ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ガイアって、大地の女神なんでしょ。ほんとに、昔生きてたことがある人なのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『太陽に恋をして──ガイアの霊言』のまえがきで、こう説いておられます。

 新しい創世記の時代が幕開きしようとしていることを明確に宣言した一書であると思う。過去の人類の真実の創世記に想いをはせつつも、現代人への指針がはっきりと示されている。新しい文明の夜明けが近く、「未来の原点」が今、そこにあることを示している。
 「太陽に恋をして」という、「ガイアの霊言」に秘められた想いに激しく共鳴しつつ、「アルファ」と「ガイア」は新しい地球文明を拓いていくため、手を携えてゆかねばならないのだと、心に沁み渡らせる一書でもあった。「霊性革命」の胎動を告げる、この鐘の音に耳を澄ませていただきたく思う。
(1~2ページ)

本書の扉部分には、エル・カンターレの本体が3億数千年前に「アルファ」という名で下生したときに、その妻であった女神が「ガイア」であることをはじめ、これまで外部には明かされていなかった秘密がさらりと明かされています(12ページ)。

大川隆法先生は、ここ数年、「幸福の科学グループ創始者兼総裁」という肩書きで、まえがきとあとがきを書いておられるのが大半ですが、本書では、この肩書きをカッコに入れて記載はしつつも、さりげなく、「主 大川隆法」と記載されています。

本書は、昨年12月に大川隆法先生と結婚されたと発表された大川紫央総裁補佐との初めての共著となっており、あとがきは、紫央総裁補佐が書いておられます。

本書こそは、新たな時代がついに始まったことを世界に高らかに告げ知らせる、とてもとても重要な経典であると私は思うのです。

『太陽に恋をして──ガイアの霊言』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




いやあ、いまとにかく、人生の底の底だよね。でも、あんなやつは成功してるのにね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間が大成するための条件として、昔からよく挙げられるものに、貧乏、失業、左遷、失恋、離婚、病気などがあります。受験の挫折、浪人、留年、人間関係の失敗、事業の失敗などもそうでしょう。
 そういうことを経験すると、しだいにネクラになっていく面もありますが、それを通り抜けた人には、いぶし銀のような、独特の光が出てきます。
 そのような人の場合、他の人の感情のひだが手触りで分かります。そのため、相手に対する見方や接し方そのものが、その人への許しとなることがあります。
 触られると痛い傷口が、誰の心にもあるものです。しかし、一度も失敗したことのない人は、他の人の心の傷口を見つけると、そこに錐を差し込むようなことを平気でします。その人を言葉や行為で傷つけるのです。
 失敗し、苦しみのなかに置かれたことのある人は、傷口に錐を差し込まれたときの痛さがよく分かるのですが、失敗の経験がない人は、他人の失敗や欠点を見いだすと、そこを錐で突いてしまうのです。なかには、相手に徹底的なダメージを与えるところまでやりたくなる人もいます。
 自分自身が一つの葛藤のなかにあって、まだ苦しみきっていないときには、他の人の欠点などを責めると、すっきりして、「水面から少し首を出し、息ができた」というような気持ちになることがあります。
 これをやらないと気が済まない人もたくさんいると思いますが、これは最低のレベルの喜びです。人を批判したり、こき下ろしたりして味わえる喜びは、喜びのレベルとしては最低なのです。
 「他の人の欠点を指摘すると、自分の苦しみがすっきりする」というのは、まだ生半可な苦しみ方です。真の苦しみのなかにあって、自分というものの真実を見つめていくと、他の人の欠点を指摘して気分がすっとしているくらいでは済まなくなります。もっと磨かれます。そうなると、優しさが出てくるのです。
 要するに、人を責める言葉が出るときには、自分がまだ充分に練れておらず、ほんとうの悲しみや苦しみを知っていないということなのです。
 人生の底を通過した人は、優しくなり、他の人の傷口に錐を差し込むようなことはできなくなります。自分の傷口のなかをえぐられた経験のある人は、他の人の傷口に錐を差し込むことができないのです。
 これも許しの一つです。許しというのは、欠点に対するもののことだけではないのです。
 悲しみや苦しみを通過すると、許しの幅が広がってきます。これも悲しみや苦しみの効用と言えるでしょう。
(51~54ページ)

人を責める言葉が出るときには、自分がまだ充分に練れておらず、ほんとうの悲しみや苦しみを知っていないということである。

貧乏、失業、左遷、失恋、離婚、病気、受験の挫折、浪人、留年、人間関係の失敗、事業の失敗などの経験を通り抜けた人には、いぶし銀のような、独特の光が出てくる。

そのような人は、許しの幅が広がり、他の人の感情のひだが手触りで分かるため、相手に対する見方や接し方そのものが、その人への許しとなることがある──。

いままさに人生の底のさなかの方がおられると思います。

でもそれは、人生修行において、いままさに大事な場面なんだってこと。これを通り抜けることができたときに得られるものに深く思いを致して、ぜひとも、いま少しがんばってくださることをお祈りしたいと思います。

人生のマスターの滋味あふれるお教えに、心からの感謝を込めて。

『幸福へのヒント』 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あの秀吉って、今の日本をどうみてるのかな。どうやって立て直しを考えたりするのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『太閤秀吉の霊言──天下人が語る日本再生プラン』のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 もし今、太閤秀吉がいたら、この国をどうするか。この「イフ(IF)」は、考えれば考えるほど面白い。
 しかし、目に見えぬ、この国の縛りを破って、新しい発展の条件を整備することは間違いないだろう。そして眠っていた日本民族に、はっきりとした「未来ビジョン」を見せてくれることだろう。
 とにかく大切なことは、諸外国の眼で見て律せられる国ではなく、自分たちの力で、新しい発想を磨き、「自由の大国」を建設するであろうということだ。
 経済の再生・発展はもとより、国防の面でも、自信をもって新しい考え方を打ち出すだろう。
 今こそ、秀吉的思考に立ち戻ってみようではないか。

あとがき
 近隣の諸外国にはどのように見えているかは別にして、軍事的にも経済的にも国難の今、ジャパニーズ・ドリームの典型である秀吉的なる人の登場が望まれる。一介の百姓から天下人にまで登りつめた日本人がいたことを知ったら、アメリカン・ドリームにかげりが見えて淋しがっているアメリカ人にとっても、驚きだろう。
 「自分ならどうするだろうか」という発想に限界を感じたら、「太閤秀吉ならどうするだろう」と着想の原点を置き換えてみることも大切だ。天下人は、現代日本の国難に終止符を打ち、どのような日本再生プランを目指すだろうか。本書が、その発想切り換えのターニングポイントとなることを祈る。
(1~2、166~167ページ)

あの太閤秀吉は、やっぱりとてもユニークな発想の人でした。

天上界の秀吉による、斬新な日本再生プラン。これは読むしかないと私は思うのです。

『太閤秀吉の霊言──天下人が語る日本再生プラン』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




富を持つことって、いけないことだっていう宗教、多いでしょ。でも、ほんとうにそうなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄思考』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 基本的な問題として、「弱者に優しい」ということ自体は構わないのです。弱者に対して優しい気持ちを持つことは結構です。
 しかし、誰もが貧しくなり、弱くなっていく方向で社会をつくったら、結果的に全体が下がっていきます。そうなると、弱者が救えなくなります。社会に弱者を救うだけの力がなくなってくるのです。
 「勤勉に働いたり、創意工夫をしたりして、大きな富をつくる人たちや、会社を経営して成功する人たちを、憎んだり、嫉妬したりする」というカルチャーをつくると、人々は、ほかの人から嫉妬されたり憎まれたりすることを嫌がり、富や成功を手に入れないようにしようとし始めます。「ほかの人と同じだったら、そう思われないで済む」と考えて、経済活動のレベルを下げるのです。
 その結果、その社会は、低いレベルで、平準化、標準化してきます。「上」が努力をやめてレベルを下げてくると、「下」も下がったままなので、弱者を救う人がいなくなってしまうわけです。
 国家の財政赤字は、こういう理由で起きてきます。税金を集めても、その使い方が悪いために、国を豊かにすることができません。国を豊かにする使い方ができないので、実は財政赤字になっているのです。
 会社の場合も同じです。赤字は社長一人でもつくれます。
 結局、勤勉で、富の創造を肯定する思想を持っていなければ、やはり、豊かにはなれないものなのです。これを間違わないようにしてください。
 旧い宗教には、富について、悪のような言い方をしているものも多く、仏教も例外ではありません。仏教にもキリスト教にも、そういうことを言っているものが多いのです。
 しかし、教祖が生きていた時代には、貨幣経済がそれほど発達していませんでしたし、原始教団は貧しかったことが多いので、当時の教えは、そのままでは現代の資本主義の世の中に当てはまりません。
 そのため、旧い宗教には、「富は悪だ」というような言葉を、その言い訳に使っていることが多いのです。それを知らなければいけません。
(76~78ページ)

富が悪のような言い方をしている旧い宗教も多いが、教祖が生きていた時代には貨幣経済がそれほど発達していなかったし、原始教団は貧しかったことが多いことによる。

大きな富をつくる人たちや成功する人たちを、憎んだり嫉妬するカルチャーをつくると、人々は富や成功を手に入れないようにし始める結果、社会は低いレベルで平準化していき、弱者を救う人がいなくなってしまう。

勤勉で富の創造を肯定する思想を持っていなければ、やはり豊かにはなれない──。

大川隆法先生は、神仏の目から見て正しい思想を、この現代日本で、現代人にわかる言葉で、しかも現代にあった形で説いておられます。

その教えは、日本人だけに向けて説かれているわけではなく、世界の人々に向けて語られています。大川隆法先生が海外で英語説法をされると、集まった聴衆にはその内容がきちんと伝わり、その場で幸福の科学に入会する人が続出しているのは、その証拠だと思います。

勤勉に働き、創意工夫などで大きな富をつくり、成功していくことを積極的に奨励する宗教が登場したことは、この日本だけでなく世界にとっても、大きな福音だと私は思うのです。

『繁栄思考』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




井伊直弼(いいなおすけ)って、日本史で習った名前だけど、いま生まれ変わってたりするのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『財務省のスピリチュアル診断──増税論は正義かそれとも悪徳か』(幸福の科学出版)で、当時、“陰の総理”とまで呼ばれて絶大な権勢を誇っていた勝栄二郎事務次官の守護霊と、黒川白雲幸福実現党政調会長・綾織次郎「ザ・リバティ」編集長らとの対話を、次のように伝えておられます。

綾織 最後に、宗教的な立場からの質問をさせていただきます。先ほど、井伊直弼という名前も出ていましたが……。
勝守護霊 ほう、ほう、ほう。
綾織 あなたと何か関係がありますか。
勝守護霊 私?
綾織 はい。
勝守護霊 私は「勝海舟の子孫」ってことになってんだよ。
綾織 もしかしたら、「その逆の立場にいた」ということはありませんか。
黒川 お話を聴いていると、「安政の大獄」のような情景が非常に見えてくるのですけれども。
勝守護霊 ばれたか。ばれたか。
綾織 そのころに、だいぶ“活躍”されましたか。
勝守護霊 俺、井伊直弼なんだよ、実は。
綾織 おお、それは……。
勝守護霊 ばれたか。だから、おまえらの仲間をいっぱい殺してんだよ、実は。怖がったほうがいいよ。もう、バッサバッサ……。
黒川 「志士を殺してきた」と?
勝守護霊 次々と取っ捕まえては、もう……。
立木 それでは、「最後には首を討たれる」ということですね(会場笑)。
勝守護霊 ああ、そうか。
黒川 「桜田門外の変」と同様に。
勝守護霊 その前に、君たちの大部分、こういう、(会場の聴衆に)前に座ってる意地の悪いやつらは(会場笑)、みな捕まって、牢屋に放り込まれ、“惨殺”されたあと、最後に私がそのクビを切る。
 私がクビを切られるってことはない。「ほかんとこに天下って、退職金をいっぱいもらう」っていうだけのことだから、どうってことないよ。
綾織 「最終的に私たちが勝つ」ということが、よく分かりました。
勝守護霊 名前は「勝」だから、私が勝つから……。
綾織 いえいえ。
立木 「あなたが負ける」ということです。
綾織 あなたがたが負けの流れに入っていることが、とってもよく分かりました。
(159~162ページ)

本書が刊行されたのが、2012年3月。

勝氏が事務次官に就任したのは2010年7月で、通例2年の任期とされているので、本来は2012年7月には退任するはずが、大物事務次官ゆえに1年延長して、民主党政権が続くはずの2013年夏まで在任すると言われていた時期だったと記憶しています。

ところが、7月ころから勝氏退任の報道が流れ始め、実際に8月中旬には、さっさと事務次官を退任してしまいました。ちまたでは、消費税法案が通ったからだという見方が報じられていました。

幕末の大老・井伊直弼による「安政の大獄」は、吉田松陰、橋本左内をはじめとする維新の志士や尊皇攘夷派の人々を大弾圧したことで、維新の動きを逆流させ、幕府滅亡の遠因になった大事件だったと聞いたことがあります。

その主犯とも言える井伊直弼が過去世だったと暴露した形の本書が刊行され、世間に出回ったことが、この予想外に早い勝事務次官の退任につながったことは間違いないと、私には思えてなりません。

なお、先日ご紹介した『「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係』に守護霊インタビューが掲載された島田真・週刊文春編集長は、2012年3月の書籍刊行の翌月、別の雜誌編集部に異動してしまったようです。

霊言集の威力、恐るべし、ではないでしょうか。

『財務省のスピリチュアル診断』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




政治と宗教って、そもそもなじむものなの。統合できたりするのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『政治と宗教の大統合』のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 十一月十六日に衆議院が解散され、十二月十六日の総選挙に向けて、自民党と民主党が対決の姿勢を示すなか、「第三極」というマスコミの美名にあおられて、「維新」やその他の小党が乱立状態である。まるで鍋が熱くなってきたので、生きのびようとドジョウが豆腐のなかに頭から我先に突っこんでいる状態である。
 今朝の新聞も、関西のある知事について、「脱原発掲げ新党結成へ」と第一面に出ているが、また同じ第一面には、「関電、家庭向け電気料金一一・八八%値上げ、企業向け平均一九・二三%値上げする。また九州電力も二十七日に値上げを申請する方針」と出ている。両者の関連についての記事が不思議とないが、もちろん、「脱原発」のあおりで電気料金値上げになるのである。原発反対のマスコミは、その因果関係を説明すると自分たちが悪者になるので、知らんぷりなのである。早く目先ばかり追うポピュリズムは終わりにしたいものだ。政治と宗教を大統合するような哲学が急務である。

あとがき
 どうやら、宗教は悪だから、宗教が政治に進出することも悪であると、マスコミ、教育界をはじめ、この国の人々は薄ボンヤリと感じているらしい。
 なら、いったい、何をもって「善悪」「正邪」を分けるのか。本書は、その根本的問題を追究し、「新しい国づくり」を提唱しているのである。
 時事的な問題をふまえつつも、歴史分析、国際分析も加えたつもりである。
 この国の国論を変えるべく、新しい風を吹かせなくてはなるまい。いまこそ、宗教立国の尊さを知るべき時である。
(1~2、209ページ)

昨年末の選挙戦の真っ最中に出された重要書籍でしたが、ちょっとご紹介が遅れてしまいました。

しかし、時事的なところがあっても、そこに説かれている内容が、とても普遍的な真理であることは、他の大川隆法先生の経典と同様です。

本書もまたは、政治に興味関心を持っている方、必読の文献の一つだと私は思うのです。

『政治と宗教の大統合』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大川きょう子氏の問題って、その後、どうなったの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように教えておられます。

 名誉欲、地位欲、権力欲、財産欲、相手を破滅させる嫉妬にもとづく愛欲などの諸欲のコントロールは実に難しいものだ。もとより、自己を客観視し、反省する心があれば、その身を守り切ることもできるが、たいていは悪魔が忍び寄ってきて、その身を破滅させる。
 仏陀への信仰心を持たぬ文殊菩薩もありえなければ、悪魔の声を神の声と聞き違えて、唯物論の人生を生きるナイチンゲールもいない。
 夫に長らく愛され、護られてきたことがわからず、その天命に殉じようとする志がわからず、何度口にスープを運ぼうとも、その味を知らない銀のスプーンであるならば、宗教家の妻としては失格だろう。きょう子よ、あなたの夫は救世主として生まれ、生きている。その心がわからないなら、潔く去るがよい。悪魔と不倫する妻は近くには置けないのだ。
(210~211ページ)

週刊文春と幸福の科学との間には、昨年の夏に、きょう子氏の記事関係の訴訟に続いて、2つ目の訴訟が起きています。

ご紹介したのは、昨年2012年2月付けの週刊文春に関する本書の「あとがき」ですが、今になって内容をよくよく見れば、これはきょう子氏に宛てた説法となっています。

11月には、正式に離婚が成立したと伝えられていますので、これがきょう子氏に対する救世主として最後の説法だった、ということなのでしょうか。

自戒をこめてですが、それなりに勉強したつもりの人であればあるほど、「スープの味を知らない銀のスプーン」であってはならない、「自己を客観視し、反省する心」を忘れてはならないと深く深く肝に銘じないといけないと私は思うのです。

『「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




やっぱり、世の中を変えるようなことをやって、すごいやつだって評価してほしいよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『勇気の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 スポーツや企業の例で述べましたが、「どのくらいの目標を立てるか」という問題は、ほかの世界でも同じです。目標が高くなれば高くなるほど、失敗は多くなります。しかし、それが、正しい方向であり、自分が興味・関心を持っていて、「やりたい」という気持ちがある道ならば、その道を突き進んでいただきたいと思います。
 特に、若い人には、「新しい時代を開くための礎となりたい」という大きな目標を掲げていただきたいのです。
 新しい時代は、一人だけで開くことはできません。数多くの人が理想を持ち、チャレンジし、その途中に倒れる人たちで“屍累々”になりながらも、怖れずに乗り越えていく者が次々と出てきてこそ、新しい時代が開けてくるのです。
 自分自身が失敗者になることを怖れてはなりません。「自分は屍累々のなかの一人になってもかまわないから、行ける所まで行きたい」と思うのが、やはり青年なのです。
 むしろ、自分が倒れたら、五年後、十年後、二十年後に、その志を受け継いで挑戦しようとする人に対し、「自分を乗り越えていけ。自分の失敗を参考にして、これを智慧に変えて、もっと先へ行け」と言って励ますようであってほしいのです。
 私も、批判などは、若いころから山のように受けています。宗教家として仕事をしていると、「出る杭は打たれる」などというレベルではなく、もっと激しいバッシング(非難)を受けていますが、平気でやってきたのです。
 「負けるものか」と思って、ずっと頑張っているうちに、しだいに仲間が増えてきました。私を信じる人が増えるに従って、だんだん団体ができてきて、そして何十年かたつと、世間の評価も、「まんざら嘘でもなかったのかな」という感じに変わってくるのです。
 人の評価というのは、ずっとあとからついてくるものです。
 したがって、「今すぐに人の評価が得られるのでなければ動けない」というような、卑怯な人間になってはいけません。自分が、「これは正しい」「これは真実だ」と思ったならば、それにチャレンジしていく精神を持たなければならないのです。(中略)
 どうか、孤独を怖れることなく、力強い人生を歩む勇気を持ってください。
(48~50ページ)

自分が失敗者になることを怖れてはならない。

人の評価は、ずっとあとからついてくる。

これは正しい、これは真実だと思ったならば、チャレンジしていく精神を持たなければならない──。

とくに若い人たちに向けて、勇気を強く鼓舞される、大川隆法先生の熱い言魂。

若い人だけではもったいないと思います。それこそ老いも若きも、この教えをまっすぐに受け止め進んで行きたいものだと、心素直に私は思うのです。

『勇気の法』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あーあ、また負けちゃったよ。ぜったいに勝てる、百戦百勝の方法って、ないのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『百戦百勝の法則──韓信流・勝てる政治家の条件』のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 私たちは三年半前から、『幸福実現党』という政党を旗揚げし、国難と戦っている。政策的には予言の如く的中し、シンパもとても増えており、言論を伴う圧力団体としては、一定の戦果をあげている。しかし、民主主義下の政党政治を行うという点においては、いまだ志は果たしえていない。
 さる統一地方選では、幸福実現党員を「無所属」と「幸福実現党」で分けて立候補させたところ、「無所属」で立候補した方が五割以上の当選率で、党員で立候補した方は全員無念な結果に終わった。私たちは、これを「宗教の壁」とか「マスコミの壁」と呼んでいたが、いつまでもそれでは通るまい。組織をバックに持っている者のほうが強くて当然だからだ。
 本書では、漢帝国の立役者、大将軍韓信から、「百戦百勝の法則」を賜った。私たちにはかなり厳しい内容だが、人生の諸事万般の勝利につながる法則を読み取ることもでき、「現代の兵法」として公開に値すると考えた。

あとがき
 勝負に勝つということは厳しいことだ。ましてや、肝心の政策の争点を曖昧にしたほうが選挙においては勝ち、正直に主張したほうが負けるというのでは、民主政か、衆愚政かを見分けるのは難しい。プロとしての政治家は本能的に身を護る術として、争点ボカシができるようになっているらしい。
 しかし私は、この国の国民を信じたい。本当のことを、真正面から正直に取り組んでいる政党は、時差はあっても、必ず認められると信じている。
 本書で示された勝てる政治家の条件は、同時に、勝てる経営者の条件でもあり、勝てる教育者やアーティストの条件でもありえる。まず自己反省から勝利への道を目指していこう。
(1~2、134~135ページ)

勝てる政治家の条件にして、勝てる経営者、勝てる教育者やアーティストの条件。

こんな内容を公開しちゃっても、大丈夫なんでしょうか?! と思わず口にしてしまうほど、ディープなアドバイスに満ちています。

さすが幸福の科学、さすが大川隆法先生、と言うべき驚嘆の霊言集。オススメです!

 

『百戦百勝の法則──韓信流・勝てる政治家の条件』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




神とか仏とか信じられなくても、愛だけは、やっぱり信じられるでしょ? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『愛、無限〔改装版〕』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「あの世は存在する。そして、数多くの魂が、この地上に生命を持って生まれ変わってきている」ということを認めることができない人たちは、気の毒ではありますが、人生というものを「非常につまらないものだ」と思っているのではないかと私は思うのです。自分自身の人生がつまらなく思えるだけではなく、おそらく他の人の人生もつまらなく見えることでしょう。
 なぜならば、そうした人たちは、「人間は、何年か何十年かのちには、死んで土に還る存在、二酸化炭素と水に変わってしまう存在だ」と思っているからです。二酸化炭素の成分は炭素と酸素です。炭素は炭と同じ要素でできていますが、それがそれほど尊いものでしょうか。「そうではない」と私は言いたいのです。
 唯物論的に「物質のみが存在する」と言い張るのは結構ですが、それは、自分自身に対しても、他の人に対しても、親切なことではありません。なぜなら、その考え方には、「愛」という言葉の生まれてくる余地がどこにもないからです。
 愛が生まれてくる原点には、生きているものの尊さに対する無限の信頼があります。「生きているもののすべてが尊い」と思わずに、どうして愛の気持ちが湧き起こってくるでしょうか。地球や、そこに生きている人間が、宇宙の塵にも等しい、つまらない存在であるならば、どうして愛が生まれてくるでしょうか。
 人間が、そうしたつまらない存在であるならば、この二、三千年、あるいは、それ以上の長きにわたる、文明・文化という名の営み自体が、わずか数十年だけ地上に生きる人間の慰み事にしかすぎないことになってしまいます。すべての宗教や道徳は、また、おそらくは哲学も、虚妄、世迷い言となってしまうでしょう。
 みなさんは、自分自身や他人を、そして、生きているものすべてを卑しめる、そのような思想に、心の底から共鳴できるのでしょうか。私は、それを問いたいのです。
 「いや、そうではありません。私は、人間の尊さ、生き物の尊さを信じます。その生命が無限なるものから分かれてきていることを信じます。
 人間は、一時の仮の世である、この世だけの存在ではなく、はるかなる世界に永遠のすみかを持つ存在であり、この地上に幾度も生まれ変わってきては、また去っていき、また来たる存在なのです」
 このように考えることができる人にとっては、他の人には苦悩に満ちた地上界が、きっとユートピアのごとく見え、まったく違った世界が展開していくでしょう。そのときに初めて、人生というものは、虚しいものではなく、積極的なる意味を持ったものになると思うのです。
 したがって、真実の人生を生きるためには、その出発点として、「霊的なる人生観」を打ち立てる必要があります。これなくしては、いくら議論を積み重ねたとしても、すべてが虚しくなるのです。
 それは、ちょうど、砂浜で子供が砂の城をつくるようなものです。子供の目には、その砂の城は堅固な要塞のように見えるかもしれません。しかし、やがて沖から波が寄せてきて、その上を通り過ぎたとき、砂の城は、はかなくも消え去ってしまうのです。
(14~17ページ)

唯物論的に物質のみが存在するという考え方には、「愛」という言葉の生まれてくる余地がどこにもない。

愛が生まれてくる原点には、生きているものの尊さに対する無限の信頼がある。

真実の人生を生きるためには、その出発点として、「霊的なる人生観」を打ち立てる必要がある──。

仏神によって人間が創られたという事実を認めず、あの世があって、この世がある事実、死後も人間は永遠の生命を持っているという事実を認めないような人生観や哲学というのは、ほんとうに虚しいものだと思います。

大川隆法先生の教えに触れることができたのだから、正しい「霊的人生観」を持ち、この世の意味をしっかりと認めて、限られた今世の生命を燃やし尽くしていきたいものだと、私はしみじみと思うのです。

『愛、無限〔改装版〕』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ね、モルモン教徒のロムニー氏が、本選では負けて大統領にはなれなかったけど、アメリカ共和党の大統領候補になったのはきっかけでか、モルモン教って、どんな宗教なのかについて、何度か記事があったでしょ。もう少し紹介してくれないの?

幸福の科学の大川隆法先生は、『モルモン教霊査──アメリカ発新宗教の知られざる真実』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 ここで、モルモン教の歴史について、かいつまんで述べておきましょう。物語だけを聞くと、「信じられない」という人がほとんどかと思います。
 モルモン教は、1800年代に起きた宗教であり、教祖はジョセフ・スミスという人です。彼は、10代のときに、神の声というか、天使の声が聞こえるようになり、ニューヨーク州北部にあるクモラの丘という所で、金版を掘り出すと同時に、二つの宝石を手に入れたそうです。
 その金版に書かれた古代の変体エジプト文字は、そのままでは読めなかったけれども、二つの宝石を通して読むと、なぜかそれが英語に変換されたらしいのです。そうして翻訳された“聖書”が、『モルモン経』あるいは『モルモン書』と言われているものです。要するに、「聖典が金版のかたちで掘り出された」と主張しているわけです。
 ところが、「そのあと、金版と宝石は、空中に蒸発して消えてしまった」といいます。つまり、金版と宝石があったという証拠はなく、英語の翻訳書しか残されていないわけですから、これについては、「創作ではないか」と疑う人が大多数です。
 また、『モルモン書』は、幾つかの書から成るようですが、そのなかの一つには、シェークスピアなどの文章が明らかに入っているため、「おかしいのではないか」と指摘されています。
 さらに、初版からは、すでに3000カ所以上もの修正を加えられているとのことなので、どこで、どう内容が変わっているかは分かりません。
 ともあれ、ジョセフ・スミスという人は、霊の声が聞こえるなど、いろいろな能力を示したようではあります。(中略)
 結局、『モルモン書』と言われるものは何なのかということですが、その要点は、「古代アメリカ大陸には、『旧約聖書』などが説かれていたころに中東から渡ってきた民が住んでいた。その後、イエスは十字架に架かって処刑され、復活をするが、その復活したイエスは、アメリカに渡って来ていたのだ」ということなのです。
 こういう説は、あってもよいと思います。確かに、『聖書』には、イエスが肉体を持って復活したように書いてありますが、500人以上の人々の前に姿を現したあと、彼がどうなったかはよく分からないのです。
 もしかしたら、筏に乗って海を漂流し、アメリカ大陸まで行き着いていたのかもしれません。日本にも、「イエスが来た」という伝説があり、青森には“キリストの墓”もあるぐらいですから、青森で亡くなるより、アメリカで亡くなる可能性のほうが確率論的には高いでしょう。
 あるいは、UFOに乗ってアメリカへ行っている可能性も「ない」とは言えないので(笑)、このモルモン教の説を完璧に否定するつもりはありません。
 そして、「復活したイエスは、アメリカで教えの続きを説き、その後200年ぐらい、キリスト教は続いた」とされています。
(18~21ページ)

…うーん、それで? と聞きたくなる話ですが、この続きは、また次の機会に!

『モルモン教霊査──アメリカ発新宗教の知られざる真実』 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




21世紀の経済のトレンドは、デフレ基調だって、以前、教えてもらったよ。でも、そのために対応しなきゃいけないはずなのに、なかなかみんなマインドが変わらない気がするんだよね。どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『社長学入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 いつの時代でも、いち早く気がつく人は賢い人です。たいていの人は分からないのです。
 例えて言えば、こういうことです。
 踏切を渡るとき、電車が来る前に、ゴーッという音だけを聞いて、「電車が向こうからやってくる」と分かる人は、賢い人です。普通の人は、目の前を電車が通っているときに、「電車が通っている」と分かります。また、電車が通り過ぎてから、「電車が通ったのだ」と分かる人もいます。
 世の中の動きに対する認識の違いを、これに当てはめて考えた場合、割合としては、電車が通り過ぎてから分かる人のほうが多いのです。目の前を電車が通っているときに、それが分かる人は、それでもまだ優れていて、「中の上」以上という感じです。電車の姿が見えないのに、電車の来るのが分かる人は、かなり賢い人です。
 そのように、人によって認識が何年かずれるのです。(中略)
 一九九〇年以降について、「十年不況」とか、「失われた十年」とか、いろいろと言われていますが、「これは政府の失敗だ」「これは旧大蔵省(現財務省)の失敗だ」などと思って済ませている人が多いのです。(中略)
 「確かに、この『十年不況』は失政によるものですが、デフレ自体は構造的なものなので、今後も変わりませんよ」と言われても、「本当ですか」と言う人、「今後を見るまでは分からない」と言い、見終わって、会社がなくなってから気がつく人など、いろいろな人がいます。(中略)
 そういうことで、一般の人の認識は、ずいぶんずれるでしょうが、これは、しかたがないのです。
 したがって、まず、経営者をしている人や、企業に勤めている人たちで、私が述べているようなことをいち早くキャッチした人が、心構えを変え、変化してください。
 そうすれば、自分が経営者の場合は、十人、二十人の会社なら、会社はすぐ変わるでしょう。
 大企業に勤めている人の場合は、そうは簡単にいかないでしょうが、自分の課や部が変わるぐらいのことはありえます。「あそこの課は、何か、ずいぶん変身したよ」「あそこの部は、ずいぶん変わったよ」と言われ、しかも、それが一時の発心ではなく、ずうっと変化し続けるのであれば、ほかのところも見習ってくるでしょう。それが、その会社を救うための牽引力になるでしょう。(中略)
 まず、やれるところからやるしかないのです。私の教えを学んでいる人で、経営者や、会社の部長や課長をしている人から実践するしかありません。あるいは、主任や平社員であっても、できないことはありません。仕事のやり方を変えて実績があがれば、それで周りの人が目覚めることがあるのです。
 そのようにして、あちらこちらで展開していけばよいと思います。
(242~249ページ)

いつの時代でも、いち早く気がつく人は賢い人であり、たいていの人は分からず、人によって認識が何年かずれる。

1990年以降の不況について、政府の失政で済ませている人が多いが、デフレ自体は構造的なもので今後も変わらないと言われても、「本当ですか」と言う人、「今後を見るまでは分からない」と言い、見終わって会社がなくなってから気がつく人など、いろいろな人がいるのはしかたがないことである。

したがって、まずやれるところからやるしかないので、私が述べていることをいち早くキャッチした人が、心構えを変え、変化することを、あちらこちらで展開していってほしい──。

この大川隆法先生の呼びかけに応えて、まず自分から、マインドを変え、行動を変えていく。

そうすることで、持ち場は違えども心を同じくする多くの仲間とともに、トータルの活動として、世の中を少しでもよい方向に変えていく。

それは、大川隆法先生の教えをいち早く学んでいる、私たち一人一人の責務なんだろうと私は思うのです。



『社長学入門』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




マスコミに対する意見って、いろいろあると思うんだけど、天上界からはマスコミってどう見えてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『天照大神のお怒りについて』(幸福の科学出版)で、日本神道の主宰神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の神示を、このように伝えておられます。

 明治維新において、維新の志士を捕縛し、斬り捨てようとした勢力のようなものが、今、マスコミとして現れているのであろう。
 彼らは、政権を批判する任を担っているように見せつつも、実は、現状維持を常に願っており、現状維持の延長上にしか、未来を描けてはいない。
 あなたがたが、本当の意味で、維新の志士を目指しているならば、彼らは、「それを捕らえ、獄に送り、斬り捨てることを仕事としている者」であろうし、「違いたる者を、維新の志士のように持ち上げて、分からなくすることを任としている者」であろう。
 だから、すべてのマスコミが悪魔の支配下にあるとは言わないけれども、「小人の支配である」ということは言えよう。
 ただ、時の権力に媚び、自らの生存のみを汲々として追い求めている者たちが、そうした小人物の固まりが、聖なる者たちを穢(けが)すならば、それなりの反作用が来るであろう。
 彼らの本質は、その小人物性にある。
 小人物であるがゆえに、一方では、間違った政策判断をする者たちを持ち上げてみたり、他方では、地震や津波、火山爆発等を恐れたりもする。これは、すべて、小人の証明である。
 こうした小人たちに対しては、信念をもって、正しい道を示さねばならないであろう。
 あなたがたは、意思決定のできない為政者がマスコミに振り回される姿を見続けているとは思うけれども、「小人をして小人たらしめよ」ということを申し上げたい。
 いろいろな意見を井戸端会議的に言うことは許されるとしても、聖なるものを穢すことは許されない。「決して許されない」ということを示さなくてはならないでしょう。
(49~52ページ)

マスコミは、政権を批判する任を担っているように見せつつも、実は現状維持を常に願っている、小人物である。

ただ時の権力に媚び、自らの生存のみを汲々として追い求めている、そうした小人物の固まりが聖なる者たちを穢すならば、それなりの反作用が来るであろう。

いろいろな意見を井戸端会議的に言うことは許されるとしても、聖なるものを穢(けが)すことは決して許されない──。

無神論国家と呼ばれて恥じることなき日本人に対して、天照大神は本書でかなり厳しい御言葉を述べておられるわけですが、その中でも、特にマスコミを批判しておられる箇所を、今日はご紹介してみました。

一人でも多くのメディア関係者のみなさんが、「神の怒り」を素直に受け止め、ジャーナリズムの原点を思い起こして下さればと私は思うのです。

『天照大神のお怒りについて』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 最近ようやく円高が是正されて円安だし、日本は輸出立国なんだから、これからガンガン輸出していくのがいいんだよね? なーんてこと考えてる人いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『政治の理想について──幸福実現党宣言②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 日本は、貿易において「輸出立国」の立場を長らく取ってきましたが、これからは、日本製品を外国に買ってもらうためにも、「他の国の産業を育てなければいけないのだ」という使命感を持つ必要があります。「他の国の産業を育て、導く」という先生役としての労を厭ってはならないと思います。
 他の国のものを買うことで、その国を富ませ、日本の製品を買ってもらえるようにしていくことです。互いに売買をすることで経済は大きくなっていくのですから、そういう努力をしなければいけません。
 それが貿易による「国富増大への道」であると思います。
 「片方には、売るものが何もなく、片方には、売るものが数多くある」という一方的な関係では、やはり、国対国の貿易は成り立っていきません。「片方が完全な赤字で、片方が完全な黒字」という状態だと、貿易は長くは続かないのです。
 したがって、相手の国にも産業を興してあげなくてはいけません。(中略)
 先進国の戦略としては、次のようなことが大事であると思います。
 発展途上国に対しては、将来、自分たちが必要になると思われるものをつくってもらえるように、指導していくことです。「将来、こういうものが必要になる」と思うものがあれば、お願いをして、それをつくってもらうようにし、自分たちは、さらに高度なものへとシフトしていくことです。
 日本の工業はかなり進んでいますが、航空機産業や宇宙産業は、まだ十分ではないので、ここを開拓しなければいけません。
(155~157ページ)

先進国である日本は、日本製品を外国に買ってもらうためにも、他の国の産業を育てるという使命感を持つ必要がある。

互いに売買することで経済は大きくなっていくのだから、他の国のものを買うことで、その国を富ませ、日本の製品を買ってもらえるようにしていくのが、貿易による「国富増大への道」である。

発展途上国に対しては、将来、自分たちが必要になると思われるものをつくってもらえるように指導していき、自分たちは、航空機産業や宇宙産業など、さらに高度なものへとシフトしていくことである──。

大川隆法先生は、「国師」だからといって、日本だけのことを考えておられるわけではありません。

同時に「世界教師」として、つねづね世界全体、地球全体の発展・繁栄を見据えておられることは、お教えのなかで随所に感じられるところです。

いずれにしても今日は、「先進国としての日本の使命」というもう一段大きな視点を持つことで、為替問題とか貿易問題とかについても、見え方がぜんぜん変わってくる、ということなんだろうと私は思うのです。

『政治の理想について──幸福実現党宣言②』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




なんでマスコミって、新しい宗教をなんだか軽蔑して書いたりするんだろうね。一度紹介されたけど、つまりは、戦後の宗教学が原因なのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悲劇としての宗教学』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 生前の岸本氏は、「科学としての宗教学」を唱えつつ、「価値中立」という立場をとっていました。(中略)こうした傾向は、この人の孫弟子ぐらいに当たる宗教学者たちや宗教評論家たちにも出ていると思います。(中略)
 「科学としての宗教学」という考え方のなかには、やはり、一種の実験科学のような思考があり、「検証ができないものについては科学性がない」と思っているところがあるわけです。そのため、検証できないものに対しては、迷信に近いもののような捉え方をするのです。
 この岸本宗教学も、結論を言えば、「神や天使、スピリッツ(霊)などというものは、イリュージョン(幻想)、妄想なのだ」というような考え方なのです。そして、その考え方を「科学的だ」と思っているわけです。
 しかし、これは宗教学でとるべき立場ではないと私は思うのです。(中略)
 それから、「価値中立」の考え方には、結局、基本的に価値判断を放棄しているところがあると言えます。
 やはり、宗教にも善悪はありますし、間違っている部分や理論の濃淡もあります。そのへんについての判断を放棄しているところに怠慢さがあると思うのです。
 宗教学に携わっている研究者と会ったときの印象を述べると、彼らは、「自分は中立的立場なのだ」と考えており、ある意味で、裁判所の裁判官の立場にいるような気持ちでいました。そして、宗教に携わっている人間や宗教家を、高い所から客観的に見て、アリの観察でもしているかのようでした。(中略)
 そして、「自分は当事者ではないのだ。だから、信仰にハマったら駄目なのだ。信仰にハマらないことによって、客観的に見ることができるのだ。それが価値中立性だ」と捉えているように感じられました。
 そのため、彼らは、あえて信仰から遠ざかろうとするのです。「一生懸命、教義に吸い込まれないようにしている」というように見えました。
 しかし、こういう価値中立の態度を、私は、オウム教事件のときに、かなり批判したのです。
 価値中立の態度をとると、結局、悪い宗教も、よい宗教も、一緒にしてしまいます。しかし、「おかしい宗教について、『おかしい』と言えないようでは、学問としての正統性はないのでないか」と私は思うのです。(中略)
 岸本教授の後任は故・柳川啓一氏ですが、この流れを汲んだ三代目が、だいたい今の世代です。そして、今は、また次の世代に移行しようとしている時代かと思います。
 岸本宗教学の影響は東大以外の大学にも出ています。教育学部の左翼化と相まって、宗教学や仏教学にも同じ傾向が生じているのですが、こういう唯物論化、あるいは、この世化している部分には、やはり、ある意味での害毒に当たるものがあるのではないかと私は思います。
(14~21ページ)

(東大の宗教学の教授であった)生前の岸本氏は、「科学としての宗教学」を唱えつつ「価値中立」という立場をとっていたが、その唯物論化の害毒は、孫弟子ぐらいに当たる宗教学者たちや宗教評論家たちにも流れている。

「科学としての宗教学」という考え方は、あたかも実験科学のように、検証できないものに対して迷信に近いような捉え方をするが、これは宗教学がとるべき立場ではない。

「価値中立」の考え方は、価値判断を放棄して、悪い宗教もよい宗教も一緒にしてしまうが、おかしい宗教について『おかしい』と言えないようでは、学問としての正統性はない──。

東大の岸本英夫教授が源流となって、それを受け継いだ柳川啓一教授、そしてその弟子筋の学者がそろそろ引退しようとしているのが、今の宗教学界の流れということです。

ちょっとむずかしい内容かもしれませんが、本書は、現代宗教学の源流としての「岸本宗教学から流れる毒水の研究」とでもいうことになりそうです。

宗教を学問的にも深く学びたい方にとっては、興味尽きない、教訓に満ちた内容ではないかと私は思うのです。

『悲劇としての宗教学』 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ