ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



女性特有の病気だけど、乳ガンとか子宮の病気って、なにか特別な原因があるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『超・絶対健康法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 特に、乳ガンや子宮ガン、子宮筋腫など、女性特有の器官に発生する病気は、たいていの場合、夫婦の葛藤が原因です。
 「夫が浮気をして、家に帰ってこない」「夫が外に女性をつくった」というような場合に、夫を叩き伏せて改心させるだけの力のある奥さんであれば、それで問題が片付いてガンにならずに済みますが、そこまで強くない人の場合には、じくじくと悔しい思いを心にためていきます。
 そうすると、たいてい乳ガンや子宮系統の病気などが出てくるのです。
 相手を攻撃して折伏することができない人は、反対に自分のほうを責めます。自分の女性としての値打ちや本質の部分を責めるため、女性特有の器官に病気が出てくるわけです。(中略)
 この場合、自分を責めているのと同時に、実は、病気をすることによって、夫を改心させよう、反省させようとしているのです。「乳ガンになった」「子宮ガンになった」ということで、夫を責めているわけです。(中略)
 表面意識では、そのようなことを思っていなくても、潜在意識では、そう思っていて、それが病気の原因になることはよくあります。(中略)
 病気を治したければ、やはり、ご主人と和解し、調和する方向に努力したほうがよいのです。
 相手を責めすぎているのであれば、考え方を改めて、逆に、自分の足りないところを反省したり、相手の良いところを見てあげたり、ほめてあげたりすると、相手の態度が優しくなってきます。
 ご主人は、責められているから逃げているのであり、責めるのをやめると、反省を始めて家に戻ってきます。
 奥さんは、ご主人が家へ帰ってこないと、「夫は浮気をしているのではないか」などといろいろ考えますが、その責める想念には、けっこう、きついものがあるのです。そのため、ご主人は、それから逃げようとして、本当はそれほど行きたくもない飲み屋へ行ったりしているわけです。(中略)
 奥さんとしては、つらいことかもしれませんが、夫と調和し、和解をして、自分のことについてもよく振り返ることが大切です。そして、「新婚のときの気持ちに戻って、もう一度、やり直そう」と思い始めると、相手がスーッと変わってくるので、試してみてください。病気をして死ぬよりは、ずっとましです。(中略)
 子宮の病気の場合には、夫以外に、子供に関する悩みが原因となることもあります。
 女性にとって、子宮は自分の子供を宿したところなので、「子供の出来が悪いということは、自分の女性としての“性能”が悪かったからだ」と考えて、自分を責め始めることが多いのです。そうすると、子宮系統の病気などが出てきます。
 そのように、「人間には病気をつくる力がある」ということを知ってください。「自分で病気をつくっているのではないか」と思ったときには、「考え方を変えることによって、人生のあり方を変えよう」と思い、その方向に努力していくことが大切です。
(124~129ページ)

女性特有の器官に発生する病気は、たいていの場合、夫婦の葛藤が原因である。

この場合、自分の女性としての値打ちや本質の部分を責めるのと同時に、病気をすることによって、夫を改心させよう、反省させようとしている。

病気を治したければ、夫と和解し、調和する方向に努力し、自分のことについてもよく振り返ること。

人間には病気をつくる力があるので、考え方を変えることによって、人生のあり方を変えようと、努力していくことが大切である──。

思い当たる節がある方、この大川隆法先生の教え(仏法真理)に耳を傾けて、人生を好転させてみませんか?

超・絶対健康法 (OR books) 『超・絶対健康法』

 大川隆法著

 

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前回の記事で、守護霊って自分にもついてくれてるのは分かったんだけど、じゃ、どうすれば、守護霊に正しく導いてもらえるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊的世界のほんとうの話。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 地上の人間は傲慢になりやすく、「私に守護霊がいるのならば、私が危機にあるときには、すぐ助けに来てくれるはずだ」「指導霊は愛と慈悲のかたまりなのだから、悪霊を追い払いに来てくれるはずだ」などと考えがちです。
 しかし、過去、三十年近くの間、私がいろいろと体験したところによると、守護霊や指導霊は、普段はあの世で仕事をしていて、この世には要所要所を締めに来ているのです。
 彼らにはあの世での生活があることを、みなさんは知っていなければいけません。
 例えば、みなさんが日々の仕事で計算機のキーを押しているときに、守護霊がみなさんと一緒に押しているということはありません。また、指導霊が一日中みなさんを見ているわけでもありません。
 守護・指導霊は、公園で子供が走っているのを見ている親のように、みなさんを大まかな範囲で見てはいますが、細かなことについて、「右だ」「左だ」というように、いちいち指示を出しているわけではなく、ある程度、地上の人間の裁量に任せているのです。(中略)
 したがって、みなさんが「今の自分には守護霊や指導霊による護りが必要だ」と思う場合には、その内容を明確にお願いすればよいと思います。
 例えば、公園の砂場で遊んでいる子供が、「パパ」「ママ」と呼べば、親はすぐに寄ってきます。それと同じで、守護霊や指導霊は、自分が必要とされていると思えばサッと寄ってくるのです。
 「今、悪霊から護ってほしいのです」
 「反省をするにあたって、霊域の浄化をしたいのです」
 「私はこれから祈願をしますが、間違った祈願になったり、悪霊が入って欲望をそそったりすることがないようにしたいのです」
 こうした場合には、守護・指導霊に、きちんとお願いしてください。幸福の科学の会員であれば、「守護・指導霊への祈り」を使うとよいでしょう。
 心で念じたことは、あの世の世界にほとんど一瞬で通じます。この祈りは、ほんの三十秒か一分ほどで終わる祈りですが、祈っていると、自分の守護霊や指導霊が近くに来てくれます。
 反省や祈りをするときの作法として、まず、「守護・指導霊への祈り」を読誦するとよいでしょう。
 この祈りは毎日読誦してもかまいません。そうすれば、守護霊や指導霊との一体感がさらに強化されていきます。
 ただし、守護霊や指導霊に祈るときには、少なくとも、「威儀を正して自分を見つめよう」という気持ちがなければいけません。
(116~119ページ)

守護霊にもあの世での生活があり、ふだんはある程度、地上の人間の裁量に任せている。

だから、守護・指導霊による護りが必要な場合には、その内容を明確にお願いすればよい。幸福の科学の会員であれば、「守護・指導霊への祈り」を使うとよい。

ただし、守護・指導霊に祈るときには、少なくとも、威儀を正して自分を見つめようという気持ちがなければいけない──。

あの世の実態を知り尽くした大川隆法先生のお教えは、いつもながら、とてもクリアです。

幸福の科学の会員でない方も、ここに教えられているように、内容を明確にしてお願いすればよいわけですが、ただ、自分なりのやり方できちんとお願いするのは、けっこう簡単なことではありません。

そこで、幸福の科学の会員でありさえすれば、入会のときにいただいている、入会版『正心法語』に収められている「守護・指導霊への祈り」を日常的に使うことができるわけで、これは、入会者のものすごいアドバンテージなんだって、改めて気がつきますよね!

霊的世界のほんとうの話。―スピリチュアル幸福生活 (OR books) 『霊的世界のほんとうの話。』

 大川隆法著

 

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真如苑の開祖は、伊藤真乗って方なんだよね。あんな大きい教団を創った人なんだから、天上界のどういうところに還ったのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教イノベーションの時代』(幸福の科学出版)で、真如苑の開祖・伊藤真乗の言葉(「霊言」)を、質問者Dとの対談の形で、次のように伝えておられます。

B── 今、どのような世界にいらっしゃいますか。
伊藤真乗 ああっ?
B── どのような所にいらっしゃいますか。
伊藤真乗 ウゥーン、君の声が遠くて聴こえないんだ。何を訊いているのかなあ。
B── 今、どんな所にいらっしゃいますか。周りは、どのような様子ですか。亡くなられたあと、どのような状況ですか。
伊藤真乗 ああ? ハァ、ハァ、それが分かったら、苦労しないよ。アアッ。ここがどこなのか分からないんだ。教えてくれ。アアッ。
B── あなたは、「一九八九年にお亡くなりになった」と聞いておりますが。
伊藤真乗 ああ、そうか。死んだか。やっぱり、死んでいるんだ。
 ハァ、ハァ、そうだとは思った。死んでいるとは思った。死んでいるとは思ったが、ここがいったいどういう所なのかは、よく分からない。霊界は難しい。分からん所だ。
B── 今、二〇一〇年でございます。
伊藤真乗 はあ?
B── あなたが亡くなられてから、もう二十一年が経過しております。
伊藤真乗 二十一年? うーん……。それは、ちょっと分からんなあ。八九年に死んだって?
B── はい。
伊藤真乗 そうか。そんなになるか。八九年に死んだか。うーん、そうか。それで、今は……。
B── 二〇一〇年です。
伊藤真乗 はあ。二十年ぐらいたったのか。
B── はい。二十年たちました。
伊藤真乗 アアッ、二十年か。ああ、苦しかったなあ。ああ、何をしてたのか、分からないが……。アアッ、アアッ、アアッ。
B── あなたの周りに、どなたかいらっしゃいますか。
伊藤真乗 ああ?
B── どなたか周りにいらっしゃいますでしょうか。
(約五秒間の沈黙)
伊藤真乗 言ってることの意味が分からないんだが。何を言っているんだ?
B── 亡くなられたあと、どなたかとお話しされたことは……。
伊藤真乗 自分が亡くなったことを、今、確認したんだ。
B── 今、確認されたのですか。
伊藤真乗 今、「死んだらしい」ということを確認した。「そうかな」という感じは、ちょっと、あったんだが、これが本当に死んでるのか、昏睡状態なのか、病気なのか、ちょっとよく分からなかったんだ。わしは亡くなったんだな。
B── 体がずっと動かない状態でしたか。
伊藤真乗 だから、うーん……、状況が飲み込めない状態が続いていたんだ。
 ま、話ができてよかったよ。君、初めて会う人間かなあ。
B── はい。
伊藤真乗 ああ、しばらく人間に会ってないんだ。死んでいたとしたら、二十年ぶりに人間に会ったんだ。
B── そうですか。
伊藤真乗 自分が死んでいると、はっきり分からなかった。「もしかしたら」とは思ったけども、「まだ死ぬ前なのかなあ」という感じもあったのでね。
 うーん、やっぱり、死んでたか。うん、そうか(舌打ち)。ま、年は取ってたから、死んでもおかしくはないんだがなあ。ああ。死んでたか。そうか、やっぱり、死んでたか。うーん、そうか。宗教家でも死ぬんだ。
(94~99ページ)

・・・多くの説明はいらないと思います。

高名な宗教家だったり、大きな教団を創始した方であったとしても、必ずしも天上界に還っているわけではないという事実は、恐ろしいことです。

でも、そのどこが違っていたのかというのは、このような霊言集として、克明にその言葉が刊行されることで、私たちにも学ぶことができます。

そのどこが違っていたのかに興味がある方は、ぜひ本書を直接、手にとられますように!

 

宗教イノベーションの時代 (目からウロコの宗教選び 2) 『宗教イノベーションの時代』

 大川隆法著


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いま、フリーターって、普通でしょ。自由でいいしさ、何かいけないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「人間は、なぜ努力をしなければいけないのか」ということについては、「よく分からない」という人も現代には多いようです。
 それが一種のトレンド(風潮)、ファッションのようになっていて、最近では、「フリーター」と言われる、「自由に、ぶらぶらしていながら、ときどき仕事をする」という人が増えています。
 そういう人たちは、「この世を自由に楽しく過ごしていけたらよい」と考えていて、「遠い将来、つまり、五年後、十年後、あるいは何十年かのちのために、いま努力をする」という考え方を、明治や大正、あるいは昭和初期の人の考えのように、非常に古くさく感じるのかもしれません。
 いまは、世の中の動きがとても速くなっていて、パラパラとした感じの時代になってきています。(中略)そういう流れのなかで、「現在ただいま」に意味を求める人は、とても多くなってきているのですが、逆に、「長い時間の幅で自分や人生の意味について考える」という傾向は薄れてきています。(中略)
 いま、この世は、時間のサイクルが短くなり、人々が忙しくなって、秒単位で動いている反面、「道徳的な面がかなり後退してきた」と言われています。昔から言われてきた古い価値を捨てて、自由気ままに生きる人がたくさん出てきた結果、道徳的なレベルが下がり、犯罪も増えてきました。
 しかし、現代人は、この流れを止めることができずにいます。それは、「警察に捕まって刑務所に入れられるぞ」という脅し以外に、人を律するものが何もないからです。それ以外には、自分に当てはめるルールがないため、「人に見つからなければよいだろう。人に分からなければよいだろう」という考えが横行するようになったのです。
 昔は、なぜ、そういう悪いことがしにくかったかというと、「天国・地獄があり、来世で、必ず、この世での生き方についての判定が出て、その清算をしなければいけなくなる。よいことをした人にはよい結果が、悪いことをした人には悪い結果が、必ず来る」ということを、人々が宗教的にずうっと教え込まれていたからです。(中略)
 また、宗教の信条を信じていて、「善因善果、悪因悪果」、つまり、「よいことをしたら、必ず、よい結果が来る。悪いことをしたら、必ず、悪い結果が来る」ということを信じられる人は、やはり、自分を正しい道に入れようとするでしょう。(中略)
 世の中の様相は、さまざまに変わっていきますが、変わらないものがあります。それは価値を中心としたものです。つまり、「何に値打ちがあって、何に値打ちがないか。何が正しくて、何が間違っているか」ということに関しては、法則として、一本、ずうっと流れているものがあるのです。
 この法則は、この世の人がそのルールを知ろうが知るまいが、必ず、その人の魂に降りかかってきます。この基本的な法則は、千年前も二千年前も、さらにもっと前においても、変わらないのです。
(167~177ページ)

世の中の様相は、さまざまに変わっていっても、「何が正しくて、何が間違っているか」ということに関しては、法則がある。

この基本的な法則は、千年前も二千年前も、さらにもっと前においても、そのルールを知ろうが知るまいが、必ず降りかかってくる。

「善因善果、悪因悪果」。つまり、よいことをした人にはよい結果が、悪いことをした人には悪い結果が、必ず来るのである──。

これは、「縁起の理法」という言葉でも教えられている、宇宙をつらぬくルールなのだと思います。

そして、このルールは、この世で完結しなかったとしても、あの世まで視野に入れると、必ず完結するのだとも教えていただいています。

だからこそ、人間は努力しなければならないわけです。

そして、自由にぶらぶらしながら、ときどき仕事をするというような生活をしていたのでは、その結果は、将来、必ず、自分に降りかかってくる。

そんなわけで、仏法真理に照らしたとき、フリーターになってしまうのは、自分にとってよくないということが、しっかりと納得できた気が私はしているのです。

青春の原点―されど、自助努力に生きよ (OR books) 『青春の原点』

 大川隆法著


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結局、何度も聞かれるんだよね。霊言とかいう不思議な本をたくさん出したり、選挙にいっぱい出たりして、幸福の科学ってさ、何をやってるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国家の気概』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ここで、私は、もう一度、確認しておきたいのです。
 私も含め、幸福の科学の会員一人びとりは、自分一人の欲得のために、「自分一人のみがよかれ」という思いのために、活動しているのではありません。
 「己というものを空しゅうして、多くの人々を救い、世界の人々を助ける」という、愛の行為、慈悲の実践行為こそ、宗教家の本務なのです。
 たとえ、どのように批判・非難を受けようとも、たとえ、この世において認められることはなくとも、たとえ、この世において、厳しく苦しい、茨の道を歩むとも、正しい道をまっしぐらに歩むことこそ、宗教者の使命です。
 私が人々に説きたいことは愛と平和の道です。
 そして、寛容の心を持つことと、「自らの間違いは反省によって正すことができるのだ」ということを教えたいのです。
 さらに、幸福の科学は「正しき心の探究」を基本教義としていますが、「正しき心の探究とは、最終的には、正しい信仰観の確立である」ということを、どうか知っていただきたいと思うのです。
 幸福の科学は、幸福の科学のためだけに活動しているのではない“珍しい宗教団体”です。当会にとってプラスにならないことでも、自分たちにとって不利なことでも、「正しい」と思うことは、あえて言います。
 たとえ、火の粉が降りかかっても、「言わねばならない」と思うことは言い、かつ、実践してきました。これからも、そうしていくつもりです。
 いつも考えていることは、「正しさとは何か」ということです。
 それのみを考え続けています。

 私が述べたいことは、
 「宗教の原点に帰って、われらのなすべきことをなす。
 伝道によって人々の心を救う。
 『世界の人々を救おう』という思いを結集して、
 その思いを、この地上において実現していく。
 これこそが、夢の未来を開き、
 地球を光り輝かせることになる」ということです。
 真理の戦いは、まだ始まったところです。
 われわれは、闇夜に沈む世の中に明かりをともしたいのです。
 真理の松明をともして、真っ暗の海を照らしたいのです。
 世界の闇を追放したいのです。(中略)

 私は、一言でも多く、人々のためになる言葉を伝えたいのです。
 あなたがたも、一言でもよいので、他の人々に真理を伝えていただきたいと思います。「夢の未来」は、その小さな一歩から必ず開けます。
(203~209ページ)

己を空しゅうして、多くの人々を救い、世界の人々を助けたい。

説きたいのは、愛と平和の道。寛容の心を持つこと、自らの間違いは反省によって正すことができるということ。

闇夜に沈む世の中に明かりをともしたい。真理の松明をともして、真っ暗の海を照らしたい。

一言でも多く、人々のためになる言葉を伝えたい──。

この「夢の未来」を切り開く大川隆法先生の救世運動を、少しでもお手伝いするために、このブログも、小さな一歩を積み重ねている。

そんな純粋な思いを、一人でも多くの方に知っていただけたらと私は願っているのです。

国家の気概 -日本の繁栄を守るために (OR books) 『国家の気概』

 大川隆法著


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あきっぽいんだよね。ちょっと宿題がむずかしいと、もうやりたくなくなるんだ。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、子供向け書籍『子どもにとって大切なこと』(幸福の科学出版)で、子供たちに対して、こう教えておられます。

 あきっぽい性格の子っているよね。(中略)こういう子は、(中略)まずは、物事をやりとげる根気をやしなおう。十分ぐらいで投げ出したくなるところを、「まだまだ。」「これしき。」「なんのその。」と思い、フーッと深呼吸して、もうひとねばり、ふたねばりする努力が必要なんだ。(中略)
 マラソンでも、息が上がって、足がつかれ、「もうだめだ。たおれてしまう。」と思うときがある。そんなときに、「あの電柱の所までがんばろう。」「向こうの橋まで、ねばりぬこう。」と思って、たえながら走っているうちに、不思議と足が軽くなり、目標地点まで走ると、また新しい力がわいてきて、結局、最終ゴールまで完走することができたりするものだ。
 勉強もこれといっしょだね。
 算数の問題がむずかしくて、「もうできないや。」と投げ出したくなるときもあるよね。でも、こういう投げ出しぐせがつくと、今まで出あったことのない問題に出くわしたときに、すぐにげるような、ひきょうな人間になってしまうんだ。
 大人になっても、そんな人は多い。子ども時代から、「すぐにげ出す性格」になっているのに気づかないまま、成人してしまったんだね。(中略)
 でも、考えてもごらん。マラソンで君が苦しいときには、ほかの子も苦しいんだ。君が算数の問題でなやんだり、社会の暗記ができなかったり、国語の漢字が覚えられなかったりして苦しいときには、ほかの子も苦しいんだよ。
 その苦しさに負けてしまって、いつも投げ出す人は、「負け犬」になってしまうんだ。犬は、けんかに負けると、しっぽをまいて、またの間にはさんでにげていく。みんなは、「キャイン、キャイン。」と鳴きながら、目をふせてにげていく犬のようにはなりたくないものだね。
 だから、君も苦しさからにげるな。悲鳴を上げず、泣き言を言わず、なっとうのようにねばりぬけ。
 宿題の多さがなんだ。大声でわめかずに、まず、一枚一枚を仕上げていくことだよ。
 東北地方では、冬の間、屋根に雪がいっぱい積もる。雪下ろしをしないと、家がミシミシと音を立てて、つぶれてしまうことだってあるんだ。
 そのときに、一メートルも積もった屋根の雪を、クレーン車なんかで取りのぞくと思うかな。
 そうじゃないよ。人間には一トンの雪を動かす力はないけれど、シャベルで少しずつ雪を下ろしていけば、何トンの雪だって取りのぞくことはできるんだ。
 どんなむずかしい問題に出あっても、ひるまないで、細かく分けていけば、かんたんになる。コツコツと努力を続けていくことが大事なんだ。
 「継続は力なり。」という言葉を聞いたことがあるだろう。これは、「ずっと続けていくことによって自分の実力がついていく。」ということなんだ。このように、ねばり強く続けることが、成功への道を開くんだね。
(216~221ページ)

投げ出しぐせがつくと、今まで出あったことのない問題に出くわしたときに、すぐ逃げるような、ひきょうな人間になってしまう。

どんなむずかしい問題に出あっても、ひるまないで、細かく分けていけば、簡単になる。

コツコツと努力を、粘り強く続けることが、成功への道を開くのである──。

やさしい言葉で説かれています。

でも、大人にとっても普遍的な、大事な大事な教えを教えて下さっているのだと思います。

つまりは、努力を続けることこそが、子どもにとっても大人にとっても、成功のための王道であるのだと、改めて今日は納得することができた気が私はしているのです。

子どもにとって大切なこと―強くたくましく生きるために 『子どもにとって大切なこと』

 大川隆法著


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前回は、マゼラン星雲からの大量移住が地球に受け入れられて、天上界には、八~六次元世界に、表側と裏側ができはじめたってところまで聞いたんだけど、その先は? なーんて疑問もってる人、いませんか? かなり時間があきましたが、今日は、その続きになります。

幸福の科学の大川隆法先生は、『太陽の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 この裏側の世界の指導者の一人がエンリル(九次元裏側担当)といわれる存在で、後に、彼の直属の部下の一人ルシフェルが、いまから一億二千万年ほど前に、地上にサタンという名で生まれたときに、地位欲、名誉欲、物質欲、肉欲におぼれて、堕落。再び高級霊界に還ってくることができず、低位霊界に地獄界をつくって反乱を起こしたのです。その後彼はルシファーという名で、地獄の帝王となりました。
 さて、先のマゼラン星雲からの移住民たちが、自我が強く、やや調和を欠いているため、エル・カンターレは、新しい人類の導入を決定しました。こうして、二億七千万年前、オリオン星座から、大挙十億人の大船団が地球に飛来してきました。これが第二回目の宇宙からの移住です。当時、エル・カンターレ系の金星人霊団で、地球で転生の経験を積んでいた者は、すでに百億人を超えていたので、大規模な移民の受け入れが可能だったのです。
 このときに、九次元大霊として三体がやって来ました。すなわち、アケメーネ、オルゴン、そしてカイトロンです。アケメーネは、インドでは人類の始祖としての伝説とともに伝えられているマヌと呼ばれている高級霊です。オルゴンは、マイトレーヤー如来と呼ばれている方で、ラムディア大陸の時代、アトランティス大陸の時代にずいぶん活躍したのですが、ここ一万年ほどは、あまり地上に出ておりません。カイトロンは、神智学におけるクート・フーミーという方です。主として科学技術を担当。ギリシャに生まれ、アルキメデスと称されました。近代に再び生まれたのですが、そのときは、ニュートンという名で呼ばれていた方です。
 これを機会として、大霊団を収容するために、地球五次元善人界が整備拡充されました。そして約一億五千万年前、エル・カンターレの本体が地上に下生し、巨大な光文明を建設しました。地球的仏法真理が確立され、他惑星人の指導教育が一層進みました。エル・カンターレヘの帰依者も続出し、地球人としての共通意識ができてきました。
 さらに、一億三千万年前には、エル・カンターレ系霊団が、高級霊界での分光現象を繰り返し、個性霊として四百億人を超える魂群を確保したことを記念し、ペガサスという星座から、第三陣として、約二十億人を飛来させました。このときに九番目のセオリヤと十番目のサマトリヤがやってきました。セオリヤとは、いまから三千数百年前にギリシャに生まれたゼウスという方です。サマトリヤは、イラン地方に生まれて、ゾロアスター、あるいはマニと呼ばれた方です。あのゾロアスター教やマニ教をつくった方です。
 こうして九次元に十人がつどい、地球霊団の指導体制がかたまってゆきました。
 そしてこのころに、新しい地球人のための四次元幽界が、その位置づけを明確化されつつあったのです。
(59~62ページ)

ここで、「マゼラン星雲からの移住民たち」と言われているのは、エンリルやルシフェルを筆頭とする人々です。

その後の宇宙人リーディングで、これは「レプタリアン」と呼ばれる宇宙人たちであることが明らかにされています。

大川隆法先生の説かれる法は、毎年毎年、巨大になっていて、どこまで大きくなっていくのか分からなくなってきている気がします。

でも、そういうときこそ、基本書中の基本書『太陽の法』に戻って、勉強し直したいところですよね。

というわけで、その続きは、また次の機会に!

太陽の法―エル・カンターレへの道 (OR books) 『太陽の法』

 大川隆法著


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仕事と家庭と、最後はどっちを選ぶのかって聞かれたら、究極の選択だよね。どう考えればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「仕事が好きでたまらない」というタイプと、「仕事が嫌いでたまらない」というタイプの、どちらがいいとは、完全には言い切れないのです。
 仕事が好きでたまらない人は、仕事上、成功する可能性も高いでしょうが、一般的には、家庭面で、どうしても無理が出てきて、奥さんや子供のほうが犠牲になるケースが多いだろうと思います。
 仕事が嫌いな人は、うまくいけば、欲求不満がほどよいところで止まって、マイホームパパになるかもしれないけれども、欲求不満がたまって家族に当たるようだったら“駄目亭主”になり、家庭崩壊になるかもしれません。可能性としては両方ありますね。
 私としては、一般的には、中間的な幸福というか、ほどほどの幸福を目指すぐらいのところでよいのかなと思います。才能があったり、人に推されたりして、出世していくのはよいのですが、極端なまでの無理はしなくてもよいと思うのです。(中略)
 ただ、今述べたことは一般の人に対する意見です。
 経営者で、少なくとも数十人、百人、二百人、あるいは、それ以上の社員を持っているような場合、「仕事と家庭のどちらを選ぶんだ。マルかバツか二者択一で答えろ」と質問され、「家庭を選ぶ」と言う経営者は、たいてい駄目なんですよ。
 それは、責任を負っている範囲が広いからです。経営者には、「数十人から数百人、あるいは数千人の人の人生と、その人たちの家庭の将来に対して、責任を負っている」という公的な重さがあるんです。
 会社の規模が大きくなると、経営者の仕事は公的な仕事に近づいていきます。「私人」ではなく「公人」になってきて、公的な領域がだんだん増えてくるのです。それを自覚できないといけません。
 「会社が大きくなるにつれて公的な面が増えてくる」ということを自覚できないと、悲劇が起きます。(中略)もし、「いつも家庭の幸福のほうを優先し、仕事は後回し」ということになるようだったら、経営者としては、周りから不信感を持たれ、会社の未来を見限って辞めていく人が増えてくるだろうと思います。「その職業に賭けるか、辞めるか」という選択肢が迫ってくるだろうと思いますね。(中略)
 経営者は、まず、従業員の幸福を考えなければいけないし、その最大の前提としては、「会社を絶対に倒産させてはいけない」ということがあるんですね。
 潰れた会社ほど惨めなものはありません。従業員はみな路頭に迷うことになり、彼らの未来の夢が全部ひどい目に遭うのです。やはり、そうするわけにはいかないので、会社を潰すことは悪なんですね。
 あと、「経営者の甘い放漫経営によって会社が潰れる」などということも、やはり悪だと思うんです。「大勢の人が苦しむ」ということは、やはり悪なのです。
 経営者になると、それだけの重い負担を、どうしても背負わなければいけなくなるでしょうね。
 だから、自分をつくり変えていく努力をしなければいけないんですね。「公的な領域が増えていくことに耐えられる人間にならなければいけない」と思います。
(161~166ページ)

一般的には、ほどほどの幸福を目指すぐらいのところがよい。

しかし、経営者で、たくさんの社員とその家族に責任を持っているような場合は、「私人」ではなく「公人」になってくるので、公的な領域が増えてきて、家族を優先させることがむずかしくなってくる。

経営者は、公的な領域が増えていくことに耐えられる人間になるよう、自分をつくり変えていく努力をしなければいけない──。

経営者というのは、とてもやり甲斐のある仕事なんだと思います。

でも、給料をもらって生活しているサラリーマンの方と、給料を払う立場の経営者とでは、仕事と家庭の比重が違ってくる。

そして、会社が大きくなればなるほど、経営者の私的な領域は、確実に減ってくることを、今日は改めて教えて下さったのだと、私は思っているのです。

知的青春のすすめ (OR BOOKS) 『知的青春のすすめ』

 大川隆法著


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戦前じゃないんだから、今どき、奉仕の心なんて言われても、ね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この世の社会は、一人だけの幸福など成立しないようになっています。個人の幸福は社会全体の幸福と密接につながっています。
 社会全体が不幸のどん底にあれば、個人も幸福にはなれません。たとえば、大戦争が起きて、国民全体が死の危機に直面しているような環境下では、自分だけが幸福になろうとしても無理でしょう。
 反対に、自分はそれほど努力していなくても、社会全体が好景気で繁栄しているときには、自分もそのおこぼれにあずかることができます。(中略)
 ところが、個人としての利己心だけで生きていると、利己心と利己心がぶつかり合い、争いや過当競争を生み、挫折や失敗を招いて、苦しみの世界をつくってしまいます。そして、そこに悪が発生してきます。その原因は、自分のことしか考えていないという単純なことにあります。
 「自分の幸福と社会の幸福は一体である。自分が幸福になることは、社会の幸福とつながっており、社会が幸福になることは、自分が幸福になることと同じなのだ」という考え方を持っている人は、悪を犯すことなどできません。
 これに対して、「自分の幸福は他人の不幸であり、自分の不幸は他人の幸福である。パイの取り合いのように、だれかが幸福になれば、だれかが損をする。自分が幸福になるためには、他の人が不幸にならなければならない」と考える人は、地獄のなかを歩いていると言わざるをえないのです。(中略)
 それでは、どのような生き方をすれば、自分の幸福と他の人の幸福とが一体化するのでしょうか。
 自分の幸福と他の人の幸福を貫くものは「奉仕の心」です。「世のため、人のために役立ちたい」と常に願って生きることは、自分の繁栄のためでもあり、同時に社会の繁栄のためでもあるのです。
 「自分は幸福であるが、国家や社会は不幸である」ということはありえません。国家や社会の不幸を願いながら、「自分だけは幸福でありたい」と思っても、両立しないのです。(中略)
 奉仕の心とは、別の言葉でいえば「愛」です。愛を仕事のかたちで表わせば、奉仕の心になるのです。(中略)
 奉仕の心を持つ人、「世の中のために少しでもお役に立ちたい」と願う人が、この地上に増えていけば、おのずと地上天国が出現します。それが、とりもなおさず繁栄の姿でもあるのです。(中略)
 たとえ個人の仕事であっても、「公の心」を持たなくてはなりません。「自分の仕事は社会全体と密接につながっている。自分がよい仕事をすることが世の中をよくしていくことになるのだ」ということを、いつも考える必要があります。
 自分も幸福になり、自分のまわりも幸福になること、「他の人が幸福になることは、自分の幸福でもある」と思うこと、これが最大の幸福なのです。
(163~168ページ)

利己心だけで生きていると、利己心と利己心がぶつかり合い、争いや過当競争を生み、挫折や失敗を招いて、苦しみの世界をつくってしまう。

しかし、自分の幸福と社会の幸福は一体であるという考え方を持っている人は、悪を犯すことなどできない。

自分の幸福と他の人の幸福を貫くものは「奉仕の心」、別の言葉でいえば「愛」である──。

奉仕というと抵抗がある方も、英語でボランティアとかサービスといえば、少し抵抗が少なくなるのかもしれません。

そして、それは要するに、「愛」なんだって。

つまり、「愛」こそが、自分も幸福になり、自分のまわりも幸福になり、地上天国がこの世に実現するためのキーワードであるのだと私は理解しているのです。

繁栄の法―未来をつくる新パラダイム (OR books) 『繁栄の法』

 大川隆法著


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前回に引き続いて、今日は、不況期の経営者の戦い方についての教え、第二弾です。

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 不況の時代ではありますが、どうか、不況のせいで自分の会社が潰れようとしているとは思わないでください。
 今、日本に必要なのは、「強い企業家精神」です。アイデアも必要ですが、単なる発明だけでは駄目で、そのアイデアをグループで研究し、組織化し、押し広げていこうとする努力が必要です。企業家精神を発揮して、事業を大きなものにしていこうと、強く願うことです。そうであってこそ、危機を突破できるのです。
 また、「教育投資」も大事です。今こそ、投資すべき人材を選別して教育するとともに、経営者自身も自らに教育投資をすることが大切です。
 さらにマクロの面から言うならば、政府はケインズ経済学の間違いに気づくべきだと思います。
 ケインズ経済学では、「恐慌のときには、ピラミッドを造ったり、ただ穴を掘って埋めたりするだけであっても、雇用を生めば景気は良くなる」ということを説いています。先の大恐慌の際にとられたニュー・ディール政策などでは、ある程度、役に立ったかもしれませんが、これはやはり“緊急避難の経済学”です。
 モルヒネなどの麻薬を打ち続けているようなものであり、常時行ったら、当然、国力が弱っていきます。日本も、戦後ずっと、こうした経済学に基づいた政策を続けてきたのであれば、そろそろ考え方を改めるべき時です。
 「大きな公共投資をすれば好況になる」という考えは間違いです。そうではなく、「旺盛な企業家精神を持って、売り上げを伸ばし、利益を伸ばして、会社を発展させる」ということに力を注ぐ人たちを、数多くつくるべく鼓舞しなければなりません。そういう社会に変えていかなければならないのです。
 どうか、「勇気」と「チャレンジ精神」と「希望」を持って、努力していただきたいと思います。
(116~120ページ)

日本の国力は、まだまだ強く底堅い。不況のせいで自分の会社が潰れようとしているとは思わないこと。

企業家精神を発揮して、事業を大きなものにしていこうと強く願うことで、危機を突破できる。

「勇気」と「チャレンジ精神」と「希望」を持って、努力してほしい──。

大川隆法先生は、経営者に対して、少々厳しいですが、しかし、とても前向きで力強いメッセージを発してくださっています。

本書は、2009年に刊行された書籍です。

でも、11年たってはいても、まさに今、コロナ不況に直面している経営者のみなさまの心に響く、普遍的なお教えではないでしょうか。

一人でも多くのみなさまが、このお言葉に力を得て、この苦境を見事に乗り切って行かれることを、心より私は祈念しているのです。

日本の繁栄は、絶対に揺るがない―不況を乗り越えるポイント (OR books) 『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』

 大川隆法著

 

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ね、最近、名前が変わったみたいだけど、統一教会って宗教があったでしょ。その教祖って、イエスさまの生まれ変わりだって話なんだけど、ほんとなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教決断の時代-目からウロコの宗教選び①』(幸福の科学出版)で、統一教会の教祖だった文鮮明氏の守護霊の言葉(霊言)を、司会者と質問者Aとの対話の形で、このように伝えておられます。

司会 過去世では何をしていたのですか。
文鮮明守護霊 ええ? 過去世なんて、そんなもの知らないよ。
司会 過去世はありませんか。
文鮮明守護霊 昔から、クモをやってるんだよ。(中略)
司会 あなたは、いつからクモになったのですか。
文鮮明守護霊 いや、クモじゃなくてだねえ、救済の象徴として、今、そういう姿をとってるんだ。
司会 そのような象徴となったのは、いつごろですか。
文鮮明守護霊 霊体は自由だから、何でも構わないんだけども、「大勢の人を救いたい」「隅から隅まで救いたい」という気持ちが、クモの網となって表れてるだけであってね。(中略)
司会 あなたがクモになられたのは、いつごろですか。
文鮮明守護霊 君、何だか変なことを言うなあ。
A── 思い出せそうな感じがしますね。
文鮮明守護霊 わしがクモになったのはいつだったかって? 何で、君は、わしにそんなことを訊くんだ。イエスに対して失礼だろうが!
司会 しかし、「救済のかたち」としてのクモですから。
文鮮明守護霊 救済のかたち……。
A── 悪いことではないですよ。
文鮮明守護霊 そうだなあ。
A── 救済したくて、スパイダー(クモ)になったんでしょう?
文鮮明守護霊 ああ、もう、時代が古いからなあ。本当に、昔のことを思い出すのは難しいなあ。
A── そうとう昔ではないですか。
文鮮明守護霊 「わしが本当の救済に目覚めたのはいつか」ということを訊きたいわけだな。
司会・A── そうです。
文鮮明守護霊 わしが本当の救済に目覚めたのはいつごろだったかなあ? うーん、「バビロン捕囚」のころだったような気がするなあ。
司会 バビロンの捕囚のころですか。
A── ずいぶん古いですね。
文鮮明守護霊 うーん、そうだなあ。あのエレミヤを井戸に吊るして、いじめたときが面白かったなあ。
A── ああ。
文鮮明守護霊 あれは面白かった。
司会 エレミヤと関係があったのですか。
文鮮明守護霊 あいつを縛り上げて、ロープで井戸に吊るしてねえ。(中略)井戸の下に沈めて、上げたり下げたり、上げたり下げたりした。あれで、わしは初めてクモになったのかなあ。
司会 そのとき、何と言うお名前だったのですか。
文鮮明守護霊 わしの名前? 何だったんだろうねえ。だけど、アッシリアのほうの人間だったような気がするなあ。
(139~144ページ)

「バビロン捕囚」というのは、ユダヤ人のユダ王国が新バビロニアに征服されて、その都バビロンに住民の多くが連れ去られた事件で、紀元前586年の事件とのこと。

そして、エレミヤとは、ユダ王国の滅亡を予言した古代ユダヤの預言者です。

なんだかここまでのやり取りをみるだけでも、文鮮明氏がイエスさまの生まれ変わりというのは、ちょっと違うんじゃはないかと思えますが、本書では、まだまだ驚くべき話が続きます。

興味は尽きませんが、この続きは、またの機会に!

宗教決断の時代 (目からウロコの宗教選び 1) 『宗教決断の時代』

 大川隆法著

 

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待てないよね。ガンガン攻めるのが人生だよね。のんびりしてると、人生おわっちゃうよね? なーんて人生送ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生は順風のときだけではありません。「一生、順風が続く」ということはありえないと思って間違いないのです。やはり、何年かおきの周期で、さまざまなことが起きます。よいこともあれば、悪いこともあります。
 「最高のピークが来たかと思うと、そのあとで奈落の底に落ちる」というのは、よくあることです。「勝利したあとに大敗北が待っている」というのも、よくあることです。そうした上がり下がりの周期はあるものだと思わなければいけません。(中略)
 やはり、腰を据えて、時が来るのを待つことです。時を味方にしなければいけません。自分が勝てるときというのがあり、勝てるときに勝負をすると大勝するのですが、負けるときに勝負をかけたら大敗します。
 したがって、時を味方につけなければいけないのです。その意味で、「いまが勝負のときかどうか」ということを、よく見極める必要があります。自分にとって旗色が悪いときに、無理にがんばって玉砕してはいけないのです。そのときには、兵をたたんで退却し、次のときを待たなければいけません。
 兵をたたんで退却するというのは、きわめて難しいことです。特に、若い人の場合は、「撃ちてし止まん」で、玉砕する方向にどんどん行ってしまうことがあります。負ければ負けるほど、がんばってしまうようなところがあるのです。
 しかし、「時に利あらず」と思ったら、いったん兵をたたんで退却し、次の機会を待つことです。これは非常に老練な考え方ですが、人生全体で勝利するためには非常に大事なことなのです。
 現時点ではどうにもならないこと、あと何年かたたなければどうにもならないことはあるので、その時期には無理をせずに力を養うことが大切です。「その時点で勝負をしなくてよいこともあるのだ」ということを知らなければいけません。
 時を味方につけることです。「時に利あらず」と思ったら、不動心でがんばることです。また、将来を期して力を蓄えることです。蓄積に入ることです。
 時期が来ないものについては、勝負をかけても成功しないので、時期を待つことです。二年、三年と時期を待てるというだけでも大物の資格があります。(中略)これが不動心の考え方であり、やや老練ではありますが、そういうものだと思っていれば、そのように人生を生き渡っていくことは可能です。
 「この難局から抜け出るのに何年ぐらいかかるか。一年か、三年か、五年か」と、ある程度、目星を付けて、その期間を耐えなければいけません。
 その耐えているあいだはどうすればよいかというと、日めくりを破りながら、一日一日を消し込んでいくことです。一年も二年も先のことはなかなか待てないので、毎日毎日を充実させて消し込んでいくことです。とにかく、きょう一日、自分としてできるだけのことをしていくことです。心を波立たせずに、やれるだけのことをやっていくことです。
 そういうかたちで一日一日を充実させ、力を蓄えて、時が来るのを待つということが大事だと思います。
(76~80ページ)

人生は順風のときだけではない。何年かおきの周期で、よいこともあれば、悪いこともある。

だから、時を味方にしなければいけない。腰を据えて、時が来るのを待つこと。

時に利あらずと思ったら、不動心で、将来を期して一日一日を充実させ、力を蓄えることである──。

人生を周期として捉えて、長い目で人生の勝利を説かれる、大川隆法先生のこの叡知の言葉。

若い人であればあるほど、じっくりと味わい実践して、真の人生に勝利していきたいものだと私は思っているのです。
 

常勝の法―人生の勝負に勝つ成功法則 (OR books) 『常勝の法』

 大川隆法著


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いまの学校って、ほとんど宗教のことは教えないし、もちろん宗教心なんて、あり得ない話なのが普通だよね。それでいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』(幸福の科学出版)で、「シュタイナー教育」で有名なルドルフ・シュタイナーの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 まあ、「宗教心なき教育」というのは、基本的に、創造性の破壊だと私は思いますねえ。
 ですから、「現代の教育が、知識を中心に組み立てられ、行われている」ということは、それによって失っている半面が必ずあるはずですね。その失っている半面は、おそらく創造性だと思います。
 創造性のもとは、やはり、インスピレーションであり、それは霊界の存在を前提としています。ですから、霊界からのインスピレーションを、本人の職業形成に役立てる方向で受けられるような教育をしていくことが大事です。そうした、インスピレーショナブルな人が数多く出てくることによって、社会は、新しいルネッサンス期を迎えることができると私は思います。
 今の日本の教育は、全国一律ですね。それは、明治以降の、えー、四民平等ですか? 「生まれによらず、教育を一律に行って、国民のレベルを上げる」ということには成功していると思うんですけれども、神の恩寵にあずかるような教育からは遠ざかっています。むしろ、「そこまで届いていない」と言うべきかもしれませんね。
 要するに、「秀才をつくるところまでの教育しかできていない」ということです。神の恩寵にあずかるほどの天才が出てくるような教育には至っていません。
 天才の根拠は、何と言っても創造性ですよ。創造性のある人を育てられなければ、天才は生まれてこないし、そもそも、学問が創造性を破壊する方向に動いているのならば、やはり、一考を要しますね。今の受験勉強は難しくなりすぎていて、創造性が失われているところがあります。
 まあ、天才に代わるものとして、知的レベルの高い者同士が、共同作業や会社仕事によって、創造的なものを構築しようと努力している点もあるため、そうした、実務のなかで、一部、創造性の部分が補われている面はあるかとは思います。つまり、個人主義でなく、集団主義によって創造性をつくっている面もあるのです。社風などによっては、そのようなことができることもあるとは思います。
 でも、最後はですね、やはり、神秘的な思想や、神・仏なるもの、霊的なるものを恥ずかしいと思っているようであっては、真の意味での天才は生まれないでしょうね。
 また、真の意味での謙虚さも生まれないでしょう。そして、謙虚な心がなければ、人間は向上することができないと思います。この世的に、いくらいい成績を取ったところで、それは、この世の世界の範囲でのことであって、人間がつくったテストの点数にしかすぎないわけです。それで、神になれるわけではありませんね。
 “神の試験”においては、まだ零点なんですよ。まったく白紙の状態だし、それが災いすると、地獄の門を開く鍵にもなりかねないところがあるわけですね。その知恵が悪知恵になった場合は、悪魔にだってなれます。天使も悪魔も、頭の良さでは変わらないぐらいです。頭がいいのは、両方にいるわけですね。
 だから、その“高度な教育”が悪魔の大量生産にならないように気をつけなければいけないと思いますね。
(116~119ページ)

今の日本の教育は、秀才をつくるところまでしかできていない。

宗教心なき教育は、基本的に、創造性の破壊である。

神秘的な思想や、神・仏なるもの、霊的なるものを恥ずかしいと思っているようでは、真の意味での天才は生まれず、真の意味での謙虚さも生まれない──。

教育における宗教の大切さ。

天上界から伝えられる天才・シュタイナーの言葉は、説得力に満ちています。

本書が刊行されたのは、2010年のことでした。

この年に、中高一貫の幸福の科学学園が、栃木県に開校し、2013年には、同じく中高一貫の幸福の科学学園関西校が、滋賀県に開校し、2015年には、大学相当の高等宗教研究機関であるハッピーサイエンス・ユニバーシティ(HSU)が、千葉県に開学しています。

そして、これらの学校は、あっと言う間に世界を制したチアダンス部をはじめとする部活に、英語試験に、大学受験に、そして就職にと、早くもさまざまな成果をあげていると報告されています。

これから、宗教心に満ちあふれた卒業生たちが、どんな大活躍をしていくのか、本当にワクワクして私は見守っているのです。

霊性と教育 (OR books) 『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』

 大川隆法著


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社民党って、福島瑞穂党首、1人になっちゃったんですって。どうしてそんなことになったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、2013年に刊行された書籍『そして誰もいなくなった』――公開霊言 社民党 福島瑞穂党首へのレクイエム(幸福実現党刊)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 「そして誰もいなくなった」――社民党にとっては切実なテーマだろう。そして「救いに到る門」だと思って、「滅びに到る門」に殺到している人々にとっても、「生命の門」を探すのは難しかろう。
 「強い国よりやさしい社会」――標語としては、いかにも耳触りがよい。かつての鳩山由紀夫民主党政権の「コンクリートから人へ」のような手ざわり感と響きがある。
 しかし、「地獄への道は善意で舗装されている。」というイタリアのことわざもある。本書で語られた社民党党首 福島瑞穂氏の守護霊の言葉の中に、左翼リベラリズム全体へのレクイエム(鎮魂歌)の響きを感じとるのは私一人ではあるまい。
 左翼の何が間違っているのか。左翼に票を投じると、なぜ国が滅びるのか。本書を一読することで、あざやかにその答えが浮かび上がってくることだろう。

あとがき
 思想の間違いは殺人罪より重い。伝播することで多くの人々の人生を狂わせてしまうからである。
 国家権力の破壊を目指す左翼リベラリズム、あるいは社会民主主義が、その本質において、マルクス・レーニン主義的共産主義であり、国家社会主義にも似た暴力を伴う国民抑圧政策であることがよく理解されただろうか。そこには私の説く仏神の子の自由とは根本的に相容れないものがある。
 自助努力の精神が、企業家精神につながり、国家の発展繁栄につながる。単なる結果平等を目指すことは、個人の努力をないがしろにし、国家がローラーで国民の自由と繁栄をすりつぶしていくことなのだ。
 それは神の導きではなく、悪魔の誘惑なのだ。一部の知的エリートが「善意」の餌でこの悪魔の誘惑に引っかかっていく。まことに残念なことである。
(1~2、232~233ページ)

社民党が掲げる社会民主主義(左翼リベラリズム)の本質は、マルクス・レーニン主義的共産主義であり、暴力を伴う国民抑圧政策である。

単なる結果平等を目指すのは、個人の努力をないがしろにし、国家がローラーで国民の自由と繁栄をすりつぶしていくことに等しい。

左翼思想は、神の導きではなく悪魔の誘惑なのであって、左翼に票を投じると国が滅びてしまう――。

社会民主主義者の本音の部分が、誤魔化しなしにはっきりとあからさまに、しかもとても具体的に述べられた本書は、「社会民主主義」という思想の本質を端的に知りたい人にとって、必読・必携の文献ではないかと思います。

本書の刊行から7年たって、いよいよ大川隆法先生の予言は成就しようとしていることを、一人でも多くのみなさんに知っていただけたらと私は思っているのです。
 

そして誰もいなくなった (OR books)

『そして誰もいなくなった』

 大川隆法著


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借金ばっかりで、ほんっとに貧乏なんだよね。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 借金、貧乏といえば、ひと昔前のことのように思う人がいるかもしれませんが、現在でも、残念ながら、借金に泣き、貧乏に苦しんでいる人は多いものです。
 その多くは、だいたい、次の二つの理由によります。
 第一の理由は、お金の使い方を知らないということです。これは、お金が少しでも入ると、すぐ有頂天になり、いろいろなことにつぎ込むタイプです。
 昔からの例としては、競輪、競馬、マージャンといったものにお金をつぎ込む人がいます。それ以外にも、株などの投機的なことをやって、お金を失ってしまう人がいます。こうしたタイプが典型的なものです。このように、お金の使い方を知らないために、借金、貧乏が続いている人がいます。
 第二の理由は、どう見ても収入的によくない仕事をしているということです。これは、生来の貧乏性で、いつまでたっても、うだつの上がらない仕事をしているタイプです。
 なぜそうした仕事に甘んじているかといえば、結局、本人が自己限定をしているからです。「自分という人間は、こんなものさ。自分はどうせ、一生、その日暮らしの男さ」というように自己限定をしていて、向上心がなく、工夫や新発見をしようとする気持ちのない人が大勢いるのです。
 十年一日のごとく働いても、「貧乏暇なし」で、お金は貯まらず、ぜいたくがまったくできないのです。貧乏が板についてしまい、「現在以上の収入があるのが怖い」という、まさしく「幸福になれない」症候群の代表的な例でもあります。お金持ちになるのが怖いのです。そうした習性が身についていると言ってもよいでしょう。
 これをさらに深く見てみると、金銭に対する罪悪感を持っている人も数多くいます。こうした人たちのなかには、信仰心、宗教心の強い人が多いのです。仏教やキリスト教など、宗教的なものをいろいろと勉強したことがあって、「金銭は罪悪だ。欲望は罪だ」という考え方が頭のなかに根強くあるわけです。
 そのため、本人がそれと気づかないままに、お金が入ってくるとすぐ使ってしまったり、なるべくお金の入ってきにくい仕事を選んだり、お金があまり入らないよう、ほどほどに仕事をしたり、出世しそうになると、わざと挫折をしてみたりします。
 そうしたことをくり返す、受難癖のある人、つまり、「自分を殉教させてみたい。自分を十字架にかけてみたい」というような潜在願望を持っている人がけっこういるのです。そして、「借金があり、貧乏だ」ということを、「大いなる不幸に襲われ、その試練と戦いながら、日々、生きている」ととらえ、それに非常に生きがいを感じているわけです。
 こうした自己犠牲的な魂は、いつの時代でも、自分が順風であるときには満足できません。あまりにも大きな成功が転がり込んでくると、「何か悪いことが起きるのではないか」と、逆に不安になり、貧乏長屋の貧乏暮らしがいつまでも抜けないという性格なのです。
(251~254ページ)

借金、貧乏の理由の第一は、お金が少しでも入ると、すぐ有頂天になり、いろいろなことにつぎ込んでしまったりするように、お金の使い方を知らないことにある。

理由の第二は、生来の貧乏性で、いつまでたっても、うだつの上がらない仕事をしていることにある。

そして、そうした仕事に甘んじているのは、結局、本人が自己限定をしているからであり、その原因の奥底には、金銭に対する罪悪感がある──。

・・・こういう場合の考え方については、一度、ご紹介したことがあります。

要は、「豊かさは決して罪ではない」と、しっかり心に刻むこと。 

そして、この問題もまた、今まで何度もご紹介してきた「心の法則」が適用される一場面であるのだと私は理解しているのです。

「幸福になれない」症候群―グッドバイネクラ人生 (OR books) 『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著


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