ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「植福(しょくふく)」って言葉を幸福の科学では聴くけど、何のことなの? どういう意味があるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 成功していく過程においては、「惜福(せきふく)」「分福(ぶんぷく)」「植福」 の考え方が大事です。
 惜福とは、「一時的な成功に驕(おご)ってしまわない」ということ(中略)。
 分福とは、「他の人々をも、その富の恩恵にあずからせるようにしていく」ということです。
 植福とは、「いま使いたいお金や財産その他のものを、全部、使ってしまうのではなく、たとえば、将来のために蓄えていったり、十年後、二十年後、三十年後、五十年後のために投資をしていったりする」ということです。(中略)
 幸福の科学においても「植福」という考え方があります。
 自分に入ってきた収入を、全部、自分のために使ってしまうのでは、その人は尊い志を持っているとは言えません。
 二十万円の収入があれば、「二十万円全部を自分のために使いたい」という気持ちを持つのは当たり前のことです。二十万円の収入しかないのに、「三十万円を使いたい」と思うのが、むしろ普通かもしれません。
 二十万円の収入のうち二万円なり三万円なりを、たとえば、幸福の科学において、宗教活動のために使い、精舎の建立や伝道のための資金として提供することは、楽にできることではありません。その二万円や三万円があれば、おいしいものを食べたり、ゴルフに行ったり、お酒を飲んでカラオケで歌を歌ったりすることもできます。二十万円の収入のなかから二万円なり三万円なりを割いて宗教活動に捧げるというのは、楽なことではないのです。
 ただ、その二万円なり三万円なりのお金が、全国、全世界から集まって積み重なると、大きな額の資金になります。
 そういう資金が集まることによって、全国各地に精舎を建てることができます。また、海外でも、精舎を建てたり、活動を開始したり、さまざまな印刷物をつくったりすることができるようになっていきます。
 自分が一生懸命に働いて得た収入の一部を、自分以外の人の活動に捧げることで、さらに大きな活動が起きてくるのです。
 そして、その宗教活動を契機として、多くの人が、立ち直ったり、幸福になったり、成功したりします。自殺しようとしていた人が、自殺を思いとどまって人生をやり直したり、病気の人が気力を取り戻したり、事業の沈滞に苦しんでいた人が成功への道を歩んでいったりします。
 こういう、幸福の連鎖反応、善の循環が始まってきます。それは、その二万円なり三万円なりのお金が、大きな大きな力になって拡大していく姿です。これは、とても尊いことなのです。
(187~191ページ)

幸福の科学では、こういうふうに、尊い宗教活動に使っていただくために、お布施することを、「植福」と呼んでいます。

多くの人々の尊い植福で、幸福の科学では、全国各地、世界各地に「精舎」や「支部精舎」が続々と建立され、布教誌などが作られて、多くの人々の魂を救うための活動が展開されている。

ここで教えていただいているとおり、神仏に捧げられたその思いは、行為は、とってもとっても尊いものだと、改めて私は思っているのです。

 

『希望の法』

大川隆法著

 

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この人が、私の約束してきた人だって、結婚することにしたんだけど、それだけでうまく行くのかなあ。何かアドバイスってもらえないんかなあ? なーんて不安に思っている婚約中の方、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 結婚当初の段階ではハッピーであっても、あとで挫折していく人、難破していく人がいると思います。いちばん難破しやすい人というのは、「男女というのは鍵と鍵穴のようなものであって、どこかに自分とピッタリ合う人がいるはずだ。そういう人と結婚すれば自分は幸福になるが、そういう人でなければ不幸になる」という考えを持っている人です。このように、ある程度、人間をモノのように考えている人の場合は、失敗することが多いのです。
 「Aさんなら自分を幸福にできるが、Bさんならできない。ところが、たまたま間違えてBさんと結婚したから、自分は不幸なんだ」という考え方をする人は、必ずどこかで家庭生活が破綻するようになっていきます。
 自分とピッタリ合う人というのは、つくっていくものなのです。最初からピッタリ合う人がいて、そのまま一生いけるというものではなくて、つくっていくのです。ある程度の許容限度内に入っていれば、あとは、合うタイプというのは、つくっていかなければいけないのです。
 したがって、「相手が自分と合わないのではないか」と思う前に、「何か工夫が足りないのではないだろうか。何か発想が足りないのではないだろうか。もうひと工夫あるのではないだろうか。何か欠けているところがあるのではないだろうか」ということを常に探究してほしいと思います。ピッタリ合う相手はつくっていくものだということです。
 女性は女性で、自分が相手についていけるようにしなければいけないし、男性は男性で、女性を理解してあげる方向に努力しなければいけないのです。この考え方を大事にしてください。
 絶対に合わないという人は、意外にそう多くないのです。ある程度までいっていれば、あとは努力で乗り切れるのです。何度か危機がありますが、危機のところは、努力し創意工夫をすれば乗り切っていけます。どうか努力を忘れないようにしていただきたいと思います。
(164~166ページ)

いくら「赤い糸」で結ばれた人であったとしても、それでも結婚生活には互いの努力が必要だってこと。

霊的世界を信じていて、あの世での結婚の約束があることをしっかり信じている人も、おられると思います。
 
今日ご紹介したところは、そんな宗教的な方に対してというだけでなく、またこれから結婚する人にも、すでに結婚している人にとっても、得難い人生の叡知を教えて下さっているのだと私は改めて感じているのです。

 
『常勝思考』

大川隆法著

 

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〝あの世があるって、しつこいけど、そんなのウソだ。ぜったいないよ。宗教って、すぐそんなこと言って騙すんだから!″ なーんて、激しくあの世を否定してる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊界散歩』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この世以外の世界の存在を信じることができず、この世以外の世界があったら困る人がいたならば、「地獄に行くのは、あなたです」ということです。自分の心を振り返って、「この世以外の世界が、ほんとうにあったら困る」と、心底、思うのであれば、「あなたは危ない」と言っておきたいのです。
 「あの世があっても困らない」と思う人は、だいたい正しく生きていると言ってよいでしょう。しかし、「あの世があったら困る」と思う人は大変です。激しく厳しい反省をしていただきたいと思います。死後における反省の取り組みも非常に苦しいものになる可能性があります。
 ただ、死後、すでに霊的世界に入ってから、そういう修行をするよりも、肉体を持っている、三次元という物質世界において、霊的世界についての悟りを持つことのほうが、魂的には、はるかに尊いのです。
 「この世に生きているあいだに、目に見えないものを信じ、真理を体得して生きる」ということが、今世の修行のなかで得られる珠玉の教訓です。できれば、この世に生きているあいだに、それを手にしていただきたいと思います。
 仏教が教えていることは、そういうことなのです。ほんとうに簡単なことであり、それが数多くのお経になったりしているわけです。
(31~32ページ)

あの世があるって事実を、聞いてる方がちょっと驚くくらい激しく否定してしまう人。

それはもしかしたら、本当にあの世があったら困るからじゃないですか、ってこと。

ではどうしたらいいんでしょうか?

死んでしまってから、あの世があることに初めて気がついても、まったく手遅れなわけです。

だから、まだこの世で生きているうちに、その〝あの世があったら困る″部分をしっかり反省して、心を浄化しておくとよい、というわけです。

あの世が本当にあるという真実を知ること。

よく考えてみると、これはとっても初歩的なことではあっても、じつは一つの大切な悟りでもあるのだと私は思うのです。

 

『霊界散歩』

大川隆法著

 

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自分の行き過ぎた欲望って、いけないことだって分かるんだけど、でも自分ではどうしようもないんだよね。この欲望って、どうすれば、なくしていくことができるんだろう? なーんて疑問持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(上)』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 「心の三毒」という考え方があります。心を毒するものに三種類あると言われています。(中略)
 この心の三毒を簡単に説明してみます。
 まず、「貪(とん)」は貪(むさぼ)りの気持ちです。たとえば、野良犬がごみ箱に鼻先を突っ込んで、食べ物をあさっている状態を想像してみてください。非常に浅ましく貪欲な感じがします。当の本人は気がついていないのですが、傍目(はため)には「なぜそれほどまでに欲が深いのか」「なぜそれほどまでガツガツするのか、浅ましい感じを出すのか」というように見えるのです。
 では、その浅ましさの対象とはいったい何でしょう。まず、食欲です。たとえば、みんなが礼儀作法を心得て食事をしているところに、お腹を空かせた人が一人入ってきて、ガツガツと食べはじめたら、ちょっとたまらない気がします。とてもではないけれども、食事がおいしく食べられなくなります。
 あるいは、性欲というものもあるでしょう。自分を抑えきることができず、とにかく異性を見るともう人間ではなくなってしまうような強い欲望を持っている人がいます。欲望を自己のコントロールのもとに置けない人です。
 この欲には限りがありません。出世欲から始まって、物欲など、さまざまな欲がありますが、とにかく手に入れたくてしかたがないという気持ちです。これが「貪」です。
 要するに、「貪」というのは「奪う愛」に当たるわけです。この「貪」の反対は何かというと、当会で言えば、「与える愛」です。あるいは「布施」という考え方です。これは、ある意味では「貪というものを捨て去りなさい」という教えであるわけです。
 これは、他人を観察してみると、よくわかってきます。第三者の目で見るとよくわかりますが、自分自身では、そう簡単にわからないという特徴を持っています。分不相応な欲望や願いを持っているかどうかということは、自分自身にはなかなかわからないことですが、他人を見るとよくわかるのです。ですから、常に世の中のことをよく観察して、自己を客観視できるようになるための努力が必要になります。
(78~81ページ)

自分自身の行き過ぎた欲望は、自分では分からないものだけど、他人のものはよく分かる。

だから、まず常に世の中のこと、まわりをよく観察することで、自分を客観視できるようにしていく。

それが行き過ぎた欲望をなくすための努力の出発点になる、ということなんだと思います。

今日も勉強になったなあと私は思っているのです。

 

『悟りの挑戦(上)』

 大川隆法著

 

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なんで、知力とか学力ばかりが重視されるの。人柄とか、運動能力とか、絵や音楽とか、文学とか、お金儲けだとかもそうだし、学校の勉強じゃ測れない才能って、たくさんあるじゃないの? 学校の入試だって、そんなのを評価して入れてくれないと、不公平だと思うんだけどな? なーんて疑問持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 世間では 「知力重視はいけない」とよく言われますが、私は、知力重視は悪くないと思います。
 縁起の理法から見ると、純粋に学力で測っていくことは、悪いことではないのです。それが万能ではないことも事実ですが、二十歳ぐらいまでの、人生の基礎の部分においては、学力で測ることは決して悪いことではありません。
 この時期に、「人物本位」などと言って、学力以外のもので評価するのは邪道だと思います。
 「一芸に秀でている」ということで測るのもまだ早いでしょう。もちろん、絵や音楽などの芸術方面における才能を持っている人もいるでしょうが、それは大多数であるサラリーマン予備軍にとっては関係のないことです。
 大部分の人たちに対しては、特殊な事柄をあまり考慮に入れずに、きちんとした基礎を教える必要があります。
 自分を鍛えることの意味、学ぶことによる達成感について教えなくてはなりません。そして、学年が上がれば上がるほど学力が向上していくことの意味や、実社会に出てからも積み重ねが大切であることを、きっちりと教える必要があるのです。(中略)
 「偏差値で輪切りにすることはよくない」と言って、偏差値を追放したとしても、成績順や点数順など、それに取ってかわるものはいくらでも出てきます。また、面接、親の収入や職業、クラブ活動の実績などで判断することになれば、あまりフェア(公平)ではない世界になります。
 若いうちは、人物本位といっても信用できません。若い人は非常に可塑性(粘土のように、さまざまなかたちにつくりかえられる性質)に富んでおり、まだまだ変わっていく可能性が高いので、その段階で人物を測ることは不可能に近いと言えます。(中略)
 人物を測れるようになるのはもっと先のことなので、学校時代においては実力本位、学力本位でよいと思います。ある程度、客観的な物差しで測るべきです。
 ただ、学力の高い人が実社会で成功するかどうかはまた別の問題です。世の中で成功する要因はほかにもたくさんあるからです。(中略)
 芸術的才能、文学的才能などもありますが、どのような才能であれ、ほんとうに大きな才能であれば、やがて土を破り、必ず芽を吹いてくるものです。学校時代に芽を出さなくても、時期が来れば必ず芽を出します。
 だからといって、才能を摘み取るほどの重圧をかけてはいけませんが、途中でつぶれるような才能は、もともと大した才能ではありません。ほんとうに巨大な才能であれば、必ず出てくるものなのです。(中略)
 このように、「学力とは別に、実社会に出て成功するための才能がある」という目も持っておく必要があります。ただ、そのような才能は社会に出てから磨けばよいのです。
(35~39ページ)

なるほどねー、です。

いろんな才能があることは認めつつも、でも学校時代には、ある程度、客観的な物差しで測るのだ、と考えていけばいい。

いまの受験勉強を中心とする学校制度の仕組みについて、とても腑に落ちるお教えではないかと、改めて私は思うのです。

 

『繁栄の法』

大川隆法著

 

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「汝(なんじ)が欲することを他人に施(ほどこ)せ」というのが、「黄金律」と呼ばれる、キリスト教で最も大事な倫理なんだって、教えてもらったことがあるんだ。でも、これがなぜ大事なんだろう。なぜ正しいんだろう? なーんて疑問持ってる人、いませんか。 

これは、すごく哲学的疑問なのかもしれないけれども、幸福の科学の大川隆法先生は、『ユートピア創造論』(幸福の科学出版)で、霊的観点から、こう説いておられます。

 黄金律として、「汝が欲することを他人に施せ」(「マタイによる福音書」7・12)という言葉がありますが、これがなぜ善であるかといえば、人間には、だれもが共通に価値を感じ、共通に喜びを感じることがあるからです。そうしたことがなく、自分はうれしいが他人は喜ばないということばかりであるならば、この黄金律は成り立ちません。
 これがなぜ成り立つかを、さらに説明しましょう。
 人びとはそれぞればらばらに生きているように見えますが、実は、人間の魂には仏の神経細胞が張り巡らされているのです。それは、いろいろな枝分かれをして、すべての人につながっています。
 人間の肉体に血管が張り巡らされているように、大宇宙には、人間の目には見えないけれども、仏の血管ともいえるものが、網の目のように広がっているのです。そして、その網目状の血管によって、すべての人間や動植物がつながっています。それゆえに、「本来は一つだ」と言われているわけです。(中略)
 これは、霊的世界にあった巨大なエネルギーが、投網を打つような感じで強力に広がっていったのです。一つにまとまっていたものが、全宇宙に広がったわけです。
 全宇宙に広がった投網のごときエネルギー体は、それぞれ、中心になる線、ロープを持っていました。そして、中心になるロープの部分が、各星団の基本的な力、エネルギーのパイプとなっていったのです。
 このパイプとしてのロープは、いろいろなところにつながっています。このロープの一本が銀河系のほうに流れており、さらには太陽系のほうにも流れてきています。そして、このロープのまわりには、小さな糸がいろいろ出ています。こうしたかたちで、全宇宙は霊的エネルギーの網としてまとめられているのです。
 実は、これは一回だけ起こったのではなく、何段階かに分かれて起きたのです。最も古いところでは、二百億年近い昔に霊的分化が始まりました。銀河系の一部でも、新しいところでは、いまから三十億年ぐらい前に、霊的な分散、分化、多極化の動きがありました。
 これは宇宙の秘密そのものです。いろいろな時期に、それも人間から見れば気の遠くなるような年数である何十億年という幅を置いて、宇宙のいろいろな場所に霊的エネルギーの核ができ、それが網目状に自己拡散を行なって、新たな生命の系統樹をつくっていったのです。
 そして、十億年、二十億年、三十億年とたつにつれ、この霊的エネルギーの系統樹に沿って、いろいろな惑星に生命が誕生してきました。投げかけられた仏のエネルギーの糸がもとになって、そのまわりに、やがていろいろなものが発生してきたのです。
(52~55ページ)

大宇宙の秘密、霊的エネルギーの系統樹という、秘儀とも思える「智慧」を語ることで「黄金律」の霊的根拠を説明される──。

まさに仏ならではの教え、なのではないかと私は思うのです。

 

『ユートピア創造論』

 大川隆法著

 

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うちの夫、最近、わたしに対する愛情って、目に見えて減ってるのよね。帰りが不自然にいつも遅いし、わたしの誕生日忘れてたなんて、初めてのことだったし。やっぱり、外に女ができたりしたのかしら。あーあ、どうしよう? なーんて深刻な悩みをもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 浮気の兆候を感じたり、あるいは夫の愛情が減ったというふうに感じはじめたら、現実にそういう事態が起きる前に予防措置として、自分のほうをもう一度点検してみることです。夫に対してなにか尽くし足りないところはないか、あるいは結婚生活も何年かたって、自分がもう飽きられてきているのではないか、あるいは新鮮味がなくなってきているので、なにか少し違ったことをしなければいけないのではないか、こういうことをまず考えてみられるほうがよいかもしれません。(中略)
 神様は罪つくりなところがあるのか、太古より男性を飽きっぽくつくっております。男性というのは、つねに新しい刺激を求めるようになっています。(中略)男とはそのようによく気が変わり、また飽きっぽいところもあって、つねに新しい獲物を追いかけたがる存在だということも、まずは知っておいたほうがよいでしょう。
 そうしてトータルな面で、全人生において自分が幸福になるためには、夫をどのように上手に操縦するか、それを考えなければならないのだと私は思います。
 たまに事実として浮気が起きることがあっても、男性にとっては「はしか」のようなもので、一時期の遊びで過ぎていくことはよくあります。そうしたときに、生きるか死ぬかというような大騒動を起こすのではなくて、二十年、三十年の人生の荒波をともに越えていこうと誓った二人であるならば、どのような嵐の日にも、なんとか頑張って帆を張っておこうと努力してほしいのです。その努力は、報われる日がかならずきます。
 どうか刹那(せつな)的な衝動に走らないでください。「彼が浮気するなら私もするわ」というふうに相手を裁き、自分もまた破滅への道を歩む人も世の中にはいますが、そういうことをした場合には、まず後戻りすることはできなくなります。嵐になって少々風が吹き、雨が降り、そして波が荒れても、嵐というものはかならずや一晩、あるいは二晩、三晩でおさまり、そう長くは続かないものです。
 結婚というものは一種の船出ですから、次の港にはいるまで、そして最終目的港に着くまでにはいろいろなこともあるだろうけれども、「いったん船出した以上は、もう船から降りることはできないんだ。目的地まではしっかり行こう」と思って、歯をくいしぼることです。
 夫がもし悪いことをしたならば、かならずや彼も反省することがあるでしょう。そのときに、以前にも増して光り輝いたすばらしい夫になることもあるでしょう。
 そのあいだこそ、あなた自身の忍耐と自己変革の努力というものが求められていると思います。
(27~30ページ)

男とは、つねに新しい獲物を追いかけたがる存在だと、まずは知っておくこと。

トータルで幸福になるために夫をどう上手に操縦するかを考え、どんな嵐の日にも、なんとか頑張って帆を張っておく努力をすること。

あなたの忍耐と自己変革の努力は、かならず報われる日がやってくる──。

人生の旅には、いろんなドラマがあるんだと思います。

その一夜に出会った大嵐も、がんばって乗り切ることができた朝には、また素晴らしい大海原が目の前に広がっている。

そんな明るいイメージが浮かんでくるお教えとして、改めて私は学ぶことができた気がしているので。

 

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著

 

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人間はみんな仏性を持ってるって、ほんとなの。生まれながらの悪人って、やっぱり現実にいるんじゃないの? なーんて疑問持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(下)』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「一切の衆生に仏性が宿っている」という思想を唱えるのは非常に素晴らしいことなのですが、逆にこの思想自体は、「自分たちを迫害したり、自分たちの教えを批判したり、『釈迦も極悪の罪人も、何も区別がない』というものの見方しかできない人間でも、我々と一緒なのだ」ということになるわけであり、ここにジレンマが生じたわけです。
 これで苦しんだ結果、「一切の衆生は仏性を持っていて、成仏する可能性があるのだけれども、『断善根(だんぜんこん)』といって、善の根っこが断ち切れている者(中略)がいるのではないか。(中略)このような思想によって解決しようとしたのです。(中略)
 ただ、私自身の考え方からいえば、やはり、どういう人間でも神仏の子としての性質は持っていると思うのです。小さな子供と会うとニコニコ笑ったり、好きな人と会ったらうれしそうな顔をしたりするということは、どんな人でもあるわけですから、愛や慈悲という仏の性質自体はどなたも持っていると思います。(中略)
 あるいは、別の意味においては、悪霊の憑依という場合もあります。悪霊が四体も五体も憑いたような状態では、もはや正常な判断ができません。神や仏のことを考えることはできませんし、「批判するのは当然」という感じで、本人が言っているというより悪霊が言っているような状況もあるわけです。
 このように、生まれ落ちてからの思想や信条、教育や職業訓練等を通して、あるいは心の間違いによる悪霊の憑依を通して、正しい教えを信ずる緑がまったくなさそうに見える人もいるのですが、その根本には神仏の子としての本性を持っていると私は考えています。ただ、現象的には仏性が宿っていないかのように振るまう人がいるという事実もあることは、やはり認めなければいけないと思います。
 これは、あくまでも「地獄から生まれ変わってきている人間はいない」という立場をとっていることと同じことです。さまざまな宗教では、「天国から生まれてくる人と地獄から生まれてくる人が半々にいる」ぐらいに思っているところが多いようですが、それだけを言うと、どうしても善人悪人の目で見てしまうので、救済という観点からいくと問題があるのです。
 赤ん坊や小さな子供は、どの子もみんな可愛らしい顔をしています。将来、大犯罪人になったり、暴力団の組員になるような人でも、赤ちゃんのときからそんな傾向はありません。顔つきが悪いぐらいはあるけれども、やはりそういう凶暴な性格を一歳、二歳、三歳から発揮していくということはないようです。だんだん後に出てくるものです。そのように考えておいたほうがよいだろうと思います。
 ですから、「断善根」──善の根っこが切れていると言いたくなることもあるでしょうが、しかし、「彼らにも核の部分に仏性はあるのだ」という優しいまなざしは持っておく必要があると思います。
(195~199ページ)

現象として、仏性が宿っていないかのように振るまう人がいる。

その現実は認めつつも、しかしあくまでも、「地獄から生まれ変わってきている人間はいない」。

どんなに悪人に見えても、「彼らにも核の部分に仏性はあるのだ」──。

一切の衆生を救おうとしておられる仏のまなざしって、なんて優しいんだろうと私は改めて思っているです。

『悟りの挑戦(下)』

 大川隆法著

 

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せっかく涼しい秋がやってきたのに、とにかくやる気が起きないんだ。何もできないんだ。どうすればいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 やる気を起こすためには、どうすればよいのでしょうか。やる気が起きないのならば、それを自力で起こしてみせることが大切です。そのためには、目の前に目標をぶら下げることです。(中略)
 手近なことのなかで、「少なくとも、これはやった」と思えるような目標を探すことが大切です。要するに、努力して手近な何かを改善し、その達成感、成功感を味わってみることが大事なのです。
 たとえば、受験生であれば、いきなり全科目で抜群の成績をあげようと考えるのではなく、不得意科目が少しでもよくなるように、あるいは、得意科目でより高得点が取れるように、とりあえず何か一科目を選び、その科目を強化していくことです。こうしたことを考えるべきです。
 また、会社のなかで業績不振に陥り、やる気がなくなっている人であれば、「あれもしよう。これもしよう」と欲張らずに、「いま自分にできることは何か」ということを考え、手近なことのなかに改善点を見いだしていくのです。
 仕事ができずに、いつもイライラしている原因は、単に書類の整理の仕方が悪いことにある場合もよくあります。ビジネスマンで、いつも落ち着きがなくイライラしている人は、たいてい書類の整理が悪いのです。
 その場合には、悩むのをやめて、机の上や引き出しのなかの書類を整理することです。処理済のものと未決のものをきちんと分け、未決の書類はいつまでに片つけなければいけないのかを、はっきりさせることです。こうした作業をするだけで、非常にすっきりとして、やる気が起きてくることがあります。
 主婦の場合も同じです。たとえば、「部屋を掃除しなければならない」とは思うのだけれども、そうした思いに追いかけられるばかりで、どうしても掃除をする気が起きないということがあるかもしれません。(中略)
 月曜日はトイレの掃除、火曜日は台所の掃除、水曜日は居間の掃除、木曜日は寝室の掃除、金曜日は庭の手入れというように、分割していく方法があります。一度の家全体を掃除しようなどと思うから大仕事になり、年末にでもならないと掃除ができないことになってしまうのです。
(56~60ページ)

やる気を起こすためには、自分で目の前に目標をぶら下げること。

努力して手近な何かを改善し、その達成感、成功感を味わってみること。

まずは机の上や引き出しの書類を整理することから始めてみること。掃除であれば、少しずつ分割して実行していってみること──。

つまり、手近なところから工夫することで、やる気を自家発電していく、ってことなんだと思います。

いま疲れていて、やる気が出ない感じがしているみなさん。

大川隆法先生のこのお教え、ちょっと自分で実践してみれば、まさに効果抜群であることがすぐに確認できると私は思っているのです。

 

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著

 

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「慈悲」って、ものすごく高い境地だって教えられてると思うけど、でも、よく分かんないなあ。「悲しい」って字がついてるけど、悲しいのかなあ。・・・なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『説法自由自在③ 真理の発見』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 慈悲の慈というのは恵みということです。それから悲というのは悲しみと書いてあります。なんで慈悲という言葉に悲しみという字がついているか。ほんとうに悲しいのだろうか。そういうことではないのです。それは、もちろん仏教のほうから出ていますけれども、奈良へ行けば東大寺の大仏、鎌倉に行っても大仏があります。ああいう大仏という姿でもって、神の姿、あるいは仏の姿を表わしているわけなのです。
 たとえば、地上から二十メートルもあるような大仏様からこの地上の人間を見たときに、その悲しみとか、優劣の気持ち、あいつが偉くなったとかならないとか、出世したとか、いい大学を出たとか、言い争っている地上の人間の姿はどう見えるかというと、ひじょうにかわいそうに見えると思うのです。ひじょうにかわいそうな気持ちになって、ああこういうことで苦しんでいるのか、と思うでしょう。
 ちょうど私たちが、蟻があっち行き、こっち行き、行きあたりばったりに動いているのを見て、かわいそうに思うのとおなじです。ああ、彼らはそういう試行錯誤をしないとまっすぐ進めないんだな、右にぶつかったら右曲がり、左曲がりして、どっちへ行ったらいいかわからない。私たちから見たら悲しいですね。
 そのように、慈悲というのは大きな、ずっとはるかに高い境地でもって人間を見たときの心なのです。愛の心であって、さらに高い愛の心、すなわち、「存在の愛」と私が呼んでいる段階に達した境地が慈悲の心であります。そういう境地になってくると、人と争う気持ちがだんだんなくなってくるのです。同じ土俵ではなくなってくるわけです。ですから、(中略)まず、みんなアラや欠点が見える段階は必ず通り越しますが、勉強したり努力したりするうちに、人の欠点がよく目につく段階を越えていったときに、人間は今度は単純になってくるのです。ひじょうに単純になってきて、人がよく見えてくるのです。ものすごく、いい人に見えてくるのですね。それは境地がだいぶ上がってきているのです。そういう境地までいかなければいけません。
 そうすると、あまりこだわりがなくなってくるのです。たとえば、この人、まだこんなことで夫婦げんかしているなあと思うけれども、たしかに自分もそういう経験があるし、だれそれさんのところもそうだったし、人間というのはそういうことはあるんだな。でもこの原因はこういうところにあるだろう。こういうところに原因があるけれど、まあいまの段階ではこれは解決できないだろう。一年ぐらいしたら。ういうアドバイスをしようかな──。そういう人は、こんなふうに考えます。
 ところが、そういう経験がない人はわからないので、あっちの味方になったり、こっちの味方になったりして、やいのやいの言って相手を責めるようなことを指導したりするようなことがあるのです。
(194~196ページ)

慈悲というのは、「存在の愛」、八次元の愛なのだと教えていただいてると思います。

それはたとえば、私たち人間が、蟻の動き回ってるのを見下ろしてるような感じで、仏さまが私たち人間を見て下さってる。そのときに感じておられるのが、「慈悲」なのだ、っていうこと。

なかなか難しいんだけど、少しでもその境地に近づいて行きたいものだと私は思うのです。

 

『説法自由自在③ 真理の発見』

 大川隆法著

 

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もう明日(10月22日)は投票日だよね。でも、今回の選挙って、何が争点だったの? なーんて疑問、今頃になってもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『国家繁栄の条件』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。

 今回の総選挙の争点は、北朝鮮への圧力や、少子高齢化対策の消費税増税の分配率を上げることらしい。少なくとも安倍総理の外向けの発表では。
 これに対し、私どもは、『自分の国は自分で守れ』『危機のリーダーシップ』『国家繁栄の条件』などで、国民に対し、堂々と党の方針を発表している。
 特に本書では、宮沢俊義の現憲法「八月革命説」や「吉田ドクトリン」を批判するとともに、もう一度、松下幸之助氏の「無税国家論」や「配当国家論」を学び直し、消費税下げを真剣に考えるべきだと述べている。子供の絵本やおもちゃにも、老人の外食にも、消費税は確実にかかってくるのである。
 本来デフレ脱却を目指している時に、「消費促進」と「消費増税」が真逆の関係にあることがまだ判らないらしい。政府が選挙対策に株価つり上げをすることも、「買収」であることに、はやく気づくべきだ。
(3~4ページ)

何が争点の選挙なのか、テレビや新聞の報道を見ていても、まったくわけが分からない選挙戦になっているように思えます。だからこそ、いま、正しい情報が必要ではないでしょうか。

大川隆法先生は、一般書店で刊行されている書籍『自分の国は自分で守れ』『危機のリーダーシップ』『国家繁栄の条件』などで、党の基本方針となるオピニオンを、全国に向けて発信しておられます。

特に本書で大川隆法先生は、戦後の占領体制以降はほんとうは維持されるべきでなかった日本国憲法を生き延びさせることになった「八月革命説」なる憲法学者の学説がいかにおかしなものか、また、今の日本の“自分の国を自分で守らない”おかしな体制を作ることになった吉田茂元首相のいわゆる「吉田ドクトリン」を強く批判しておられます。

また、安易な増税に頼ろうとする自民党政権や他党の政策に対して、パナソニック(松下電器)の創業者にして「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助氏の「無税国家論」や「配当国家論」を学ぶことで、消費税下げの正当性を真剣に考えるべきことを提言されています。

こういった大川隆法先生の数多くのオピニオンを受けて、幸福実現党は今回の選挙を、第一に、「自分の国を自分で守る」ための国防強化、第二に、経済成長のために消費税を5パーセントに下げる、という二大政策を掲げて戦っているんだと思います。

時間がない方には、動画「15秒でわかる幸福実現党」がお勧めです。

また大川隆法先生は、「消費増税」したら、“消費促進”どころか消費が進まなくなり、デフレは脱却できないことを、何度も何度も、それこそ口を酸っぱくして説いておられます。

それから、この選挙戦の最中、株価が上がり続けて、何十年ぶりという高値になりましたが、北朝鮮危機の中、誰が考えてもおかしな話です。じつは自民党政権が、株価つり上げで国民を「買収」して選挙に勝とうとしているのだと、大川隆法先生は喝破しておられるんだと思います。

さてさて、一体全体、どの政党が、本当に国のことを、国民のことをしっかりと考え、今の日本に本当に必要な政策を掲げているのか。一人でも多くのみなさんが、イメージで判断するのではなく、必要な情報を集めて自分の頭で考えきちんと判断して、明日は貴重な1票を投じられることを!

 

『国家繁栄の条件』

大川隆法著


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いやあ、何回聞いても、なんで幸福実現党を立党したのか、よく分かんないんだよね? なーんて疑問もってる人、まあだいませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、1997年に発刊された『ユートピア創造論』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 いま地球を見てみると、世紀末現象が進行しています。
 過日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)においては、半世紀近く指導者をしていた金日成が死去しました(一九九四年七月八日没)。その後の体制を巡って、いったいどのような時代が来るのか、世界各国が注目しています。
 結論を申し上げましょう。社会主義国家は滅びていくしかありません。唯物論、無神論の国家は、滅びる運命にあります。
 しかし、それは結論であって、その過程を意味してはいません。その過程を、いかに平和的で、多くの人の幸福につながるようにしていくかということが大切なのです。
 北朝鮮の核疑惑が取り沙汰されていますが、これは疑惑ではなく、北朝鮮はすでに核兵器を保有しています。その数はおそらく六個から八個だと思います(この講演が行なわれた一九九四年七月当時の数)。来年(一九九五年)じゅうには十個から二十個の核兵器を保有する能力を、彼らは持っています。
 しかしながら、彼らが持っている技術はまだ未熟であり、彼らが核ミサイルで、たとえば米軍基地がある日本の沖縄をねらったとしても、そのミサイルはおそらく命中しないでしょう。その程度の精度なのです。
 とはいえ、東アジアには新たな危機が現にあるということを、否定することはできません。(中略)

私は北朝鮮の指導者および民衆に対して申し上げる。
核兵器を捨てなさい。
そして、西側の自由主義国家の人たちと、
心を開いて、胸襟を開いて、語り合いなさい。
害心を持って、
他の人びとを見ている人は居はしない。
それはみずからの恐怖心の反映にしかすぎない、
ということを知らなくてはならない。(中略)

中国の人たちに対しても、私は申し上げたい。
軍事的拡張をやめよ。
軍国主義をやめよ。
そして、核兵器を捨てなさい。
それが、
あなたがたが平和に今世紀を生き抜き、
来世紀に未来を開くために、
どうしても必要なことなのだ。

 現在のまま軍事的拡張主義を続け、さらに社会主義政策を続けるならば、中国はおそらく、南北の二極を核として、さまざまな連邦国家に分裂していくことになるでしょう。しかし、その過程では、数限りない悲劇が起きることだろうと思います。
(135~141ページ)

ここに引用したのは、初代の金日成が死去して、北朝鮮の今の指導者・金正恩の父親である金正日が権力をにぎった直後、1994年に説かれた御法話の活字起こしの部分です。

それから、23年も経過したというのに、事態はまったく改善されないまま、日本政府は無策のまま。永田町は政争をくり返しているだけで、今回の総選挙でもほとんど争点になってもおらず、まさに亡国への道を歩んでいる。

本当にやむにやまれない気持ちから、幸福の科学は本気で救国のために立ち上がって、幸福実現党を立党し、今もなお活動を続けていたことが、以前の御法話をひもときさえすれば、ただちに明らかになるのです。
 

『ユートピア創造論』

 大川隆法著


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信仰なんていって、目に見えないものを信じるってことでしょ。なんで、そんなもの、信じることができるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の仏陀』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

あなたがたは、さまざまなる価値観に、
心乱れ、心揺れることもあるであろう。
しかし、信ずるということが、
あなたがたがこの世ならざる存在であるということを、
雄弁に物語っているのだ。
いかなる人の心にも、
信ずる気持ちがある。
信じたいという気持ちがある。
その、信じたいという気持ちは、
この世の存在を信じたいということではない。
この世をはるかに超えたる世界を、
その世界のなかにあるところの叡智を、
信じたいということなのだ。

現代人の多くは、傲慢にも、
自分たちの知力によって理解できぬものは
何もないと言わんばかりに、
驕り、高ぶっているかに見える。
しかし、そのような現代人たちであっても、
深く己の心の内を眺め入るならば、
そこに、理解を超えたものへの熱いまなざしを感じるであろう。
いくらその目を伏せたとて、
仏法真理に寄せる熱い眼は、閉ざすことができまい。

たとえ、この地上で、
どのような博学の人であると言われようとも、
夜空を見上げてみよ。
そこにちりばめられたる星々の神秘を、説明することができるか。
なぜ、地球が丸く、自転しているかを、説明することができるか。
なぜ、太陽が必ず東から昇り、西に沈むかを、説明できるか。
その奥にあるものは、
この世界において魂修行してゆく者たちへの、
大いなる愛であるのだ。
大いなる愛が顕現して、
魂修行をしている人間たちが、たとえ気づくことがなくとも、
彼らに、生きてゆくための環境を与えているのだ。
あなたがたは、この大いなる愛を感じとらねばならない。

地上にある人間たちの理解が及ぼうが、及ぶまいが、
そんなことにかかわりなく、
人々を生かし続けている、
大自然の不思議よ。
大宇宙の神秘よ。
ああ、そこに、
一片の感動を見いだすことができる者であるならば、
信ずるということは、ことのほか、たやすいことであるのだ。
信ずるとは、まず、
自らが生かされていることを知った時に、
魂の奥深くからあふれだしてやまない気持ちであるのだ。
(17~22ページ)

そう、大自然の不思議。

大宇宙の神秘。

そこに、魂の奥深くからあふれだしてやまない、何らかの気持ちを自分で感じとれるのならば。

まずは、信じてみよう。

それが、神秘の世界、つまり自分の本質は霊であり、魂であり、心であるという「この世ならざる」世界の扉を開く始まりになるんだろうと私は思うのです。
 

『永遠の仏陀』

大川隆法著

 

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幸福の科学が政党を作った理由って、少し、一昨日の記事でわかった気がするよ。でも、宗教は宗教なんじゃないの。なんで政治に進出なんだろう。まだ腑に落ちないなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国家の気概』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は救世主であると同時に、日本の「国師」であり、「ワールド・ティーチャー」(世界教師)でもありたいという強い志を持っている。
 「幸福の科学」を単なる日本の新宗教の一宗一派だと考えている人々は、いずれその見識の浅さを恥じることになるだろう。
 宗教家の不屈の信念と救世の情熱が、いったいどこまで広がっていくか、お見せしたいものだと思っている。
 今、必要なのは、勇気と行動力、そして、現実に、世界の人々を愛そうとする気持ちだ。
 かつてイスラエルの地で「メシア」とは、人々の魂の救済者であると共に、救国の政治的指導者でもあることを意味した。日本の古代の宗教家も政治指導者でもあった。「政教分離」などのテクニカルなこの世的技術論によって、神の声、仏の声を封じ、救世の事業を妨げる愚かな人が出ないことを祈る。宗教よ、具体的、幸福の実現を目指せ。
(210~211ページ)

この短い一文に、大川隆法先生の志、願い、そして決意と気概が、あますことなく示されていると感じます。

大川隆法先生と幸福の科学、そして幸福実現党は、2009年の立党時はもちろん、それから8年たった今にいたっても、変わらず真剣だし本気だってことなんだと私は思うのです。 

 

『国家の気概』

 大川隆法著


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どうして、うちの会社の製品は、うちのお店の商品は、売れないんだろう。どうして自分の仕事は受け入れられないんだろう。客の方が悪いんじゃないのかなあ。・・・なーんて悩み持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 四番目に、「顧客マインドを忘れるな」ということを述べておきます。これはよく言われることであり、ありふれたことではありますが、つい忘れてしまうのです。
 特に日本では、生産者中心の考え方が強く、つくる側が非常に有利です。「つくる側のほうが偉い。つくる側を保護しなければいけない」という思想が強いのです。
 「物づくりは偉い。物づくりは大変だ」という考え方はありますし、実際、そういう面はあるかもしれません。しかし、そのため、「つくる人は、つくることに専念していればよいのだ」というように思いがちなのです。
 そして、売れなければ、「買わないほうが悪い」「もっと政府が補助すべきだ」「他の会社が悪い」「外国が悪い」「円高が悪い」「円安が悪い」など、いろいろなことを言います。このように、つくる側というのは、自己中心的な考え方をする傾向があるのです。
 しかし、「自分の会社の製品、商品は日本一だ」と言っても、それがほんとうに日本一かどうかは、市場に出してみて初めて分かることなのです。そこに答えがあります。〝通信簿″はすべて市場にあるのです。
 政党や内閣などには支持率というものがあり、全国どこで調べても、だいたい似たような数字が出てきます。商品なども同じで、一定の実力があると、どこででも、ある程度は売れますし、売れないものは売れません。
 つくる側は、自分のところを中心に考え、うぬぼれて天狗になり、買う側を顧みようとしない傾向がよく出るのですが、やはり、「最後は市場に訊け」ということです。
 市場には、一人ひとりのお客様の集合体、顧客全体の考え方があります。
 自分のところのものが売れずに、ほかのところのものが売れているのであれば、お客様はほかのものを選択しているわけですから、「どうしてそれが売れて、自分のところのものが売れないのか」ということを、つくる側の立場ではなく、買う側の立場に立って考えなければいけません。「お客様はどうして、あちらを選んで、こちらを選ばないのか」ということを考えるのです。
 それを考えるところに、次のイノベーションの芽があります。「何をすればよいか。どういう手を打つべきか」ということが分かってくるのです。
(194~196ページ)

今日、ご紹介したのは、「経営マインドの磨き方」というお教えの中の一部です。

でも、これって考えてみると、「与える愛」の教えが「経営」という場面に適用されると、こうなるという典型例なんじゃないのかなあ。

製品を作る側、商品を売る側の目線で考えてるってのは、お客様との関係では、「奪う愛」なのであって、そこで「与える愛」が出来てないから、お客様には受け入れられない。

この関係は、どんな場面にも応用できる、ものすごく普遍的で大事なお教えなんじゃないでしょうか。

たとえば、このブログを読んでくれる人がどれだけ増えるのかは、私がどれだけ読んで下さるみなさんの側の目線で、このブログを書けてるかによるんだってことでもあって。

うーん、反省、反省・・・。 

『常勝の法』

大川隆法著

 

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