ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



大川隆法先生の「新・日本国憲法試案」って、基本的人権について書いてないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新・日本国憲法試案──幸福実現党宣言④』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 現行の憲法においては、人間の尊厳であるとか、基本的人権であるとか、主権在民であるとか、いろいろなことを言っていますが、「なぜそうなのか」という根拠は示せていないと思います。それが当然のことであるように書いてあるだけで、その根拠が示せていないのです。
 それを示しているのが本試案の前文です。第二条には、「信教の自由」を入れたので、仏教であれ、キリスト教であれ、日本神道であれ、イスラム教であれ、あるいは、その他の新しい宗教であれ、幸福の科学であれ、共通する内容を前文に持ってきました。
 宗教的には、「神」と言う場合と、「仏」と言う場合の両方があるので、総称として、通常使われている「神仏」という言葉を用いることにしました。
 「神仏の心を心とし」とありますが、はっきり言えば、「宗教国家としての立国を目指す」ということを示しているのです。(中略)「マルクス・レーニン主義的な唯物論を国是として立つ国ではない」ということを、ここで明らかにしているわけです。
 この宗教立国という立場は、イスラム教国では、ずばりそのとおりですが、キリスト教国でも、基本的には宗教立国なのです。キリスト教精神に基づいて国がつくられています。
 例えば、アメリカは、メイフラワー号でアメリカに渡ったピューリタンたちの精神が国是となって、国家が出来上がっていますし、イギリスは、英国国教会に基づいて国家が成り立っています。(中略)
 さらに、「神の子、仏の子としての本質を人間の尊厳の根拠と定め」と書いてあります。
 日本神道やキリスト教では「神の子」でしょうし、仏教では「仏の子」ということになりますが、いずれにせよ、人間は、そうした至高の存在から分かれてきた存在であり、「分け御魂」なのです。これが「人間の尊厳」の根拠です。(中略)他の諸宗派もいろいろありますが、大まかに見て、基本的な部分、全宗教の共通項に当たるようなものは取り入れているつもりです。
 神の子、仏の子としての本質を持っていることが、人間の尊厳の根拠であり、ここから基本的人権が発生するのです。
 「人間は、神の子、仏の子である」ということを前文で宣言しているので、人間はそのように取り扱われなければなりません。
 例えば、「生まれによって身分が分かれており、ある職業に就けたり就けなかったりする」という、カースト的な差別観のある世の中でもなく、あるいは、単に家柄や財産だけの問題で人間が差別されるような世の中でもなく、「すべての人が、尊い神仏の子としての本質を持っている」という平等性を、ここで提示しているわけです。
 これを前文で書いている以上、「神仏の子としての平等が出発点であるのだ」ということを一種の社会規範とし、常に原点に帰って考えなければいけないのです。
(27~34ページ)

本試案の前文では、仏教、キリスト教、日本神道、イスラム教、幸福の科学、あるいはその他の新しい宗教にも共通する内容とし、総称として、通常使われている「神仏」という言葉を用いた。

「神仏の心を心とし」として、宗教国家としての立国を目指すこと、唯物論を国是としない国であることを明らかにした。

さらに、「人間は、神の子、仏の子である」と宣言することで、人間の尊厳、基本的人権発生の根拠を示した。すべての人が、尊い神仏の子としての本質を持っているという平等性が提示されている以上、これを一種の社会規範とし、常に原点に帰って考えなければいけない──。

法をリストラして、憲法も103カ条をわずか16カ条にしようとする試案である以上、可能な限り、シンプルに、余計なことは書かない方針がとられていることがうかがえます。

それを前提にして、大川隆法先生の「新・日本国憲法試案」では、「人間は、神の子、仏の子である」ことが宣言されているわけです。おそらくは、これが人間の尊厳の根拠であり、基本的人権発生の根拠でもある以上、特にそれ以上に、あえて国民に基本的人権があるなどと言うまでもない、当然のことだと考えられているってこと、なんですよね! 



『新・日本国憲法試案──幸福実現党宣言④』

大川隆法著


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大川隆法先生、ついに、総選挙に出馬するんですって? そういうニュースに接すると、やっぱり、なんで宗教が政治なのって思うんだけど? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『政治の理想について──幸福実現党宣言②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「宗教が何ゆえに政治にかかわる必要があるのか」ということを一言で述べるとするならば、「世直しの一環である」ということです。「これは世直しです」ということなのです。
 「世直し」というものは、宗教において、わりとメジャーな考え方であり、宗派を問わず、いろいろな宗教が、やはり「世直しをしたい」と考えています。
 しかし、世直しをするには一定の規模が要ります。小さければ無理なのです。小さい宗教で世直しをしようとすると、弾圧されて、踏み潰されるのが普通です。(中略)幸福の科学は、だいたい、世直しにかかれるぐらいの規模になったと思います。
 当会は、いろいろな考え方や理念を出していますが、それを具体化して活動するに当たっては、組織としての一定の力が必要です。
 今年、当会は、日本各地にある三百以上の支部を年内五百にしようとして、支部の分割を進めていますが、現在、全国網の支部や拠点は数百、それから、正心館などの精舎も数十カ所あり、さらに布教所が約九千あります。
 これを、政治的に見ると、実は、かなり強力な組織がすでに出来上がっているのです。私たちの理想を、ある程度、この世において実現するスタートラインに、すでに立っていると言えます。
 「あと、足りないのは勇気のみである。今年は、『勇気の法』(幸福の科学出版刊)に基づく、勇気の年でもあるので、チャレンジしてみよう」と考えています。
 政治の場合、選挙があり、当選と落選とがあるので、新しい試みとしてチャレンジしても、大成功から大惨敗まで、結果はいろいろあるとは思います。そのため、最初の一歩は、やはり難しく、勇気が要ります。
 最初は、結果が見通せなくて、どうなるか分からないものですが、最初の関門を通過すれば、次は先が見えてくるので、そのあとは着実に前進していくことができるでしょう。成功するまでやめずに続けることが大事であると考えています。
 勝とうが負けようが「常勝思考」で考えればよく、「勝てば、さらに勢いを増し、負ければ、それを反省の材料とし、研究し直して、次回、再度トライする」という考え方でいけばよいと思います。
 ただ、現時点で言えることは、「今年の秋には、幸福実現党が、日本の国において、法律的にも政党として認められるのは確実である」ということです。(中略)その上で、「弱小政党にとどまるか、第一党まで行くか」ということは、これから数カ月の戦いにかかっているのです。
 幸福の科学は強気の宗教なので、最初から小さな目標を定めることには、とうてい耐えがたいものがあります。幸福の科学の応援する幸福実現党は、まだまだ勉強中の身であって、謙虚でなくてはならないとは思いますが、大義名分としては、衆議院で第一党となり、過半数も確保して、政権がとれるような「備え」はつくりたいと考えています。
(70~74ページ)

宗教が政治にかかわるのは、世直しの一環ということ。これは宗教においてメジャーな考え方であるが、それには一定の規模が必要。

幸福の科学には、全国に支部や拠点は数百、正心館などの精舎も数十カ所、さらに布教所が約9000もある。幸福の科学は、世直しにかかれる規模になった。

いま足りないのは勇気のみ。今年は勇気の年でもあるので、チャレンジしてみようと考えている。最初の一歩は、難しく勇気が要るが、「常勝思考」で、成功するまでやめずに続けることが大事である──。

大川隆法先生は、このような考え方のもとに政治に進出を決断された。そして、さらに今回、三百数十名に及ぶ立候補者がいるというその責任の重さから、幸福実現党の立党責任者(創立者)として、主要政策の立案者として、自らも責任をとるべきであると考えるに至り、立候補を決意された(→コチラに出馬表明の動画がアップされています)、ということなんですよね! 



『政治の理想について──幸福実現党宣言②』

大川隆法著


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「裁判員制度」ってのが導入されて、一般市民の裁判員が裁判官と一緒に判断するっていう裁判の仕組みが、ついに始まったんだよね。これって、幸福の科学ではどう考えてるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 第三十二条には、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と書いてあり、これに違反するかどうかという問題が一つあります。(中略)
 「きちんと法律の専門家が審査して、あなたを裁いてくれるのです。あなたの権利は素人によって感情的に侵害されたりしません」ということです。
 憲法は、そうした理性を求めているのです。「理性と法律に基づいた判断が国民を守る」ということを、この憲法は予定しているわけです。
 現在、導入されようとしている裁判員制度は、アメリカ等の陪審員制度に倣った制度ですが、この陪審員制度は、陪審員が「有罪か無罪か」だけを決めて、具体的、法律的な内容については裁判官に任せる制度です。裁判官は「有罪か無罪か」という陪審員の結論には拘束されますが、「量刑をどうするか」といったことは任されるのです。
 しかし、日本の裁判員制度は、裁判官と一般人が一緒になって、量刑まで決めていくということなので、極めて危険な領域に入っていることは間違いありません。裁判員の選び方によっては、大変なことが起きる可能性があります。(中略)
 裁判員制度導入の本当の理由は、「裁判官に、あまりにもこの世離れした人が多く、常識に疎くて世の中のことが分からないので、国民の権利が損なわれている。一般国民のほうがまともなので、裁判に参加させて意見を言わせたほうが、結論が間違わないだろう」ということです。(中略)「プロではまともな判断ができないので、素人を入れる」と言っているわけですから、まことに恐ろしいことです。(中略)
 さらに、「迅速な裁判」というものも憲法では保障されています。(中略)しかし、「迅速な公開裁判」が守られているかといえば、そうではありません。一般的に十年、ともすると二十年かかります。事件が難しければ難しいほど、重ければ重いほど長くなり、この権利は害される傾向があります。(中略)
 したがって、「裁判員制度が導入されて裁判が迅速になるかどうか」が一つの見どころです。今まで以上に紛糾する可能性も、ないとは言えません。裁判員に対して法律の講義をし、「刑には、このようなものがあって……」などと説明しなければいけなくなり、今よりかなり遅くなることも、ないとは言えないので、今後、よく見ていかなければならない重要事項だと思います。(中略)
 特に、宗教的立場から見て危険だと思われるのは、「この裁判員制度によって、はたして、宗教にかかわる裁判などが正しく裁かれるかどうか」ということです。ここに一つの疑問があります。
 宗教的なものの場合には、例えば、少数者が信じている宗教というものがあるので、多数意見が必ずしも正しいとは言えない場合があります。多数意見ですべてが決まるのであれば、ある意味で、信教の自由はないに等しくなってしまいます。
 したがって、裁判員制度の導入によって、“魔女裁判”が行われないかどうか、非常に重大な関心を持って見なければなりません。
(96~102ページ)

憲法には、「裁判を受ける権利」「迅速な裁判を受ける権利」が保障されているが、今回の裁判員制度では、これが侵害される可能性がある。特に、宗教にかかわる裁判が、いわゆる“魔女裁判”にならないかにつき、重大な関心を持っておかねばならない──。

要するに、導入されたばかりの「裁判員制度」には、大きな疑問がある、その運用については注意深く監視しておかなければならないってこと、なんですよね! 



『幸福実現党宣言』

 大川隆法著


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「新・日本国憲法試案」は、なんだかやっぱり衝撃的だよね。でも、大川隆法先生って、宗教家でしょ。なんで、憲法試案なの。そんなの法律家にまかせとけばいいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新・日本国憲法試案──幸福実現党宣言④』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今、幸福の科学は新たに政治運動を行っていますが、「国家をデザインする」ということは私に課せられた使命であると思っています。
 まず、「国家を、どのように持っていこうとするのか」という構想が大事であり、その構想があれば、あとは、それに沿って組み立てていくことが可能なのです。
 現在、法律や各種の法令等も煩雑になっています。「戦後六十数年、法律等をつくり続けてきたため、国民の自由の領域がかなり狭まっている」ということを私は主張しているのですが、その原点は日本国憲法そのものであると思われるので、まず、日本国憲法の簡素化から始めなければいけないと考えます。
 日本国憲法のなかには、法律まがいの細かい条文がかなり入っていますし、年代がかった内容もそうとう入っているので、一度、これらをリストラし、「国家の理念」および「国家の枠組みとして必要なかたち」を提示することが大事です。
 会社に経営理念があるように、「国家の理念は何なのか」ということを提示し、その上で、国家の基礎的な枠組みをつくることが必要です。
 あとは、時代が変動していくと、いろいろなものが変わっていくので、細かな内容については、そのときそのときの法律に委ねていくことが、より適切なのではないかと思います。
 憲法というかたちでカチッと固め、簡単には改正できないような硬性憲法にしてしまうと、五十年、百年とたつうちに、そうとうなひずみが出てきます。そこで、「憲法には必要最低限のことを定め、あとは法律に委ねる」というかたちにして、随時、法律を改廃していけばよいのです。
 「新・日本国憲法 試案」では、前文に加え、条文が十六条あります。私は、聖徳太子の「十七条憲法」より一つ減らしたつもりだったのですが、前文を含めると「十七条憲法」と同じ条文数になります。このくらいの条文数だと簡単でよいと思います。
 憲法学者のなかには、「憲法には、人間の生き方など、主観的なものは入れるべきではない」と考える人もいるのですが、それは間違いです。やはり、憲法は国民の拠り所になるものなので、すべての党派や宗派を超え、人々が国民として生きていくための規範、進むべき方向を指し示すべきだと考えます。
(22~25ページ)

法律が多くなりすぎて、国民の自由の領域がかなり狭まっている原点に日本国憲法があるので、その簡素化から始めなければいけない。憲法には必要最低限のことを定め、あとは法律に委ねるかたちにする。そのために、現行の103条を、わずか16条に思い切って減らす。

憲法は国民の拠り所になるものなので、すべての党派や宗派を超え、人々が国民として生きていくための規範、進むべき方向を指し示すべきである。

このようなかたちで国家をデザインすることは、大川隆法先生に課された使命である──。

普通の憲法学の常識を超えた斬新な内容で大きな議論を呼んでいる、「新・日本国憲法試案」。そのベースにある考え方が、ここに明らかにされているってこと、なんですよね! 



『新・日本国憲法試案──幸福実現党宣言④』

大川隆法著


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いま、地方の時代でしょ。四国は四国で、九州は九州で、東北は東北で独立して行政ができたほうがいいんじゃないの? やっぱり「道州制」がいいのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『政治の理想について──幸福実現党宣言②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 これは、おそらく企業家の発想でしょう。企業では、いろいろと子会社をつくり、それぞれ、違った業種のグループをつくって、連邦型経営を行うことがあるので、その発想だろうと思うのです。
 しかし、行政のレベルでは、必ずしもこれがよいとは限らないと私は思っています。なぜかというと、道州制に変えても、仕事の形式や流れが基本的には同じだからです。
 今、さまざまな情報はすべて、最終的には東京に集中している状況です。地方に住んでみると分かりますが、東京と地方との情報格差はあまりにもありすぎます。
 要するに、地方分権という名で切り離されてしまうと、東京と地方との格差がもっと開いてくる可能性が高いのです。
 また、地方分権や地方自治、道州制を提案することには、いわゆる地方交付税等の補助金をカットする狙いもあるようです。そうなると、結果的には、東京と地方の格差は、もっと開いていくおそれがあるので、気をつけなければいけないのです。(中略)
 地元に合った行政を行うこと自体は悪いことではないので、地方の行政は、現地をよく知っている人がするべきでしょう。
 ただ、「新しい役所はつくらない」「地方の役人の数を増やさない」ということが、やはり前提だと思うのです。(中略)役人の数は増やさずに、決裁権限などは下ろしていってよいでしょう。「現場に近い所で判断するように権限を下ろしていく。ただし、人数は増やさない」ということが大事です。(中略)
 私は四国の徳島県の出身ですが、徳島県から四国の他の三県に行く時間と、徳島県から東京に飛行機で来る時間との差はありません。同じぐらいの時間です。また、今は、携帯電話、インターネットなど、いろいろな情報手段があるので、実際上、時間・空間の問題は、昔の藩の時代、参勤交代をしていた時代とは、かなり違います。したがって、“藩政”に戻す必要があるかどうかは大いに疑問です。(中略)
 企業の場合には、決算というものがあるので、放漫経営をすれば、すぐに結果が出てしまいます。決算書を見たら、赤字か黒字かが明らかなのです。
 赤字になったら、当然、人員のカットもあるし、入れ替えもありますが、公務員の世界では、この部分がよく分からないのです。
 したがって、役所においては、企業経営における連邦型経営が必ずしも正しいとは言えないと思います。役人が増殖する可能性はかなり高いでしょう。
 さらに、日本のように小さな国においては、中央集権型の組織を維持するほうが、国家が一丸となって外交に当たる際には非常に有利に働きます。国論をまとめるときには非常に有利なのです。(中略)
 今、道州制を敷くと、例えば、特別通商協定のようなものを、九州は中国と結ぶとか、中国地方は韓国と結ぶとか、北海道はロシアと結ぶとか、こういうことが起きかねないわけです。そうすると、「国の外交・防衛をどうするか」というところで、手足が縛られて動けなくなる可能性が極めて高いので、危機管理上は非常に危ないのです。
 日本は、国土がそれほど大きな国ではないので、機敏な動きをすれば、人口密度の高さと国土の狭さが非常に有効に働くでしょう。それを十分に使ったほうがよいと私は思います。
(94~101ページ)

仕事の形式や流れが基本的には同じである以上、連邦型経営は、行政のレベルでは必ずしもよいとは限らない。企業と異なり行政は決算が不明確であることで、役人が増殖する可能性がかなり高い。

東京と地方では情報格差が甚だしいのに、道州制で切り離されてしまえば、格差がもっと開いてくる。さらに地方交付税等の補助金がカットされ、格差はさらに開いていくおそれがある。

日本のように小さな国では、中央集権型の組織を維持するほうが、国家が一丸となって外交に当たる際には非常に有利に働く。時間空間は、科学技術の発達で、狭くなっている。機敏な動きをすれば、人口密度の高さと国土の狭さが有効に働くので、むしろそれを十分に使ったほうがよい──。

大川隆法先生は、マネジメント(企業経営)の考え方を強調されることが多いので、道州制の導入にも賛成なのかと思っていたら、意外にも、いつくかの説得力ある理由に基づき、明確に反対だってこと、なんですよね! 



『政治の理想について──幸福実現党宣言②』

大川隆法著


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民主主義がいい政治制度だってのは分かった気がするんだけど、でも欠点はないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国家の気概』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 世相は暗くなろうとしています。
 マスコミは、政治に対して、よいことを言うことがありません。
 政治体制が独裁的で強圧的であり、人々を苦しめているときには、その体制に対して批判をすることは、マスコミにとって大事な仕事です。それは民主主義の担保であり、民主主義を守るために必要な行為です。
 しかし、人々が苦しみと暗闇のなかに沈んでいるときに、悪いニュースばかりを流すことが、マスコミの仕事ではないでしょう。
 その点において、日本のマスコミ諸氏に対しても、厳しく批判をしておきたいのです。
 民主主義の最大の弱点は、「マスコミに悪口を書かれたら、政治家は、どのような権力者であっても、選挙で落選する」というところにあります。政治学者・丸山眞男は、こうした民主主義をもって、「永久革命」と呼びました。マスコミは、何年かおきの選挙において、「権力者を“ギロチン”にかけ、クビにする」ということを、永遠に続けることができるからです。
 それは、悪い為政者、悪い政治家を追放するには有効です。しかしながら、「心ある人たちが、よい仕事をして国を引っ張り、世界を一つにしていこうとするときには、マイナスに働くこともある」ということを知らなくてはなりません。
 また、政治家も、マスコミを恐れ、それに迎合し、単なる人気取り、ポピュリズムの政治になってはなりません。
(197~198ページ)

民主主義社会におけるマスコミの責務は、とてもとても大きい──。

そうすると、ですよ。「新・日本国憲法試案」の第十二条に「マスコミはその権力を濫用してはならず、常に良心と国民に対して、責任を負う」ってのがあったけど、それは、このあたりの考察に関わるんだってこと、なんですよね! 



『国家の気概』

 大川隆法著


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幸福実現党って、天皇制について、どう考えてるの。廃止するつもりなんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 天皇制自体は百二十五代続いていて、二千数百年の流れを持っているものであり、外国には数少ないものであるので、制度そのものは何らかのかたちで残しておいたほうが、日本の国にとってはよいだろうと思っています。
 ただ、今の天皇が、政治的に、ある意味では元首にも見え、ある意味では元首でないようにも見えること、つまり、鳥でも地上の動物でもないコウモリのような立場に置かれていることに関しては、一定の疑問を持っています。
 明治以前の場合は、どうであったかというと、天皇は一種の文化的象徴だったと思うのです。京都に住んでいて、文化的象徴だったわけですが、「薩長連合軍が幕府を倒しただけでは国が安定せず、何か重しが必要だ」ということで、「錦の御旗」を繰り出してきて、天皇を政治的存在に祭り上げ、新政府をつくったわけです。
 その兵法を使った人は天才的ですが、天皇は、歴史の舞台において、必ずしも、いつも政治的なトップであったわけではありません。これは、日本の歴史を見れば、そのとおりです。天皇は、文化的には存在していましたが、政治的には、表に出たり引っ込んだりしている存在であり、たいていの場合は幕府等が実権を持っていました。
 幕府が変わるようなときには、天皇の存在によって、よくなることもあったり、政治的混乱に陥ったりしたこともありましたが、天皇制が長らく続いてきた背景には、日本神道系の神意がそれなりに働いていたのは確かでしょう。(中略)
 「天皇は、形式的な仕事はしてもよいが、実質的なことはしてはいけない」というのが憲法の趣旨です。(中略)外国の要人と会うときには、現実には元首のように振る舞っているのですが、実際には何らの権能も責任も持たないことになっています。これは非常に分かりにくい体制です。(中略)
 実は、日本という国が外国から信用されていない理由は、ここにあるのです。「誰が意思決定をするのか分からない」と言われているのです。「意思決定者をはっきりさせなさい」ということです。
 もし、内閣総理大臣が元首であるのであれば、そちらと交渉すれば全部決まるわけですから、そうであれば、天皇陛下は文化的存在としてお祀りすればよいのです。天皇を政治のほうに入れるべきではないと思います。
 逆に、天皇のほうが、政治的にトップだというのであれば、何らかの判断権がなければならないでしょう。判断と責任が生じるのは当然です。そうすると、先の戦争のようなときには、当然、戦後は死刑になっているはずです。(中略)
 私としては、「内閣総理大臣のほうに元首としての責任がある」ということを明確にしてもかまわないし、あるいは、できれば大統領制を敷いたほうがよいのではないかと考えています。
 そうしないと、日本という国は信用されないのです
(49~57ページ)

天皇制が、百二十五代と長らく続いてきた背景には、日本神道系の神意がそれなりに働いていた。日本の国にとっては、天皇制そのものは何らかのかたちで残しておいたほうがよい。

ただし、今の天皇が、元首のようにも、そうでないようにも見えることが、日本という国が外国から信用されていない理由にもなっているので、内閣総理大臣を元首と明確にするか、できれば大統領制を敷いたほうがよい──。

本年4月30日に説かれた、この「幸福実現党宣言」を踏まえて、6月15日になって、「新・日本国憲法試案」が出されたという流れでした。

つまりは、ここで説かれた考え方が具体的に提案されたのが、天皇制を文化的伝統として尊重し、大統領制を採用する、「新・日本国憲法試案」なんだってこと、なんですよね! 



『幸福実現党宣言』

 大川隆法著


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朝鮮半島は、同じ民族で、韓国と北朝鮮に分かれたままだよね。中国本土と台湾も、実質的には別の国のままになってる。そういう国って、やっぱし統一したほうがいいってことないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『朝の来ない夜はない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 台湾には真の意味での民主主義が行われていて、非常に繁栄しているのではないかと思います。したがって、今の繁栄が失われるようなかたちでの国家の統一が行われることは、望ましいとは思いません。
 「信教の自由」と「個人の努力による発展・繁栄」というものが認められない制度下にある国とは、急いで統一をしないほうがよいと思います。必ずしも、統一国家が素晴らしいとは言えないのです。
 例えば、秦の始皇帝の統一国家は、素晴らしいものだったでしょうか。秦の時代には、あちこちで反乱が起きて大変でした。国を一つにしようとすると、必ず弾圧が行われるのです。
 あるいは、ナポレオンのヨーロッパ支配は、それほど素晴らしいものだったでしょうか。やはり、被害を受けた人も数多くいたでしょう。 
 また、モンゴルが中国を支配し、「元」という統一国家をつくった時代があります。「元」は世界最大の統一国家であり、歴史的には大きな事業であったと言えますが、そのために死んだ人も、ものすごい数になります。
 したがって、統一国家をつくることが、必ずしも、正義であり、善であり、最高のことであるとは言えません。それよりも、その国に住んでいる人が、本当に幸福に暮らせること、自分自身の努力によって道を開き、幸福になれる社会をつくることが大事なのです。
 本当は、「国」というものは二の次なのです。それを知らなくてはなりません。人々が幸福になれるのであれば、国のかたちはどのようなものであってもかまわないのです。
(162~163ページ)

「信教の自由」と「個人の努力による発展・繁栄」が認められない制度下にある国とは、急いで統一をしないほうがよい。必ずしも、統一国家が素晴らしいとは言えない。

「国」というものは二の次なのであって、人々が幸福になれるのであれば、国のかたちはどのようなものであってもかまわない──。

ここでは、台湾について説かれている部分ですが、もひとつ、「信教の自由」と「個人の努力による発展・繁栄」が認められない制度下にある国の典型は、北朝鮮。

朝鮮半島も二つの国に分かれていることで、まずは統一を目指す急進的な意見もあると聞きます。

でも、急いで安易な統一を目指した結果、多くの人が飢え死にしているような北朝鮮主導で統一されるくらいなら、南(韓国)の人々が民主主義社会を満喫している今のままのほうが、まだよいのだってこと、なんですよね! 



『朝の来ない夜はない』

大川隆法著


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大川隆法先生が発表した「新・日本国憲法試案」って、16条しかないんでしょ。それって、なんだか簡単すぎないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『新・日本国憲法試案──幸福実現党宣言④』(幸福の科学出版)のまえがきで、こう教えておられます。

 私は今、聖徳太子が新たな国造りを志した気概、あるいは、明治維新の中心人物なら現・日本国憲法をどうつくりかえるかという観点から、『新・日本国憲法試案』として十六条憲法を書き下ろした。
 これが未来日本の国家ビジョンの基本設計図である。百三条ある現憲法は、敗戦期の混乱の影響が色濃く、旧式の表現や、法律レベルのものが多々散見される。
 百三条の憲法を十六条にスリム化する気概があれば、この国を根本的に改造し、未来型国家に変身させることも可能だと信ずる。
(1~2ページ)

この「新・日本国憲法試案」については、憲法学の常識を破る斬新な思想に基づく試案であることで、ネットの世界でも、カンカンガクガクの議論がなされているように思えます。

でも、大川隆法先生の真意はまず、現行の103条ある日本国憲法を、わずか16条にスリム化する「気概」があれば、「この国を根本的に改造し、未来型国家に変身させることも可能」であることを、この試案で具体的に示すところにもあるってこと、なんですよね! 



『新・日本国憲法試案──幸福実現党宣言④』

大川隆法著


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今日は、7月7日。大川隆法先生のお誕生日だよね。そこで、大川隆法先生なんだけど、どんな夢を持った方なんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の御生誕祭(大川隆法先生の御生誕をお祝いする行事)のメイン行事が、今年は、7月1日、東京丸の内の東京国際フォーラムで、5000人の聴衆を集めて行なわれましたが、そこで大川隆法先生は、「愛を具体化せよ」と題した法話を説かれました。そこで、こんな一節が語られたのです。

私には夢があります。
この日本という国を、宗教心に満ちた素晴らしい国にし、
世界の人々の手本になるような国にしたいという夢。
そして、この日本と朝鮮半島が、玄界灘を抜けて海底トンネルでつながり、
リニアモーターカーで、日本から朝鮮半島、
そして自由化・民主主義化した中国を抜けて、ユーラシアを一つに結ぶような、
そういう時代が、
豊かで平和で、みんなが友達になる時代が、
確実に来ることを、目指しています。
それが神の心です。
それをあなたがたに今、伝えています。

このブログは、幸福の科学の教え、つまりは大川隆法先生の書籍を毎日、少しずつ紹介することをコンセプトにして、この3年近く書き継いで来たのでしたが、インターネットの世界はどんどん進展して、YouTubeなどの動画の世界は、とても凄いことになってます。なんと、YouTubeに開設された「幸福実現党チャンネル」で、この御法話の最後の部分(9分あまり)が公開されているのです。

今現在、幸福の科学の全国の支部などに行けば、この御法話の全編の映像が拝聴できます。興味をもった方は、ぜひ足を運んでみてくださいね!


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「消費税はあり得ません。北朝鮮は許せません」って、幸福実現党の全面広告が、今朝の新聞に出てたよ。でも、ちょっと北朝鮮に対して厳しすぎないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国家の気概』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、基本論としては、「人々が平和で幸福に暮らせる世界は、素晴らしい世界であり、そのような世界にしたい」と思っています。また、日本国憲法の前文に書かれているとおり、世界の諸国民が平和を愛し、公正と信義を持った人々であるならば、それは立派なことですし、そのとおりであっていただきたいとは思います。
 しかし、間違った考え方や行動をとっている者に対しては、「正義に反している」ということを指摘し、叱らなければいけないと思うのです。
 したがって、私は、北朝鮮の指導者に対して、「自国の国民が、食糧もなくて飢えているときに、何をやっているのか」と言いたいのです。本当は、直接、金正日に対して言いたいところです。(中略)やはり許しがたいと思います。
 また、すでに事実としてはっきりしていることですが、金正日から「日本人を拉致せよ」という指示が明確に出て、日本海沿岸を中心に、日本人が数十人さらわれているのです。
 そのなかには、名前が分からない人もいますが、実名が分かっている人もいます。すでに亡くなった方もいるでしょうし、まだ生きている方もいると思われます。そういう状況にあって、北朝鮮側は、なお言い逃れをしています。「金正日様が拉致の事実を認めたのだから、それでもう十分だ」と言って、居直っているわけです。
 そういうことが、国際常識に照らして、はたして許されるかどうかを、よく考えてみるべきです。これは明らかに国際的な犯罪であり、許されないことです。
 北朝鮮は、そういう国際的な犯罪人を国のトップに戴いています。さらに、仏法真理的に言えば、唯物論という間違った考え方に基づき、「神も仏も信じない。あの世も信じない」という国家体制のなかで生きているのです。(中略)
 北朝鮮の国民は、今、圧政下で非常に苦しんでいます。当然、言論の自由はありませんし、上層部には正しい情報も届いていないでしょう。本当に救いがたい状況です。
 したがって、日本の政府、首相は、「北朝鮮の現在の体制を擁護したり、延命させたりしてはいけない」ということを、はっきりと言うべきですし、今回のミサイル発射に関しても、やはり、きちんと怒らなければいけません。
 北朝鮮側は、「人工衛星の発射実験を行い、日本の秋田県から岩手県の上空を通過することを事前に予告したのだから、よいだろう」という態度をとっていますが、「他国の上空へ向けて発射することについて、許可を取ったのか」ということです。日本の政府は許可などしていません。(中略)
 そして、秋田から岩手上空よりも少し南側に向けて発射すると、その延長線上にはハワイがあります。したがって、今回のミサイル発射実験は、実は、「ハワイも攻撃できるぞ」という威嚇でもあるのです。(中略)
 そういう脅迫をし、それを交渉材料にして揺さぶりをかけることで、結局は、経済的な援助等を引き出そうとしているのです。そして、「さすがは、わが国の指導者だ」ということで、国民の尊敬を集めようとしているのでしょう。
 こういう手合いに対しては、「そのような行為は、国際常識に照らして、許されるべきことではない」と、はっきりと言うべきです。
(146~150ページ)

間違った考え方や行動をとっている者に対しては、それを指摘し、叱らなければいけない。

北朝鮮の指導者・金正日は、自国の国民が食糧もなくて飢えているときに、ミサイルなどと、何をやっているのか。

また、日本人を数十人も拉致したのは、明らかな国際犯罪である。

北朝鮮の行為は、国際常識に照らして、やはり許しがたい──。

今日もまた、北朝鮮は、少なくとも2発のミサイルを日本海に向けて発射した、と報じられています。

このような国際常識に反した行動をとるおかしな国が、すぐ隣に存在しているという現実。いわば、強盗がすぐ隣に住んでいて恫喝してくるというのに、守ってくれると思っていた警察も、会議してるばかりで何もしてくれない。そんなときにどうするのか?

自分の国は自分で守る、という気概を持っていないと、大変なことになる。そして幸福実現党は、その気概を本気で持ち、行動し、発言してるってこと、なんですよね! 



『国家の気概』

 大川隆法著


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ニュース見ても、明るい話ってめったにないよね。政治のほうも騒がしいけど、今の日本に必要なものって、何なんだろうね。やっぱ、政権交代なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 一方、日本経済はどうなっていくでしょうか。
 『朝の来ない夜はない』のなかでも述べましたが、日本は、今回の世界不況において、最も傷の浅かった国なので、もっと自信を持って胸を張るべき面はありました。また、世界の金融危機を止めるにあたって、そうとうな活躍をした面もあります。しかし、そうした内容については、国民に十分に伝えられているとは言えません。
 そして、全体的な印象で見ると、“信用収縮”と言うべきか、やはり、昨年十二月ごろからの財布のひもの締まり方は、かなり厳しくなっています。「将来的に、経済的な発展はあまりない」と思って消費を控え、お金をあまり使わないようにする傾向が強く出てきています。
 それは、街に出て、幾つかのデパートや専門店などを回り、そこに勤めている人たちの声を聴いてみれば、すぐに分かります。街に出て声を聴いてみるということは、今、非常に大事なことです。現場の声を聴いてみれば、分かることは数多くあります。
 例えば、デパートの売り上げは、昨年の同じ月に比べ、十パーセントぐらい落ちています。特に貴金属などの高額商品では、クリスマス商戦あたりから、すでに売り上げが落ち込んでいるのです。
 従来は数十万円ぐらいのものを手に取って見ていたような人たちが、その辺りのものを見なくなり、もっと安い、数万円から十万円台ぐらいのものを手に取って、買わずに戻す。あるいは、手にも取らずに見て帰る。そのようになってきています。未来に対して非常に悲観的になっていて、萎縮していると言わざるをえません。
 こうした状況にあって、今の日本に本当に必要とされているものは、やはり「希望」です。未来に向けての希望なのです。
 「日本は、どのような国になっていくのか。日本を、どのような国にしていきたいのか」ということについて、やはり発展的なものの考え方を打ち出していくことが、非常に大事であると思います。
(103~106ページ)

今の日本に本当に必要とされているものは、未来に向けての「希望」である。

「日本は、どのような国になっていくのか。日本を、どのような国にしていきたいのか」ということについて、発展的なものの考え方を打ち出していくことが、非常に大事である──。

幸福実現党の政策って、たとえば街頭演説とかを聞いて、そのチラシとかパンフとかをよくよく読んでみると、まさに未来に向けて、日本をどんな国にしていきたいのかという、希望に満ちたビジョンが満載ですよね。

今の日本に本当に必要とされているもの、その「希望」を、本気になって打ち出している政党こそが、幸福実現党であるってこと、なんですよね! 



『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』

大川隆法著


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