ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



リストラって、流行ってるよね。でも、どういう人がリストラにあっちゃうのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不況に打ち克つ仕事法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 リストラに遭うような社員は、例えば、お客様と接するようなセクションにいる場合、たいてい、お客様の気持ちが分かりません。そういう人は、社内の同じ課や部で働くほかの人の気持ちも分かりませんし、上司の気持ちも分かりません。当然、社長の気持ちなど分かるはずもありません。
 このように、まったく他人の気持ちが分からない人というのは、基本的にエゴイストだということです。「自己中」という言葉がありますが、まさしく、自分のことしか考えていないわけです。
 そういう人は、基本的に、「一日をどう過ごせれば自分が楽しいか」ということを中心に物事を考えていて、会社への貢献とか、お客様へのサービスとかいうことを、言葉では言っていても、心では信じていないのです。
 つまり、「お客様にサービスしたい」という心からの気持ちなどは持っておらず、会社がそう言っているから、おうむ返しに言っているだけで、現実には、やっていなかったり、やったとしても心がこもっていなかったりします。
 心から会社の発展を考え、上司のサポートをしようと思って仕事をしているのか。それとも、たまたま、その人の部下になったので、しかたなく過ごしているのか。そのあたりの違いが不況時には明らかに出てきます。これを知らなければいけません。
 駄目社員というのは、一般的にエゴイストです。ところが、本人は、自分がエゴイストであることに気づいていないことが多いのです。たいてい、「これが普通でしょう」「人間は、こんなものではないでしょうか」「私は普通の人間として生きているだけで、何も悪いことはしていません」などと思っています。
 常に自分中心に物事が回っていて、「とにかく、無事に毎日が過ごせたらよい」という気持ちを持っていることが多く、「組織においては、自分一人以上の力を成果として出さなければいけないのだ」というところまで頭が回っていないのです。
 しかし、そういう「プラスアルファ」を生み出さなければ、会社は景気の変動に耐えられなくなります。「プラスアルファ」が出てくるからこそ、景気が悪くなったときでもクビを切らずに、会社は持ちこたえることができるのです。人数を足し合わせた分だけの成果しか出せないならば、景気が悪くなると、とたんに会社が傾いてくることになるわけです。(中略)
 組織というのは「人間の集まり」ではありますが、いわゆる「法人」と呼ばれるように、一定の経営理念を持って活動していると、一つの生き物のような動きをし始めます。一つの生き物として、生命体として、必ず生き残ろうとし、「どうしたら生き残れるか」ということを考えるようになります。(中略)
 したがって、非常に忌まわしい言い方かもしれませんが、会社が赤字で傾いた危機のときに、リストラされ、削減される人というのは、病気にたとえるならば、「体のなかにできた病巣部分」と見られたということです。(中略)
 これは誰がやってもそうなります。上にいる人が、善人であろうと、悪人であろうと、「長」と名の付く人が上に座れば、あるいは、上に座って「長」という名が付けば、必ず同じようなことをしなければならなくなるのです。これを知らなければいけません。
(29~34ページ)

会社の危機のときにリストラされる人というのは、病気にたとえれば、会社という体のなかにできた病巣部分と見られたということであって、これは誰がやってもそうなる。

リストラに遭いやすい社員は、他人の気持ちが分からない人だが、そういう人は、基本的に自分が中心で、会社への貢献とか、お客様へのサービスとかいうことを信じていない。

そういうダメ社員は、自分がエゴイストであることに気づいていないことが多い──。

大川隆法先生は、リストラに遭いやすい人に限って、自分がまさかそういう社員だとは思っていないことが多いことを、淡々と指摘しておられます。

そこで学べることは、何でしょうか?

このリストラに遭いやすい人を反面教師として、その逆の自分になること。

そうすれば、どんな不況のときにでも必要とされる社員になれるのだと私は思っているのです。

不況に打ち克つ仕事法 リストラ予備軍への警告 『不況に打ち克つ仕事法』

 大川隆法著

 

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寿命もどんどん伸びてるし、これからますます高齢化社会でしょ。でも、年金は破綻しそうだし、未来の日本って、どうなっていくの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ドラッカー霊言による「国家と経営」』(幸福の科学出版)で、ドラッカー自身の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 今の高齢者には、七十歳を超えて、八十歳以上の人であっても、働ける人は、いることはいるので、「そういう人たちを、どのように、うまく使うか」というマネジメントはありうるし、そういう「高齢マネジメント」を発明しないと、今後の社会は幸福にならないんですよ。
 私は九十五歳ぐらいで亡くなりました。まあ、最後は、さすがに少し人気がなくなって、あまり客が来なくなりましたが、八十代ぐらいのときでしたら、やはり、大学で授業をしても、まだまだ人気はあったし、企業へのアドバイスを求めて、相談に来る人もたくさんいました。
 このように、私は、八十代でも仕事をしていましたし、九十代のときにも、まあ、以前より減りはしましたけれども、少しは仕事をしていましたので、「九十五歳ぐらいまで現役で働くことは可能である」と考えています。
 そして、「八十代ぐらいでも、まだ大学の教壇に立てる」ということを実証した、そのもとにあるものは何かというと、やはり、「知識がある」ということです。
 私は、「知識のベースがあれば、年を取っても仕事は可能である」ということを実証した一人だと思うのです。
 私の場合は、そういう「知識ベースのマネジメント」かもしれませんが、先に霊言が出た松下幸之助さんなどは、「経験ベースのマネジメント」ですね。経験というものを教訓に変え、それを語り尽くせば、やはり、年齢が高い人、長く生きた人ほど、経験をたくさん持っているので、教えることが増えてきます。
 経験か知識か、そのどちらかをベースにした職業のクリエイション(創造)に成功すれば、高齢者マーケットは開けますね。(中略)
 先ほど言った、九回ツーアウトのときにだけ出てくるような投手というのは、本当に半端な使い方しかできません。それでも、何球か投げるだけで十分に食べていける人たちなのです。
 それは、言ってみれば、一日のうち、一定の時間しか働けないような人でしょうか。「一日のうち、一時間か二時間しか働けません」とか、「三時間しか働けません」とか、「週のうち、一日か二日しか働けません」という人もいると思うんですよ。
 あるいは、「病気がちなので、普段は休んでいなくてはいけないのですが、三日に一回ぐらいなら働けます」などという人はいると思うんですね。
 こういう人たちにも、やはり、職業をつくってあげて、こういう人たちが訓練によって成果をあげる方法を、編み出さなければいけないんですね。
 これが未来社会なのです。
 これを上手にやれば、すなわち、このマネジメント教育をうまく発明できれば、日本の政府がやろうとしている、「大きな政府による福祉国家構想に基づく、高負担・高納税スタイルの全体主義的統一国家型政策」などは、してくれなくても結構なのです。
 打者一人を打ち取るだけでも食べていける人をつくったら、彼らも、すき焼きにありつけるようになるのですね。
(96~101ページ)

「高齢マネジメント」を発明しないと、今後の社会は幸福にならない。経験か知識かをベースにした職業の創造に成功すれば、高齢者マーケットは開ける。

1日のうち一定の時間、週のうち1日か2日、あるいは3日に1回ぐらいしか働けないような人に職業をつくり、訓練によって成果をあげる方法を、編み出さなければいけない。

このマネジメント教育をうまく発明できれば、「大きな政府による福祉国家」は不要になる──。

天上界におられるドラッカーは、このように、「高齢マネジメント」の発明を提言しているわけです。

ドラッカーのこの言葉に従って、新しい事業を自分が創造してみようと考えた人?

そんなあなたこそが、日本の未来を切り開く、真の偉人である。

そう私は思っているのです。

ドラッカー霊言による「国家と経営」 (OR books) 『ドラッカー霊言による「国家と経営」』

 大川隆法著

 

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さわやかに生きるための条件を、ちょっと前に2つ教えてもらったよ。でもその続き、どうなってるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『感化力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 三番目には、「ある意味で、自分の生命を有限なものとして、また別な意味では、無限なものとして悟っていること」を挙げています。
 やや禅問答のような説明ですが、「生命が有限である」とは、要するに、「いま生きている人間は、早い人は数年以内に、遅い人でも何十年か先には地上を去る」ということです。(中略)
 しかし、幸福の科学は、死んだあとには来世があることを保証しています。やがては地上を去らなくてはならない以上、「人々の心のなかに、何かさわやかなものを遺していきたい」と思うのが当然ではないでしょうか。
 人にはそれぞれの顔があるように、心もそれぞれであり、来世において、行く世界は違います。まったく同じ世界に行く人は非常に少なく、たとえば千人の人がいたとすれば、そのうちの、ほんの数名が、もしかすると、近い世界に還るかもしれないという程度です。あとの人たちは別々の世界に行ってしまい、会うことは、ほとんどないのです。
 そう考えると、何かの縁で出会った人に対して、「五月の風のように新鮮でさわやかな印象を与えたい」という気持ちを持つことは当然なのです。(中略)
 一方、「生命が無限である」とは、「人生は、幾らでも、やり直しがきく」という意味です。これは非常に大きな愛なのです。
 死後、来世で地獄に堕ちるのは辛いことであり、怖いことだと思います。しかし、「地獄に堕ちても、魂を消滅させられることがない」というのは、ありがたいことです。落第をしても、頑張ってまた勉強すれば、及第することもあるわけです。
 地獄に堕ちると魂を消滅させられるのでは大変です。それでは、長い転生輪廻の過程で、ほとんどの人は魂が消滅してしまうでしょう。
 地獄に堕ちるのは辛いことですが、別の見方をすれば、合格点を取れずに落第したことが、はっきりしているのに、それでもまだ生かしておいてもらえるのです。しかも、地獄で何百年か修行すれば、天国へ還ることができます。そして、もう一度、地上に生まれ変わらせてもらえます。これほどありがたいことはありません。(中略)
 悪しきカルマ(業)の刈り取りをするために、過去世で魂的に何か問題をつくった相手と、同じ時代、同じ地域に生まれることもよくあります。身内であったり、友人であったり、出会い方はいろいろですが、かつては敵同士だったような人と、地上でまた出会うことが多いのです。
 このように、やり直しのチャンスを何度も与えてもらっているわけです。
「無限にやり直しがきく」ということも、さわやかに潔く生きることにつながります。「一回きりの人生であって、取り返しがつかない」と思えば、じたばたと見苦しい生き方をするかもしれませんが、もう一回、さらには、二回、三回、四回、五回、六回……と、やり直すチャンスは何度もあるのです。
 世間には、転生輪廻を単なる苦痛としてのみ考える見方もありますが、「これほど失敗ばかりしているのに、魂を消滅させられることなく生かしておいてもらっている。ありがたいことだ」と達観することも大事です。
 そういう気持ちを持っていると、さわやかに生きざるをえなくなるのです。
(241~245ページ)

三番目には、自分の生命を有限なものとして、また別な意味では、無限なものとして悟っていること。

つまり、早ければ数年以内、遅くとも何十年か先には地上を去ることになっているのだから、何かの縁で出会った人に対して、「五月の風のように新鮮でさわやかな印象を与えたい」という気持ちを持って当然である。

一方で、来世で地獄に堕ちたとしても、魂は消滅させられず、何百年かの修行で天国へ還ることができ、もう一度、地上に生まれ変わらせてもらえる。やり直しのチャンスを何度も与えてもらっている。これにありがたいという気持ちを持っていると、さわやかに生きざるをえなくなる──。

うーん、今回の教えは、ちょっと高度だったかもしれません。

でも、結局は、さわやかに生きるというのは、一つの人生の悟りでもあるのだと私は思っているのです。

感化力―スキルの先にあるリーダーシップ (OR books) 『感化力』

大川隆法著

 

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宇宙人関係の霊言とかで、「宇宙の法」がものすごいスピードで、たくさん説かれ始めてるんだってね。これって、そんなに大事なものなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「宇宙の法」入門』(幸福の科学出版)で、儒教の祖である孔子の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 孔子です。中国に生まれ、儒教の祖となっておりますが、今、私の仕事の一つとして、宇宙からの移住、および、地球人類の創成にもかかわっております。(中略)
 今、七十億人近い人類が住んでいて、百億人に近づいていこうとしております。
 かつて、これだけの数の魂が地上で人間として生活したことはございませんので、こうなるには、新たに魂を創成するか、他の所から招聘するか、どちらかしかございません。
 まあ、その意味において、私どもは、人型の人類、人間型人類ではなくとも、文明レベルとして一定のレベルに達している所からの移住を、要するに、肉体を有している範囲内では、宇宙技術を持っている種族の移住を、ある程度、受け入れております。
 なぜなら、地球は、ちょうど、宇宙に出ていける時期に当たっており、地球の進化に資するものと考えているからです。
 ですから、今のところ「人類百億計画」まで立てているのは私です。(中略)
 好戦種の宇宙人もかなり入っていることは事実でありますけれども、彼らに、「秩序」や「調和」、「礼・智・信・義・勇」を教え、「徳」を持たせることを、私自身は文明化と心得ております。武器を取らずして人を導く法を理解させ、習得させることこそ、人類の進化と考えております。(中略)
 宇宙には、地球以上に進化した星は、まだまだあります。科学技術において地球より進化している星がすでにあることは、地球に来ている宇宙人がいることから見て明らかです。
 数百年ほど進んでいるものから、千年、二千年も進んでいるものまであることは、分かってはいるんですけれども、それとは違った意味において、(中略)「魂の教育的なところでのレベルの高下は存在する」というふうに私は思っております。
 地球という星は、科学技術においては長らく劣ってはいたのですけれども、(中略)一方、文化的、思想的なものにおいては非常に優れたものがあって、科学技術が優れた他の星よりも、例えば宗教や政治においては優れたものも持っております。そのため、「科学技術が進んだ他の星の人であっても、地球に移り住むことによって、政治や宗教、文化等を学ぶことはできる」ということがあります。(中略)
 この二百年ほど、特に科学技術中心の文明の発展が行われてきているんですが、それは一種のマジックのようなものであって、魔法のように見えていても、やがて人々はそれに慣れてまいります。そのときに、新たな「魂の発展の形態」を求めると思います。
 アメリカが、そしてニューヨークが、「人種のるつぼ」とも言われてきておりますけれども、宇宙そのものが、実は、もっともっと数多くの人種のるつぼであって、地球もまた、“数多くの宇宙人のるつぼ”と化してきております。(中略)
 人類は、今、医学、生物学等の進化により、新しく人類の複製をつくれる段階まで来ようとしております。さらに、宇宙にも出ていける段階が来ており、地球外生命体とかなり近いところまで、今、急速に進化を遂げてきつつあると思います。
 その意味において、これから、「宇宙の法」というものが非常に大事になってくるでありましょう。
(44~56ページ)

「宇宙の法」が説かれ始めた最初の最初である、2010年の元旦。

大川隆法先生が、「宇宙の法」について話をしたい者は出てくるように、として呼び出されたとき、九次元霊エンリルに続いて登場したのが、やはり九次元霊の孔子でした。

その霊言が活字に起こされて、この書籍として出された直後に読んだときは、何を言っておられるのかよくわからなかったことを覚えています。

そして、それから10年がすぎ、数多くの「宇宙人リーディング」や「UFOリーディング」が積み重ねられ、「宇宙の法」の輪郭らしきものが見えてきた今、読み返してみると。

なるほど、そういうことを語っておられたんだと、改めて腑に落ちる感じが私はしているんですが、さてさて、みなさんはどうお感じでしょうか?

「宇宙の法」入門 (OR books)

『「宇宙の法」入門』

 大川隆法著

 

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挫折なんてやだよ。失敗なんてしたくないよ。苦しいこと、いやだよ。でも、なんで次々にそんなことが起きるのよ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みなさんの人生の途上において、挫折、失敗、苦難というものが出てくることがあるでしょう。しかし、大きな人生修行の目的というものを考えたときに、はたしてみなさんは、それを避けて通ればすむのでしょうか。これを考えていただきたいのです。そうした苦難や困難を避けるために、この世に生まれてきたのでしょうか。この問いに答えなければいけないと思うわけです。
 人生の目的を考えてみたとき、実際はそうではないことがわかるでしょう。何百年か、あるいは何千年かに一度、この地上に肉体を持つ理由は、今世、この地上において、新たな環境で、さまざまな人びとに囲まれて、新たな魂修行をしようということなのです。その魂修行のなかには、決して、よいことばかりがあるのではありません。それを当然の前提として、この地上に生まれ出てきているはずです。
 この世に生まれてきたということは、ものごとがスイスイとうまくいくということばかりが前提になっているわけではなく、いろいろな経験を積み、いろいろな紆余曲折を経ながら、人格が一段と大きくなり、底光りしてくることを目的としているのです。そうした大きな人生の目的というものを中心に考えてみると、この世の苦難や困難といわれるものの正体は、実は違ったものに見えてくるはずです。これが、常勝思考という考え方の立脚点なのです。
 「人間が永遠の生命を持ち、転生輪廻をしている」という前提に立ったとき、みなさんは、この現象界の事件、あるいは経験というものを、違った観点から見ることができるはずであり、それは自分に対する大いなる糧となる経験のはずです。これが常勝思考という考え方の立脚点です。
 「あらゆる知恵や技術、発想を総動員して、みずからの前に立ちはだかっている困難に、どのように対処していくか。そして、対処する過程で得たものを、いかに魂の力としていくか」――これこそが勝負の眼目であるわけです。
 したがって、私たちは決して、現実の問題を否定し、それから遠ざかることのみを、よしとはしていません。それは、「人生は一冊の問題集である」という幸福の科学の教えにも表わされています。幸福の科学では、「人生は一冊の問題集であり、その問題集は、各人が努力して解かねばならないものだ」と説いています。みなさん一人ひとりが問題集を持っていて、その問題集は自分で解かなければならないのです。
 常勝思考を学ぼうとしている以上、やはり、このことは前提条件であると思っていただきたいのです。「自分の問題集は自分で解かなければならない。自分の問題集を解いたうえで、あるいは解きながら、次に、他の人への導きを考えていく。さらには、他の人への導きということだけではなくて、もっと積極的な、大きな事業も起こしていく」――このように常勝思考の考え方の枠組みは出来ているわけです。
(194~196ページ)

「人間が永遠の生命を持ち、転生輪廻をしている」という前提に立つならば、何百年か、あるいは何千年かに一度、この地上に肉体を持つ理由は、今世、この地上の新たな環境において、さまざまな人びとに囲まれて、新たな魂修行をするということである。

人生は、いろいろな経験を積み、いろいろな紆余曲折を経ながら、人格が一段と大きくなり、底光りしてくることを目的としているから、挫折、失敗、苦難を避けて通ればすむのではなく、それは、大いなる糧となる経験のはずである。

幸福の科学では、「人生は一冊の問題集であり、その問題集は、各人が努力して解かねばならないものだ」と説いているという意味は、ここにある──。

ここまで丁寧に教えていただくと、今日は余計な解説はいらない気がしています。

要するに、このような考え方を基礎にして、大川隆法先生は、順境のときも逆境のときも勝利していく道、「常勝思考」を説いておられる。

その意味が、改めてとてもよく分かった気が私はしているのです。

常勝思考―人生に敗北などないのだ。 (OR books) 『常勝思考』

 大川隆法著

 

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前回、創価学会の池田大作名誉会長の守護霊の霊言を、ご紹介しました。

今日は、その第二弾になります。

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教イノベーションの時代』(幸福の科学出版)で、創価学会の池田大作名誉会長の守護霊の言葉(「霊言」)を、司会者との対談の形で、次のように伝えておられます。

池田大作守護霊 創価学会っちゅうのは、宗教じゃないんだよ、君。宗教法人格はもらったけどさ、宗教じゃないんだよ。
司会 では、何ですか。
池田大作守護霊 もともとは外護団体なんだよ。日蓮宗の一つである、大石寺を中心とする日蓮正宗を、正統派の日蓮宗として押し広げるためにつくられた外護団体だから、もともと宗教ではない。だけど、すでに大きくなり、既成事実として、大勢の人が働いているもんだからさ、宗教にせざるをえないじゃないか。まあ、しかたないじゃないか。な? そういうことで、宗教法人にはなったけど、わしは、これは宗教じゃないと思うよ。
司会 そうしますと、信者の幸せとは何なのでしょうか。
池田大作守護霊 幸せは得てるんじゃない? なんか、元気になる力があるんだよ。何ちゅうの? 君ら、あれ、何ていうんだろうね、あのー、バイアグラだ。(中略)なんか、飲むと急に元気になってくるようなものがあるじゃないか。な?
司会 それは、勤行のなかにあるということですか。それとも活動のなかに?
池田大作守護霊 まあ、両方だな。「南無妙法蓮華経」を唱えているうちに、なんか、陶酔感を味わえて、この世の憂さ晴らしができるんだな。あと、実際に選挙で戦って勝ったりすると、それは喜びだ。あんたらは一勝も挙げてないから、お気の毒様だけどさあ、一人でも当選したら、陶酔するで。それで、憂さ晴らしが、いろいろできるようになるよ。まあ、これから経験すると思うけどさ。
 ただ、まあ、すべては虚しいぜ。
司会 虚しいですか。
池田大作守護霊 結局は虚しいわ。うん。(中略)最後は、もう、ほんと、“関ヶ原のあと”みたいになるからさ。(中略)すべてが虚しい。おそらく、政治のところは消えると思うけど、宗教のところも消えると思うよ。
 今、友人葬をやったり、あなたが言うように模刻本尊をやったり、にわか僧侶みたいなのをやったり、いろいろやり始めてるけど、インチキだよな、はっきり言やな。こんなものは、いずれ、風化してしまうのは分かってる。わしが死んだら、二十年以内に、この団体はなくなるよ。
司会 これだけ大きな団体がなくなるということは、どういう……。
池田大作守護霊 なくなる、なくなる。社会的使命がなくなったら、なくなるよ。
司会 もうすでに現状では……。
池田大作守護霊 今はギリギリもってる。わしが生きている間はもってる。だから、わしが植物人間になっても、おそらく生かすだろうよ。慶應病院は、「まだ元気でやっております」と言って、わしと会わせないようにし、植物人間にしてでも延命させると思う。
司会 信者の方々は、今、どう思っておられるのでしょうか。
池田大作守護霊 信者? 信者は、若い人を中心に、だんだん離れていってるんじゃないかな。
司会 離れて、どのへんに行っているのでしょうか。
池田大作守護霊 どこに行ってるのかは知らんけど、もう年寄りばっかりだ。
司会 そうですか。
池田大作守護霊 うーん、年寄りばっかりだね。あと、選挙をやってるから、信者と言えるかどうかも分かんないしな。まあ、活動してるのは三分の一ぐらい。三分の一は、よその宗教のと変わらない状態。三分の一は、“幽霊”だ。うんうん。
司会 信者の方々は、どういうところに宗教的使命を感じておられるのでしょうか。
池田大作守護霊 うーん。もう、ほとんど、ないんじゃないかな、今は。
司会 ないのですか。
池田大作守護霊 うん。今は、池田大作を護ることぐらいしか思ってないんじゃないかな。だから、生きてる間は、義理があるから頑張ると思うけど、死にゃあ、もう、義理はないからね。
(321~325ページ)

まだ生きている方の「守護霊」が、その方の本音を公の場で率直に語って、それが一般書籍として刊行されるという奇跡が、いま起きているわけです。

やはり創価学会の方にとっては、納得できないことも語られているとは思うのですが、今日、ご紹介したのも、前回と同様に、かなり長時間にわたった霊言のほんの一部です。

繰り返しになりますけれど、本物なのかどうかと気になる方は、この一部だけでなく、ぜひ本書の全編を一読した上で、判断していただければと私は思っているのです。

『宗教イノベーションの時代』

 大川隆法著

 

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部下を持つ立場なんだけどさ、上司なんだから、当然、部下には厳しく、仕事を管理しなきゃダメだよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『社長学入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 自分で考え、発案し、実行したことは、その結果に対して責任が生じます。その責任を受けて立たなければいけないのです。(中略)そういう意味で、社長が、「すべては私一人の責任だ」と思っているからこそ、部下に対して、「かくあるべし」という要望ができるわけです。
 上が責任を取らずに、下に対してだけ、「おまえたちがやれ」と言うのであれば、社員たちは、みな、社長が見ているところだけでは一生懸命にやり、それ以外のところでは手を抜くようになります。それは当然でしょう。
 上一人の責任ということになると、社長には、自分が直接にはやっていないことに対しても責任が来るわけなので、これは大変です。自分が見ていないことにも責任があると思っていればこそ、部下に対して要望をするわけです。
 社長は、役員を集めたり、部長を集めたりして、「このようにしてほしいのだ」と要望を出さなければいけません。これをしないと、責任だけが自分に来ます。「自分だったら、こうする」と思うことがあれば、「こうしてほしいのだ」という要望を出さなければいけないのです。
 要望を出さなかったならば、社長が望んでいるようにできなくても、しかたがないでしょう。しかし、「要望を出さなかったため、できなかったが、責任だけを自分が取る」というのは、ばかばかしいことです。
「自分ならば、こうしたい」という気持ちがあっても、実際の仕事は、他人の手を通じて行われるので、要望をしなければいけません。
 そのように、「責任を取る」という立場であるからこそ、要望をすることができるのです。部長でもそうです。部長が、「部の責任を取ろう」と思うからこそ、課長なり主任なり、下の者に対して、「こういうふうにしてほしい」と要望を出せるわけです。
 上司の要望を聞いた部下のほうは、「あの上司は責任を取ろうとしているから、仕事について、こういう厳しい指示や要求、目標が出ているのだ」と思います。「上司は、自分の責任だと考えているから、こういう要望を出しているのだ」と思えば、部下は、それに応えなければいけないと思うわけです。
 ところが、上司が責任逃れをするために「おまえがやれ」と部下に言っているように感じたら、部下のほうは、やっていられないでしょう。「私のほうを部長にしてもらわないと、そんな仕事はできませんよ」と思うことになります。
 その意味で、部下をよりよく使うためにも、上の立場にある者、すなわち、社長、経営者、経営管理者、経営担当者などは、まず、「自分に責任があるのだ」と考えなくてはなりません。
 部下にやる気を起こさせるように“発電”するのは、上司である自分なのです。それが、自分の発案であり、自分が出している掛け声であり、目標であるのです。「自分が責任を取らなければいけないのだ」と思えばこそ、その熱意が要望となって具体化し、下に降りていくわけですし、それに対して部下は応えてくれるようになるのです。
(285~291ページ)

社長は、「すべては私一人の責任だ」と思っているからこそ、部下に対して、「かくあるべし」という要望ができる。これはたとえば、部長でも同様である。

上司が責任逃れをするために「おまえがやれ」と言っているように感じたら、部下は働かない。部下をよりよく使うためにも、上の立場にある者(社長、経営者、経営管理者、経営担当者など)は、まず「自分に責任があるのだ」と考えなくてはならない。

部下にやる気を起こさせるように、発案し、掛け声を出し、目標を出して“発電”するのは、上司である──。

なるほど、なるほど、です。

これは、会社に限らず、何らかの団体や組織で仕事をしている誰にとってもあてはまる、普遍的なお教えではないでしょうか。

要は、責任感に基づく熱意が、部下を動かし、成果を生み出していく。

今日のお教えを受けて、そんな責任感と熱意を持ちたいものだと強く強く私は感じているのです。

 

社長学入門 『社長学入門』

 大川隆法著

 

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ね、「如来(にょらい)」って言葉、聞いたことがあるんだけど、何のことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 如来という言葉は、菩薩同様、仏教的な言葉であって、キリスト教的には大天使といいます。また、光の大指導霊という呼び方をすることもあります。
 まず、如来とは何かについて定義してみましょう。「如来」という字は、「来るが如し」と書いてあります。どこから「来るが如し」なのかというと、結局、「真如」です。悟りの妙処から、絶対の真理を体現してこの地上に来た人――これを如来といいます。
 如来とはどの程度の格を持った霊人であるかを、一律に表現することはなかなかむずかしいのですが、少なくとも人類の歴史において傑出した人であることだけは疑いのないことです。
 ところで、如来といわれる人がどのくらいいるか、みなさんはご存じでしょうか。霊界の人口は、一説では五百億人を超えるとも言われています。しかし、その五百億人ほどの霊人口のなかで、如来と言われている人の数は、わずか四百数十名、すなわち五百名たらずです。これだけしかいないのです。
 そうすると、一億人に一人ということになります。(中略)もっとも、大きな法が説かれるような時期には、如来と呼ばれる方がたが集中して出てくる傾向があるので、地上でのその数は必ずしも特定できません。
 ただ、いつの時代であっても、同時代に生きている如来の数はせいぜい数名であって、数十名、数百名の如来が同時期に肉体を持つということはありません。(中略)ここもあそこも如来だらけというのではなく、その時代のなかで、富士山のようにそそり立つ人物が如来なのです。
 大きな文明の興隆期というのは、如来が競って肉体を持つ時代になります。
 そうした時期としては、ギリシャでいえば、たとえばソクラテスのころがそうです。ソクラテスは如来ですし、弟子のプラトンも如来、プラトンの弟子のアリストテレスも如来です。同じころにピタゴラスもいました。しばらく時代が下ったころには、アルキメデス(九次元存在)もいました。こうした諸如来がギリシャという地を中心に出ていたわけです。
 古代中国では、孔子(九次元存在)、老子、荘子、墨子が如来です。こうした方がたが古代中国の文化をつくってきたのです。
 キリスト教系でいえば、イエス・キリストが如来(九次元存在)ですし、イエスの先触れをなしたバプテスマのヨハネも如来です。また、ユダヤ教系の預言者の歴史に出てくるエレミヤやエリヤにしてもそうです。こうした方がたは如来だったのです。(中略)
 このように、文化的な高み、時代の高みをつくるために、如来が出てくるのです。そして、法の中心、あるいは文化や芸術の中心として活躍し、時代を押し上げることになります。
 やがて、如来がつくった文化や文明が衰えると、次に諸菩薩がポツリポツリと出現して、それを復興します。それがまた衰えると、再び如来が出てきて新たなものを起こしていきます。こうしたくり返しとなっているのです。
(206~210ページ)

如来とは、キリスト教的には大天使といい、光の大指導霊という呼び方もあって、「真如」(悟りの妙処)から、絶対の真理を体現してこの地上に来た人のこと。

少なくとも人類の歴史において傑出した人であって、霊界五百億人のなかでも、わずか四百数十名しかいない。

ただ、大きな文明の興隆期は、如来が競って肉体を持つ時代になる──。

そして、大川隆法先生は、現代はまさにその大きな文明の興隆期にあたるんであって、日本こそがその新文明の発信基地になる国だって、教えてくださってる。

これは、いろんな意味で、とっても凄いことではないかと私は心から思っているのです。

 

永遠の法―エル・カンターレの世界観 (OR books) 『永遠の法』

  大川隆法著


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たとえば邪馬台国の卑弥呼とか、昔から、女性なのに国を統治した人って、神様の声を聞く心霊能力があったし、それだけじゃなくって実務能力も高かったんじゃないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『女性リーダー入門』(幸福の科学出版)で、まさにその卑弥呼の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 素直で、従順で、ありのままに受け取るような心を持っていないと、天上界からの教えを受け取るのは、とても難しいのですけれども、やはり、それだけでは、現代において優れたる指導者にはなかなかなれないというところが、一つの問題点ですね。(中略)
 現代的な競争の原理において指導者になる際、心霊能力のなかでは、どちらかというと念力に近いものであれば、磨くことができる可能性はあるのですが、霊言・霊示等を受け取るような、いわゆる受身型の心霊能力になりますと、どうしても、心の余白と申しますか、空白の部分をつくる修行をしないと、難しくなります。
 この使い分けをするのは、かなり困難であろうと思われますね。
 だから、現代的な学問をあまりやりすぎたり、現代的な実務教育をあまり受けすぎたりした場合には、そうした、神々の言葉を受け取るような能力が落ちてきます。
 それが、現代において、あの世を信じられなくなっている理由の一つでもあると思うのです。そのために、あの世の人々の声を聴き、その考えを受け取ることのできる人の数が減っている、あるいは、パーセンテージが落ちているということが言えるのではないでしょうか。
 今、幸福の科学が、一つの奇跡として、「この世の能力も、ある程度、持ちつつ、あの世の世界を開示する」ということをしようとしておりますが、サーカスの芸当のような面は否めないところがあると思います。
 矛盾した能力を統合してはいるけれども、これを、教団の文化として引き継ぎ、遺せるかどうかという問題は、やはりあるだろうと思われます。(中略)
 ですから、「この世的な仕事能力を磨き、仕事を遂行する時間を取る」ということと、時間・空間を分けて、「神霊と交流する機会を持つ」という習慣を身につけることです。
 人生をやや二分してしまいますが、どうやってそれを融合させていくかというところに、一つの新しいコツを見いださなければいけないでしょう。それが、女性リーダーの一つのポイントだと私は思うのです。(中略)
 女性でリーダーになるためには、ある意味で、卑俗な言葉ではございますけれども、この世的に言うなら、やはり、勘が鋭くなければいけないだろうと思いますね。 (中略)言葉を換えれば、洞察力が鋭い女性でなければ務まらないだろうと思うのです。
 ただ、その洞察力も、この世のことにまったく無知であったり、この世的な学問や経験がまったくなかったりする場合には、仕事が緻密になり、高度になってくると、使えなくなることがあります。(中略)しかし、この世的な努力のなかに、心霊能力を全部失っていくようであれば、それもまた駄目なのです。
 だから、ここを何とか両立させていかなければなりません。女性がリーダーを目指していくだけであれば、だんだん、単性化といいますか、ユニセックス化していく流れになっていき、「男女の二種類の性は要らない」という世界のほうへと近づいていく可能性もあります。
 これは、本来の神の心に反しているだろうと私は思いますので、女性は女性らしくありながら、やはり、違ったかたちでの指導能力を確立していかなければならないのだと思うのです。
(38~44ページ)

素直で、従順で、ありのままに受け取るような心を持っていないと、天上界からの教えを受け取るのは難しいが、現代的な学問をしすぎたり、現代的な実務教育を受けすぎたりした場合には、そうした能力は落ちてくる。

だから、この世的な仕事能力を磨き仕事をする時間を取ることと、時間・空間を分けて、神霊と交流する機会を持つ習慣を身につけることを、どうやって融合させていくかが、女性リーダーの一つのポイントである。

女性がリーダーを目指していくだけであれば、ユニセックス化していく流れになるが、それは本来の神の心に反しているので、女性は女性らしくありながら、違ったかたちでの指導能力を確立していかなければならないと思う──。

大川隆法先生の霊査で判明している事実として、卑弥呼というのは、大和朝廷の源流となった邪馬台国の実在の女王であったわけです。

その女性リーダーに対するアドバイスは、実際に女王として国を統治した経験に裏打ちされた、とても説得力に満ちあふれたものだと私は思うのですが、みなさんはどう感じられますか?

女性リーダー入門―卑弥呼・光明皇后が贈る、現代女性たちへのアドバイス (OR books)

『女性リーダー入門』

 大川隆法著


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ね、幸福の科学って、「心の教え」で病気は治るって教えてるんでしょ。だったら、信者が病院に行くのは、恥ずかしいことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える 病気・健康問題へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 当会の考え方を読んでいただきますと、「光線」という説明の仕方をしていまして、「私たちの心の領域を司っている、七色光線というものがある」と言っています。(中略)「白と銀の光線」がこの西洋医学のところに出てきているわけで、これは決して否定されるべきものではないのです。それも正しい教えの一つの表れ方であるし、医者の仕事も「菩薩行」であることは事実であるのです。
 私たちは、例えば、個別個別の人の心の状態から、その原因論から幸・不幸を説き、また、「病気等の現象もありうる」という話をしていますが、医者というのは、そういうことだけではなくて、「もっと多くの人々を、短時間でスピーディーに正確に治療していきたい」ということで研究してきた人たちのグループです。これはこれで素晴らしい集団であるのです。(中略)
 ですから、肉体にいろいろなまずい現象や事故が起きたときに、もちろん、心の方面からこれを治療していくことも当然のことですけれども、医学で治るものは医学で治していかれたらいいと思うのです。それはそれで結構なのです。
 あまり、「これしかない」というふうなものの考え方はしないでいいと思うのです。薬で治すものは治してもいいし、手術で治すものは治してもいいのです。
 ただ、体にそういう異変が出るときは、たいてい心のほうにも何か間違いがありますから、それについては自分で修正をかけていく必要があります。その方向性のほうが、病気も早く治っていきます。(中略)外科的にはもちろん医者にかかっていいわけですが、心の面で問題がないかどうか、やはり反省していただきたいのです。それが病気を早く治していく早道、近道だと思うのです。(中略)
 医者に行くから、あるいは病院に行くからといって、「恥ずかしい」という気持ちを持つ必要はありません。当会は病院に行くことを止めるような宗教ではないのです。「彼ら(医者)も正しい光線のなかにある」ということを認めていますから、どうか気にしないでください。
 ただ、ウエイト自体は、やはり「心の問題」のほうに置いています。「心の問題にウエイトを置いているため、そちらの側面から見ている」ということです。
(p.38~41)

西洋医学も正しい教えの一つの表れ方であるから、病気については、薬で治すものは治してもいいし、手術で治すものは治してよい。

人の心の状態から病気等の現象もありうると話をしているのは、体に異変が出るときは、たいてい心のほうにも何か間違いがあるので、それについて自分で修正をかけていく方が、病気も早く治っていくと、心の問題にウエイトを置いて教えているだけである。

幸福の科学は病院に行くことを止めるような宗教ではないので、医者や病院に行くことに恥ずかしい気持ちを持つ必要はない──。

本書は、大川隆法先生の初期の講演会やセミナーで行われていた質疑応答のうち、病気などに関係するものが集められて書籍にしたものとのことです。

この大川隆法先生のお答えは、1989年の愛知県でのセミナーで行われたものですが、医学や病院に関するお教えは、この最初期から現在に至るまで、ずっと一貫しています。

最近、幸福の科学に詳しいと言いつつ、大川隆法先生が医学や病院を否定してるなんてことを得々と語っているYouTuberがいましたが、教えをなんにも勉強しないまま発言するのは、とても恥ずかしいことだと思います。

それはそれとして、大川隆法先生が説いておられる素晴らしい教えを、もっともっと多くの方が正しく知ってくださればと強く願います。

そうすれば、その方々のこれからの人生がもっと幸福に満たされていくのは間違いないと私は確信しているのです。

エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える 病気・健康問題へのヒント (OR BOOKS) 『エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える
    病気・健康問題へのヒント』

 大川隆法著


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ケインズの経済学って、学校で少し習ったんだけど、公共投資で赤字を膨れ上がらせていくだけなんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造の経済学』(幸福の科学出版)で、著名な経済学者・ケインズの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 発展途上国や農村レベルの国家を工業国家に変えていこうとすれば、巨大投資が必要だ。それは、どうしてもしかたがないことなんだ。
 税金を取ろうとしても、たいていの場合、貧しいからねえ、税金をそんなに取ることができない。だから、「まず、国債などで資金を集め、投資をして新しい産業をつくり、国民の所得を増やし、そのあと税収が増えてくる」というスタイルになることは事実だ。
 そういう考え方は、例えば、企業などでも同じだろうと思う。会社を起こすときには、銀行からお金を借りて事業を始め、「できれば、三年か五年ぐらいで返したい」というようなスタイルが多いよね。「始めて三年ぐらいで採算を取り、黒字に変えていく」というかたちで、借入金をもとにしてやっていくのが、現代の経営スタイルだね。(中略)
 まあ、こういう発想は、ある意味で、姿を変えたケインズ経済学だと思うね。
 だから、ケインズ経済学の発想の根本は、やはり、インド省の役人としてインドに赴任し、現地で見てきた状況から出ているものだ。インドで産業をつくろうと思ったら、そうとうインフラ整備をしなければ無理なのは分かっているので、どこかから資金を引いてくる必要があるよね。
 それは、借金が先行するように見える面もあるけれども、将来の国家目標として、「どういう国家に変えていくつもりか」という明確なデザインがあり、現実にそれをやってのけて、産業の振興を図り、税収を上げ、投資した資金の回収までしていくだけの能力があれば、やり遂げられないことはないだろう。
 けれども、例えば、政治家が投資を行っても、一年や二年という短い期間で政権が替わり、その後の責任を取らないような状態が続く場合には、うまくいかない。(中略)
 選挙のたびに、お金を撒くような政策ばかりやっていたのでは駄目なんだ。投資したあと、「税収を上げて、資金を回収し、国家の繁栄をつくっていく」という投資効果のところまで責任を持って見ているならばよいが、今は、目先の選挙のためだけに、「ばらまき」型でいろいろやったことが、国の借金を過剰に大きくするような状態になっていると思う。(中略)
 でも、ドラッカーさんが言っている「目標管理」なんていうのも、基本的には似たようなものなんだよ。「結論として、会社をどういう姿に持っていくか」という目標を立て、そこから逆算して計画をつくり、現在やらなければいけないことをやっていくということだな。(中略)
 したがって、ケインズ政策は、どちらかというと、王様が治める国とか、言葉は少し悪いけれども、帝政とか、専制君主制とか、あるいは、一党独裁が続いているような、どこかの悪い国のほうが(笑)、意外に効きやすい政策であることは事実だな。
 国家レベルで巨大なケインズ政策が採られる場合は、だいたい、国全体が貧しいか、荒廃していることが多いだろう。そのように、挙国一致で取り組まなければいけないような場合に、役に立つ政策であるということだな。
(90~97ページ)

発展途上国を工業国家に変えるためには巨大投資が必要だから、まず国債などで資金を集め、投資をして新しい産業をつくり、国民の所得を増やし、そのあと税収が増えてくるというスタイルにするしかない。

しかし、1年や2年の短い期間で政権が替わり責任を取らない場合や、目先の選挙のためだけの「ばらまき」政策ではうまくいかない。

ケインズ政策は、帝政や専制君主制、一党独裁国家のほうが効きやすい政策であるし、挙国一致で取り組むべき場合に役に立つ政策である──。

本書では、あの超有名なケインズ先生ご自身から、直々に、ケインズ経済学の講義をいただいているわけです。

しかも現代の日本語でなめらかに講義してくださっていることで(ケインズ先生が高級霊である証拠でもあります)、その考え方のニュアンスや息づかいまで、手にとるように理解できる気がします。

大経済学者が、どんな体験をバックボーンにして、自らの経済学を創りあげてきたのか、その本音がどこにあるのか等々を、手軽な書物の形で学ぶことができるって、なんとぜいたくなことでしょうか。

というわけで、この書籍は、経済学に少しでも興味のある方すべてに、強くお勧めしたいと私は思っているのです。

未来創造の経済学 (OR books) 『未来創造の経済学』

 大川隆法著


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前回に続いて、今日は、小さな会社の経営のポイントって? という疑問に答える第二弾です。

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 組織づくりに限らず、経営における判断でも、同じようなことが言えます。
 毎日、経営環境は変化し、時々刻々、さまざまな情報が入ってくるので、「新しい情報に基づいて、自分の考えを変えるべきだ」と思うときには、「朝令暮改だ」と批判されることを恐れず、大胆に変えていくべきです。
 そういうやり方に対して、「節操がない」「哲学がない」などという批判も出るかもしれませんが、小さな会社の経営においては、「結果がよければ、すべてよし」と思うことです。
 成功する方向へ、成功する方向へと、選択を重ねていくことが大事なのです。結果がよい方向へ向かっていけば、やがて従業員たちも批判をしなくなり、社長についてくるようになります。
 したがって、組織のスタイルや、自分がいったん出した命令、社訓といったものにはあまりとらわれず、成功を目指すことが必要です。朝令暮改でもかまいません。大切なのは、成功していくことなのです。
 たとえ朝と夕方では言うことが違っても、夕方に言っていることのほうが正しいのであれば、それを押し通すべきです。結果として、そのほうが成功するのであれば、そうすべきなのです。
 従業員からは「うちの社長は頼りない」と言われるかもしれませんが、本当に頼りないのは、会社を倒産させてしまう社長のほうです。倒産しないで黒字になるのならば、その人は「頼りがいのある社長」と言うべきでしょう。
 初期においては、人材にも恵まれず、情報も経営の力量も十分ではないので、試行錯誤をすることはやむをえません。とにかく、少しでもよい結果に導くための方法を考えていくことが必要です。一時間前に考えたことよりも、さらによい方法が見つかったならば、迷わずそちらを採るべきなのです。
 そして、実績をあげ、その実績によって、人々の信頼を得ることが大事です。
 経営者は、少しでもよい結果を導くための方法を考え続けることが必要であり、こういう悩みで夜も眠れなくなって、初めて一人前だと言えるでしょう。
(146~148ページ)

新しい情報に基づいて考えを変えるべきだと思うときには、批判されることを恐れず、大胆に変えていくべきである。

小さな会社の経営においては、結果よければすべてよしと思うこと。大切なのは、成功していくことである。

経営者は、少しでもよい結果を導くための方法を考え続けて夜も眠れなくなって、初めて一人前である──。

大きな会社になってきたら、組織もあるわけで、そうそう方向転換が簡単ではないでしょうから、小さい会社に限定したアドバイスなんだろうと思います。

たしかに、自分の美学にこだわると、“男に二言はない”とかカッコつけたくなります。

けれども、それで方向転換できずに会社を倒産させてしまうのがいいのかというと、そんなことはないはずですよね。

私のような者にもできそうな気がしてくる、小さな会社の経営のポイントのアドバイス。この続きは、また次の機会に!

経営入門―人材論から事業繁栄まで― 『経営入門』

  大川隆法著

 

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世の中から、悪ってなくならないよね。むしろ増えてるんじゃないかなあ。それって、どうしてなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『勇気の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 世の中では、さまざまなところで、悪の増殖している状況が見受けられますが、その根本にあるものは何でしょうか。
 一つは、戦後民主主義的な多数決原理、「大勢の意見が正しい」という考え方です。
 先ほどの学校の例で言えば、子供は、「クラスのなかで、大勢の人が一緒にやっていることは正しい」と考えます。「みんなで万引きをし、みんなで暴力を振るい、みんなでいじめをしているから、それは正しいことであり、その仲間から抜けると損をする」と考えるのです。
 このように、多数決によって「何が正しいか」を決める考え方が一つです。
 もう一つは、日本の伝統的な考え方である、“ムラ社会”の意識です。
 「みんなが同質で、仲間意識を持って同じことをしていれば正しくて、仲間から外れたことをすると悪である」という考え方です。「内容はともかく、みんなと違う意見を言ったり、違う行動を取ったりして、仲間から外れている人、グループ行動をしない人は悪なのだ」と判定する、「村八分」型の原理があります。
 これが悪の増殖の原理としても現実に使われています。(中略)
 学校で、いじめや犯罪行為などをグループで行っているのを見て、すぐに、「それはおかしい」と意見を言うのは、たいてい、帰国子女や、外国帰りの親を持つ子供です。
 また、日本から出たことのない人でも、親がミッション・スクールなどの宗教系の学校を出ていたり、子供自身が宗教的な環境で育てられたりしている場合には、集団でのいじめ行為などを見て「おかしい」と言うことがあります。
 しかし、それ以外の人たちは、数の原理のほうを正しいと考え、多数の勢力のほうに巻き込まれていくことが多いのです。
 それは、善悪の基準を持っていないからです。仏や神が、「これは正しい。これは間違っている」と教えていることを信じ、その教えに基づいて行動している人には、「ムラ社会における多数がどうであるか」ということは、あまり関係がありません。
 そういう人は、「自分が助かりたい」などとは考えず、真理に基づいて行動し、善悪を判定しようとするので、「こういうことは間違っている」「こんな弱い者いじめは間違っている」ということを、はっきりと言えるのです。
 私がいろいろ経験したところでは、外国帰りの人は、けっこうピシッと、「それは間違っている」と言います。国際的な生き方をするためには、やはり、何らかの基準、普遍的なルールが必要だからです。そのため、国籍やムラ社会の意識を超えるものとして、宗教的な善悪の部分が出てくるのです。
 そういう意味で、これからの日本の学校教育においては、インターナショナルな目を持った、宗教的な善悪を教える教育が必要であると強く感じます。
(35~38ページ)

悪が増殖している原因の一つは、戦後民主主義的な多数決原理、「大勢の意見が正しい」という考え方である。

もう一つの原因は、日本の伝統的な考え方である“ムラ社会”の意識、「みんなが同質で、仲間意識を持って同じことをしていれば正しくて、仲間から外れたことをすると悪である」という考え方である。

したがって、これからの日本の学校教育においては、インターナショナルな目を持った、宗教的な善悪を教える教育が必要である──。

大川隆法先生が、幸福の科学学園を創立された理念については、一度ご紹介したことがありました。

それ以外にも、新たな学校を創立された背景には、ここに示されているように、悪の増殖を防いで行くための教育、というお考えもあったわけです。

幸福の科学学園って、やっぱりちょっと凄いんじゃあないでしょうか。

 

勇気の法――熱血 火の如くあれ (OR books)

『勇気の法』

  大川隆法著

 

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霊言って、ほんとに不思議な現象だよね。これって、たとえば、科学技術に詳しい人から見たら、どんな感じなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学総合本部のすぐ近くには、ソニーの本社があります。大川隆法先生は、『未来産業のつくり方』(幸福の科学出版)で、ソニーの創立者・盛田昭夫氏を招霊した直後のやり取りを、質問者Cとの対話の形で、次のように紹介されています。

(約三十秒間の沈黙)
盛田昭夫 ああ、盛田です。
C── 盛田昭夫先生。
盛田昭夫 うーん。
C── このたびは、直接、ご指導を賜れる機会をいただきましたことに、心より感謝申し上げます。
盛田昭夫 初めてだねえ。
C── はい。
盛田昭夫 こんな珍しいことがあるのか。うーん。
 井深さんが研究していた「超能力」も、まんざら嘘じゃないなあ(会場笑)。「晩年、おかしくなったか」とちょっと思ったがなあ。彼は「超能力研究」をやっていて、社員もみな、「あの人は、ちょっと行っちゃったな」「ボケたな」と言っていたんだけれども、やっぱり、こんな世界があるんだなあ。
C── はい。
盛田昭夫 はあ。やっぱりあるんだ。
C── はい。
盛田昭夫 いや、認めるよ。ソニーという会社は、別に信仰心のない会社ではないし、あの世も否定してない。超能力も認めている会社だからね。
 幸福の科学とは近所だしね。何も差別していないよ。製品を買ってくれるんだったら、応援するよ(会場笑)。
C── はい。ありがとうございます。(中略)私は幸福実現党の……。
盛田昭夫 あ、声がかれてるね、君。
C── あ、はい。この夏の参院選に東京選挙区より立候補させていただきます(収録当時)。
盛田昭夫 ああ、そう。真っ黒になって……。
C── はい。毎日、街宣をさせていただいております。
盛田昭夫 ああ、それは大変だなあ。
C── この日本に、再び発展・繁栄の時代をつくりたいと思って頑張っています。
盛田昭夫 それだったら、そのしわがれた声を普通に戻す機械を発明しないといけないな。「マイクを通すと、元の声が出るようになる」とかね。これは、誰かに言っておかないといけない。これはニーズがあるな。
 うーん。かわいそうになあ。頑張れ!
(153~157ページ)

このやり取りを、真実と信じるか、それとも信じないのか、です。

盛田さんは、ここでご紹介した部分以降、さまざまなアイデアを語り、政治を論じ、提言して、私たち日本国民を元気づけてくださっています。

ソニーの広報の方は、この公開霊言の映像を見て、盛田さんそのままだと驚き、もう一人の創立者である井深さんについて聞いてきた、という趣旨を、大川隆法先生が説法の中で紹介しておられました。ソニーさん、さすがです。

自分の目で確かめもしない、霊言集の何冊かを読みもしないまま、いろいろ言っている人がまあだいるようです。

これが演技だなんてバカなこと言ってる人が自分でできるのは、せいぜい数十秒の“瞬間芸”でしかありません。

でも、これまで発刊されてきた何百冊もの霊言集を、その何冊かにきちんと目を通してみるだけでも、霊人たちのバラエティに富んだ個性、そしてその高度な内容を、本1冊分(映像では2時間程度になることが多いようです)、単なる作りごとで出せるはずもないことは、誰もが納得するしかない話だと思います。

なにしろ、その霊言の収録映像のすべてが、幸福の科学の精舎などで公開されているわけで、実際に映像で見てみると、何百人も霊人の個性が違っていることは、活字で読む以上に、一目瞭然な話だと思います。

私は、今日ご紹介したこの霊言集で、盛田さんの純粋にして高潔、しかも前向きで明るい、とても魅力的な人柄に触れることができて、やっぱりこういう方だからこそ、世界企業ソニーを創り出すことができたんだと、ちょっと感激してしまったのでした!

未来産業のつくり方―公開霊言豊田佐吉・盛田昭夫 (OR books) 『未来産業のつくり方』

 大川隆法著

 

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意思決定って、むずかしいよね。特に、組織の責任者となると、なかなかできるものじゃないと思うな。意思決定ができるようになるには、どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造のマネジメント』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 新しいことを行うときというのは、たいていの場合、多数決は利きません。多数決をとると、普通、判断を間違えます。
 逆に、みなが反対するときは、成功する可能性が極めて高いことも事実です。なぜなら、それは、誰も考えていない手だからです。誰も考えていない手であるからこそ、ほかの人には「なぜ成功するのか」が分からず、まねのできない部分があるため、意外に成功することもあるのです。
 このような言い方をすると、「では、すべて、勘だけでやっているのか」と思うかもしれませんが、そういうことはありません。(中略)大きな意思決定をするときには、単なる思いつきや勘に頼っては駄目なのです。やはり、一つひとつの案件について、じっくりと考え方を詰めていかなければいけません。将棋において、何十手、何百手と読むのと同じように、「こういう手を打ったら、どうなるか」ということを、論理的に、詰めていく必要があるのです。
 「資金的にどうなるか。人材的にどうなるか。時間的にどうなるか」、あるいは「トップの持っている能力から見て、どうなるか」ということについて、幾つかの手を緻密に読んでいくのです。
 そして、考えられるだけ考え、しばらく思案した上で、「やはり、このやり方をとる」という判断をするわけです。
 こうしたことをせずに、単なる思いつきだけでやったら、危険が大きすぎるし、失敗することも多いと思います。(中略)
 そのときに、インスピレーションが湧いてくると思いますが、最初から、インスピレーションに頼っては駄目です。まずは、人間として、やれるだけのことはやらなければなりません。
 要するに、「人事を尽くして天命を待つ」ではありませんが、仕事レベルにおいて、集められるだけの材料を集め、考えられるだけのことを考えた上で、「やるか、やらないか」「イエスか、ノーか」ということを判断しなければならないのです。
 また、このとき、民主主義的に判断しようとすると、小田原評定になり、なかなか物事が進みません。今までやっていないことをやるときには、たいてい、トップの最終決断が必要になります。これは、会社であろうと、どこであろうと同じです。初めてのプロジェクトを組んだり、初めての方針を出したりするときは、みな、すぐには信じることができず、すごく抵抗するので、そこを決断するためには非常に力が要るのです。(中略)
 そして、その次には、やはり、「ひらめき」がなければ駄目です。要するに、「どちらのほうが、自分たちの会社や組織が生き残り、発展していける『生き筋』なのか」というインスピレーションやひらめきに、命を懸けるつもりでなければいけないのです。
 これは、「事前に、どれだけ真剣に情報を集め、論理的な考え方で詰めたか」ということにかかっています。脂汗を流して詰めれば詰めるほど、そのあとのひらめきが真実味を帯びてきて、いいかげんなものにはならないのです。
(217~223ページ)

新しいことを行うとき、多数決をとると判断を間違えることが多く、逆に、みなが反対するときこそ、成功する可能性が極めて高い。

しかし、大きな意思決定をするときには、単なる思いつきや勘に頼るのではなく、一つひとつの案件について、やれるだけのことはやって、じっくりと考えを詰めた上で判断しなければならない。

その次に来るのが、インスピレーションやひらめきである──。

大川隆法先生は、宗教だからといって、インスピレーションやひらめきに頼った安易な意思決定などは勧められず、まずはぎりぎりまで人事を尽くすことを説いておられます。

その上で決断する際には、大きな意思決定であればあるほど、多数決ではいけないというも、大事なところだと思います。

そして、最後に来るインスピレーションやひらめきは、脂汗を流して人事を尽くしていればいるほど、天上界が支援してくれるのだ、ということなんだと思います。

今日は、仏が教えて下さる、「大事な意思決定のための方法論」を学んでみました!

未来創造のマネジメント 『未来創造のマネジメント』

 大川隆法著

 

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