ちょっと哲学的かもだけど、 愛の対極にあるものって、何なんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『真実への目覚め』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
愛の対極にあるものは何でしょうか。
通常、「愛の対極にあるものは憎しみだ」と言われることが多いでしょう。
しかしながら、私は、「愛の対極にあるものは、実は、憎しみではなくて嫉妬である」と感じています。
例えば、家庭が崩壊する場合を見ても、憎しみによって崩壊するのではなく、嫉妬によって崩壊することが数多くあります。また、人間関係が壊れる場合を見ても、憎しみによって壊れるのではなく、嫉妬によって壊れていくことが数多くあります。(中略)
愛の対極にあるものは嫉妬です。(中略)
人間は誰に対しても嫉妬をするわけではありません。そうではなくて、自分が最も強い関心を持っている方面で優秀な人に嫉妬心を持つのです。
例えば、みなさんが「サッカーの選手になりたい」と強く願っていれば、自分よりサッカーの上手な人を見ると、嫉妬を感じます。しかしながら、「サッカーの選手になりたい」と思っている人が、柔道の選手を見て嫉妬することは、あまりないのです。
同じように、「お金が欲しい」と強く願っていると、お金持ちは嫉妬の対象になるでしょうし、「異性から愛されたい」と強く願っていると、異性から愛されている人に対して嫉妬の心が湧いてくると思います。
そのように、第一段階として、「愛の対極にある嫉妬は、本当は、自分がなりたい理想像、自分が『あのようになりたい』と願う理想像を打ち壊そうとする、心の作用である」ということを知らなければなりません。
本当は、表面意識下では実現を願っているにもかかわらず、目標になるべき方向にいる人に嫉妬することによって、みなさんは、その方向に進むことができなくなるのです。なぜならば、みなさんには、嫉妬をしている対象に対して、必ず、批判をし、悪口を言い、その人の欠点を指摘するようになる傾向があるからです。
ここは大事なところです。みなさんが心に感じる嫉妬が、「本当は、この人のようになりたい」と思う人に対するものであることを、素直に認めることができたならば、嫉妬の心を抑えて、逆に祝福の心を持っていただきたいのです。
祝福の心は「肯定の心」です。「かくありたい」と願う心です。祝福の心は、「他の人の幸福を願う心」なのです。
その心を持っていれば、みなさんは、自分が祝福している人の方向に向かって、人生を歩んでいくようになるのです。
(114~118ページ)
愛の対極にあるものは、実は、憎しみではなくて嫉妬である。
人は自分が最も強い関心を持っている方面で優秀な人に嫉妬心を持つものであって、嫉妬とは、自分がなりたい理想像を打ち壊そうとする心の作用と知らなければならない。
逆に、祝福の心は「肯定の心」であり、「他の人の幸福を願う心」であるから、この心を持っていれば、自分が祝福している人の方向に向かって人生を歩んでいくようになる――。
今日は、幸せな人生を送りたいのであれば、自然に出てきがちな嫉妬の心を抑えて、祝福の心を持つこと、と教えていただきました。
要は、うらやましいなあという感情がわいてきたら、とにかくその人に対して、にっこり笑って「おめでとう!」と言ってしまうことです。
このお教えを素直に守ることは、少しの努力で誰でもできるもののように思えます。
そして、実際にこの努力でよい方向に進んで行けることを、間違いなく保障できると改めて私は思っているのです。
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『真実への目覚め』
大川隆法著
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