ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



宗教ってさ、断食しなきゃいけなかったり、夜も寝ないで坐禅させられたり、女性に触れたらいけなかったりするでしょ。なんであんなことさせるのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 さて、あの世において、いちばん不思議なことは何でしょうか。(中略)「この世において、どうしても不可欠なものが、あの世では必要なくなる」ということです。
 例えば、食欲は、この世において否定できないものです。三度三度の食事を取れていれば、それほどお腹は空かないかもしれませんが、さすがに、一日のうち一度も食べないというわけにはいかないでしょう。やはり、一定の時間がたったら、お腹がグーグー鳴ってしまいます。食欲というのは、それほど苦しいものです。
 それから、睡眠欲があります。これも否定できません。寝ない実験をやり、「私は一睡もしなかった」と、いくら言い張っても、隠しカメラで撮って見たら、こっくりこっくりしているのが普通でしょう。この睡眠欲との闘いも勝てるものではありません。
 食欲、睡眠欲、性欲というのが、この世の人間が持っている三大欲です。
 しかし、あの世の霊たちは、この三大欲がなくても生きていけます。そういう世界に住んでいるのです。

 そうすると、過去、「宗教修行」と言われてきたものの意味が分かってくるでしょう。
 つまり、宗教修行というのは、「この世の肉体生活においては、欲が不可欠だけれども、あの世に行って、霊界で生活するときには要らなくなる。それを、この世において体験してみよう」という趣旨であることが多いわけです。
 例えば、断食修行で何も食べずに我慢してみたり、夜も寝ずに坐禅を組んでみたり、あるいは、異性との接触を避けてみたりするように、宗教修行には、「あの世に行ったときの体験を、この世でしてみよう」というテーマがよく出てくるのです。
 これは、「あの世での生活を、この世で実践することによって、少しでも霊的な人間になろう」という努力であったと言ってよいかもしれません。

 ただ、今回、私は、三十年近く霊的体験をいろいろと積むことで、「昔の、キリスト教や仏教、あるいはその他の宗教が言っていることは、どこまでがほんとうなのか」が分かってきました。
 二千年、三千年という歴史が重なると、その間に、やはり、数多くの人の解釈が入ってきます。
 例えば、キリスト教でいえば、法王のような人でしょうし、仏教でいえば、僧侶たちです。こうした人たちが、歴代、自分の考えを入れてきているので、「ほんとうの正しい姿の宗教が、現代ただいまに伝わっているかどうか」には、やや疑問があるのです。
 伝言ゲームでは、十人の人に伝えたら、結論が正反対になってしまうことがありますが、それと同じようなことです。特に、昔は、現代よりも、「記録を残す」という意味では劣った時代であったので、「祖師の教えが正確に伝わっていない」と言ってよいと思います。
(27~31ページ)

食欲、睡眠欲、性欲が、この世の人間が持つ三大欲であるが、あの世の霊たちは、この三大欲がなくても生きていける世界に住んでいる。

宗教修行というのは、「この世の肉体生活では不可欠な欲も、あの世(霊界)の生活では要らなくなるので、それをこの世において体験してみよう」という趣旨であることが多い。

これは、あの世の生活をこの世で実践することによって、少しでも霊的な人間になろうという努力であったと言ってもよい──。

宗教がほんとうは何を伝えようとしているのかを、大川隆法先生は、現代の日本語で、こういうふうに分かりやすく教えて下さる。

その教えをストレートに、そしてとても手軽に学ぶことができる私たちは、なんと幸福な立場にあることかと、改めて私は思っているのです。

死んでから困らない生き方―スピリチュアル・ライフのすすめ (OR books)

『死んでから困らない生き方』

 大川隆法著


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人生を幸福に生きるためには、やっぱし体がすべてだよね。体をこわしたら元も子もないから、健康診断は必ず受けて、早めに病院にかからなきゃ、ね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡のガン克服法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 医学の進歩・発展は結構なのですが、西洋医学の考え方の基礎には、かっちりとした唯物論、すなわち、「この世には物しかないのだ」という考え方があります。
 西洋医学は、「物」対「物」、要するに、「物としての薬」対「物としての人体」という関係を研究しています。「物としての人体に、物としての薬が効くかどうか」という観点で見ているのです。
 そこで扱われる人間の体は、どちらかといえば、「一種の機械である」と見られています。そして、「病気は機械の故障であるから、部品を取り換えるなり修繕するなりしなければ治らない」という考えが主力なのです。
 それは、ちょうど、修理工場で車が修理されるような状況でしょうか。
 病院では、「どこかの部品が傷んでいないか。電気系統や車体が傷んでいないか」などという観点で、いろいろな検査が行われ、傷んでいるところを取り換えるなり修繕するなりされるのです。そして、「ガソリンを入れる代わりに点滴をする」というようなかたちになっています。(中略)
 確かに、そういう面は、ないわけではありません。しかし、私が過去に何度も述べているように、人間が「自分だ」と思っている体は、あくまでも乗り物にすぎないのです。
 自分の体を車に見立てても構わないのですが、あくまでも体は乗り物であり、みなさんの本質は、その車のなかに乗っている運転手のほうなのです。そのことを、どうか忘れないでいただきたいと思います。
 「車の性能がよいか悪いか」ということだけが、「よい運転ができるかどうか」ということにつながるわけではありません。(中略)みなさんが乗っている車は、ほとんどの場合、それほど高性能ではなく、世間によくある、ありふれた車です。とりあえず用を足せればよく、隣の町まで走ってくれればよいぐらいの車なのです。そして、「運転が上手か下手か」ということで、事故が起きたり起きなかったりしているわけです。(中略)
 自動的に危機を察知し、障害物をよけるような高級車ではないため、居眠りをすれば必ず他の車や家などにぶつかります。(中略)運転手が酒に酔っていれば、当然ながら、交通法規を守った運転はできません。これは当たり前のことです。
 車自体に関心を持つのは結構ですが、あくまでも、乗っている人間の注意力や判断力、健全さ、智慧などが、健康に生きていく上では非常に大事なのです。
 それほど高性能の肉体を両親から頂いていなくても、注意深く運転していれば、事故を起こさずに一生を送ることは可能です。そのことを、まず、前提として知っていただきたいのです。
(18~22ページ)

西洋医学の考え方の基礎には、この世には物しかないという、かっちりとした唯物論の考え方がある。

そこでは、人間の体は一種の機械と見られており、病気は機械の故障だから部品を取り換えたり修繕しなければ治らない、という考えが主流となっている。

しかし、人間が自分だと思っている体は、あくまでも乗り物にすぎず、人間の本質は、その車に乗っている運転手のほうであることを、忘れないでほしい──。

人間は、魂(霊)と肉体とでできているが、人間の本質というのは、肉体のほうではなく、魂(霊)のほうである、という真実があります。

今回、大川隆法先生は、この真実を、運転手と車にたとえることで、わかりやすく説いて下さったのだと私は思っているのです。

奇跡のガン克服法―未知なる治癒力のめざめ (OR books)

『奇跡のガン克服法―未知なる治癒力のめざめ』

 大川隆法著


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最近、ラーメン屋とか中華料理とかに行くと、たどたどしい日本語の店員さんがものすごく増えてると思うんだけど、外国人が日本でそんなに働いてるのって、どうなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『朝の来ない夜はない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ニューヨークで感じたことがもう一つあります。それは、「日本も、もっと移民を受け入れなければいけない」ということです。
 私は若い頃、ニューヨークにいました。ニューヨークには世界から若者が集まり、勉強して自分の国に帰ります。そして、母国の発展に寄与するエリートがたくさん輩出するのです。
 今、日本も、そういう役割を果たさなければならない時期が来ました。日本は、一生懸命、移民制限をしていますが、今後、もっと移民が入ってくるでしょう。「先進国の人なら入ってきてもかまわないが、発展途上国の人は、あまり入れたくない」というのは、世界第二位の大国としては、わがままな考え方です。やはり、移民を受け入れていかなければならないのです。
 かつて、明治時代には、日本からアメリカに行き、皿洗いをしていたような人たちが、かなりの数、日本の大人物や政財界の大物になっています。
 したがって、日本も途上国から人材を受け入れなければいけません。日本には、そういう義務があると思います。日本から学ぶことは、たくさんあるのです。
 アジアやアフリカの国では、日本との年収差が、十倍、百倍ということもあり、多くの外国人が働きに来たいと思っています。そのように、いろいろな国の人が来たいと思う国は良い国です。未来の国なのです。もう少し移民を受け入れ、その人たちを日本で育て、母国に帰してあげる必要があります。
 そうすることによって、かつてのアメリカが、自分たちの考え方を輸出し、外国にどんどん広げていったように、日本的な成功の方法を、アジア、アフリカの人たちに伝えることができるのではないでしょうか。
 日本人も英語を勉強しなければいけません。しかし、それとともに、日本に関心のある外国の人たちに日本語を勉強してもらい、どんどん日本に来てもらうことも必要だと思います。
(91~93ページ)

日本は、一生懸命、移民制限をしているが、先進国の人ならいいが発展途上国の人はあまり入れたくないというのは、世界第二位の大国としては、わがままな考え方である。

ニューヨークには、世界から若者が集まって、勉強して自分の国に帰り、母国の発展に寄与しているが、今、日本もそういう役割を果たさなければならない時期が来た。

そうすることによって、かつてのアメリカが、自分たちの考え方を輸出し、外国にどんどん広げていったように、日本的な成功の方法を、アジア、アフリカの人たちに伝えることができる──。

主エル・カンターレは、人類の魂の親であるわけですから、今世、下生された日本の地の国民だけを大事だと思っておられるのではなく、肌の色の違いがあろうとなかろうと、言葉や宗教が違っていろうがいまいが、世界のすべての国の人々を大切に思っておられるの、当然のことです。

その「仏」の視点からは、日本人が自分たちの国だけで閉じた平和を享受しようとしているのが許されないと考えられるのは、やはり当然のことなのでありましょう。

幸福実現党を、その防衛政策だけをみて国粋主義の政党であるかのように勘違いする人もいるようですが、その移民政策は、国粋主義どころかその正反対で、とても開かれたものです。

本書が刊行されたのは、2009年のはじめのことでした。

当時、こういった言論はほとんど見なかった気がするのですが、いまたけなわの自民党総裁選で議論されているのは、まさに隔世の感があるように私は感じているのです。

 

朝の来ない夜はない―「乱気流の時代」を乗り切る指針 (OR books)

『朝の来ない夜はない』

 大川隆法著


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やっぱし、成功していくためには、自分自身の能力が高くなきゃ問題にならないよね。それで尽きるんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 真のリーダーになっていくためには、最初は、もちろん、個人としての能力が高くなければいけませんが、次は、頭のよい人をブレーンとして使えなければいけません。また、昔で言えば、戦が強い大将でしょうが、いまで言えば、腕利きの営業部長や、突出したナンバーワンの営業マンなどを揃えていくことが必要です。
 営業能力が高ければ、「商品力が低くても、どんどん売り込んでいける」という面があります。あるいは、参謀の能力が高ければ、「大した商品でなくても、上手な作戦で、うまく広告をして商品を浸透させ、シェアを取ってしまう」ということもあります。
 才能を持って立ち上がってくる人というのは、技術系なら、技術の能力がある人、営業系なら、営業能力の高いバリバリの営業マンで、会社からボーナスをもらうだけでは物足りず、自分で会社を起こす人などです。
 そのように、会社であろうと何であろうと、最初は、何か一つ才能があれば、それで一気に大きくなるのですが、ある程度のところで限界が出てきます。
 その限界を乗り越えるためには、結局、「自分にない才能のある人、自分が持っていない才能を持っている人を味方につけ、その人の献策を受けて、その策が正しいかどうかの判断ができる」ということが大切です。自分の頭のなかにはない考え方を人から示されたときに、「それが正しく機能するか否か」ということについての、ひらめき、判断、直感力が必要なのです。
 この直感が外れる人は駄目なのです。これが外れる人は、その段階で、だいたい終わりになります。
 自分にそれほど能力がなくても、直感力が正しい人、「これは、いけるのではないか」という勘が当たる人は、才能のある人を使っていけます。ここは難しいところです。
 では、どうすれば、「これは正しい」という勘がひらめくのでしょうか。それには、自分では、そういう考え方を生み出すことはできないにしても、相手の人となりや能力が分かることが大事です。
 たとえば、企画書を上げてくる人や営業をする人などについて、「この人ならば、ここまでやれる」という、能力の判断ができること、その人の長所も弱点も知りながら、「この人の持っている運勢、運のパワーから見て、こういう局面において、勝てるか、勝てないか」という見方で判断できることです。
 この判断力のある人が上に上がっていきます。最初は、個人に能力がなければいけないのですが、次は、それだけでは上に上がっていけないのです。
(234~237ページ)

真のリーダーになっていくためには、最初は個人としての能力が高くなければいけないが、ある程度のところで限界が出てくる。

その限界を乗り越えるためには、自分が持っていない才能を持っている人を味方につけ、その人の献策を受けて、その策が正しいかどうかの判断ができることが大切である。

そのためには、相手の人となりや能力、長所も弱点も知りながら、その人の運のパワーが分かることが大事である──。

人を使うことは、本当にむずかしいことです。

でも、それができる人こそが、大きく発展していくことができる。

今日、教えていただいたのは、その秘訣の真髄の部分なのだと、改めて私は思っているのです。

希望の法―光は、ここにある

『希望の法』

大川隆法著


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UFOとか宇宙人とかいうと、アメリカに「エリア51」という秘密基地があるって話が、よく出てくるよね。あれって、ほんとうにあるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ネバダ州米軍基地「エリア51」の遠隔透視──アメリカ政府の最高機密に迫る』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 古来、釈迦のように悟りを開いた人には、「六神通」が備わっていると言われる。人知を超えた六種の自由自在な能力のことで、〈神足通〉〈天眼通〉〈天耳通〉〈他心通〉〈宿命通〉〈漏尽通〉のことを言う。
 このうち〈神足通〉は、飛行・変身の能力とも言われるが、実際は体外離脱(幽体離脱)して、地上のあらゆる場所や、能力によっては、宇宙の星々をも視てくる能力である。
 また、〈天眼通〉は、衆生の転生の状態を知る能力、または、あらゆるものを見通す能力と言われているが、時空間をも超えた遠隔透視能力と言ってもよいだろう。
 本書に語られる「ネバダ州米軍基地『エリア51』の遠隔透視」は、私自身の霊体の一部を飛ばして、UFO目撃情報の多い「エリア51」の地下基地に潜入して視たものをレポートした内容で、〈神足通〉と〈天眼通〉をミックスして使ったものである。私がただの霊媒ではなく、日本の最高秘密兵器(?)でもある事実がわかるであろう。

あとがき
 UFO情報後進国であり、ほとんど宇宙人情報鎖国状態にある日本に住む人々のために、おそらくは人類最高の霊能力を持つ著者が、啓蒙活動の一環として著した書物である。
 「信教の自由」を、「信じない自由」もある、と解釈するあわれな人々もいるが、もっと心を開かねば、未知なる世界を科学することはできないのだ。
 米軍のトップ・シークレットにも迫る内容なので、特殊な装丁にさせて頂いた。
 なお、国内では、ほとんど報道されなかったが、「二〇一一年フロリダ沖UFO墜落事件」は、米国三大ネットワークでも報道された事件なので、「タイム・スリップ・リーディング」を行った。日本のマスコミの後れを知って頂ければ幸いである。
(1~2、218~219ページ)

あまりに恐るべき書物、だと思います。

立ち読みができない装丁となっており、値段も高価ですが、この分野に興味関心がある方にとって、それだけの価値がある内容であるのは間違いないと思います。

UFOが実在していたことを、アメリカ政府が明かしはじめている今、本書刊行の意義はますます高まっていると強く感じます。

その真価をたしかめたい方には、ぜひ実際に手にとって目を通されることを、強くお勧めしたいと改めて私は思っているのです。

ネバダ州米軍基地「エリア51」の遠隔透視

『ネバダ州米軍基地「エリア51」の遠隔透視』

 大川隆法著


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私って、暗い人生なのかな。明るい人みると、なんだかちょっとね。明るく生きてるなんて、なにかいいことあるっての? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、子ども向け書籍『しあわせってなあに 第1巻(新版)』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

「明るく生きる」ということは、
「えがおで生きる」ということです。
えがおで生きるということは、
いつも、にこにこしているということです。
にこにこ生きると、どうなるか、わかりますか。
にこにこしていると、
通りすがりの人も、みんな、
「なにかいいことがあったんですか。」
「きょうは、とくべつにいいことがあったんでしょう。」
「きょうは気分がいいのかな。」
「きょうは楽しいことがあったんですか。」
と、聞いてくれるのです。
どうしてでしょう。
それは、
にこにこしたえがおというのは、
ほかの人にも、
とってもいい気持ちを起こさせるからなのです。

――いい気持ち……。
なんだろう、このいい気持ちは? 
なにかににているなあ。
そうだ、この気持ちは、どこかで感じたことがあるぞ。
どこだったかなあ……。
思い出した、思い出した。
お日さまがぽかぽかとさしてきたときに、
急に体があったかーくなった。
あのときに、
えがおのときのような気持ちがしたなあ。
お日さまが、
ぽかぽか、ぽかぽかとさしてくると、
着ている服があたたかくなって、
そしていつも、
えがおでいるときのような
気持ちになったなあ。
そうだ、にこにこしていると、
お日さまのようだから、
みんなからすかれるんだ――。
(12~16ページ)

大川隆法先生が、子ども向けに優しく説かれた、この絵本の言葉は、大人の私たちの心にも響きます。

やはり、やさしい言葉の中にこそ、真理は宿るのだと、改めて気がついた気が私はしているのです。

『しあわせってなあに 第1巻(新版)』 

 大川隆法著


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現代の女性は、女神になれるのかな。女神に近づいていくためには、どうすればいいのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『女神イシスの降臨』(幸福の科学出版)で、エジプト神話で名高い女神、イシスの霊の言葉(霊言)を、以下のように伝えておられます。

 今は、女神にとって、厳しい時代だと思いますね。いろいろな時代があり、それぞれ、よし悪しはありますが、民主主義の時代は女神には少し厳しいと思います。
 女神は、ある程度、生まれるところを選んで出てきます。何というか、女神になれるようなルートを通じて出てくることが多いのです。どちらかというと、王家とか、そういうものがあるところのほうが出やすいんですよね。
 女神というものも、やはり、文化を必要とするものなので、現代のように、一代で出てくるスタイルになると、女神としては、けっこう厳しいかな。現代において女神になるのは、とても厳しいですね。(中略)
 職業的成功により社会的地位を築いて女神になるには、そうとうな苦労があるのです。でも、今の民衆のなかに生まれる場合だと、結婚する相手も、生まれつき決めることができないのです。結婚の相手が決まっていれば、「その伴侶である」ということで、地位が築けるところもあるのですが、これについても、やはり、大人になってみなければ分からないところがあるのです。(中略)
 投票箱から女神を選ぶのもまた難しいのです。選挙のようなもので選ばれるのも難しいでしょう? 今は、政治家など、権力を持っている者であれば、投票箱から選ばれなくてはいけないけれども、投票箱から女神は生まれないんですね。
 血筋として、王家や貴族があれば、女神は生まれやすいけれども、貴族制もなくなってきていますよね。
 あとは、「“学歴女神”というものは存在するか」ということですが、「勉強がよくできることでもって女神になる」ということにも、やはり、なかなか難しいところがあります。
 また、「美貌だけで女神になれるか」といっても、「外見上、美しい」ということだけでしたら、競争が激しく、そういう人はたくさんいて、女神の条件としては、やや足りないものもあるような気がします。(中略)
 「女神の要件」は、うーん、最後は、やはり、「信仰と美の一致」だと思います。(中略)「自らも信仰を持っている存在でありながら、人々をも信仰に導く存在でなければならない」と同時に、やはり、「美の心を伝えることによって、人々に、心の潤いを与え、生きていくための喜び、歓喜、そういうものを与えていく存在だ」と思いますね。
(140~145ページ)

民主主義の時代は、女神には厳しい時代である。

その中にあって、女神の要件は、「信仰と美の一致」である。

女神とは、自らも信仰を持っており、人々を信仰に導く存在であると同時に、美の心を伝えることによって、人々に心の潤いを与え、生きていくための喜びを与えていく存在なのである──。

今日のお言葉を素直に受け止めれば、もとの出自がどこであったとしても、今世、信仰と美を一致させる努力をしていくことで、女性は女神の世界に入っていくことが可能になる、ということでしょうか。

うーん、今日は、現代の女性にとって、とても大事な生き方の指針を、イシス女神に教えていただいたのではないかと、改めて私は思っているのです。

女神イシスの降臨―古代エジプト神話の謎に迫る (OR books)

『女神イシスの降臨』

 大川隆法著


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幽霊なんて、なりたくないよね。でも、死んだ人がみんな幽霊になるわけじゃないでしょ。どんな人が、幽霊になるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、書籍『ハウ・アバウト・ユー?』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 自分自身が霊となったときには、できれば、こういうふうに、遺された者たちがそれぞれ幸福になっていくように願いたいものです。

 「この世への執着を断ち、あの世から見守ろう。
 自分は自分で、新しい世界で、
 また友達をつくって生きていこう」
 そういう気持ちを持つことが大事です。
 このような人は天国に行くのです。

 そうではなく、この世に遺っている妻に取り憑き、「おれがやった土地と家なんだから、他人なんか入れたら絶対に許さんぞ」などと言っていたら、確実に幽霊になってしまいます。
 遺された人たちが幸福になるように、あの世から祈ることができるような気持ちになりたいものです。

 この世からは必ず去っていくものなので、「そういうものだ」と最初から思っておかなければいけません。(中略)

 ほんとうに相手を愛しているのならば、相手の幸福を願うべきであり、相手の不幸を願うべきではありません。

 もし、自分が「愛だ」と思っているもののなかに、相手の不幸を願う気持ちがあるならば、それは自我我欲の愛です。
 それは、自己保存欲、あるいはプライド、「自分がかわいい」という気持ちでの「愛」なのです。

 ほんとうの愛だったら、相手のその後の幸福を願わなければいけません。
 相手の不幸を願ったり、「再婚相手の若い女性を次々と取り殺し、最後には、好きだった男まで殺してしまい、あの世に引きずり込んで連れていく」などということでは、完璧に地獄行きです。それは悪霊の段階まで行っています。
 そんなふうにはなりたくないものです。
(61~65ページ)

生き残った妻に取り憑き、自宅に他人を入れたら絶対に許さないなどと言っている人は、確実に幽霊になってしまう。

相手の不幸を願ったり、再婚相手を次々と取り殺し、最後には好きだった配偶者まで殺してしまい、あの世に引きずり込むようでは、悪霊であり、完璧に地獄行きである。

ほんとうに相手を愛しているならば、相手の幸福を願うべきであり、相手の不幸を願うべきではない──。

何が天国で、何が地獄なのかは、そうそう一筋縄にいかない問題です。

抽象的な言葉で学ぶことができたとしても、いざ自分の問題になると、わからなくなるもののようです。

ここでは、要は「奪う愛」と「与える愛」の違いについて、幽霊になってしまうかどうか(=天国に還れるかどうか)、という観点から、わかりやすく教えて下さっているのだと私は思っているのです。

ハウ・アバウト・ユー?-幸せを呼ぶ愛のかたち (OR books)

『ハウ・アバウト・ユー?』

 大川隆法著


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教育の根本に必要なものって、何かあるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この世的な評価とは別に、その人が宗教的な素養を持っていること、「仏や神の目、仏や神の考えというものを意識しながら育ち、大人として生き、子育てをしている」ということは、とても重要なことです。
 この世では、宗教的なものの有無にかかわりなく、この世的な価値観で平面的に色分けをされているだけですが、真実の目で見たならば、その違いには大きなものがあります。
 たとえば、学校の場合、この世的な値打ちは同じようなレベルであっても、宗教的な真理が入っている学校と、そうでない学校との違いは大きいと言えるでしょう。(中略)
 「魂の自己鍛錬、魂の自己訓練としての教育は、いったい、どうあるべきか。何を基にすべきか」ということを考えなければなりません。
 根本的には、まず、「信仰は尊いものである」ということを知ることが大事です。
 いまの日本において特に問題なのは、信仰を嘲笑う風潮がまだ根強いことです。信仰を持っている人を軽蔑したり、ばかにしたり、劣った者であるかのように言ったりする風潮がありますが、これは悪しき風潮です。
 人々に信仰がなくて、いちばん喜ぶのは誰であるかといえば、それは悪魔です。
 「信仰がない」ということは、「仏や神を否定する」ということであり、「この世は仏や神の支配する世界ではない」と言っていることと同じなのです。
 「信仰を持っている人は、おかしい」と言って、嘲笑うような無信仰者が多数になるならば、「この世に仏や神の力は及ばない。この世は闇の世界である。空に太陽が出ていても、屋根をつくれば日は射さない」と宣言していることと同じです。
 信仰の否定は、「この世を、悪魔の支配に委ね、悪魔の世界とする」ということになるのです。それを知らなければいけません。
 したがって、「真実の信仰を持つことは、人間として高貴なことであり、魂として尊いことであるのだ」と知ることが大事ですし、そういう人を数多くつくらなければいけません。
 信仰が、ばかにされ、踏みにじられる世の中は、悪魔の支配する世の中です。
 まず、信仰心の大切さを理解し、それを訴え、「信仰は尊いものである」ということを多くの人に知ってもらうことが大事です。
(182~184ページ)

この世的な評価とは別に、その人が宗教的な素養を持っていること、仏や神の目を意識して育ち、大人として生き、子育てをしていることは、とても重要なことであり、真実の目で見たならば、その違いには大きなものがある。

たとえば、学校の場合、この世的な値打ちは同じレベルであっても、宗教的な真理が入っている学校と、そうでない学校との違いは大きい。

真実の信仰を持つことは、人間として高貴なことであり、魂として尊いことであるのだと知る人を数多くつくらなければいけない──。

要は、教育の根本に必要なものは、宗教的な真理であるということなんだと思います。

だからこそ、大川隆法先生が創立された幸福の科学学園は、実学を重視しつつも、「人間にとって最も大切な宗教教育」の導入を最初に掲げているのだと、改めて私は思っているのです。

生命(いのち)の法―真実の人生を生き切るには (OR books) 『生命の法』

  大川隆法著


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マイトレーヤーって名前の九次元霊がおられるって、『太陽の法』に書いてあったと思うんだけど、どんな方なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ゾロアスターとマイトレーヤーの降臨』(幸福の科学出版)で、そのマイトレーヤーの言葉(霊言)を、次のように伝えておられます。

 うーん。
 (約十秒間の沈黙)
 うん。
 (約五秒間の沈黙)
 実は、私は、「両性具有」であり、男性でも女性でもあります。
 すべてのものを、さまざまな輝きに変え、色付け、現象化させることをもって、その仕事としております。
 近年でも、実は出ております。私は、あなたがたが先ほど話をしていた、神智学の創始者、ブラヴァツキー夫人として肉体を持ちました。
 ですから、直前世は女性です。しかし、全部が女性ではなく、男性も女性も、両方の肉体に宿っております。(中略)
 私の仕事は、「神の光の多様性」を明らかにすることです。「神の光が、どのようなかたちで現れたのか」を表すのが仕事です。
 あなたがたは、「宗教の融和」とか、「宗教の統一」とか言っていますが、私は、逆に「宗教のプリズム化」ということを通して、一なるものが多面的に現れていることを示す役割をしています。
 また、九次元霊や八次元如来が、地上において、宗教や哲学、思想、芸術、文学、政治、軍事、経済等の使命を果たすときに、それぞれの者に時代的特性を与える仕事をしています。
 つまり、私の仕事は、「時代精神の具体化、具象化」です。
 今の時期に何が必要か。
 例えば、少し前であれば、哲学が必要とされた時代もあります。科学が必要とされた時代、経済が必要とされた時代、いろいろな時代が、近現代でもありましたが、それぞれの時代精神の具象化のために、天上界の人を選んで地上に送り、特色ある活動をなさしめております。
 これが、私の「プリズム化」の仕事です。(中略)
 私自身の仕事は、「特定の宗教を起こす」というよりは、「エル・カンターレの光を、どのような色彩で、その文明に降ろすか」というような補助的な役割をしております。
 ですから、私自身は、ある意味で無個性です。個性ある存在ではありません。そうではなく、光の多面化をなし、その神の一面を見せる仕事、計画にかかわっています。
(114~118ページ)

マイトレーヤー大如来は、神智学の創始者ブラヴァツキー夫人として生まれた。

その仕事は、エル・カンターレの光を、どのような色彩で、その文明に降ろすかに関する補助的な役割である。

だから、マイトレーヤー自身は、ある意味で無個性であって、光の多面化をなし、その神の一面を見せる計画にかかわっている──。

うーん、なんとも不思議な話です。

でも、エル・カンターレのお教えは、このような形で少しずつまた深みを増して行っているのだと、私は思っているのです。

ゾロアスターとマイトレーヤーの降臨―知られざる神々の真実 (OR books)

『ゾロアスターとマイトレーヤーの降臨』

 大川隆法著


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前回、宇宙には地球を超えた邪神がいるって話を聞いたよ。で、この邪神と地球の悪魔って、どう関係してるのかな?

幸福の科学の大川隆法先生は、『地球を守る「宇宙連合」とは何か』(幸福の科学出版)で、公開霊言の一種として、アンドロメダ銀河の総司令官と自己紹介する古い霊人の言葉(霊言)を、このように伝えておられます。

 うーん。だから、まあ、地球で起きたことはねえ、宇宙では、もっと昔に何度も起きているんですよ。地球で起きたことが、全宇宙の歴史のなかで初めて起きたわけでは、当然ないのです。
 人類型生命体、あるいは、人類と同じぐらいの知能を持った知的生命体が社会を築いていく間には、どうしてもアーリマン的な部分が出てきます。すなわち、悪魔に身を落とし、地獄領域をつくって反抗する者が必ず出てくるのです。
 そういう意味では、やはり、裏から糸を引いている者が存在すると思いますね。神の力がこれだけ強くても、地獄が消滅せず、また、悪魔が存在し続けている理由として、「異次元世界のなかに、何か、つながりのあるものがある」と考えてよいと思います。
 あなたがたが見ている宇宙、すなわち、たくさん星が見えている三次元の宇宙以外に、もう一つ、「裏側の宇宙」「反宇宙」というものがあるんですよ。表側の宇宙と非常によく似たかたちをしている別の宇宙がもう一つある。その反宇宙のなかに、闇の帝王のすみかがあるのです。
 二つの宇宙は、普段は交わらないのですが、宇宙空間の一部には、両者が部分的に交わり、裏側から表側に出てこれる所があるんですね。そこで、いろいろと軋轢が生じるのです。
 「反宇宙」「宇宙の反対側の裏側の宇宙」というものが、もう一つあり、そこにいる人たちは、自分たちの秩序を正義だと思って生きているわけですが、そのなかには、「われらの考え方と違うものが存在する」ということです。
 このように、宇宙は、表側と裏側の二重構造になっていて、それぞれ、別のかたちで進化し、発展しています。そして、宇宙空間のいろいろな所で、裏側と表側の宇宙が交錯して存在しており、そこでは、両方が交流することができるのです。
 ですから、地球で悪魔と言われている者たちの背後には、裏で糸を引いているエネルギーがあると思います。
 幸福の科学では、「彼らは天上界から堕ちて、地獄の悪想念をエネルギーとして生きている」という説明の仕方がなされていますが、エネルギー源はそれだけではないでしょう。それだけで、これほど長い間、戦い続けることはできません。悪魔になっている者たちは、やはり、ほかの星にもいるわけであって、そういう者たちの裏の連帯は必ずあると私は思いますね。つまり、彼らは、裏宇宙でつながっていると思われます。
(106~109ページ)

今日は、「反宇宙」「裏側の宇宙」、そして「闇の帝王」という話です。

もう10年も前に刊行されたこの霊言です。

いよいよ、「宇宙の法」シリーズとして3年ぶりに、映画『宇宙の法-エローヒム編-』が公開されます。

その予告編を見ると、今日のこの霊言の内容と、とっても密接に関連しているように感じるのですが、さてさて、この映画では、どんな宇宙の秘密が明かされるのでしょうか。

10月8日の封切りをワクワクして私は待っているのです。

 

地球を守る「宇宙連合」とは何か (OR books)

『地球を守る「宇宙連合」とは何か』

 大川隆法著


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ねえ、人生なんて、ほんとつまんないよね? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

さあ、あなた自身は、どういう人であるのか。
いかに生きてき、いかに生きてゆこうとしているのか。
それを情熱的に語ることができるだろうか。
自分というものを、情熱を込めて語ることができるだろうか。
この私の問いかけに、「はい」と答えられる人が、
いったい、どれだけいるであろうか。
自分の人生に希望を持って、
熱っぽく、人々に、その生きがいを語ることができるだろうか。
もし、「そうでない」と言うならば、
あなたの幸福は、満月のようなものではありえない。
あなたの幸福は、まだ三日月のようなものであろう。
その先に角がある。
その先にとがったものがある。
その大部分が、まだ隠されていると言わざるをえない。

忘れるな、忘れるな、
みずからの人生を情熱的に説くことができることの素晴らしさを。
忘れるな、忘れるな、
「みずからが、いかに人生を駆け抜けてゆくか」ということの、その美を。
忘れてはならない。
決して忘れてはならない。
自分自身に言い聞かせよ、
「いかほど素晴らしい生を、いま自分が生きているか」ということを。

あなたがたは決して動物ではないのだ。
あなたがたのなかには偉大なるものが光っているのだ。
その偉大なるものを見失ってはならない。
決して見失ってはならない。
あなたがたは、そのなかに、
仏より点じられた聖火の、その火がともっているということを、
忘れてはならない。
この火を大切にせよ。
たとえ、マラソンを走ったとて、
この火が燃え尽きるものではあるまい。
その火を、その松明を高く掲げて、
しかして、丸一日を走り抜け。
しかして、一生涯を走り抜け。
そこに、美しき生涯が展開するであろう。
(182~185ページ)

さてさて。

今日は、要約をしたりするようなことはせずに、この仏の言魂のすべてを、静かに味わってみたいと私は思っているのです。

限りなく優しくあれ―愛の大河の中で (OR books)

『限りなく優しくあれ』

 大川隆法著


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ベガ星人って、何度も出て来るけど、じゃあ、そのベガって星は、どんな星なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙からの使者』(幸福の科学出版)で、公開霊言の一種として、眼前に座る人(Dさん)の魂の奥底に眠るベガ星人の意識に自らの口を通して霊言させるという形で、司会者との対話の形で、このように伝えておられます。

司会 ベガという星は、どんな星なのでしょうか。そのことについて、少し教えていただきたいんですけれども。
ベガ星人 はい。分かるように言うと、ちょうど、そうですね……。近くのもので言うと、「背景に夕日が見える新宿」のように見えますね。高層ビルが建っていて、でも、空がちょっと赤いように見えますね。
 そして、小型の自家用自動車のような、UFOのようなものは飛んでいますね。わりに低空で、地上十メートルから百メートルぐらいの高さを行き来しています。
 高速道路に似たものはあるんですけれども、それは、エンジントラブルを起こしたときだけ、そちらに降りて車で走るようになっていて、普通は走らないんです。空を飛んでいるのですが、ときどき、故障したり、調子が悪くなったりすることがあるので、車用の道路はあります。
 人間は、歩くことはできるんですけれども、歩くのはあまり好きではないので、努力して体を鍛えないと退化してしまいますね。
司会 三次元の地上があるということですね。
ベガ星人 あります。
司会 今までに出られたベガの方からは、「変化」の教えが中心であることや、再生治療法のようなものが得意だということを聞いたのですが、それ以外に、何か特徴的なものはありますか。
ベガ星人 私は、植物がとても好きで、植物をいろいろと育てたり、変種させたり、合体させたり、新種のものをつくったりしていました。
 そういうことがとても好きで、ベジタリアンの人たちが好みに合ったものを食べられるように、植物の品種改良をし、いろいろと手を加えて、違った匂いや味や食感が出るような研究をしていました。元の星の時代には、そういうことを仕事にしていました。
 そして、分かるように言うと、少し新宿に似ているけれども、四角いビルではなく、尖った三角のようなビルが建っていて、夕日が後ろに見えています。(中略)そのように、新宿のようだけれども、マンハッタンのようでもあります。
 でも、郊外に行くと、湖と森があって、その反対側には牧草地があります。さらに、畑が広がっていて、穀物をつくっています。そのなかには、植物工場のようなものもありますね。そして、湖には生き物もたくさん住んでいます。
 だから、環境は、地球とそう大きく変わらないのではないかと思いますね。
司会 ベジタリアンの星なのでしょうか。
ベガ星人 そうです……。いや、そうでもないです。私たちはベジタリアン系でしたけれども、人によって、ちょっと違いはあるかもしれません。
 ああ、そうか……、地球では、お魚を食べる人もベジタリアンと言うことがあるんですか。うーん、確かに、お魚を食べる人はいますね。お魚を食べる人と食べない人とがいますが、野菜と穀物等は食べていて、それをどのように育てて加工するかということに、私は関心がありました。
(160~163ページ)

ベガ星は、三次元の地上があって、「背景に夕日が見える新宿」のように、高層ビル(しかし四角ではなく尖った三角のようなビル)が建ち、空がちょっと赤い。

小型の自家用自動車のような、UFOのようなものが、地上十メートルから百メートルぐらいの高さを行き来している。

郊外に行くと、湖と森があって、湖には生き物もたくさん住んでいる。その反対側には牧草地があり、畑が広がっていて、穀物をつくっており、植物工場のようなものもある──。

ベガ星人は、自分の体を思い通りに変化させることができるわけですから、その星の風景が語られてはいても、どの程度、客観的に語られた風景なんでしょう。見る人によって、違うように見えていたりはしないのでしょうか?

いずれにしても、ベガという星の風景の一端が直接語られた、とても貴重な霊言であるのは間違いありません。

で、他の宇宙人リーディングは、どんな内容なんでしょうか?

それについては、またの機会に!

宇宙からの使者 (OR books)

『宇宙からの使者』

 大川隆法著

 

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心理学って、宗教に近い分野みたいな気がするし、興味があるんだ。仏法真理の観点からは、どう評価されてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『超・絶対健康法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 フロイトやユングなどの心理学者たちは、「人間の意識というものには実は二重性がある。自分が知覚している意識である表面意識、自分が思い、考えて、判断している意識とは別に、深層意識というものがある。深いところに無意識という世界がある」ということを発見してきました。
 これは、十九世紀から二十世紀にかけて発見されてきたことのなかで、ある意味で最大の発見の一つではあります。唯物論が台頭したのと同時に、唯物論とは反対の世界、すなわち、「心というものは、脳や神経で判断し、考えているものではない。目に見えない“水面下”に心というものがある」ということが発見されたのです。
 ユングに至っては、「集合的無意識のようなものがある」ということまで述べています。これは、各個人の意識というものではなく、人類の共通意識のようなものです。ユングは、「共通意識、あるいは、古代から存在している、人間の精神の元型のような大きなものがあって、各個人の心は、それに影響を受けている」というようなことを言っているのです。
 宗教家の私から見たら、彼らの心理学のほうが、よほどオカルト的に見えます。これは、「よく、これで学位や博士号が取れるものだ」と思って感心するほど、奇妙奇天烈な、根も葉もない部分まである、跳躍した理論です。(中略)ただ、「無意識の世界というものがある。自分が自覚していない世界がある」ということは、学問的にも認められている事実なのです。これに関しては、宗教や、「信じるか、信じないか」という信仰のレベルとは別の問題として、はっきりと認められているのです。(中略)
  無意識界、すなわち、表面意識とは違う潜在意識の世界を、はっきりと解明し、究明しているのが、実は、幸福の科学で説かれている数多くの教えです。当会の教えは、無意識の世界、潜在意識の世界について説明してあるのです。
 医学的には探究不能なので、無意識や潜在意識と称されているわけですが、心理学者たちも、本当は、「その世界は広大無辺である」ということを感づいているのです。しかし、「それは、どういう世界であるのか」ということについては、説明することができないでいます。
 その無意識界というもののなかには、自分自身の無意識の世界、守護・指導霊とつながるような世界と、自分自身にとっての敵対勢力とも言うべき、地獄の世界があります。自分を害そうとしている霊的世界とのつながりもありうるのです。この両方が人生に影響を与えています。
 今、科学の世界では、これをかすかには察知しているのですが、それを説明できないでいて、これから先は宗教の領域に入ってくるのです。
 宗教の領域で、これを明確に説いているのが幸福の科学です。それゆえ、当会は、「未知なるものを探究する」という意味で、「科学」という言葉を教団名に付けています。
(165~169ページ)

フロイトやユングなどの心理学者たちが、深層意識、無意識という世界があることを発見したのは、ある意味で十九世紀から二十世紀にかけて最大の発見の一つではある。

しかし、ユングに至っては、集合的無意識のようなものがあるとまで述べているが、宗教家である大川隆法先生からは、彼らの心理学のほうが、よほどオカルト的に見える。

この無意識界、潜在意識の世界のなかには、自分自身の守護・指導霊とつながる世界と、敵対勢力とも言うべき地獄の世界があるが、幸福の科学は宗教の領域で、この両方が人生に影響を与えていることをはっきりと解明し究明している──。

最先端の心理学であっても、人間の心の世界の不思議さを十分には解明できていない。

その複雑な人間の心の世界について、誰もがわかる言葉で、やさしく、しかし明確に解き明かされているのが、幸福の科学の教えだってことになります。

心理学を勉強しようと考えておられる方は、ぜひとも、あわせて幸福の科学の大量の書籍群をも渉猟して、その大いなる智慧の宝庫にふれてみられますように!

超・絶対健康法 (OR books)

『超・絶対健康法』

 大川隆法著

 

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宗教で、病気が治ったりするんですってね。それって、いかがわしくないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不滅の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ここ百年ぐらい、霊性の復権をかけて、さまざまな宗教運動が起きてきていますが、大きな目で見ると、現代文明の流れに押され、宗教運動のほうは敗れているように思います。
 つまり、宗教を信ずるよりも、「具体的な技術や知識などによって、何事かを成し遂げたほうが、より確実で、正確で、直接的である」と信じる人が多くなってきたわけです。(中略)
 宗教的なものの原始的形態というか、原初的形態とも言うべき「魔術」についても、すでに一世紀も前から、その衰退が言われています。世界各地で、魔術的なるものが衰退しつつあるわけです。
 現代のジャーナリズムにおいては、そうした魔術的なるものを、ある種のカルトの特徴のように喧伝する向きもあり、「通常の法則からはずれるものは、あってはならない」と決めつけるようなところがあります。
 しかし、これは考え方の相違にすぎないのです。
 例えば、初めてテレビが発明されたとき、「機械の箱に映像が映り、人物が登場し、遠隔地から声や姿など、いろいろな情報を伝えられる」というのは、信じられないことでした。
 また、明治時代に電信回線が敷かれたとき、「荷物を風呂敷で包んで電線に縛りつけておけば運んでくれる」と思って、電線に自分の荷物を縛りつけた人もいたそうです。(中略)
 このように、「未知なるもの」は、いつも不思議に見えるものです。
 宗教の持っている魔術的なる側面は、確かに、原始の時代からあるため、「古いものだ」と決めつけられる傾向はあります。そして、「新しい時代になるというのは、そういうものから離れていくことなのだ」と考えられているところがあります。
 そのため、現代の病院においては、特に重大な病気になった場合、人間の体を、あたかも機械が壊れたかのごとき取り扱いをしていることが多いのです。
 そこでは、「臓器という〝部品″を取り替えないかぎり、もう治らない」「悪い部位は完全に取り除く以外に方法はない」「一生、薬を飲み続ける以外に方法はない」というような考え方が、当たり前のようになっています。
 現代の最先端の学問や仕事をしている人には、「素直に純粋に信じる心」を持ちにくい傾向があります。そういうものが阻害要因となって、天上界とのパイプが詰まりやすくなっているのです。要するに、地上だけの「横のつながり」はできても、「縦のつながり」である〝天と地をつなぐ電話″がかからない状況になっているわけです。(中略)
 そこで、私は、さまざまな霊言現象等を通して、〝天と地をつなぐ電話″の存在を示しています。最初は、私一人だけで行っていましたが、最近は、私の弟子たちも、ある程度できるようになってきつつあります。
 原理は、それほど難しいことではなく、「仏法真理を受け入れること」なのです。
(122~127ページ)

現代のジャーナリズムにおいては、「通常の法則からはずれるものは、あってはならない」と決めつけるようなところがあるが、「未知なるもの」は、いつも不思議に見えるものである。

現代の最先端の学問や仕事をしている人には、「素直に純粋に信じる心」を持ちにくい傾向があり、それが阻害要因となって、天上界とのパイプが詰まりやすくなり〝天と地をつなぐ電話″がかからない状況になっているので、大川隆法先生は、さまざまな霊言現象等を通して、〝天と地をつなぐ電話″の存在を示している。

病気治しの原理は、それほど難しいことではなく、「仏法真理を受け入れること」である──。

現代科学や現代医学にとって「未知なるもの」であるだけで、じつは宗教の病気治しには理論があるというのは、初めて知る人には驚きの事実ではないでしょうか。

でも、いま実際に、幸福の科学では病気が治った奇跡体験が続出しています。

不治の病やコロナなどで苦しむ一人でも多くの方に、すでに救いの道が開かれていることを、ぜひとも知っていただきたいものだと改めて私は願っているのです。

不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books)

『不滅の法』

  大川隆法著

 

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