正直な人生を生きたいと思うんだけど、その逆に、ぜんぜん正直じゃない、偽りの人生を生きてる人って、多いんじゃないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の仏陀』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
しかし、よくよく見るがよい。
みずからは気がついていないにもかかわらず、
偽りの人生を生きている人には、
明らかに共通する特徴がある。
彼らは、すべて、この世的なる物差しを基準としている。
地位や、名誉や、金銭の多寡、
そのようなものを、この上なく愛し、
己の心の価値というものを認めていない。
それが彼らの特徴だ。
私は、決して、
努力多くして成功し、
世の人々のために生きている人に、
地位があろうが、
名誉があろうが、
そして富があろうが、
それを悪いものだとは言わない。
正当なるものとして評価されているものには、
それだけの光があるものだ。
それだけの、真実の悦びがあるものだ。
けれども、ここで注意をせねばならぬことは、
そのような、傍目(はため)に見えるような基準でもって、
自分自身の値打ちを測ろうとする、
愚かな人々の存在であるのだ。
大きな家に住んでいるから、偉い人間だと錯覚してみたり、
高い車を乗り回しているから、偉い人間だと錯覚したり、
そういう人がいるから問題だと言っているのだ。
これらは本末転倒であるのだ。
やはり、その人の心に、生き方に、人生に、値打ちがあってこそ、
その他の、この世的なる道具も、生きてくるというものなのだ。
その順序を間違えてはならぬ。
少なくとも、
みずからの心のあり方というものを
考えたことがない人間には、
正直に生きるということさえ、分からないであろう。
なぜならば、正直に生きるということは、
己の良心に忠実に生きるということだからだ。
そして、己の良心に忠実に生きるとは、
己の心のなかにある守護霊の声に
忠実に生きるということなのだ。
そしてまた、その守護霊は、
上位にある高級霊の心に忠実に、指導せねばならないのだ。
これが、正直に生きるということの根本だ。
すべては仏から始まる。
仏の心を心として生きるということが、
正直に生きるということなのだ。
(60~64ページ)
・・・今回のきょう子氏の問題の根本を考えてみると、この教えあたりに行き着くのではないかと思うのです。
いくつかの週刊誌で述べておられるお考え、その誤りについて大川隆法先生が真正面から説いておられる『現代の法難①』、さらには公式サイトに公表された幸福の科学のいくつかの公式見解などをずっと読んでいくと、学歴だとかお金にこだわっておられるきょう子氏の姿は、偽りの人生を生きて来られたことを、誰の眼にも明らかにしているように思えます。
この件で見せられている偽りの人生の姿を反面教師としつつ、私たちは未来へと進んでいきたいもの、ですよね!
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『永遠の仏陀』
大川隆法著
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