ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ご存じの方はご存じだと思いますけれど、じつはこのブログ、2006年から延々と同じペースで更新してきています。なんでこんなこと、そんなに熱心にやってるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの極致とは何か』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

私はあえてあなた方に言う。
これは決して、宣伝のために言っているのでもなく、
吹聴のために言っているのでもない。
我が言葉を聴くことは、
三千年に一度しかできない。
私はそれを真実として、今あなた方に語る。

今より二千六百年の昔、あなた方の多くは
あのインドの地において、我が声を聴いたであろう。
この今生の機会を逃しては、
あなた方が、この次に地上にて我が声を聴くは、
今より二千八百年の後となる。
あなた方はその間、幾回となく、そう、多くの者は十回近く
地上に生まれ変わらねばならぬ。
その度に、現代の日本で私が説いているこの真理を、
あるいは日本語で、
あるいはあなた方が再び他国に生まれたときに、
その国の言葉にて、
過去の思想として読むことに耐えつづけねばならないのだ。
私はそれを予言しておく。

この世において、
さまざまなる出会いが、あなた方を待っているであろう。
しかし、真理との出会いは最も尊いものであり、
人間として生まれて現成の仏陀の声を聴くは、
奇蹟以外の何ものでもないことを
知らねばならない。
(118~120ページ)

「現成の仏陀」(げんじょうのぶっだ)とは、再誕して現に存在する「仏」のこと。

いま、「ウィズ・セイビア」という言葉が語られていますが、その「セイビア」(savior、救世主)という言葉とほとんど同じ意味だと考えてよいでしょう。

まさに同じ時代に、ともにこの現代日本に生きているというのに、「セイビア」であられる大川隆法先生の教えを知らず、そのお声さえ聴いていない方が、まだまだたくさんおられます。

天上界に還ってしまったあとで、その重大な真実に気がつくなんて、そんな悲しい話はないだろうと、私は思うのです。

ぜひとも一人でも多くの方が、まだ生命あるうちに、この大切な教えがいま説かれていることを知ってほしい。救いの道がここにあると、知ってほしい──。

このブログは、このささやかな願いのもと、今年も連綿と書き綴られてきました。

愛読してくださったみなさんに、心からの感謝を捧げつつ、すぎさってしまう激動の2020年に、静かに別れを告げたいと私は思っているのです。

悟りの極致とは何か―無限と永遠の果てに (OR books) 『悟りの極致とは何か』

 大川隆法著

 

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あーあ、世の中、いろんな人がいるよね。ほかの人と一緒にやるのはむずかしいんだよね。一人で生きて行きたいなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 仏教は「縁起の法」を説いています。その縁起の法には、「時間縁起」と「空間縁起」という二つの面があります。
 時間縁起は、時間という縦の関係で、「原因あれば結果あり」という法則です(中略)が、縁起の法には、もう一つの面があります。それは私が空間縁起と呼んでいるもので、横の関係です。「人と人との関係」「自分と世界との関係」という意味での縁起の法があるのです。
 これは、「人は一人で生きていくものではない」ということです。
 「人という字は、刈り取った麦藁を束ねたものが支え合っている姿である」と言われています。「人は、お互いに支え合って存在している」というのは、そのとおりです。夫婦も、親子も、きょうだいも、友達も、仲間も、支え合って存在しています。人は一人では生きていけません。人は支え合って存在しているものなのです。
 ある人にとって、物事がうまくいくようになり、よいほうに歯車が回りはじめると、その歯車とつながっている歯車までが一緒に回りはじめます。
 家族のうちで、父親が仕事で成功したら、その妻や子も幸福になります。また、その幸福は、ほかの人たちにも移っていきます。なかには、「幸福の種を一粒たりとも家から外に漏らすまい」と考える人もいるかもしれませんが、だいたい、一つがよくなれば、ほかもよくなるものなのです。
 そのように、「人は他の人との相互関係があって存在しているのだ」ということです。
 あなたがよくなることは、ほかの人もよくなり、あなたの会社もよくなり、社会もよくなり、国もよくなり、世界もよくなることなのです。
 その逆もあって、あなた以外の人がよくなることは、やはり、ほかの人にも影響し、あなたにも影響します。
 あるいは、会社がよくなれば、その会社の社員もよくなります。
 ところが、社員がどれほど一生懸命に働いても、その会社が倒産寸前であれば、社員の働きは報いられません。社員のなかに、いかに優秀な人がいても、会社が潰れるときには、どうしようもないのです。
 「業界自体が不況で、いろいろな会社が潰れ、再編される」という業界もあります。この場合も、いかんともしがたいものがあります。
 さらに、社会の環境や国の方針によっても影響を受けます。「国が、自由主義、市場経済を採っているか。共産主義を採っているか。軍事独裁政権か」、こういうことによっても影響を受けるのです。
 したがって、「自分は、ほかのものから影響を受けると共に、ほかのものに影響を与える存在なのだ。さまざまなものが相互に影響し合っているのだ」という認識、世界観を持つことが大事です。(中略)
 この縁起の理法から、「自分が幸福になることは、自分だけで完結しない。ほかの人にも影響する。お互いにそうである」ということが言えます。
(196~202ページ)

仏教で説かれる「縁起の法」の一面としての「空間縁起」では、「人は一人で生きていくものではない」ということがわかる。

人は、他の人との相互関係があり、影響しあって存在している。

この縁起の理法から、自分が幸福になることが他の人にも影響すると、わかるのである──。

今日は、仏教の教学としての「縁起の法」から、人は一人で生きてるわけではないことが知的に説かれた教えの部分を、ご紹介してみました。

「知は力」です。

まずは知識を得ることで、見えてくる世界があるのだと、私は理解しているのです。

希望の法―光は、ここにある 『希望の法』

 大川隆法著

 

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あの世なんて、ほんとにあるの。神仏が、あの世があることを知らせようとして宗教を起こすなんて話も聞いたけど、そんなことするくらいなら、最初から分かるようにしておけばいいじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 私は、一九八一年三月に悟りを得る以前から、あの世の存在を信じてはいたのですが、霊的世界を実体験する前と後とでは、やはり、その差は大きいものがありました。概念的にというか、頭のなかで信じているのと、実体験するのとでは全然違うのです。
 霊的存在が現実にいて、私に何かを伝えようと話しかけてきたり、あるいは、私が心のなかで何かを発信すると、それに答えようとしたりするわけです。
 霊人たちは、この世で生きている私たちの生活を見守っていて、何らかの感想を持ち、意見を言ったり、アドバイスをしたりしたがっているのです。
 別の視点からいうと、「私たちは、四六時中、霊人たちから見られている」ということです。これに耐えられる人というのは、ほとんど、いないでしょう。
 そのため、一般的には、霊が見えないように、あるいは、霊界のことが実生活にあまり入らないように、仕組みとしては出来上がっています。
 例えば、家でご飯を食べていて、「あっ、亡くなったお祖父さんが、そこに座っている!」などと言いながら気楽に過ごせる人は、世の中に、それほど多くはいません。
 亡くなったお祖父さんが横にいたら、「うわ!」と驚いて、「何か悪いことをしたでしょうか。お墓にお詫びに行かなければいけないでしょうか」などと思うのが普通でしょう。(中略)
 普通の人は、「あの世があるかどうか分からない。霊の姿は見えないし、霊の声も聞こえない」と言うわけですが、だからこそ、世の中はうまく回っているのです。
 「神や仏が、あの世があることを知らせようとして、宗教を起こすくらいなら、最初から分かるようにしておけばよいではないか」という考えもあるでしょうが、実際に、ずばり分かってしまうと、この世での魂修行にかなりの支障が出るのです。
 それだけではなく、あの世の霊人にとっても、支障が出てきます。すなわち、この世に直接的な干渉ができるようになると、ある意味で、この世に対する執着ができてくるのです。
 そして、亀を棒で突くように、あの世の霊人が「ああしろ、こうしろ」と言ってあまりに干渉するようになると、この世の人は、責任ある主体的判断ができなくなってしまいます。
 そういう理由から、あの世の霊人は、間接的なインスピレーションを与えることはできるけれども、地上の人間が、あくまでも、自分の考え方と行動に責任が取れるように、あまり干渉できなくなっているのです。(中略)
 あえていうと、自動車教習所で、教官が横に座り、教習生の運転している様子をじっと見ているようなものです。危ないときには、パッと手を出してハンドルを取ったり、急ブレーキを踏んだりしますが、それ以外は本人に運転させています。
 それと同じように、あの世の霊人も、ある程度、地上の人間の実力に任せていて、「万一のときに、危険防止だけはする」というぐらいのところで、干渉を止めているわけです。
(14~19ページ)

四六時中、霊人たちから見られていることに耐えられる人は、ほとんどいない。

また、実際にそれがずばり分かってしまうと、この世での魂修行にかなり支障が出てくる。

あの世の霊人にとっても、この世に直接的な干渉ができるようになると、この世に対する執着がでてきて、支障が出てくる──。

あの世があることが分からないことは、一見不合理ではあります。

でも、よくよく考えてみると、霊の姿は見えないし、その声も聞こえないからこそ、あの世もこの世も、うまく回っている。

こんなふうに具体的に教えていただくことで、あの世とこの世の真実が、改めてよく理解できる気がします。

そして、そんな仕組みとなっているこの世で私たちが魂修行できるのは、ほんとうに仏の慈悲でもあるのだと私は思っているのです。

死んでから困らない生き方―スピリチュアル・ライフのすすめ (OR books) 『死んでから困らない生き方』

 大川隆法著

 

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ね、ルシフェルって、もともと大天使だったんでしょ。なんで地獄に堕ちてしまったの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『エクソシスト入門──実録・悪魔との対話』(幸福の科学出版)で、まさにその本人の言葉(霊言)を、質問者Aとの対話の形で、こう紹介しておられます。

A── 「レムリア・ルネッサンス」という団体には、ルシフェルを礼賛している内容の本もあるのですが、あれは指導しました?
ル── もちろん。(中略)
A── やはりなあ。レムリアで、一生懸命、自分の過去の歴史への評価を変えようとしたんですか。元天使ということで。
ル── まあな。おれは、やはり、地獄に封じ込められたことは納得してないよ。
A── 全然、納得していない?
ル── 納得してないよ。
A── でも、名誉欲とか権力欲とかを、つけすぎてしまったからではないんですか。
ル── おれは、なんでこうなったのかは納得してないよ。
A── ああ、それで、地獄界をつくろうとしたんですか。
ル── 地獄界……。地獄界っていうか、「第二の三次元」だな。(中略)そう、第二の三次元をつくろうとしてるんだよ。
A── 神様になりたいんだ……。
ル── うーん、なりたいなあ。天国の世界とか言ってるけどな、おれは「怪しい」と思ってるよ。あいつらの言ってること、おかしいと思ってる。(中略)
A── でも、なかには、天使で、光り輝いたりする人もいるでしょう。
ル── あの変てこなやつはいるなあ。(中略)
 あれは、そうじゃねえか。殺されて喜んでるやつらが狂人でなくて、なんでおれたちが狂ってるんだよ。あいつらこそ狂ってるよ。(中略)
 おれは知恵を使ったんだ! おれは“智天使”だよ。(中略)おれは誰よりも賢かったんだ。で、地上に王国を築こうとした。知恵をたくさん使った。(中略)勝つための知恵を、いっぱい使ったぞ、おれは。勝つための知恵を使った。勝って、なんで地獄なんだよ。(中略)
 地上で生きてるときに成功する光の天使とかいうやつら、ほとんどいないぞ。(中略)悲惨な死に方をすればするほど、天国で評価されてるじゃないか。あれは理解できないね。神様っていうのはマゾだぞ。(中略)
 自分で使者を送り込んで、地上の人間を指導させて、最後、地上の人間に目茶苦茶にされて、殺されるようにするんだよ。で、殺されて、悲惨な、苦しい思いをさせて。ハン。必ず、そういうふうに持っていくのさ。神様ってのは、これ、マゾだぞ。(中略)
 やなやつだよ。なんで、自分の部下だったらさ、自分の弟子だったら、最後まで幸福にやらせないのさ。ひっどいやつだよ。最後、目茶苦茶にするじゃねえか。
 イエスなんか、自分で磔に遭ってるじゃねえか。ばっかだよな。ハッ。で、次は、弟子も全部、磔だよ。もう、全部、処刑だよ。
 あれが神様なんだってえ。すげえよなあ。神様のやり方って、こうなんだよなあ。おれは納得しないね。
(111~117ページ)

「レムリア・ルネッサンス」という団体は、彼自身が指導した。

彼は、地獄に封じ込められたことには納得していない。

神様の言っていること、やっていることこそ、狂っていると思っている──。

・・・ふたたび、驚くべし、です。

価値観が逆転してしまった人の目からは、神様がこういうふうに見えてしまうのだというのには、衝撃を感じます。

そういえば、『太陽の法』には、彼が「いまから一億二千万年ほど前に、地上にサタンという名で生まれたときに、地位欲、名誉欲、物質欲、肉欲におぼれて、堕落。再び高級霊界に還ってくることができず、低位霊界に地獄界をつくって反乱を起こした」と説かれていました。

なぜそうなってしまったのかの一端が、ご本人のこの生々しい言葉から、少しは理解できる気が私はしているのです。

 

エクソシスト入門 (OR books) 『エクソシスト入門』

 大川隆法著

 

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不況に、コロナの追い打ちで、小さいんだけど自分でやってる会社の業績が、ものすごく悪化してるんだ。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ただ、私は、「どのような不況のときでも、着実に業績を伸ばしている会社や事業はある」と述べておきたいと思います。むしろ、「不況のときこそ、創意工夫が試される」と考えたほうがよいのかもしれません。
 好況のときは、だれが商売をやってももうかるのですから、(中略)だれもがその仕事を始めようとします。
 その結果、過当競争が始まり、淘汰が行なわれます。ほんとうに必要なものかどうか、ふるいにかけられて、倒産するところが出るのです。
 そのときに、「おかしい。こんなはずではなかった」と言っても、しかたがありません。必要でもないのに大勢の人がやっているのならば、やがて転業していかざるをえないのです。
 問題は、そのときに、あなたがどちらに入っているかです。(中略)
 いまの業界のなかで生き残っていくためには、創意工夫が必要になります。同業他社がやっていない工夫を何かすることです。他と違うユニークなところを出して目印をつくり、差別化することです。
 好況のときにもうけるのは比較的簡単ですが、不況のときに堅実経営をして乗り切っていくことができてこそ、あなたには経営の才能があると言えるのです。
 したがって、まず、創意工夫の余地がないかどうか、もう一度、冷静に考えてみていただきたいのです。
 それでもだめならば、あなたは淘汰される側に入っているわけですから、運命だと思って受け入れてください。
 動物の世界を見ても、植物の世界を見ても、自然淘汰というものがあります。特定の生物が一定数以上に繁殖すると、必ず生存競争が生じて、その生物が一定の数まで減るようになっています。これは大自然の法則です。
 こうした法則は、人間界にも、ある程度及んでいます。(中略)
 したがって、「運命的に見て、自分は淘汰される側に入っている」と思ったならば、自分の適職を見つけるように努力し、転業することです。人生には運命の流れがあるので、それに対して、いつまでも自分の頑固さだけで抵抗していてもしかたがないのです。
 もちろん、「先祖代々やってきた」「自分はこの商売が好きだ」などということもあるでしょう。しかし、「自分には一つの才能しかない」と思い込むことはありません。何か一つの商売がじょうずな人は、他の商売をやっても、たいていじょうずにできるものです。したがって、何か別の仕事を考えてみてください。
(259~263ページ)

どんな不況のときでも、着実に業績を伸ばしている会社や事業はある。

不況のときこそ、創意工夫が試されるから、その余地がないかどうかを、もう一度、冷静に考えてみること。

それでもだめならば、淘汰される側に入っていることを運命と思って受け入れることである──。

一見厳しいけれども、でも、大きな視点から人生の真実を見切って解説してくださる。

これが仏の叡知であるのだと私は思っているのです。
 

幸福になれない症候群 『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著

 

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ね、映画で見たんだけど、「エリア51」って、アメリカにあるんでしょ。宇宙人が地下にたくさん住んでるんだって。これ、ほんとの話なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「宇宙の法」入門』(幸福の科学出版)で、アダムスキー型円盤で有名な、ジョージ・アダムスキーの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられました。

 私たち、UFOや宇宙人の存在を伝えている者は、あなたがたに先立つ預言者です。あなたがたの教えの一部を導くためのポーラースター、北極星です。われわれが地ならしをして、そのあとに出てくる人たちの仕事を易しくするためにやったものであり、当然、迫害は覚悟の上でやりました。(中略)
 私は、昔で言えば火あぶりになる覚悟でもって、UFOの実在と金星人の存在を訴え続けました。(中略)宇宙人の存在や他の星の存在について、やはり、少しずつ少しずつ情報を入れて、地球の人たちを啓蒙していく必要があるのです。(中略)
 なかには、手の込んだ、悪質な罠にかけて、われらが仕事をインチキに見せようとした者も数多くいたようです。
 また、政府当局も、事実を隠そうとすることは、ずいぶんやっていました。「社会的パニックが起きるのを防ぎたい」ということと、「政府の無力を隠したい」ということが、その理由です。
 そして、重大な重大な、とても重大なことですけれども、ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ(アメリカ合衆国)とか、UK(イギリス)とか、ロシアとか、幾つかの先進国の政府は宇宙人の実在を知っています。
 そういう、宇宙に人を送っているような国の政府は、もう知っております。
 「ロズウェル事件」の頃から、もう宇宙人との接触はなされておりました。(中略)
 実は、地球の「ザ・コールド・ウォー」、アメリカとソ連の冷戦、宇宙競争の背景には、異なる種類の宇宙人の協力がアメリカとソ連に入っていて、両国が宇宙開発に励んでいたことがあります。「協定によって、宇宙人から、一部、技術供与を受け、同時に、その宇宙人の一部を保護して、生活の面倒を見ている」というのが本当のところです。
 噂どおり、アメリカの「エリア・フィフティーワン」には、宇宙人が地下に数多く住んでいます。その数は約千二百人です。千二百人の宇宙人が、そこの地下のビルに住んでいます。
 そして、宇宙技術の開発に協力しています。その見返りに、宇宙人は、地球人の生態や、さまざまな文化・思想等の研究など、地球人類の研究をやっております。
 ソ連、ロシアに付いていた宇宙人と、アメリカに付いていた宇宙人は、違う宇宙人ですが、今、中国にも、また違う宇宙人が取り付いて、指導に入ろうと狙っているところです。中国は、宇宙に出始めて、アメリカと競争しようとしているので、中国にも、ほかの宇宙人が入り込もうとして、一生懸命、売り込んでおります。
 だから、「どの国が、どの宇宙人と、最も強い協定を結ぶか」ということが、その国の科学技術の発展に関係すると思われます。
 オンリー(唯一)、 日本だけが、全然、駄目です。日本だけが、全然、駄目ですが、これは、日本人が、戦後、駄目だからですね。日本人が、地球を指導し、宇宙を目指すなら、宇宙人は日本にも接触してきます。ただ、そういう時期は近いと思います。たぶん、近いはずです。近いはずです。エル・カンターレ系の宇宙人が、必ず、もうすぐ接触を開始するはずです。
(135~142ページ)

アメリカ、イギリス、ロシアなど幾つかの先進国の政府は、宇宙人の実在を知っている。

じつは、アメリカとソ連の宇宙競争の背景には、異なる種類の宇宙人がそれぞれの国に入って、宇宙開発に励んでいた。

噂どおり、アメリカの「エリア51」には、約1200人の宇宙人が地下に住んでいて、宇宙技術の開発に協力している──。

本書は、2010年に刊行されたのですが、それから早くも10年。

大川隆法先生は、このころから、宇宙人の魂を持った日本人に対する「リーディング」を公開で行ない、これを多数の書籍として刊行することで、さまざまな宇宙人が実在することを明らかにしてこられました。

そして、2018年ころからは、UFOに搭乗している宇宙人自身の声を、霊言と同じ「リーディング」の形で収録し、書籍の形で刊行することで、続々と世に伝え始めておられます。

本年2020年は、世界中でUFOの動画映像がYouTubeに続々アップされていましたが、それだけでなく、ついにアメリカ国防総省が公式にUFOの動画を公開し、大きな話題を呼びました。

宇宙人が実在するかどうかが議論されるような段階は、とうの昔にすぎてしまっているんであって、このアダムスキーの言葉から10年後のいま、宇宙人はすでに公式に日本に接触を開始している

このおそるべき事実を、一人でも多くのみなさんに知っていただきたいものだと私は本当に願っているのです。

「宇宙の法」入門 THE FACT 『「宇宙の法」入門』

 大川隆法著

 

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信仰者なんだから、殺生はいけないんだよね。ベジタリアン(菜食主義者)として生きるのが正しいよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真実への目覚め』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間よりレベルは下がるものの、動物にも魂は宿っていて、喜怒哀楽レベルの感情を持っています。
 その意味では、「動物には魂が宿っていないから食べてもよい」という思想は、必ずしも正しいとは言えないのです。
 では、ベジタリアンならよいのでしょうか。実は、植物にも、かわいいかたちではありますが、ささやかな魂は宿っているのです。
 植物は、動物のように激しく動くことはできませんが、長時間、ビデオカメラで撮影し、それを高速で再生すると、植物も、ゆっくりとではありますが、やはり動いていることが分かります。彼らも生きているのです。
 植物であっても、喜びを感じます。例えば、暑い日が続くときには、雨が降ると喜びますし、曇りの日が続くときには、太陽の光が射してくると、やはり喜んだりするのです。つまり、単純な意味での喜びや悲しみは植物にもあるわけです。
 ただ、そういうことだけを言うと、人間は、そもそも動物も植物も食べられなくなって、生きていくことができません。そうであるならば、神がこの世に人間を創った意味がなくなってしまいます。
 あとは岩石でも食べるしか方法がありません。ところが、実は鉱物も生きているのです。植物よりももっと緩やかですが、何千万年、何億年の月日をかけて、ゆっくりと結晶をつくっています。彼らも、実は、長い長い人生を生きています。
 この世にあるものは、すべて命を持っているのです。(中略)
 「あるものを、食べるか、食べないか」というようなことは、文化によって違いはあると思いますが、「ベジタリアンか、ベジタリアンでないか」というような区別だけでは駄目です。その考えだけでは十分ではないと私は思っています。
 地球に住む生き物として、人間が最高レベルの魂を持っていることは、間違いありません。そして、人間は他の動物や植物を食べます。それは動物や植物にとっては気の毒なことではあります。しかし、別の目から見れば、彼らは人間の魂修行、人生の経験を助ける役割をしているわけです。人間に食べられることによって彼らは犠牲にはなりますが、それには、「人間の魂修行を助けている」という尊い修行をしている面があるのです。
 したがって、人間のほうがなすべきことは、ベジタリアンであろうとなかろうと、食料を食べるとき、彼らに感謝の心を持つことです。
 殺生の罪を感じるかもしれませんが、その分、感謝の心を十分に持ち、自分が、よい人生を生きること、よい仕事をすることによって、お返しをし、彼らの尊い命を、さらに活かしていかなくてはなりません。彼らの命を五倍十倍に活かしていく方向に使うことができれば、彼らも喜んでくれると思います。(中略)
 人間が生きていく過程で、いろいろなものが犠牲になることはありますが、それを尊い犠牲としながら、よりよい社会をつくるために努力することによって、人間は、そうした罪を乗り越えていくことができると私は考えています。
(145~150ページ)

人間よりレベルは下がるものの、動物にも魂は宿っているし、植物にもささやかな魂は宿っている。

他の動物や植物を食べるのは気の毒なことではあるが、別の目から見れば、彼らは人間の魂修行を助けるという、尊い修行をしている面がある。

人間がなすべきことは、食料を食べるとき、彼らに感謝の心を持つこと。それを尊い犠牲としながら、よい人生を生き、よい仕事をすることによってお返しをすることで、人間は、殺生の罪を乗り越えていくことができる──。

以前、このテーマについてご紹介したこともありましたが、今日のお教えで、ベジタリアンならいいというような単純な話ではないことが、より深くわかった気がしています。

仏であられるからこそ、霊的観点から説かれるそのお教えの深さ。

ほんとうにありがたいことだと私は心から思っているのです。

真実への目覚め 幸福の科学入門 『真実への目覚め』

 大川隆法著

 

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信仰の力で病気が治ることがあるんでしょ。それって、どうしてなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ガンなどの病気になる人は、過去、何十年にもわたって、間違った考え方や生き方を引きずってきています。憎しみ、怒り、嫉み、妬み、怨恨、暴言など、人に対して害を与えるような、攻撃的な考え方や悪い言葉が心のなかにたまっているのです。
 こういうものを、きれいにしなければいけません。反省をしたり、悟りの進んでいる人に導いてもらったりして、心のなかにたまっているものを取り除いていく必要があるのです。
 以前、『千と千尋の神隠し』という映画がありました。この映画の監督は、霊界の裏側世界である妖怪の世界と親近性があるようですが、映画のなかに、「体全体に、どろどろしたヘドロのようなものをたくさん付けた、臭い“川の神”が出てきて、主人公の女の子が、それをお湯で洗い流してやる」というシーンがありました。
 心のなかの想念が真っ黒な人は、その川の神のように、体全体にヘドロのようなものをたくさんつけた状態で生きているのです。そういう人は数多くいます。
 そんな状態で生きていたら、病気にならないほうがおかしいでしょう。あるいは、事故などの不幸が自分や家族に起きないほうがおかしいでしょう。
 そのヘドロのような悪想念を落とさなければいけないのです。
 病気は、幸福の科学の精舎や支部で祈願をすると治ることもありますが、本来は本人自身に病気を治す力があります。
 病気になっている人に、正しい「心の法則」を教えてあげること、その人を正しい軌道に乗せ、明るい方向、天上界の方向に向けてあげることで、すべてがよくなっていくのです。(中略)
 最近の医学でも、「いろいろな病気の多くは、結局、免疫機能の問題である」ということが分かってきています。ほんとうは自分で病気を治せるのですが、免疫機能が低下してくると、悪いものが増えてきて、病気になり、最後は死ぬこともあるわけです。
 この免疫力は、実は、信仰の力、信じる力を持つと、かなり上がってきます。それは本人の意志としての想念の力でもありますが、日々、「仏のため、神のために、菩薩として頑張ろう」と思っていると、強い積極的な善念が体全体に満ちてきて、全細胞にじわじわと行き渡るため、免疫力が高まるのです。
 そうすると、初期のガンぐらいであれば、すぐに治ってしまいます。免疫力が高まれば、自分でガンと闘って、治してしまうことができるのです。
 この信仰の力を他の人に移していくことも可能です。ある人を強い情熱でもって導き、正しい道に入らせ、その人の心がパッと明るくなってくると、その人の免疫力は、ぐうっと上がってきます。そして、体の各細胞の生きていく力が増大してくるのです。
 「まだまだ、頑張らなければいけない。よい仕事をしなければいけない」という気持ちが各細胞に伝わっていくと、体全体からぐうっと力が出てきます。「自分には使命がある」と思えば、十歳も二十歳も年齢が若返ったように力が湧いてくるのです。
(216~220ページ)

ガンなどの病気になる人は、過去、何十年にもわたって、人に害を与える攻撃的な間違った考え方や悪い言葉が心のなかにたまっているので、反省したり、悟りの進んでいる人に導いてもらったりして、きれいにしなければならない。

人間には、本来、病気を治す力があるので、病気になっている人に、正しい「心の法則」を教え、その人を正しい軌道に乗せ、明るい方向、天上界の方向に向けることで、すべてがよくなっていく。

免疫力は、信仰の力、信じる力を持つと上がってくる。日々、「仏のため、神のために、菩薩として頑張ろう」と思っていると、強い積極的な善念が体全体に満ちてきて、全細胞にじわじわと行き渡るため、免疫力が高まる──。

今年の夏には、この教えを実際に実践した数多くの人たちを紹介したドキュメンタリー映画『奇跡との出会い。』が全国で一般公開されました。

それだけでなく、大川隆法先生の教えを、こうやってしっかりと理解してみると、信仰の力で病気が治るというのは、とても自然で当然のことだと思えてきます。

さてさて、みなさんも、そう思われませんか?

 

心と体のほんとうの関係。 『心と体のほんとうの関係。』

 大川隆法著

 

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「千年王国」なんて言葉、聞いたことがあるんだけど、そんなの夢物語だよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『救世の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 昔、仏教が日本に伝わってきたときには、「仏教を入れよう」と主張する蘇我氏と、「日本古来の神が怒るから駄目だ」と主張する物部氏との間で戦いが起き、多くの血が流れましたが、聖徳太子が仏教を入れました。
 通常、外来の宗教を入れると国産の宗教は滅びるものですが、聖徳太子は、日本神道を滅ぼさずに仏教と融和させました。神道という枠組みのなかに仏教の教義を取り入れて、日本の国の基礎をつくったのです。
 日本神道そのものには、形式としての儀式はありますが、教えがなかったので、この“中空状態”の部分を仏教の教義で埋めることによって、日本を先進国にしようとしたわけです。その意味で、聖徳太子は偉かったと思います。
 ユダヤ・キリスト教圏においては、「千年王国」という理想があります。これは、私が説いている「仏国土・ユートピア」のような世界です。「メシアが現れて理想の国を築き、その王国が千年間続く」という、「千年王国」の思想があるのです。(中略)
 ところが、日本を見てみると、聖徳太子も偉大でしたが、そのあと平安京をつくった桓武天皇も偉大です。
 桓武天皇は、奈良の平城京から京都の平安京に都を移しました。平安京は唐の都をまねたと言われていますが、京都盆地に碁盤目状のきれいな街路をつくり、宗教都市を築いたのです。
 そこには、神道と仏教、さらに道教の思想まで入っていました。もちろん、神道は、もともと孔孟の儒教思想も内に秘めているので、儒教とも関係があります。そのような宗教の融和のなかで、新しい宗教国家を目指したのが桓武天皇であったと思います。
 その平安京、すなわち京の都は、「鳴くよ(七九四)ウグイス平安京」という、年号の覚え方で有名な七九四年から、明治維新で東京に首都が移るまで、一千百年ほど続いています。したがって、「千年王国」の理想は、実は日本では現実に成立したことなのです。宗教都市がつくられて、その都が千年以上栄えたわけです。
 その都には、「宗教的寛容性のなかで、多様な思想を受け入れつつも、信仰心をきちんと立てて政を行う」という姿勢がありました。(中略)京都という、日本の宗教都市で起きたことを、次は国際レベルで考えてみる必要があると思います。(中略)
 私は、幸福の科学を私一代で終わるような宗教にはしたくありません。そして、「幸福の科学の教えは、二千年、三千年と続いていってほしい」と思いますが、その前段階として、まずは千年王国を目指します。すなわち、千年は繁栄が続くような宗教の基盤をつくり、立派な宗教国家を建設したいと思っています。
 宗教立国をなし、日本をほかの国の模範としたいのです。「日本を見習いなさい。日本のようにすれば、宗教戦争も終わるのだ」ということを示したいと考えています。諸宗教のよいところを取り入れ、諸宗教が仲良く融和する、「宗教を尊重する国家」をつくりたいのです。
(141~146ページ)

桓武天皇が築いた平安京(京都)は、宗教都市として一千百年ほど続いたのであって、「千年王国」の理想は、日本では現実に成立した。

この京都という、日本の宗教都市で起きたことを、次は国際レベルで考えてみる必要がある。

一千年は繁栄が続くような宗教の基盤をつくり、諸宗教が仲良く融和する立派な宗教国家を建設して、この日本をほかの国の模範としたい──。

誰も教えてくれなかった、京都という都市の特別さ。

改めて、ほんとうに驚いてしまいます。

今日は、「宗教立国」の理想を、「千年王国」という角度から説かれた大川隆法先生の教えを、ご紹介してみました!

救世の法 信仰と未来社会 法シリーズ 『救世の法』

 大川隆法著

 

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「商才」(商売の才能)ってあるんじゃないのかな。この商才を磨くためには、どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『松下幸之助 日本を叱る』(幸福の科学出版)で、松下幸之助の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 まあ、世間の経営学はな、「お客さま第一主義」「顧客第一主義」を言うとるし、間違いではないと思うよ。一般的にはそのとおりやろうと思うんや。お客さんのことを無視してやったらあかんとは思うんや。
 ただ、みんながそう思っとったら、「逆もまた真なり」やな。反対もやらないかん。逆もあって、今度は、「自分自身の信念を売る」っていうのも一つや。「信念を売る」っちゅうんが一つなんや。
 お客さんに、「これはええ製品ですから買ってください」と言って、「事実、いい製品やから、便利なので買いたい」というのもあると思うんや。重いやつは軽くすれば持ちやすいしな。色が悪いやつは、きれいになったら買いたいと思う。例えば、テレビでも、映りの悪い、“雨が降ってる”ようなテレビは、きれいな画面が出りゃあ売れるけどな。
 そうやけど、その反対もあるっちゅうことや。だから、「信念を売る」っちゅうのもある。そら何か言うたら、「説得力」や。説得力がある者は、やはり、営業にも、商売にも成功する。どの業界であってもそうや。説得力や。
 だから、ここは宗教やけども、わしが見てな、足りんと思うのは説得力やと思うんや。教祖さまは頑張っとると思うよ。だけど、弟子の説得力が足りんと思うな、わしは。
 なんか、まだ、学生みたいに勉強してるような気持ちでおるようで、商売やらしたって、たぶんできへんと思う。ほかの商売ができるんやったら、たぶんできるけど、できへん人がいっぱいおると思う。
 なかで教義の勉強ばっかりしてるけども、説得力がない。説得力があったら、信者が増やせるんや。商売も宗教も基本は一緒なんや。説得力なんや。説得力を磨くんや。
 ベンチャーをやる人でも、親のあとを継ぐ人でも、もちろん、「ものが良くて売れる」というのは大事なことで、それを志すべきやし、お客さんの役に立つものを売るのも、当然、考えなきゃいかんことやけども、ただ、「不況期にベンチャーを起業するんで、商才を磨くのに、どうしたらええか」と言うたら、もう、説得力や。
 これは、そう思わな、絶対、出てこんのや。信念で、「わしは、絶対、この会社を大きくしたいんや」「わしは、絶対、この商品をもっと売りたいんや」と、まず自分自身を説得できん者が、人を説得なんかできるもんか。
 だから、説得力を付けなはれ。そしたら、伝道もできるし、商売もできるし、何でもできる。説得力や。
 銀行から金を借りるんだって説得力が要るんや。商売するために銀行から金を借りるのも説得力や。銀行員を説得するんや。銀行の支店長を説得して金を引き出さなあかんのや。
 説得力を、もっと言うてくれ。
(192~196ページ)

「顧客第一主義」はそのとおりだが、逆に、「信念を売る」ということもある。

まず自分がそう強く思うことで、自分自身を説得すること。

要は、「説得力」をつけることが大事である──。

松下幸之助の霊は、商才の磨き方について語る中で、脱線の形で、幸福の科学の信者に説得力がないことをちょっと厳しく叱っておられます。

幸福の科学のほうも、耳が痛いお言葉なんですが、そのまま活字に起こして書物にしてしまっているというあたりに、この「霊言」のリアリティが、さりげなくかいま見えるのではないでしょうか。

たしかに私自身にも、説得力がいま一つ足りないことを深く反省しつつ、今日は、松下幸之助翁の言葉を味わってみました!

 

松下幸之助 日本を叱る 公開霊言シリーズ 『松下幸之助 日本を叱る』

 大川隆法著

 

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もう、エネルギー切れ。もうだめなの。どうしたらいいの? なーんて疲れ果ててる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 祈りのなかには、「エネルギーを充電するための祈り」というものがあります。
 この祈りにおいては、心静かに座し、仏神に対して、「無限のエネルギーを与えたまえ」「無限の叡智を与えたまえ」「無限の愛を与えたまえ」などと祈ります。
 そして、その祈りをしているとき、「天上界から素晴らしいエネルギーが供給されてきた」と考え、それを受けている自分というものを思い描くのです。
 たとえば、「仏の無限の愛が、自分に、いま流れ入ってくる」というように考えます。
 そして、「自分の体のなかに無限の愛が満ちてきた」と思ったならば、次に、「これを、どのようにして世の中に放射していくか」ということに思いを巡らせていくべきだと思います。
 「仏の無限の力が流れ入る。仏の無限の力が自分に差してくる」というように思い、「充電されてきた」と思ったならば、今度は、「この無限の力を持って、どのように世の中を渡っていくか。どのように世の中に貢献していくか」と考えていくことが大事なのです。(中略)
 実は、私も、これをよくやっています。毎日、仕事をしていると、日によっては、体調の悪いとき、疲れたときがあります。こういうときには必ず高級霊の光を受けています。
 天上界の光そのものを入れることもありますが、高級霊の誰かに呼びかけて充電をしてもらうと、サーッと光が入ってきて、体に力が満ち満ちてきます。そして、次なる仕事に移っていくことができるようになります。
 この願いは非常に簡単に叶えられますし、多くの高級霊たちも、これならば安心して光を入れてくれます。
 そして、光を受け取ったならば、さらに、それを世の中のために使っていこうとする心境が大事なのです。
(225~227ページ)

「エネルギーを充電するための祈り」というものがある。

心静かに座し、仏神に対して、「無限のエネルギーを与えたまえ」「無限の叡智を与えたまえ」「無限の愛を与えたまえ」などと祈ること。

光を受け取ったならば、今度はそれを世の中のために使っていこうとする心境が大事である──。

自分で行なうのがむずかしいと思われる方には、幸福の科学の精舎で、『エネルギー復活祈願』という祈願を受けることができます。

興味がある方には、ぜひお勧めしたいと思います!

 

心と体のほんとうの関係。 『心と体のほんとうの関係。』

 大川隆法著

 

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レプタリアンって、最近、よく聞くんだけど、地球にきてるんだよね。どんな宇宙人なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙人との対話』(幸福の科学出版)で、公開霊言の一種として、眼前に座る人(Cさん)の魂の奥底をリーディングして、そこに眠るレプタリアン(マゼラン星雲ゼータ星人)の意識に自らの口を通して霊言させるという形で、このように伝えておられます。

 私の姿は、地球人に分かるように申し上げますと……、地球にはいない生き物ですけれども……、あえて申し上げるとすると……、昔の……、恐竜時代の生き物でたとえるとすると……、プテラノドンという恐竜がおります。
 頭が逆三角、いや、三角ですか、後ろが張って前が狭くなっていて、空を飛ぶ恐竜の姿で、手を広げると、この下に(横に上げた右腕の下のあたりを左手で示す)コウモリのような羽があります。しかし、指はちゃんとあって、指の数は三本です。
 体は恐竜にも似てはおりますが、しっかりとした足は付いております。普通の恐竜よりも、鶏など鳥の足によく似た形の足です。やはり爪が三本あって、足の後ろ側に、蹴爪に当たるものが生えております。
 そして、尻尾があります。尻尾が生えて、空を飛ぶことができる生き物です。(中略)全長は、おそらく二メートル五十センチぐらいです。(中略)
 私はレプタリアンのなかの一つの種類です。(中略)われわれは、進化と競争を進めるために、地球に来ているものです。
 ですから、われわれの力なくして、地球人がこれほど進歩・進化するということは、なかったはずです。(中略)
 世界各国で、この世的には戦争も起きました。国同士の侵略や競争、戦争がたくさん起きました。
 そうした戦争の陰には、レプタリアンの力は確かにありましたけれども、実はわれわれがやっているのは戦争のための戦争ではありません。国対国の戦争というようなときは、総力戦に当たるわけで、それは国の総力を上げる、文明度を上げるために、文明を加速させるために、非常に重要な役割を果たしているんです。
 ですから、イギリスが七つの海を支配し、大英帝国として世界中を支配したときも、われわれが協力しました。ナポレオンがヨーロッパを支配するときにも、われわれは協力いたしました。
 それから、アメリカが世界帝国をつくろうとして支配しているときにも、われわれの協力が、当然、入っています。
 今、中国が世界を支配しようとしておりますけれども、中国にもわれわれの仲間はたくさん入っております。
 確かに、この世的には、悲惨なことが起きたり、流血が起きたりするように見えることもありますけれども、われわれは、別の言葉で言えば「進化の神」なんです。古来からの「進化の神」であって、実は、地球に来ているのはここ二、三百年じゃありません。大昔から、何億年も前から来ているものです。われわれが来たときに、新しい文明が起きて、古い文明が滅びているんです。(中略)
 そういうふうに、厳しい、きつい言葉になり行動になる理由は、進化の度合いが違うからです。千年は進んでいます。(中略)千年ぐらい差がありますと、地球人がみな原始人に見えるんです。それで、まあ、多少、手荒なことをやってしまうことがあります。
(110~117ページ)

レプタリアンの一種として、プテラノドンという恐竜に似た種類のものがいる。

レプタリアンは、進化と競争を進めるために、地球に来ている。

地球人よりも千年は進化しているので、地球人がみな原始人に見えて、新しい文明を起こすために、戦争などに協力している──。

まあ、自分で語っておられるだけなので、ここで語られた言葉が、本当にレプタリアンの真実を明らかにするものかどうかは、これだけでは判然としません。

しかし、大川隆法先生は、これだけでなく、次々に数多くの宇宙時リーディングを公開することで、この秘された世界の真相を探究しておられます。

来年には、またアニメ映画の形で、探究が進められた「宇宙の法」の世界が明らかにされると聞きます。

霊界の存在でさえ信じられないような人にとっては、まさに信じがたい真理の世界が、大川隆法先生によって続々と明らかにされているわけです。

これらの貴重な情報を、1人でも多くの人が知ってくださるようにと私は願っているのです。

宇宙人との対話 (OR books) 『宇宙人との対話』

 大川隆法著

 

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信仰が大事だっていう話も聞くよ。でも、幸福の科学の本って、ふつうの書店で手に入るわけだし、それを読んでたらいいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 今、みなさんは肉体に宿って生活をしていますが、肉体が人間のすべてではありません。肉体のなかには、昔から言われているように、「魂」がほんとうに入っているのです。(中略)
 しかし、死を境にして、魂は肉体から遊離します。肉体は、火葬場で焼かれて埋葬されますが、魂のほうは、肉体から離れて、あの世に旅立ちます。(中略)そして、あの世での行き場所を決めるものは、この世での生き方そのものです。(中略)
 あの世が、すっきりと見えたり分かったりしない理由は、やはり、この世の生活に支障が出るためです。そのため、いつの時代にも、宗教家や霊能者などが出てきて、この世とあの世の仕組み自体をきちんと教えるようになっています。
 ただ、「それを信じるか、信じないか」は、各人の自由に任されています。
 そして、「目に見えない世界や、目に見えない善悪などの存在を信じることができるかどうか」ということで、「魂的に向上しているか、堕落しているか」が、今世の修行として測られることになるのです。(中略)
 あの世には、仏や神、あるいは天使、如来・菩薩といわれるような尊い存在もいれば、普通の人間霊もいます。そして、人間霊には、善良な人と、善良ではなかった人がいます。
 さらに、悪魔といわれるような存在もいます。これは、千年以上も地獄から出てこないような人たちです。彼らも、もとは人間として生まれたことのある存在ですが、はっきり言って、生前、悪いことばかりを考え、積極的に人を害そうとしたような人たちなのです。(中略)
 この世では、フェアでないこともあります(中略)が、あの世の世界というのは、かなりフェアに判定が出るのです。
 神、仏の創った世界は、決して、人間の生き方を裏切るようなことはありません。
 この世で苦労したら、「損をした」と思うかもしれませんが、その苦労が、それなりに正しいものであれば、あの世で報われることになります。一方、この世で楽をして、「うまくいった」と思ったとしても、それが正当なものではない場合は、死後、あの世で必ず反省させられるようになるのです。
 これが真実の世界観であり、宗派を問わず、宗教を問わず、洋の東西を問わず、全世界で認められている考えなのです。(中略)
 この世とあの世の真実について、いろいろと述べてきましたが、すべての人が私と同じような経験をすることはできません。そのため、宗教には、信仰というものが必要になります。
 何度でも証明できる科学実験のようなものであれば、信仰は、そもそも必要がありません。(中略)ここに、宗教が、信仰というものを要求する理由があります。
 もちろん、死んでからは、何人も同じような経験をするのですが、生きている間は、経験できません。
 したがって、宗教指導者たちの教えることを受け入れるしかないわけです。それが、信仰の意味です。
(52~65ページ)

肉体が人間のすべてではなく、肉体のなかには「魂」がほんとうに入っている。死を境にして魂は肉体から離れて、あの世に旅立つが、その行き場所を決めるのは、この世での生き方そのものである。

宗教家や霊能者が、この世とあの世の仕組みを教えても、それを信じるか信じないかは、各人の自由に任されている。

証明可能な科学実験のようなものであれば、信仰はそもそも必要がないが、生きている間は経験できないために、宗教は信仰を要求している──。

目に見えない世界が本当にあって、死んだらその世界に還るんだなんて、いくら知識として、そんな話を知っていても、でもそれだけのことで、それで自分の生き方が変わるなんて、考えられませんよね。

その知識を、今の生き方の指針にまで高めていくことができるには、やはりそれを説いておられる方を深く信じることが必要です。

そこに「信仰」というものの姿が、現われてくるんじゃあないでしょうか。

ということで、今日は、宗教にとっては初歩的な話なんだけれども、でもとても大事な教えを、ご紹介してみました!

死んでから困らない生き方―スピリチュアル・ライフのすすめ (OR books) 『死んでから困らない生き方』

 大川隆法著

 

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なんであの人って、あんな考え方するのかね。あり得ないよね。とうてい付き合ってられないよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ストロング・マインド』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人は、みな、自分にとって都合のよい価値観のみを信奉したがる傾向を持っているので、価値観の多様性を認めるためには努力が必要です。(中略)
 人間は、必ずと言ってよいほど、ワンパターンのものの考え方をします。
 例えば、時間に厳しくて、とにかく時間が気になってしかたがない母親であれば、「子供が時間どおりに動かない」ということが絶対に許せません。それ以外の部分に、いくらよいところがあっても、時間どおりに動かない子供は許しがたく、そのことを延々と責め続けます。
 そういう母親は、自分自身が時間どおりにピシッと行動しないと気が済まないタイプであるため、子供も、そのように動かないと、絶対に許せないのです。
 子供が勉強でよい点を取ろうが、部屋の整理がきれいにできていようが、学校でほめられようが、友達が多かろうが、先生に何を言われようが、関係ありません。自分が時間を気にする人間なので、子供が時間を守らないことを絶対に許せないわけです。
 そういう人は、ご主人に対しても、同じようなことを当てはめようとします。
 そのように、一つのものの見方で、すべてを見ようとする傾向が、人間には出やすいのです。ところが、自分では意外とそれに気がついていないことが多く、それが自分の生き方だと思っているため、その生き方で、ほかの人を裁こうとします。
 しかし、人を裁くのを少し待って、「人間には違いがあり、世の中には、いろいろな人がいる」ということを考えてみてほしいのです。
 今の子供の例で言えば、「確かに、時間に関しては、いいかげんなところがあるかもしれないが、この子には非常に人付き合いのよいところがある。この人付き合いのよさが、少し時間を破ったりすることにつながっているのだな」という見方もあるでしょう。
 そのように、「多様なものの見方ができるようになり、いろいろな人間の長所を受け入れることができるようになる」ということは、実は、人間としての成長なのです。(中略)
 人と人とがぶつかり合う原因のほとんども、ここにあります。多様な価値観や多様なものの見方を、どうしても受け入れられず、「自分流の考え以外は認めたくない」という気持ちが非常に強いわけです。
 嫁と姑の関係においても、そういうことがあります。
 姑は、たいてい頭が固くなっているので、「世の中には、こういう嫁もいるのだ」ということを、なかなか認めようとはしません。(中略)
 そのように、価値観が固まってきやすいので、かなり努力をして、「自分とは違う考え方や、自分が好きではない生き方のなかにも、人間らしい生き方や、値打ちのある生き方は、あるかもしれない」と考えることが大事です。(中略)
 特に、自分自身の慰めや自慢の原因になっている長所の部分が、人を裁く材料となり、そうでない人をいじめる原因になりやすいのです。
 気をつけないと、自分が幸福になった原因が、今度は不幸をつくる原因になりかねません。
(109~114ページ)

一つのものの見方ですべてを見て、裁こうとする傾向が人間には出やすいが、自分ではそれに気がついていないことが多い。

人がぶつかり合う原因は、ほとんどここにある。

努力して、多様なものの見方ができるようになり、いろいろな人間の長所を受け入れることができるようになることは、実は、人間としての成長である──。

考えてみると、相手を許せない思いがする事件が起きたとき、時間をおいてよくよく反省してみると、じつは自分のほうの見方も狭かったことを発見することは、けっこうあるような気がします。

それは結局、自分のもっている価値観以外にもさまざまにある別の価値観を受け入れることができれば、人間関係のあつれきが確実に減ってくるのではないでしょうか。

そしてそれこそが、人間として成長して行くことでもあるのは、とても分かる気がしてきます。

それはまさに、大川隆法先生のお教えどおりであるわけです。

ということで、今日は、人生の悩み解決について、とっても重要なポイントを教えて頂いたのだと、改めて私は思っているのです。
 

ストロング・マインド 人生の壁を打ち破る法 『ストロング・マインド』

 大川隆法著

 

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「ハリー・ポッター」って、すごく面白いし、不思議だし、リアリティがあるでしょ。あれって、じつは霊界の話じゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊的世界のほんとうの話。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 霊界には、次元という上下の差だけではなく、横の世界の広がりもあります。つまり、まっとうな方向で魂を伸ばして進化してきた霊たちのいる「表側の世界」と、魔法使いや仙人・天狗のいる「裏側の世界」があるのです。
 裏側の世界の一例を挙げると、「ハリー・ポッター」の世界がそうです。その映画がシリーズで何作も上映されたので観た人もいるでしょうし、原作本を読んだ人もいるでしょう。
 魔法の世界は、ファンタジーとして読めば面白いのですが、それを映像にすると、何とも薄気味の悪い場面が数多く出てきます。
 そういう世界は、完全に地獄であるかといえば、そうでもありません。確かに、あの世の世界ではあるのですが、「薄気味の悪い感じがしたり、奇妙奇天烈、奇想天外なことがたくさん起きたりする」という意味では、私が説いている霊界のような、すっきりとした世界ではなく、どこか人間離れをした世界です。
 幸福の科学に出てくる高級霊の姿や言葉は、「この世における偉人が、そのまま、さらに成長すると、こうなるであろう」と思えるようなものですが、「ハリー・ポッター」の世界は、魔法をかけ合うような、不思議で気持ちの悪い世界です。
 日本のもので言えば、宮崎駿氏の映画は、これと同じような世界を描いているでしょう。「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」などには、魔法使いや仙人・天狗の世界がたくさん出てきます。
 日本の霊界と、イギリスのスコットランド地方の霊界は別の世界ですが、宮崎駿氏の世界と「ハリー・ポッター」の世界は、感じがとても似通っています。
 これが、「裏側」といわれる世界なのです。
 また、日本では、大本教をつくり、大正から昭和の前期にかけて活躍した、出口王仁三郎という人も、「裏側」の世界の人です。
 彼は、自分が霊界探訪をした話をまとめた、『霊界物語』という本を書いています。
 古い本なので読みにくいのですが、その『霊界物語』を読んでみると、まさに、「ハリー・ポッター」や宮崎駿氏の映画の世界のような、奇妙奇天烈な世界のことが書いてあります。狐と狸が化かし合ったり、蛇が出てきたりする世界、いろいろなものに変化し、次々と変わっていく世界の話が、たくさん書かれています。
 当会でも、霊言集の一つとして、出口王仁三郎の霊言(『大川隆法霊言全集』第46巻および第49巻〔宗教法人幸福の科学刊〕)を出していますが、そこには、やはり、そういう「裏側」の世界について書いてあります。魔法をかけ合うような法力戦をして、相手の姿を変えたりするような世界の話です。
 そういう、一種の魔法を中心に動いている世界があるわけです。
(52~55ページ)

霊界には、次元という上下だけではなく、「表側の世界」と「裏側の世界」という横の広がりもある。

魔法使いや仙人・天狗のいる裏側の世界の一例が、「ハリー・ポッター」の世界。

霊界には、そういう一種の魔法を中心に動いている世界がある──。

「ハリー・ポッター」の映像世界は、作り話にしては、ものすごくリアリティがありすぎる気がします。

それは結局、まさにそういう世界があの世にあって、「ハリー・ポッター」の著者は、その世界を描写してるからなんじゃないでしょうか。

天上界の「裏側の世界」については、過去に何度かご紹介してきましたが、今日は、別の角度から説かれた教えをご紹介してみました!
 

霊的世界のほんとうの話。―スピリチュアル幸福生活 (OR books) 『霊的世界のほんとうの話。』

 大川隆法著

 

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