべきである──。

努力というのは若いうちだけのものではない。

すでに上の立場に立っているからといって、それで出来上がってはいけない。

組織全体の成功や発展のためには、上の立場の方々の自分自身を発展させていこうというマインドが、とっても大事だってことだと思います。

まだ若い人にとっても、またベテランの域に達した方や、そしてトップにとってさえも、大川隆法先生のお教えは、誰に対してもあてはまる普遍の真理が常に説かれているのだと、改めて私は思っているのです。
 

『未来の法』

  大川隆法著


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何かというと性欲がどうしたとか言う、不幸になるための心理学が流行ってる気がするんだけど、そんなんじゃなくって、「幸福の心理学」ってのは、ないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福の心理学」講義』――相対的幸福と絶対的幸福(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 「『成功の心理学』講義」に引き続いて、「『幸福の心理学』講義」が刊行できる運びとなって、とてもうれしく思う。
 大体、「成功」や「幸福」は、気のせいやまやかしの一種とみて、「学問化」できないでいるのが、日本がまだまだプラグマティック(実用主義的)な国になっていない証拠だし、嫉妬社会から抜け出せない理由だと思う。
 堂々と表玄関の扉をたたいて成功した人の物の見方、考え方を学ぼうとすべきだ。また、自分の不幸をまわりにまき散らす傾向のある人は、「自分は幸福だ」と言い切れる人を探して、その心の持ち方、生きる技術を学ぶのが「公共善」という考え方を構築することになるだろう。
 「幸福」を結果としての「成功」に到る過程ととらえる人もいるし、「成功」を経験していくことで「幸福」が得られると説く人もいる。バートランド・ラッセル風に、「嫉妬」を「幸福の敵」と考える人もいるが、いずれにせよ、優れた人物に学ぶ態度が大事だ。
(3~4ページ)

「成功」や「幸福」を「学問化」できないでいるのが、日本が嫉妬社会から抜け出せない理由である。

堂々と表玄関の扉をたたいて、成功した人の物の見方、考え方を学ぼうとすべきである。

いずれにせよ、優れた人物に学ぶ態度が大事である――。

「成功の心理学」については、一度、ご紹介しました。

幸福の科学ですから、次にはやはり、「幸福の心理学」というわけです。

大川隆法先生は、本書でいったい何を教えて下さるんでしょうか。

当然、成功したい方、必読! の書籍であると改めて私は思っているのです。
 

『「幸福の心理学」講義』

 大川隆法著


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