信じよって言われても、どうして信じれるのって思うんだ。何か確実なものがあるわけじゃなし、そんなことできないでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰告白の時代』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
あなたがたのまわりに、
いや、あなたがた自身に、
今、もし悪しき現象が現われ、
悩みが現われ、
苦しみが現われ、
悲しみが現われているとしても、
それは因果の理法に基づいて生じたものなのだ。
人間のこの世の修行においては、
すべて原因があって結果がある。
播(ま)いた種があって実りがあるのだ。
この因果の理法を信ずることこそ、
正見(しょうけん)への道であるということを知らねばならない。
あなたがたは、正見という言葉を、
かつて釈迦(釈尊)の説いた八正道(はっしょうどう)のなかの
一番目の言葉として記憶していることであろう。
なるほど、正見とは、
正しく見ること、
正しい見解を持つことという意味であるが、
仏法真理の初心者においては、
正見とは、「正信(しょうしん)」にほかならない。
正しい信仰である。
そこで、私はあなたがたに、
悟りに到る第一の法門を示すとしよう。
それは「信解脱(しんげだつ)」の道である。
信解脱とは、信じて解脱することである。
正しい信仰心を持つことによって、
六大煩悩から逃れ、
本来の実相世界にいたときの
あなたがたの姿に還るということなのだ。
信仰とは、単なるお題目ではない。
仏法真理を信ずることができるということは、
すでに悟りの第一段階に入ったということなのだ。
信ずるということは、すでに、
悟りの一部を、わが手にしたということなのだ。
あなたがたが日ごろ接する人びとのなかには、
宗教を信ずることはできない、
と言う人もあるであろう。
もちろん、この世の中には、
数限りない邪教があるから、
私は、宗教すべてを信ぜよと言っているわけではない。
しかしながら、
あなたがたが仏の子である以上、
あなたがたの親である仏は、
必ず、あなたがたを導くための手を差し伸べている。
仏法真理はいつの時代にも説かれている、
ということを知らなくてはならない。
その仏法真理を受け入れ、
つかみとり、
そして跳入して、
目に見えぬ世界をわがものと感得することこそ、
第一段階の悟りであるのだ。
(61~66ページ)
悟りに到るためには、まず正しい信仰を持つこと。信じることによって「解脱(げだつ)」することである。
初学者においては、「すべてには原因があって結果がある、播いた種があって実りがある」という「因果の理法」を信ずることが、その出発点である。これによって、人を悟りから遠ざけてしまう「煩悩」から逃れ、光り輝く仏の子としての本来の姿に還ることができる。
この仏法真理を信ずることができるということは、すでに悟りの第一段階に入ったということである。これが、「信解脱(しんげだつ)」である──。
「法門」というのは仏の教えのことです。
お釈迦さまは、八万四千の法門を説いたと聞きますが、再誕の仏陀・大川隆法総裁先生は、それを超えるペースで、1986年の立宗以来、さまざまな角度から、さまざまなレベルの教えを、途切れることなく延々と説き続けておられます。
そこで今日は、仏教用語が満載で、ちょっと難しい御法話ですが、1992年に東京ドームで、5万人の人々を前に大川隆法総裁先生が説かれたお教えの一部を、ご紹介してみました!
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『信仰告白の時代』
大川隆法著 |
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