ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



いやー、待てないよね。少しでも早く、成果を出さなきゃね。これは使命なんだから、とにかく一刻も早く、だよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 悪の発生原因の一つとして、「時」というものもあります。行動としては同じであっても、チャンス、機会を間違ったときには悪となることがあるのです。
 会社経営を題材に取って説明しましょう。
 将来は発展する会社だということが分かっていても、現時点での人員や資金力に見合う活動範囲を見極めずに、たとえば一年後の活動を先取りしようとすると、そこで失敗が起きます。これは当然あることです。
 大した資本金もないのに、「宣伝を打てば人が集まってくる」と思って、どんどん宣伝をしたところ、大して人が集まらず、経営不振に陥ってしまったなどということは、幾らでもあります。
 ある程度、実績をつくり、「よし、もう一歩」というときに拡大戦略を採れば、成功することがあるのですが、「一か八か」という、神風特攻隊のような気持ちで全資金を投入して、結局、その賭けが外れるということは、幾らでもあるのです。
 これらは、「時を間違った」と考えてよいと思います。
 失敗者のパターンを見てみると、時の部分で引っかかっている人が数多くいます。人生に失敗する原因の一つは、「待てない」ということである場合が非常に多いのです。
 あと半年待てば何とかなるものを、その半年が待てないで右往左往し、自分なりに動いて墓穴を掘ることが、 けっこうあります。胸に手を当てて考えれば、みなさんのうちの七、 八割の人は心当たりがあるはずです。 
 時期さえ逸しなければ、タイミングさえよければ、うまくいくものを、失敗の考え方、イメージというものが心のなかにある人は、自分でもがいて墓穴を掘ることが、けっこうあるのです。
(144~146ページ)

悪の発生原因の一つとして、「時」というものもある。

時期やタイミングさえよければうまくいくのに、自分でもがいて墓穴を掘ることがある。

行動としては同じであっても、チャンス、機会を間違ったときには悪となることがある──。

うーん、胸に手を当てて考えれば、たしかにありますよね。

要は、決断の勇気は必要ではあるが、そのときに焦ってはならない。

よくよく時期を待つことも、成功のための大事なコツであるのだと私は理解しているのです。

『リーダーに贈る「必勝の戦略」』

 大川隆法著


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私たちって、天国からこの世に降りて来たんでしょ。でも、現代人は、半分くらいは天国に還れないんだって聞いたよ。どうやったら、天国に還ることができるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『復活の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 天国に還るための第一段階の基準として、「心の清らかさ」というものがあります。
これがあれば、五次元善人界に還れます。(中略)
 「心の清らかさ」を判定するためには二つの判定基準があります。
 一つは、「自分自身に、ほんとうの意味での幸福感があるか」ということです。ほんとうの意味での幸福感とは何かというと、心の安らぎと、「自分は他の人の役に立っている」という実感があることです。
 これが最低限の幸福感です。「心が安らいでいる」という感覚と、「自分が生きていることが、他の人にとって、よい意味を持ち、他の人に喜びを与えている」という実感、この主観的な幸福感が基準の一つです。
 もう一つの判定基準は、「自分の置かれている状況や環境、自分の生き方を客観的に見て、幸福と感じられるか」ということです。
 世の中には、顔だけは笑顔をつくっている人がたくさんいます。ものすごく悲惨な人生を送っているのに、顔だけは喜びに溢れていて、笑顔を絶やさない人がいるのです。しかし、そういう人が、あの世に還ってみると、意外に駄目で、天国へ行けないことがあります。幸福感には、ある程度の客観性が必要なのです。(中略)
 要するに、自分の人生を振り返ってみて、「いま死んだとしても満足がいくかどうか」ということを考えるのです。これが、客観的に自分の過去を振り返ることなのです。
 「いま、自分は人生を終え、死んだ」と考えて、「まずまずの人生であった」と言えるならば、天国に入る可能性は高いでしょう。
 ところが、「悔しい。残念だ。やり直したい」と、あまりにも強く思う人は、この世にそうとう執着が残っていると言わざるをえません。
 二番目の判定基準にも、多少、主観的な部分はありますが、主観と客観の両方の基準から考えてみる必要があります。
 主観的には、「心が安らいでいるかどうか。そして、『自分が生きていることが他の人の幸福に役立っている』という実感があり、うれしく感じるかどうか」ということです。
 客観的には、「三十年、四十年、五十年と、自分が過去に生きてきた道筋を振り返り、実際に起きた事件と、そのときの自分の心のあり方を、心の履歴書に書いていき、『これが最後の一行である』となったときに、どう思うか」ということです。「あなたの人生は、こういうものだった」と言われて、「まずまず、よくやった」と思えるような人生であったか、それとも、「しまった」と思うような人生であったかということです。
 この両方を振り返っていただきたいと思います。
 そういうことが、ある程度クリアできた上で、真理知識を学び、しっかりと精進していれば、六次元光明界までは行けるのです。
(153~157ページ)

天国に還るためには、まずは「心が清らかであること」。そう言えるためには、二つの判定基準がある。

第一に、自分自身に、ほんとうの意味での幸福感があるか。すなわち、心の安らぎと、自分は他の人の役に立っているという実感があるか。

第二に、自分の置かれている状況や環境と自分の生き方を、客観的に見て、幸福と感じられるか。すなわち、自分の人生を振り返ってみて、いま死んだとしても満足がいくか。

この2点を振り返り、点検すればよい──。

ここで「天国」と言われている世界の最初の段階が、「五次元善人界」だと教えていただいてます。

ここに還るための2つの判定基準ということですが、これだけでも、そんなに低いハードルじゃないのではないでしょうか。

その先にあるのが、「六次元光明界」ですが、その世界に至るためには、この2つの基準をクリアした上で、さらに、真理知識を学び、しっかりと精進している必要があるわけで、ハードルはさらに上がります。

でも、そこに私たちが還るための目標を、今日はこんなにはっきりと教えていただいたわけで、これは努力することで誰もがクリアし到達できる目標であるのだと、改めて確認できた気が私はしているのです。

 

『復活の法』

 大川隆法著

 

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あーあ、あんなに全力でがんばったのに、うまく行かなかったんだ。挫折だよね。こんなときに、どう考えたらいいのかな? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『勇気の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 私も、いろいろなことを経験してきました。若いころには、宗教家になるとは思っていなかったため、自分が描いていた人生の軌道とは違う道を、いろいろと歩んできたのです。しかし、そのときの経験が、さまざまなかたちで力になっていると思います。「人生は先が分からないから良いこともあるのだ」と思ったほうがよいのです。
 「一生懸命、精進しているけれども、自分の目の前に現れてくる、成功や失敗のなかに、天意を読み取っていく。『天の意志は、どの辺にあるのか』ということを、じっと読み取っていく」ということが大事です。
 自分の計らい心だけでは、全部は分かりません。自我だけでは、とても分からないのです。成功や失敗から、「このなかに、どういう天意があるのか。天は自分に何を教えようとしているのか」ということを謙虚に学び、感じ取っていく力が必要です。
 そして、最後は、このように考えることです。
 「自分としての最高の生き方というものは、
 やはり、自分がいちばん生かされる生き方である。
 他の人の立場と入れ替わることで、自分が幸福になるわけではない。
 自分に合った立場や職業、生き方で、生かされることが最高なのだ。
 天意によっても生かされ、
 自分の才能や精進によっても生かされる道が最高なのだ」
 人の価値観や尺度に振り回されてはいけません。
 人生には、周りの人の言うことを聞かなければいけない面もありますが、周りの人がいくら言っても、それを聞いてはいけない面もあります。一本、筋を通していく生き方も大事なのです。
(102~104ページ)

人生は先が分からないから良いこともある。

成功や失敗のなかから、天は自分に何を教えようとしているのかを謙虚に学び、感じ取っていくこと。

そして最後は、天意によっても生かされ、自分の才能や精進によっても生かされる道が、最高の幸福なのだと考えること──。

成功はもちろん、挫折にも深い意味があるわけです。

そこから天意を、謙虚に学び、感じとっていくことができたとしたら。

それは、自分だけの大事な大事な、今回の人生で獲得できた「魂の糧」になるということ。

そんな人生の叡智を、今日は教えて下さっているのだと私は思っているのです。

 

『勇気の法』

 大川隆法著

 

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「おまえの生き方は、刹那(せつな)的だな」なんて言われちゃったよ。そんなこと言われてもさ、そんな先のこと分からないしさ、行き当たりばったりが人生ってもんだよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 戦略的に生きるということは、とても大事なことです。
 毎日毎日のこと、今週のこと、今月のこと、そういった目先のいろいろな問題を解決するために、戦術を使って生きていくことは、ある程度、知恵や能力のある人は、みんなやっていることです。
 しかし、戦略的に生きている人は数少ないのです。少なくとも三年ぐらい先まで見通して、現実のパターン、今日ただいまのパターンを組み立てている人は、かなり少ないわけです。これができる人は、それだけで、もうかなり非凡です。能力は平凡であっても、思いにおいて非凡なので、現実に、結果的には非凡な人だと思われるようになるのです。
 同業者が、あるいは、同じくスタートを切った人たちが、まだ考えていないことを考え、そこに向かって着々と歩を進めているわけですから、そのスタイルをつくったこと自体が、すでに非凡なのです。
 器さえできれば、中身が入っていようがいまいが、他の人には、そんなには分かるものではありません。
 一リットルの瓶をつくれば、いま中身が入っていなくても、入れようとすれば入れることはできるのです。一合の瓶であれば、一合以上は絶対に入りませんが、一リットル瓶をつくってしまえば、入れようと思えば入れられます。自分で入れなくても、雨が降って入ることもあります。
 いま入っているかどうかは関係がないわけです。この器をつくってしまうことです。こうした大きな器をつくるためには、「戦略的に生きる」ということが、どうしても大事です。(中略)
 戦略的に生きるためには、理想、目標を立てて、そこから逆算し、段階的思考を積んでいくことです。三年後、あるいは十年後、二十年後を見て、逆算し、「十年後には、自分は、こうなっていなくてはならない。そのためには、五年後はこう、三年後はこうだ」と考えます。すると、いま採るべき方法、筋道というものが、はっきりと見えてくるのです。
 この戦略的なものの考え方は、日々の生き方にも関係します。つまり、このように戦略的に生きていると、つまらない悩み事で足をすくわれることがなくなるのです。
 みなさんは、いろいろ考えて、「ものすごく難しい問題で押し潰されるのではないか」と想像しますが、現実には、小さなことで失敗してしまいます。
 起きるべきものは起きます。事故も起きるかもしれません。いろいろな難問題が降りかかってくることも避けられないかもしれません。一日中、嫌なことが起きつづけることもあるかもしれません。
 このときに、その小さな問題に負けてしまっては、当然いけないわけです。それを、自分の全人生と比較するような、大きな問題と思ってはいけません。戦略的に生きなければならないのです。
(134~138ページ)

目先の問題を解決するために、戦術を使って生きていくことは、ある程度、知恵や能力のある人は、みんなやっているが、戦略的に生きている人は少ない。

戦略的に生きるためには、三年後、あるいは十年後、二十年後の目標を立てて、そこから逆算すること。

いま採るべき方法、筋道が、はっきりと見えてくることで、つまらない悩み事で足をすくわれなくなる──。

うーん、つまりは、長期的な目標をたてて、戦略的に生きることが、人生で非凡な成功をおさめるための秘訣なんだってこと、なんですよね! 

『リーダーに贈る「必勝の戦略」』

 大川隆法著


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相手が許せないってこと、あるよね。誰が考えても、法律に照らしても、ぜったいに、相手が間違ってるのに、間違いを認めようとしないし、むしろ高飛車だったりしてるってとき。そんなの憎しみがわくしかないよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『超・絶対健康法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 あなたとうまくいっていない人がいれば、思い切ってお詫びをしてしまうことです。「とにかく許しがたい」と、相手を憎んでいるために病気になる人は数多くいるので、思い切って自分からお詫びをすることです。
 人間は完全な存在ではないので、あまり突っ張らないほうがよいのです。
 「自分は絶対に正しい。あなたが間違っている」と突っ張って、十年でも言い続ける人は数多くいますが、「しつこい」ということ自体が悪であると考えなければいけません。
 人間は間違いを数多く犯す存在であるので、「突っ張って、相手を責め続ける」という態度自体が悪になるのです。実際に相手が悪いのかもしれませんが、相手を責め続けることで、あなたも悪になっているわけです。
 したがって、相手が謝らない場合には、思い切って自分のほうから謝ってみてもよいと思うのです。
 夫婦関係や親子関係、それから、会社の人間関係などにおいて、「この人とは、ずっと関係が悪いな」と思う人がいれば、思い切って、「私のほうが悪かった」と言って、自分が先に非を認めてしまうことです。
 そうすると、相手も、「あなたが悪いのだ」と言い続けるのは、なかなか難しくなります。
 なかには、「そうだ。あなたが悪かったのだ」と言う人がいるかもしれませんが、あなたが自分の非を認めて謝った瞬間に、一種のカルマが崩壊し始めて、その悪の部分が解けてき始めます。
 もし、みなさんが、すでに仏法真理を勉強していて、相手よりも精神的に優れた立場に立っているならば、「自分から先に相手を許す」ということが大事だと思います。
 許しによって治る病気は数多くあるのです。
(45~47ページ)

許しによって治る病気は、数多くある。

人間は完全な存在ではないので、あまり突っ張らないほうがよい。いくら自分が正しくとも、しつこいということ自体が悪である。

相手よりも精神的に優れた立場に立っているならば、「自分から先に相手を許す」ということが大事である。相手が謝らない場合には、思い切って自分のほうから謝ってみればよい──。

憎しみを抱えて生きていると、心が曇ることで、自分が病気になってしまうと、何度も何度も、教えていただいてます。

でも、それを知ったからといって、一度対立関係に入ってしまうと、相手を許すというのは本当に難しいもの。

だからこそ、「思い切って自分のほうから謝ってみる」って、人生の覚者だからこそできる、至高のアドバイスなんじゃないかって私は思うんですけど、みなさんは、どうお考えですか? 

『超・絶対健康法』

 大川隆法著

 

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ね、人生、楽しくなきゃでしょ。やっぱり遊ぶのが、人生の中心なんじゃないかなあ? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間は、遊ぶために生まれてきたわけではないのです。もし、遊ぶために生まれてきたように思っている民族がいたならば、その民族はおそらく滅びていくことでしょう。人間がこの世に生まれてきたのは、仕事をするためなのです。
 しかも、仕事とは、「世のため、人のため」に役立つものです。人間は生まれつき、「役に立ちたい」という気持ちを持っているのです。
 まず、この原点を知らなくてはなりません。(中略)
 ここを間違うと、何のために働くのか分からないまま、「妻や子供がいるから」「親や教師にそう教えられたから」など、他の人のせいにして、しかたなく働くことになります。しかし、そういう義務感で働いていたのでは、喜びも主体性も生まれてきません。
 したがって、出発点において、「仕事をしたいという気持ちは人間の天分であり、人間として生まれた以上、当然、持っている本質である。それが人間なのだ」ということを知っていただきたいのです。
 動物は、その日の食べ物を得るための活動などはしますが、それ以上のことはしません。ところが、人間は、それ以上のことをしようとするのです。
 人間が自分のその日の食事のことだけを考えているならば、動物と変わりませんが、人間には、そういう活動だけではなく、「それ以上のことをしたい」という気持ち、「世の中のため、人々のためになることをしたい」という気持ちがあります。これが動物と人間の違いなのです。
 「仕事をしたいという気持ちは人間の天分であり、生まれ持った本質である」ということの根拠は、まさしくここにあります。
 動物は、「世のため、人のため」などと考えたりはしません。もっぱら「自分のため」であり、それも、食べていくことができればよいので、「食べ物を得るため」ということばかりを考えています。
 本能という言葉で表現することが適切かどうかは分かりませんが、動物はそのような判断をします。
 しかし、それ以上のものを求めるのが人間なのです。
 したがって、「自分はその日の糧のためだけに、精いっぱい働けばよいのだ」と思っている人は、この世にあえて人間として生まれてくる必要はないのです。
 妻や子のために、あるいは、他の人に言われたために、いやいやながら働くのではなく、「人間は働くために生まれてきたのだ」と考えていただきたいのです。「働く」とは、〝傍(はた)を楽にすること″とも言われますが、「働くことによって、世のため、人のために役立とうとして、生まれてきたのだ」と考える必要があるのです。
(51~54ページ)

人間がこの世に生まれてきたのは、仕事をするためである。

しかも、その仕事とは、「世のため、人のため」に役立つものである。

人間は生まれつき、「役に立ちたい」という気持ちを持っている──。

人に役立つ仕事をするために、人間はこの世に生まれてきたのであって、それが動物と人間の違いであるってこと。

だからこそ、人間は、遊ぶだけでは本当には満足できない。

充実した、人に役立つ仕事をすることで、真に幸せを感じるものであること。

今日は改めて、人間や人生の本質の一つを教えていただいたのだと私は思うのです。

 

『経営入門』

 大川隆法著

 

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時間って、大事だよね。人生の時間は限られてるんだし、人に付き合わされてみたいな、関心もないことに使うのは、愚の骨頂だよね。大事なことだけに100%使うようにするのが人生のコツだよね? なーんて考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みなさんは、「自分の一日の時間は二十四時間であり、自分の才能には限られた面がある」ということを、まず知らねばなりません。
 そして、そのような制約のなかで数十年の人生を生きていくならば、自分がいちばん魂に響きを感ずるもの、自分自身の内を見たときに内部理想を感ずるものに、時間を振り向けていかねば損なのです。
 「自分は無限の才能を持っている」と言える方は結構ですが、そうでない方は、やはり、自分のいちばん大切だと思うこと、いちばん意味を感じることに、自分の時間という資源を傾斜配分していくことが大切です。これが人生の成功の鍵であると私は思うのです。
 前述のとおり、私は以前、商社に勤めていたので、いろいろなことは一通り経験してきました。ただ、そこで、「のめり込まない」ということが、非常に大事なことであったわけです。
 「本業に八割、そして、それ以外に二割。その二割のなかで経験は広めるけれども、自分にそれほど才能がないと思えば深入りはしない」
 私は、こういう主義でやってきました。基本的には、やはり、「中心部分を押さえる」ということが大事なのです。こうして中心部分を押さえたときに、それが無限の成功への道につながっていくのです。(中略)
 人間は、自分がいちばん価値を感ずるものには、継続した努力をすることが可能です。それをうまずたゆまず、五年、十年、二十年と続けていくことが可能なのです。しかし、自分が価値を感じていないものに関しては、長く続けることができないのです。
 したがって、人間として、この世に生を享け、「自分の個人としての力量には限られたものがある」と自覚することを前提とするならば、みなさん一人ひとりが成功していくためには、「自分の最高のものを引き出す」ということから、断じて目を背けてはなりません。
 一日が二十四時間しかない以上、やはり、「この二十四時間のなかで、いかに最高度の人生を生きるか」ということを考えていくのが筋です。「これが一つの現代的中道のあり方である」ということを、私は、いま述べているのです。
 そして、自分を磨くほどに影響力が増してこなければいけません。
 人生の時間のなかには、無駄と思われるものもあるかもしれませんが、そのなかからも、魂を磨く経験の部分をつかみ取っていく必要があるのではないでしょうか。
 自分の主たる関心でないものに百パーセントを使ってしまう人生は愚かです。しかし、百パーセント、自分だけの人生で生きてもいけないのです。なぜなら、「他の人々へ影響を与える」という時間を失ってしまうからです。
 やはり、「自分というものを固めていき、そのなかで、徐々に徐々に自分の影響力を出し、他の人々へ影響を与えていく」ということが大事なのです。
(119~122ページ)

人生の時間は、自分がいちばん魂に響きを感ずるもの、意味を感じるもののために、傾斜配分していかないといけない。

けれども、それだけではいけない。

魂の経験を積むためにも、また、まわりの人に影響を与えるためにも、2割は、自分の関心のないものにも時間を使う必要がある──。

傾斜配分というのは、大事なところに重点的に時間を割り当てていくことだと思います。

本書が発刊されてから、10年以上の歳月がすぎました。

今日、ご紹介したお教えは、時間がたてばたつほど、なんて人生の核の部分を教えてくださっていたのかと実感するばかりです。

人生の達人による大事なお教え。

しっかりと実践していきたいと改めて私は思っているのです。

 

『リーダーに贈る「必勝の戦略」』

 大川隆法著

 

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身内がリウマチなんだよね。どうしたらよくなるの? なーんて深刻な悩みかかえてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で、娘さんがリウマチの親御さんの質問に対して、こう教えておられます。

 リウマチの原因は、百パーセントと言ってよいぐらい憑依霊です。動物霊(人間)が下半身に憑いたままになっていることが多いのですが、それが完全に離れないような状態になると、常時、下半身が冷え、体が動かなくなってくるのですね。もちろん、肩や首などに憑くこともあります。(中略)
 そして、「本人は反省もできないし、行動もできない」という状況にあるときには、周りの者が頑張る以外に手がありません。
 家族の人たちが心を正しくし、光を強くしていくことです。そうすることによって、その憑依霊は必ず剥がれていくと思います。
 病気の原因が憑依霊である場合には、それを治療するのは、ある意味で簡単です。憑依霊が取れれば完全に治るのです。百パーセント効果が出ます。(中略)
 娘さんが、そういう状態になっている理由は何であるか、親であるあなたには、ある程度、分かるはずです。
 仏法真理に照らして、娘さんの生き方を見たとき、どこかに間違いがなかったでしょうか。もし、ないとするならば、あなたや他の家族など、その娘さんに緑のあった人が、どこかで悪い影響を与えていないでしょうか。その点を考えてみてください。
 人間には、霊体質というか、霊を感じやすい体質の人がいます。そういう人の場合は、自分が特に悪いことをしていなくても、身近に悪霊体質の人がいると、その人に憑依している悪霊をもらってしまうことがあります。悪霊は、家族のなかの、いちばん弱い人のところに来るのです。
 このように、まず、本人自身に問題がないかどうかを見て、ない場合には、家族のなかに、誤った思いや行いで生きてきた人がいないかどうかを見てください。
 そして、そういう人がいたら、その人は反省に入っていく必要があります。
 その人が反省できないようであるならば、他の人々が、まず模範を示すことです。他の家族が光を強くして、団欒のある家庭に、にぎやかな家庭に、温かい家庭にしていくことですね。冷たい空気が流れているような家庭、互いに他の家族を責め合っているような家庭には、絶対にしてはなりません。
 勇気を持ち、周りの人々の光を強くすることによって、その病気を治そうと思ってください。必ず治ると信じています。
(155~158ページ)

リウマチの原因は、ほとんどが憑依霊であるから、憑依霊が取れれば完全に治る。

仏法真理に照らして、患者の生き方を見たとき、どこかに間違いがなかったか。本人自身が反省できない状況の場合には、周りの者が、心を正しくし、光を強くしていくこと。

もし、患者に間違いがない場合、その患者に緑のあった家族などが、どこかで悪い影響を与えていないか。まわりに誤った思いや行いで生きてきた人がいる場合には、その人は反省に入っていく必要がある。

さらに、その人が反省できない場合には、他の人々が、まず模範を示すこと。他の家族が光を強くして、団欒のある家庭に、にぎやかな家庭に、温かい家庭にしていくこと。

勇気を持ち、周りの人々の光を強くすることによって、その病気を治そうと思うこと──。

「必ず治ると信じています」って、なんてありがたい仏言なんだろうと、とても力をいただいた気が私はしているのです。
 

心と体のほんとうの関係。―スピリチュアル健康生活 (OR books) 『心と体のほんとうの関係。』

 大川隆法著


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いやあ、不況なんだよね。商売、もひとつ、うまくいってないよ。どうすればいいのかなあ? なーんて悩んでる経営者の方って、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「商売が傾いているときや、あまりうまくいっていないときには、経営トップが間接情報を中心に判断していることが多いので、直接、顧客に会わなければいけない。そういう時期である」ということです。(中略)
 会社や店が傾いているときは、社長なり経営者なりが、直接、お客さまの話を聴かなければいけません。会って話を聴き、「わが社の製品、商品、サービスについて、どう思っているのか。どう感じているのか」ということを伺わなければいけません。そういう時期なのです。
 間接的に聴いても、部下を通すと、悪い報告が上がってこないのです。それが、潰れる会社の特徴です。
 悪い情報は、途中の段階ですべてシャットアウトされ、良い報告だけが上がってくるようになり、トップは〝イエスマン″ばかりに囲まれるようになります。会社が潰れる前の段階では必ずこうなるのです。(中略)
 トップが、「普段、自分を取り囲んでいる人たち」ではない人に直接会うことの効用としては、「波及効果」というものもあります。(中略)トップが陣頭に立って動き始めると、「社長は本気である」ということが伝わり、社員も本気になって動き始めるのです。(中略)
 会社組織には、社長以下、重役、部長、課長、係長や主任、平社員がいて、その間を、いろいろな間接情報が上がったり下りたりしているでしょう。
 ところが、トップが、重要なお客さまのところを回ると、直接、情報が入ってきます。さらには、相手に与えるインパクトも大きいのです。(中略)
 特にトップの〝攻撃力″は非常に大きく、一定以上の規模の会社の場合、社長自らがお得意さまを訪問することには、普通の社員の百倍ぐらいの〝攻撃力″があるのです。
 先方が不在の場合は、社長が名刺を置いてくるだけでも効果があります。「社長が来た」ということで、相手としても、何らかの返答をしなければいけなくなりますし、社長が来た用件を推測し、「あの件かな」と分かれば、対応を検討し始めることもあります。そのように、名刺一枚でも効果は大きいのです。
 不況のときは、もう一度、社長としての原点に戻ったほうがよいのです。
 他社の社長が、携帯電話ぐらいで用件を済ませたり、情報を取ったりしているときに、社長自身が直接に訪問するとなったら、この差は、かなり大きいのです。
 したがって、大事なお客さまのところには、直接に足を運ぶ努力を惜しんではなりません。
 トップの〝攻撃力″は社員の百倍あるのですから、時間が無駄になることなどありません。「電話なら一分で済むのに」と思うかもしれません。直接出向いたら三十分かかるかもしれません。しかし、その三十分は無駄ではないのです。必ず元は取れるのです。
(43~49ページ)

会社や店が傾いているときは、社長なり経営者なりが、直接、お客さまの話を聴かなければいけない。間接的に聴いているだけでは、悪い報告が上がってこない。

また、トップが陣頭に立つことで、社長の本気が伝わり、社員も本気になって動き始める波及効果がある。

さらに、トップがお客さまのところを回ると、与えるインパクトも大きく、社員の百倍ぐらいの〝攻撃力″がある。その時間が無駄になることなどなく、必ず元は取れるもの──。

というわけで、事業が傾いていると感じるとき、間接情報を中心に経営判断してなかったかを反省すること。

そして、まずは直接、お客さまの話を聴く努力を始めてみること。

それが、事態打開の出発点であると教えて下さっているのだと私は思っているのです。
 

『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』

 大川隆法著

 

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人を愛するのが喜びだなんて、信じられないな。やっぱり、人を愛するって、苦しいことだよね。それが素直な感情なんじゃないかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、書籍『ハウ・アバウト・ユー?』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 釈迦の言葉として遺っているもののなかには、現代から見ると不思議な教えがあります。
 それは何かというと、「だから人を愛するなかれ」という教えです。
 ここで言っている「愛」とは、私が教えている愛とはちょっと違っていて、「執着」という意味です。「愛執」といって、身内などの相手に対し、トリモチのように執着していく愛のことです。
 例えば、親の、子供に対する執着があります。
 今は一人っ子が多いということもあって、親が子供に執着して手放さず、トリモチのような愛で逃がさないようにして苦しみをつくることがよくあります。
 子供のほうも苦しみますが、親は親で苦しみます。
 あるいは、夫婦間にも、そのような愛が出てくることがあります。
 それは、“縛る愛”とでも言うべきものです。
 「愛」といっても、私が説いている「与える愛」ではなく、「縛る愛」というものもあるわけです。
 人間は、本能的にいけば、縛る愛のほうが当然のような感じになります。やはり、好きになると、縛る愛になりやすいのです。
 そのようなことは、目に見えない世界では実際に起きていることです。
 霊的に見れば、死んでから不成仏霊になっている者のなかには、憎しみだけで憑依霊になっているわけではなくて、「愛しているがゆえに、家族や恋人、夫、妻、子供などに憑依して離れない」という霊が数多くいるのです。
 「愛する者をつくるな」「執着するなかれ」という釈迦の教え、「『長男だから』とか『財産があるから』とかいったものに執着するなかれ」という教えは、それだけを見れば、非常に冷たいようにも見えます。
 「どうして、そんな冷たい、反社会的な見方をするのだろう」と思う人もいることでしょう。
 しかし、怪談ものの映画などを観ると、その意味がよく分かります。
 釈迦の教えも、“幽霊になりたくなかったら”という言葉を上に付ければ、はっきりと意味が分かるのです。
 「幽霊になりたくなかったら、
 執着を捨てなさい。
 死んだら、あっさりとあきらめよ。
 この世のものに執着するなかれ。
 この世の人に執着するなかれ。
 愛する者でも、やがて必ず別れなければいけないのだ。
 別れるときが必ず来るのだ。
 それを知りなさい」
 釈迦は、そのように言っているのです。
 「会うは別れの始め」という言葉もあるとおり、「必ず別れなければいけなくなるのだ」ということです。
(23~31ページ)

釈迦の言葉として、「だから人を愛するなかれ」という教えが遺っている。

この「愛」とは、「執着」という意味であって、「与える愛」ではなく「縛る愛」のことである。

この釈迦の教えも、“幽霊になりたくなかったら”と上に付ければ、はっきりと意味が分かる。「幽霊になりたくなかったら、執着を捨てなさい」と──。

愛が苦しいと感じるときは、じつはいつの間にか、縛る愛、奪う愛こそが愛なんだと、本能のままに勘違いしていている。

でもそうではない。

本能のままの執着を捨てて、「与える愛」に生きることこそ、仏の御心にかなった愛の姿なのであり、真なる幸福への道である。

そう、大川隆法先生は教えて下さっていることが、改めて深く腑に落ちた気が私はしているのです。

 

『ハウ・アバウト・ユー?』

 大川隆法著

 

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幸福の科学と幸福実現党って、国防が大事で、軍隊も必要って考えてるんでしょ。でも、それって戦争するってことなんじゃないの。仏教の教えに反しないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国家の気概』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、侵略的な戦争はすべきでないと思いますが、やはり、「一億三千万人の日本国民をきちんと守る気概を、国家として持つべきである」と明確に述べたいと思います。国民を守れるだけの体制は、きちんと整えるべきです。(中略)
 世界には、現に、侵略的なことをする国はあるのです。
 中国のチベット侵攻を見てもそうです。チベットのダライ・ラマ十四世は、法王兼首相ですが、中国の軍隊にいきなり侵攻されて国を奪われ、インドに逃れて亡命政府を立ててから、もう五十年になります。そのように、いきなり軍隊で襲ってくるようなことがあるのです。
 仏教の教えには、そういう場合に国を軍事的に守る思想はありません。「殺してはいけない」という思想は確かにありますが、それは自分に対する戒めであって、相手が自分を殺すのを禁じることはできないのです。そのため、軍隊に襲われたら、一方的に殺されてしまい、国を取られ放題になります。チベットは、こういう思想的な弱点を突かれたのです。
 この弱点自体は、釈迦の時代からありました。この思想のために、釈迦族は、ほぼ全滅しています。出家して僧侶になっていた約五百人は生き延びましたが、残りの人たちは、ほとんど殺されました。釈迦族は、他国に攻められた際に、仏教思想が弘まっていて争わなかったために滅びているのです。
 不殺生(アヒンサー)の思想を説いたのはよいのですが、相手が殺生をしてくる場合についての考え方が十分ではありませんでした。その結果、釈迦国は、慈悲を説き、平和を説いている宗教を信仰していたにもかかわらず、大量虐殺に遭って滅びてしまったわけです。
 やはり、「原始仏教には思想的に欠陥がある」と見るべきであり、修正をかける必要があると思います。
 「殺すなかれ」という思想については、「相手に一方的に攻撃をさせる」というあり方を中道と考えるべきではなく、少なくとも、「国家、国民を守る」というラインで中道の線引きをするべきでしょう。(中略)
 日本の先の戦争についても、責任問題等、いろいろと議論があることは承知していますし、日本がやりすぎた面も当然あるとは思います。ただ、結果的に植民地が解放された面も確かにあり、功罪半ばするところがあったのではないかと思われます。
 そういう意味では、「六十数年前に戦争を起こしたから、日本は悪の国であり、自国を守る権利は一切ないのだ。何をされても文句は言えないのだ」という考え方では、やはりいけないのです。そのような思想は、これだけ繁栄した国を滅ぼす可能性を持っています。
(156~159ページ)

侵略的な戦争はすべきでないが、現に世界には侵略的なことをする国があるので、国民を守れるだけの体制はきちんと整えるべきである。

仏教には、侵略にあった場合に国を守る思想がないので、これによって釈迦族は滅びてしまった。

やはり、この原始仏教思想の欠陥には修正をかける必要があり、少なくとも国家・国民を守るというラインで、中道の線引きをするべきである──。

要は、無抵抗で虐殺に遭って、国が滅びてしまうようなことを、神仏は是とされないのだと思います。

国を守るための戦いが必要なこともあるし、少なくともそのための最低限の備えは必要であるのだと私は理解しているのです。 

『国家の気概』

 大川隆法著

 

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なんだか最近、なじみのお客さんが減ってる気がするんだよね。これって、どうすればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 商売繁盛のコツとして、「感動を与えよ」ということを述べましたが、もう一つ述べるならば、来た人に感動を与えるだけでなく、その人に、繰り返し来てもらうこと、リピート客になってもらうことが重要です。デパートであろうと、飲食店であろうと、タクシー会社であろうと、リピート客をつくることが大事なのです。
 いつも新規の客ばかりで回しているのでは、やはり駄目です。「いったんつかんだ客は放さず、さらに新しい客もつかみ続ける。来た客が次々とファンになる」というかたちになると、売り上げが増えて会社が大きくなるのです。
 しかし、「新しい客は来るが、繰り返しては来ない」ということであれば、商売の規模が大きくならないか、潰れるか、どちらかです。
 あまり理解されていないことも多いのですが、リピート客を取れなければ、ホテルでも何でも、現状維持さえ難しいのです。リピート客が取れて、やっと現状維持が可能になります。さらに新規の客が取れたら、商売が拡大していくのです。
 顧客に、「このホテルは駄目だ」「この店は駄目だ」と見限られたら、現状の規模は維持できません。厳しいことですが、それが現実です。(中略)
 リピート客が減っているなら、商売としては潰れる傾向が出ているわけなので、「なぜリピート客が減るのか」を考え、反省しなければいけません。これは、お店でも何でも同じです。
 経営者は反省をしなければいけません。「あの客は、どうして来なくなったのだろう」と、反省に反省を重ねることが大事です。反省から智慧が生まれて、発展が始まるのです。
 反省をしている経営者は立派です。一般に、経営者は“天狗”になってしまうことが多く、胸を張っていばっている人が少なくありません。基本的に反省できないか、反省したくない人たちなのです。そういう人が経営者になり、従業員を使って、いばっていることが多いわけです。
 したがって、経営者に反省を勧めても、そう簡単には反省しません。いばっていたり、うぬぼれていたりするからです。「宗教家は偉いかもしれないが、金儲けの力は、おれのほうが上だ」などと思っています。そのうぬぼれをかち割るのは大変です。
 特に、社長族というのは、極めて反省をしない“種族”と言えます。従業員が十人もいたら、もう反省しなくなります。自分を特殊な人間だと思って、いばっているのですが、それでは駄目なのです。社業を発展させたければ、反省をしてください。よく反省をし、改善をしようとする経営者のいるところは発展します。(中略)
 「お客様が減り、苦情が来る」という状況があるならば、必ず問題点があるはずなので、それを反省しなければいけません。
 従業員だけのせいにしてはなりません。「従業員の出来が悪いから、客が来なくなった」などと言っているうちは駄目であり、トップが反省をしなければいけないのです。
(42~47ページ)

商売繁盛のコツとして大事なのは、リピート客(リピーター)をつくること。リピート客を取れなければ、どんな業種でも、現状維持さえ難しい。それに加えて新規の客が取れたら、商売が拡大していく。

リピート客が減っているなら、商売としては潰れる傾向が出ているので、なぜリピート客が減るのかを考え、反省する必要がある。

経営者(特に社長族)は、反省できない人が多いが、しかし社業を発展させたければ、トップ自ら、反省に反省を重ねることが大事である。反省から智慧が生まれて、発展が始まる──。

なるほど、なるほど、です。

これは商売や経営に限らず、さまざまな場面で応用できるお教えのように感じます。

つまりは、商売繁盛のコツは、宗教修行によって体得できることになるのではないかと理解できた気が私はしているのです。

『経営入門』

 大川隆法著


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そんなに物事の白黒つけなくっても、だいたいのところでいいんじゃないの。ね、仏様って寛容な方だから、善とか悪とか、ぜんぶ飲み込んでくださるんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、霊的な覚醒を得て、宗教家の道を歩みはじめて以降、さまざまな霊体験をしましたが、霊的な体験を通して最もよく分かったことは、「善と悪というものが、はっきりとある」ということでした。
 この世においては、善悪を曖昧にする考えもありますが、霊的な世界において、善悪は、はっきりと分かれています。
 善なる生き方をし、善なる思いを持っている魂は、天上界に趣きます。反対に、善なる思いを持っていない魂、言葉を換えれば、悪なる思い、悪なる心で生きた魂は、天上界には入れず、地獄界に趣くか、この世に執着し、この世に近い所を漂うか、このどちらかになります。
 「霊的世界においては、魂の善悪が、はっきりと判定される」という事実を知ったことは、私の悟りのなかで、一つの重要な判断基準になりました。
 この世のことについては、いろいろな意見があり、各説、各派が分かれて議論をし、民主主義的に多数決で決めていますが、霊的な面から見た場合には、物事の善悪は、はっきりしていて、迷いようがないのです。
 「ある魂が、きょうは天国にいて、あしたは地獄に行く。その翌日はまた天国に戻り、そのまた翌日は地獄に行く」というようなことはありません。その人の魂全体について、善悪の判定は、迷うことなくなされていて、魂の善悪が、はっきり分かれています。
 この善悪の判定は、国が違っても、宗教が違っても、きちんとなされています。宗教が違い、神の名前が違い、教えや儀式が違っていても、それでも、善悪は、はっきり分かれているのです。これは怖いぐらいです。(中略)
 善悪のけじめを知るためには、「人間の本質は魂であり、魂は『過去・現在・未来』を生き通しの存在であって、この世での人生修行の内容や結果に応じて、死後の行き先が、天上界と地獄界という、二つの世界に分かれていくのだ」という根本的な真理を、まず、つかまなければいけません。
 そして、霊的世界に厳然として存在する「天国・地獄」の概念だけではなく、「なぜ天国・地獄は分かれているのか。どのように生きれば天国に行き、どのように生きれば地獄に堕ちるのか」という、現実観察、科学的な分析から、善悪の基準は導き出されなければいけないのです。
 それを導き出すために、過去、私は、さまざまな霊言集(現在、『大川隆法霊言全集』〔宗教法人幸福の科学刊・信者限定〕として発刊)を世に送り出し、天使や菩薩・如来といわれる霊人たちの考え方、心のあり方を教えました。
 また、私は、悪霊や悪魔といわれる者たちとの対決などを通じ、「悪霊や悪魔は、何ゆえに、いま、悪霊、悪魔になっているのか。彼らは、どうすれば地獄から出ることができるのか」ということを実体験的に踏まえた上で、修行のあり方や、さまざまな教えを説いてきました。
 そういう霊的な裏打ちのある真理を私は説いてきたのです。霊的な裏打ちがなく、人間の頭で考えただけのものでは、永遠の真理とは言えないのです。
(174~178ページ)

霊的な世界においては、物事の善悪、魂の善悪は、はっきりと分かれていて、迷いようがない。

この善悪のけじめを知るためには、根本的な真理を、まずつかまなければならない。

人間の本質は魂であり、魂は「過去・現在・未来」を生き通しの存在であって、この世での人生修行の内容や結果に応じて、死後の行き先が、天上界と地獄界という、二つの世界に分かれていくのだ──。

あの世では、この世でよくある、善悪を曖昧にする考えはまったく通用しないわけです。

そして大川隆法先生は、天使や菩薩・如来の考え方や、その反対の悪霊や悪魔の考え方、そしてそれらの心のあり方などを、仏法真理として明確に説いておられます。

私たちは、生きているうちに、この貴重で大切な教えをしっかりと学んでおくことで、死後も迷うことなく天上界に帰ることができる。

この真実を、ひとりでも多くの方にお伝えしなければならないと改めて私は強く思っているのです。

『生命の法』

 大川隆法著


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オレって、昇進早かったんだけどさ、そのとたん、評価がボロボロなんだよね。なんで昇進前はあんなにほめられてたのに、こうなるのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか? 

幸福の科学の大川隆法先生は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 たとえば、「能力はないのだけれども、年を取ったので、その人を役員に据える」「昔ヒットを打ったことがあり、気の毒なので、その人を上げておく」など、人事を年功序列的にやると、それが会社を潰す原因になることがよくあります。実際、これは外国でも同じなのです。
 「ある程度の立場のところまでは役に立っても、その上の段階になると役に立たない」ということがあるのです。これを「ピーターの法則」といいます。
 平社員のときには非常に優秀であっても、主任になると優秀でなくなる人がいます。これは、その人の能力レベルが、主任になると、その任に堪えなくなるからです。
 主任のときには優秀でも、課長になると優秀でなくなる人もいます。これは、それまで下で仕事をしていたときには、上司に一生懸命に仕えていたのに、自分が人を使う側になると、管理職的な能力を持っていないので、人が使えないからです。
 また、課長としては優秀に働いていたのに、部長になったときに、急に駄目になる人もいます。課長として、そのラインの長の仕事はできるのです。ところが、部長になると、今度は管理職を使う管理職になります。そうすると、管理職を教えなければいけなくなりますが、管理職を教えるような技能や知識を持っていないため、いつまでたっても課長の仕事をしてしまうのです。
 部長が課長の仕事をすると、課長は自分の仕事を取られてしまい、課長以下の仕事をしなければいけなくなります。そうなると、時間創造の逆になり、どんどん時間を奪っていくほうへと動いていくのです。
 さらには、部長のときは有能だったのに、役員になったら駄目になる人がいます。ラインの業務を自分で持っている場合は仕事ができるのに、それがなくなって、これを全体的な目から見るような立場になると、急に窓際族になる人がいるのです。(中略)
 「いまの時点では優秀でも、立場を上げた段階で優秀でなくなる」ということは現実にあります。それは仕事の性質が変わってしまうからです。より高度な仕事に、より多くの人を使える方向に、自分を訓練して高めていかないかぎり、出世することが仇になり、出世することで自分の首が絞まることがあるのです。(中略)
 それでは、どのようにしたらよいかというと、課長になる前に、もうすでに課長の心境で、課長の仕事というものをよく見据え、いつでも課長になれるぐらいの仕事を心掛けてやっていれば、課長になっても落ちこぼれません。また、課長のときには、いつ部長になってもよいように、その準備を何年も前から始めておくと、課長から部長になっても落ちこぼれないのです。
 常に先取りする姿勢が大事です。「数年後に、自分がもう一段、出世したとき、その仕事ができるかどうか」という目で、常に上司の仕事を見て、どのようにしたらよいのかを、いつも研究していることです。「備えあれば憂いなし」なのです。
 より高次な仕事に必要な要素や心得、能力とは何かということを、常々、見ておくことです。
(126~130ページ)

ある程度の立場までは役立っても、その上の段階になると役立たなくなることがある(「ピーターの法則」)。それは仕事の性質が変わってしまうからである。

より高度な仕事に、より多くの人を使える方向に自分を訓練して高めていかないかぎり、むしろ出世しないほうがよいことがある。

その対策は、自分がもう一段、出世したときに、その仕事ができるかどうかという目で、常に上司の仕事を見て、どのようにしたらよいのかをいつも研究していること。より高次な仕事に必要な要素や心得、能力とは何かということを、つねづね見ておくこと──。

うーん、すごい。

やはり今日のお教えは、仕事の本質、そして出世の意味に関する叡智が凝縮した、人生の達人のアドバイスではないでしょうか。

そう改めて私は深く感じ入っているのです。 

『リーダーに贈る「必勝の戦略」』

 大川隆法著


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悲しいよね。愛する人が死んでしまうって。どう気持を整理したらいいんだろう? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、書籍『ハウ・アバウト・ユー?』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みなさんは、ある程度、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という言葉を知っていなければいけないと思います。
 例えば、人間同士の付き合いにおいては、出会ったときに、すでに別れが始まっているのです。
 この世において、そういう人間関係的な別れがなかったとしても、最後は「死別」というかたちでの別れが確実にやってきます。
 そのときに、つれ合いが亡くなったあと、長い間、悲しんでばかりいたら、死んだ人、あの世へ還った人のほうだってつらいのです。
 この世に遺った夫や妻が、毎日毎日悲しんでいたら、つらくてあの世に旅立てません。
 新しい世界に入って、新しい友達と出会ったり、勉強したりして、あの世で修行しているところを、後ろから、ぐうっと引っ張られるような感じになります。
 「ああ、遺した妻のことが気になるなあ」と、後ろ髪を引かれる気持ちになるのです。
 それがあまりに強いようだと、やはり気の毒です。
 結婚したときから、最後には死に別れることになっているわけなので、「いつかは必ず、愛する者とは別れるのだ」ということを、どこかで冷静に考えておかなければなりません。
 そう思っていることが、人間関係のなかに、一定の不動心、心の安定を与えます。
 ある意味での冷たさのようにも見えるかもしれませんが、これが安らぎに似たものを与えてくれるのです。(中略)
 一生の間には、子供と別れることもありますし、子供が先に死ぬこともあります。いろいろなことが人生には起きてくるでしょう。
 しかし、世の中は、そんなものなのです。
 自分の子供が生まれたら、「一生、一緒に住めたらいいなあ」と誰もが思いますが、いつか必ず子供は“反乱”を起こして独立していきます。
 しかし、「それでいいのだ」と思わなければなりません。
 「子供は親に反乱を起こして独立するものなのだ。
 それを親が抑え込もうとするのは、やはり間違っているのだ。
 世の中は、そういうものなのだ。
 これが真理であり、前提なのだ」
 そう思って、不必要に苦しんだり悲しんだりしないことです。
 人間関係においては、愛というものを梃子(てこ)として、苦しみや悲しみを増大させないことが大事なのです。
(43~47ページ)

人生は「諸行無常」である。

人とは、出会ったときに、すでに別れが始まっており、最後は「死別」という別れが確実にやってくると思っていることが、人間関係のなかに一定の心の安定を与える。

人間関係においては、愛によって、逆に苦しみや悲しみを増大させないことが大事なのである──。

「諸行無常」という言葉は、一見冷たいような気がします。

でも、人生の人間関係における、確かな悟りの言葉の一つであるのだと、大川隆法先生は教えて下さっている。

そんなふうに改めて理解できた気が私はしているのです。
 

『ハウ・アバウト・ユー?』

 大川隆法著

 

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