ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「女性の活躍推進」なんだよね。女性はしっかり社会に出て活躍する時代なんだから、“女性らしさ”なんて言葉、もう死語だよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『女性らしさの成功社会学』――女性らしさを「武器」にすることは可能か(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 さてどこまで主観性を減らして、客観性を保てたか。あるいは、社会学的分析たりえているか、は正直言って確信は持てない。しかし、「女性らしさの社会学」は確実に存在すると思うし、女性は後天的な努力や教育で自分を変えていく弾力に富んでいると思う。学校では今では教えてくれない成功社会学を、私なりの社会観察と「あげまん」・「さげまん」の法則の両面から考察してみた。
 本書で私が言いたいのは、「学校の勉強のできる頭の良い女性」と、「賢い女性」が必ずしも同義ではないし、美人なら必ず結婚にも仕事にも成功し、人間関係の勝利者になれるわけではない、ということだ。
 「自己犠牲」や「無私」は、古い言葉かもしれないが、一定の精神修養を伴うと「徳」を生むことを知ってほしい。
 成功への道は、まだまだ無限にある。
(3~4ページ)

「学校の勉強のできる頭の良い女性」と「賢い女性」は必ずしも同義ではないし、美人なら必ず結婚にも仕事にも成功し、人間関係の勝利者になれるわけではない。

「自己犠牲」や「無私」は、一定の精神修養を伴うと「徳」を生むことを知ってほしい。

 成功への道は、まだまだ無限にある──。

本書を読めば、今現在の日本において、「女性らしさ」で成功する道もあることが、とてもよく理解できます。

大川隆法先生が、「あげまん」「さげまん」という言葉を使っておられるのは意外ですが、世俗的であっても、しかし本質をついた分かりやすい言葉だというご趣旨ではないでしょうか。

昔から日本女性の賢さとか素晴らしさが語られる理由について、とても理解が進む大切な書籍ではないかと私は思うのです。
 

『女性らしさの成功社会学』大川隆法著


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去年のこのブログでは、フロイトって、どこに還ったのか、はっきり書かれてなかったよね。実際は、どんな様子だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『フロイトの霊言ー神なき精神分析学は人の心を救えるのか』(幸福の科学出版)で、そんフロイトが招霊された直後のインタビューの模様を、次のように紹介しておられます。

綾織 一九三九年に亡くなられて、それ以降、ずっと、その場所にいらっしゃるのですか。
フロイト まあ、そう……、何? 「一九三九年に亡くなられて、それ以降、ずっと」とは、どういうことかな?  
綾織 今は、二〇一二年です(収録当時)。亡くなられてから、七十年以上たっているわけですけれども……。
フロイト 七十年。うーん、七十年。七十年。うぅーん。
 君は、少し妄言癖があるから、精神分析をかけてみたほうがいい。
 君は、「未来人だ」と、私に言おうとしてるんだ。まあ、そういう人はいるよ。患者で、ときどき来るからさ。
綾織 いえ、三九年に亡くなられて……。
フロイト まあ、いいよ、いいよ。未来人ね。君は、未来から来たんだ。
 幼児体験に、何か、傷があるんだと思うよ。幼児のころ、未来に対して、すごく大きな夢を抱いていたのに、それが挫折したはずだ。君は、それを忘れ去っているんだよ。
 「未来には、きっといいものが来る」と思っていたのに、何か挫折を経験して、それが深いところに沈んでいる。深層意識に沈んでいるんだ。それを、えぐり出せば、君の、その未来人幻想が消えるから。
綾織 お亡くなりになったあとのことは、覚えていらっしゃいますか。
フロイト ああ?
綾織 一九三九年にお亡くなりになったあとのことを思い出していただけますか。
フロイト 「あとのこと」って、どういうこと?
綾織 一九三九年にお亡くなりになったことは、認識されているわけですよね。
フロイト うーん。私は、夢解釈をよくしているからね。だから、今、目が覚めてやっているのか、夢のなかで研究しているのか、そのへんの区別が、よくつかないんだ。もしかしたら、夢といっても、自分の夢のなかにいるだけでなく、他人様の夢のなかに入り込んでる可能性もあるんだな。
綾織 もしかしたら、お亡くなりになったのではなくて、お眠りになっている可能性があるのでしょうか。
フロイト そうそう、だから、今、眠っている間に、深層心理の世界というか、無意識の世界のなかに入り込んでいって、探検しているうちに、なんか、穴ぼこに入っちゃったような感じがする。
 精神分析医として、これをどう解決すべきか、今、考えているところだ。
 君の言う時間は、よく分からないんだが、寝てるときには、時計を外すので、持ってないしなあ。
(28~32ページ)

フロイトは、1939年に自分が亡くなって70年以上たっているとインタビューアーが言うのは、妄言癖であり、精神分析をかけてみたほうがいいと考えている。

また、インタビューアーは、幼児のころ、未来に対してすごく大きな夢を抱いていたのに挫折したはずであり、その深層意識に沈んでいる挫折経験をえぐり出せば、未来人幻想が消えると考えている。

今、目が覚めているのか夢のなかなのか区別がつかず、精神分析医として、これをどう解決すべきか考えている――。

精神分析を始めたことで高名なフロイトは、1939年に亡くなったわけですが、このやり取りですぐ分かるとおり、自分が死んだことをまったく認識していませんでした。

そして、このやり取りでも伺えますが、単に死んだことが分かっていないだけでなく、何かというと“精神分析”してしまおうとして、インタビューアーが何をどう言っても耳に入らない状況だったと言うべきなのでありましょう。

霊とかあの世の存在を知っている人にとっては、あれだけ高名な精神医学の大家が、こんなやり取りしかできないことに深い悲しみを感じるところですが、唯物論を奉じる人々にとっては、そもそもこの霊言自体が理解を隔絶しているのかもしれません。

しかし、死後70年以上も惑っている霊のこんな実態をみるにつけても、世界の真実、つまり霊は実在していて、あの世では霊は永遠の生命を持っていること、人間は肉体と霊でできており、あの世からこの世に魂修行をするために生まれてきていること等を、一人でも多くの方に知っていただかなくてはならないと私は思うのです。
 

『フロイトの霊言』大川隆法著


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オレって、こんなに仕事がんばってるし、休みの日も勉強して人格を練ってるのにさ、会社ったら、オレの実力に見合った肩書くれないし、給料も上げてくれないんだよね。もうちょっと評価してくれても、いいんじゃないの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「自己啓発をして、自分を発展させていきたい」と考え、正しい道に入って精進しているのであれば、しだいに自分の評価が高まってくるのは、喜ぶべきことだと思います。ところが、心の修行をしている人でもそうなのですが、人間は、えてして名聞欲(みょうもんよく)が過ぎるのです。
 したがって、いつも自分の実力を客観的に見ておくことが必要です。「自分の実力はこの程度であり、この程度の評価なら受けてもよいが、それより大きな評価を受けるのは、評価されすぎである」「私は自分の実力を過信しているのではないか。過大評価しているのではないか」というように考えるのです。
 自分の実力を過大評価した場合には、たいてい事業に失敗します。
 また、他の人に対して、自分の実績や実力、あるいは精進以上の評価を求めたときには、「奪う愛」になり、客観的には自分に対する評価が下がりはじめます。
 名聞欲が過ぎると、「あまり働いていないのに、あなたは、なぜそれほど偉くなりたいのですか。なぜそれほど役職に就きたいのですか」と言われることになります。
 また、財欲と名聞欲の両方が過ぎると、「あまり働いていないのに、なぜそれほど地位や給料を欲しがるのですか。いまの十倍は働いてから、そう言うべきです」などと言われることになるでしょう。
(63~64ページ)

人間は、えてして名聞欲(みょうもんよく)が過ぎるものである。

いつも自分の実力を客観的に見ておき、過信を自ら戒める必要がある。

自分の実力を過大評価すれば事業に失敗し、実績や実力、精進以上の評価を他者に求めれば「奪う愛」になって、自分に対する評価が下がりはじめる――。

今日のお教えは、思い当たることがある方が多いのではないでしょうか。

こんなかたいブログをまめに読んで、日々、自己啓発をしているタイプの方は特に、かもしれません。

自分で思っている自分の実力と、外部からの評価にはギャップがあるのが普通であって、だいたい2割くらいは外部の評価のほうが低いものだと、役人の世界を極めた方が書いておられるのを読んだことがあります。

このギャップを埋めたいと思うと、人はえてして、自分の評価のほうを下げるのではなく、外部の評価を上げてほしいと望んでしまうものであって、それこそが過ぎた「名聞欲」であり、「奪う愛」だということなんだと思います。

これは自分にあてはめて考えてみると、ちょっとショッキングな話ですが、しかし、こういう形で教えていただかないと、なかなか自分だけでは分からない、大切な人生の「智慧」なのだと私は思うのです。
 

『大悟の法』大川隆法著


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もう1年たっちゃったけど、日米通算で4000本もヒットを打ったイチローって、その偉業を、本音ではどう思ってるんだろうね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『天才打者イチロー4000本ヒットの秘密――プロフェッショナルの守護霊は語る』(幸福の科学出版)で、昨年のその偉業達成直後に行なわれたイチローの守護霊へのインタビューを、次のように紹介しておられます。

綾織 まずは、四千本安打達成、おめでとうございます。
 これは、日本人にとりましても、また、アメリカ人にとりましても、非常に画期的な記録でございますし、これからさらに記録を伸ばしていかれることを期待しております。
イチロー守護霊 いやあ、たかが四千本ですよ。
綾織 そうですか。
イチロー守護霊 ええ。君ねえ、一万本打ってから言ってくれ。
綾織 (笑)なるほど。
イチロー守護霊 四千本打ってもねえ、八千本空振りして、言われたくはないよ。
綾織 そうですか。
イチロー守護霊 うーん。
綾織 それくらいの高い目標を持って、取り組んでいらっしゃる……。
イチロー守護霊 うーん、こんなものじゃあ、まだまだ……。
 日米通算で、こんな程度の記録で“天狗”になったら、人間、終わりだよ。あっという間に忘れ去られる。こんなものでは駄目だ。
綾織 なるほど。四千本安打を達成されたあとの記者会見で、話された言葉が非常に印象的でした。「四千本打つのに、その裏で八千回以上の悔しい思いをした」と。
イチロー守護霊 そうなんだよ。恥ずかしい思いをねえ。
 塁に出られずにスゴスゴと帰っていくときは、獲物を獲れずに戻ってきた狩人みたいなものだな。もう、ご飯もまずくなるし、悔しいよな。一晩悔しいよ。次の試合でヒットを打つまでは、その悔しさは消えないな。
綾織 「その悔しさやつらさに向き合ってきたことが誇りだ」とおっしゃっていましたが、これは、一つの「悟りの言葉」なのではないかと思います。
イチロー守護霊 いやあ、その「八千」と「四千」が逆なら、まだ少しは救われるがな。「八千本安打を達成し、四千本ぐらいがヒットにならなかった」というなら、まあ、勝ち越しだよな。
 だけど、「負け越してほめられる」っていうのは、どうも性に合わんなあ。試合で言えば、「四千回勝って、八千回負けた」と。これは、やっぱり、たまらないなあ。え? これで「プロフェッショナル」って言われたらねえ、プロの名が泣くよ。
綾織 ただ、野球の打者というのは、基本的に、五割以上を打つことが難しいのでは……。
イチロー守護霊 打ったっていいじゃないか。
綾織 そうですか(笑)。
イチロー守護霊 打てないほうがおかしいんだよ。「五割打てない」っていうことは、「投手が勝ってる」っていうことだから。だろう? 違うか?
綾織 まあ、そうですね(笑)。
(22~26ページ)

たかが四千本であって、八千本空振りして言われたくはない。

こんな程度の記録で“天狗”になったら、人間、終わりだ。

五割打てないっていうことは、投手が勝ってるっていうことだから、負け越してほめられるのは性に合わない――。

うーん、この厳しさは、やっぱりあのイチローの守護霊だと感じます。

前人未到の成果を出していても、それでも自分にひたすら厳しいこの言葉は、プロとは何たるかを教えてくれる凄味があります。

今年のイチロー選手は、大リーグのヤンキースで変わらず活躍していましたが、来シーズンはどのチームでプレーするかがけっこう話題になっているようです。

どのチームでかは分かりませんが、来シーズンもまだまだ試合に出場して、ヒットをたくさん打って、ぜひとも大記録を更新していってほしいものだと私も思うのです。
 

『天才打者イチロー4000本ヒットの秘密』大川隆法著


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中東でなんだか騒ぎになってるイスラム国って、何がどうなってて、どう考えたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『国際政治を見る眼』――世界秩序[ワールド・オーダー]の新基準とは何か(幸福の科学出版)で、以下のように説いておられます。

 当会からも本を出したように(『政治革命家・大川隆法』『アサド大統領のスピリチュアル・メッセージ』〔共に幸福の科学出版刊〕等参照)、「アサド政権が化学兵器を使って民衆を殺している」と判明した段階で、アメリカが武力行使をしていたならば助けられていたはずの人たちが、今、むしろ攻撃を受けているところが、“運命の皮肉”です。
 「オバマ氏の優柔不断」が歴史の歯車を変えてしまい、結果的には、今、アメリカはアサド政権のほうを助けるかたちになっていて、アサド政権に反対していた“民衆”が攻められています。
 「イスラム国」は、イラクの少数派であるスンニ派で、自分たちにとって不利な政策をシーア派の大統領に行われていることに対し、納得がいかなくて暴れている者と、シリアで暴れている者とがくっついてできた国であり、さらに地中海沿岸まで国を広げようと運動しています(注。二〇一四年六月に国家樹立宣言をしたが、周辺国や欧米諸国は承認していない。同年九月、国連安全保障理事会は、全会一致で壊滅に向けての対策強化を求める議長声明を採択)。(中略)
 最初はアルカイダ系とも連動したかたちでの抵抗運動だったのが、今ではアルカイダからも「組織としては別だ」と宣言されており、中東における別の不満勢力を集めていますけれども、はっきり言って、「サダム・フセインの呪い」としか思えません。
 これについては、一回、調べてみたいと思っていたのですが、「背後にサダム・フセインの霊が憑いているのではないか」と推定しています。つまり、イラクのスンニ派系だったサダム・フセインの霊が、この世において「反米・反ヨーロッパ」の“ジハード”を起こそうとしているのではないかと思うのです。(中略)
 「イスラム国」の問題は、要するに「不満分子が暴れている」ということなので、いずれ制圧されると見ていますけれども、その場合、イラクは今の国を強化する必要があるでしょうし、現政権はもう少しスンニ派に対して配慮する政策を取らなければならないでしょう。
 また、シリアのアサド政権等についても、やはり新しい政権として立て直し、きっちりとすべきです。今までの分を引きずっているので、変えなければいけないのではないかと思います。
 最終的には、「イスラム国」そのものが消滅することにはなるでしょうが、今のアバーディー政権、アサド政権そのものも、徹底的に反省して方向を変えるなり、指導者が変わるなりしないといけませんし、仲介が必要なら、日本のような国が間に入らなければいけないのではないかと考えています。
(113~120ページ)

イスラム国は、イラクの少数派・スンニ派で、シーア派のアサド政権の政策に納得がいかなくて暴れている者と、シリアで暴れている者とがくっついてできた国であるが、いわばサダム・フセインの呪いではないか。

オバマ大統領の優柔不断で、アサド政権が化学兵器で民衆を殺していたのにアメリカが武力行使をしなかったことで、結果的に、いまアメリカは、アサド政権を助けるかたちになっている。

イスラム国は、いずれ制圧され消滅するだろうが、その場合、イラクの現政権はもう少しスンニ派に対して配慮する政策を取るべきだし、シリアのアサド政権は指導者が変わらないといけない――。

アメリカが武力行使をしなかった当時(2013年9月)のアサド大統領の守護霊霊言は、一度ご紹介したことがありました。

今日は、それから1年後のシリアやその周辺がどうなってるのか、に関する話ですが、こういう形で解説してくださると、「イスラム国」というのがなぜ登場し、なぜこんなにややこしくなってるのかが、ようやく見えてくる感じがします。

要は、オバマ大統領が「世界の警察官」を辞めると宣言して、行動すべきときに行動しなかった優柔不断のツケが、今頃になってまわってきた、ということなのだと思います。

大川隆法先生は、ここでイスラム国の未来を見通し、イラクやシリアの向かうべき方途、さらには日本が果たすべき役割にまで言及しておられるわけで、日本の外交担当者の耳にこの世界教師のお言葉がしっかりと届くことを心より私は願うのです。
 

『国際政治を見る眼』大川隆法著


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伊勢神宮って、内宮(ないくう)と外宮(げくう)に別の神さまが祀られてるんでしょ。内宮は、天照大神(あまてらすおおみかみ)だと思うんだけど、外宮のほうは? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『豊受大神の女性の幸福論』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 天照大神、そして伊勢神宮を永らく外護して来られた豊受大神(とようけのおおかみ)と称される女性の神の神示的幸福論である。
 先日公刊した『卑弥呼の幸福論―信仰・政治・女性の幸福―』と併読していただくと、日本神道の女性の神々の教えの基本ラインがより明確になると思う。
 簡単に言うなら、「神への信仰」も立派な仕事なのである。そして五穀豊穣を祈りつつ、衣食住の面で国民生活を豊かにしていくことも、女神たちの立派な仕事であるのである。
 欧米的価値観が百%ではない。ここに「大和の心」が豊かに流れていることを体感されることを望みたい。
(3~4ページ)

『卑弥呼の幸福論』と併読することで、日本神道の女性の神々の教えの基本ラインが、より明確になる。
http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/6050e8dcc821d2e3faf9ae35107a1c84

「神への信仰」は立派な仕事であり、五穀豊穣を祈りつつ、衣食住の面で国民生活を豊かにしていくことも、女神たちの立派な仕事である。

ここには「大和の心」が豊かに流れている――。

一泊でしたが、お伊勢参りをしたことがあります。

そのときに初めて、伊勢神宮には外宮と内宮とがあると知ったのですが、外宮のなんたるかを、よく分からないまま参拝したように思います。

そのときの境内の神々しい、しんとした感じを思い起こしながら、本書の豊受大神のお言葉を味わっていると、「大和の心」という言葉の意味あいが体にしみわたる心持ちが私はするのです。
 

『豊受大神の女性の幸福論』大川隆法著


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座ることは修行の中心なんだから、座法(座る形)ってのは、とっても大切なものだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『悟りと救い』――『大悟の法』講義(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 仏教には宗派がいろいろあります。
 禅宗には、みなさんもご存じのとおり、「ただ坐る」という宗派もあれば、公案を中心とする宗派もありますが、いずれも坐禅中心です。
 これは、釈尊が肉体を持って生きていたときの修行スタイルを、ある程度、まねようとする動きであることは間違いありません。坐禅は、釈尊も実際にやっていたことです。
 ただ、坐禅といっても、インドのほうの川や岩場、山などを見れば分かるように、単にああいうかたちで坐ることに意味があったわけではないのです。現代であれば、別に岩場で坐禅をする必要はありません。それ自体には意味はなく、ああいう風習だったのです。
 インドの人はやせていて手足が長いので、ペタペタッと足を折りたたむことができ、簡単に坐って、それで体を支えられるのですが、もうちょっと栄養のよい人種の人は、そう簡単には足を折りたためません。西洋人などは、足を折りたたむのも大変ですし、日本的な正座をするのも大変です。
 インドの人は足をたたむのが簡単であるのに対し、西洋型の人は坐るのが苦手ですし、胴が長くて足が短い日本人型の人も、坐ることへのこだわりはあるのですが、みんな、本当は坐るのが苦手なのです。坐ると、足のことばかりが気になって、なかなか精神統一ができないのです。
 インドでも、場所によっては、坐禅をするときに、ときどきは枯れ草を敷いて坐ったりしていました。現代風に言えば、それは座布団やクッションでもありましょうし、椅子やソファーでもありましょう。そういうものを使っても別にかまわないわけです。そういうことが問題ではなかったのです。
 坐禅というものを修行としていますが、それは一つのポーズであって、必ずしも「そうでなければいけない」というものではありませんでした。一般的に、そのようにしている人が多かったので、そのスタイルを取り入れたということです。
 禅宗では、かたちのほうは、まねているのですが、中身は、どのレベルまで行っているかは、種々、問題はあるでしょう。
(27~29ページ)

仏教宗派の一つである禅宗は、坐禅中心であるが、これは釈尊が肉体を持って生きていたときに実際にやっていた修行スタイルをまねようとするものである。

ただ、今の禅宗が教えるようなかたちは、インドでは一般にそうしている人が多かったためにそのスタイルを取り入れただけであって、そのかたちで坐ること自体に意味があったわけではない。

禅宗では、かたちのほうはまねているが、中身がどのレベルまで行っているかは、種々、問題はある――。

幸福の科学でも、「精舎」に修行に行って、本格的な精神統一の仕方を学ぼうとすると、「結跏趺坐(けっかふざ)」には、吉祥坐と降魔坐があって…、とか教えていただくことができますし、結跏趺坐に便利な「座布」という座布団の厚いものも入手できます。

ただそれは、そういう座り方がある、というレベルで理解しておけばいいのであって、好みによって、座布で結跏趺坐をしたい人はそれでもいいし、椅子に座りたい人はそれでもいい、と指導されていると思います。

そういう自由さが許されているのは、大川隆法先生が説かれている教えがあるからであって、要は、禅宗が大事にしている座法というのは、本質的な真理の部分ではなく、そのときどきで変わっていく「風習」の部分にすぎない、ということなんだと思います。

呼吸法の注意点は別にあると思うんですけど、座り方について特にこだわらなくっていいんだと知るだけでも、仏陀の教え(仏教)への見方が大きく変わってくるのではないかと私は思っているのです。
 

『悟りと救い』――『大悟の法』講義大川隆法著


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イラクとかシリアあたりって、いま、何がなんだか分からなくなってる感じだけど、去年騒いでた、シリアが化学兵器を使ってたのかって問題、真相はどうだったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『アサド大統領のスピリチュアル・メッセージ 守護霊インタビュー』(幸福の科学出版)で、そのシリアのアサド大統領の守護霊へのインタビューを、次のように紹介しておられます。

アサド守護霊 私は、今、すごくすごく、すごく忙しいんだよ。うん、もうすぐ成功するからね。
市川 そうですか。成功ですか?
アサド守護霊 ロシアは、非常に力があるからね! だからプーチン大統領が、うまく我々を守ってくれるんだ。
市川 そうですか。「成功」とおっしゃいましたが、それはどういう意味でしょうか。詳しくご説明いただけますでしょうか。
アサド守護霊 成功とは、「オバマ大統領は、我々に対して、何もできない」ということだよ。ハハハハハハハハ。アーッハッハッハッハッハ。(ガッツポーズ)勝つぞ、勝つぞ、勝つぞ。(両手を上げて)ウォー! 勝つぞ!
石川 しかし、ロシアの提案は、あなたが化学兵器を手放すということですよ。ええ。国際管理にゆだねるということです。手放すつもりですか。本当ですか。
アサド守護霊 いやいや、まさか。しないよ。
石川 しない?
アサド守護霊 隠すだけさ! 化学兵器を隠すのさ。簡単だよ。1日か2日もあればできる。簡単なもんさ。
石川 そうですか。では、一部だけを手放すということですね?
アサド守護霊 そのあと、また簡単に作れるからね。
市川 確認したいのですが、化学兵器を持っているのですか?
アサド守護霊 当たり前だろう!
市川 当たり前……。
アサド守護霊 大量の化学兵器をな! 大量だよ! 我々は中東の大国である(笑)!
市川 化学兵器を使ったのでしょうか?
アサド守護霊 当然だよ。当然! 私は偉大な大統領だからね。
(32~37ページ)

プーチン大統領がシリアをうまく守ってくれる。

大量の化学兵器は、隠すだけだ。

当然、化学兵器を使用した――。

この守護霊インタビューは、昨年9月12日、国連でシリアの化学兵器廃棄が問題になっていた、その最中に敢行されたものでした。

本書刊行直後の記事でご紹介していましたが、まさに、「アサド大統領は、サリンを使いシリア国民を虐殺していた!」わけです。

このシリアの化学兵器問題では、ロシアの調停でシリアが化学兵器の廃棄に同意したことで、結局、アメリカのオバマ大統領は何もすることがありませんでした。

その結果として、その後のシリアやその周辺が一体全体どうなっているのか、というあたりについては、またの機会に!
 

『アサド大統領のスピリチュアル・メッセージ』大川隆法著


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じっくりと勉強するのもいいんだけど、目前の試験があるんだし、超高速で学習できる方法って、ないのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『大学生からの超高速回転学習法』――人生にイノベーションを起こす新戦略(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 オーソドックスな正統派秀才の勉強法を伝授しようとして、この本を企画したのだが、仕上がってみると、かなり変則的で異色の勉強法になってしまった。真面目な大学生諸君や若手エリートたちよ、許したまえ。私は、「仕事ができなくなる勉強法」や「貧乏から脱出できない勉強法」を説くことができないのだ。そういう勉強法は、何十年も大学で教えていて著書が一冊で終わりになって、人生に満足している先生にたずねるとよい。
 私は、本の年間発行点数で、世界ギネス記録保持者だが、先月も一カ月で三十八冊刊行したとかで、これがミステリーやSFでなく、学術的な本なので、型破りも度が過ぎているだろう。自衛隊の情報関連将校の話によると、五百人ぐらいのブレーンが手分けしないと私の本の生産量は不可能なそうだが、残念! 工場は私の頭一つである。
 考え方と頭の鍛え方次第で、こうなるという参考例なので、一つでも二つでもヒントになれば、あなたの人生を前進させられるだろう
(1~2ページ)

大川隆法先生は、「仕事ができなくなる勉強法」や「貧乏から脱出できない勉強法」を説くことはできない。

頭一つで、学術的な新刊書を1カ月で38冊刊行しているのは、考え方と頭の鍛え方次第でこうなる、という参考例である。

一つでも二つでもヒントになれば、読者の人生を前進させられるだろう――。

雑談のような話を本にして何冊も刊行する方が世にはおられますが、大川隆法先生の著作は、まったくそんなレベルの書物ではありません。

「理論書」は、どれもこれも深い教養に裏打ちされた深遠な内容が説かれた、傍線を引きながら読める書物ばかりですし、「霊言集」は、どの霊人の霊言も個性が際立っていて、とうてい創作ではあり得ないものばかりです。

本書は、そんな著作群の著者である大川隆法先生が、どんな勉強をしてこれだけの生産性を発揮しておられるのか、その秘密の一端が明かされたものです。

2時間くらい話をして1時間校正すれば1冊の本ができ上がる、という大川隆法先生の創作の秘密を知りたい方はもちろん、その中から一つでも二つでも知の深め方のヒントをつかみたいと願う方にも、お勧めの一冊だと私は思うのです。
 

『大学生からの超高速回転学習法』大川隆法著


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マザー・テレサって、亡くなって15年以上たつと思うんだけど、やっぱり、信じてたのはイエス様だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『マザー・テレサの宗教観を伝える』(幸福の科学出版)で、そのマザー・テレサの霊へのインタビューを、次のように紹介しておられます。

武田 私が思うに、あなたの神は、イエス・キリストですよね?
マザー・テレサ いいえ、違います。
武田 違いますか。
マザー・テレサ 違います。
武田 あなたの神とは何ですか。
マザー・テレサ 私の主は、私がイエス・キリストを通して見ていた別の何かです。私の神は、イエス・キリストではありません。私の神は「神」です。イエス・キリストは「神の子」です。ですから、理解するのは非常に難しいと思います。現在、私たちキリスト教徒は、「イエス・キリストは神、あるいは神の子、あるいは主であり、ほとんど同じものである」と理解していますが、それは少し違うのです。
武田 その神の名前をご存じですか。
マザー・テレサ 本当のことを言うと、とても難しいのですが、それは、「ヤハウェ」か、あるいは、「始めなるもの」「御存在」「始めであり、終わりであるもの」「光そのもの」です。
石川 そうですか。
マザー・テレサ よく分かりかねます。
石川 基本的に、キリスト教は、あの世についてあまり説明していません。そのため、あなたは、亡くなられたとき、少し混乱されたと伺いました。
マザー・テレサ 混乱しました。ええ。
石川 では、少し、考えが変わられたようですね。生前は、イエス・キリストをとても強く信じていらっしゃったと思います。
マザー・テレサ そうです。
石川 亡くなられてから、あの世で多くのことを学ばれたのではないでしょうか。
マザー・テレサ ええ、そうです。
石川 そこで、可能であれば、あの世で学ばれたことについて、何かお聴かせいただけますでしょうか。もう16年ほどたっていますから。
マザー・テレサ 私は、この世にいたとき、コルカタのスラム街や、世界の他の貧しい地域に住んでいる貧しい人々に、非常に執われておりました。
 そして、私は、「修道女は、この世で、どのように慈善活動を行っていくべきか」を教えることを旨としておりました。宗教や霊界に関しての私の考えは、地上に執着している普通の人々の考えと、非常に近いものだったのです。
 ですから、「来世がいかに広いものであるか」「地獄の世界がいかに深いものであるか」を知って、非常に混乱し、困惑したのです。また、「天上界の階層」についても驚きました。私は、人間を取り巻く世界のシステムや構造について正確なことは知らないのです。
(24~31ページ)

マザー・テレサの主は、イエス・キリストではなく「神」である。

キリスト教徒が、「イエス・キリストは神、あるいは神の子、あるいは主であり、ほとんど同じものである」と理解しているが、それは少し違う。

マザー・テレサは、あの世において、「来世がいかに広いものであるか」「地獄の世界がいかに深いものであるか」「天上界の階層」などについて、多くのことを学んだ――。

『繁栄の法』に収録された帰天直後のやり取りから16年を経て、マザー・テレサの霊界認識は、かなり進んでいます。

その認識は、帰天直後と違って、大川隆法先生が教えておられる霊界の真実とまったく一致してきたように思われます。

今日は、英語で行なわれたインタビューが日本語との対訳で出された霊言集の日本語部分の一部をご紹介してみました。

しかし、マザー・テレサの愛に満ちた言魂をより直接に味わいたい方は、ぜひ本書を手にとって、英語で行なわれたインタビューの原文に触れてみることを強くお勧めしたいと私は思うのです。

 

『マザー・テレサの宗教観を伝える』大川隆法著


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あの伝説の卑弥呼って、どんな女性だったんだろうね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『卑弥呼の幸福論』――信仰・政治・女性の幸福(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 神秘的で不思議な感じのする方である。
 ただ全般に言えることは、古代の女性指導者に要求されていた資質は、現代的男女競争社会で求められているものとは違っていたということである。
 「信仰」や「愛の深さ」そして「魂の清らかさ」が、指導力の源泉にあったということで、日本神道系全般について言えることかと思う。
 古代の優れた女性リーダーは、男女同権を強力に主張する現代の妻のような権利を主張するのではなく、男の子を育む母のような気持ちで男性を束ねていたのではないかと思われる。
 この立場を西洋文明から見て遅れていると見るか、それとも、もう一つの優れた東洋文明と見るか、じっくりとお考え頂きたいと思う。
(3~4ページ)

神秘的で不思議な感じのする方である。

古代の女性指導者に要求されていた資質は、「信仰」や「愛の深さ」そして「魂の清らかさ」だった。

古代の優れた女性リーダーは、男の子を育む母のような気持ちで男性を束ねていたのではないか――。

もちろん卑弥呼という方は、古代に実在した女性リーダーだったわけです。

その方が説く幸福論とは、どんな内容なんでしょうか。少なくとも、男顔負けの…、というものでないのは間違いないと思います。

卑弥呼が統べていた「邪馬台国」のほうに興味がある方は、以前の卑弥呼の霊言でその秘密が明かされていますので、そちらをどうぞ。

『卑弥呼の幸福論』大川隆法著


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大川隆法先生が説いておられる「幸福の原理」って、オリジナルな思想なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『西田幾多郎の「善の研究」と幸福の科学の基本教学「幸福の原理」を対比する』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 本書の著者校正を終えて、私の胸の内に、ある種の感動の波が押し寄せてくる。私の内なる精神の闘いの記録と、その原点が明らかにされた一書である。
 約百年の時空を超えて、二人の日本のオリジナルな根本思想家が相対峙している。おそらく哲学研究者からみても、本書は、目から鱗の一冊であろう。こういう形で西田哲学の秘密が解き明かされるということは、かつてなかったことだからだ。
 西田の『善の研究』を超える思想として私の『幸福の原理』は打ち出された。この新しい思想は、千六百冊を超える著作群となり、世界の五大陸へ、激しい波と変じて打ち寄せている。
 幸福の科学の思想を読んで「学問性がない」と思う学者は、今すぐ辞表を提出するがよい。盲目なる人に色彩の研究は不可能だからだ。これこそが新時代の学問なのだ。
(3~4ページ)

大川隆法先生の内なる精神の闘いの記録と、その原点が明らかにされた一書である。

西田幾多郎の『善の研究』を超える思想として、『幸福の原理』は打ち出された。

幸福の科学の思想こそが新時代の学問なのである――。

幸福の原理」という教えは、1987年に初めて大川隆法先生が開催された第1回講演会において、突如として打ち出されたものです。

この講演に際しては(そしてそれ以降も現在に至るまでずっと同じですが)、演題以外には事前に用意された原稿もメモも何もなく、ぶっつけ本番で演壇に立たれ、流れるように語られたものと聞いています。

そして、その最初の教えが幸福の科学の基本教義となって、それ以降の1700冊を超える大川隆法先生の著書群として展開され続けているというのは、奇跡以外の何ものでもないと言うべきでありましょう。

ちなみに、『太陽の法』で、大悟前夜に『善の研究』を読んでいたことが書かれていたため、私も手にとってみて挫折したことがあったのですが、その難解な西田哲学がこんなにも分かりやすく解き明かされるとは、改めて驚くほかありません。

本書は、大川隆法先生の大悟に至る悟りの助走部分から、幸福の科学の基本教義の成立史、そして「大川隆法学」の原点を、大川隆法先生ご自身が初めて明かされたものでもあります。

一連の大学シリーズの中でも、まさに白眉の一書と言ってよいのではないかと私は思うのです。


『西田幾多郎の「善の研究」と幸福の科学の基本教学「幸福の原理」を対比する』大川隆法著


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土井たか子・元社会党委員長が亡くなったけど、あれだけ護憲派の代表で非武装中立の平和主義を掲げてた人なんだから、とうぜん、高い世界に還ったんだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『元社会党委員長・土井たか子の霊言』――死後12日目の緊急インタビュー(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 死者に鞭打つことは、あまりしたくないな、とは思っていたが、今朝の朝日新聞と東京新聞の記事を見てみると、「憲法九条(を護る日本国民の皆さん)がノーベル平和賞最有力」といった記事が出ていた。私としても多少はつらい仕事なのだけれども、死後12日目の緊急インタビューとして「元社会党委員長・土井たか子の霊言」を出版することにした。
 女性として憲政史上初めて衆議院議長になった方でもあるし、憲法九条堅持・平和主義で一世を風靡した公人中の公人でもある。その方が九月二十日に亡くなって、12日目、自分の死を自覚しているか、政治信条をどう思っているか、どんな世界に迎え入れられているかを知ることは、現代日本で「真理とは何か」を問うこととほぼ同義である。
 生前、「山が動いた」という名言を残した土井さん。信仰で山が動くことを信じることが少なくなったクリスチャンたちにも、「何か」を伝えてくれることだろう。
(3~4ページ)

「憲法九条がノーベル平和賞最有力」といった新聞記事をきっかけに、死後12日目の緊急インタビューを行ない、出版することにした。

亡くなって12日目に、自分の死を自覚しているか。自らの政治信条をどう思っているか。どんな世界に迎え入れられているか。

これは、現代日本で、「真理とは何か」を問うこととほぼ同義である――。

かの科学的社会主義を標榜したカール・マルクスは、唯物論者の典型だと思いますが、自分の死を自覚していませんでした。

それでは、社会党や社会民主党の元党首として、社会民主主義を掲げていたと聞く土井たか子は、自分の死を自覚してたんでしょうか。

「死者に鞭打つ」とか「つらい仕事」など、書き出しから、もう本文を読まなくても分かる感じのまえがきではあります。

真理とは何か」。それは、人間は肉体と霊魂でできているんであって、死後も霊魂は肉体を離れ、あの世(霊界)で生き続けている、死後の世界(霊界)は現実に存在するし、霊魂も実在する、ということだと思います。

死後も、自分の死を自覚していない霊がいたとしたら、それは、真理に反した信念を持って、真理に反した生き方をした方だったのだ、ということになるのでありましょう。

・・・こんな抽象的な話よりも、本書のインタビューを実際に読んでみさえすれば、真理が土井たか子の霊とインタビューアのどちらの側にあるのかは、実感として誰にも読み取れるのではないでしょうか。

本書は、社会主義や社会民主主義に殉じておられる関係者の方はもちろん、イエスが実際に行なっていた奇跡さえ信じようとしない現代のクリスチャンの方にとっても、必読の霊言集ではないかと私は思うのです。
 

『元社会党委員長・土井たか子の霊言』大川隆法著


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人生って、悩みとか苦しみばっかりだよね。なんだか、もう限界だって思うんだよね。つまんない人生だよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生には悩みや苦しみはたくさんあるでしょうが、それは実際、とてもありがたいことだと思っていただきたいのです。そのありがたさをしみじみと分かる必要があります。
 悩みがないということは、また、発展性もないことを意味します。みなさんが持っている悩みのなかには、解決がつかないものも、おそらくあるでしょうが、実は、そのなかに無限の発展の可能性が宿されているのです。
 失敗の多い人生を悔やむ必要はありません。失敗のなかには、次の創造の芽、発展の芽が、必ず隠されているものです。
 この自己認識の変容、拡大、発展こそが、実は魂の成長なのです。この自己認識の変化こそが、実は魂としての成功であり、それを得るために、肉体を持って、この世に生まれ、赤ん坊から何十年もかけて大きくなり、年を取って死んでいくのです。
 「自己認識の変容こそが、実は悟りの正体である」ということを知らなくてはいけません。
 私自身も、自己認識の変容をずいぶん経験しました。
 私は一九八五年から霊言集を出しはじめましたが、『日蓮の霊言』『空海の霊言』『キリストの霊言』(現在、『大川隆法霊言全集』〔宗教法人幸福の科学刊〕の第1巻~第6巻として刊行)と、三冊ぐらいを出したあたりで、「もう充分かな」という感じがしたのを覚えています。「もう充分な仕事をして、使命は果たしたのではないか」という感じを受けたのです。(中略)
 当時は、その後もこれほど営々と働くことになるとは予想していませんでした。しかし、それで終わりにはならず、「終わった」と思ったら、さらに次から次へと仕事が出てきて、終わらないのです。
 自分では「もう限界だ」と思っても、その限界の次が出てきます。不思議なことに、自分の限界を認識すると、その限界が突破できるのです。まことに不思議なのですが、「自分の能力としては、このあたりが限界で、これ以上は、もうできない。失敗もずいぶんしたし、これ以上は無理だ」と思ったあとに、だいたい限界突破をするのです。
 そこまで行かなければ限界は突破できないということなのでしょうが、苦しみはじめて、最後に、「何かもっとほかに方法がないか。考え方がないか」と、ウンウン言って考えていると、出てくるのです。
(53~56ページ)

悩みや苦しみのなかに、実は無限の発展の可能性が宿されている。失敗のなかには、次の創造の芽、発展の芽が必ず隠されている。

自分では「もう限界だ」と思っても、その限界の次が出てくる。不思議なことに、自分の限界を認識すると、その限界が突破できる。

自己認識の変容、拡大、発展こそが、魂の成長であり、この自己認識の変容こそが、実は悟りの正体である――。

誰しも、悩み、苦しみ、そしてどこかで何かの形で失敗してしまうものだと思います。

でもだからこそ、人間には無限の発展の可能性がある。

頑張ってがんばって、もう限界だよって思ったときに、その限界を突破できる。それは、のんびりやってたら絶対に味わえなかった感覚。

そして、ちょっと前までは知らなかったけど、自分って人間は、ここまでできるんだったことを知る喜び。

つまり、自分の姿が違うように見えてきて、自己認識が変容する。

大川隆法先生は、これが一つの悟りを得たということだ、と言われるんだと思います。

そして、この悟りは、一度得ればおしまいというようなものではなくって、魂が成長するに伴って、段階を追って何度も何度も得ることができるものだ、ということでもあるんだと思います。

今日のお教えに深く学んで、悩みや苦しみ、失敗なんかに負けることなく、限界突破していき、魂を成長させ、悟りを重ねて行ける、そんな自分になりたいものだと強く強く私は願うのです。
 

『幸福の法』大川隆法著


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この間、テレビで、心というのは脳の作用なんだっていうような番組やってたんだけど、そんなはずないよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『本当に心は脳の作用か?』――立花隆の「臨死体験」と「死後の世界観」を探る(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 九月十四日のNHKスペシャルで「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」が放送されていた。NHKが脳や心、死後の世界に関心を持つことは良いと思うが、いくら仮説を立てようとも結論は一つである。真理は複雑系の思索の中には存在せず、一番単純な結論を好む。
 本書で紹介した立花隆氏の守護霊の意見は、唯物論の科学者や、朝日系ジャーナリストらとほぼ同じで、何とかして心を脳の作用の一部と考えて、魂について思考停止の状態を維持したいというところである。
 残念ながら現代の宗教学者や仏教学者にも、エポケー(判断中止)を前提に学問をやっている者が多い。紙の上の活字やデータ分析だけで学問を作り上げようとしているのである。戦後の学問の最大の失敗といってよい。ここを改善しないで「教育改革」などは虚しいと言わざるをえまい。
(3~4ページ)

立花隆氏の守護霊は、唯物論の科学者らとほぼ同じで、何とかして心を脳の作用の一部と考えようとしていた。

しかし、いくら仮説を立てようとも、結論は一つである。

紙の上の活字やデータ分析だけで学問を作り上げようとしているのは、戦後の学問の最大の失敗である――。

大川隆法先生は、形なきエネルギー体である「霊」が人の肉体に宿って、人体状の想念体をつくったとき、それが「魂」と呼ばれ、その中心部分が「心」なのだと教えておられます

つまり、結論は一つなんであって、人間の本質は霊であり、魂であり、心です。

心のほうこそが人間の本質ですから、これは脳の作用などではありません。

守護霊として呼ばれ、大川隆法先生の体を借りて霊言をしているというのに、自分自身が「霊」であることさえ分からないという摩訶不思議なことが、現実に数多く起こっています。

それが学問を深くやったのが原因だとしたら。戦後の学問というのは一体なんだったんだろうかと、根本的なところに思いが及ぶのは当然のことだと思います。

この世の事象はもちろんのこと、霊的な世界まで含めて、真理は探究されなくてはならない。そのような学問を、新しい大学で創っていかなければならない。

大川隆法先生はこのまえがきで、じつはそんなことを語っておられるように私は思うのです。
 

『本当に心は脳の作用か?』大川隆法著


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