ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



転生輪廻って、最近は、マンガでもテレビでも映画でも、それが前提となった話が増えてきたけど、ほんとにあるのかな。自分は、今回生れてく前に、別の人間をやっていたことがあって、これから死んでも、また未来に、別の人間として生まれ変わってくるって、ほんとなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの発見』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今、私は転生という言葉を挙げました。ごれは常識的には信じられない方のほうが多いかもしれません。ただ、私はこういう体験をしはじめてから十数年たち、その間、みなさんもご存じのように、すでに百冊以上の本を出しました。そのうち半分ぐらいは霊言、霊示集だと思いますが、インチキや作りごとでは、これだけのものを絶対出せませんし、書ける人はいません。こうしたことができるのは、それが現実だからです。現に霊の世界はあるのです。
 みなさんと同じように、人間としてかつて地上に肉体を持って生きていた方が、死というものを境(さかい)して、ただの灰になってしまう、炭素と少量の水分や二酸化炭素などといったものになってしまい、一生かかって勉強したものや得たものがすべてゼロになってしまうという、こういう考えに賛同できる方もいらっしゃるでしょう。
 しかし私から言えば、こうした考えは狂信妄信です。信じられません。みなさんは信じられますか。それなら何のためにみなさんは一生懸命生きてきたのですか。努力してきたのですか。そうではないですか。まったくの塵や灰になってしまうのならば、何のための努力ですか。何のために遺徳がありますか。何のための教えですか。子供を教育してどうなるのですか。何のために教育するのですか。考えてみればおかしいことです。
 今世でそれだけ一生懸命やらねばならないと感じているということは、みなさんの心の奥底において、永遠なるものを知っているからです。自分たちは必ず向上せねばならないという気持ちが、どこかにあるはずです。その気持ちは知っているのです、人間というのは一代限りではないことを、数十年限りではないことを。永遠の生命のなかを生き抜いているからこそ、努力精進ということがあるということを、必ずみなさんは心のどこかで知っているのです。
(134~136ページ)

自分の心の奥底を探ってみたときに、理屈じゃなくって、過去世(かこぜ)があって来世(らいせ)があるって考え方に賛同するものがありませんか。

私はあるんですよね。

今日、ご紹介した書籍は、大川隆法先生のもっとも初期の頃、1992年に発刊されたものですから、発刊した本の数を「百冊以上」と述べておられます。

それから25年たった今、大川隆法先生が発刊された本の数は、驚くべきことに、2200冊以上と聞きます。

つまり、「現に霊の世界はある」と信じられない方のために、大川隆法先生は、もうほんとに数えきれないほどたくさんの霊言・霊示集を出版しておられる。

そうしてあの世に還った「霊」の言葉をストレートに伝えることで、その実証をしてくださっているのだと、改めて私は感じいっているのです。

 

『悟りの発見』

大川隆法著

 

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世の中、ひどい人がいますよね。どんなにこちらが心を平らかにしてても、激しい言葉、悪意のある言葉をぶつけてくる人。イジワルをしてくる人。こちらをカッとさせるために、存在してるんじゃないのかな、って思えたりして。

しかもそれが、赤の他人や、せいぜい知人・友人というなら、もう付き合わなければいいんだけれど、家族のなかにそんな人がいたり、夫や妻だったりすると・・・。さてさて、どうしたらいいんでしょうね?

幸福の科学の大川隆法先生は、『理想国家日本の条件』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 まず考えるべきことは、先ほどと同じで、言葉の調律から始めることです。人を傷つける言葉、相手を裁く言葉、相手をほんとうにこっぱみじんに砕き、失意の底に落とすような言葉、そういう言葉を出さないことです。
 喉元まで出かかっていても、ぐっと思いとどまって、口を閉めてしまうことです。激しい言葉が出そうになったら、深呼吸してください。心のなかで、一、二、三、四、五、六……と数えてください。十も数えたら、その言葉は出さなくてすみます。出さなくてもいい言葉は出さないことです。もちろん、心のなかで思わないのがいちばんいいのですが、いったん思ってしまったならば、次はそれを言葉に出さないことです。
 言葉に出してしまったら、その言葉自身が生き物となって動きはじめます。仕事をします。耳を通じて、相手の頭のなか、心のなかに入って、相手のなかからも憎しみというものを喚び起こします。そして、さらに激しい言葉が相手からも出てきます。その結果、両方からの応酬になって、そこに血みどろの戦場が現われてきます。ですから、まず、相手を傷つける否定的な暗い言葉を出すまいという、最初の関門を守ってください。(中略)
 大事なことは、心に曇りをつくらないこと、毒を食わないことです。相手のほうに悪い点があるのかもしれませんが、その悪を自分自身のなかに植え込んで増幅させる必要はありません。
 ここで大事な考え方は、「他人の心は、自分の自由にはならない」ということです。これをよく知っておいてください。これはどのような王様でもそうなのです。身体は拘束できます。奴隷にすることも、殺すこともできます。しかしながら、その人の心は自由にはできません。どんなことがあっても自由にはできないのです。そのように、心は王国なのです。善き心であろうが悪き心であろうが、その人自身のものなのです。
 ですから、他人に対して腹が立ってしかたがないときには、その他人の心自体を支配することはできないということを、もう一度思ってください。そして、そのときに、みなさんがすべきことは何でしょうか。
 他人の心は支配できないけれども、自分の心は百パーセント支配できるという事実がここにあるのです。自分の心は自由自在です。どのような環境においても、どのような心を持つかは百パーセント自分自身で決められることなのです。ここがポイントです。他人の心は変えられなくても、自分の心を変えることはできます。
 しかし、自分の心が変わることによって、そこから発散される善念、善なるエネルギー、光が、実は他人を変えていくのです。感化していきます。他人の心自体を支配して変えることはできませんが、他人に影響を与えること、感化することは可能です。そしてそれは、なんと自分自身を変えることによって、そうなっていくのです。
(148~152ページ)

まずは、言葉の調律をすること。

どんなに相手が悪いと思っても、まず耐えて、とにかく、悪しき言葉を出してしまわないようにすること。

これは、なんとか努力すればできそうな気がしますね。

そして、相手を変えようとするのではなく、自分の心を変える努力をすること。

これは、そう簡単ではないかもしれないけれど、でも、「心の法則」で、自分の心を変えれば相手も変わる。

これは事実なんですよね。

この事実を知って、自分の力で人間関係を改善する努力はできるというのは、ものすごい福音ではないかと私は思うのです。

 

『理想国家日本の条件』

 大川隆法著

 

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子供が私立受験したいなんて言い出しちゃった。娘が結婚するだって。心電図に異常があるなんて言われちゃった。友だちが借金を作っちゃった。どうしたらいいの? どうしてあげたらいいなろう? ・・・こんな悩み、尽きることありませんね。ほんとうに、どうやったら悩みがなくなるんでしょうか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の革命』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 それでは、悩みの正体は何かといえば、たいていは、判断がつかないことによる混乱です。「どうしたらよいか、判断がつかない」ということによる混乱が、悩みのほとんどの原因なのです。
 「こうすべきだ」ということがはっきり見えたならば、悩みはなくなります。しかし、「どうしたらよいのか分からない」という混乱状態が続くために悩むのです。
 そうした混乱が起きる原因は、たいていの場合、知識がないか、経験がないかのどちらかです。つまり、知識や経験の不足です。知っていることや経験のあることについては迷わないものです。(中略)
 それでは、そうした悩みから脱出するには、どうすればよいのでしょうか。
 ほとんどの問題は知識や経験の不足が原因で起きているのですから、まず、その問題を解決するにあたって必要な知識を、可能なかぎり集めてみることです。悩んでいる暇があるならば、関連する知識を集められるだけ集めてみるのです。
 こうして集めた知識を並べて整理していくうちに、結論がはっきり見えてくることがあります。それをせずに漠然と悩んでいても、問題が解決することはありません。まず、関係する知識を集めることです。(中略)
 関係する知識を集めて整理し、経験の足りない部分については他の人からのアドバイスを得て、選択肢を絞り込んでいけば、結論はだいたい出てくるのです。(中略)
 そして、「絞りをかけたけれども、選択肢が一つにならない」という場合には、優先順位をつけることです。
 ある程度、絞り込んだ段階で、選択肢に優先順位をつけ、「一番がだめなら二番。二番がだめなら三番」としていけば、かなり心が楽になります。
(30~36ページ)

そうですよね。

子供の受験や娘の結婚なら、まずインターネットや書籍で、受験や結婚の情報を集めること。

そして詳しい人に話を聞くこと。

そして、集めた情報の判断の仕方は──、と大川隆法先生のお教えはとても実践的な叡知に満ちています。

病気や借金問題も、まずは情報を集めるところから始めればいいのは、同じことです。

考えてみると、病気の場合は病院、法律問題は弁護士さん、つまり専門家に早目に相談するというのも、悩み解消の早道であることも多い気がします。

そして、専門家への相談は、どのくらいお金がかかるかが別の悩みになりがちですけれど、それもまた同じやり方で解決していけばいいのでありましょう。

この世でよりよく生きていくためには、大川隆法先生が教えられる、こういった「智慧」も必要だということなんだと私は思うのです。

 

『幸福の革命』

大川隆法著




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おとといだっけ、政府が、「弾道ミサイルが国内に落下する可能性がある場合の身の守り方」を発表して、国民に周知を呼びかけたんだってね。遠回しに言ってるけど、これって要するに、北朝鮮がミサイルを打ち込んできたときに、どう逃げればいいかって話なんでしょ。ほんと、北朝鮮って、何考えてるのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『危機の中の北朝鮮 金正恩の守護霊霊言』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように述べておられます。

 おそらく、独裁者には、最期の日が近づいている。それを本能的にキャッチしてか、この守護霊霊言は、本来〝泣き落とし〟で揺さぶってくるべきなのに、いつもながらの強気で強硬な意見に満ち満ちている。
 アメリカや日本の指導者の家族にテロが及ぶかもしれないと脅すことで、米軍が攻撃を中止すると甘い期待を抱いているとすれば、〝若さの驕り〟だけではなく、日々自分の生命が危険におびやかされていることを証明するだけだ。
 緊急出版される本書は、はからずも北朝鮮トップの本心を明らかにしてしまった。
 兵法では「戦わずして勝つ」ことが評価されるが、「戦わずして潔よく負けを認める」ことも、トップにまだ仁徳があることを証明することにもなる。今がその時ではなかろうか。
(3~4ページ)

おそらく、独裁者には、最期の日が近づいている──。

北朝鮮といっても、要するに、独裁者・金正恩ひとりが何を考えているかが問題なんだと思いますが、4月20日時点のその本心が明かされた書籍が、はやくも都内大手書店で緊急出版されています。

ところが、本書における金正恩の守護霊の発言は、世間一般の予想に反して、ひたすら強気で強硬なもので、世界最大の軍事強国アメリカに対して、一歩も引く気がないかのようです。

そのアメリカはというと、横須賀に寄港中の空母以外に、新たに空母艦隊を朝鮮半島方面に回航していて、23日には西太平洋上で海上自衛隊との共同訓練を開始したと発表するなど、朝鮮半島方面はものすごくきな臭くなってきています。

思い返せば、2009年に幸福実現党が立党したのは、北朝鮮のミサイル危機に対して、自民党政府が何も対応しようとしなかったからでした。

もう一つ、幸福の科学が1994年に公開した最初の映画「ノストラダムス戦慄の啓示」は、明らかに北朝鮮と分かる隣国が日本に核ミサイルを発射しようとする危機を描いており、このころから大川隆法先生は、北朝鮮のミサイル危機に警鐘を鳴らしておられたわけです。

今回、政府もようやく初めて、そんな危機が現実に目前に迫っていることを、国民に訴え始めたわけですが、ほんとに遅すぎます。

それはそれとして、本書のまえがきで大川隆法先生は、金正恩に対して、「戦わずして潔よく負けを認める」ことを強く勧めておられます。

はたして、アメリカは、そして金正恩は、これからどう動くのでしょうか?

本書は、いま現在の朝鮮半島、北朝鮮とアメリカの一触即発の軍事危機の行く末の手がかりを少しでも得るために、まさに必須の文献の一つであると私は思うのです。

 

『危機の中の北朝鮮 金正恩の守護霊霊言』
大川隆法著



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仏さまや神さまを信じて信仰の道に入ったら、異性には手を触れてはいけないのかなあ? 異性を経験してしまったら、宗教者として生きていくことはできないの? 結婚していない彼氏、彼女と自由に付き合ったら、堕地獄の罪になってしまうの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新・心の探究』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 やはりできれば、現代では、夫婦単位で一つの信仰を持っていく方向に行くのがいいと思うし、あるいは恋人であっても、同一神理を信じている者どうしのお交際(つきあ)いというものは、これはいいのではないか。なるべく同心の者どうしが、共通の人生観をわかち合う者どうしが、苦楽を共にしていくのがいいのではないか。そういうふうに感じるわけです。
 したがって性的なものも、もちろん極端な行き方について賛成はできるわけではありませんけれども、極端に潔癖症に陥るのもまた不自由。中道にこそ入るという表現は適切ではありませんけれども、要するに、神理なら神理、人生観なら人生観という一つの目的を共有する者どうしが自分達を解放し、愛し合い、幸福にし、豊かにしていくために、異性との接触を持つこと自体は罪でも悪でもない、こういうふうに思います。要するに、肉体の奴隷となってしまわないことです。また、がんじがらめの堅物にもなってしまわないことです。まあそういうふうに、人間というものは、できるだけいい目的を持ってその達成を促進するという面があるなら、その手段に関しては、合理的と思える範囲で許容していくというのが一つの方向ではないだろうか。(中略)
 こういうふうに、ある程度の枠を設けながら、自由にしていくことが現代的にはいいのではないかと思います。
(75~77ページ)

異性との接触を持つこと自体は罪でも悪でもないけど、肉体の欲望に溺れてしまわないこと。

逆に、がんじがらめの堅物にもなってしまわないこと。

最初期のころの御講義なので、できるだけ難しくならないように説いて下さってますけれども、仏教的な言葉で説明すれば、要するに、異性との関係も、両極端ではない「中道」が求められる、ということなんだと思います。

そして、同じ信仰を持った者どうしでつきあい、いずれは夫婦となっていき、人生の苦楽を共にしていくのがよい、ということなんだと私は思うのです。

 

『新・心の探究』

大川隆法著

 

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宗教って、いい宗教もあるんだろうけど、悪い宗教も多いでしょ。どう見分ければいいの? なーんて、疑問に思ってる人、いませんか? 

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生成功の秘策』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 宗教の正邪を見分ける基本的な基準は、その宗教に入った人が、おかしくなるか立派になるか、ということです。
 長い眼で見ると、世間の眼はごまかせないのです。オウムに入れば、おかしくなって、どこへ進出しても嫌われるのです。ところが彼らは、「周りから差別や迫害を受けている」「住民たちが自分たちに害を加えている」「国家の謀略だ」と言っていますが、どこに進出してもそうしたことが起きるということは、縁起の理法からいっても、自分たちに原因があることは明らかです。
 要するに、その教団に入っている人たちが、狂っていき、おかしくなっていくなら、それは邪教なのです。逆に、内部にいる人たちが立派になっていくなら、それは正しい宗教なのです。普通の人が見てもわかる基準は、内部にいる人たちが立派になっていくか、おかしくなっていくか、ということです。
 周りから嫌われるような状況が長く続くようなら、それは間違っているということです。周りから好かれるような、すばらしい人がたくさん出てくるようなら、それは正しい宗教だということです。究極的には、ここがポイントです。
(47~48ページ)

その宗教はどういう宗教かを見るには、そこに入っている人がどういう人かを見ること。

入る前よりもよくなってるか、それともおかしくなったかを見ること。

短い時間では判断できないかもしれないけど、長い目では、多くの人の目は誤魔化せないということだと私は思うのです。

 

『人生成功の秘策』

 大川隆法著

 

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先祖供養って、どうすればいいの? 仏壇に線香をあげればいいの。お墓参りに行っても、お坊さんのお経、何言ってるかわからないしさ。・・・なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊界散歩』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 先祖供養には、なかなか厳しい面があります。
 あの世を信じないまま死に、苦しんでいる人は、あまり行くところがないので、子孫が先祖供養をすると、子孫のところへ行きます。
 先祖の霊が、たとえば血の池地獄や孤独地獄などで、もがき苦しんでいるときに、地上の子孫が仏壇などの前で一生懸命に先祖供養をすると、先祖は、自分を助けるための白い縄が上からするすると下りてきたように感じます。それをつかんで手繰ると、上がることができるのです。そして、子孫のところに出てきます。
 その際、子孫の側に、その先祖を供養して成仏させる力があれば、先祖は救われますが、その力がないと、子孫が逆に引っ張り込まれることも多々あります。
 そのため、先祖供養は、しっかりと真理を勉強した上で行っていただきたいのです。
 死んだ人が霊界についての知識をまったく持っていないと、その人は、私の説法を聴いても、自分の波動と合わないことが分かるだけで、法話の内容を、すんなりとは理解できません。生きている人たちのなかにも、私の説法を聴いて理解できない人がいますが、死んだ人でも、そういう人がいるのです。
 したがって、先祖供養の際には、子孫が、亡くなった人のレベルに合わせて、私の説いている教えの一部を噛み砕き、その人に分かるようなかたちで伝えてあげることが大事です。
 墓参りをしたり、線香を上げたり、仏飯を供えたりしても結構ですが、そのときに、その人の生前の生き方で、「この人の間違っているところは、たぶん、ここだろう」と思える点について、その人に必要な真理を、口に出してもよいし、心のなかで言ってもよいので、噛み砕いて話してあげることです。
 先祖供養をしているうちに、自分のほうが、体が重くなったり、調子が悪くなったり、寝込んだりするようなら、力不足なのです。
 その場合には、幸福の科学の精舎や支部で供養をしたほうがよいでしょう。個人では、そう簡単には地獄霊に勝てません。(中略)
 先祖供養は、なかなか大変な仕事です。一人を成仏させるだけでも大変です。本人が、生前の苦労など、いろいろなことを、全部、思い出しながら反省し、この世の積れや垢を落とさないと、あの世に旅立てないのです。
 人が亡くなったときには、できれば、そういう反省会を地上の人たちがやっていただきたいものです。
(58~62ページ)

ということは、まずは、幸福の科学の支部で春と秋に行なわれる、「幸福供養祭」に参加することですね。

また、幸福の科学には、総本山・那須精舎(栃木)と聖地・四国正心館(徳島)に、「来世幸福園」という霊園があります。

もちろん誰でも参拝することができますし、納骨や永代供養もお願いできます。

詳しくは、支部や精舎に問い合わせしてみたらよいのではないかと私は思うのです。

 

『霊界散歩』

大川隆法著

 

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肉親が不治の病の床に。親しい人が、交通事故で危篤になって、もう帰天まぢか。そういう、死に瀕した方に対して、何をどうしてあげればいいのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『運命の発見 説法自由自在②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ひとつ考えていただきたいのは、人間のこの世の生命は有限であるということです。(中略)どうしても死なない肉体だと、五百年も、千年も、一万年も生きるけれども、まったく魂が進化しないことがはっきりしたのです。どうやら地上にずっといるだけでは、どんどんどんどん地上的な、物質的なものに染まっていって、魂としては向上しない。こういうことがはっきりして、転生輪廻の法則というのをひとつの方法として確立したのです。この世とあの世を循環することによって、人間が永遠の魂の進化を享受できるような方法を確立したわけです。(中略)
 ですから家族としては、生命を延ばすことは、もちろん延ばしたいと思うでしょうけれども、いちばん大事なことは、その人が調和した姿で旅立てるように心を整えてあげることです。寿命の長い短いは、ある程度、予定はあるわけです。たいていの人は百歳までいかないで死んでしまいます。(中略)結局、死に方とか、死ぬ年齢とか、それだけでは決まらないということです。大切なのは、どういう心を持って死んだかです。
 ほんとうのことを知っている人は、死は怖くないはずです。死ぬ時期はそれぞれの人にあるけれども、一瞬一瞬、一日一日が一生だと思って生きていくことです。どこかで終着駅が来るわけですが、大事なのは一日一日完結した生き方をすることです。そしてまわりの人は、その方が調和できるように、思い残すことがないかよく考えて、ひっかかりがあるようなら、そのひっかかりをなくしてあげるようにすることです。
 亡くなっていく人にとっていちばん気がかりなことは、残された者たちのことです。残された者たちが、たとえば生活はちゃんとしていけるか、仲よくしていけるかどうか。また、家がちゃんと続いていくかどうか。こうしたことが気にかかります。これが気にかかると、やはり執着になって、この世に引き止める原因になります。ですから、そうした執着がないように、まわりの者たちは絶対大丈夫だ、心配ない、というかたちを作ってあげることです。
 そして亡くなるまでに、できるだけ本人の心が調和するように、あたたかい言葉と笑顔でもって、そういう波動でもって接してあげること。病人のまわりの人が仏法真理を知って、悟っていくと、光が出てきますから、それで生命を延ばせることもあるし、ないこともあるけれども、すくなくとも亡くなっていく方は心が調和されていきます。それがいちばん大事なのです。
(88~92ページ)

まず、あの世があるという事実を知り、信じることが出発点ですよね。

あの世から、私たちはやってきて、短いこの世の旅を終えたら、必ず、あの世に還るのだ。

あちらこそが、私たちのいた世界なのだ。

だから、死は、怖くない。

私たちは、その事実をしっかりと腑に落とすこと。

そして、帰天していく方には、これを前提に、愛の念いで接してあげることが大切だ、ということなのだろうと私は思うのです。

 

『運命の発見 説法自由自在②』

 大川隆法著

 

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社会人になりたての人が目につく季節ですね。なんで、大人になったら、仕事をしなくちゃいけないんだろう。なんで、いつまでも子供でいたらダメなの。そもそも、「職業」って、なんなんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『黄金の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ほとんどの人間は、一生の大半を、何かの職業に従事して過ごします。ドイツ語では、職業のことを「ベルーフ」と言いますが、これは、「神の召命」という意味でもあります。つまり、職業を通して、自らの天命を知り、使命をはたしてゆきなさいということなのです。
 「神よ、神よ」と言う人が、必ずしも天国に入るわけではありません。また、阿弥陀仏の名号を称えている人が、必ずしも極楽浄土に往生するわけでもありません。ほとんどの人間は、真に宗教に深く関わることはないでしょう。ただ、病気のとき、正月、葬式、法事、あるいは、縁談のとき、こういうときだけ宗教の縁に触れる。そういう人たちが多いと言えます。
 しかし、私は、こういう無信仰ぶりを非難するわけではありません。間違った宗教に身を投じて、家庭の幸福、財産、健康、心の尊厳を失ってゆくくらいならば、むしろ、正しき職業観を持って、立派な人生を歩んでゆくことこそが、人間として賢明な生き方だと言えるのではないかと思っております。実際、科学者や経営者、あるいは、芸術家のなかには、本人が心霊の世界に気づいていなくても、高級霊界に属する人たちも多いのです。(中略)
 高級霊、必ずしも宗教家ならずと言えます。つまり、高級霊たちは、さまざまな方面で、職業を持って、肉体修行に励んでいるのです。ですから、各人が、それぞれの職業のなかで、最先端をきわめて、しかも、世の人々に役立つ生き方をすることは、仏の御心に適した、また真理の実践活動でもあるのです。
(56~60ページ)

普通の人は、プロの宗教家になるわけではありません。

しかし、人は職業を通して、人生修行をするのであり、そこに自らの天命、使命がある。

だからこそ、その職業に従事するなかで全力を尽くすことで、魂の糧(かて)を得ていくことができるってこと、なんですね。

もちろん、大川隆法先生は、ここでいう「職業」には、家庭に入った主婦という立場も含まれることを前提に、この教えを語られていることは注意しておきたいと私は思っているのです。

 

『黄金の法』

大川隆法著

 

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ね、なんで修行、それも「心の修行」なんて、幸福の科学は勧めるの? なーんて疑問、持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 いま偉人と言われている人々の生涯を振り返ってみると、恵まれた環境に出ている人は少ないのです。たいていの人、九分九厘の人は、逆境を必ず通り越して、偉大な名声を築いているはずです。
 では、どこに、そのポイントがあったか、錬金術はどこにあったか、鉛を変じて金としたのは、いったい何であったかというと、「心の修行」という、この一点にあったのです。
 これは不思議なことでも何でもなく、みなさんが地上を去ったときに持って還れるものは心しかないのです。あの世では手も足もありません。頭蓋骨も脳もありません。こういうものがなくても、ものは考えられるのです。あの世の霊人たちは、脳がなくても考えを持っています。脳は一つの〝機械″です。持って還るものは心しかないのです。これも一つの発見です。
 心しか持って還れないのならば、この心をよくするしかないではないですか。簡単なことです。それだけのことなのです。(中略)
 持って還るものは心しかないとすれば、毎日の幸福感、毎日の幸福に対する考え方は、がらっと変わってくるはずです。
 自分の幸福を、「年収があと五十万円増えること」「夏物のドレスを早めに買うこと」「バーゲンで素晴らしいものを見つけること」などと考えても、こういうものは、あの世に持って還れません。そのようなもので幸福感を味わっても、はかないものです。
 結局、持って還れるものが心しかないのならば、この地上での何十年かを使って、徹底的に心を鍛える以外にありません。心を磨く以外にないのです。それだけのことなのです。簡単なことです。簡単なことだけれども、なかなかできないのです。
(71~73ページ)

「心の修行」って、一見、誰でもできそうな気もします。

でも、とっても地味だし、やらなかったからといって誰かが叱ってくれるわけでもない。

自分だけでやろうとしていても、なかなか根気が続かない。

だからこそ、幸福の科学には、精舎や支部がつくられていて、そこに足を運ぶことで、自分だけでは続かない修行も、少しずつ進めていくことができる。

つまりは、この「心の修行」の大切さということを腑に落とすだけで、「悟り」の道への入口に立てているのではないかと、しみじみと私は感じているのです。 

『幸福の原点』

大川隆法著

 

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今の私、こんな苦しみのなかにあるのよ。神が愛っていうんなら、私も平等に愛されてていいんじゃないの。それでも人を愛せって言うの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

そういうあなたのために、幸福の科学の大川隆法先生は、『神理学要論』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 しかし、私は言いましょう。
「だからこそ、『愛せよ』と言っているのだ。」と。
 あなたが、そのような過去を歩んできたということは、今そのような境涯のなかにあるということは、今そのような境遇のなかで苦しんでいるということは、あなた自身の魂が、今そこに大きな修行を、試練を、要求しているのだということです。
 今世だけではない。人生は今世だけではありません。過去世があって今世があり、今世があって来世がある。これは釈迦仏教の根本です。
 すなわち、現在自分自身の置かれているその境遇は、生れてより後、みずから思ったこと行なったこととまったく相関した環境が出ているのです。もしそれだけで説明がつかないとするならば、その過去世がいかなるものであるか、よくよく考えてみよ。そのような人生を今世歩まねばならぬ人間が、過去どのように生きたのであろうかということを、よくよくふり返ってみよ。
 さすれば、今、与えられていない理由がわかるでありましょう。それは過去、みずからが多くの人に愛を与えてこなかったからではないのか。ゆえにこそ、今そうやって与えられないことの苦しみというものを味わっているのではないか。さればこそ、与えられないということを嘆いてはならないのです。それを愚痴ってはならないのです。
 ゆえにこそ、愛を与えよと言っているのです。(中略)
 ほんとうに豊かななかから与えることはたやすいが、貧しいなかにおいて──貧しいとは物質的、金銭的な貧しさのみではない──精神的に、今、貧しいなかにおいて与えんとすることこそ、真に神を喜ばせることであり、真にみずからの使命に気づいたと言えることなのです。
 ゆえに、みなさん方にお願いしたいことは、もし今逆境のなかにあるならば、もし今、試練のなかにあるならば、今こそ愛の教えを実践するときだということです。このときこそ、この瞬間こそ、今こそが、この我にいかなる愛ありやを、我がいかなる人間であるかを、証明するときなのです。そして、みずからが今後いかなる人生を生きていかんとするかを決めるときであるのです。
(32~35ページ)

誰かのために、ささやかなプレゼントを探してみるとか。

誰かのために、手紙を書いてみるとか。

もっと手近な方法として、まわりの人に、ニコッと笑顔で、元気に挨拶するとか。

自分が、まわりにどうやって愛を与えることができるのかを考え、ほんとにささやかなところから始めてみたとき、自分の心にポッと灯がともって、幸せな気持ちを味わうことができる。

大川隆法先生は、「だからこそ、愛せよ」という言葉で、その一歩を踏み出すための勇気を下さってる。

そう私は思えてならないのです。

 

『神理学要論』

大川隆法著

 

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「私がいま不幸な理由は、あれだったのよね。なんであのとき、彼にあんなこと言ったんだろう。あーあ」、なんて人、いませんか?

それから、「私って、いまは一人で自由だけど、でもトシとっちゃったら、どうなるのかしら。さみしく一人で死ぬのかしら」、なんて人、いたりしませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法則』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みずからのまちがいは、いったん徹底的に反省する必要がありますが、反省がだいじだと言うことは、毎日くよくよしろということとは違うのです。いったん徹底的に自分の過ちを分析し、反省したならば、そのことについての記憶は、忘却の河に流し去ることです。もうふり返らないことです。あなたが他人を許してきたように、自分をも許すことです。自分に罪人の烙印を押してしまわないで、刑務所から解放してやることです。これが持ち越しなしの原則なのです。
 また未来についても、あれこれと取り越し苦労しないことです。取り越し苦労性の人、心配性の人というのは、深層心理学的には、みずから恐れているものを招き寄せる性質を持つことになるのです。なぜなら同類相集まるの法則で、不安の念をつねづね持っていると、その念に呼応して、不安な事柄を引き寄せることとなるからなのです。心配性の人に苦労が絶えないというのは、この法則によるのです。
 不安を前借りしないことです。不安というものは、現実になった時に心配すればよいし、不幸の予言者となって、自分が予想した通り自分は病気になったとか、思っていた通り会社が倒産したとしても、そんなことは何の自慢にもならないからです。不安は現実になった時に、悩めばよいのです。そして解決の糸口がつかめない現実など、ないと断言し、自分を信ずることです。
 悪いこと、不幸なことに関しては、前借りなし、持ち越しなしの原則でのぞむことにいたしましょう。
 これは二千年の昔に、イエス様が、「一日の苦労は一日にて足れり」と言われたことと同一の神理なのです。水漏れの時、潜水艦のなかでは防水扉を閉めるように、悪しき過去、悪しき未来には鉄の扉を閉ざして、自分の今日一日を守ることです。過去と未来の間で、今日一日のあなたを照らしてゆくことを考えることです。それこそが、光明生活の基本なのです。
(158~160ページ)

悪いこと、不幸なことは、持ち越しなしの原則だ。

そして、前借りなしの原則なのだ。

一日の苦労は一日だけで足りるのだ──。

これが「光明生活の基本」であるわけです。
 
本書は、1989年に発刊された書籍です。
 
つまり、大川隆法先生は、こんな初期のころから、明るい気持ちで幸福に生きていくための大事な大事な考え方を、とても簡潔に教えてくださったていたのだと、改めて私は深く感じ入っているのです。
 
 
 
『繁栄の法則』

大川隆法著

 

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プレアデスという星団からは、金髪で地球の白人そっくりの宇宙人が来ている」という話を、以前、紹介しました。さて、彼らは何をしに、地球に来てるのでしょうか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ユートピア創造論』(幸福の科学出版)に収められた、1989年の論考で、こう説いておられます。

 地球以外の星にも偉大な人類が住んでいます。地球人から見て、二千年ぐらい進んでいる人類もいれば、六千年ぐらい進んでいる人類もいます。
 いま地球には異星人がかなり飛来しています。なかでもプレアデス星団というところから大量に来ています。現在はここからの飛来がいちばん多いのです。
 プレアデス星人たちは、肉体を持った集団移住をまだしていませんが、彼らの一部は、魂として地球人の肉体に宿り、地上に生まれてきています。そして、今後、肉体を持って移住してくる人たちが地上に住むための準備をしています。
 このように、地球人の肉体に宿り、地上で魂修行をした人たちを先達として、プレアデス星人たちは、本格的な移住ができるように計画しているのです。
 そうした異星人たちの移住は、世紀が変わることから起こり、少しずつ明らかになってくるだろうと思います。その動きは二十一世紀から始まりますが、二十五世紀、二十八世紀、三十世紀と、だんだん本格的なものになっていきます。異星人が大編隊を組んで地球に移住してくるようになるのです。
 しかし一方では、地球の古い人類の一部が地球を去っていきます。霊的に去っていく人たちもいますが、肉体を持ったかたちで、いろいろな乗り物に乗って地球を去る人たちも出てきます。
 そうした人たちは、さらに進化した惑星を目指したり、あるいは、進化の途上にあって、まだいろいろな可能性のある惑星を目指していくのです。
 それは、これから約十世紀のあいだに起きてくる出来事です。その間、みなさんはおそらく一回や二回は地上に生まれるでしょう。そして、そうした出来事を現実に体験するだろうと思います。霊的世界においては、これはすでに計画として見えていることであり、かなり前から準備が進んでいるのです。
(56~57ページ)

世間の「常識」からは、かなり外れた話なんだけど、人間の魂は、太陽系とか地球という修行場に縛られているのではない。

実は、大きく、長ーい目線で見ると、銀河系の果てからやってきたり、逆に行ってしまったりして、大銀河のスケールで、修行場を変えていく魂さえもいる──。

こんな壮大な教えを受けてしまうと、自分の抱えている悩みって、とっても小さなものだったんだなあって、改めて感じたりします。

しかも、1989年の段階でのこの教えのとおり、大川隆法先生は、その後、宇宙人の魂が宿った人をリーディング(霊査)して、宇宙人の魂に言葉を語らせ、数多くの書物として出版するという、もうあり得ないような御業(みわざ)を、数多く示しておられるわけです。

こういった大きな視点(神様の視点ですよね)を、話としてだけでなく、客観的事実として立証する領域まで踏み込み、どんどんと進んでおられる。

だからこそ、大川隆法先生のお教えは、ほんとうに救世の法だったんだと、改めて私は思うのです。

 

『ユートピア創造論』

 大川隆法著

 

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なんで私って、もっと美人に生れなかったのかしら。なんでオレって、もっと頭よく生れなかったのかなあ。背が高かったらよかったのに。あちこち気が多い性格って、どうしてなんだろうなあ?・・・なーんて、自分の体とか性格とか、いろいろ不満を持っている人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 人とくらべて、自分の足りないところばかりを嘆いたり恨んだりする前に、自分に与えられているものは何かを考えて、その長所を徹底的に伸ばしていくべきではないでしょうか。そのなかに、みなさんの人生の問題集に与えられた一つのヒントがあるのです。
 一人ひとりの人生というものは、なぞであり問題集であるのですが、この問題集には必ずヒントがあります。自分自身を第三者の目で眺めたとき、他の人より優っているところがあるはずです。あるいは逆に、他の人より極端に劣っている面もあるはずです。
 このように、性格や才能、肉体的な問題を他の人とくらべて、異常に突出したり、あるいは異常に窪んだりしている部分があれば、それが取りも直さず、その人の人生の問題集を解くためのヒントになっているのです。
 そして、そうした課題がなぜ与えられているのかに対して、積極的に答えていこうとすることが大切です。そこには、今回の人生修行の目的の一つが明確に現われているからです。
 身体的ハンディ、精神的ハンディ、能力的ハンディなど、いろいろなものがあるでしょうが、そこに、その人の今世の人生における目的と使命が明らかにされているのです。
(107~108ページ)

繰り返しくり返し出てくるけど、「人生は一冊の問題集」。人と比べて自分が違うところって、誰もが気になるんだけど、そこに問題集の大事な大事なヒントが隠されてる。それを見つけて、自分だけの問題を解いていく・・・。

人生って、実は、楽しい謎解きの旅でもあったんですね!

 

『永遠の法』

大川隆法著

 

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ルルドの泉で奇跡が起きたというのは、興味がある人にとっては有名な話なんだけど、宗教を信じて病気が治るって奇跡なんて、ほんとうに起きるのかなあ。そのメカニズムみたいなものって、合理的に説明できるんだろうか。そんな奇跡って、ルルドのあるフランスだけじゃなくって、日本でも起きるものなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ルルドの地に聖母マリアが現れ、その実証の一環として、「病気が治る」という奇跡が起きました。しかし、実は、ルルドの泉自体は、そこで起きる奇跡とは、まったく関係がないのです。泉の水の成分も関係がありません。
 ずいぶん多くの人が、その地に行っています。しかし、実際に病気の治る確率は百分の一もないでしょう。病気が治った例は、ごくわずかです。いろいろな人がルルドに行きますが、そのなかで、奇跡が必要な人には奇跡が現れてくるわけです。それが天上界の計らいなのです。全員が治るわけではありません。
 奇跡が必要な人とは、一つには、仏神の証明役として予定されている人です。もう一つには、奇跡が起きることによって、その後、大きな活動が期待できるような人です。この条件を満たす人に奇跡が起きるのです。(中略)
 その泉にまつわる高級霊たちが、伝道の観点から奇跡現象を起こしているのです。彼らは、奇跡が必要だと思われる人に対して奇跡を起こし、そうでない人に対しては奇跡を起こしません。(中略)
 場所も、水や木や砂なども、ほんとうは関係がありません。そういうものは、縁をつくっているだけのことで、奇跡とは関係がないのです。
 宗教の支援霊団、指導霊団は、「奇跡を起こそう」と思えば、いつでも、どこででも起こせます。ただ、彼らは賢いので、よく考えた上で、それを行っています。
 当会においても、あちこちで、そのような現象が起きていますが、あえて大きくは取り上げていません。
 たとえば、私の法話のビデオを観ただけで病気が治る人もいます。奇跡が当会の活動の中心になれば、そういうことは数多く起きてくるはずです。しかし、そちらを中心にはしていません。
 なぜかといえば、そうなると、信者たちが勉強をしなくなるからです。奇跡がたくさん起きると、「ああ、おもしろい」と言って、そのことばかりに夢中になり、勉強をしなくなるので、抑えをかけています。
 奇跡については、あまり起きると、地上の人間たちがおもしろがり、期待しはじめるので、支援霊、指導霊によって調整がなされています。
 ほんとうは、支援霊団、指導霊団が本気で「やろう」と思ったならば、あらゆることが可能です。ただ、三次元世界は霊界とは違う世界なので、奇跡は一定の例外としてのみ許されており、それをどういうかたちで起こすかは、ほとんど彼らの判断にかかっているのです。
 もっとも、信仰心とのかかわりで言えば、「信ずる者のところに奇跡を起こしたい」ということは彼らも考えています。どうしても、そういう面があるので、「信仰心は奇跡を起こす原動力になる」と言えます。
(171~175ページ)

考えてみると、このお教えをご紹介している私自身も、幸福の科学を信仰していて、大小の奇跡をいくらかは体験してきた気がします。

でも、たしかに幸福の科学って、そんな奇跡を強調しないんですよね。

日々、教学し伝道しつつ、努力精進していくなかに、場合によっては奇跡が与えられることもあるだろう。

それが、幸福の科学の信仰の基本スタンス、だったんですね。

今日のお教え。改めてとても勉強になった気が私はするのです。

 

『信仰のすすめ』

大川隆法著

 

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