ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



受験、受験で、ほんっとに大変だよね。こんなの、将来、社会に出るのに何か関係あるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ミラクル受験への道』(幸福の科学出版刊)で、こう説いておられます。

 中学受験、高校受験、模試も含めて、受験は、“十代の戦い”だと思います。つまり、十代の人たちに、ある意味で、勉強の“仕事レベルのやり方”を試しているようなところがあると考えられます。
 大人になって仕事をするようになると、“締め切り”が必ずあります。ですから、「締め切りまでに、できるかどうか」という見通しを立てなければいけません。どれだけの材料を調べて、集めて、そして、どれだけのものに作り上げていくか。どのようにして締め切りに間に合わせるかということです。
 締め切りに間に合わなければ、今までの努力が全部パーッと水の泡になってしまうというのが大人の社会での仕事です。締め切りに間に合わなければ、契約が成り立たないので、契約破棄になって、努力が無駄になることがあるし、信用をなくして、取り引きしてもらえなくなることもあります。
 幸福の科学でも、映画を作っていますが、映画も、締め切りまでにでき上がらなかったら、上映されません。そうなれば、信用丸つぶれで終わりです。「八割はできていたんだけど」などと言っても、上映されなければ、信用を失います。
 受験というものは、ある程度、結論があります。英語で「アチーブメント」と言ってもいいのですが、要は、「到達度」のことです。
 「この学校を目指すのであれば、あるいは、この学部を目指すなら、ここまでの到達度が要る」「受験本番の一月まで、あるいは二月までに、ここまでの到達度が必要だ」というものが、やはりあるのです。
 今までの勉強はどこまでできているのかを見て、受験本番日から逆算して、残り時間のなかで、どうやり繰りして、何をどうしたら、必要な到達度に近づけられるかということを考えなければなりません。
 だから、ある意味で、受験は、締め切りのある仕事を詰めていくような勉強の仕方を教えているのだと思います。
 子供にはそれができないため、塾の先生や予備校の先生、学校の先生など、いろいろな方が生徒を“鞭打って”頑張らせているというのが今の状況ではないでしょうか。
(18~20ページ)

受験というのは、この学校や学部を目指すなら、受験本番の1月や2月までに、ここまでの到達度が必要だ、というものである。

大人になって仕事をするようになると、“締め切り”が必ずあって、間に合わなければ努力が全て水の泡になってしまう。

つまり受験は、十代の人たちに“仕事レベルのやり方”を試しているようなところがある――。

うーん、なるほど、なるほど、です。

指摘されてみないと、受験の渦中にあるときは、普通はそんなことに考え至らないものだと思います。

でも、受験を通りすぎて、社会人の仕事というものを体験した眼で客観的に見たとき、ここで説かれているのが真理であることは、よく分かる気がします。

つまり、受験というのは、単なる“通過儀礼”だとか“嫌なもの”というのではなく、生徒たちが社会人になるための訓練をしている面がある、と考えることができるのでありましょう。

そんなふうに見切ることができたとき、私たちは「受験」というものをもっともっと前向きに捉えて、真正面からぶつかっていくことができるのではないでしょうか。

とにもかくにも、いま受験生活まっただなかのみなさん、そして、そのご家族のみなさんのご健闘を、心より祈念したいと私は思っているのです。
 

『ミラクル受験への道』

 大川隆法著


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有名な作家の三島由紀夫って、市ヶ谷の自衛隊で、自決するような事件を起こしたんでしょ。なんでそんなことしたのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『天才作家 三島由紀夫の描く死後の世界』(幸福の科学出版)で、その三島由紀夫の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 「自衛隊の総監室に立てこもり、日の丸の鉢巻きをして、バルコニーから自衛隊員たちに演説をぶつ」なんていうのは、滑稽と言やあ、滑稽だろうよ。(中略)
 だけどもねえ、私は、国民に警鐘を鳴らしたかったのよ。
 同じたとえを何回も出して申し訳ないけども、心情は、吉田松陰先生と一緒だったんだよなあ。同じ気持ちなんだ。
 それは、キリスト教にたとえてもいいよ。話をユニバーサルにするために言うのなら、「一粒の麦もし死なずば……」という気持ちはあったよ。一粒の麦が地に落ちて、その命を失うことにより、たわわな実りが実って、それが何百粒もの小麦になるのなら、その失われた命は何百倍にもなって生きる。まあ、そんな気持ちはあったね。
 もちろん、自衛隊に突入して決起を促しても、最初から、「成功する可能性は低い」と思っていたよ。「あるいは、一部、呼応してくれるかもしれない」と思ったけれども、「失敗する可能性は高い」とは思っていた。
 まあ、吉田松陰先生は、お白州に引っ立てられてさあ、幕府のほうが、好意を持って逃がしてやろうとしているのにもかかわらず、訊かれもしないのに、「老中の間部を暗殺する計画を持っていた」などという余計なことを、自分からしゃべっているよな。それが死罪に値することぐらい知っていて、わざわざしゃべって、死罪になっていったんだろう?(中略)
 彼がやりたかったことは、マスコミが発達していない当時においては、そういう一種のスキャンダルだよな。「吉田松陰が、幕府の要人を狙ってクーデターを起こそうとし、捕まって、野辺の露と消えた」ということでもって、実は、檄を飛ばそうとしたわけだ。長州藩を中心とする各雄藩に檄を飛ばし、「おまえたち、命を惜しんでいてはいかんぞ。死ぬことを恐れたら、何事もできん」ということを教えたんだろう?
 幕府と戦って勝てるわけがない。その結果はどういうことかといったら、「殺される」というだけのことだろう? つまり、松陰先生は、「命を惜しんだら、戦わず、不戦のほうに行く。だけど、実際に世の中を変えたかったら、命を惜しんではならん」ということを教えたかったんだろう?
 私も、気持ちとしては同じだった。「たぶん、ただの無駄死にに見えるだろうな。結果的にそうなるだろうな」と思っていたよ。だけども、確信犯であったからな。(中略)
 しかし、私の考えが見直されるときは必ず来ると思う。今、あなたがたのやっていることが成就していったならば、私のやろうとしたことが先見性のある行為であったことが分かるだろう。別の意味で言えば、まあ、これは、ちょっと口幅ったくて、さすがに私もたいへん恐縮するけれども、「イエス・キリストが十字架に架かったのと同じ行為であった。人々を救おうとした行為であった」ということが分かってくれたらいい。
 同時代の人が分かってくれなくても、いずれ分かってくれたらいい。あれから四十年が過ぎて、ようやく理解されるチャンスが巡ってくるのなら、ありがたいと思っている。
(114~118ページ)

三島由紀夫は、国民に警鐘を鳴らしたかった。

最初から失敗する可能性は高いとは思っていたが、世の中を変えたかったら命を惜しんではならんことを示した吉田松陰と、心情は同じだった。

同時代の人が分かってくれなくても、いずれ分かってくれたらいい、ようやく理解されるチャンスが巡ってくるのならありがたいと思っている――。

当事者である三島自身にしか語れない、事件の動機の話は、まさに圧巻です。

1970年に起きたあの事件の真相を知りたい方は、ぜひとも本書を手にとって、その全編に触れていただきたいと、改めて私は思っているのです。
 

『天才作家 三島由紀夫の描く死後の世界』

 大川隆法著


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死んじゃったら、どうなるのかな。何もなくなっちゃって、何もわからなくなるんじゃないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法――エル・カンターレの世界観』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 実際に死と直面すると、人間は死ぬことに対して抵抗するものです。病人は病人で、「死にたくない」と言い、医者は医者で、なんとかして病人の生命を延ばそうと努力をします。
 しかし、あの世の世界から見ると、死期の近づいた人のそばには、本人の守護霊や指導霊、あるいは天使たちがすでに来ています。つまり、指導霊たちは、死期の近づいた人を導くための準備を始めているのです。
 そして、地上の生命が息絶えたときには、霊体というものが肉体から抜け出すのです。しかし、最初は自分自身にその自覚がなくて、「自分が二人いる」と感じてしまいます。
 横たわっている自分と、自由自在に動いている自分がいる。自由自在の自分が人に語りかけても、返事は戻ってこない。そして、壁でも物体でも通り抜けてしまう──。そのことに、最初は非常な驚愕を覚えるのです。
 また、「横たわっている肉体が自分だ」と思い、ずっと肉体に寄り添っていた魂は、肉体が火葬場に運ばれ、そこで焼かれることによって、非常な衝撃を受けることになります。そして、どうしたらいいのか分からず、火葬場の周りを浮遊しながら、「今後、どのような生活が待っているのか」と、まだ誰からも聞いていない生活に対して非常に不安を感じます。
 こうしたときに、まず本人の守護霊が現われて説得を始めるのです。とはいえ、地上に数十年生きていたときに、死後の世界の存在について、なかなか納得がいかなかった人は、守護霊に説得されたからといって、そう簡単には納得しません。そのため、数十日間、地上で説得が行なわれることになります。
 初七日や四十九日という言葉がありますが、通常、二十日間から三十日間は、死後も地上に留まっていることが許されています。その間に、普通の人は守護霊や指導霊の説得を受け、天上界へと還っていくことになっています。
 ただ、執着、つまり地上的な何かに対する思いのあまりにも強い人、たとえば、子供、父、母、妻、夫、あるいは、土地、建物、財産、会社、事業など、こうしたものに非常に強い執着を持っている人は、地上を去りがたくて、いわゆる地縛霊となり、地上に留まって徘徊することになります。これが世にいう幽霊です。これはまだ霊として目覚めていない存在だと言うことができます。
(19~24ページ)

息絶えれば、霊体が肉体から抜け出すが、最初はその自覚がもてず、自分が二人いると感じてしまう。どうしたらいいのか分からないときに、まず本人の守護霊が現われて説得を始める。

生きていたときに死後の世界を納得しなかった人は、守護霊もそう簡単に説得できないため、初七日や四十九日という言葉どおり、通常20~30日間は死後も地上に留まっていることが許されており、その間に守護霊や指導霊の説得を受けて、天上界へと還っていく。

しかし、地上的な何かに対する思い(執着)があまりにも強い人は、地上を去りがたくていわゆる地縛霊となり、地上に留まって徘徊することになる。これが世にいう「幽霊」である――。

守護霊」や「指導霊」については、これまで何度もご紹介してきました。

さて、そこでですが、死んだ直後はどんな感じなのか?

どんな体験をするものなのか?

なぜ、古来から「初七日」とか「四十九日」という行事が行なわれているのか?

「幽霊」とはなにか?

・・・今日はあえて、死んだ直後や死後の世界という、まさに宗教どまんなかの世界について、淡々と解きあかされているお教えの部分を、ご紹介してみました!
 

『永遠の法』

  大川隆法著


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ねえ、戦争中の日本が悪い国だったって、よく聞かされるけど、ほんとに日本って、侵略戦争をやったりした悪い国だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』(幸福実現党刊)のあとがきで、こう説いておられます。

 先の大東亜戦争の日米開戦時の東條首相(陸軍大将)は、いまだA級戦犯の中心として全責任を引き受けているようである。しかし、本霊言は、当時の日本のベスト・アンド・ブライテストが全身全霊で戦って敗れた無念さにあふれている。緒戦で全戦全勝しつつ、敵将マッカーサーを、その身一つで、フィリピンからオーストラリアへ取り逃がした無念さ。逃亡中の大将を捕獲できておれば、捕虜にして和平交渉に持ち込むことも可能であったことであろう。(中略)
 「戦後」はもう終わらせなくてはならない。新興侵略国家からこの国を守らなくてはならない。政府よ、もう謝るのはやめよ。「日本を取り戻す」のではなく、「日本の誇りを取り戻す」ことが大切なのだ。
(1~2、144~145ページ)

当時の日本の「ベスト・アンド・ブライテスト」(超一流の人材)の一人にして、政治・軍事の最高責任者の立場から見た「大東亜戦争の真実」。

軍国主義がどうとか右翼がどうとかの偏見を排して、霊界から理路整然と語られる魂の言葉に心素直に触れたとき。

真実は、じつはこういうことだったのかと、衝撃を受けます。

本書の帯には、「すべての日本人に、これだけは知ってほしい──」と書かれています。

本書を一読すれば、その意味は、誰もがわかるのではないでしょうか。

今の岸田政権は、何をやっているのか。

「日本の誇り」を捨ててはならない、正論は貫かねばならないと、改めて強く私は思っているのです。
 

『公開霊言 東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』

 大川隆法著


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最近、アメリカ大統領が中国の指導者を「独裁者」って呼んだっていうんで、話題になってるよね。独裁者って、歴史上よく出て来るんだけど、あれはあれで国が強くなるからいいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『アダム・スミス霊言による「新・国富論」──同時収録 トウ小平の霊言 改革開放の真実』(幸福の科学出版)で、中国の事実上の最高指導者だったトウ小平の霊の言葉(「霊言」)を、D氏(質問者)との対話の形で、次のように伝えておられます。

小平 (中略)君、十数億の国民をまとめるには、すごい力が要るんだ。民主主義なんて言ってるが、みんなで議論などしてたら、国家は分裂するんだよ。だから、強力な専制君主みたいな独裁者が必要なんだ。
 やっぱり、強い指導者が要るんだ。十万人ぐらいのデモがあっても、いざとなったら、皆殺しにする。そのぐらいの力がなかったら、国家の統一なんかできないんだよ。
D─ ただ、それは、国民にとって幸せな状態と言えるのでしょうか。
小平 そんなの、知ったことか。やはり、国家の存立が大事なんだよ。
D─ 国家も大事ですが……。
小平 十何億もいるんだから、十万人や百万人、死んだって、どうってことないんだよ。君、何言ってるんだ。
D─ それは、「国民の幸せ」という観点においては……。
小平 君、そういう西洋かぶれのことを言うんじゃないよ。
D─ ただですね。
小平 ん?
D─ 今、中国では、実際に、農村と都市の差が開いています。
小平 そんなもの、もとから開いてるんだ。何言ってるんだ。
D─ ええ(苦笑)。しかし、国のトップに立つ者としては、国民の幸せを考えて……。
小平 君ねえ。
D─ その矛盾をソフト・ランディングさせるのが……。
小平 君! 君は、国のトップと話をするような、そんなレベルの人間じゃないよ。(中略)君、西洋かぶれで、ちょっと頭がいかれてるよ。
D─ いえ、西洋かぶれか否かではなく、共産主義自体にすでに限界が来ているのではないでしょうか。
小平 もう、中国に“帰依”しなさい。
D─ 中国に“帰依”しても、幸せにはなれないと思います。
小平 君、やっぱり精神的におかしいよ。
D─ そうですか(苦笑)。
小平 どこか狂ってる。
 君ねえ、国家っていうのは、個人より大事なものなんだよ。国家あっての個人なんだよ。それなのに、君は、なんだか、「国家が個人をいじめたら、悪い」というような言い方をするじゃないか。
D─ 人々をいじめるのは、やはり、よくないことだと思います。
小平 君が言っていることは、「象が、知らないうちに蟻を踏むのは、象が悪い。だから、象を死刑にする」みたいな、そんな目茶苦茶な論理だよ。
D─ では、国家は、何のために存在しているのですか。
小平 国家は、国家のために存在するんだよ。何言ってるんだ。
D─ 国家のために?
小平 国家が生き残ることが大事なんだ。
D─ 国民を幸せにするために、国家はあるのではないでしょうか。
小平 個人は、国家を支えるためにあるんだ。君、何を言ってるんだよ。中国で人権があるのは、昔から、皇帝一人なんだよ。
(171~176ページ)

十数億の国民をまとめるには、強い力が必要だから、強力な専制君主のような独裁者が必要である。

国家は、個人より大事なものであり、国家あっての個人である。

個人は国家を支えるためにあるのであって、中国で人権があるのは、昔から皇帝一人である──。

このトウ小平の考え方は、はたして天上界に祝福されたものなんでしょうか。

やはりそんなことはないはずです。

国家だけが強くなって国民が不幸、独裁者のみが幸福というのは、どう考えてもやはり間違っている思想だと、改めて私は思っているのです。

『アダム・スミス霊言による「新・国富論」』

 大川隆法著


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幸福の科学って、目立つ建物をあちこちに建ててるし、本をたくさん出したり、映画やったり、政治活動やったり、学校作ったり、海外でも国内でも大きな講演会やったり、とっても派手に活動してるでしょ。なんでなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 仏教は、創始以来二千五百年たって、かなり化石化が進み、救済力が落ちてきています。キリスト教も、創始以来二千年たって、やはり救済力がそうとう落ちてきているようです。『聖書』に書かれていることをそのまま守ろうとすると、現代社会では生きていけないようなことが数多くあります。
 したがって、「今後三千年の人類史をリードしていけるだけの思想を創る必要がある」と私は考えています。
 世界的な大宗教の寿命は、ほぼ二千年から三千年ぐらいであり、その間は、その思想の下に、さまざまなものが繁栄、発展し、新しいかたちの文明ができていきます。
 かたちとして目に見えるハードの部分を文明といい、ソフトの部分を文化といいますが、文明や文化は、新しい宗教が基盤となって生まれてきます。そして、その新しい宗教は、仏神と一体となった指導者が現れたとき、あるいは、預言者が天上界からの指導を受けて仏神の心を伝えたときに始まります。
 私は、少なくとも三千年後ぐらいまで、すなわち西暦五〇〇〇年ぐらいまでを射程に入れた新文明の建設が、幸福の科学の使命であると考えています。
 その三千年の流れのなかにおいては、数限りない光の天使たちが地上に下り、時代の変化に合わせたイノベーションを行っていくことでしょう。しかし、少なくとも、その世界文明の基礎になる思想を、三千年の視野を持って創らなければなりません。
 幸福の科学という団体は、そのような大きな構想を持った運動をしているのです。
 そして、三千年後まで影響を与えるということを一つの視点として持ちながらも、もう少し小さな範囲で、「二十一世紀の国家百年の計はどうあるべきか。二十一世紀の国家建設はどうあるべきか」ということを私は考えているのです。
 これは百年ほどで過ぎ去っていく些細な問題ではありますが、三千年の視野を持ちながらも、目先の問題として、少なくとも曾孫の代ぐらいまでについての具体的なビジョンを持つことが、現代に生きる人の使命であると思います。三代ぐらい先まで責任を負うことが現代人の仕事なのです。
 私はこれからも、人間の生き方や国家のあり方、世界のあり方について、さまざまな提言をしていくつもりですが、その志は、「未来の文明を創る」というところに原点があるのです。その点をよく理解していただきたいと思います。
(219~222ページ)

世界的な大宗教の寿命は、ほぼ二千年から三千年ぐらいであり、その間、その思想の下にさまざまなものが繁栄、発展し、新しい文明や文化が生まれてくる。

仏教もキリスト教も、創始以来時間がたって、救済力がそうとう落ちてきているので、大川隆法先生は、少なくとも三千年後ぐらいまで(西暦5000年ぐらいまで)を射程に入れた新文明の建設が幸福の科学の使命であり、今後三千年の人類史をリードしていけるだけの思想を創る必要があると考えている。

三千年の視野を持ちながらも、少なくとも曾孫の代ぐらいまでについての具体的なビジョンを持つことが現代に生きる者の使命であるため、21世紀の国家百年の計はどうあるべきか、21世紀の国家建設はどうあるべきかを、大川隆法先生は考えている──。

未来の文明を創るところに原点がある、この大川隆法先生と幸福の科学の「志」を、一人でも多くの方に知っていただきたいものだと、改めて私は思っているのです。

『奇跡の法』

  大川隆法著


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国の財政赤字って、すごいでしょ。こんなときに、公共事業なんてやると、赤字が増えるだけじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『松下幸之助 日本を叱る』(幸福の科学出版)で、松下幸之助の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 わしはね、国の借金っていう考えのなかに、合っている部分と間違っている部分と、両方あると思うんだよ。
 いわゆる運転資金的なものを借金でやるのは赤字だと思うよ。
 ただ、今言ったように、インフラとして残るようなものをつくるんは、わしは赤字やと思うとらん。
 だから、国のほうの貸借対照表ができていないのが、いちばんの問題で、空港をつくったら財産ができたんでしょう。空港をつくるために国債を発行して金を集めても、こんなの赤字ではないですよ。
 空港というものがきちんと残ってるんだったら、これは国の財産ができてるんです。その空港ができることによって付加価値を生んだら、さらに財産が増えたんと同じやね。
 新幹線をつくるんだって(中略)そら、費用は何兆円もかかるでしょう。(中略)ただ、それは、新幹線ができるための額やけども、それからあと、活性化する経済というものを考えると、それは、新幹線の用地代と工事代を超えた価値が、そこから生まれてくるはずなんです。それをやるのが国なんだよ。これは、民間では、とてもできない規模のことなんや。
 だから、そういう意味で、「財産として残るもの、その後のインフラや国の発展のために残るものにかけたお金は投資であって、いわゆる経費じゃないんだ」という考えは持たないかん。 (中略)
 今、中国なんか、北京も上海も高層ビルの山じゃないですか。だから、中国人が日本を見たら、「ビルが低いなあ」って言うとる。「中国のほうが発展している」って威張ってるわけや。ほとんど建築制限やね。(中略)やはり、地権者が強すぎてね、なかなか建たないんでしょう、いろいろなものが。国がもっと強くないといけないよな。(中略)やはり、国家のビジョンがないからだね。
 最終的には宇宙産業まで持っていかなければいけないんだから、そういう意味でのインフラの部分については、「こんなものは赤字じゃない」と割り切って、ここんところを切り離して考えたほうがいい。
 消えてしまうものが赤字です。残るものは赤字ではない。あるいは、生産手段としてあるものは赤字ではない。だから、防衛産業のところも赤字じゃない。ものをつくり出す生産手段として使えるもんなら、これは赤字では決してないと思う。
(65~69ページ)

インフラなど、国の発展のために残るものにかけたお金は「投資」であって、いわゆる「経費」ではない。

消えてしまうものが赤字だが、残るもの、あるいは生産手段としてあるものは赤字ではない。

民間ではとてもできない、そのような投資をするのが、国の役割である──。

さすが、松下翁、説得的です。

“公共事業は赤字を増やすだけ”なんて、やはり間違った考え方だということです。

今の政府は、なんだかんだお金をバラまくことばかり言っているようですが、それこそ結局はあとに何も残らず、経費を増やし、赤字を増やしてるだけだということなんだと思います。

そして、国が積極的に、たとえば宇宙産業や防衛産業を起こすのは、未来へのあるべき投資であって、そうであってこそ国としての役割を果たすことになるのだと、改めて私は理解できた気がしているのです。

『松下幸之助 日本を叱る』

 大川隆法著


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イランとイスラエルって、とっても仲が悪いんでしょ。で、イランも北朝鮮みたいに、核開発してるんでしょ。中東の核戦争って、回避できるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『イラン大統領 vs.イスラエル首相』(幸福の科学出版)のまえがき(Preface)で、英文の和文対訳の形で、こう説いておられます。

 I believe that love surpasses hatred.
 私は愛は憎しみを超えると信じている。

 Mercy will save the world.
 慈悲は世界を救うだろう。

 My words shall be the cornerstone of the world.
 わが言葉が世界の礎となろう。

 I will open the door to the peaceful future.
 わが前に平和な未来が開かれるだろう。

 Because I am the Light you all have been seeking for.
 なぜなら私は、あなたがたすべてが探し求めてきた、その“光”なのだから。

 I am that I am. I am the Origin of love. You all will be given hope from me.
 私はありてあるものである。私は愛の原点である。すべての者に我、希望を授けん。
(2~3ページ)

「Master」であり、「人類の教師」であり、仏にして救世主である方の言葉の重さ。

そして美しさ。

ほんとうに、おそるべしと言うほかない、格調高き言魂ではないでしょうか。

本書が刊行された2012年段階で、当時のイラン大統領の守護霊とイスラエル首相の守護霊は、それぞれ、両国がまったく相いれない立場にあることを明らかにしています。

この対立の図式は、2023年の今現在も、まったく変わっていないように思えます。

しかしそれでも、主エル・カンターレのこの愛の教えが中東の地に広く伝わっていくことで、核戦争は必ずや回避できるのではないかと、改めて私は確信を深めているのです。

 

『イラン大統領 vs.イスラエル首相』

 大川隆法著


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公益法人が黒字だと、非難されたりするよね。あれって、どうなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『富国創造論』(幸福の科学出版)で、江戸時代に破産状態の米沢藩を建て直したことで、屈指の名君として有名な上杉鷹山の霊の言葉(「霊言」)を、以下のように伝えておられます。

 「黒字の公益法人を見つけては、それをいじめる」などということも、現実には起きているわけでしょう?(中略)これは考え方が基本的に間違っていると私は思いますね。
 そういう非営利法人であっても、それだけ利益がたまってくるのは、ニーズがあるからですよ。(中略)多くの人々が「その料金は妥当だ」と思っていて、それで利益がたくさん出るんでしたら、もう一段、事業として裾野を広げていくべきです。(中略)
 そういう利益が出ているところは、「民間会社並の可能性がある」ということを意味しているので、そこに公務員を引き取ってもらうようにしたほうがいいですね。単に失業者を出すよりは、そのほうがいいと思います。そして、そのなかで、多少なりとも違ったサービスを提供できるように努力していくべきですね。
 先ほど言った「漢検」もそうです。これから、移民が増えてくれば、外国人に漢字を教えるような事業が、当然、出てきますよね。そういう事業をやるために、先生を雇い、いろいろな所に教室を展開したら、当然、費用はかかり、利益は消えていきます。でも、それは移民を増やすために必要な事業でしょう? 漢字が読めなければ日本人になれないですからね。
 ですから、「漢検は利益が出すぎているから、外国人に漢字を教えるような事業を展開して、その黒字部分をもう少し投資に充てなさい」というような業務指導をするのが当然であって、「利益が出すぎるのは、けしからん」「本当に悪いことをしている」「着服したのではないか」などと言いすぎるのは問題ですね。(中略)
 「英検」みたいなものだって、受験者が増えれば増えるほど、当然、利益が増えますが、「利益が増えたから、けしからん」という考えは間違いですね。そういう英語の検定試験を受ける人が増えることは、「日本人が英語の資格に対して一定の値打ちを認め、英語能力を上げようと努力している」ということなのですから、それを悪いことのように言って潰そうとするのは間違っています。
 やはり、その英語事業を多角化していって、もう一段の国際人をつくれるような事業形態をつくり、公務員の余剰部分を吸収して、彼らが稼げるような体質に何とか持っていくべきです。
 「それは、民業を圧迫するから、いけないことだ」という考えもあるけれども、そんなことはないんですよ。非営利法人がそれだけの競争力を持っているのであれば、民間は民間で、それに負けないように、さらに頑張りますからね。「公立の小・中・高」対「塾・予備校」の戦いでは、軍配は明らかに民間のほうに上がっているわけですから、非営利法人がそういう事業をやっても、民間はいくらでも参入できるんです。
 公のものがよくなれば、民間も、さらにそれを超えるべく努力する。それが、まあ、資本主義市場経済のあるべき姿ですね。
 だから、「事業仕分け」もいいけれども、ちょっと間違わないようにしなければいけませんね。基本的には、黒字になったほうがいいんですよ。増税しないで黒字になるなら構わないんです。公営のもの、非営利のものでも、増税をしないで黒字化できる事業は良い事業なんです。「増税して黒字にする」というのは、最悪、最低、最後の仕事ですね。
(220~225ページ)

黒字の公益法人に対しては、内部留保が多いことを非難するのではなく、もう一段、事業の裾野を広げていくように指導していくべきである。

また、そういう公益法人には、余剰の公務員を引き取ってもらうようにすればよい。

公営・非営利のものでも、黒字化できる事業は良い事業であり、「増税して黒字にする」というのは、最悪、最低、最後の仕事である──。

この霊言は、当時の民主党政権が、増税だけに頼って財政再建しようとしていた2010年に降ろされたものでした。

そして、今もまた、今度は自民党の岸田政権が、どんどん増税を推し進めようとしています。

そんな現政権の政策のおかしさに照らしたとき、さすが高名な上杉鷹山のお考えは、とても真っ当なものだと、改めて私は思っているのです。

『富国創造論』

  大川隆法著


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老人の人口がものすごく増えてるでしょ。その対策って、必要なんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来産業のつくり方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 できれば、高齢者が働き続けられる社会を構築しなくてはいけないし、そのためには、高齢者のできる仕事を増やしていくことを考えなくてはいけないと、私は思っています。(中略)
 今の六十歳の人は、けっこう元気なので、「六十歳になると定年で辞めてもらう」というのは無理な話です。「六十歳で会社を辞めてもらい、その後は国家が面倒を見る」というのは、絶対に破綻する考えです。そんなことは無理なのです。
 やはり、「働ける人は働く」ということが大事です。どうしても働けない人については、もちろん、面倒を見なくてはいけませんが、まだ働ける高齢者のためには、高齢産業を起こさなくてはいけないのです。(中略)
 高齢者が働きにくくなっている理由の一つとして、ある意味で、「メカ、機械のたぐいが非常に進化している」ということがあります。
 実は、年を取っている人は、次々と出てくる新しい機械に対応ができません。若い人には使いやすくても、高齢者には使いづらいのです。そのため、「会社で使えない」というかたちにされやすいわけです。
 しかし、それを、そのままで放置してはいけません。考え方としては、二つあります。
 一つは、「高齢者でも使えるような分かりやすい機械を、次々とつくっていく」ということです。
 その意味で、高齢者が働きやすくなるための機械を発明していく産業がありえます。今は、機械のマーケットにおいては、だいたい、若い人がターゲットになっています。(中略)しかし、次には、「高齢者が仕事をしやすくなるための機械」というマーケットが一つあるのです。
 もう一つは、「機械がなくてもできる仕事を、つくらなければいけない」ということです。これができれば、七十五歳ぐらいまでは、平気で現役で働けるような、一定の世界をつくることができます。(中略)
 今の政府のように、「税金の負担を重くしないと大変なことになるので、もう増税ですよ」ということを繰り返し言っていたら、まもなく、若い人は国外脱出をし始めるでしょう。
 しかし、高齢者のできる仕事が増えれば、そういう未来を避けることも可能になります(中略)。六十歳を超えてもまだまだ働けます。知識と経験の要る職業であれば、高齢者であってもまだまだ働けるのです。
 そういう年齢で定年にするのは一種の差別です。その考え方は、もう体系的廃棄をしなくてはならないと思います。
 年を取ればこそできる仕事もあります。特に、人を教えるような仕事の場合には、価値を生むことが多いでしょう。
 そのような新しい発想で対応していかなくてはならないと考えています。
(142~148ページ)

できれば高齢者が働き続けられる社会を構築しなくてはならないし、そのためには高齢者のできる仕事を増やしていかなくてはならない。

高齢者が働きにくくなっている理由の一つに、進化している機械類が、高齢者には使いづらいことがある。

そこで、一つは、高齢者でも使えるような分かりやすい機械をつくっていくこと。もう一つは、年を取ればこそできる仕事もあるので、機械がなくてもできる仕事をつくることである──。

少子高齢化が問題視される未来の日本の進むべき方向について、貴重なヒントを見つける人もおられるでしょう。

またここで、未来産業の種を見つける人も、おられると思います。

いずれにしても、日本はまだまだ元気な社会を創ることができる。

そう感じることができた、今日のお教えであるのだと、改めて私は思っているのです。

『未来産業のつくり方』

 大川隆法著


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ものすごくたくさん、霊言集が出てるでしょ。じゃ、司馬遼太郎って、どういう世界に還ってるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『司馬遼太郎なら、この国の未来をどう見るか』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 司馬遼太郎は、私の好きなタイプの作家の一人である。
 一九六〇年、七〇年の日米安保闘争の時代、学生たちは何かに取り憑かれたかのように、無意識のうちに、日本を中国の植民地とするための運動を繰りひろげていたかのようだった。
 しかし、全学連のリーダーたちが、明治維新の英雄のようになることはなかった。
 中国の四人組の「文化大革命」の悲劇や、「天安門事件」で、日本人も少しは中国の実態を知ったし、ソ連邦は崩壊し、北朝鮮にあこがれる人はいなくなった。あの朝日新聞でさえ、中国の空母艦隊の建設や、海南島の軍事基地について報道する時代となった。
 民主党が政権を取ってからは、再び左翼陣営が息を吹き返したかに見えた。かつての「安保闘争」は「あじさい革命」に言いかえられて、今では原発反対の環境左翼に姿を変えた。だが、某・老作家のピエロ役は虚しかった。この人はかつて、北朝鮮を礼賛していた人だった。
 司馬遼太郎は、戦後日本の左翼史観に、ペン一本で英雄史観をひっさげて立ち向かった人だった。それは、幸福の科学の、光の天使たちが歴史を創り変えているという考えとも合致している。
 本書を校了するにあたって、あらためて司馬さんの底抜けの明るさを感じた。そこには、ゴミ箱の底をあさっているかのような某週刊誌的暗黒思想もなく、この国の未来を明るく照らそうとする「光」を感じた。私自身も、この「光」を受け継ぎ、さらに大きくする者でありたいと思う。

あとがき
 司馬遼太郎さんのエピソードのうち、私の好きなものの一つは、東京駅で新幹線の入線を待っている際、いろんな人が「あら、あの人……」と振り返り、ささやくのを聞いて、「司馬遼太郎という人は有名な人らしいな」(本名は、福田定一)と他人事のように言ったという話である。
 数学の問題文の日本語だけは読めなくて、青森の弘前高校まで受験に行ったが落ちてしまって、昔は数学の入試がなかった大阪外大に進学した話も好きである。
 歴史小説を書くのにトラック一台分資料を集めるとか、大阪の自宅の近所を散歩していると、近所の人から、「あの人のおかげで住民税が安くなった」といわれたエピソードも好きである。
 一方、男女の交わりの描写は、どちらかというと不得手のようで、義経や河井継之助の性欲描写などには、女遊び経験が足りなかったところが窺われる。
 人生の九十五%を、書斎と書庫で過ごした作家に一定の敬意を表しつつ、今後とも、私たちに良きインスピレーションを与えて下さることを願う次第である。
(1~3、152~153ページ)

このまえがきとあとがきを読めば一目瞭然ですが、司馬遼太郎は、天上界に還っておられたわけです。

で、その司馬遼太郎は、いま天上界から、この日本という国の未来をどう見ているのでしょうか?

興味がある方は、ぜひ本書を手にとって一読されますように!

『司馬遼太郎なら、この国の未来をどう見るか』

 大川隆法著


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幸福の科学って、まだ生きてる現役政治家の守護霊インタビューなんて言って、けっこうな数、出版してるよね。これって、ほんとなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来への国家戦略』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 『国家社会主義とは何か』の「あとがき」に書いてあるように、私は、ただただ、「真理とは何か」「正しさとは何か」ということを追求しているだけなのです。
 「本当に何が正しいのか」ということを追求するために、実際に、いろいろな霊人を呼んで、さまざまな角度から意見を言ってもらい、それが幸福の科学や幸福実現党にとって不利な意見であっても活字にして出しています。
 そのように、非常にフェアにやっているつもりであり、一切、嘘は書いてありません。登場する霊人は実物そのものであり、霊言収録時の映像も公開しています。
 私は、事前学習をしたり、事前に霊人を呼んで打ち合わせしたりなどは、一切していません。それでは、やらせになってしまうので、そういうことはせずに、いきなり呼んでいます。
 そのため、霊人のほうも、急に引っ張り出されてショックを受けている場合が多いのです。事前に打ち合わせなどはせず、一切、ストーリーはつくらずに、インタビュー形式でやっているので、マスコミ的に見れば、こうしたやり方は、ある意味で、“超(ちょう)マスコミ”と言えるかもしれません。
 政治家の本音にここまで迫れるというのは、マスコミ人から見たら、「夢」でしょう。彼らの本心にここまで迫り、それをしゃべらせることができたら、新聞の一面ぶち抜きの大スクープになるでしょう。それほどの内容を、異次元的手法によって、楽々と入手しているわけですが、その影響は、じわじわと出てきているようです。
 やはり、誰しも、政治家の本音を知りたいものです。外向きには、いくらでもいいことが言えるので、「本心では、どんなことを考え、どんなことをしようとしているのか」ということを、やはり知りたいでしょう。
 例えば、同書に収められている霊言は、六月二日に一日で録ったものですが、これは、ちょうど鳩山氏が首相辞任を表明し、まだ、次の総理等については、一切、決まっていない段階です。「鳩山首相、辞任」というニュースを聞いて、「次は、菅─仙谷ラインだろう」と予想し、その日のうちに録ったものであり、菅氏が内閣総理大臣になったり、仙谷氏が官房長官になったりしてから録ったものではありません。それは収録の日付を見れば分かるとおりです。
 そして、この六月二日の段階で、もうすでに、菅氏の守護霊は、「消費税を上げる」と、はっきり言っています。これは、総理になってからの発言ではありません。これだけ早い段階で、本心を聞き出しているわけです。
 しかも、菅氏の守護霊は、「消費税の増税について、参院選のマニフェストに書いたのでは選挙に負けるので、『財政的な危機が迫ったら、そういうこともありうる』ということを匂わせる程度にとどめて、それには縛られないようにする。そして、選挙で勝ったら、政権担当中に消費税を上げたい」ということを、すでに六月二日に言っているのです。
 ここまで本心を聞き出しているので、この「異次元的マスコミ取材」というのは、かなり強力です。本人でさえ、表面意識ではまだ明確に考えが固まっていないような時期に、潜在意識のほうが、はっきりと考えを述べているわけです。
 そういう意味で、マスコミ的に見れば、これは、値段を付けるのが不可能な本だと思います。
(153~159ページ)

ただただ、「真理とは何か」「正しさとは何か」を追求しているだけであり、一切、嘘は書いていない。

実際、事前学習や事前打ち合わせなどは一切せずに、いろいろな霊人をいきなり呼んで、インタビュー形式でさまざまな角度から意見を言ってもらい、幸福の科学や幸福実現党に不利な意見であっても活字にして出しており、霊言収録時の映像も公開している。

政治家の本音にここまで迫る、マスコミ人から見たら「夢」のような内容を、異次元的手法によって、楽々と入手しているわけである──。

守護霊の意見というのは、まだ表面意識で本人が自覚していなかったとしても、いわゆる“潜在意識における本音”ということになります。

そのインタビューでは、政治家のほんとうの本音を、普通のマスコミではまったく不可能なレベルで引き出すことが可能だ、ということです。

大川隆法先生がここで紹介された書籍『国家社会主義とは何か』とは、当時の鳩山首相が辞任表明し、次の総理がまったく決まっていない段階で収録され、2010年6月に刊行された霊言集です。

この霊言収録の段階で、彼らの守護霊が考えていたこと、つまりは、彼らの本音が公にされてしまっていたわけです。

まさに、幸福の科学おそるべし。

大川隆法先生、ほんとうにおそるべし。

その凄みをわかっていない人が、まだまだ少なからずおられるのは、日本の国益上も、とても残念な話だと、改めて心の底から私は思っているのです。

『未来への国家戦略』

 大川隆法著


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政教分離って、人類普遍の真理なんだから、祭政一致の政党って、どうなのかなあ? なーんてこと、いまだに考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『世界の潮流はこうなる―激震! 中国の野望と民主党の最期』(幸福の科学出版)で、論語で有名な儒教の祖・孔子の言葉(霊言)を、次のように紹介しておられます。

 実業の世界において、ビジネス等で忙しく働いている人たちに、宗教への関心を持たせることは、なかなか難しいことでもあるので、そういう人に対しては、やはり、政治活動のほうで啓蒙していくことも、非常に大事だと思うね。
 だから、私は、「この国を理想の国にしていくためには、政治と宗教は両輪である」と考える。(中略)
 数十年前にできた日本国憲法に、政治と宗教を分ける、「政教分離」という規定があるので、「宗教は政治活動をしてはいけない」という短絡的な思い込みをする人が多いようである。
 しかし、そうであれば、例えば、「『儒教の開祖である孔子は間違っていた』と、あなたはおっしゃるのですね。孔子は『祭政一致』の理想政治を目指していましたが、それは間違いだとおっしゃるんですね」と言わなくてはならない。
 また、哲学の祖はソクラテスだし、彼を題材にして本を書き、哲学の源流になったのはプラトンであろうと思うけれども、(中略)彼が理想としたのは「哲人政治」であったと思うね。
 では、そのプラトンが、「哲人王による政治」を目指したということも間違いだと言うのか。
 あるいは、中世以降、いろいろなユートピア・モデルを出して、ユートピア運動が起きてきたけれども、これも間違いだと言うのか。
 今、政治と宗教が完全に一体化した国家も、確かに、あることはあり、それは理想の国として認められているかというと、そうでもなく、問題があって改善をしなくてはならない面もある。ただ、それが、現在、機能不全に陥っているからといって、そうした考え自体が間違いだとは言えないと私は思う。
 歴史から見たら、わずか六十数年前に植えつけられた考えを、人類普遍の真理であると考えるのは早計にすぎる。これとは、やはり、強く戦わなければならない。
 先ほども言ったように、日本でも、徳川時代には、精神的バックボーンがなければ長期の平和をつくることができなかったために、儒教というものを、一つ、「国の柱」として立て、それで秩序を守り、国を治めたわけだね。
 これは今の全体主義的なものとは違うものだ。全体主義的な共産主義や社会主義の国家体制において、彼らは秩序を守っているつもりでいるかもしれないけれども、これは、実は、悪政の、あるいは圧政の合理化にしかすぎない点はあると思う。
 しかし、徳川時代であれば、圧政ではなく、やはり、「儒教精神を取り入れた政治をやろうとした」ということが言えるし、それで徳川幕府が何百年も続いた面はあると思うね。
 明治維新という革命が起きて、西洋の考えが日本に入ってきたけれども、今、西洋諸国も一定の行き詰まりを迎えつつあるようには見えるので、やはり、行きすぎた振り子は中道に戻さねばならないかもしれないね。
(38~43ページ)

この国を理想の国にしていくためには、政治と宗教は両輪であって、日本でも徳川時代には、「国の柱」としての儒教で秩序を守り国を治めたことで、徳川幕府が何百年も続いた面はある。

宗教は政治活動をしてはいけないというのであれば、儒教の開祖である孔子は、「祭政一致」の理想政治を目指していたのが間違いだったのか、と問わなくてはならない。

日本国憲法によって植えつけられた考えを、人類普遍の真理であると考えるのは早計すぎるのであって、行きすぎた振り子は中道に戻さねばならない──。

宗教が政治に出ていいのか」という問題については、このブログでは繰り返しご紹介してきました。

日本国憲法に「政教分離」があるといっても、ちょっと勉強してみると、憲法が公布されたのは敗戦後の1946年のことですから、今から数えてわずか七十数年前のことです。

長い人類の歴史からみて、そんな最近できたにすぎないものを人類普遍の原理だなどと考えるのは行きすぎていると、天上界の孔子は明確に考えておられるわけです。

ということで、今日は、誰もが知っている儒教の祖・孔子が、その考えをストレートに降ろされたお言葉を、改めて味わってみたのであります。

『世界の潮流はこうなる』

 大川隆法著


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ね、「中道からの発展」っていう考え方があるんでしょ。それって、どういうふうに考えればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀再誕』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

成功の時においては、物事は控えめに考えてゆきなさい。
また、失敗の時においては、己の心を励ましながら生きるがよい。
共に、両極端にならず中道に入るための方法である。
愚かなる人間は成功のなかにあって、
自我を拡張し、傲岸不遜となり、
人を人とも思わないような発言を繰り返すようになる。
そうして、いつか自分を取り巻く環境が悪化した時に、
あっけなく失敗の底に沈み、誰も助けてくれる人がいなくなる。
また、逆に失意の底にある者が、
自虐的となり愚癡(ぐち)ばかりを言っておれば、
誰もまた、この人とつきあおうとはしないであろう。
愚癡ばかり出る人とつきあっておれば、心まで暗くなってしまう。
自らの心を暗くするような人とつきあわないというのも、
また、賢明な道であるからだ。
そうした賢明な道を選ぼうとする者は、
失意の底にあって愚癡や不満を言っている人間を、
相手にしようとはしないであろう。
したがって、たとえ失意の底にあるとも、
希望の光を求めて、心を励まし、力強く生きようとすることだ。
あなたが、力強い一歩を踏み出し、
そして、次なる一歩を踏み出し、
さらに第三歩を踏み出す時に、
次第しだいにまわりからも認められ、
また、素晴らしい中道の、黄金の道へと、
帰ってくることが可能となるであろう。
およそ、成功とはこのようなものだ。
人びとよ、
常に中道を旨とせよ。
中道を旨とし、中道からの発展ということを旨とせよ。
政治においても、経済においても、
中道を旨とし、中道からの発展を旨とせよ。
それは、万民を害せず、万民を愛し、
万民を幸福にするための道でもあるということなのだ。
(191~194ページ)〔携帯版199~201ページ〕

成功の時においては、物事は控えめに考えてゆき、失敗の時においては、己の心を励ましながら生きるがよい。

常に中道を旨とし、中道からの発展ということを旨とせよ。

それは、万民を害せず、万民を愛し、万民を幸福にするための道でもあるのだ──。

幸福の科学の豊富な教えのなかでも、この「中道からの発展」という考え方は、とても大事なものの一つだと教えていただいています。

よくよくあたためて、しっかりと自分のものとしたい教えだと改めて私は思っているのです。

『仏陀再誕』

  大川隆法著


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エリート教育って、もうあんまりいいイメージがわかない言葉のような気がするんだけど、でも「真のエリート教育」ってのがあるんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』(幸福の科学出版)で、「シュタイナー教育」で有名なルドルフ・シュタイナーの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 いや、本来、学問をやる人間には偉くなってもらわないと困るんですよ。本来、指導者となるために、より高い学問を積んでいくわけですし、人よりも刻苦勉励し、頭脳を鍛えた人たちが、その精神力や徳力でもって人々を啓蒙していくリーダーになることが、教育の理想だと思いますよ。
 ところが、そうした、テストの点数の高い人たちが利己主義に走っています。「他の者との競争に勝って偉くなり、収入が多くなるためだけに、勉学を使っていく」という傾向が蔓延してきています。
 家庭においても、親の期待は、かなり個人主義的なものになっています。「お金をかけたわが子がエリートになったので、自分も他人を見下せる」というように、子供と自分を同一視し、親も一緒に偉くなったような気になっているところがありますねえ。
 まあ、日本では、全国の偏差値秀才、学校秀才たちは東京大学などに行く人が多いでしょう。全部、調べたわけではないから、何とも言えないけれども、例えば、東京大学を卒業した人が、死後、天国に行っている比率と、宗教系の大学を卒業した人が天国に行っている比率を割り出してみたら、どうでしょうか。
 間違った宗教の場合は、ちょっと話は違うかもしれませんが、神の光がきちんと降り注いでいる宗教系の学校を卒業し、その宗教を一つの基準にして生きた人は、たとえ、十や二十、偏差値的に下であっても、基本的に、天国へ行く比率が高いと思うんですよ。
 彼らは、そういうテストの点数や偏差値とは関係なく、現実に、神様に近い世界に生きていると思うし、公共心や世界への愛、人類への愛というようなことに関しては、遙かに進んでいるところがあるでしょう。
 今の公教育や受験教育のなかでいちばん危険なのは、「個人主義が過度の競争主義になり、結論的に利己主義になっている」ということですね。
 修業期間中は、自分のために勉強すること自体は悪いことではないけれども、「修業期間が終わったら、世間に必ずお返しをしなければいけない」という気持ちを持たないと駄目ですね。
 多くの人々に支えられなければ、学校秀才になどなれるものではないはずです。自分を支え、応援してくれた人々に対する感謝の心もなく、社会に出てからも、人から尊敬を受けて偉くなることだけに汲々とするような、ただただ奪い続ける人間をたくさんつくったならば、教育としては失敗だと思いますね。
 やはり、この世的な学問において高く評価されるような人が、敬虔な心、謙虚な心を持ちつつ、さらに、「他の人々のために生きていこう」という気持ちを強く持つことで、真なるリーダーになるだろうと思います。
 また、神仏と一体になれるというか、天使たちの心を心として生きていけるようなエリートであってほしいですね。そのためには、一定の訓練と、一定の知識・経験は必要だと思います。
(120~123ページ)

人よりも刻苦勉励し頭脳を鍛えた人たちが、その精神力や徳力でもって人々を啓蒙していくリーダーになることが、教育の理想である。

修業期間中は、自分のために勉強すること自体は悪いことではないが、「修業期間が終わったら世間にお返しをしなければいけない」という気持ちを持つ必要がある。

この世的な学問において高く評価されるような人が、敬虔な心、謙虚な心を持ちつつ、さらに、「他の人々のために生きていこう」という気持ちを強く持つことで、真なるリーダーになる──。

さすが八次元如来界に還っている、シュタイナーの言葉です(『黄金の法』)。

幸福の科学が設立した「幸福の科学学園」の「那須本校」と「関西校」は、「高貴なる義務」を果たす「徳ある英才」を養成する、という教育の理想を掲げていると思います。

今日ご紹介したシュタイナーの言葉は、この理想をまた別の角度から教えて下さっているのだと、改めて私は思っているのです。

『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』

 大川隆法著


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