ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



下村博文文科大臣って、安倍首相が信頼してる側近なんだって話もあるけど、ほんとのところはどういう人なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『永田町・平成ポンポコ合戦』――文科大臣に化けた妖怪の研究(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 人として生き、人の上に立ち、人々の手本になるような人物として歴史に名を遺すことは、志しても、そう簡単に叶うことではない。ましてや、日本史や世界史に名前が遺せる偉大な存在として、その業績も輝かせつつ、道徳の教科書に載るような人材になることは、至難のわざである。
 日本の総理大臣九十六代の名前と同時に、百二十五代の天皇の名前をあげられる人となれば、国民百万人に一人もいないかもしれない。だが、それ(総理や天皇になること)よりも実際には困難な人生だ。
 同じように神仏に愛される人間になることも難しい。赤心・至誠・無私にして、時代を前に動かすために命をかけて、刻苦勉励しなくてはならないだろう。人間としては稀なる、大いなる「無償の愛」が生まれてくるのを人々は見るだろう。宗教はそうした人物かどうかを映し出す唯一の鏡である。
(3~4ページ)

幸福の科学大学を、宗教弾圧としか思えない理由で無理やり不認可としたことで、だんだん有名になってきた下村文科大臣の守護霊のインタビュー「霊言集」第3弾、です。

総選挙目前ですが、下村氏は、それ以外にも、ちまたでは“カネと票の疑惑”の問題で、話題となっていて、その文科大臣としての適性に、かなり疑問符がついている政治家でもあります。

本書では、その守護霊(つまりは下村氏の潜在意識の本音)が、誰も口に出しては言わない、政治の世界のお金に関わる暗黙のルールとか、腹のなかで本音では考えていることを、それこそ洗いざらいと言ってよいほど語っています。

本書を一読してしまうと、常識を備えた国民の中には、この方を選挙後の新しい内閣でも文科大臣を続けてほしいと思う人は、ただの一人もいないんじゃないか、とさえ思ってしまいます。

「古い自民党体質」とかいう言葉の意味がよく分かっていなかったのですが、「大臣の許認可権をお金に換える」ということが現実に行なわれていることが、有無を言わさない形で理解できてしまうという意味で、とても勉強になる現代政治学の実践テキストになっているのかもしれません。

本書は、幸福の科学大学の不認可問題に興味関心を持つ方にはもちろん、下村氏の人柄やほんとに考えているところを知って投票のための参考にしたい方、そして、“永田町の妖怪”というのがどんなことを考えているのかを知りたい方にとって、必読文献とも言うべき貴重な一冊であると私は思うのです。
 

『永田町・平成ポンポコ合戦』大川隆法著


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いやあ、めげそうだよね。こんな気持ちになったとき、どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

仏神の心に適った成功を求めてください。
強く願えば、必ず現象化し、現れてくるでしょう。
その願いを持ちつづけてください。
持続することが大事です。
心のなかに強く刻み、イメージし、
仏国土ユートピアが地上に出現することを、
そして、あなた自身がその担い手となり、
力強いリーダーの一人となることを、
願ってください。

成功のイメージを心に抱きつづけ、
しかも、勤勉に努力し、創意工夫を忘れないことです。
不遇をかこったり、挫折や困難にひるんだりすることなく、
何度でも何度でも立ち上がり、挑戦していくことです。
そのような気概が必要です。

仏神はあなたがたの不幸を願ってはいません。
あなたがたを苦悩のなかに置いておきたいと
願っているわけではありません。
必ず、真実の成功と繁栄のなかを突き進んでほしいと
願っているのです。
(235~236ページ)

仏神は、あなたがたに真実の成功と繁栄のなかを突き進んでほしいと願っている。

仏神の心に適(かな)った成功を強く願い、そのイメージを心に抱きつづけること。

勤勉に努力し、創意工夫を忘れず、何度でも立ち上がり、挑戦していくこと――。

めげそうなときは、まず自分の信仰を確かめることです。

そして、仏の言魂に触れることだと思います。

大川隆法先生は、私たちに、いつも慈愛の言葉を与えて下さっています。

「他力」の光、それに加えて、心に抱く「念い(イメージ)」と「自力」の大切さ。

つらいときほど、主がともにあってくださることを信じ、がんばっていきたいものです。
 

『奇跡の法』 大川隆法著


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衆議院が解散になって、もうすぐ総選挙なんでしょ。また、幸福実現党って、出馬するんでしょ。でも、まだ国政で当選者だしてないんでしょ。なのに、どうしてなのかなあ? なんーて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福実現革命─自由の風の吹かせ方─』(幸福実現党)で、以下のように対談しておられます。

加藤 (中略)実は、立党当初、「宗教政党よりも、やや宗教色を薄めて、健全な国民政党や保守政党としての色彩を前面に出したほうが、当面の票は取れるのではないか」と、ふと思ったこともあったんです。
大川 まあ、日本の“常識”から見たら、それはそうでしょうね。
加藤 ただ、あれから三年たちましたが、その間の歩みを振り返ってみて、改めて、「この国の国難を救うのは、やはり、神仏を敬う国づくりなのだ」と、宗教政党の重要さが腑に落ちました。
 国難を救うためには、もちろん、地上の人間の努力も必要ですが、それだけではもはや非常に厳しい状況に来ているため、大いなる天上界のご加護を賜れる宗教政党が必要だと思うんです。
大川 「大阪維新の会」だとか「日本維新の会」だとか、よそのことは結構ですけれども、今、わが政党は、「幸福実現革命」をしようとしています。だからこそ大変なのです。それは、戦後の「宗教即悪」と捉える風潮との戦いです。
 戦後の教育界から政界、マスコミ界、すべてに広まる「宗教=悪」というイメージを変えるために、あえて、「宗教政党」を看板に掲げて戦っているわけです。
加藤 その意味では、大きなハンディキャップを背負っているわけですね。
大川 それを全部引っ繰り返すのは大変なことですから、普通であれば、その大きなハンディを背負っていることは隠して戦うものです。
 創価学会にしても、町長や区長、市議と、地方自治体の下のほうから取っていき、だんだん上がっていくやり方をしていましたが、幸福実現党の場合、いきなり上から攻めていったわけです。これは「革命」ですよ。(中略)
 幸福の科学は、すでに「宗教革命」を起こしつつあるわけですが、さらに今、学校を創立し、「教育革命」も起こそうとしています。また、政党を立党し、「政治革命」を起こそうとしています。これが成就したら、本当の意味での「革命」なんですよ。
 これは、日本の国体としての“精神棒”を入れ替えることでもあります。すなわち、マッカーサーによって抜かれ、偽物が差し込まれていた日本の“精神棒”を、今、すべて入れ替えようとしているわけです。
加藤 精神棒を根本的に入れ替える革命ですね。その上で、さらに、未来志向のものをつくっていくところまで戦っていきます。
大川 そうそう。それをしようとしているのです。「これは一種の革命なんだ」と思わないといけないでしょうね。
 幸福実現党の戦いは、「革命」ですから、たとえ、落選が相次いだとしても、「斬り死にしてもやむなし」という面があるのです。そのように、怖いところはありますけどね。加藤 はい。
(171~175頁)

今、幸福実現党は、「幸福実現革命」をしようとしているが、それは戦後の「宗教即悪」と捉える風潮との戦いであって、そのイメージを変えるために、あえて「宗教政党」を看板に掲げて戦っている。

幸福の科学は、すでに「宗教革命」を起こしつつあり、さらに学校を創立して「教育革命」も起こそうとしており、さらには政党を立党して「政治革命」を起こそうとしている。これが成就したら、本当の意味での「革命」である

幸福実現党の戦いは、「革命」であるから、たとえ落選が相次いだとしても、「斬り死にしてもやむなし」という面がある――。

対談の相手は、幸福実現党の現・幹事長である加藤文康さんです。

なぜ、幸福実現党が、2009年の立党以来、地方選で地方議員は誕生していますが、いまだに国政選挙では当選者を出せないまま、今回の総選挙でも、全国の比例区に候補者を出すことが発表されています。

信仰者による真正面からの「幸福実現革命」、しっかりと応援したいものだと私は思うのです。
 

『幸福実現革命』大川隆法著


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安部首相の守護霊の弁明を受けて、大川隆法先生は、どう考えておられるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『ソクラテス「学問とは何か」を語る』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 安倍晋三総理が、北京のAPECで、ニコリとも笑わない外国力士のような習近平国家主席と形だけの握手をした。お互いに目も見ようとしない。と、その後すぐに衆議院解散説が日本のマスコミをにぎわせ始めた。
 誰も言わない公然の秘密だが、これは「文科省下村事件解散」である。さらに元をたぐれば、「学問」の定義をめぐっての解散である。
 文科省は、大学設置をめぐって、「一定の理論に基づいて体系化された知識と方法」が「学問」であるとする、「広辞苑」の解説を丸のみした。本書でソクラテスは、「学問」は「対話篇」から始まり、「神様が創られた世界の真理を明らかにすること」であると説く。イデアの世界(実在界)と守護霊の存在が学問の出発点にあるとする。
 ソクラテス対文科省。あなたはどちらを信じるか。じっくりと本書を読んで頂きたい。
(3~4ページ)

「学問」と言えば、「哲学の祖」とも言われるソクラテスのお考えが気になります。

・・・という趣旨で公開収録されたと思える本書ですが、昨日ご紹介した「安倍首相の守護霊の弁明」の翌日に収録されたからでしょうか、そのまえがきのお言葉は衝撃的です。

まさに今日行なわれた衆議院解散は、大義がないとかいろいろ言われているが、そして知る人ぞ知る「公然の秘密」だが、「文科省 下村事件解散」である、さらに元をたぐれば、「学問」の定義をめぐっての解散である、と。

つまり、今回の幸福の科学大学設置の不認可は、大川隆法先生のお教えが「学問」にはならないと、文科大臣が言う暴挙を行なったことで行なわれた。これが「文科省 下村事件」である。

そして、その結果として、大川隆法先生の支援を受けられなくなった安倍首相は、解散することで血路を開こうとしている。だから、今回の解散は、幸福の科学大学設置の不認可が発火点となった解散である、ということなんではないでしょうか。

なんだかよく分からない解散になってしまったことと、幸福の科学大学設置の不認可という事件との間の知る人ぞ知る重大な関係、というのは、じつはしっかりと認識しておかれるべき重大なポイントだろうと思います。

ちなみに、下村文科大臣の「カネと票」疑惑が、にわかに一つや二つでなく報じられ始めたのは、けっして偶然ではない気がするんですが、さてさて、「文科省 下村事件解散」との関係やいかに?

『ソクラテス「学問とは何か」を語る』大川隆法著


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これだけの大川隆法先生のメッセージの発信を受けて、安倍首相って、幸福の科学大学の不認可を、どう考えてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『安倍総理守護霊の弁明』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 北京のAPECで、日中首脳会談という最大の緊張舞台の時機に、安倍晋三総理の守護霊が、私の元を再び訪れ、公開霊言で「弁明」したいと申し出て来られた。これをいぶかしがる人も多かったが、あるいは習近平国家主席と二年半ぶりに日中トップ会談をするにあたって、安倍首相は神仏のご加護があるように祈っておられたのかもしれない。結果は十分に実りのある会談にはならなかったようだ。本心では伊豆半島沖に現れた二百隻を超える中国魚船団の密漁にクレームぐらいつけたかったことだろう。中国の脅威は、日増しに現実感を増し、日本政府に朝貢外交を強要しているかのようだ。
 「本弁明」にあるように、幸福の科学グループの支援を取りつけたくば、行政の長として、毅然とした態度で、文科大臣の行政処分を取り消させることだ。宗教を大切にする安倍内閣に、パク・クネ並みの私憤行政処分があってよいはずがない。
(3~4ページ)

幸福の科学グループ(大川隆法先生)の支援を取りつけたいのであれば、行政の長(内閣総理大臣)として、毅然とした態度で、下村博文・文科大臣の行政処分(大学設置の不認可)を取り消させよ。

宗教を大切にする安倍内閣に、(下村文科大臣が今回行なったような)「私憤」(に基づく不当な)行政処分があってよいはずがない――。

いよいよ真打ち登場! です。

2014年11月10日、北京で日中首脳会談が終わった直後の時間に、安倍首相の守護霊が、大川隆法先生のもとを訪れ、強引に弁明させてほしいと要求してきたことで公開収録された「霊言集」です。

大川隆法先生は、そのまえがきで、安倍晋三首相に対して、上記のハッキリとメッセージを発しておられるわけです。

何度も繰り返しになりますが、本書の明確なメッセージが、解散総選挙が目前ではあっても、安倍晋三首相に、たしかに届きますように。
 

『安倍総理守護霊の弁明』大川隆法著


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今回の大学不認可って、大川隆法先生の「霊言」にいちゃもんつけてきたんでしょ。この点、大川隆法先生って、どう考えておられるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『額田女王、現代を憂う』(幸福の科学出版)のあとがきで、以下のように説いておられます。

 古代の和歌の世界から、現代の宗教の霊言現象まで、一貫した確信を持って語り続ける額田女王。霊言がなくなったら、「神の世界」と「人間の世界」は完全に断絶してしまう――と語った人は初めてだろう。
 「言魂」が理解できない人には、しょせん、「大和の心」はわかるはずもないのだ。
 進歩した現代も、その意味で大切な何かを忘れ去った。大きな代償を払ったものだ。
 「科学」が打ち樹てられる前に「霊言」は存在し、「学問」に先立って「霊言」は存在し続けてきたのだ。
 かつて天上界から、数多くの宗教に「霊言」という名の啓示を降ろし、今、大川隆法という名で、神と高級諸霊と霊界の存在証明をしようとしている者の言葉である。『広辞苑』には「霊言」という言葉はない。宗教家しか説明できないのだ。
(136~137ページ)

「科学」が打ち樹てられる前に「霊言」は存在し、「学問」に先立って「霊言」は存在し続けてきた。

かつて天上界から、数多くの宗教に「霊言」という名の啓示を降ろし、今、大川隆法という名で、神と高級諸霊と霊界の存在証明をしようとしている者の言葉である。

『広辞苑』には「霊言」という言葉はない。宗教家しか説明できないのだ――。

日本の古代史上、もっとも有名な女性の一人である歌人・額田女王(ぬかたのおおきみ)。

その美しいお言葉(「霊言」)の数々が収録された本書のあとがきでも、今回の大学不認可に対する大川隆法先生のお考えが述べられています。

「霊言」を、学問ではないとか科学的ではない等々と決めつけた文科省の審議会、そして下村博文・文科大臣は、この大川隆法先生のお言葉を、どう聞くのでしょうか?
 

『額田女王、現代を憂う』大川隆法著


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で、大学不認可で、どうしてキリスト者の「霊言集」が続々と刊行されてるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『南原繁「国家と宗教」の関係はどうあるべきか』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 内村鑑三、矢内原忠雄、南原繁と、無教会派クリスチャンの人たちに、「国家」「宗教」「学問」の関係を問うてきた。
 時に南原繁、矢内原忠雄の二人は、信仰者であっても大学の総長もでき、学者としても一級であることができた方々である。戦時期の政府の弾圧もくぐり抜けて来られた経験があるので、今、私たちが遭遇している宗教家による大学の創立というテーマに関して参考意見を聞くのには適しているだろう。
 日本国憲法は事前検閲を禁止し、思想・信条・良心・表現・出版の自由を認めている。日本国憲法には、「学問の自由の範囲は文部科学大臣が定める」とも、「秘密の会合で大学設置審議会の委員が決定したことは、憲法上の『学問の自由』を無視できる」とも書いてない。「信教の自由は保障する」のみであって、国家権力が都合によって介入してよいものではない。中国や韓国のような全体主義国家にはなりたくないものだ。
(3~4ページ)

南原繁先生もまた、内村鑑三の直弟子のキリスト者にして政治学者であり、やはり東大総長まで務めたことで有名ですが、その「霊言」が公開されるのも初めてのことです。

大川隆法先生は、このまえがきで、内村鑑三、矢内原忠雄、そして本書の南原繁と、次々に無教会派のキリスト教徒の「霊言」を収録され、公開されている意図が語られています。

ここで日本国憲法の「事前検閲の禁止」や、「思想・信条・良心・表現・出版の自由」が提示されているのは、今回の大学設置の不認可が、まさにこれらの重要な人権の侵害だったことを言っておられるのだと思います。

そして、言うまでもなく、「学問の自由の範囲は文部科学大臣が定める」とか、「秘密の会合で大学設置審議会の委員が決定したことは、憲法上の『学問の自由』を無視できる」というのも、文科省の今回の大学設置不認可のやり方のおかしさを糾弾しておられるのでありましょう。

最後の一文は、かなり遠回しではありますが、今回の文科省と文科大臣のやり方は、「全体主義国家」のやり方ではないかと批判しておられるのだと思います。

繰り返しになりますが、本書のメッセージが、下村博文・文科大臣、そして政権運営の最高責任者である安倍晋三首相に届くことを心の底から願いたいと思うのです。
 

『南原繁「国家と宗教」の関係はどうあるべきか』大川隆法著


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で、大学不認可って、創立者の大川隆法先生のお考えは、もっとあるんでしょう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『矢内原忠雄「信仰・言論弾圧・大学教育」を語る』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 昔、縁日で、うちの五歳の長男が、小さな「ミドリガメ」をビニール袋に入れてもらって、うれしそうに買って帰った。エサを与えて育てているうちに「カメカ」と名付けられたその小さなペットは、大きなプラスチック容器の水槽で飼わなければいけなくなり、毎日、甲羅ぼし(日光浴)をさせてやらねばならない仕事まで発生した。外来種ゆえに怪獣ガメラが想像される容姿となり、鯉を食いちぎってしまうために、池に放すことも、川に捨てることもできなくなった。
 長男が社会人になって「人間」とのつき合いが忙しくなったある朝、「カメカ」は水槽の中で動かなくなり、再び甲羅ぼしをしてもらうこともなくこの世を去っていった。もう日の光を浴びる必要もない。不燃ゴミとして処理されたことだろう。
 救世主は再びこの世に降り立ったが、人間はもう、主の顔も名前も忘れ果てて、「神の言葉」も、自分たちの「法律」には載ってないという。その通りだろう。「最後の審判」の日取りはまだ伝えてはいなかったことを思い出した。
(3~4ページ)

内村鑑三の直弟子のキリスト者にして経済学者であり、東大総長まで務めたことで有名な矢内原忠雄先生の名前は、大川隆法先生の説法の中でしばしば登場していましたが、そのナマのお言葉が「霊言」として伝えられるのは、初めてのことだと思います。

矢内原忠雄先生からは、今回の大学不認可の問題を中心に、知的で、しかも慈愛に満ちた数多くの教えが語られていますが、これに対して、本書のまえがきは、ちょっと趣が違っているように思えます。

唐突に紹介されたミドリガメのエピソードで、大川隆法先生は何を説いておられるのでしょうか。

最初は小さくかわいかったミドリガメ。

次第に巨大化して手がかかるようになり、狂暴化してしまったミドリガメ。

死んでしまって、不燃ゴミとして処理されただろうミドリガメ。

「『神の言葉』も、自分たちの『法律』には載ってないという」という一節は、神々の言葉である「霊言」をはじめとする宗教に対して、四角四面の法律で切り捨ててしまった、今回の文科省の大学不認可のことに思い至ります。

そして、「主の顔も名前も忘れ果てた」人間、が思い浮かびます。

主が、「まだ伝えてはいなかった」という、「最後の審判」の日取りは、どうなってしまうのでしょうか。

静かにじわりと、深い戦慄を背中に感じる、まえがきのお言葉です。

本書に込められた重いメッセージが、下村博文・文科大臣、そして安倍晋三首相に届くことを心の底から私は願うのです。
 

『矢内原忠雄「信仰・言論弾圧・大学教育」を語る』大川隆法著


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大学不認可って、創立者の大川隆法先生は、どう考えておられるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『内村鑑三「信仰・学問・迫害」を語る』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 全く無知なる者たちが、神を怖れず、神をこの世的に裁こうとしている現代が悲しい。
 三十センチの物差しでもって、宇宙の宏さを測ろうとしている、その貧困なる科学的精神が悲しい。
 学問とは真実を除外することだと考えている者たちが、大学の学長や理事長を名乗っていることが悲しい。
 彼らをお金のバラまきや叙勲で釣って、飼い慣らそうとしている政治家の存在が悲しい。
 明治以来、優秀な頭脳を持っていた若者たちを次々と無能に変えていった、お役所仕事が悲しい。
 そして信仰なき学問で、この国が繁栄すると考えている、エセ文化人たちの存在が悲しい。
 神の怒りは、東日本大震災や、御嶽山の噴火でおさまると思っている、その無明が悲しい。
(3~4ページ)

この問題に関する大川隆法先生のお考えの一端は、すでに『大学設置審議会インサイド・レポート』――大学設置分科会 会長スピリチュアル・インタビューという書籍のまえがきでご紹介しました。

しかし、天上界の内村鑑三先生にこの問題の意見を聞いた霊言集である本書のまえがきには、大川隆法先生のお考えがさらに厳しい言葉で展開されています。

「幸福の科学大学」の設置認可申請に対して文科省が不認可とした理由は、先の書籍で招霊前に大川隆法先生が語られたところでは、要するに「霊言」が基礎にある宗教の教えは科学的合理性がないから学問にならない、とでも言うもののようです。

本書のまえがきで、「全く無知なる者たちが、神を怖れず、神をこの世的に裁こうとしている」というのは、今回の文科省の行為を指しておられると読むほかありません。

仏神から降りてきている仏法真理を、「貧困なる科学的精神」による「学問」の定義で測ろうとしているなどというのは、「三十センチの物差しでもって、宇宙の宏さを測ろうとしている」ということだ。

仏法真理に基づく学問を、「学問」ではないかのように言うのは、「学問とは真実を除外することだと考えている」ということだ。

そんな愚かなことをしているのに、「大学の学長や理事長を名乗っている」という典型が、今回の不認可の責任者の一人である、大学設置・学校法人審議会大学設置分科会会長(桜美林大学理事長)だ、ということなんだと思います。

「彼らをお金のバラまきや叙勲で釣って、飼い慣らそうとしている政治家」とは、もちろん、下村博文・文科大臣のことでありましょう。

「無能」になってしまった「優秀な頭脳を持っていた若者たち」というのは、今回の手続きに関わった文科省の役人たちのことだと理解すればよいでしょうか。

「信仰なき学問で、この国が繁栄すると考えている、エセ文化人たち」とは、こんな愚かな結論に賛成してしまった審議会の委員たちを思い浮かべればよいのでしょう。

そして、最後の一行は、「神の怒り」は、東日本大震災や御嶽山の噴火ではおさまらないことを予言しておられるお言葉のようです。

この仏神の厳しいお言葉が、正しく、下村博文・文科大臣、そして安倍晋三首相に届くことを心の底から願いたいと私は思うのです。
 

『内村鑑三「信仰・学問・迫害」を語る』大川隆法著


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大川隆法先生って、「黒帯英語」って英語の参考書、出してるんでしょ。幸福の科学の中でしか手に入らないんだってね。どんな内容なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『The Essence of 黒帯英語への道 (上)』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 『ビジネス・エリートのための英単熟語集』①~⑩巻のシリーズに続いて、『黒帯英語への道』①~のシリーズを作成していくつもりである。
 編集方針は、英字新聞のメジャーな記事が読め、英字週刊誌(硬派なもの)のメインの記事が読め、通常英会話、ビジネス英会話ができるようになること。さらにTVで英語ニュースを見、アメリカで人気の連続TVドラマのセリフが聞きとれること。英語で映画がわかるようになること。プロの翻訳家として通用する英文和訳の仕方を学習すること。さらに商業英語の世界にも足を踏み入れて、ビジネス・レターの書き方まで指南することである。つまり、仕事でも趣味でも通用する、英語大好き人間を創り出していくつもりである。
 今後とも英会話プラス、一ひねりした教材を加えていくつもりである。「日本人でここまで英語が使えるのか」とネイティブを降参させるのが、そしてそういう人たちを教育で創っていくのが、私の希望である。
(3ページ)

仕事でも趣味でも通用する、英語大好き人間を創り出していく。

「日本人でここまで英語が使えるのか」とネイティブが降参する人たちを教育で創っていきたい――。

あの噂の『黒帯英語への道』(全10巻)が、ついに、上下2冊のエッセンス版に編集されて、一般書店で刊行されました。

上巻は、1320語の英単熟語集。

ネイティブが読み上げる英単熟語に日本語訳の音声が入って、耳でも勉強できるCD2枚付きで、ちょっとすごいかも、という気がします。

慣れない白帯を締めてけいこで励んでみて、「黒帯への道」を本気で目指してみようかと思える書籍だと私は思うのです。
 

『The Essence of 黒帯英語への道 (上)』大川隆法著


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津田塾大の創始者、津田梅子って、すっごい女性だったんだと思うんだけど、どんなひとだったんだろうね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『夢に生きる女性たちへ』――津田塾大学創立者・津田梅子の霊言(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 才能もあり、夢も持っている女性たちにどのような未来の扉を開こうとするか。そしてその際に社会はどのように変化していくべきか。現代でもとても難しい問題である。
 しかし、とにかく、まずは、先駆者となった女性の偉人たちの言葉・思想・行動から学ぶべきだろう。
 本書中、津田梅子女史は、自分がナイチンゲール女史やヘレン・ケラー女史と同様のミッションを持って生まれた女性であることを述べている。いずれ劣らぬ女性の光の天使かと思われるが、「教育を受けた恩義は世の中にお返ししなければなりません。」といったミッションを感じていたところは共通かと思う。
 私も、新しい大学の創立を夢みて、生誕百五十周年になる津田梅子女史を研究し直してみたわけだが、深く感動もし、考えさせられるものがあったと正直に告白しておこう。
(3~4ページ)

まずは、先駆者となった女性の偉人たちの言葉・思想・行動から学ぶべきである。

津田梅子は、ナイチンゲールやヘレン・ケラーと同様のミッションを持って生まれた、光の天使であった。

大川隆法先生も、新しい大学の創立を夢みて、津田梅子を研究し直したが、深く感動もし、考えさせられるものがあった――。

まだ女性が勉学をしたり、社会で活躍するのが普通でなかった明治という時代に、アメリカに2度も留学して学問を修めたというのも普通ではありませんが、その上、後世に有名大学にまで発展する学校を生み出したというのは、かなり凄いことだと思います。

そんな津田梅子女史は、生誕150周年になる今、何を語り、私たちに何を教えてくれるのでしょうか。

本書は、女性の偉人のナマの言葉に触れたい方に、強くお勧めできる大事な霊言集であると私は思うのです。
 

『夢に生きる女性たちへ』大川隆法著


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今日、幸福の科学大学の設置不認可に対して、幸福の科学学園が異議申立したというニュースが流れてよ。これって、どうなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の里村英一/綾織次郎編『スピリチュアル・エキスパートによる文部科学大臣の「大学設置審査」検証 (上) 』(幸福の科学出版)で、以下のように説いておられます。

 昨日(十月三十日)、今回の大学審議に関しまして、形式上、あるいは、実質上かもしれませんけれども、責任者である桜美林大学の総長、佐藤東洋士さんの守護霊の霊言を伺いました(中略)
 ある程度、信仰もある方でしょうから、最後は、正直に話していたようには感じられました。また、そのニュアンス、言葉の端々から、「政治家のほうからの意向が、かなり働いていた」というようなことを感じました。
 ただ、そう言っておられる以上、言いっ放しではよくないでしょう。そこで、政治家のほうの意向が本当に働いたのかどうか、やはりカウンターとして調べてみる必要があると思います。(中略)
 そういうことで、今日も、下村さん(守護霊)のところを調べようとは思うのですが、ただ、私のほうにも考えがあるのです。(中略)
 答申の判断の内容などを見ましても、「一人の人(大川隆法)が行う霊言を学問の基礎に使うのはおかしい。科学的根拠を欠く」というような言い方をしていますので、私には、そのあたりに大臣のお考えが入っているように感じられてなりません。(中略)
 下村氏の頭のなかには、「真光」という宗教が一つあるので、「複数の人が霊言などをできるのが科学的宗教だ」と考えている可能性があるのです。「一人だけでやるのではなく、複数でできなければ科学性がない。真光では、交替してやっても、いろいろな霊現象が起きるし、誰でも霊能者になれる。これが、まさしく科学的実証がなされているということで、科学的宗教なのだ」と、もしかしたら考えているのかもしれません。(中略)
 当会にも、霊が降ろせる方は複数います。もちろん、いろいろな方がさまざまなことを言うと、教義が混乱しますので、一般的にはあまり発表はしていません。ただ、私以外にも霊言ができる方はいるのです。おそらく、十人ぐらいはいるのではないでしょうか。
 今日は、下村さんの雪辱戦になるかどうか分かりませんけれども、過去の二冊の霊言は、私が汚い関西弁というか、四国なまりの関西弁を使ったために、品のない霊言になったのかもしれませんので、それ以外の方々として、男性も女性も入れて、あるいは、国際派も入れての霊言をやってみます。
 人格としての統一性があるかどうか、あるいは、主張の傾向性が一致しているかどうか、同一性が保てるかどうか。このあたりについて、六人ぐらいでやってみれば、ある程度客観性もあるし、繰り返し実験ができるので、科学的な面もあろうかと思います。個人的にやっていると思われているのであれば不本意ですので、他の方でもやってみるということです。
 私は、今日は霊言をしないで、「導師 兼 審神者」ということで、いちおう、現象全体についてウオッチしたいと思います。
(16~22ページ)

審議会の責任者の守護霊霊言では、言葉の端々から、政治家の意向がかなり働いていたと感じたので、今日は下村文科大臣の守護霊を調べようとは思う。

答申では、複数の人が霊言できるのが科学的宗教だと考えている節があるので、6人ぐらいで次々に霊言させてみて、人格としての統一性があるか、主張の傾向性が一致しているかどうか等について調べてみる。

大川隆法先生は、今日は霊言をしないで、「導師 兼 審神者(さにわ)」として、現象全体についてウオッチしてみる――。

いっやあ、これは、ものすごく面白い試みがなされたものです。

上下巻にわたって、えんえんと下村文科大臣の守護霊の霊言を、6人の「スピリチュアル・エキスパート」(従来は「チャネラー」と呼んでいたと思います)に、いわば取っかえ引っかえ入れてみて、同じ統一人格かどうかを調べてみる、というのです。

大川隆法先生は、「導師 兼 審神者(さにわ)」、つまり、高い霊能力によって、下村文科大臣の守護霊を呼び出し、「スピリチュアル・エキスパート」に入れる秘儀の部分を担当されて、その登場する霊が本物かどうかを、質問者とのやり取りを横でみることで判断する役割をしておられます。

だからでしょうか、幸福の科学の霊言集としては、最初期を除いて絶えてなかったことですが、大川隆法先生の著書ではなく、質問者となった二人のジャーナリストが編著者となっています。

そして、下村文科大臣の守護霊の霊言は、『文部科学大臣・下村博文守護霊インタビュー』『文部科学大臣・下村博文守護霊インタビュー(2)』と、すでに2冊も出されていますので読み比べることができるわけですが、やはり前2冊の霊と、今回の霊はまったく同一だと断定してよいように私には思えます。

そしてその語る内容の衝撃度は、先日ご紹介した審議会の責任者の守護霊霊言よりもはるかに大きいものですが、幸福の科学学園が今回の大学設置の不認可がおかしいと戦うことを決めた背景に、今回の霊言集は当然あるのでありましょう。

どのあたりが衝撃度が高いのか、というあたりについては、ぜひ上下巻で一体の本書を手にとって確認してみられることを、強くお勧めしたいと私は思うのです。
 

『スピリチュアル・エキスパートによる文部科学大臣の「大学設置審査」検証 (上)』


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幸福の科学大学の設立って、不認可になったって報道を見たよ。どうしてだったの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『大学設置審議会インサイド・レポート』――大学設置分科会 会長スピリチュアル・インタビュー(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 経産相と法務相のクビを取ったぐらいで慢心していては日本のマスコミは素人仕事をしているといわざるをえない。日本国憲法も読んでいないと思われる、あるいは理解できないと思われる、タヌキ文科大臣が、審議会を隠れミノに使ってのうのうと政界遊泳しているのだ。
 この「大学設置審議会インサイド・レポート」を読めば、利益屋と権力欲の妄者の巣窟が見えてくる。
 キリスト教系の大学は、イエスの処女降誕、湖の上を歩いたこと、カメ一杯の水をワインに変えたこと、死者ラザロを甦らせたこと、イエス自身が十字架にかかって後、肉体を持って復活し、さらに昇天したこと、数個のパンや数匹の魚を数千人分に増やし、病人を信仰心だけで癒したことを、科学的根拠をもって証明したので設立が認められたのか。
 宗教をバカにするな。宗教は人間の本質を教える真理である。それは学問を超えた真理である。
(3~4ページ)

「タヌキ文科大臣」、「隠れミノ」、「利益屋と権力欲の妄者の巣窟」、「宗教をバカにするな」等々、かなり厳しいお言葉が目につくまえがきです。

本書は、幸福の科学大学の成立認可申請に対して、文部科学大臣に対して設立を認めない答申をした責任者である、大学設置・学校法人審議会大学設置分科会会長の守護霊インタビューです。

霊言が公開収録されたのが、不認可の答申がなされた翌日である平成26年10月30日、そして、それが活字に起こされた本書は、都内大手書店に翌11月1日には並んでいたと聞きます。

発刊のスピードも驚異的ですが、その中身たるや、ベテランのジャーナリストと弁護士、合計3人の厳しい質問の矢によって、「審議会」という仕組みが「利益屋と権力欲の妄者」の「隠れミノ」に使われている実態が白日のもとにさらされた、驚愕の内容となっています。

今回、なぜ幸福の科学大学が不認可とされてしまったのか、それが正当なものだったのかどうかは、本書を一読するだけで、誰もが手にとるように分かるのではないでしょうか。

幸福の科学大学の不認可問題に興味・関心を持つすべての人にとって、まさに必読の書籍であると私は思うのです。
 

『大学設置審議会インサイド・レポート』大川隆法著


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「我思う、ゆえに我あり」って、デカルトだよね。いま何を考えてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『デカルトの反省論』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 科学と宗教が、はっきりと二分化していく分岐点に立つと見られるデカルト。自ら霊的体験を重ねており、神への篤い信仰を有していたデカルトは、同時に、自然科学者でもあり、数学的天才でもあった。
 神への信仰と解析幾何学は両立しないのか。霊界解明とデカルト座標は共存できないのか。神の創られた世界のベールをはがしていくと、神の存在自体が自壊していくのか。
 近代の持つ矛盾そのものを、ルネ・デカルトにぶつけてみた。
 現代知識人必読の一書だと思う。
(3~4ページ)

「現代知識人必読の一書」――。

「霊肉二元論」で、科学と宗教を分離させた原点にいると思える、近代哲学の父・デカルトは、何を“反省”しているのでしょうか。

デカルトの哲学の真意は、どこにあったんでしょうか。

そして、天上界でいま、何を考えているのでしょうか。

大川隆法先生が、数えきれないほど出された自らの霊言集について、「現代知識人必読の一書」とまで言われたのは、本書が初めてのことだと思います。

知識人を自認するすべての方にとって、現代日本語でやさしく語られる高名なデカルトの霊の言葉が、学ぶに値するものなのは当然のことかもしれません。

本書は、哲学に興味がある方はもちろん、哲学ってむずかしいなあと敬遠気味だった方に対しても、自信をもってお勧めできる教養書であると私は思うのです。
 

『デカルトの反省論』大川隆法著


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