ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



宗教を信じる者は、ファッションがどうこうなんて、欲望をつのらせるだけだから、気にしなくていいんだよね。心の修行こそが大事なんだよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ファッション・センスの磨き方』――人生を10倍輝かせるために(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 正直言って、若い頃から、ファッション・センスが自分にあるとは思っていなかった。古本屋の親父が、客も来ないので、ボンヤリと古書を眺めているような自己イメージだったかもしれない。
 しかし職場環境の変化とは、人を変えるものだ。たくさんの人の前で話をし、写真に撮られ、映像になり、新聞や地下鉄の中吊広告にもよく登場するようになると、周りの人たちもファッションについて、一言いってくるようになった。自分でも映画などを鑑賞する機会が多くなると、スターたちのファッション・センスを研究するようになった。
 最近では、自分では謙遜したつもりの言葉が、HSU(ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ)の女子学生から、「先生は、十分に若くて美しいのに、何てことをおっしゃるんですか。」とお叱りを受けることもある。四十年前に聞きたかった言葉だ。
 人生には脱線もある。この「脱線学」もまた面白いではないか。
(1~2ページ)

本書では、ファッション・センスに関する教えが説かれています。

そして、それが宗教においては「脱線学」であるかのようにも読めるまえがきです。

しかし、ここで説かれた世界は、宗教にとってほんとうに脱線なんでしょうか。

いや、人生の「幸福」という観点で考えたとき、ファッションというものも、そのセンスを身につけることは、たしかに人生の幸福の一材料になるはずだと思えます。

まさにサブタイトルにあるように、「人生を10倍輝かせる」ことができるのでありましょう。

本書は、いままでファッションなんて言葉に無縁な人生を生きてきた方にこそ、強くお勧めできる人生の指南書のひとつであると、改めて私は思っているのです。
 

『ファッション・センスの磨き方』

 大川隆法著


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仏教って、なんだか宗派によって、ぜんぜん違ったこと言ってるじゃないのよ。それって、いい加減すぎないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 仏教は、一つには、非常に自由な教えであり、決して不自由なものではありません。それは教義においても当てはまります。
 釈尊の没後二千五百年のあいだに、仏教教団にはいろいろな教派が数多く出ましたが、そのなかには、仏陀が説いた教えとは正反対のことを唱えているものもあります。それを許容するほど、仏教は器が大きいのです。
 仏陀が説いた教えのなかから一部分のみを取り出して、それを宣べ伝える人が、あちこちに出たのですが、それを許容するものが、仏教にはもともとあったのです。
 たとえば、日本の鎌倉期には、「坐禅こそが仏教だ」と説いた人(道元〔1200―1253〕)もいます。確かに、釈迦仏教にも坐禅はありましたが、仏陀の教えは坐禅しかなかったわけではなく、心の教えもあり、さまざまなものを含んでいました。
 また、「念仏こそが仏教の本質である」(「仏教は念仏である」とも)と説いた人(法然〔1133―1212〕・親鸞〔1173―1262〕)もいます。その念仏とは、「南無阿弥陀仏」と口で称えることを指すようですが、もともとの念仏の意味は、そういうことではありませんでした。
 本来の念仏とは、本章の2節で述べたように、「仏の姿を心に思い浮かべ、仏と一体になっていく。仏を念じて仏と一体化する」ということであり、「南無阿弥陀仏」と称えることではなかったのです。
 ただ、これも、「南無阿弥陀仏」と言葉で表す過程において、仏と一体化していくことはありうるので、完全に否定することはできません。
 あるいは、日蓮宗系の一部の教団では、「『法華経』こそが正しい教えである」と言って、それを行動の原理、折伏の原理としています。確かに、釈迦教団においても、間違ったものに対して厳しく破折した面があったことは事実です。
 そういう意味で、仏教はさまざまな面を持っていました。仏教には、さまざまな面についての寛容さがあったのです。それが、仏教の二千数百年の流れのなかで、多様な教えや新しい宗祖が数多く出てきたことの理由です。そのすべてをのみ込み、ガンジスの河のように滔々と流れてきたのが、仏教の教えなのです。
 なかには、仏陀の説いた教えとは逆様のことを説いている場合もあり、川が逆流することまで許しているようにも見えます。
(248~250ページ)

仏教は、非常に自由な教えであって、それは教義においてもあてはまる。

仏教はさまざまな面を持っていたことが、仏教の二千数百年の流れのなかで、多様な教えや新しい宗祖が数多く出てきたことの理由である。

仏陀が説いた教えとは正反対のことを唱えている教派さえ許容するほど、仏教は器が大きい──。

「器の大きさ」という観点を教えていただくことで、多様な宗派が並び立って、全国にあれだけたくさんのお寺が立っている理由が、少し見えてきた気がします。

こんなにクリアに仏教の現状を分析してくださるのは、やっぱり大川隆法先生が、「再誕の仏陀」(お釈迦様の生まれ変わりの方)だからなのだと、改めて深く私は感じ入っているのです。

『大悟の法』

  大川隆法著


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母はもうトシなんだけど、認知症になっちゃったんだ。お医者さんはどうしようもないっていうんだけど、でも、ほんとにそうなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡のガン克服法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 私は、「過去はもう直せませんが、未来は直せます。未来は、まだ変えていくことができます。変えることのできない過去については、反省して教訓を学べば、もう十分です。そして、努力し、よい種をまき、未来をよくしていきましょう」と、よく言っています。
 ただ、そうはいっても、「一定の年齢を超えると、種をまいても、未来を変えていく余地は、それほどないのではないか」という考えは、当然、あるわけです。
 そういう考えの人たちに対して、私は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版刊)にも書いたことですが、「現在ただいまが幸福だったら、過去の不幸体験が、全部、金色に変わるんですよ」ということを申し上げたいのです。
 今が幸福であれば、「過去に不幸であった体験は、全部、現在の幸福をつくるための、とてもよい砥石だった」と言うことができます。
 そこで、現時点で幸福な気持ちを持てるように、周りの人たちが、努力して、そういう状況をつくってあげる必要があるのです。
 お母さんの病気は、おそらく、「不幸な思い出をあまり反芻したくない」という理由で、防衛本能が働いているのだと考えられます。
 周りの人たちにできることは、お母さんに優しくし、感謝をすることです。それが、言葉では、うまく伝わらなくても、心のなかで、「『お母さん、ありがとう』『おばあちゃん、ありがとう』という、感謝の気持ちを、家族で持とう。そして、現在において、幸福な気持ちを持っていただこう」と思うことが大事です。
(162~165ページ)

その病気はおそらく、過去の不幸な思い出をあまり反芻したくないことに原因がある。

過去の不幸体験も、現在ただいまが幸福だったら、そのための砥石だったと言えるようになるから、幸福な気持ちをいま持てるように、周りの人たちが努力してあげればよい。

その方に優しくし、感謝をすること。言葉では伝わらなくても、心のなかで感謝し、いま幸福だという気持ちを持っていただこうと思うことが大事である──。

大川隆法先生は、病気というのは、人間が自分の念いで創っていることが多いことを教えておられると思います。

認知症というのは、年をとってぼけてきたというレベルをはるかに超えて、少し前のことを覚えてなかったり、徘徊したりといった病気のことで、以前は痴呆症と呼ばれていたように思います。

現代医学でも原因がハッキリしていないようですが、大川隆法先生は、少なくとも今日取り上げた相談者のケースに関しては、霊査のうえで、過去の不幸な思い出を思い出したくないという本人の心が、この病気を創り出していると判定しておられるわけです。

そんなケースは、けっこう意外に多いんじゃないでしょうか。

そして、原因が分かったら対策もたてられるわけで、思いの世界では言葉にすることなく思いが通じていきます。

ですから、心が原因であるならば、話しかけてもまったく分からない状態のときでも、まわりが感謝の思いで介護してさしあげることには、ご本人を幸福にしていくために大きな意味があるわけです。

肉親が認知症になってしまって、つらい思いをしておられる方にとって、今日のお教えは、大きな福音であると、改めて私は思っているのです。
 

『奇跡のガン克服法―未知なる治癒力のめざめ』

 大川隆法著


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ね、「守護霊の霊言」って、たくさん本で出してるでしょ。そんなことがあるの? できるものなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『金正日 守護霊の霊言』(幸福の科学出版)のまえがきで、こう説いておられます。

 本書では、日本の今後の国政を見通す上で大切と思われる、北朝鮮指導者、金正日の本心を探った。「守護霊」と言えば、宗教的であるので、信じない人も多いと思うが、「金正日の潜在意識にアクセスした」と説明すればわかりやすいだろう。「そんなことがはたしてできるのか。」と疑問に思う方も多いだろうが、私は日本最大規模の宗教団体『幸福の科学』の総裁であり、教祖でもある。不思議でも何でもない。これは、神通力の一つである。かつて三国志の名軍師、諸葛亮孔明が、千里の彼方に勝敗を決しえたのも、このような神通力があったからだと思う。
 本書の付録として、マスコミが、次期総理最有力候補に持ち上げようとしている民主党代表、鳩山由紀夫氏の守護霊へのインタビューも収録した。彼がどういう人物かを鑑定する材料となるだろう。
(1~2ページ)

幸福の科学は、1986年の立宗当初、歴史上の有名人の数々の「霊言集」を、毎週のように出し続けることで、有名になりました。

その後は、仏陀である大川隆法先生の考え方で教義を確立するという意図で、意識的に「霊言集」は出されなくなり、経典が編纂されてきたと聞きます。

でも、当然のことながら、大川隆法先生が、霊の言葉を聞くことができる方であるからこそ仏陀であられるわけで、書籍として出版することがなかっただけで、その能力をいつも必要に応じて使っておられるのは、教団内部では誰もが知ってる、有名な話でした。

さて、金正日は、今の北朝鮮の指導者である金正恩の父親で、前代の指導者ですが、情報が少なく、いわば謎の指導者でした。

そして2009年、その本心を、その守護霊にインタビューすることで探り出したという、驚天動地の書籍が発売されたのです。

「守護霊の霊言」や「守護霊インタビュー」というものに興味関心を持った方、ぜひ手にとってみられたらと私は思っているのです。

 

金正日守護霊の霊言 『金正日守護霊の霊言』

 大川隆法著


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社会主義の国って、中国もそうだし、まだ生き残ってるでしょ。どうなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『危機に立つ日本』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 理性でもって、世の中をすべて動かせる」と思っているのが社会主義なのです。(中略)日本のエリートたちは、この思想にずいぶん惹かれたのです。「エリートである自分たちが、理性でもって世の中を動かせば、社会をより良くできる」と考えたわけです。
 頭の良いエリートたちからすると、アダム・スミス型の自由放任経済など、まったく原始的に見えるでしょう。(中略)彼らは、「『放っておいたほうがうまくいく』などということはありえない。やはり、一部の賢いエリートたちが、きちんとデザインを描いて、そのとおりにやらせれば、世の中はうまくいくのだ」と考えたのです。これが社会主義です。(中略)
 実際の「生身の人間」というのは、日々の精進によって変わっていくものですし、相手の存在というものもあります。例えば、商売というのは相手があって成り立つものです。貿易も相手があって成り立つものです。
 「自分としては、理性的に考えて、この値段以外にない」といくら言っても、相手が値切ってきたときには、交渉によって値段は変わってきます。
 メーカーの生産部から、「この値段以外で売ってはいけない」といくら言われても、第三次産業である商業の世界では、同業他社もあれば、顧客もいるので、どうしても売りたければ、五十パーセントオフや三十パーセントオフの値段を付けなければいけないときもあるのです。
 そのように、今の経済においても、感性の世界は、まだ十分に生きていて、理性どおりにはいかないのです。
 なぜアダム・スミスのレッセフェールが肯定されるのかというと、それは、「ただ放任する」ということではなかったからです。「各人の持っている、いろいろな智慧や才覚を、全身全霊で最大に発揮することを通して、経済は花開く」という思想であったのです。
 後追い型で経済を統計化することは可能ではありますが、事前に国家が計画し、十カ年計画、二十カ年計画、三十カ年計画というようなかたちで、線引きできるようなものではありません。
 それが、ある程度、成功したのは、旧ソ連が重化学工業化を推進し、国力を上げた時代です。計画どおりにいっていたときには、一時期、アメリカを抜いたように見えた時代もありました。しかし、その後、ソ連邦は崩壊し、実態はひどいものであったことがかなり分かってきました。
 旧ソ連では、完全に生産者サイドのものの考え方をしていて、需要者側、消費者側のニーズを考えていませんでした。食品などが不足し、店先にはいつも行列ができていました。必要なものが必要なだけつくられていないため、すぐに品物が売り切れてしまっていたのです。中央のほうで決めた数量だけをつくるので、需要と供給が合っていなかったわけです。
 これは「敗れた経済」なのですが、それがまた復活してこようとしています。(中略)しかし、その先にあるものは「地獄」です。
(87~94ページ)

理性でもって世の中をすべて動かせると思っているのが社会主義である。

しかし、生身の人間は、日々の精進によって変わっていくものだし、相手の存在もあり、経済においても、感性の世界はまだ十分に生きていて、理性どおりにはいかない。

旧ソ連の崩壊で、「敗れた経済」であるのが分かってきているのに、それがまた復活してこようとしているが、その先にあるものは「地獄」である──。

この説法が説かれたのは、2009年の9月、民主党が政権を取って、鳩山内閣が組閣された直後のことでした。

ここに引用したとおり、大川隆法先生は、鳩山内閣、そしてそれに続いた菅内閣の本質が、社会主義政権であるとして、「その先にあるものは『地獄』」と喝破されました。

その見通し(予言)がいかに真実をついたものであったかは、民主党の国家運営が、それからわずか2年もたたないうちに日本経済をガタガタにしてしまって崩壊したのを見れば、誰もが認めざるをえないところです。

また民主党系の社会主義政権になりでもしたら、「資本主義経済を理解していない」わけですから、日本が「非常に怖い時代」となってしまう。

これが、本稿の大川隆法先生の見通し(つまりは予言)から導かれる、唯一の結論であるのだと私は思っているのです。

 


『危機に立つ日本』

 大川隆法著



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今日も眠いなあ。少し夜更かししたからなあ。でも、なんで人間って、夜は寝なきゃいけないんだろう。1日は24時間しかないのに、7時間も8時間も寝ないといけないなんて、なんでだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神理学要論』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私たちは睡眠中に、往々にしてこの肉体から霊体が離れて、実在世界に還っているのです。この実在世界のなかには、天国も地獄も両方ありますが、そこに還っているのです。これは里帰りの現象であるし、私たちが霊的存在であるということを忘れさせないためにも、そういう習性をつけてあります。これは死んでからあと、困らないようにするために、そういう経験をずっと積ませるようにしているのです。
 もうひとつは、私たちの肉体は食物によって養われますが、私たちの霊体そのものは、実在界にあるところの霊界エネルギーによって、養われています。
 この霊界エネルギーの一部は、食物を通して入ってくることもあります。食物になったもの、いわゆる動物の肉とか、あるいは植物、穀類、ミルクなど、いろいろなもののなかには、もともと生命エネルギーが入っていますから、一部分はもちろんそちらからも吸収していますが、これだけでは霊体エネルギーとしては十分ではないのです。ガソリンを補給するように、必ず実在界のエネルギーを受けないと、霊的に生きていけません。
 それは、人間が精神的存在である以上、そこから抜け出すことはできないからです。動物ではないのです。肉体だけであるならば、食べ物だけを食べていれば生きていけるのです。しかし、人間には平均八時間といわれる、あの長い時間の睡眠が必要です。機械でも八時間も休ませるというのは、あまりないでしょうけれども、それだけ休ませないと、もたないというのは、これは別の意味がそこにあるからです。
 この睡眠によって、実在界のエネルギーを得ているのです。また、これが霊的な進化の原則になっているのです。睡眠中に自分の守護霊と会って話をしている、友人と会って話をしている、また、地獄霊にしごかれる。いろいろありますけれども、そういう霊的な特訓を受けて、忘れないようになっているのです。
(125~127ページ)

「実在世界」というのは、「あの世」のこと。

要するに、睡眠には、二つの意味がある。

一つには、この世で生きてる間にも、あの世を忘れないため。

そして、二つめは、あの世の世界で霊的エネルギーを補充している。

まだまだ科学は、睡眠のほんとの意味を解明できてないようです。

けれども、霊があって肉体があるんだ、という真実を知らないまま、いくら脳を調べても、分かるはずがない、ということなんだろうと私は思うのです。 

 

神理学要論ー新時代を拓く叡智の探究

『神理学要論』

  大川隆法著

 


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幸福の科学の霊言って、どうして、特別なことをしないで、大川隆法先生に霊が降りてくるなんてことが起きるの? 何かの儀式をやったり作法があったりして、初めて霊が降りてくるのが普通だと思うけど、大川隆法先生のは、全然違うでしょ。どうして、そんなことができるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『フランクリー・スピーキング』(幸福の科学出版)で、こう解説しておられます。

 これは、霊的能力のあり方が、通常のものとは、やはりちょっと違うのだと思っていただきたいのです。
 よく霊媒現象と同じように言われることもあるのですが、大きく分けて言うと預言者型と霊媒型というのがあります。本人の意識が全然なくならないかたちで、神の声が聞こえたり、その姿を見たりするのが預言者型です。本人の意識がなくなるようなかたちで、霊が支配していろいろなことを語り、気がついてみたら、本人は何を言ったかわからなかったというのが霊媒型です。大きくはその二つに分かれているのです。
 ただ、仏陀とかキリストとか、ああいう救世王的な立場に立った方を見てみますと、具体的には預言者型でも霊媒型でもない霊能力のあり方をしているのですね。それは、説法そのものが仕事ですから、霊示を受けてただ語るというだけではなくて、自由自在にいろいろな高級諸霊が入ってきて話をしているのですね。そういうやり方が、釈迦の説法に八万四千の法門があるというようなことになるわけです。いろいろな高級諸神霊の力を借りて話をしているから、多様な教えが説けるのです。当会もそれは同じです。
 それは、肉体を持っている人間の霊格のほうが、あの世にいる神々とか高級諸霊と言われる人の霊格よりも高い場合にのみ起きる例外現象なんですが、それが起きているわけなのです。要するに、肉体のなかに入っている霊の力のほうが、あの世にいて指導している指導霊と言われるものよりも、パワーが上なんですね。そういうときにのみ、こういう自由自在なかたちでの霊現象が起きるんです。普通は、高級神霊が降りてくると、地上の人間の霊というのは力が弱いですから、支配されてしまうんです。完全に支配されて、自分の意見も何もなくて、もう彼らのものだけが出るというかたちになる。あるいはその逆に、地獄霊に憑依されて、何をしているのかわからないというのもあります。
 預言者というもののなかで、単に啓示を受ける、字が見えるとか声が聞こえてくるというだけの預言者も、数はかなり多いです。そういう人の場合には、教えはそんなに量が出ないのが特徴です。ターニング・ポイントで、時々、神が霊告を与えて、「こうしなさいああしなさい」というようなことが出てくる程度なんです。(中略)
 ところが、法そのものをつくるところまでいくと、ある意味で、預言者を超えたものなのです。その説明としては、先ほど言ったように、例外的に、地上にいる人の霊格が、通信を送っている霊人たちより高いときが、たまにあるということです。
(120~123ページ)

霊的能力のあり方が、通常のものとはちょっと違うのだと思っていただきたい。

仏陀やキリストなど、救世王的な立場に立った方は、預言者型でも霊媒型でもない霊能力のあり方をしている。

それは、肉体を持っている人間のほうが、あの世の神々や高級諸霊の霊格よりも高い場合にのみ起きる例外現象である──。

「肉体を持っている人間のほうが、あの世の神々や高級諸霊の霊格よりも高い」とは、どういうことでしょうか。

つまりは、肉体を持って「霊言」をしておられる大川隆法先生が、仏陀(ぶっだ)であるにとどまらず、「エル・カンターレ」という、とても偉大な霊存在であるということ。

だから、「あの世の神々や高級諸霊の霊格よりも高い」ということを、誰もに分かりやすく解説して下さっていたのだと、改めて私は思っているのです。

 

フランクリー・スピーキングー世界新秩序の見取り図を語る 『フランクリー・スピーキング』

 大川隆法著


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美人だし、気だてはいいのに、自分の暗い過去を気にしすぎて、なかなか縁に恵まれない人っているよね。過去の失敗って、正直に相手に言わないと、相手を騙すことになって神仏は許して下さらないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新・幸福の科学入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 自分の「過去を強調する女性」というのがあります。
 相手の男性がいよいよ本腰をいれてきた時に、「じつはお話があるの。」と切り出し、(中略)自分の人生のマイナス表示、デメリット(短所・欠点)表示をしておかないと気がすまない女性です。
 こういう方と結婚する男性は、よほど勇気のある方か、よほど放蕩の限りを尽くした方に限られることでしょう。
 こういう傾向のある女性は、もう一度よくお考えいただきたいのです。八百屋のトマトは「完全無農薬」と書いてあればよく売れますが、「百パーセント農薬を使用、よく水洗いしないと生命に危険あり」と表示されていれば、だれも買う人はいないということです。(中略)
 事実を正直に述べることが、必ずしも幸福の原理にはならないということです。私たちは、自らのデメリット(欠点)表示をしたくなる時に、一度踏みとどまって、それが自己処罰の思いではないのか、自己破壊願望ではないのかを再考してみる必要があるのです。
 ですから先ほどの女性の例であれば、自分の暗い過去などは断じて口にしてはいけない。過去空振りの三振をしたのなら、これからヒットを打つことだけを考えればよいのです。幸福な人間関係をつくっていくためには、不幸の言葉を口に出してはいけない。幸福の言葉のみを出していくことです。(中略)
 要はこういうことです。事実を事実として述べる、そういう「正直」という名の「小善」のために、「将来の幸福」という名の「大善」を逸してはならない。そういう自己処罰をしてはならない。「正直」に述べることが相手を傷つけるなら、その「正直」は罪です。断固として排斥し、より大いなる「善」を選びとることです。こうした考え方をたいせつにしてください。
(216~219ページ)

自分の過去を強調する傾向のある女性は、事実を正直に述べることが必ずしも幸福の原理にはならないこと知っていただきたい。

正直という名の「小善」のために、「将来の幸福」という名の「大善」を逸してはならない。

正直に述べることが相手を傷つけるなら、断固として排斥し、より大いなる「善」を選びとることである──。

大川隆法先生は、「将来の幸福」という名の「大善」のために、「正直」という名の「小善」には目をつぶってもよい、と教えてくださっています。

これは、過去の自分ではなく、今の自分が、そして将来の自分がどういう人なのかが問題だ、ということだと思います。

過去のことはよく反省した上で、これから縁ある相手と幸せな家庭を築いていく決意と努力をしていくことで、幸福をみずからの手でつかんでいけるって。

ほんとに、勇気が出るお教えだと、改めて私は思っているのです。

 

『新・幸福の科学入門』

 大川隆法著


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三塚博って政治家がいたんでしょ。どんな人だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『元大蔵大臣・三塚博「政治家の使命」を語る』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 元・清和会会長にして、自民党の幹事長・大蔵大臣の要職をこなされた三塚博さんと十年ぶりに話をした感じだ。少し若返られたようなイメージがある。
 あの頃は、中央政界と幸福の科学の距離はとても近くて、私も責任感の重みに、身が引きしまるようだった。オウム事件の後、国会で宗教法人法の改正(?)が行われて、世論に迎合して政治が宗教を監督強化する方向が打ち出されたので、私も多少ヘソを曲げたこともあった。
 そのことも手伝ってか、三塚さんが大蔵大臣の時、山一證券、北海道拓殖銀行危機が起きたが、私自身は、栃木県で総本山創りをすることに打ち込んでおり、「打つべき手」について一言アドバイスを怠ったことが、日本経済への致命的大打撃になった。「日銀特融」をすべきかどうかについてである。
 今回、三塚博さんが甦って、「政治と宗教」「政治家の使命」について語って下さった。十年の歳月の経過が、本書の刊行を可能にし、一層の重みを加えていると思う。
(1~2ページ)

『三塚博総理大臣待望論』という書籍が、幸福の科学出版から刊行されたのは、オウム教が地下鉄サリン事件という衝撃的テロ事件を引き起こした、1995年のことだったと記憶しています。

そして、山一證券、北海道拓殖銀行の破綻は、1997年のことだったと思います。

幸福の科学との関係がものすごく深いと言われたり、信者であることを御本人が否定したと伝えられたりもして、いろいろな評価があった政治家だったように思いますが、さて、その真相はどうだったのでしょうか。

本書は2014年に発刊された霊言集ですから、帰天されてもう20年がたつわけです。

いま裏金で騒がれている自民党の派閥(清和会)の会長だった方で、同じく会長だった故・安倍元首相の大先輩にあたる方です。

天上界から、安倍政権(当時)や幸福の科学について、どう見ておられたんでしょうか。

本書は、古くからの幸福の科学の会員であれば誰もが知りたい、当時の真相がはっきりと明かされた書籍です。

そしてそれだけでなく、もしかしたら、裏金問題で解散した清和会や自民党の体質の問題について、何かヒントを得られるのかもしれません。

いずれにしても本書は、今の日本の政治に興味関心を持つすべての方に対して強くお勧めできる現代政治の参考書でもあると、改めて私は思っているのです。
 

『元大蔵大臣・三塚博「政治家の使命」を語る』

 大川隆法著


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もう還暦で、定年なんだよね。これからの幸福って、どこに求めたらいいんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『孔子の幸福論』(幸福の科学出版)で、論語で有名な孔子の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 六十歳は、還暦ということになるけれども、一般には、定年を迎える人が多いことは多い。
 このころには、体力的に弱ることもあり、自分の将来に対して不安になることもあり、また、子供も完全に手が離れていくこともあるので、未来に対する希望が薄れてくる。そういう年が、六十という年だと思うんだ。
 ただ、やはり、ここで、「一生の意味をだいたい終えるか終えないか」という判断がなされるのかなという気がするね。
 六十歳にして、まだ、学ぶ心を忘れない者には、それから先に、晩年の大成が待っていると私は思う。
 つまり、六十歳にして、まだ、自己投資というか、自分自身の将来に対する努力研鑽を忘れない人は、さらに豊かな完成期の晩年を持つことができるだろう。一方、六十歳にして「人生をだいたい終えた」と思う人は、普通の人であり、「好々爺として生きていく。よき老人として、周りの人に迷惑をかけずに生きていく」ということが目標になろうなあ。
 このように、六十歳は、「人間としてのさらなる完成があるかどうか」ということがかかった年齢だ。六十プラスマイナス何年かあると思うけれども、ここでもう一度発心する人には、さらに先の未来が待っていると思う。
 普通の人の場合は、一般的な仕事、例えば、事務仕事や筋肉を使うような肉体的な労働ならば、だいたい、六十歳ぐらいで終わってしまうことが多い。しかし、六十歳にして、まだ、知的投資をし、勉学に励むようであれば、その人には、もう一段、大きな完成への道が待っているだろうね。もう一段、大きな師として、多くの人たちから仰がれるような未来が待っているのではないかな。そのように思うね。
(43~45ページ)

六十歳は、定年を迎える人が多く、未来に対する希望が薄れてくる年だと思う。

六十歳にして人生をだいたい終えたと思う人は、普通の人である。

六十歳にして、自分自身の将来に対する努力研鑽を忘れない人は、さらに豊かな完成期の晩年を持つことができるだろう──。

「六十にして耳順う」という論語の言葉が語り継がれています。人の言うことを逆らわないで聴けるようになった境地のことだったと思います。

しかし、論語から2500年。当時とは寿命が違うんでしょうけれども、天上界の孔子さまは、21世紀の現代日本において、同じことは説かれないわけです。

還暦を迎えても、まだまだ努力研鑽することができるというのは、大変なことだと思います。

「生涯現役」という言葉も思い浮かびます。

でも、平均寿命というのも、男性でも81歳を超えて、女性は87歳を超えたと報じられていたように思います。

60歳になっても、まだ残りの人生、何十年もあるわけで、単に余生をすごすだけでは、ちょっと長すぎます。

努力研鑽によって、晩年、それだけの実りを得ることができることを、天上界の孔子さまは保証して下さっている。

とてもありがたい今日のお教えだと、改めて私は思っているのです。
 

『孔子の幸福論』

 大川隆法著


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守護霊って、みんなに一人ついてくれてるんでしょ。そしたら、ジャーナリストの守護霊ってさ、やっぱり取材の手伝いをしたりするのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『WILL花田編集長守護霊による「守護霊とは何か」講義』(幸福の科学出版)で、月刊「WiLL」の花田編集長の守護霊へのインタビューを、次のように紹介しておられます。

綾織 ほほう。ご自身もアプローチをしていくわけですね。

花田紀凱守護霊 そうそう。だから、地上の本人(花田氏)は、(取材対象の)生きてる本人とは話をしようとするけど、もちろん邪魔もいっぱい入るし、秘書だとか、その他、会社の人だとか、いろいろな人がブロックをかけてきて、当然、悪いやつほど会えないようになってる。
 だから、守護霊である私が、直接、入れるところなら入っていって、やっぱり善悪を俺なりの感じで、「これは黒だなあ」とか、「これは深入りすると危ない筋かなあ」とかね。こういう勘は、俺なりに持って(地上の)花田をつつく。(中略)
 それで、「よし、行け!」と「GO!」を言って、本人とパパーンと火花が散るように行ったとき、火打ち石みたいにパパーンと行ったときには、「GO!」でやっちゃうわけね。

綾織 ほほう。では、守護霊さんが、きちんと下準備というか、調査をやって仕事をされる、と。

花田紀凱守護霊 いちおうねえ。(中略)花田のほうが、明確にそれを言葉としては受け取れないだけであって、俺も、いちおう取材対象については、実際に調査に入ってるわけよ。(中略)だから、国税庁の調査と変わらない。
 もう、事前にいろいろ調べて、「人の出入りがこのくらいだから、一日の売り上げはこのくらいで、たぶん年収はこのくらいあるはずだから、脱税予想はこのくらい」みたいにやるじゃないですか。(中略)
 まあ、だいたいねえ?見たら分かるじゃん。一日見てたらだいたい分かるでしょう?そうやって収入まで予測する。
 それと同じようなもので、こちらのジャーナリストの守護霊なるものは、だいたい、「相手の悪質度」とか、「本当は、どの程度の悪を裏でやっているか」とか、このへんのところの勘所?
 それから、「落としどころは、どのへんあたりか」とか、「ここまでやって、ここらへんまでやると、ヤクザをつけて逆襲をかけてくる」とか、そのへんの見極め?
 だから、「逃げるべきポイント」とか、「ここで逃げろ!」とかいうあたりの、その見切りのサインは出すね。
(90~94ページ)

地上の本人は取材対象と話をしようとしても、邪魔も入るし、いろいろな人がブロックをかけてきて、悪いやつほど会えない。

だから、花田氏の守護霊である私が、直接、入れるところなら入っていく。

「相手の悪質度」とか、「落としどころはどのあたりか」とか、「逃げるべきポイント」とかいうあたりのサインは出す――。

月刊「WILL」の花田編集長は、往年の「週刊文春」の名編集長としても著名な方です。

インタビューアである月刊「ザ・リバティ」の綾織編集長(当時)の聞き方がうまいのもあるんでしょうけれど、その花田編集長の守護霊、けっこう饒舌にディープな話をしてしまっている注目の霊言集です。

おっとそういえば、その「週刊文春」ですけど、また最近、ご長男の嘘だけのひどい記事を掲載しちゃったのが裁判になって、地裁でも高裁でも幸福の科学に激しく負けた上に、上告もできずに負けが確定したんですってね。

以前にも、最高裁まで争った裁判で、幸福の科学に対してちょっと聞いたことがないくらいの負け方をしたというニュースもありました。

このときは、大川隆法先生がすぐさま『「文春」に未来はあるのか』という単行本まで出して、記事の嘘に反撃されました。

週刊文春をはじめとするマスコミのみなさんが、花田編集長の守護霊に学んで、自分の守護霊からのサインをしっかりと受け止められるよう、少しでも宗教の勉強をされますようにと、改めて私は願っているのです。

 

『WILL花田編集長守護霊による「守護霊とは何か」講義』

 大川隆法著


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福祉って、やっぱり社会で一番大切なものの一つだよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人間にとって幸福とはなにか』――本多静六博士スピリチュアル講義(幸福の科学出版)で、あの本田静六博士の霊の言葉(「霊言」)を次のように紹介しておられます。

 わしは今、年齢不詳だから、年寄りくさくなってはいかんと思うけども。現代は、優しい社会になっとるとは思うんだけどね。確かに、社会が優しい、国が優しい、市も県も優しい。そういうことをしなきゃ、票が取れないのでなあ。民主主義社会は、まあ、優しい社会になっとると思うよ、実際なあ。
 それは、いいことなのかもしらんし、人類の進歩なのかもしらんと思うところもあるけども、わしの目から見たら、肝心な観点が抜けてると思うんだよな。「人間にとっての幸福とは何か」っていうところが抜けてると思うんだよ。
 人間っていうのはねえ、自分で努力して、一歩一歩、現状の悪い“あれ”から、よくなっていって、成長していくところに、この過程に幸福を感じるんだよ。
 自分がやったので、これが成功した。勉強して成績が上がった。事業でも、工夫してやったら、客がついて売れるようになった。黒字が出た。赤字が黒字になった。人が雇えるようになった。店が大きくなった。まあ、こうしたことが、うれしいことなんだよ。
 この幸福論を忘れてねえ……。現代憲法のいう、いわゆる「文化的最低限度の生活」か?なんか知らんけども、「国や、そんなのが保障してくれることが幸福だ」と、あるいは「病院代を出してくれるのが幸福だ」っていう幸福観は、私は、非常に消極的でネガティブだと思うな。
 もちろん、最低限はそうなのかもしらんけども、心掛けの問題は、やっぱり根本的にあると思う。
 だから、幸福論の観点から、もう一回、考え直したほうがいいよ。今、「福祉」って言うと、何でもかんでも、あれなんだけどねえ。敵もなく、もう賛成しかないんだけども。
(44~46ページ)

現代は優しい社会になっているが、「人間にとっての幸福とは何か」という肝心な観点が抜けている。

人間というのは、自分で努力して、一歩一歩、成長していく過程に幸福を感じるのであって、これを忘れた幸福観は、非常に消極的でネガティブである。

(現代の福祉政策は)幸福論の観点から、もう一回、考え直したほうがいい──。

さすが、「努力即幸福」を説いた本多博士の説法です。そして、滋味あふれる語り口で、わかりやすい。

要は、下手にパートやアルバイトよりも、生活保護を受けていたほうが収入が多くなることもあるように聞きますが、そんな福祉政策は人間を幸福にしていない、ということなんだと思います。

最低限のセーフティネットは必要だと思いますが、でも、人間をダメにするような福祉政策ではいけない。

これは、幸福実現党の政策の方向性にすでに取り入れられていることに気がつきます。

天上界の高級霊の考え方を具体的な政策とし、すべての人を幸福を実現していける社会が、少しでも早くやってくることを強く祈念したいと、改めて私は思っているのです。
 

『人間にとって幸福とはなにか』――本多静六博士スピリチュアル講義

 大川隆法著


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いやあ、この人生、ぜんぜんいいことないよね。なんだかだよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

あなたがたは、
ほんとうの意味において、やる気のある人間になってください。
あなたがた自身が生きていることで、
まわりの人がやる気になるような、
そういう生き方をしてください。
それが、この世を光明化していく第一歩なのです。(中略)

暗い想念と戦うことです。
明るく建設的な思い、
持続的な思い、
そして、信仰心でもって、
みずからを励ましてください。

常に最高の自己を世の中に差し出すこと、
自分の最高の光を放ちつづけることを、
願いつづけてください。

それがサクセス・マインドであり、
全世界の人類が、いま持つことを要請されている心構えなのです。
(237~239ページ)

ほんとうの意味において、やる気のある人間になること。

明るく建設的な思い、持続的な思い、信仰心でもって、みずからを励ますこと。

常に最高の自己を世の中に差し出すこと──。

今日ご紹介するのは、大川隆法先生が、「サクセス・マインド」と題して説かれた御法話の最後の一節です。

大川隆法先生は、誰かに助けてもらうことを願うのではなく、私たち一人一人が「サクセス・マインド」をもつことを願っておられます。

それは、本当の意味で「与える愛」を実践する人になるということであるし、また誰もが自分の置かれた立場で、自家発電できるリーダーになっていく道でもあるのだろうと思います。

そんな素晴らしい人が満ちあふれてきたとき、たしかにこの世は「ユートピア」へと変貌していくのではないでしょうか。

大川隆法先生の指し示される方向へ、なんとか少しずつ自分を近づけて行きたいものだと、改めて私は思っているのです。
 

『奇跡の法』

 大川隆法著


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ね、「言志四録」を残した、佐藤一斎って儒学者がいたんでしょ。どんな人だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心を練る 佐藤一斎の霊言』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 何だか、久しぶりに学問の本質に触れたようで、うれしくなった。「そうなんだ。そうなんだ。『知の民主主義化』とは、知が浅く広くなるだけじゃないんだ。」と私も叫びたくなった。氾濫する情報の大海の中で、珠玉のような良書を選び出して、繰り返して読み解くことの大切さが忘れられている。ケータイ・スマホ世代は、読書の時間を失っている。それが何年か後にどういう結果を招くのか、知らない人が多すぎる。
 本書で佐藤一斎は、反射的に情報をとる時代が、機械によって人間が奴隷化される時代でもあることを看破した。逆に言えば、「心を練る」ことによってのみ、人は機械文明の支配を脱し、光の存在としての自覚が持てることを教示した。学問も「心を練る」という観点から、ふるいにかけられる時代がやってこなければなるまい。
(1~2ページ)

反射的に情報をとる時代は、機械によって人間が奴隷化される時代でもある。

氾濫する情報の大海の中で、珠玉のような良書を選び出して、繰り返して読み解くこと。

「心を練る」ことによってのみ、人は機械文明の支配を脱し、光の存在としての自覚が持てる──。

古典としての「言志四録」は有名だと思いますが、佐藤一斎先生については、どんな方か、本書で触れるまでまったく知りませんでした。

ところが、大川隆法先生の前説(霊言を行なう前の事前説明)によれば、数多くの維新の志士たちの思想的源流として多大な影響を与えた大学者であったわけです。

じっさいに、その語る言葉の切れ味の凄さ。

そして、その重みと味わいの深さ。

本書は、「心を練る」ためのテキストとして繰り返し読み返したくなる秀逸な霊言集であると、改めて私は思っているのです。
 

『心を練る 佐藤一斎の霊言』

 大川隆法著


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大川隆法先生って、なんだか昔より若く見えるよね。どうしたらあんなに若返るの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生涯現役人生』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 以前から私のことを知っている人は、私が年ごとに若返っていくように感じないでしょうか。いまの私は、知力・体力ともに、三十歳のころに比べても負けていません。人間が二十年ぐらい若返るのは、わけのないことなのです。みなさんにも、ぜひ、その秘密を知っていただきたいと思います。
 実は、「人生」や「人間の運命」を決めるのは、能力よりも、むしろ、心の持ち方や態度、心構えです。心構えが各人の人生を決めるのです。
 「その人自身の心構えが人生をつくる」ということは、実は、「二十世紀最大の発見の一つである」と言われています。これは、心理学において、ウィリアム・ジェームズを中心とした学者たちによって発見された事実です。そして、アメリカには、その考え方を実践してみせた人が数多くいるわけです。
 要するに、「人間にとって最も大事なことは『心構え』なのだ。心の持ち方が、その人の人生を決めるのだ。結局、その心構えが、その人の行く方向を決めるのだ」ということです。
 それは、列車のように、「進むべき方向は、前か、後ろか」と単純に考えると分かりやすいかもしれませんが、もっと言えば、人生は、自動車のように、さまざまな方向に進むことができるものです。その際に、自分の行く先を決めるのは、実は、自分の心構えなのです。
(60~61ページ)

人間が二十年ぐらい若返るのは、わけのないことである。

「人生」や「人間の運命」を決めるのは、能力よりも、むしろ、心の持ち方や態度、心構えである。

人生は、自動車のように、さまざまな方向に進むことができるものであり、自分の行く先を決めるのは、実は、自分の心構えなのである──。

大川隆法先生は、大病をして奇跡的に回復された話をしておられますが、そんな話をされるようになったあたりから、どんどん若返っていっておられる気がします。

その秘密は、「心構え」だ、と。

それを、「思いの力」という形で説かれたこともあったように思います。

若い人と付き合う。

その話を心素直に聞いて、いくら年下でも、聞くべきところは聞き入れる。

少し年を重ねるとなかなかできないことでしょうが、大川隆法先生は、実際に実践しておられるのだと思います。

そんな柔軟さを持った「心構え」が、肉体をも若返らせていくということではないかと、改めて私は思っているのです。
 

『生涯現役人生』

 大川隆法著


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