ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



私って、職場でセクハラ受けてるんだよね。ひどいでしょ。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、1992年に刊行された『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 中年の管理職の方がたは、自分が入社したときの感覚といまの感覚とはずいぶん違ってきているのに、その違いがわかりきらないでいるのです。そして、どうしていいかわからなくて、不器用なことをする人が多いのではないかな、というふうに私は思います。(中略)男性が感じているものと女性が感じているものとでは、感じ方が違うということだけは第一の前提として認めておいてください。(中略)
 いま、女性のなかにもひじょうに複雑なものがあります。男性と同じように扱ってほしいという要求がひじょうに強くなっている反面、男性とは違うように扱ってほしいという要求も出ています。
 同じところで仕事をしている男性にとっては、その使い分けがよくわからないのです。男性と同じに扱ってほしいのか、同じように扱ってほしくないのか、どの部分は男性と同じように扱ってほしく、どの部分は扱ってほしくないのか、それがわからない。それでひじょうに混乱しているというのも、また事実です。
 そういうわけですから、いまはまだ確たるカルチャーが形成されていない過渡期であるというふうに私は思います。こうしたときに、やはり女性の側からも、「私たちはこのように扱われたいのだ」というカルチャーが次第次第にできていくように、雰囲気をつくっていくことも大事ではないでしょうか。
 その際に、「昇進、あるいは出世は男性と同じように扱ってほしい。しかし、言葉遣いその他の扱い方は、男性に対するのとはまったく別にしてほしい」とか、いろいろと難しい注文をつけることと思います。ただそうした注文は、あなたは気づいていないかもしれないけれども、もしかすると、別なところにあるあなたの悩みが、まったく違ったかたちで噴き出しているだけかもしれません。
 もしかすると、ご両親に対する不満や、あるいは彼に対する不満、そうしたものが姿を変えて職場で出ているだけなのかもしれません。そういうことも、どうか心にとめておいてください。
 いずれにしても、女性の七割、八割が職場で働くような時代になってきました。ひじょうに難しい時代です。そのなかで、どのような方向がほんとうに正しいのか、誰もがわからなくなってきています。
 ただ、私が言っておきたいことは、人にこうしてほしいということを要求する人間ばかりが出てきたら、世の中は難しくなる一方だということです。そうではなくて「自分にはどのようなことができるだろうか」ということをつねに考えるような人間が満ちてきたら、男性であれ、女性であれ、おそらくお互いにひじょうに助け合うことができる楽しい社会になるだろうな、と思っています。
 どうか、自分はこういうことをしてほしい、ということばかりを主張する人間になるのではなくて、自分もなにかお手伝いができる、あるいは自分にできることはなにかないかということを考える習性を身につけてください。
 セクハラの究極の問題は、意外にあなた自身の心のあり方に関係があるのかもしれません。
(198~204ページ)

男性と女性では感じ方が違う。女性側からは、男性と同じように扱ってほしい反面で、違うように扱ってほしいという要求もあるが、男性側が、まだその使い分けがよくわからず、混乱している事実もある。

女性側の要求は、もしかすると両親や恋人への不満などが、姿を変えて職場で出ているだけかもしれない、という視点も必要である。

人に要求するばかりではなく、自分には何ができるかと常に考える人間が満ちてきたら、互いに助け合える楽しい社会になる、と知ってほしい──。

大川隆法先生は、例外的にひどい事案は別にして、このセクハラの問題一般を、男女が数多く同じ立場で働くようになってから、まだ確たるカルチャーが形成されていない過渡期の問題と捉えておられるようです。

その上で、柔らかくしかし少し強めに、女性側に対して、この問題は自らの自身の心のあり方に関係があると考えてみたらどうかと、アドバイスしておられるわけです。

要するに、職場における男性側はもちろん、女性の側も、人に要求する「奪う愛」でなく、自分には何がしてあげれるかと考える「与える愛」の気持ちで互いに仕事をすることができたならば、このセクハラの問題は自然に解決していくってこと、なんですよね!



『幸福のつかみ方』

 大川隆法著

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最近、口先介入で円安にしてしまって、市場を混乱させた大臣もいたけどさ、円高って悪いことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 最近は円高傾向にありますが、一般に、「輸出においては、円安のときのほうが、外国の人がたくさん買ってくれるので儲かる。輸入においては、円高のときのほうが、外国の物が安く買えるので輸入業者は楽になる」と言われています。
 こういう外国為替、国際金融の世界においては、ドルと円、あるいはユーロと円の交換比率が日ごとに変わってきて、輸出と輸入に影響を与えるのです。
 私は、今は宗教家ですが、商社に勤めていたときには国際金融のプロフェッショナルでした。経済や経営について、私はほかの宗教家よりも少し厳しいことを言っているかもしれませんが、それは、ある程度、見えるところがあるからです。
 一九八二年から八三年ごろ、私はアメリカに行っていました。一九七〇年代に、「一ドル三百六十円」という固定相場制度が崩れて自由相場になり、一ドル三百円あたりをうろうろしたあと、三百円を切りましたが、私がアメリカに行ったときは、ちょうど一ドル二百七十円から二百八十円ぐらいのころです。
 私は、外国為替の実務担当者兼責任者として行っていたのですが、一ドル二百七十円から二百八十円というのは、私の感覚として、どう見てもおかしく感じたのです。(中略)「近いうちに二百円を割って、一ドル百九十円か百八十円ぐらいになります」と会社のほうにレポートを書いて提言したのですが、そのとおりになりました。そして、「もう少し先のことになりますが、次は百円を割ります」ということも言っていたのですが、これも、やがてそのとおりになりました。
 一ドルが三百円台から二百円台になったころ、「日本は不況になる。会社が潰れる」と大騒ぎになっていましたし、二百円を割ったときにも、「不況になる。潰れる、潰れる」と言われていました。ところが、日本は潰れてはいません。最近は、百円を割ったため、また、「不況になる。潰れる」と言われていますが、そんなことはないと思います。
 もし、円高が進んでいって、一ドル一円にまでなったら、「もう駄目だ、潰れる」と言われるでしょう。
 確かに、潰れるところもあるかもしれませんが、あえて発想を転換すれば、一ドル一円になったら、「アメリカ合衆国そのものを“買い取る”ことができる」という考え方もあるのです。日本が潰れても、アメリカの資産を買い取ってしまえば、事実上、国土が二十五倍ぐらいになるので、別にかまわないとも言えるわけです。
 また、「潰れた国があったら、丸ごと買収してしまえばよい」という考えもありえます。おそらく、幾つかの国は、完全にお手上げ状態になって潰れるでしょう。そういう国を丸ごと買ってしまうという考えも、発想としてはありうるわけです。円高なのだから、買うことは可能です。
 そんなことを考えつく人は誰もいないでしょう。「一ドル一円まで行ったらアメリカを買えてしまう」と、私などは発想してしまいます。国際金融のプロというのは、そういう誰も考えていないことを考えるのです。
(75~79ページ)

外国為替、国際金融の世界では、たとえばドルと円の交換比率が日ごとに変化して、輸出と輸入に影響を与える。

輸出では、円安のときのほうが儲かる。輸入では、円高のときのほうが楽になる。

円高が進んで、1ドル1円にまでなったとしても、あえて発想を転換すれば、そのときはアメリカ合衆国そのものを“買い取る”ことさえできる──。

要は、外国為替の水準なんて、そんなに単純なものじゃないんだから、円高が悪いとか円安がいいとか一方的に決めつけるのは間違いなんだってこと、なんですよね!



『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』

大川隆法著


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