ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



最近、3人の代表的な宗教学者の守護霊インタビューが刊行されてたけど、他の宗教学者って、幸福の科学のことを本音でどう考えてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教学者「X」の変心』――「悲劇の誕生」から「善悪の彼岸」まで(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 長らく当会とは逆縁のあった宗教学者「X」氏の「守護霊」との対話である。今の若い人たちには、もうわからないかもしれないが、一九九一年から一九九五年という時期は、日本の宗教界並びに宗教学界にとって、栄光と試練の期間であったのである。
 それ以前にも日本の新宗教はあまり評判は良くなかったが、幸福の科学の急成長につられて、他の新宗教も表世界に飛び出し、警察やマスコミに撃ち落とされ、一九九五年三月のオウム真理教事件以降、再び闇の世界に沈んでいった感がある。当会も警察や政治家とも協力しつつ、オウム事件解決にあたっていたが、逆風は宗教界全体に吹きあれた。
 あれから長い時間をかけて、コツコツと努力を積み重ねた「X」氏も、「まさか」「まさか」の苦難の連続であったろう。
 二十年の歳月が過ぎて、今、冷静に振り返ってみるべき時かもしれない。一人の人間としては、私はやるべきことはやった。「人間以上のもの」としては、どこまで行けるか、それは未来の判断にまかせるしかあるまい。
(1~2ページ)

1991年から1995年にかけて、幸福の科学に関わっていた人にとっては、この宗教学者「X」氏が誰かというのは、すぐ分かる話ではないでしょうか。

大川隆法先生がエル・カンターレ宣言をされた1991年頃、大川隆法先生と幸福の科学のことはボロクソに言って、あのオウム真理教を持ち上げていた宗教学者です。

ただ、大川隆法先生が、まったく初めてのことですが、あえて霊言の対象者を匿名にされている以上、そのお名前を出すのは、やはり差し控えるべきだろうと思います。

1995年のオウム真理教によるあの「地下鉄サリン事件」の勃発で、どうしてこの人をはじめとする宗教学者という人たちは、犯罪集団の悪辣さを見抜けないにとどまらず、逆に持ち上げてしまっていたのかは、当時、大問題だったと思います。

その頃からもう20年もの時間が経過して、この宗教学者「X」氏にとっても、そろそろ反省できる時期になってきたということなのでしょう。

本書は、幸福の科学の20年余りの歩みと現在の宗教界における位置づけを、かなり客観的に見直すことができるという意味で、とても興味深い霊言集になっていると私は思うのです。
 

『宗教学者「X」の変心』大川隆法著


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国際伝道したいと思うんだけど、言葉が問題だよね。そのための外国語学習って、どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『国際伝道を志す者への外国語学習のヒント』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 二〇〇七年頃から、私自身陣頭指揮をとって、国際伝道を強化し、五大大陸を制覇。外国のテレビ番組でも、毎週、幸福の科学の番組が組まれたり、私の英語説法も何局でも生中継が流れたり、再放送が組まれたりしている。
 アフリカ・ウガンダで行われた英語説法は少なくとも、アフリカ各国で三千万人以上は、ほぼ同時に視聴したといわれているので、知られているところでは、近年ではキリスト教最大の伝道者の一人、ビリー・グラハム師が香港の競技場で英語(中国訳通訳つき)で、世界に生中継して三百万人が視聴したという記録を超えている。
 もちろん、インドやスリランカ、ネパール等での講演も、視聴率が判定できないが、10%と考えても、億の単位には届いている。日本ではメディアが一切報道しないので知らないだろうが、インドや香港の空港でも「アイ・ノウ・ユー」(知ってますよ。)と職員に声をかけられるほどだ。今ではアメリカでもTV放送が始まっている。
 本書は、国際伝道師でもある私の、外国語学習の実践ヒントである。まずは、レベルを見定めるところから始めよう。
(1~2ページ)

2007年頃から、大川隆法先生は国際伝道で五大大陸を制覇し、外国のテレビ番組でも毎週、幸福の科学の番組が組まれたり、大川隆法先生の英語説法の生中継や再放送が組まれたりしている。

アフリカ・ウガンダで行われた英語説法は、アフリカ各国で少なくとも、3千万人以上はほぼ同時に視聴し、インド、ネパールスリランカ等での講演も、視聴者はおそらく億の単位に届いている。

日本ではメディアが一切報道しないので、これらを知らない人が多い──。

生放送で何千万の人々が視聴した、大川隆法先生の英語説法による海外伝道のものすごさ。

そして、幸福の科学の海外における大躍進。

そういった活動をも下支えにして、中高にとどまらず、幸福の科学の教えを学問に高めつつ、大学まで建立しようとしている幸福の科学。

もちろん、知っている人は知っているわけですが、最近ようやく少しずつその凄さを報じる雜誌が少しずつ出てきてはいても、海外における幸福の科学の活動をまったく報じないマスコミというのは、なんて怠慢なんでしょうか。

それはそれとして、右に出る者など世界のどこにもいない「国際伝道師」でもある、大川隆法先生による外国語学習の実践ヒント。

「国際伝道師」という言葉に興味がありながら、こんな貴重な文献を手にしないなんて、ぜったいにあり得ない! と私は思うのです。
 

『国際伝道を志す者への外国語学習のヒント』大川隆法著


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南京大虐殺とか従軍慰安婦って、ウソだったんじゃないかって、ようやく世間でも騒ぎ出した気がするんだけど、ほんっとのところ、どうだったのかねえ? なーんて疑問まだもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『南京大虐殺と従軍慰安婦は本当か』――南京攻略の司令官・松井石根大将の霊言(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 いま、従軍慰安婦の誤報も含めて、朝日新聞の落城を目指して各種マスコミが狼のようにかみついている。事実としては検証されなくてはならないが、私自身も、いくつかの週刊誌などに獲物として狙われて、過去に何十本も誤報記事を書かれて、裁判で勝っても、謝罪も報道もされた経験がほとんどないので、気持ちは複雑である。
 事実の検証としては、国益や国際正義を守る観点からも、南京大虐殺と従軍慰安婦二十万人強制連行なる話が本当であるのかは、探究されねばなるまい。
 私は、私自身、宗教ジャーナリズム的手段をとって、その虚実について最終的な事実確認をしたいと思っている。
 南京攻略の司令官・松井石根大将への霊言インタビューである。九十歳前後になって、ただの過去の売春婦が「従軍慰安婦」だったと称して日本政府に金をせびるのを認めるか。習近平の二十一世紀帝国侵略主義に免罪符を与えるのか。本書がそれらの議論に「終止符」を打つことになるだろう。
(1~2ページ)

南京大虐殺がウソだったことは、このでっちあげを世界的に有名にした『ザ・レイプ・オブ・南京』の著者であるアイリス・チャンの霊言で、もう決定的に明らかになっていると思っていました。

また、従軍慰安婦なる話もでっちあげだったことも、元従軍慰安婦と自称する2人の老女の守護霊インタビューで、もう決定的に明らかになっていると思ってもいました。

ですから、本書を読む前には、今の時点で、南京攻略の際の旧日本軍司令官で、南京大虐殺の責任を取らされ戦犯として処刑された、松井石根大将の霊言インタビューで、特に新しい話が出てくるのかなあ、とか思っていたのです。

ところが、です。

松井石根大将は、実体験としての当時の事情を具体的に指摘しながら、一貫して南京大虐殺とか従軍慰安婦などあり得ないことを諄々と語り続けますが、その真実の言魂はほんとうに胸を打ちますし、その話には有無を言わせない説得力があります。

本書において、死後の松井石根大将が還ったのは、地獄どころか高天原(日本神道系の高級霊界)だったことが明らかにされていますが、その事実自体も、松井大将と旧日本軍が南京で何十万人もの人々を虐殺したようなことなどあり得ないことを示しています。

大川隆法先生のお言葉どおり、まさに本書こそが、“南京大虐殺と従軍慰安婦”に関する不毛な議論に間違いなく「終止符」を打つ、決定打の一冊であると強く強く私は思うのです。
 

『南京大虐殺と従軍慰安婦は本当か』大川隆法著


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「幸福の科学」って、幸福を探究してるんでしょ。その「幸福」って、何なのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福学概論』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 幸福の科学において私が説いてきた二千数百本の説法、及び、国内外(教団内外)で発刊された累計千六百冊以上の書物は、ほぼ全て、「幸福学」、及び「幸福論」に関わるものである。
 これだけの文献(二十七言語、約二億冊以上発行)を研究できる宗教学者は、日本にも諸外国にもいないため、今般、幸福の科学大学を創立し、世界的にもニーズのある『幸福学』を実学化し、より知識ベースで理解できるものとして長期的に研究できる体制をつくろうと試みた。
 ただ旧態然とした大学づくりに没頭して、国際競争力を落としている大学設置関係人らが、膨大な文献を読み込んでいないことが、審査意見からも簡単に察視されるため、初歩の一般人を想定して、外国の大学での幸福学、宗教としての幸福学、哲学としての幸福学、その他の学問へと波及した幸福学について簡略に述べた。本書の登場人物や書籍は、大学での研究の手がかりについての概要と考えられたい。
(1~2ページ)

大川隆法先生が説いて来られた2千を超える説法、それをもとに国内外で発刊された1600冊以上の書籍は、ほぼそのすべてが「幸福学」と「幸福論」に関わるものである。

これだけの文献を研究できる宗教学者は世界のどこにもいないため、大川隆法先生は、「幸福の科学大学」を創立して、「幸福学」を実学化できる体制を創ろうと試みている。

ところが、旧態然とした大学づくりで国際競争力を落としている文科省の大学設置認可にかかわる関係者は、これらの膨大な文献を読みもせずに安易な審査意見を出してきているので、初歩のレベルで「幸福学」について簡略に述べた――。

大川隆法先生は、ここでとても無造作に、「外国の大学での幸福学、宗教としての幸福学、哲学としての幸福学、その他の学問へと波及した幸福学」と述べておられますが、これを簡単に概説するなど、誰もができることではないと思います。

いや、唯一、大川隆法先生だからこそ、これを一気に書籍になるような形で語り下ろされることが可能なのではないでしょうか。

本書は厚くなく文字も大きめで、一見すると読みやすそうな書籍ではありますが、そこで語られる内容の深さ、そして背景に横たわる膨大な知識と教養は、ものすごいものだと改めて私は感じているのです。

なお、本書のすごさを具体的にわかりやすく解説した書籍として、黒川白雲著『知的幸福整理学』(幸福の科学出版)が、本書の参考書としてお勧めできると思っています。
 

『幸福学概論』大川隆法著


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ちゃんとした宗教学者が「幸福の科学」について分析したり、触れたりした本とか、見たことない気がするけど、宗教学者って、「幸福の科学」をどう見てるのかなあ?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊 『宗教学者から観た「幸福の科学」』――「聖なるもの」の価値の復権(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 現代日本を代表する三人の宗教学者、島薗進先生、山折哲雄先生、井上順孝先生、お三方の守護霊をお呼びして、宗教としての「幸福の科学」に対する本音を語って頂き、また同時に、様々なアドバイスを頂いた。
 宗教学者自らが霊言体験をすることになるので、日本では前例のない形だろう。それぞれのお立場はおありだろうが、お三方とも宗教については肯定的で、幸福の科学についても過去三十年近くじっくりと観察されてきた様子がよくわかる。
 私どもの危惧は、霊界の存在証明のために出し続けている霊言集が、「学問性がない」とか「カルト性がある」とか、一般の学者に判定されることだった。しかし、彼らは、さすがにプロフェッショナルで、霊言現象が事実でなかったら、世界中の宗教が嘘になる可能性を見抜いておられた。世の中を啓蒙する一書として本書を緊急出版する次第である。
(1~2ページ)

幸福の科学の活動って、最初は出版活動だけが目立ってたと思うんだけど、本業としての宗教施設(正心館・精舎支部精舎)が、全国にものすごい数できあがって、そうかと思うと、教育事業をはじめたり、政治活動をはじめたりして、広がりがすごいですよね。

教育事業も、最初は寺子屋みたいな仏法真理塾をやってたのが、全寮制の中高一貫校を2つも作って、受験でもスポーツでもえらく目立った成果を出してると思ったら、来年には、大学を開学するっていう話です。

宗教施設というのだけ見ても、海外の施設もたくさん創られはじめていて、大川隆法先生は、海外の5大陸をすべて巡って、英語で説法を行なったりしておられます。

で、出版活動も、ここ数年、特に「公開霊言」の発刊ペースがものすごいことになっていて、その中身ったら、宗教関係はもちろん、政治も経済も法律も、文学も、そして科学もと、もうとにかく、専門家がみてもすごい内容が出し続けられているようです。

大川隆法先生の著作数はついに1700冊を突破したそうですけど、それだけじゃなくって、つい最近は、「幸福の科学大学シリーズ」と銘打った、とっても学問的に深い内容の書籍群が、それこそ、あっと言う間に、60冊近くにもなってしまいました。

こんな「幸福の科学」という“宗教”を、一体全体、宗教学者はどう見てるのかというのは、けっこう興味深い話ですから、「現代日本を代表する三人の宗教学者」の本音が語られた本書は、幸福の科学や大川隆法先生の活動に興味関心を持った方、必読の文献だろうと私は思うのです。
 

『宗教学者から観た「幸福の科学」』大川隆法著


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祝福の心が大切だって、教えてもらってはいるけど、でも、人をほめるなんて、嫌なもんだよね。無理する必要、ないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ストロング・マインド』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 祝福も、最初のうちは、わざとらしく感じるものです。心にもないことを言っているように思えますし、嘘をついているように感じることもあるかもしれません。しかし、そういうものではないのです。
 「人を祝福する。人をほめる」というのは勇気が要ることなのです。とても勇気が要ります。なかなか、ほめられません。特に、「自分が関心のある領域において、人をほめる」というのは、とても難しいことです。
 例えば、アメリカの大金持ちのビル・ゲイツをライバルにしているような、コンピュータ会社の社長が、「ビル・ゲイツって、すごいなあ」と言うのは、やはり、なかなか大変なことです。そうは言っても、なかなかできることではありません。
 以前、松下電器(現パナソニック)の中村邦夫氏が、社長就任時に、「ソニーさんはチャンピオンですからね」と平気で言いましたが、彼は、やはり、その後、会社を立て直しました。大変な赤字になっていた松下電器をV字回復させたのです。
 その再建の前に言ったのが、「ソニーさんはチャンピオンですからね。われわれはチャレンジャーです」という、現実とは正反対の言葉だったわけです。
 実際には、松下のほうが先輩で、ソニーはあとから追いかけてきたのです。しかも、ソニーは「モルモット」と言って笑われていました。「ソニーが新製品を出し、売れるかどうか実験して成功したら、あとから松下が乗り出してきて、似たような製品をつくる」というケースが多かったわけです。
 それを、「ソニーさんは横綱です。チャンピオンですからね」と、相手を持ち上げて言ったのです。そのように言うのは、なかなか怖いことですが、松下を見事に再建したのですから、大したものです。
 そのように、敵やライバルを公平に見てほめられる、あるいは、敵の製品を見て、「これは優れものだね」「わが社では、これは、できていないのではないか」「これは、なかなかすごいぞ」と言えるというのは、なかなか大変なことなのです。
(189~191ページ)

人を祝福するというのは、勇気が要ることである。

特に、自分が関心のある領域において人をほめるのは、とても難しい。

敵やライバルを公平に見て、ほめるというのは、なかなか大変なことである――。

勇気がいるし、なかなかできることではないからこそ、あえて人をほめ、祝福する心を持っていると成功することができる、ということなんだと思います。

過去の先輩たちの例に学んで、改めて祝福する心の大切さを確認し、祝福する努力をしていきたいものだと私は思うのです。

『ストロング・マインド』 大川隆法著


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私って、キャリアウーマンとして成功したいんだよね。どうやっていくのがいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『北条政子の幸福論―嫉妬・愛・女性の帝王学―』(幸福の科学出版)で、日本史上もっとも有名な女性の一人である北条政子の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 ですから、キャリアウーマン型の方には、気をつけないと、敵が二種類出てくるわけですよね。「男性がライバルになり、同時に女性もライバルになる」ということです。
 二種類のライバルが出てきて、場合によっては、二種類のライバルから、足を引っ張られることもあるし、さらに、それに加えて、両親やきょうだい等、家族や親族から、いろいろと、“あるべき道”について意見を言われることが多いと思うんですね。
 高学歴女性には、特に、「自分の自己実現と周りの人の考え方とが合わない」ということは、よくあるだろうと思うので、とても難しいのですが、その人が持っている才能や能力を全部隠すことは、やっぱり無理だと思うのです。
 どうですかね。私の考えですと、やはり、隠すことは無理なんだけれども、女性のたしなみとして、絹のベール一枚でもいいから、少しだけ、心持ち、「尖った才能をオブラートに包む生き方」を心掛けるべきでしょう。(中略)
 また、例えば、男性と同等の能力があるとしても、世の中は、どちらかというと、やはり男性社会ではありますので、できれば、男性を立てようとする傾向性といいますか、そういう言葉遣いや態度等を出していくことが、一つの処世の道になるんじゃないかと思います。
 「自分のほうが、できるんだ、できるんだ」というようなことを、あまりにもPRしすぎる女性だと、敵の数のほうが増えてきて、この世的には、本来はやれるところまで仕事ができないで終わってしまうことが多いかと思います。
 したがって、将棋で言うと、「駒落ち将棋」になってしまうけれども、「歩」を一枚落としたり、「槍(香車)」を落としたりしなくてはなりません。ハンディ戦にはなるのですが、駒を一つ抜いて戦うつもりでいかないと、女性としての成功は、なかなか成り立たないのです。
 女性は、男性と同じだけの成果をあげようと思えば、本当に、男性よりも、一枚、実力が上でなければならず、そうでないと、同じだけの成果はあげられないものだと思います。
 「同じぐらいの能力だから」ということで、同じだけの成果を要求しても、敵のほうが多すぎて、たぶん、それは実現できないでしょう。
 そういう意味で、「一歩を引く心構え」が大事です。(中略)
 それと同時に、もう一つ大事なことがあります。
 「積極的に徳を積む」という意味においては、「才能のある人、能力のある人、よいところのある人に光を当ててあげ、そういう人たちを立ててあげる。持ち上げてあげる。みんなに知らせてあげる」というような努力も積んでいくことが、一種の徳を積む行為になり、自分のキャリアをつくっていく上で、間接的な援助者というか、賛同者を増やしていくことになるんじゃないかと思いますね。
(37~40ページ)

キャリアウーマン型の女性は、気をつけないと男性も女性もライバルになるので、たしなみとして、尖った才能を少しだけオブラートに包む生き方を心掛け、男性を立てる言葉遣いや態度等を出していくことが、一つの処世の道になる

女性は、男性と同じだけの成果をあげようと思えば、男性よりも一枚、実力が上でないと、敵のほうが多すぎて、同じ成果はあげられないので、その意味で、一歩を引く心構えが大事である。

同時に、才能のある人、能力のある人、よいところのある人に光を当てる努力をしていくことが、一種の徳を積む行為になり、キャリアをつくっていく上での援助者や賛同者を増やしていくことになる――。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室であり、頼朝なきあとには幕府の実権を握って、尼将軍とまで称された女性のアドバイスの言葉には、とても重みがあります。

よくよく味わってみると、まだ完全に男女平等とは言えない日本のビジネス社会の現実を背景にして、できる女性が才能だけで突っ走ってしまうことで生じるだろう弊害は、よく分かる気がします。

また、徳を積む行為、つまり「与える愛」の実践でもあると思いますが、これがよい意味で必ず自分にも返ってくることになるというのは、仏法真理にかなった考え方だと思います。

本書は、鎌倉時代に興味がある歴史ファンにとってはもちろんのこと、デキる女性必読の霊言集ではないかと私は思うのです。
 

『北条政子の幸福論―嫉妬・愛・女性の帝王学―』大川隆法著


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最近、奇跡の話をよく聞く気がするけど、病気って、病院に行かなくても治ったりするものなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『ザ・ヒーリングパワー』――病気はこうして治る(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 人間というものは、後天的学習や経験でかなり「傾向性」が固まってくるものである。その「心の傾向性」が固定してくると、場合によっては精神的な悩みを超えて肉体的異変が出てくる。これが「病変」と化し、時に難病・奇病となって発症する。現代医学でも、標準値から外れている検査数字を探し出して、病気の原因を推定し、治療にあたるのが常だ。しかし、それは考えてみれば、心が中道・真理から離れていることが、ある種の生活習慣や食習慣の偏りとなったり、仕事上、本人の能力不相応の重荷を背負い続けているということでもある。
 当会のリーディングでも、原因が特定されると病気が即座に「崩壊」し始めることが多い。
 本書の刊行は、少し病院の収入を減らすかもしれないので、その点申しわけないが、政府の福利厚生費の削減にもなるし、何よりも病気が治る本人の喜びはお金にはかえがたいだろう。
(1~2ページ)

人間は「心の傾向性」が固定してくると、場合によっては精神的な悩みを超え、肉体的異変が病変となって発症する。

当会のリーディングでも、原因が特定されると病気が即座に崩壊し始めることが多い。

本書の刊行で病気が治る本人の喜びは、お金にはかえがたいだろう――。

いやあ、心の力と、祈願とで、本当に病気って治るんですよね。私も最近、家族がほんとに奇跡的な回復をしたのを、実体験しました。

実体験してしまうと、大川隆法先生の説かれている教えの正しさが、ほんとに深く腑に落ちる気がします。

病気の問題で苦しんでいる方は、全国に数えきれないほどおられると思います。そうした方に、まさに真の「福音」を述べ伝える書籍が、ついに刊行されたわけです。

まずは本書を手にとって、ここに公開されたその「秘密」を自分のものにして下さることを強く強くお勧めしたいと私は思うのです。
 

『ザ・ヒーリングパワー』大川隆法著


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キリスト教国って、イスラム教国とすごく対立してる気がするんだけど、逆に、イスラム教からはキリスト教って、どう見えてるんだろうね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『ムハンマドの幸福論』(幸福の科学出版)で、そのイスラム教の創始者であるムハンマド(マホメット)の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 キリスト教には、やはり、少し「甘さ」があるような気がするんだな。
 イエスは、最後には、あのようなかたち、要するに、この世的には、「人間の手にかかって殺される」という姿を取った。
 「彼は偉大な預言者である」ということは、もちろん、私も認めておりますけれども、少なくとも。
 彼は、「自分自身の権威」によらずして、「神の権威」で、いろいろな業を起こしました。病気治しもそうですし、言葉を語るときにも、「私が語るのではなく、天なる父が私を通して語っている」というようなことを言っておりますので、彼は、やっぱり、「天なる神のツール、道具」であったことは否めないし、それを自分で認めていますね。
 キリスト教徒は、イエスを偉くしようとして、一生懸命、「神の独り子」にしたり、「神そのもの」に持ち上げようとしたりしているけれども、「キリストの言葉自体」によって、そうではないことが明らかになっているわね。
 そういうことで、人間によって滅ぼされた「神」は実際に存在したわけですよ、二千年前にね。あるいは、「神の独り子」と彼らが言う者が、人間によって滅ぼされた。私から見れば、「預言者の一人」ですけれども、それが人間によって滅ぼされたわけです。(中略)
 ところが、私のほうは、人間によって滅ぼされてはいません。私に従わない人々、要するに、雑教といいますか、いろいろなものが混じり合っていて、まだ整理されていない、「前近代的な宗教である多神教」を信じ、偶像崇拝するクライシュ族に対して、「近代的な一神教」を開いたわけですね。
 戦いも起きましたけれども、その戦いに勝利し、教えにおいても勝利して、彼らを呑み込んでいきました。
 その意味において、イエスの最期に比べれば、「完成者たるにふさわしい」と言えるのではないかと思う。
 だから、「最後にして最大の預言者かどうか」というようなところはあるかと思いますが、それでも、「神の僕であり、一預言者であって、自らは神ではない」ということであり、これは、仏教的に言えば、「仏ではない」という位置づけです。
 自らが人間であることを認め、「神の使徒である」という立場だけど、「最後にして最大の預言者」という位置づけでもあり、それは「謙虚さ」と「神の偉大さ」を同時に表していると考えられます。
 その意味では、イスラム教は、やはり、「世界宗教」にふさわしいんじゃないかなあ。
(41~44ページ)

イエスは、この世的には、人間によって滅ぼされたのであって、キリスト教には、少し「甘さ」がある。

ところが、ムハンマドは、人間によって滅ぼされてはいない。戦いに勝利し、教えにおいても勝利したのであって、イエスの最期に比べれば、完成者たるにふさわしい。

ムハンマドは、自らが人間であることを認め、「神の使徒」の立場ではあるが、「最後にして最大の預言者」という位置づけでもあり、それは「謙虚さ」と「神の偉大さ」を同時に表している――。

日本のマスコミを通じて日々の国際ニュースを見ているだけだと、欧米のキリスト教国を通じたニュースが大半ですから、知らず知らずのうちにキリスト教的な見方で海外を見ているのが、じつは日本人の普通の姿ではないでしょうか。

その感覚から、イスラム教国やイスラム教徒の習慣や行動について、しばしば不思議な人たちという感じで見ている気がします。

ところが、今日のムハンマドの言葉に従って、イスラム教の側からキリスト教や欧米社会を見てみると、ぜんぜん見え方が違ってくることに気がつきます。

いずれにしても、なぜにイスラム教が世界宗教になっているのかについては、もっともっと学びを深めてみる必要があるのではないかと私は思うのです。
 

『ムハンマドの幸福論』大川隆法著


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転生輪廻っていうけど、人間は人間にしか生まれ変わらないんでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間として生きていることのありがたみが、どうしても分からない人は、死後、畜生道という所に堕ち、霊界の地獄界で、動物のような姿をして生活してみることもあります。
 それでまだ分からなければ、地上の動物の肉体のなかに、一時期、魂として宿る修行まであります。そういうコースも、ほんとうにあるのです。
 牛であろうが、豚であろうが、馬であろうが、猫であろうが、何でもよいのですが、「もし自分の魂が人間以外の動物に宿ったら、どうなるか。そこで何年か生きたら、何をどう感じるか」ということを、みなさん、想像してみてください。
 人間として生きていて、不平不満や愚痴を言い、人のことを悪く言い、親を恨み、社会を恨み、会社を恨み、出世させてもらえないことを恨み、お金が少ないことを恨み、ものが自由に食べられないことを恨んでいるとしても、たとえば、「野良猫になって二年を送り、その目で人間を見たら、どう見えるか」ということを考えてみてください。
 そうすると、人間というものは、それはそれは“王様”です。誰もが王様や女王様に見えるほどの暮らしをしています。「よく、それで不満を言うものだな」ということです。
 最終的には、そのくらいの訓練までやらないと分からない人もいます。そういう人だっているのです。霊体は自由自在なので、ほんとうに、何に宿ることも可能なのです。(ただし、人間霊は人間に生まれ変わるのが原則です。)
 本章のなかで、霊が自分の死を知らせるときの話をしましたが、「自分が、直接、幽霊になって知らせることができないときに、動物を通じて知らせる場合もある」ということが、昔から報告されています。
 たとえば、カラスは、人が死んだときに、よく反応します。「カラスが朝からずいぶん騒いでいる」というときには、「誰か死んだのかな」と言われたりします。そういうときは、「死んだ人の魂が、直接、語りかけることができないので、生きている動物に憑き、急に騒がせたりして、教えようとしている」ということであったりします。あるいは、家畜やペットが盛んに鳴いたりすることもあり、そういうかたちで霊が自分の死を教えに来ることもあります。(中略)
 このように、自分の死を知らせるために動物や昆虫を使うことは、現実にあります。そういうことをして知らせることもあるのです。
 人間の尊厳というものを考え直し、この世の修行の意味を知り、「死後の生命というものが、ほんとうにあるのだ」と知った上で人生を生きることが、どれほど大事であるかということに気がついていただければ幸いです。
(81~84ページ)

人間として生きていることのありがたみが、どうしても分からない人は、死後、畜生道という所に堕ち、霊界の地獄界で、動物のような姿をして生活してみることもある。

人間霊は人間に生まれ変わるのが原則であるが、それでまだ分からなければ、地上の動物の肉体のなかに、一時期、魂として宿る修行もある。

人間の尊厳を考え直し、この世の修行の意味を知り、死後の生命がほんとうにあると知った上で、人生を生きることがどれほど大事であるか、ということに気がついてほしい――。

とっても不思議な話です。

でも、なぜ昔から「畜生道」という地獄の話があるのか。

また、犬とかネコとかウサギとか、なぜ、あまりに人間くさい感じがする動物を見ることがあるのか、です。

転生輪廻といっても、インドなどでよく言われるような、人間が魚に生まれたりすることは原則としてないのが前提の話で、とてもまれなことだ、というのはほんとうに救われる思いです。

にもかかわらず、いかにまれではあっても、やはりそういう転生もあり得るというのは、わがままいっぱいの私たち人間に対して、「人間の尊厳」をなんとか教えるための仏の慈悲の一つであるのだろうと私は思うのです。
 

『神秘の法』大川隆法著


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原始キリスト教で最大の伝道者だったパウロって、そもそもキリスト教を迫害してたのに、イエスの弟子から、見えなくなった目を見えるようにしてもらって回心して、伝道者に変身したんでしょ。そんなのって、天上界の計画だったりするのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『パウロの信仰論・伝道論・幸福論』(幸福の科学出版)で、そのパウロ本人の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 うーん、まあ、おそらく、「計画」と言えば「計画」ではありましょうけれども、ただ、「後れを取った」ということについては、否めないものがあります。
 やはり、イエスご生前にお会いして、その説法を聴いてみたかったですねえ。同時代に生きていて、「イエス生前には迫害する側にいた」ということは残念なことです。
 私も、いわゆる今のユダヤ教を学問としてやっていたため、それに照らして考えれば、当時のイエスの教えは、とても異端だったのです。あなたがたの時代で言えば、いわゆる新興宗教にすぎないわけですから、伝統的なユダヤ教の考えから見れば、みな、当然異端と思って、迷うことなく弾圧の側に入っていました。
 まあ、人は、旧いものを信じるし、学問的に学んだものは、なかなか捨てられないっていうところがありますよね。
 でも、「イエス死後、二、三年もたってから回心して、クリスチャンになった」っていうことに対しては、「大きな機会を取り逃がした」という気持ちがとても強いです。
 まあ、私のように迫害の主役的存在であった者が、「天上界のイエスの声を聞き、光を見、盲目になり、それが奇跡的に治癒される」というような体験を通すことによって、キリスト教が真なる宗教であることの証を立てる役ができたということは、そういう運命であったのかもしれません。
 しかし、「イエスご自身が私に啓示を送られた」ということから見れば、私は、もともとイエスの弟子になるべく生まれたのであるのに、罪深い何年かを送ったのだと思われます。
(31~33ページ)

天上界のパウロ自身は、イエスの死後何年もたつまでクリスチャンにならなかったことに対して、大きな機会を取り逃がした気持ちがとても強い。

イエスご自身が直接、啓示を送られたことから見れば、パウロはもともとイエスの弟子になるべく生まれたのであるのに、罪深い何年かを送ったのだと思われる――。

伝道者パウロの「ダマスコの回心」というのは、少しでもキリスト教を勉強した人にとっては、誰もが知る有名なエピソードですが、最近、私たちは同様の事例として、有名なジャーナリスト・筑紫哲也の大回心のケースを見聞きしています。

今日の天上界のパウロの霊言は、「ダマスコの回心」について、計画とか運命といえばそうだったかもしれないと述べつつも、当初からの計画ではなく、遅れをとってしまった自分をイエスさまが天上界から指導されて、その道を修正されたと考えておられるようです。

要は、何が運命であり、何がそうでなかったのかというのは、それぞれの人の立場からさまざまな見方が可能なのものであって、人生計画というのはただひとつしかないような単純なものではない、ということをパウロは述べておられるように私は思うのです。

 

『パウロの信仰論・伝道論・幸福論』大川隆法著


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幸福の科学って、世界宗教になるって言ってるんでしょ。そのキーになるものって、やっぱり教えの凄さだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『愛、無限〔改装版〕』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今から二千年ほど前、イスラエルでイエスが福音を宣べ伝えていました。当時、イエスが語っていた言葉は、アラム語といって、ユダヤの一種の方言です。また、イエスの十二弟子たちもアラム語を話していました。
 したがって、イエスが亡くなったあと、弟子たちがユダヤの地を離れて、異郷の地に伝道しようとしたとき、最初に言葉の障害がありました。
 筆頭弟子のペテロという人も、アラム語以外は話せませんでした。そのため、マルコという青年を通訳に使い、通訳つきで伝道して歩いていたのです。しかし、通訳つきではなかなかうまくいかず、言葉が十分に通じないところが迫害の原因にもなりました。
 一方、十二弟子のころにはまだ活躍していませんでしたが、のちにパウロという名で活躍する、パリサイ派の若者がいました。彼は、最初、サウロと呼ばれていました。(中略)パリサイ派は、厳格な律法主義に立つユダヤ教徒たちであって、当時の主流です。
 このサウロは、「私は一度も戒律を破ったことがない」ということを自慢にするほど厳格な人でした。そして、イエスの弟子たちが新しい教えを伝道しているのを見て、「これは律法を踏みにじるものだ」と非常に憤慨し(中略)、イエスの弟子たちを迫害していた中心人物の一人だったのです。(中略)
 サウロは、エルサレムから徒歩で二日ほどの距離がある、ダマスコという所に、イエスの弟子たちが逃げていることを知ります。そこで、「これを持っている者は、イエスの弟子を捕まえてよい」という逮捕状をもらい、街道を通ってダマスコに向かいました。
 ところが、その途中で、白昼、突如として頭上に白く強い光が射してきました。その光のあまりの強さによって、サウロの目は見えなくなってしまったのです。
 そのとき、上から、「サウロよ、サウロよ、なぜ私を迫害するのか」という声が聞こえてきました。サウロが「あなたは誰ですか」と問うと、「おまえが迫害しているイエスである。おまえは私を迫害しているのだ」という答えが返ってきたのです。(中略)
 しかし、そのあと、ダマスコにおいて、イエスの弟子の一人が、サウロの上に手を置き、イエスの御名において治療すると、三日ほど見えなかった目が、突如、見えるようになったのです。(中略)そして、サウロは回心し、以後、福音を宣べ伝え始めたのです。
 これが有名な「ダマスコの回心」です。ダマスコという町で、サウロが回心をしたのです。心を入れ替え、別人のようになりました。(中略)非常な悔恨にかられて、(中略)いかに疑われようとも、どのような迫害を受けようとも、断固として、信念を持って伝道を始めました。これがキリスト教の世界伝道の始まりです。
 サウロ、のちのパウロは三カ国語が自由自在に話せ、非常に教養のあった人です。「語学ができる」ということが、彼の伝道をずいぶん助けました。いろいろな土地に伝道に行っては、その土地の人が分かる言葉で話すものですから、石をぶつける手が止まってしまうのです。また、彼はローマの市民権も持っていました。こうしてパウロは熱心に伝道していき、最後には殉教しました。
(68~75ページ)

二千年ほど前、イスラエルでイエスが福音を宣べ伝えていた当時、イエスや十二弟子たちが語っていた言葉は、ユダヤの一種の方言であるアラム語だった。

そして、イエスの死後、弟子たちが異郷の地に伝道しようとしたときには、最初に言葉の障害があって、筆頭弟子のペテロもアラム語以外は話せず、通訳つきで伝道していたが、この言葉が十分に通じないところが迫害の原因にもなった。

「ダマスコの回心」で有名なパウロは、回心したあとは信念を持って世界伝道を始めたが、非常に教養があり、三カ国語を自由自在に話せたことが、その伝道をずいぶん助けた――。

教えの凄さはもちろんですが、世界伝道をしようとしたとき、やはりキーとなるのは語学であった、ということが、このペテロとパウロの例で理解できる気がします。

そこで、なぜに大川隆法先生が、英語の学習の大切さをあれほど強く打ち出されるのか、なぜに、海外での説法(「ご巡錫」)を日本語ではなくあえて英語でしておられるのか、です。

キリスト教の過去に学んで、幸福の科学を本当の「世界宗教」にしようと真剣に努力しておられる大川隆法先生の本気度を、今日のお教えで改めて学ぶことができた気が私はするのです。
 

『愛、無限〔改装版〕』大川隆法著


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中国が、いま孔子の思想を復活させる運動、やってるでしょ。あれって、どうなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『孔子の幸福論』(幸福の科学出版)で、その孔子本人の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 私には、中国や朝鮮半島、日本についての関心がありますよ。まだ、私の教えが、部分的にでも遺っている所ではあるのでね。
 最近、中国では文化大革命が起きて、私の教えはかなり捨てられましたが、今、孔子の復活運動が起きてはおります。
 それ自体は悪いことではないと思いますが、中国政府は、「孔子の思想は宗教性が比較的低い。これなら統治の原理に使える」と思っているのでしょう。「儒教には、『秩序を守る』という教えが入っているので、国民に勉強させても、うまく押さえ込める」という考え方を持っていらっしゃるのかなとは思いますがね。(中略)
 うーん……、そうだねえ。中国の統治者の心を読めば、「人民全体の意識は、それほど高くないと思っている」というところだろうかね。
 「欧米の人たちは、高い教育水準と生活水準を持っていて、かなり意識が高いから、彼らには、自由に意見を言わせたり行動させたりして、民主主義政治をやらせることもよいのかもしれない。しかし、中国の場合、一部の人たちは、そうした階層には入っており、判断できる人が一割程度はいるかもしれないが、おそらく、九割ぐらいの人たちは、何も分からないだろう」と見ているのだと思うんですね。
 要するに、彼らは、理論としてはすでに理解はできているんだけど、「啓蒙されていない九割の人たちに欧米型の自由を与えると、国の乱れにしかならない。必ずしも自由が善に向かうとは言えず、乱暴や暴動など、破壊に向かっていく傾向が強い」と考えているんでしょう。
 確かに、暴力や人殺し、略奪、盗み、こんなものだって、「自由」といえば「自由」だからね。自由の裏に倫理規範がなければ、必ずそのようになるよね。(中略)中国は、そのジレンマを抱えているよ。指導部も分かっている。
 中国の指導部には、海外留学をした人も多いので、彼らも、他の国の進んだ面はよく分かってはいるけれども、「自国民に同じような自由を与えることは難しい。民度が上がるには、もう少し時間がかかるのかな」と考えているね。
 彼らは、「中国には圧政的なものも残っているけれども、今、南部を中心にして経済的なレベルが上がってきている。香港ぐらいのレベルになれば、ある程度の自由を与えても、議論ができて、自分たちで統治していけるが、今は全体的には難しい。まだ、強い政府というか、時によっては専制的な政府があるほうがよい。要するに、国民が個人の無力感を感じ、自由を得ることを諦めて政府に従っていくほうが、秩序を守れる。そのほうが大きい」と見ているというところかねえ。
(79~82ページ)

中国や朝鮮半島、日本に関心があって、最近、中国において、文化大革命で捨てさられた孔子の復活運動が起きているのを知ってはいる。

それ自体は悪いことではないが、中国政府は、孔子の思想は宗教性が比較的低く、秩序を守るという教えを統治の原理に使えると思っている。

中国の統治者は、欧米の高い教育・生活水準を持っている国民と違って、中国の人民全体の意識はそれほど高くなく、欧米型の自由を与えると暴動などの破壊に向かっていく傾向が強い、国民が強い政府に従っていくほうが秩序を守れると考えている――。

孔子ご本人は、中国にかなり興味をもって見ておられ、かなり冷静にその動きや政府の本音の部分をウォッチングしておられることが分かります。

そして、ここまで把握しておられる以上、中国のその先の見通しについても透徹したお考えがあるわけですが、そのあたりについては、またの機会にご紹介することにしたいと思います。
 

『孔子の幸福論』大川隆法著


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宗教っていろいろあって、何がなんだか分からないよね。幸福の科学は「世界宗教」になるって言ってるけど、他の宗教の教義、何がどう違うのかって、どこから勉強したらいいの?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『宗教社会学概論』――人生と死後の幸福学(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように教えておられます。

 幸福の科学大学では、宗教としての「幸福の科学」の基礎教学も学ぶことになると思う。その際に、宗教教養といえるためには、他の世界宗教らとの教義の異同を、簡潔に整理しておく必要があるだろう。
 本書では、一般に考えられている、世界宗教としての「仏教」・「キリスト教」・「イスラム教」を比較しつつも、社会学者マックス・ウェーバーがその『宗教社会学』で「儒教」「ヒンドゥー教」をも含めて、五つを世界宗教と分類しているので、この二つも考察の対象とした。さらに、「キリスト教」「イスラム教」を理解する上で必須な宗教教養として「ユダヤ教」に言及し、「日本神道」と「ユダヤ教」「イスラム教」「仏教」「儒教」との共通項や特徴も比較してみた。また、中国の宗教を理解する上で、「儒教」と補完関係になっている「道教」の霊的な特質に言及した。
 本書により、「幸福の科学」の比較宗教学、宗教社会学における座標が明らかになると思う。
(1~2ページ)

「幸福の科学」の基礎教学を学ぶに際しては、教養として、他の世界宗教との教義の異同を整理しておく必要がある。

本書では、一般に世界宗教と言われる「仏教」「キリスト教」「イスラム教」だけでなく、「儒教」「ヒンドゥー教」、さらに「ユダヤ教」「日本神道」「道教」も考察した。

本書により、「幸福の科学」の比較宗教学、宗教社会学における座標が明らかになる――。

幸福の科学の教えを本当に知りたいのであれば、他の巨大宗教の教えがどんなものなのか、宗教の違いによって人々の考え方や行動様式にどう違いが出てきてるのかを知ることが必要になるのは、当然のことなんだろうと思います。

でも、世界宗教クラスになると、その文献といっても膨大すぎて、その教えの影響なんて言っても、入門書から読むにしても何がなにやらで、途方に暮れてしまいます。

そこを、大川隆法先生は、わずか一冊で世界の主要宗教を比較しつつ、その特徴や特質、そしてその宗教がどういう文化や歴史をつくってきたのかまで、手短に教えて下さっているわけです。

本書は、世界宗教とは何かを、宗教全体を見渡しながらまずは手軽に学びたい方、幸福の科学の宗教全体のなかでの位置づけを学びたい方、特に日本神道の世界の中での位置づけを知りたい方などに、強くお勧めできる必読の1冊だと私は思うのです。
 

『宗教社会学概論』大川隆法著


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幸福の科学っていうけど、「科学」って「幸福」に関係あるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『アランの語る幸福論』(幸福の科学出版)で、「幸福論」で有名な哲学者・アランの霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 「幸福」とは、実は両面からできていて、人は、体調がよければ機嫌がよく、幸福になれますが、病人は、どうしても不幸を語ることが多いものです。
 例えば、栄養が足りないために病気になっているのであれば、まず、栄養を取り入れることも大事でしょう。
 もちろん、強い精神の持ち主であれば、断食していても、心が平静である方が、なかにはいらっしゃるかもしれませんけれども、それは、万人に通じる哲学とは思えませんね。
 私は、その意味で、現代的なかたちでの哲学のあり方を探究した結果、「一つの考え方の括りとして、『幸福論』というテーマで出してみることがよいのではないか」と考えたのです。
 その幸福の原因は、要するに、自分の幸福を妨げているもの、つまり、“ピンの発見”ですね。
 「私は、何をもって不機嫌になっているのか」「何をもって、不幸感覚が強くなっているのか」「何をもって、怒っているのか」ということを、そのまま放置するのではなく、自己分析していく態度を身につけることが、やはり、哲学ではないかと思ったわけです。
 「人間は、自分で幸福になることができる。原因を分析し、それに対処していこうとする態度を身につけることによって、その決意にふさわしい分だけ幸福になることができるのだ」ということですね。それを、「『思えば幸福になる』ということだ」って、簡単に言うことも可能ですけど。
 ただ、あまり情緒的なほうに持っていきすぎると、肝心なものを見失うことがございますのでね。
 例えば、脚気という病気が流行ったとき、最初は、「ビタミン不足が原因だ」と分からないでやっておりましたが、脚気がビタミン不足で起きるのであれば、ビタミンを供給することで解決されますよね。(中略)
 実際は、「戦争の死者よりも、脚気による死者のほうが多かった」とも言われておりますけれども、 これなんかは、歩けなくなったことについて、上官が、「精神が弛んどるからだ!」と怒るだけで解決する問題ではありません。
 海軍では病気があまり発生せず、陸軍で多く発生したならば、それには必ず原因があるはずですよね。だから、そのへんを勉強しなければいけなかったと思うんです。要するに、脚気が出なかったのは、サラダや、パン食が原因であったわけですよね。
 こういう、科学的態度も入れなければ、「現代的な幸福論」は説けないのではないかなあという感じを、私は持っています。
(38~42ページ)

人は、体調がよければ機嫌がよく、幸福になれるが、病人はどうしても不幸を語ることが多いものである。

人間は、自分の幸福を妨げている原因(“ピン”)を分析し、それに対処していこうとする態度を身につけることによって、その決意にふさわしい分だけ、自分で幸福になることができる。

例えば、脚気という病気がビタミン不足が原因だと分かれば、ビタミンを供給することで解決される。そういう科学的態度も入れなければ、「現代的な幸福論」は説けないのではないか――。

大川隆法先生は、以前、有名なアランの「幸福論」の内容を紹介しながら、その教えを現代的に分かりやすく説いておられたことがあったと思います。

それがきっかけで、アランの「幸福論」を読む努力をしてみたことがありますが、もう百年近い昔の作品ですし、原典のフランス語からの翻訳も十分なものでなかったのか、すっとわかる感じがぜんぜんしなかった記憶です。

ところが本書では、そのアランがみずから、現代日本語で、自分の考えそのものをストレートに分かりやすく講義してくれているわけで、その分かりやすさ、そして内容の深さはそれこそ感動ものです。

何度も繰り返しになりますが、誰が何と言おうと、この霊言集というのはやはり「現代の奇跡」であると私は思うのです。
 

『アランの語る幸福論』大川隆法著


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