ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



アメリカって、世界最強の国なんだろうけど、イラク戦争とか、アフガニスタン紛争とか、ビン・ラディン殺害とかみてると、正義の国なのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『西郷隆盛 日本人への警告』(幸福の科学出版)で、西郷隆盛の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 まあ、いろいろな国があって、それぞれの正義を求めているだろうけれども、「その国の正義が世界に広がったら、どうなるか」を見れば、正義の判断基準が分かるということだ。
 アメリカ的な正義にも、世界を覆うところまではいかないものがあった。それは何ゆえか。国内においては、多様な価値観、多民族を融和させる政策を採っていたけれども、世界レベルにおいては必ずしもそうではないし、特に、イスラム教徒との対立は、今後も激化する可能性が高いであろう。(中略)
 そして、中国は、無神論の国家から、ようやく首を出そうとしているようなレベルである。精神世界においては、極めて無知な、あるいは幼稚なレベルにあるのに、経済だけが大きくなってきた。これは、かつての日本が言われたことと同じ状態であると思う。その精神の未熟さについて、やはり、水が高きから低きに流れるように、この国から、かの国を教導する必要があると思われる。
 これは、ひとり、政治の力でもっては十分ではなく、宗教そのものの力を持ってやらねばならんことであろう。その意味で、幸福実現党が一つの車輪として回り始めたときに、政治と宗教が両輪となり、昔の戦車のように突き進んでいくようになるであろうと思う。(中略)
 アメリカ文明も世界にかなりの影響を与えたとは思うが、あまりにも、破壊性、残忍性が強いように思われるところがある。本当の意味でのキリスト教精神が彼らに宿っているならば、もう少し違ったかたちでの国の発展はありえただろうと思われる。
 あの国の基本的な宗教的信条は、エル・カンターレが指導したキリスト教のあり方とは、やや違うのではないだろうか。そのように考えられる。まあ、国力におごっていると思えるところがある。その意味で、彼らにも、今後、ある程度の反省を促される事態が来るであろう。(中略)
 今、大事なことは、日本が諸外国から尊敬されるような国になることである。それには、まず、精神界に偉人が数多く出ることが大事であり、それが他の国の人々の心をも照らすものであってほしい。
 軍事的なるものは、必ずしも中心的である必要はないと思う。日本が、アメリカや中国を抜くような軍事大国になることが望ましいとは、私は必ずしも思ってはいない。
 ただ、「自国の防衛はきちんとできる体制をつくる」ということが、自国の考え方や思想を相手方に正当に伝えるために必要な態度かと思われるので、そのへんはしっかりしなくてはならないと思う。
 少なくとも、毎年、十パーセント以上もの軍事費の増大があるような国に、他の国の軍事的脅威を言う資格はない。これについて反論することもままならないようでは、この国に十分な言論の自由があるとは思えない。この国の政府は腰が抜けている。
 それが、すべて憲法九条に帰しているのならば、やはり、これを変えるべきであると私は思う。
(104~110ページ)

アメリカ的な正義は、世界を覆うところまではいっていない。

今、大事なことは、日本が諸外国から尊敬されるような国になること。

それには、まず、精神界に偉人が数多く出て、自国の防衛はきちんとできる体制をつくること──。

この霊言で、西郷隆盛は、日本という国家に対して、そして幸福の科学という宗教、さらに幸福実現党という政党に対しても、強い強い期待を込めた言葉を発しておられます。

地上の私たちは、この天上界の偉人の強い期待を、真正面から受け止めて、しっかりと応えていく努力をしたいものですよね!



『西郷隆盛 日本人への警告』

大川隆法著


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あのね、公立中なんだけど、学校が荒れすぎてるよね。どうしてなの? どうしたらいいのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 いま、学校は、「いじめ問題」をはじめとして、さまざまな犯罪行為等の問題で揺れている状態です。(中略)
 私の子供時代は、ちょうど高度成長期であったので、学校に対する国民の期待も高く、また、「私立よりも公立のほうが、よい学校である」とされ、公教育に権威のあった時代でした。(中略)公教育がおかしくなってきたのは、高度成長期が終わり、豊かな時代になってからあとのことだと思います。
 特に、塾教育が全国で盛んになってきてからは、学校と塾との競争が始まりました。「知識や受験技術を教える」という面においては、身分が保障された公務員による学校教育よりも、厳しい競争にさらされて実績で評価されている塾教育のほうが、明らかに力を伸ばしてきました。(中略)
 そのため、公然とは口にできないものの、父兄も子供も、「表の顔」と「裏の顔」という二重の顔を持つようになってきました。すなわち、「勉強は塾でやり、小学校、中学校、高校などの学校へは、学歴を得るためだけに、しかたなく行く」ということです。
 そして、学校の教員のほうも、学校教育では充分な勉強ができなくなっていることは知りつつも、「学校は勉強をするところである」という建前を崩していないため、その建前のなかに、虚しい嘘が紛れ込みはじめています。(中略)
 ただ、その裏で、子供たちは、いわゆるダブルスクールの二重生活を長く続けなければならなくなりました。早い子では幼稚園時代から始まり、小学校、中学校、高校と、「学校に通いながら塾や予備校に行く」という、ダブルスクールの状態になってきたわけです。
 その結果、当然ながら、子供たちの負担は精神的にも肉体的にも重くなっています。(中略)この疲れが、さまざまなところで、ひずみを生んできているのです。(中略)
 これに対する考え方は幾つかあります。
 たとえば、評論家の渡部昇一氏が主張するように、「塾を学校と認めてしまえばよい」という考え方もあります。(中略)ただ、私は、学校が尊厳を取り戻すためには、やはり、塾が要らなくなるような学校を目指すべきではないかと考えています。
 公立の学校のほうは、(中略)匙を投げていることが多いのです。
 しかし、私立の学校のなかには、ごく少数ではありますが、塾の要らない学校を目指して努力しているところもあります。
 もっとも、そういう学校の先生がたは、だいたい、公立学校の先生の二倍以上は働かなければいけない状態になっています。始業式や終業式の日にも授業をしたり、試験の採点休みなどを返上したりしています。
 そのように、できるだけ労働時間を増やすなどの対応をして、「塾に行かなくても上位校に受かるような教育をしよう」と、その成果を見定めながら努力している学校もあります。
(130~137ページ)

学校と塾との競争が始まり、身分が保障された公務員による学校教育よりも、厳しい競争にさらされて実績で評価される塾教育のほうが力を伸ばしてきた。

そこで、勉強は塾で、学校へは学歴を得るためというダブルスクールの二重生活をすることで、子供たちの負担が重くなりすぎ、それがひずみを生んでいる。

塾を学校と認めてしまえばよいという考え方もあるが、学校が尊厳を取り戻すためには、大変であっても、やはり塾が要らなくなる学校を目指すべきである──。

全部をいっぺんにはご紹介しきれませんが、この前後の部分では、荒れた学校のもっと根本的な原因について説かれています。それはまた、次の機会に!



『生命の法』

大川隆法著


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幸福実現党って、2009年の立党当初から、「国難」「国難」って言ってたでしょ。その国難て、結局、なんだったの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『危機に立つ日本』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 幸福実現党が主張していた政策が行われていれば、国難は来なくて済んだのですが、残念ながら、しだいに国難の正体が明らかになりつつあります。(中略)
 国民の機嫌を取るだけであれば、いわゆるポピュリズム(大衆迎合)であり、単なる人気取り政策になってしまいます。しかし、ときには厳しいことも言わなければならないのが政治的指導者の立場であるのです。
 その意味で、忌憚なく、腹蔵なく、あるいは、一部に差別的言辞を含んでいるとしても、あえて、はっきり述べておきたいことがあります。
 それは、「日本国民は、愚かであった。最悪の選択をした」ということです。あれほど「危ない」と警告し続けたのに、国民は、いちばん悪い選択を、いちばん悪いかたちでしてしまいました。
 先の衆院選で、たとえ民主党が勝つとしても、せめて、すれすれで勝つぐらいにしておくべきところを、なんと三百議席を超える圧勝にしてしまいました。参議院であと何議席か取れれば、民主党が勝手に独自で何でもできる寸前まできたのです(二〇一〇年三月現在、社民党抜きで過半数を確保)。
 未来の日本国民からは、「あの時代の日本人は、愚かであった」と、確実に烙印を押されるはずです。「あの十年がなければ、われわれは、どれほど楽だったか」と、おそらく言われるようになるでしょう。
 そして、「日本に国難が来るということを、はっきりと予言していたところがあった。幸福実現党という政党が、それを止めようとしていた」という事実を、歴史の証人として知っている人がいてもよいと思います。
 しかし、日本の各種マスコミは、幸福実現党の記者会見や講演会などに取材に来ていたにもかかわらず、一部の週刊誌やスポーツ紙などの小さな記事以外では報道しませんでした。主要紙と言われる信用のあるところは、ほとんど報道しなかったのです。
 私は、「国難に加担した」という、日本の主要なマスコミの罪を、断じて忘れることができません。もし、マスコミが公正に報道していれば、国難をもう少し減らすことはできたはずです。見識のある人が幸福実現党の主張を理解しえていたならば、国難を事前に防ぐことも可能であったでしょう。(中略)
 幸福実現党は、二〇〇九年の衆院選において勝利することはできませんでしたが、少なくとも正義を貫いたつもりです。
 もちろん、そのために大きな代償を払いました。幸福の科学の宗教法人としての威信や世間的な信用におけるマイナス、その他さまざまな批判等、大きな代償を払ったのです。それでも、「『正しいものは正しい』と、損得を考えずに、言うべきことは断固として言う」という精神を貫きました。
 その意味において、幸福実現党は、日本という国に殉じたつもりです。「たとえ、われら滅ぶとも、この国、滅ぼすまじ」という気持ちで立党したのが幸福実現党なのです。
(155~161ページ)

2009年の衆院選で、日本国民は、民主党に圧勝させるという最悪の選択をした。

幸福実現党の主張がマスコミで公正に報じられていれば、この民主党による国難はもう少し減らすことができたはずである。

『正しいものは正しい』と、言うべきことは断固として言う精神を貫き、「たとえ、われら滅ぶとも、この国、滅ぼすまじ」という気持ちで立党したのが幸福実現党である──。

2009年11月に行なわれたこの説法は、2010年4月に書籍となって刊行されています。

それからもう1年半がたちました。沖縄の普天間基地問題、尖閣諸島の中国船問題、そして経済不況に加えて、大震災が発生して、その対応のあきれたドタバタ。

2009年に幸福実現党が予言していた「国難」というのは、じつは政府・民主党政権が引き起こしているという事実が、さすがに誰の目にも明らかになってきたんじゃないでしょうか。

そして、2009年夏の衆院選で、民主党に圧勝させたりすれば、必ず日本には大きな危機(「国難」)が来ると、全国で声をからして叫んでいたのが、立党したばかりの幸福実現党であったことは、ことあるごとに思い出され、確認されるべきでだと、私は強く強く思うのです。



『危機に立つ日本』

大川隆法著


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幸福実現党って、また全国のほとんどの選挙区に候補者を出すんだってね。ぜんぜん勝てないのに、どうしてあんなにたくさんの候補者を出すの?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教立国の精神』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 幸福実現党が、最初から三百三十七人もの候補者を立てたというのは、ある意味では、日露戦争における乃木将軍の二〇三高地攻撃のような、すさまじい戦い方ではありました。全部で千四百人近く立候補するなかの三百三十七人も立てていたので、すさまじい肉弾戦、あるいは、銃剣を持って次々と屍を乗り越えていかなければいけないような状態になったわけです。
 ただ、少なくとも、志においては、「自民党も民主党も、もう要らない」という意思表示を明らかにしているわけです。
 もし、幸福実現党が、昨夏の衆院選において安全策をとり、三十人しか候補者を立てないとか、二十人とか、十人とか、あるいは幹部数名だけを立てるとかいうようなことであったならば、「単に、政界に進出できさえすればよい」という意思表示にしかならなかったでしょう。
 しかし、三百三十七人を立てたということは、「いつでも、自民党や民主党に代わって政権を担当する受け皿になる」という意思表示なのです。あとは、まさしく、天の時、地の利、人の和の「天地人」が揃うかどうかにかかっていると思います。
 少なくとも、「日本に万一のことがあったとき、要するに、政府の統治能力が失われるような事態が起きたときでも、きちんとそれを救うだけの態勢は整えた」ということです。(中略)
 政治は、選挙だけで終わるわけではありません。もし、選挙で第一党になったところが政権を取ったとしても、「統治能力のなさを露呈して、政権を投げ出す」ということは過去に何度もあったので、いつでも政権を担えるだけの備えをしておく必要があるのです。
 幸福実現党は、最初から第一党になるつもりで立党しており、「それだけの意気込みと勢いを持ち、熱意、情熱を持っている」ということにおいて、すでに戦いの半分は終わっていると言えます。何事も、目指さないものは実現しません。
 確実なところだけに絞り、「合格率は百パーセントです」と言うのは、弱小塾がよくやる手法です。弱小塾は、合格者数では大手の塾に勝てないので、合格率の高さで勝負しようとします。「合格率が百パーセント」などという塾は、だいたい塾生の人数が十数名ぐらいしかいないようなところです。
 大手の塾では、生徒の数が多い分、落ちる人も数多くいて合格率が百パーセントにはいかないため、「合格者数が○○人」という言い方をします。そのように、考え方の違いはあるだろうと思います。
 やはり、最初から難しい戦いに挑んでいき、チャンピオンを目指さなければ駄目です。相撲で言えば、「とにかく、幕の内に入れればよい」というような志では駄目なのです。入門したばかりであっても、最初から「横綱になる」という志で戦いを挑まなければいけません。当会は、「とにかく、幕の内に入れればよい」「十両になれればよい」「せいぜい関脇までいければよい」など、そんな志しか持たないような団体ではないのです。
(232~235ページ)

幸福実現党が、最初から337人もの候補者を立てたのは、志においては、「いつでも、自民党や民主党に代わって政権を担当する受け皿になる」と意思表示したものである。

幸福実現党は、最初から第一党になるつもりで立党しており、「それだけの意気込みと勢いを持ち、熱意、情熱を持っている」ということにおいて、すでに戦いの半分は終わっている。

何事も、目指さないものは実現しない──。

特に大震災以降、迷走が深まっている民主党・菅政権です。

今日は久しぶりに、この混乱した日本をなんとか立て直そうと奔走している、幸福実現党の話題でした!
 



『宗教立国の精神』

大川隆法著


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ね、ナイチンゲールって、大川きょう子氏の過去世だって聞いてたんだけど、あれってほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『ナイチンゲールの真実』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

まえがき
 とうとう詰め将棋でいえば、王様の頭に「金」が打たれた感じがする。幸福の科学は真実を探究する宗教でもあるので、間違いが判明した場合は、誠実に修正するつもりである。霊的なことは、真相を確定することが難しく、「方便」や「偽り」も出てくるので、いつも多様な霊的情報源から情報見つもりをして、絞り込んでいるが、三角測量のようでたやすくはない。ことに、対象者が利害関係人であると、ついつい追及が甘くなってしまうこともある。
 本書で登場するナイチンゲール女史(の霊)は、英語で語り続けた。私の使う英語がニューヨーカーのイングリッシュであるので、ロンドン・イングリッシュが正確には再現できてないかもしれないが、易しい単語と文体の中に、高貴なる光の天使の臨在感が感じとれるだろう。

あとがき
 二十年余り、私の妻であった者が、ナイチンゲールの生まれ変わりを自称していたので、その唯物論的な考え方や現代医学への信頼の念が強くて、私は宗教家として病気治しがほとんどできていなかった。近年ようやく呪縛が解け、スピリチュアル・パワーで難病も数多く治せるようになってきた。背景には、本書『ナイチンゲールの真実』の趣旨を受け容れる覚悟ができたことが大きい。
 また、「信仰心」を強く立てなければ、霊的な病気治しは実際できないのだ。
 この世的には、真実、世の人々を救うために、私は現実的な伴侶を見失いつつあるが、私自身が「世の救い」であり「世の光」であるのだから、この世に多くは求めまい。本書でのナイチンゲールは、信仰心にあふれた「優しい光」であった。
(1~2、100~101ページ)

真正のナイチンゲールは、信仰心にあふれた「優しい光」であり、高貴なる光の天使であった。

詰め将棋でいえば、とうとう、王様の頭に「金」が打たれた──。

この間に発刊された『現代の法難①』『現代の法難②』『文殊菩薩の真実に迫る』『エロスが語るアフロディーテの真実』で、大川きょう子の過去世の真実が続々と明らかにされてきました。

そして、本書においては、クリミアの天使・ナイチンゲールは大川きょう子氏の過去世の姿ではなかったことが、とてもクリアな形で明らかにされ、まさに「王手」がかけられた形です。

このように圧倒的勢いで霊的真実の探究がなされたことによって、一連の「大川きょう子氏問題」の真相というのは、もはや確定した段階にあるってことなんだと思います。

改めて、大川隆法先生のお言葉を信じて、まっしぐらに進んでいきたいもの、ですよね!
 



『ナイチンゲールの真実』

大川隆法著


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政府ってさ、国民はこの大震災で大変なんだし、もっともっと、いろいろしてくれてもいいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来への国家戦略』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 ただ、私は、あなたがたに、明らかに言っておきたいのです。「勤勉に働く人たちが意欲を失うような社会は、神仏の願う社会ではない」ということを――。
 この地上は、困難に満ち満ちています。しかしながら、そのなかで、智慧と汗を絞って未来を切り拓いていくことこそ、人々に課せられた責務であるのです。
 あなたがたは、国家社会主義によって、ゆりかごから墓場まで面倒を見てもらうために、生まれてきたのではありません。
 あなたがたは、世を照らすために生まれてきたのです。「自分自身を照らし、他の人々を照らす」という目的のために生まれてきているのです。
 地獄への道は、善意で舗装されています。誰が聴いても耳触りのよい言葉は、残念ながら、天国へは通じていません。
 天国へ通じる道は、茨の道です。あなたがたは額に汗し、智慧を絞り、共に手を携えて一生懸命に努力しなければ、その茨の道を歩んでいくことはできないのです。
 天国への道を歩むのは、狭き門より入り、狭き山道を上ることに似ています。一方、地獄へ堕ちる道は、その門は広く、それをくぐる者多く、その道も緩やかにゆっくりと下ってゆくものです。
 上り坂は誰もが苦しいものですが、下り坂は容易です。そのため、ともすれば、人は、下り坂に入ろうとします。また、下り坂の道に誘う者を、善意のある者と曲解する傾向もあります。これは、まことに悲しいことです。(中略)
 国家社会主義という、二十世紀中に終わるべきであった文明実験が、二十一世紀に入っても続いているわけです。私は、「もう、そろそろ、これを終わらせなければいけない」と考えています。
 神仏やあの世、霊的存在を否定した世界観に基づく国家は、間違った国家です。日本は、そうした国の仲間になってはなりません。断じて仲間になってはいけないのです。
 神を信じ、神の御心を信じ、自らの智慧と努力によって、栄冠を勝ち得るような社会を建設しなければならないのです。「最大多数の最大幸福社会」は、与えられるものではありません。巨大権力によって、つくり上げられるものでもありません。一人ひとりの思いと努力によって、つくり上げていくべきものなのです。
 ゆえに、私は、あなたがたに言いたい。
 政府に“おねだり”をするのは、もう、やめようではありませんか。それは、あなたがたの本来の使命とは違うものです。
 あなたがたは、今世で、使命が終わるわけではありません。今世で、命が終わるわけでもないのです。永遠の旅人として、道を歩む者であるのです。
 そうであるならば、多少、厳しく聞こえるかもしれませんが、私の声に耳を傾けてほしいのです。
(208~212ページ)

天国への道を歩むのは、狭き門より入り、狭き山道を上ることに似ている。地獄へ堕ちる道は、その門は広く、その道も緩やかにゆっくりと下ってゆく。

「最大多数の最大幸福社会」は、与えられるものではない。一人ひとりの思いと努力によって、つくり上げていくべきものである。

政府に“おねだり”をするのは、もう、やめよう──。

大川隆法先生は、あえて、とても厳しいことを語られています。

でも、この真実の教えに、一人でも多くの方が、耳を傾けてくださいますように!



『未来への国家戦略』

大川隆法著


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大川隆法先生の霊言集の数って、ちょっとすごすぎ。もう少しゆっくりしたペースで出してくれないと、読みきれないじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『この国を守り抜け』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、今年(二〇一〇年)、矢継ぎ早に五十冊もの著書を出してきました(十一月時点。内部経典を除く)。
 一定の考え方をテキストにして出しておけば、しだいに読者も増え、“学習効果”が広がっていくでしょう。まずは幸福の科学の内部で公共財になり、その後、日本の国の公共財になって、いろいろな人がものを考えたりするときの土台になるだろうと思います。
 その意味で、私は、今、非常に大事な仕事をしていると自負しています。(中略)
 本を著した時点では、読者のみなさんが「まさか」と思うような内容も多かったでしょうが、「何カ月かたつと、現実とピタリと符合してくる」という状態が続いています。
 私や高級諸霊は、昨年以降、中国政府に対して、厳しい批判を続けています。ところが、尖閣事件が起きるまで、民主党政権は中国寄りの動きをしていましたし、マスコミや経済界も、それを応援するような動きをしていたと思います。(中略)
 アメリカでは、オバマ政権が誕生し、今、日本より先に“左傾化”が進んでいるのですが、そのアメリカは、私が予想したとおり、だんだん、没落の渦のなかに吸い込まれていきつつあるように思われます。
 国の命運は本当にトップ一人にかかっています。トップ一人で国も興れば、トップ一人で国を潰すこともあるのです。
 私は、オバマ大統領の潜在意識に入り込み、「彼が何をしようとしているのか」ということを、すでに調べ終えています。彼の対応の仕方が分かったので、「アメリカは衰退する」と読んでいました。
 そのアメリカに続いて、日本も同様の動きをしてきているので、私は、「日本に危機がやってくる」ということを、去年から、ずいぶんと言ってきたのです。
 世間の読みとは逆であったかと思いますが、実際には、私が言ったとおりになっています。私の言っていたことが事実と合致していることを、世間も分かってきつつあると思うので、あとになればなるほど効いてくると思います。(中略)
 幸福の科学の仕事は、世の人に先駆けて、警告を発したり、正しい方向を示したりすることなので、その時点では多数派の理解を得られないこともよくあるのですが、それに対して怯む必要は決してないと考えています。
 むしろ、「多くの人に理解されなくても、正しいことを言いえた」ということについて、胸を張るべきだと思います。「現時点での世論に迎合することなく、あるべき姿、正しい方向を指し示した」というのは名誉なことであり、決して恥じるようなことではないのです。(中略)
 「神、あるいは、それに近い高級神霊たちが、これほど数多く、国内からも国外からも、霊言のために出てきた」というのは大変なことです。(中略)もう少しあとになれば、このことの意味の大きさが分かってくるだろうと思います。(中略)
 今、日本国民の民度を上げるために、さまざまな指導霊たちが霊言を送り、啓蒙に入っています。「まず教育しなくてはならない」ということで、物事の考え方を教えてくださっているのです。それを知らなければいけません。
(140~150ページ)

今は読みきれなくても、一定の考え方をテキストにして出しておけば、まずは幸福の科学の内部で公共財になり、その後、日本の国の公共財になって、いろいろな人がものを考えたりするときの土台になる。

神、あるいは神近き高級神霊たちが、これほど数多く、国内からも国外からも、霊言のために出てきたのは大変なことである。

今、日本国民の民度を上げるために、さまざまな指導霊たちが霊言を送り、物事の考え方を教えてくださっていることを知らねばならない──。

私たちは、この大量の著作刊行の意味の重さをしっかりと受け止めて、大変ではありますけど、この大川隆法先生のペースに遅れずついていきたいもの、ですよね!



『この国を守り抜け』

大川隆法著


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最近聞いたんだけど、ドゴン人って、宇宙人がいるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「宇宙の法」入門』(幸福の科学出版)で、アダムスキー型円盤で有名な、ジョージ・アダムスキーの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 それから、今のアメリカについてですが、これも、人類のなかで、今、最高に発展している所であるので、いろいろあるんですけれども、湾岸戦争やイラク戦争をやっていたブッシュ親子は、まあ、どう見ても、クリスチャンでありながら古代ユダヤ系の宗教を信じているように見えたと思います。
 これは、やはり、きのう来ていましたが、エンリル、最近は、エル・ランティと偽称していましたが、ま、エンリルですね、エンリル系のレプタリアンが、エンリルの思惑をも超えて、攻撃性を増していたと思います。
 これは、共和党に入っていたものですけれども、今の民主党のオバマ大統領に入っているのは、かつてレプタリアンに滅ぼされたマヤ・アステカ文明のほうの神々で、これも宇宙から来たものです。こちらのほうと、もう一つ、彼の「魂の兄弟」のなかにも、まあ、入り込んでいます。彼の、もっと古いルーツはアフリカのドゴン族です。
 ドゴン族も宇宙から来たものです。宇宙からアフリカに到着して、文明をつくったもので、アフリカに文明をもたらしたものの一つです。
 オバマ大統領の過去世は、ドゴン族の、かつての酋長の一人ですけれども、ドゴン族は宇宙人を崇拝し、UFO信仰をしておりました。ドゴン族のもとは、宇宙のドゴン人です。
 宇宙にドゴン人というのがいるんです。ドゴン人は、青白い宇宙人で、「青いキツネ」と呼ばれておりました。人間が見ると、青白いキツネに見える宇宙人です。
 ですから、爬虫類ばかりじゃないんです。キツネに近い姿の宇宙人もいるんです。直立するキツネのような、青白い顔をした宇宙人が、ドゴン族のルーツの宇宙人です。この宇宙人が、アフリカで、言葉を教え、アルファベットに当たる文字を教え、さらに、天体の動きを教え、農耕を教え、そして、シャーマニズムを教えました。
 ですから、ドゴン族が優勢な時代も、一時期、アフリカにはありました。それはエジプト文明の前に当たります。
 エジプト文明には、また別の宇宙人が大きく影響いたしております。まあ、エジプト文明の興隆には、オリオンのほうから来た宇宙人が、かなり影響を与えているはずです。こちらのほうが進化度が高かったために、ドゴンの文明は、エジプト文明にのみ込まれて、消えていきました。
 ドゴンは、シャーマニズムを行い、一種の超能力を持っていたので、オバマ氏も、ある意味でのマジシャン(魔術師)としての素質は持っています。それが、選挙などでの演説で多くの人の心をつかむ理由でしょうね。
 ですから、今のアメリカは、「レプタリアン対ドゴン」、まあ、いわば“トカゲ対キツネ”の戦いをやっているというのが真相ですね。
(145~148ページ)

アフリカのドゴン族は、宇宙からアフリカに到着して、文明をもたらしたドゴン人がもとになっている。

ドゴン人は、直立した、青白いキツネに見える宇宙人である。

オバマ大統領は、ドゴン族の酋長として生まれた過去世をもっている──。

このドゴン人については、もうすぐ、さらに詳しく解明した書籍が出されるようですので、期待したいと思います!



『「宇宙の法」入門』

大川隆法著


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ライブドアって企業を経営してた、ホリエモン(堀江貴文前社長)ね。最近、粉飾決算だったことで最高裁判決で実刑が決まって、刑務所に行くんだってね。あのライブドア事件って、どう考えたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造のマネジメント』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 ライブドアは、上場廃止が決まり、創業期の役員は全員退任ということになりましたが、私が見ると、その役員陣には、あまりに若いこともあってか、やはり、経験不足、知識不足で、危なっかしい感じが非常にありました。(中略)「法律違反云々のことを別にしても、いずれ、何らかのかたちで、同じような崩壊は起きたのではないか」という感じがするのです。
 なぜかというと、私が見るかぎり、経営担当者、経営管理者の養成ができていなかったからです。
 トップであった堀江氏の頭のなかには、「自分一人が指示をすれば経営はできる」と思っていたところがあるのでしょう。ニュース等によれば、「堀江氏は、一日に数千件もメールを見て、イエス・ノーの指示を出していた」という話もあります。
 もし経営判断を一日に数千件もするとしたら大変なことです。そのようなことは、とてもできるとは思えないので、雑情報も見ていたのだろうと思います。そういう情報は、どうしても比較級数的に限りなく増えていって、どうしようもなくなり、やがて、それは、その人の判断キャパ(容量)を超えてしまいます。必ずそうなるのです。(中略)
 仕事というものは、最初は、何かの専門性があれば成り立つのですが、大きくなっていくと、それだけでは済まなくなってきます。コンピュータの技術者、税理士、証券を扱ったことがある人、M&A(企業の合併・買収)をしたことがある人など、何らかの専門性がある人を集めたからといって、経営ができるわけではありません。ここが、いちばん難しいところなのです。
 専門家というものは、そういう職業をしていた人や、適性のある人を持ってきて、一つのところに長く置けば、ある程度、育ちます。五年、十年、二十年と、一つのところに長く置いておけば、専門家は間違いなく育つし、長く置けば置くほど熟練して、よくできるようになることは、間違いないのです。
 ただ、組織として大きくなっていこうとするときに、専門家の寄せ集めだけでは必ず運営ができなくなります。間違いありません。コンピュータのソフトを扱える人は、いくら、その技術が高くても、「千数百人の社員を使って会社を運営する」という能力など持っていません。また、広報・宣伝のベテランがいたとしても、やはり、それだけでは会社の運営はできないのです。(中略)
 経営担当者、経営管理者は、努力して育てないかぎり、どうしてもつくれません。そういう人が必要なのだということを知っていなくては駄目です。まず、それを知っていて、「育てよう」と意図し、そして努力しなければ、育たないのです。
 事件当時、ライブドアは設立されてから五年ぐらいだったと思いますが、五年ぐらいの期間で、そういう人を育てるのは、もちろん、誰が考えても、極めて難しいことです。「経営担当者が必要である」ということを十分に知らない人が、規模の拡大だけを行った場合には、いずれ、どのようなかたちにせよ、崩壊が起きるのです。
(256~262ページ)

組織として大きくなったときに、専門家の寄せ集めだけでは運営ができなくなる。

経営担当者は、努力して育てないかぎりつくれない。そういう人が必要だということを知り、「育てよう」と意図し、努力しなければ育たない。

これを十分に知らない人が規模の拡大だけを行った場合には、いずれ、どのようなかたちにせよ、崩壊が起きる──。

堀江前社長の逮捕や実刑判決がどうだったのか、という別の問題はあると思います。

でもそれはそれとして、少なくとも、あのライブドアのような経営では、いずれ間違いなく、何らかのかたちで崩壊は起きたってことです。

これはマネジメントの観点だと思いますし、その奥にあるのは、「縁起の理法」(原因結果の法則)を体得した、仏の透徹した目線ではないでしょうか。

ちょっとむずかしい話題でしたが、今日は、ライブドア事件の教訓について、少し深く学ぶことができたんじゃないかと思います!
 



『未来創造のマネジメント』

大川隆法著


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教育関係の仕事してるんだけど、そもそも教育って何のためなのかなあ。生徒の偏差値を上げさえすればいいんだっけって、思うこと多いんだ。そもそも教育の目的って何なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『教育の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 現在の教育を見ると、「中学校や高校で学んだことそのものが、最終的に、実社会でも使える」ということは、あまりありません。(中略)そうすると、「なぜ、人生において大事な十代という時期に、一生懸命に勉強する必要があるのか。中間テストや期末テスト、実力テストや模試などを受けて学力を得ることに、いったい、どのような意味があるのか」ということは、当然、問われるでしょう。
 ただ、自分自身の体験を振り返ってみたときに、学校の持ついちばん大きな機能として感じられることは、「勉強の仕方を教えてくれた」ということです。これが、やはり大きいのです。
 実社会に出てからは、自分独りの闘いというか、個人での勉強になるわけですが、その前に学校で、「どのように勉強をしたらよいか」という、勉強の仕方を教わったことは、大きかったと思います。
 実社会においては、自分の専門の仕事に合わせたものを勉強しなければいけませんが、それに適した学校が必ずしもあるわけではなく、自分独りで勉強しなければいけないことが多いのです。
 すなわち、本を買ってきたり調べものをしたりして、自分で勉強しなければいけないことが多いのですが、そのときに、学生時代に培った「勉強する力」が、応用力となって生きてくるのです。
 その意味で、「学生時代に、勉強の仕方や努力のやり方を教えてもらった」ということは、非常に大きかったと考えています。(中略)
 学生時代と卒業後とでは、評価のされ方が違ってくるので、学生時代に学んだ内容ややり方は、そのままでは通用しないかもしれません。しかし、教育の目的について突き詰めて考えると、やはり、「実社会に出たときに、仕事ができ、社会的にも尊敬を受けるような人間」をつくっていかなければならないと思うのです。(中略)
 それでは、教育者である教師が念頭に置かなければならないことは何でしょうか。
 もちろん、自分自身に割り当てられた教科を教えることが中心になるでしょうが、その教科を教えつつも、「将来、この子が実社会に出たときに、よい仕事をして社会で認められるために、あるいは、上手な家庭運営をしていけるために、役に立つような教育をしたい」ということを、心の奥底で願い続けなければならないのです。
 今、教えていること自体は、直接役に立たないかもしれません。しかし、その子の心の糧になるもの、すなわち、その後の人生において迷ったり、仕事上で判断に苦しんだりしたときに役立つような、「ものの考え方や判断の仕方、努力の仕方」等を教えてあげる必要があります。
 あるいは、学校のなかでも、生徒同士の関係で問題はいろいろと出てくるので、そういうときに、人間関係の結び方や、対人関係の問題解決の仕方を教えてあげなければなりません。「社会人になったときに、世の中を立派に生き渡っていけるような子に育てよう」という気持ちが、心の奥底になければいけないのです。
(174~179ページ)

学校の持ついちばん大きな機能は、勉強の仕方を教えることである。

また教師は、担当教科以外にも、生徒がその後の人生で迷ったり苦しんだりしたときに役立つ、「ものの考え方や判断の仕方、努力の仕方」等を教える必要がある。

教師は、「社会人になったときに世の中を立派に生き渡っていける子に育てよう」という気持ちで、人間関係の結び方や対人関係の問題解決の仕方を教えなくてはならない──。

幸福の科学学園中学校・高等学校の創立者でもある大川隆法先生の著書、『教育の法』。

「理想の教育」を探し求めておられる方は、ぜひ本書をひもといてみられますように!



『教育の法』

大川隆法著


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