幽霊なんて、なりたくないよね。でも、死んだ人がみんな幽霊になるわけじゃないでしょ。どんな人が、幽霊になるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、書籍『ハウ・アバウト・ユー?』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
自分自身が霊となったときには、できれば、こういうふうに、遺された者たちがそれぞれ幸福になっていくように願いたいものです。
「この世への執着を断ち、あの世から見守ろう。
自分は自分で、新しい世界で、
また友達をつくって生きていこう」
そういう気持ちを持つことが大事です。
このような人は天国に行くのです。
そうではなく、この世に遺っている妻に取り憑き、「おれがやった土地と家なんだから、他人なんか入れたら絶対に許さんぞ」などと言っていたら、確実に幽霊になってしまいます。
遺された人たちが幸福になるように、あの世から祈ることができるような気持ちになりたいものです。
この世からは必ず去っていくものなので、「そういうものだ」と最初から思っておかなければいけません。(中略)
ほんとうに相手を愛しているのならば、相手の幸福を願うべきであり、相手の不幸を願うべきではありません。
もし、自分が「愛だ」と思っているもののなかに、相手の不幸を願う気持ちがあるならば、それは自我我欲の愛です。
それは、自己保存欲、あるいはプライド、「自分がかわいい」という気持ちでの「愛」なのです。
ほんとうの愛だったら、相手のその後の幸福を願わなければいけません。
相手の不幸を願ったり、「再婚相手の若い女性を次々と取り殺し、最後には、好きだった男まで殺してしまい、あの世に引きずり込んで連れていく」などということでは、完璧に地獄行きです。それは悪霊の段階まで行っています。
そんなふうにはなりたくないものです。
(61~65ページ)
生き残った妻に取り憑き、自宅に他人を入れたら絶対に許さないなどと言っている人は、確実に幽霊になってしまう。
相手の不幸を願ったり、再婚相手を次々と取り殺し、最後には好きだった配偶者まで殺してしまい、あの世に引きずり込むようでは、悪霊であり、完璧に地獄行きである。
ほんとうに相手を愛しているならば、相手の幸福を願うべきであり、相手の不幸を願うべきではない──。
何が天国で、何が地獄なのかは、そうそう一筋縄にいかない問題です。
抽象的な言葉で学ぶことができたとしても、いざ自分の問題になると、わからなくなるもののようです。
ここでは、要は「奪う愛」と「与える愛」の違いについて、幽霊になってしまうかどうか(=天国に還れるかどうか)、という観点から、わかりやすく教えて下さっているのだと私は思っているのです。
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『ハウ・アバウト・ユー?』
大川隆法著
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