ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



このあいだ亡くなった渡辺淳一の代表作のひとつに、「失楽園」って小説があったけど、あれに描かれた世界って、考えようによっては極楽なんじゃないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『「失楽園」のその後』――痴の虚人 渡辺淳一 直伝(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 それは突然にやって来た。ある意味で、来るべくして来たと言ってもよかろう。本年の四月三十日に亡くなられて十日余りで私のところにやって来た。生前に面識があったわけではないが、宗教の伝統的価値観とは対立し、説得する気持ちを持ち続けておられたに違いない。
 渡辺淳一氏は、作家としては有名で、様々な文学賞や勲章まで手に入れられた方である。小説『失楽園』は、二百五十万部以上の売れ行きだったといわれており、その映画化も社会にかなりのインパクトを与えたのは事実だ。
 私は「まえがき」で本書の結論を書くほど野暮ではない。本書で渡辺氏は独特の「性愛哲学」を展開しておられる。これに対して、私の教えを受けている編集局系の三人の宗教人が論戦を挑んでいる。価値観を巡ってのある種のディベイトであることは間違いない。どちらに強く魅かれるかで、あなたにとっての死後の「失楽園」を悟る方もいるだろう。
(1~2ページ)

本書の帯には、「不倫っていう考え自体が間違ってる。人間が勝手に決めたルールに過ぎないんです」という、渡辺淳一の霊の言葉(「霊言」)が、書かれています。

こういう考え方をしている渡辺氏は、死後、どういう世界に還っているんでしょうか。

渡辺氏と大川隆法先生の3人の弟子とのディベートは、何が論点になり、どういう結果になったんでしょうか。

まえがきだけではよく分からないのが残念なところですが、その答えを知りたい方こそ、ぜひとも本書をお読みになることを強くお勧めしたいと私は思うのです。
 

『「失楽園」のその後』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ちょっと哲学的かもだけど、 愛の対極にあるものって、何なんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真実への目覚め』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 愛の対極にあるものは何でしょうか。
 通常、「愛の対極にあるものは憎しみだ」と言われることが多いでしょう。
 しかしながら、私は、「愛の対極にあるものは、実は、憎しみではなくて嫉妬である」と感じています。
 例えば、家庭が崩壊する場合を見ても、憎しみによって崩壊するのではなく、嫉妬によって崩壊することが数多くあります。また、人間関係が壊れる場合を見ても、憎しみによって壊れるのではなく、嫉妬によって壊れていくことが数多くあります。(中略)
 愛の対極にあるものは嫉妬です。(中略)
 人間は誰に対しても嫉妬をするわけではありません。そうではなくて、自分が最も強い関心を持っている方面で優秀な人に嫉妬心を持つのです。
 例えば、みなさんが「サッカーの選手になりたい」と強く願っていれば、自分よりサッカーの上手な人を見ると、嫉妬を感じます。しかしながら、「サッカーの選手になりたい」と思っている人が、柔道の選手を見て嫉妬することは、あまりないのです。
 同じように、「お金が欲しい」と強く願っていると、お金持ちは嫉妬の対象になるでしょうし、「異性から愛されたい」と強く願っていると、異性から愛されている人に対して嫉妬の心が湧いてくると思います。
 そのように、第一段階として、「愛の対極にある嫉妬は、本当は、自分がなりたい理想像、自分が『あのようになりたい』と願う理想像を打ち壊そうとする、心の作用である」ということを知らなければなりません。
 本当は、表面意識下では実現を願っているにもかかわらず、目標になるべき方向にいる人に嫉妬することによって、みなさんは、その方向に進むことができなくなるのです。なぜならば、みなさんには、嫉妬をしている対象に対して、必ず、批判をし、悪口を言い、その人の欠点を指摘するようになる傾向があるからです。
 ここは大事なところです。みなさんが心に感じる嫉妬が、「本当は、この人のようになりたい」と思う人に対するものであることを、素直に認めることができたならば、嫉妬の心を抑えて、逆に祝福の心を持っていただきたいのです。
 祝福の心は「肯定の心」です。「かくありたい」と願う心です。祝福の心は、「他の人の幸福を願う心」なのです。
 その心を持っていれば、みなさんは、自分が祝福している人の方向に向かって、人生を歩んでいくようになるのです。
(114~118ページ)

愛の対極にあるものは、実は、憎しみではなくて嫉妬である。

人間は自分が最も強い関心を持っている方面で優秀な人に嫉妬心を持つものであって、嫉妬とは、自分がなりたい理想像を打ち壊そうとする心の作用である、と知らなければならない。

逆に、祝福の心は「肯定の心」であり、「他の人の幸福を願う心」であるから、この心を持っていれば、自分が祝福している人の方向に向かって人生を歩んでいくようになる――。

幸せな人生を送りたいのであれば、自然にわいてきがちな嫉妬の心を抑えて、祝福の心を持つこと、というお教えだと思います。

要するに、うらやましいなあという感情がわいてきたら、その人に対してとにかく、にっこり笑って、「おめでとう!」と言ってしまうことです。

このお教えを素直に守ることは、少しの努力で誰でもできるものですし、それで自分もよい方向へと進んで行けるのは間違いなく保障できると私は思うのです。
 

『真実への目覚め』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




共産党って、人間に優しい政治をめざした政党なのに、なぜ支持者が増えないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『共産主義批判の常識』――日本共産党 志位委員長守護霊に直撃インタビュー(幸福の科学出版)で、日本共産党の志位和夫委員長の守護霊の言葉(「霊言」)を、インタビュー形式で次のように紹介しておられます。

綾織 『共産党宣言』のとおりにやっていくのですか。「相続権の廃止」とか、「銀行の独占」とか、「運輸機関の国有化」とかもありますけれども。
志位和夫守護霊 ん? それは、そうでしょう? だって、生まれただけでさあ、親の巨大な土地から、財産から、家から、貯金から、全部もらえたら、身分の格差がものすごく開き、また大地主が始まって、貴族階級が復活するじゃないですか。
小林 確認ですけれども、『共産党宣言』には、「金融機関は、国営の銀行一本に統一する」というように書いてありますが。
志位和夫守護霊 もちろん、それで、よろしいですよ。うん。(中略)
 まあ、だから、国営銀行……、日本銀行は、共産党が支配するわけだから、日本銀行券は、共産党券になるし、一万円札には、志位和夫の顔が刷られるわけですよ。(中略)
 そういうふうになるわけで、いくら刷るかは、私のさじ加減だ。(中略)
小林 『共産党宣言』には、「累進課税を強度に強化する」ということも載っていますが、いかがでしょうか。
志位和夫守護霊 うん、そう。まあ、ちょっと、マルクスやから、生ぬるいところがあるよな。そのへんに、ちょっと、「世間に迎合しよう」という気持ちがまだ残ってるよな。
綾織 本心としては、累進課税ではないわけですね?
志位和夫守護霊 まあ、累進課税なんていうのは要らなくて、もう、全部取ったらいいのよ。(中略)
 うんうん。だから、最低限の生活費を超えたものは全部取ったらいいのよ。累進なんていうのは、ちょっとねえ、まだ妥協する気持ちがあるね。「ほかの政治勢力が強い」ってことを認識してるんだ。(中略)
 まあ、人間に優しい政治をやれば、基本的にそうなるんだよな。基本的にそうなるんだよ。うん。
 これが、“最大多数の最大幸福”なんだよ。よく、おたくの教祖に言うといてくれ。“最大多数の最大幸福”っていうのはねえ、要するに、みんなをフラットにすることなんだよなあ。(中略)
 みんな、フラットにするんだ。これがいいんだ。そら、そうですよ。ピザをみんなで分け合って食べるときに、一切れだけ大きさが違ったら怒るでしょうがあ。(中略)
 “最大多数の最大幸福”が共産党員の幸福で、それを聞かない安倍みたいな連中は、“最大多数”から、ちょっと外れる。一部、「安倍一族を、今、どのように退治するか」っていう問題が残るけど、このへんは処刑されるから。
小林 あっ、処刑ですか。
志位和夫守護霊 だから、一部、不幸になる人が出るけれども、九十九パーセントの人は幸福になるんだよ。うんうん。そういうことですよ。
(191~198ページ)

(日本共産党が政権を取ったら)マルクスの『共産党宣言』に書かれているとおり、相続権の廃止、銀行の独占、運輸機関の国有化をやっていく。

しかし、「累進課税を強度に強化する」程度では生ぬるいので、最低限の生活費を超えたものは全部取る。このように、みんなをフラットにするのが“最大多数の最大幸福”である。

安倍首相一族などは処刑されるから、一部、不幸になる人は出るけれども、99パーセントの人は幸福になる――。

政権与党を批判する舌鋒は鋭いですけど、いざ自分が政権を取ったらどんな政治をするつもりか、その本心を、日本共産党の指導者の守護霊が語ったやり取りの箇所です。

肉体を持ったご本人の話はなんだか分かりにくくとも、守護霊はとてもストレートに本心を語ってしまうわけで、要するに、マルクスの「共産党宣言」のとおり、場合によってはそれを先鋭化させた政治を考えていることになりそうです。

そうすると、邪魔な人たち(ここでは安倍首相の一族が例として挙げられています)は、“処刑”してしまうことになるわけです。

そして、“みんなをフラットにする”と言いながら、そう言っている自分だけは、その“フラット”な一般大衆とは別の存在と考えているわけで、そんな政治は、かつてのソ連で、そして今もまだ中国や北朝鮮で、実際に行なわれていることに気がつきます。

そんな政治思想(マルクス主義)が、本当に正しいと言えるんでしょうか。神仏に教えていただくまでもなく、答えはもう明らかではないかと私は思うのです。
 

『共産主義批判の常識』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




法哲学って、むずかしいよね。どんなテキストを読めば、分かるようになるのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『法哲学入門』――法の根源にあるもの(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 戦後七十年の日本は、「立憲主義」に呪縛されてきた歴史であったといっても過言ではない。占領軍GHQ本部主導で、二十代女性も含めた数名の法律の専門家ともいえないアメリカ人たちが、一週間ばかりで作成した英文の日本国憲法(とその翻訳)が、神から降ろされたモーセの十戒の如く厳守された時代でもある。
 立憲主義とは、憲法を最高法規として、公務員を縛り、各種法令や政策にも制約をかけてゆく考え方であるが、根本には神の首をハネたカント的な理性万能主義があると思う。
 これに対し私は、法の根源にあるものとは何かを、本書で縦横無尽に説いた。はっきり言えば、人間の創った法が、神の法や仏の法を超えてはならないのだ。神仏の法を根源としつつ、変動していく社会に適した実定法が定められていくべきだと思う。国民のその時代の「空気」が、必ずしも神意や仏意でもないことを深く肝に銘ずるべきであろう。
(1~2ページ)

戦後の日本は、憲法を最高法規とし、神の首をハネた理性万能主義が根本にある「立憲主義」に呪縛されてきた歴史であった。

しかし、人間の創った法が、神の法や仏の法を超えてはならない。神仏の法を根源としつつ、変動していく社会に適した実定法が定められていくべきだ。

国民のその時代の「空気」は、必ずしも神意や仏意でもない――。

単純に、憲法は一字一句いじってはいけない、と考えているような方もいますが、大川隆法先生は、それは「立憲主義」の「呪縛」だと考えられるわけです。

世論調査で数字が出てくる民意はぜったいだ、というように考えている方もいますが、大川隆法先生は、それは国民によるその時代の「空気」にすぎないのであって、必ずしも「神意」でなければ「仏意」でもない、と考えられているのだと思います。

さまざまな事例を取り上げることで、法律というのを勉強したことがない人にも理解できるように、法の根源にあるものとは何かを、まさに縦横無尽に説いて下さっています。

本書は、「新・日本国憲法試案」をはじめとするこれまでの法律関係の著書では十分に説かれていなかった、「法律」がどういう方向で創られていくべきか、その根本理念を示された重要書籍ではないかと私は思うのです。
 

『法哲学入門』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




中日新聞って、ちょっと左翼に偏向した報道をしてる、なんて話を聞いたことがあるんだけど、でも、地方紙だから、そう気にすることないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「中日新聞」偏向報道の霊的原因を探る』――小出宣昭社長のスピリチュアル診断(幸福の科学出版刊)で、インタビューアとのやり取りの形で、次のように説いておられます。

大川隆法 ともすれば、われわれは、中日新聞というと、「地方紙だ」と思いがちなのですが、日本の新聞には、全国紙と地方紙以外に、ブロック紙というものがあります。中日新聞は、そのブロック紙に当たり、愛知県を中心に出てはいますが、岐阜・三重・滋賀・静岡・長野と広がっています。
 また、実は、東京新聞なども中日新聞が発行しており、こうしたことを、東京都民のほとんどが知らない可能性は高いと思います。したがって、「中日新聞は、東京・神奈川・埼玉・千葉・栃木・群馬・茨城にも出している」ということになります。
 さらに、北陸でも発行していますよね。

小林 実は、北陸でも、同じ紙面で、あと二社出しています。

大川隆法 北陸新聞ですか。

小林 北陸の地域で、いわゆる「中日」の名前が入った新聞と、あともう一つは別名ですが、同じ紙面で出しているものがあるので、それを加えますと、実は、毎日新聞の発行部数を超えて、三百五十万部以上あります。

大川隆法 超えてくるんですね。要するに、毎日新聞を超えるぐらいの部数を持っているわけですから、意外に“伏兵”なのです。
 だから、「地方紙だ」と思って甘く見て、「大したオピニオン性はないだろう」と思っていると、意外に、経営体質が強く、頑固で、言論を揺さぶっている可能性があります。特に、東京新聞を持っているために、中部経済圏から東京発信の言論を揺さぶっている可能性がないわけでもないのです。
 われわれからは左翼に見えるのですが、中部圏から東京を揺さぶることによって、東京中心型の経済を、事実上、引っ繰り返そうとしている可能性もあるのです。そのあたりを、少し調べてみる必要はあると思います。
 しかし、こういうことは、なかなか分からないものなんですね。日本の場合、メディアがいろいろなところにまでつながっていて、実に経営体が大きいのです。
 一方、アメリカなどでは、州レベルとか、多くても部数が十万部ぐらいしかないような小さい新聞社が、けっこう数多くあります。時差があって同時に出せないところもあるのかと思いますが、全国紙というものがなく、そういう意味で、権力が分散しています。
 幅広い地域で出しているものは、一定の洗脳をかけられるところがあるため、こうしたメディアにも、宗教のような、ある種の意見の偏向を押しつける力があるわけです。このあたりは、気をつけなければいけないところかと思います。
(16~18ページ)

アメリカには、州レベルとか、多くても十万部ぐらいしかない小さい新聞社が数多く、全国紙というものがないため、権力が分散している。

中日新聞は、愛知県を中心に、岐阜・三重・滋賀・静岡・長野と出しているし、実は、東京新聞として、東京・神奈川・埼玉・千葉・栃木・群馬・茨城にも出し、さらには北陸でも2つの新聞を同じ紙面で発行している。

これらの発行部数は、毎日新聞を超えて、350万部以上あり、ある種の意見の偏向を押しつける力があるのは、気をつけなければいけない――。

一般に「五大紙」と言われるのは、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞だと思います。

その中でも、350万部より多いのは、1000万部と言われる読売新聞と、800万部と言われる朝日新聞だけで、毎日新聞は340万部、日経も産経もそれより少ないと言われますから、これが「偏向報道」していたとしたら、大変なことです。

その社長である小出氏が、本音でいったい何を考えているのか、その紙面を偏向させているような事情があるのかは、とうてい小さな話ではありません。

本書のまえがき、あとがきで、すでにその一部が明かされているわけですが、さてさて、その真相やいかに。

『「中日新聞」偏向報道の霊的原因を探る』大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




経営学って、勉強してるんだけど、なんだかよく分からないんだよね。オレの頭が悪いのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は大学で科目として経営学も取りました。試験があるので、いちおう、大学の先生の書いた教科書を読んで答案も書きましたが、教科書を読んでも、「経営学なるものが、いったい何なのか」ということは分かりませんでした。
 実際に組織を運営して初めて、経営なるものの正体が分かってきたのです。人を雇ったり、お金を動かしたり、建物を建てたり、出版社をつくったりと、実際に事業をやり始めたら、経営なるものの正体が分かってきましたが、大学で経営学そのものを習っても、どうしてもピンと来なかったんです。
 私が使った教科書は東大の教授が書いていました。岡本教授という企業経営の教授で、わりに有名な人だったんですが、「先生は経営ができるんですか」と訊くと、「私は、文献を読んで本を書いているだけで、経営ができるかどうか分からない」と言っていました。(中略)
 この辺について、アメリカは、仕事の経験のある人を大学に呼んだりしているので、確かに偉いと思います。日本の大学は、“象牙の塔”とも言われるように、人材を下から引き上げてくるので、仕事の経験をしないままで、けっこう教授になれることがあるのです。(中略)だから、日本の場合、学問的に役に立たないことが多いんですね。
 同じく経営学でも、ピーター・F・ドラッカーという人は、実際にGM(ゼネラル・モーターズ)などの企業にコンサルタントとして入った経験から、経営学の体系書をつくっています。ドラッカーには、抽象化して体系化する能力があったのでしょうが、彼の本には、やはり、役に立つところがありますね。
 「授業を聴いても分からなくて、勉強と自分とが遊離している」と学生が感じるのは、ある意味で、日本の学問の欠点であると思うんですよ。
 先生自身、経営や仕事のことを知らないまま教えているし、学生も、分からないのに聴いているようなところがあります。
 だから、答案で「優」を取ったからといって、実は、それが、経済が分かったり経営ができたりすることにはつながらなくて、「その先生の学説を、よく理解し、暗記できたかどうか」ということにしかすぎない場合がよくあるのです。
 私は大学では法律学や政治学を専攻したのですが、会社に勤めてから実際にタッチしたのは「経済」や「経営」関係でした。そうすると、経済関係の本やビジネス書を読んでも、「ああ、こういうことなんだな」と、その意味が分かってきたのです。
 最初は貿易実務の本あたりから読み始めました。それから、金融の本を読み出し、だんだん余力が生まれて、会社全体のことを考えるようになると、経営レベルの本に手を出すようになっていきました。そのころに、いろいろと勉強したものが、今、役に立っているんです。
(134~140ページ)

今の大学で経営学を勉強しても、経営学なるものがいったい何なのかは分からない。

日本の大学で「優」を取ったとしても、実はそれは経営ができることにつながらず、「その先生の学説を、よく理解し、暗記できたかどうか」にすぎない場合がよくある。

これは、日本の大学の学問の欠点である――。

幸福の科学は、来年の4月に、幸福の科学大学を開学するのですが、そこには、経営学部ではなく、経営成功学部を創ると発表されています。

ここで「成功」とあえて付けられている理由については、すでに詳しく説明されてはいるのですが、ただその背景には、今日のお教えで紹介された日本の大学への大きな不満もあるのではないかと私は思うのです。

 

『知的青春のすすめ』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




幸福の科学って、なんで政治に進出しようとしてるのかね。宗教だけやってたら安泰なのに、なんだかいろいろ説明されても納得できないんだけど、本音はどこにあるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大川隆法の守護霊霊言』――ユートピア実現への挑戦(幸福の科学出版刊)のまえがきで、こう説いておられます。

 少なくとも、幸福実現党の言論や活動が、この国のあり方に一定の影響を与え、その方向性を変えてきたことは事実である。この部分は否定できない。
 二〇〇九年以降、幸福実現党が存在しなかったとしたら、マスコミの多数は、「中国との友好」という方向に日本の活路を見出そうとしていたと思われる。
 それは、経済的に大きな成功を生みながらも、やがて、「中国の庇護下に入るかどうか」という決断を迫られることになる選択であったと思う。(中略)
 今の中国が、もっと世界の模範になるような国であるならば、(日本の)民主党政権のような選択もありえたであろうが、中国の態度は、世界の模範になる国家の態度ではない! それゆえ、その方向に日本が進むことに対して、「NO!」という厳しい言葉を突きつけたと考えてよい。(中略)
 アメリカ的価値観に近い国々のグループと、中国的価値観に近い国々とがあると思うのだけれども、「これは自由と平等の戦いではない」ということを知っていただきたいと思う。
 そして、「中国的価値観のなかには、神仏の考える平等とは違うものがある。これには、天上界を地獄界に変えようとする勢力が働きかけている」ということを、はっきりと申し上げておきたい。
 これは、「神仏の子としての魂が、自由を発揮して成長していく」という考えとは明らかに違うものである。
 また、すべての人間が神仏の子であるならば、人間が「自由な発展を求めるべき平等の権利」を有することは当然であろうけれども、中国的な価値観における平等は、長らく共産主義が支配してきたこともあり、「一部の為政者が民を黙らせるための平等である」と言わざるをえない。
 経済的な面から風穴が開きつつはあるけれども、基本的なところ、根本的なところが変わっているとは、まだ言えないと思う。
 いまだに、一部の指導階層が圧倒的多数を押し潰して搾取する体制であるし、自分たちの欲望のためには、他国を侵略して自国に組み入れることを「当然だ」とするような考え方である。
 つまり、これは、神仏の考える自由や、神仏の考える幸福とは違い、「地上にしか住みかがない」と思っている者の“自己発展”の姿であると思われる。
 自由と平等の戦いのように見えるかもしれないけれども、実際には、「神仏を信ずる者の勢力」と、「悪魔を信ずる者の勢力」との戦いであり、「第二の冷戦」が、今、行われているのだ。
 神仏の守りたる、この日本の国が、悪魔の支配下に入ることは、断じて許すことができない!
 それが幸福実現党の立党趣旨である。
(63~73ページ)

すべての人間が神仏の子であるならば、自由な発展を求める平等の権利を有するのは当然のことであるが、中国的な価値観における平等は、一部の為政者が民を黙らせるための平等にすぎず、そこには天上界を地獄界に変えようとする勢力が働きかけている。

アメリカ的価値観に近い国々と、中国的価値観に近い国々との戦いは、自由と平等の戦いではなく、実際には、神仏を信ずる者の勢力と悪魔を信ずる者の勢力との戦いであり、「第二の冷戦」が、今、行われている。

神仏の守りたる、この日本の国が、悪魔の支配下に入ることは、断じて許すことができない、というのが、幸福実現党の立党趣旨である――。

なぜ幸福実現党を立党したかについては、これまで繰り返し、創立者である大川隆法先生ご自身が語っておられます。

思い返せば、もう20年も前から大川隆法先生は、北朝鮮と中国の危険性をハッキリと説いておられました。

今回、大川隆法先生の守護霊が登場して、その心を、とても権威ある言葉で明確に語られています。

大川隆法先生の本心は、20年前から今に至るまで微動だにしておらず、その延長線上にとてもスムーズに幸福実現党の立党趣旨が導かれていることが、改めて確認できた気が私はするのです。
 

『大川隆法の守護霊霊言』――ユートピア実現への挑戦大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「一日一生」って言葉を聞いたことあるんだけど、どういう意味なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『朝の来ない夜はない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 本章には「一日一生で生きよ」という題を付けました。
 「一日一生で生きよ」とは、「一日の枠を一生だと思って生きよ」ということです。
 『聖書』にも、「明日は明日自ら思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり」という、イエスの言葉があります。
 やはり、その日その日を光り輝かせることが大事です。明日があると思わず、「今日、自分は何ができるか。今日、自分は、どう生きられるか」ということを問い続けることが大事なのです。
 私も一日一生のつもりで生きています。
 毎週のように全国各地の支部で説法をしていますが、「いつ死んでも悔いはない」というつもりでやっています。
 私の話を聴く人が百人であろうと、十万人であろうと、二十万人であろうと、私は、言うべきことを言うだけです。「ただ自分の使命を果たすのみ」という気持ちです。
 みなさんも、明日、命があると思わず、今日ある命、今日ある時間を有効に使ってください。「明日しよう」と思わないでください。今日やれることは今日やるのです。「明日がある」と思わないで、毎日毎日を闘いと思い、毎日毎日を宝物のような時間の連続だと思って生きてください。
 私も、そのつもりで生きているのです。
 人生は真剣勝負です。私はそう思って生きています。みなさんにも真剣勝負で日々を生きていただきたいと思います。
(204~205ページ)

一日一生で生きよとは、一日の枠を一生だと思って生きよということである。

明日、命があると思わず、今日ある時間を有効に使って、毎日毎日を闘いと思い、毎日毎日を宝物のような時間の連続だと思って生きることである。

人生は真剣勝負である――。

毎日、こんな思いをもって生きていけたら、たしかに人生を無駄にせず、何かを確実に付け加えていくことができるのではないでしょうか。

大川隆法先生の気魄に打たれ、その背に続いて、毎日を送って行くことができたらと、ほんとうに真剣に私は考えているのです。
 

『朝の来ない夜はない』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ね、首相公邸に幽霊がいるっていうけど、その正体って、東條英機と近衞文麿と廣田弘毅だったんだってね! 3人の霊は、首相公邸で何やってるのかね?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「首相公邸の幽霊」の正体』――東條英機・近衞文麿・廣田弘毅、日本を叱る!(幸福の科学出版刊)で、近衞文麿の霊の言葉(「霊言」)を、インタビュー形式で、次のように紹介しておられます。

里村 端的にお伺いしますけれども、「今、いるのが、日本の首相公邸である」ということは、ご存じでいらっしゃいますか。
近衞文麿 うーん? ま、日本の中心にいなきゃいけないでしょう?
里村 中心にいると?
近衞文麿 うーん。中心にいる。
里村 そこで、閣下は、何をしておられるのでしょうか。
近衞文麿 それは、この国の行く末を憂えておるのであって……。(中略)
綾織 「今、安倍晋三という方が首相をやっている」というのは分かっていらっしゃるわけですね?
近衞文麿 うん! 分かっている、分かっている、分かっている。だから、今、われら三人が“家庭教師”をやっているんじゃないか。
里村 あ! 恐れ入ります。(中略)そうしますと、安倍首相になられてから、首相公邸に来られましたか。 
近衞文麿 うん? いや、そんなことはないけれども、今、特に力が要るようにはなっておるな。
里村 野田さんの“家庭教師”はされていましたか。
近衞文麿 いや。していない。(中略)
綾織 今まで“家庭教師”としてしっかりと導いたのは、歴代の首相では、どういう方でしょうか。
近衞文麿 まあ、戦後の自民党政権に関しては、多少、影響は与えた。
 いや、入れ替わるんだ、ときどきな。だから、麻生君のときは、もちろん、吉田君が来ていましたよ。(中略)
綾織 歴史問題では、河野談話や村山談話がありますけれども、安倍首相は、いったん、「これを見直す」と言っておきながら、その後、ほとんど撤回しています。
近衞文麿 うーん。駄目だねえ。ああいう、中国やロシアに引っ張っていかれるようではいかんから、わしらが、何とかして鎖でつなぎ止めないといかんのでねえ。まあ、このままでは、この国は終わる。
里村 はい。
近衞文麿 何とかしなければならん。
 まあ、われらは、意見が違ったかもしらんけれども、身を挺して、この大日本帝国を守り抜いた者であるのであってねえ。
 だから、安倍をそのままで置いておくと、もう簡単に溶けてしまうので、やはり、それは“家庭教師”が必要だわな。
(62~71ページ)

どっひゃー! という感じです。

近衞文麿って、なんだか単に“戦犯”だったみたいに言われている、戦前の日本の重要な指導者たちの一人だと思います.

その責任感の一端が、冒頭で語られていますが、このあと、切々と語られる開戦前後の秘された歴史の真相は、ほんとうに興味深く、また眼からウロコの話ばかりだと思えます。

それにしても、本書が刊行されたすぐあとのことですが、安倍首相が、ようやく首相公邸に泊まるようになったという報道もありました。

安倍首相も、幽霊といっても、3人の元首相ということならしょうがない、と考えたのではないかと私は思うのです。
 

『「首相公邸の幽霊」の正体』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




オレの友だちって、スランプなんてなったことないって言うんだよね。なんでオレだけスランプなのかね? なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『忍耐の法』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 「スランプになったことがない」という人の場合、えてして、ごくごく平凡に生きていることが多いため、スランプに落ちようがないだけなのです。そういう意味では、「スランプがない」というのは、必ずしもありがたいこととは言えません。
 ろくに勉強もせず、運動もせず、仕事もせず、人間関係も全然考えずに、ただ、海のなかをフワフワしているクラゲのように生きている人にとっては、スランプ自体がないかもしれませんので、そういう場合は、どうぞ誤解なさらないでください。
 やはり、スランプとは、ある程度、他の人よりも優れて調子のよいときがあったり、才能なり仕事なりについて、「すごいですね」と称賛されたりするような人が、あるとき急に調子が悪くなることによって感じるものなのです。
 例えば、野球にしても、もともと一割しか打てないバッターが「スランプだ」と言ったところで、それはスランプではなく、「才能がない」ということでしょう。「どうしたのだろう。スランプだ。ボールが逃げていく」などと言っても、最初から当たらないものは当たりません。三割、四割と打っているバッターが打てなくなったらスランプでしょうが、そのへんについては勘違いしないようにしてください。そもそも基礎能力そのものに問題がある場合は、「スランプだ」などと言わずに、その能力を上げる訓練をしたほうがよいのです。
 あくまでも、スランプとは、ある程度、才能があり、仕事もエネルギッシュにこなしているような人の調子が悪くなることです。あるいは、理想が高く、常に、それを追い求めており、自分への要求レベルが非常に高いために、完全主義というか、「自分は、勉強も、運動も、仕事も、百点でなければ気が済まない」と思っているようなタイプの人だからこそ、スランプになるのです。
 そういう意味で、幸福の科学に集っている人には、理想家肌で、理想を求めているタイプが多いため、「『百パーセントの自分』、あるいは、『百点の自分』でないと、すごく落ち込む」という人もいるのではないでしょうか。
 何においても、「今まで、うまくいっていたのに、今年に入ってから急に調子が悪くなった」などということで悩むこともあるかもしれません。確かに、いろいろなところにスランプのきっかけはあると思います。
 このように、スランプで苦しんでいる方は大勢いるとは思いますが、最初に理解しておいてほしいことは、これまでに述べたとおり、「『スランプになる』ということは、何らかの面で、あなたが優れた人物であることを意味しているのだ」という点です。これを、まず知ってください。
 才能なり、業績なり、志なり、理想なり、そういうところに、ほかの人とは違った、非凡なところ、優れたるところを持っていたか。あるいは、そういう自分であろうと努力しているか。そういう人だからこそ、スランプがあるわけです。
(33~35ページ)

「スランプになったことがない」という人の場合、えてして、ごくごく平凡に生きていることが多いため、スランプに落ちようがないだけである。

あくまでもスランプとは、才能なり、業績なり、志なり、理想なり、そういうところに、ほかの人とは違った非凡なところ、優れたるところを持っていたか、あるいは、そういう自分であろうと努力している人だからこそ、なるものである。

スランプで苦しんでいる方は、「スランプになるということは、何らかの面で、あなたが優れた人物であることを意味している」ということを、まず知っていただきたい――。

いまスランプに苦しんでるかた。

まずは、この大川隆法先生のお言葉を心素直に受け止め、味わってみるのが、スランプ脱出法の出発点ではないかとは私は思うのです。
 

『忍耐の法』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ねえ、月の裏側にはほんとは何があるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『ダークサイド・ムーンの遠隔透視』――月の裏側に隠された秘密に迫る(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 驚異的な内容であろうと思う。地球に居ながらにして、月の裏側の遠隔透視をいとも簡単にやってのける能力を、あっさりと信じろというほうが無理かもしれない。
 日本にも昔、月の裏側を念写した超能力者がいたが、私の場合は、数秒から三十秒ぐらいの精神統一で、自分の視覚を伴う霊体の一部を月の裏側まで瞬間移動させ、あたかもテレビのレポーターがインタヴューしたり、レポートする要領で、月の裏側について解説することができる。この神通力を何と説明するかは難しいが、釈迦の六大神通力のうちの「神足」と「天眼」を合わせたようなものだろう。私の残った霊体の部分は、地球にとどまって解説できるので、何とも不思議な現象だ。
 単純に信じられるかどうかは別にして、とまれ、ご一読を願う次第である。
(1~2ページ)

本書は、立ち読みができないような特別包装がされた豪華本になっています。でも、やはりそれだけの価値は、あるのではないでしょうか。

もう今日は、何も言うことはない気がします。

まさに、大川隆法先生の比類なき霊能力、恐るべし、です。

なお、「六大神通力」については、こちらの記事が参考になると思います。

『ダークサイド・ムーンの遠隔透視』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大学には、もう選ばなければ、全員がどこかに入れるんでしょ。大学が多すぎて、淘汰されてる時代なのに、幸福の科学がまた新しい大学を創るんだってね。なんでなの? なーんて疑問、もだ持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新しき大学の理念――「幸福の科学大学」がめざすニュー・フロンティア』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 今、できている大学というのは、その多くが明治期に考えられたものです。「封建時代が終わり、文明開化し、西洋化していく社会のなかで、必要な人材を育てる」ということで、幕府の時代に儒学等を勉強していた方々が洋学に切り換えていく流れのなかで、大学ができてきたのです。
 ただ、それは、明治の上り坂のころにはうまくいったかもしれませんが、大正・昭和期に至り、先の大戦での敗北を経たあと、次第しだいに、国家としてのアイデンティティーや未来ビジョンがはっきりと見えなくなってきたところがあると思うのです。
 今、このあたりで、福沢諭吉の唱えた「脱亜入欧」的な考え方だけでは済まない時期が来たのではないかと感じています。
 その意味で、「日本独自のオリジナルな文化を発信できるようなもの」が必要であると同時に、明治以降、さまざまに移入された外国のものをもとに、キリスト教文化圏以外のものについても目を配りながら、「今後の世界は、どうなるべきか」ということをデザインしていく力が必要だと思うのです。
 したがって、今、あえて新しい大学を創り、世に問う理由があるとすれば、それは、「新文明の発信基地」としての大学、「新しい学問を創造する場」としての大学を創りたいということです。(中略)
 それから、日本の大学の弱いところはどこかというと、「すでにできたものを習得すること、学び尽くすことには一生懸命だが、新しいものを創造するチャレンジ精神などが弱い」という点です。
 古い大学ほど、プレスティジ(威信)、社会的評価は高いわけですが、そうした新創造に堪える大学は、それほど数があるわけではありません。
 例えば、企業であっても、「百数十年の歴史を持っていれば、急発展しているよい企業だ」というようなことは、まずないのです。新しいもののほうが優れた特徴を持っていることが多いでしょう。
 そういう意味では、新しいもののなかに、「『新しい創造』を含んだものをつくっていきたい」と思いますし、「『創造性』『チャレンジ』というものを中心に据えた学問を、教授と学生が協同しながらつくり上げていくようなものにしたい」と考えています。
 ただ、新しい分野を開拓するからといって、卒業後、さまざまな企業等で活躍するに足りない程度の教養や専門性しかなければ、お話になりません。
 また、海外に送り出しても、十分に通用するようでなければいけません。要するに、外国の文化にのみ込まれずに、そのなかで仕事をこなしつつ、日本人としての誇りを持って、日本の文化や考え方等についても十分に説明できるだけの教養を持った人をつくっていきたいと考えているのです。
 キーワードとして、「新しい創造」や「未来への貢献」を挙げたいと思います。
(13~15、19~20ページ)

「日本独自のオリジナルな文化を発信できるようなもの」、「今後の世界は、どうなるべきか」ということをデザインしていく力が必要である。

つまり、創りたいのは、「新文明の発信基地」、「新しい学問を創造する場」としての大学である。

そのキーワードは、「新しい創造」と「未来への貢献」である――。

うーん、ちょっとわくわくしてくるような話ではないでしょうか。

今の大学に飽き足らない気がしている方、幸福の科学大学に、ご注目ください!


『新しき大学の理念』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大学には、もう選ばなければ、全員がどこかに入れるんでしょ。大学が多すぎて、淘汰されてる時代なのに、幸福の科学がまた新しい大学を創るんだってね。なんでなの? なーんて疑問、もだ持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新しき大学の理念――「幸福の科学大学」がめざすニュー・フロンティア』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 今、できている大学というのは、その多くが明治期に考えられたものです。「封建時代が終わり、文明開化し、西洋化していく社会のなかで、必要な人材を育てる」ということで、幕府の時代に儒学等を勉強していた方々が洋学に切り換えていく流れのなかで、大学ができてきたのです。
 ただ、それは、明治の上り坂のころにはうまくいったかもしれませんが、大正・昭和期に至り、先の大戦での敗北を経たあと、次第しだいに、国家としてのアイデンティティーや未来ビジョンがはっきりと見えなくなってきたところがあると思うのです。
 今、このあたりで、福沢諭吉の唱えた「脱亜入欧」的な考え方だけでは済まない時期が来たのではないかと感じています。
 その意味で、「日本独自のオリジナルな文化を発信できるようなもの」が必要であると同時に、明治以降、さまざまに移入された外国のものをもとに、キリスト教文化圏以外のものについても目を配りながら、「今後の世界は、どうなるべきか」ということをデザインしていく力が必要だと思うのです。
 したがって、今、あえて新しい大学を創り、世に問う理由があるとすれば、それは、「新文明の発信基地」としての大学、「新しい学問を創造する場」としての大学を創りたいということです。(中略)
 それから、日本の大学の弱いところはどこかというと、「すでにできたものを習得すること、学び尽くすことには一生懸命だが、新しいものを創造するチャレンジ精神などが弱い」という点です。
 古い大学ほど、プレスティジ(威信)、社会的評価は高いわけですが、そうした新創造に堪える大学は、それほど数があるわけではありません。
 例えば、企業であっても、「百数十年の歴史を持っていれば、急発展しているよい企業だ」というようなことは、まずないのです。新しいもののほうが優れた特徴を持っていることが多いでしょう。
 そういう意味では、新しいもののなかに、「『新しい創造』を含んだものをつくっていきたい」と思いますし、「『創造性』『チャレンジ』というものを中心に据えた学問を、教授と学生が協同しながらつくり上げていくようなものにしたい」と考えています。
 ただ、新しい分野を開拓するからといって、卒業後、さまざまな企業等で活躍するに足りない程度の教養や専門性しかなければ、お話になりません。
 また、海外に送り出しても、十分に通用するようでなければいけません。要するに、外国の文化にのみ込まれずに、そのなかで仕事をこなしつつ、日本人としての誇りを持って、日本の文化や考え方等についても十分に説明できるだけの教養を持った人をつくっていきたいと考えているのです。
 キーワードとして、「新しい創造」や「未来への貢献」を挙げたいと思います。
(13~15、19~20ページ)

「日本独自のオリジナルな文化を発信できるようなもの」、「今後の世界は、どうなるべきか」ということをデザインしていく力が必要である。

つまり、創りたいのは、「新文明の発信基地」、「新しい学問を創造する場」としての大学である。

そのキーワードは、「新しい創造」と「未来への貢献」である――。

うーん、ちょっとわくわくしてくるような話ではないでしょうか。

今の大学に飽き足らない気がしている方、幸福の科学大学に、ご注目ください!


『新しき大学の理念』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「宇宙人によるアブダクション」と「金縛り現象」は、同じなんだってテレビ番組があってたけど、ほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『「宇宙人によるアブダクション」と「金縛り現象」は本当に同じか』――超常現象を否定するNHKへの“ご進講”(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 NHKの会長がかわって、「超常現象」のシリーズをやり始めたので、あのNHKも、ちょっとはまともになったのかな、と思って何話か観てみたが、取材グループの知識と経験のストックの貧困さを見せつけられるようで悲しかった。このままでは案内役の栗山千明さんも悪役の片棒をかつがされているようなもんだ。
 どうもNHKには、民放が持っているだけのスタッフも情報もないらしい。宇宙人と幽霊を一緒にするようでは、日本の科学と医学が、世界の最低レベルを走っており、不毛なダメ宗教以上にいかがわしいのを証明しているようなものだ。
 今回は特に、四月五日にNHK総合の「幻解! 超常ファイル」でエイリアン・アブダクションと金縛り現象を同一視する結論の番組に焦点をあてた。この番組は非科学的すぎる。脳学者や心理学者の大半は、妄想の中で給料泥棒しているのを知らないとは。受信料を返せ。ウチはテレビの台数が多いので大損だ。
(1~2ページ)

宇宙人と幽霊を一緒にするNHKの番組は、非科学的すぎる。

NHKには、民放が持っているだけのスタッフも情報もないらしい。

受信料を返せ――。

いや厳しいまえがきです。

でも、本書を一読しさえすれば、“宇宙人と幽霊を一緒にする”ことが、どうしてここまで非難されなければならないのかが、誰にもすぐに腑に落ちるのではないかと私は思うのです。
 

『「宇宙人によるアブダクション」と「金縛り現象」は本当に同じか』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人間、やっぱり最後まで大事なのは、知力だよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『Think Big!』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 最後は勇気です。人間の能力など、それほど大きく変わりはしません。やはり、最後は勇気なのです。
 知識が豊富だったり、地位が高かったりすると、意外に勇気がなくなっていくので、それが困るわけです。
 例えば、「よく勉強している人」としては、大学の教授などがそうでしょう。そのなかでも、東大の教授あたりになると、「さらによく勉強しているだろう」と一般には思われています。しかし、東大の教授になってしまうと、実は本を出さなくなってきます。怖くて出せないのです。
 東大の教授には権威が必要であり、もし変なことを本に書いて批判を受けたりすると怖いので、勇気を持って本を書くことができないわけです。「もっと調べてからでないと書けない」というような理由で、どんどん先延ばしにし、思い切ってトライすることができなくなってくるのです。
 よく勉強し、頭もよい人であれば、本当は本をたくさん書かなければいけないはずですが、実際には、どんどん書けなくなっていきます。そういうものです。
 会社の仕事でもそうです。大きな会社で、責任ある立場に就くと、本当は勇気を持って判断しなければいけない問題に対して、書類を山積みにし、判断せずに放置してしまう癖がついてきがちです。そのように、問題からすぐに逃げる癖がついてくるのです。
 そして、優秀な人が優秀な結果を残せないことが、実際にはよく起きてきます。
 したがって、必要なものは勇気です。勇気が大事なのです。
 人間は、勇気によって変わることがあります。「ここ一番」のときには、勇気以外に頼りになるものはありません。知力などには限界があるのです。
(80~82ページ)

知力などには限界がある。最後は勇気である。

知識が豊富だったり地位が高かったりすると、勇気がなくなっていき、優秀な人が結果を残せないことが、よく起きる。

人間は、勇気によって変わることがある。「ここ一番」のとき、勇気以外に頼りになるものはない――。

「勇気」の大切さを、まさに口を酸っぱくして、説いてくださっている一節です。

耳が痛いと感じる方も、多いのではないでしょうか。

でも、だからこそ、大川隆法先生はあえて強めの言葉で教えてくださっていることに思い至ったとき、ふつふつと、勇気がなかった自分自身を叱咤激励する気力がわいてきたように私には思えるのです。
 



『Think Big!』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ