ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



信仰によって成功するって、どういうことかな。「御利益信仰」とか「金もうけ宗教」とかいう、宗教を批判する言い方があるけど、それとどう違うんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間が自助努力をしているとき、同時に、それを超えた大いなる他力もまた救いの手を差し伸べているのです。大きな慈悲がいつも臨んでいることを忘れずに、その慈悲と手を結ぶような自助努力をしていくことが大切です。このような世界観を持つべきだと思います。
 したがって、信仰と成功は対立するものではないのです。信仰を否定すれば成功するわけではありませんし、反対に、何らの自助努力もせず、成功の方法論をまったく無視して、信仰だけで成功できるわけでもありません。
 人間が修行の目的でこの世に生れてくることを考えれば、自助努力はやはり必要であり、創意工夫し、智慧を磨くことが大切です。しかし、同時に、地上の人間を助けようとする力が働いていることも忘れてはいけません。
 ただ、「自分を助けようとする力が働いているから、何も努力しなくてよいのだ」という甘え心では、高級霊の波動も近寄ってこなくなります。「天はみずから助くる者を助く」という言葉のとおりなのです。
 天は、自助努力の精神、セルフ・ヘルプの精神を持っている人をこそ、手助けしたいのです。(中略)
 そして、自助努力や創意工夫をしているなかにも、実は他力は臨んでいるのです。努力をすればするほど、インスピレーションがわいてくるようになりますが、インスピレーションには他力的な要素がかなりあるのです。(中略)
 ただ、インスピレーションを受けるためには、地上の人間の側に、それを受け止められるだけの力が必要です。(中略)
 したがって、インスピレーションを受け取れるだけの器をつくる努力が必要です。そうした努力を継続していくなかに、よいインスピレーションが下りてくるようになるのです。(中略)
 そのインスピレーションを逃さずにつかみ、天上界の高級霊に感謝し、さらにまた、努力、精進を重ねていくことです。このくり返しが成功を生んでいきます。
(215~218ページ)

ここでは、大川隆法先生が説かれる「成功」とか「繁栄」っていうのがどういうイメージなのかが、とても分かりやすく説明されていますね。

ほんとうの信仰を持つと、必ず成功できるんだって考え方です。

とっても魅力的だし、しかもそれが実体験できるって、すごくありがたくて、うれしくて、すごいことだと私は思うのです。

 

『奇跡の法』

 大川隆法著

 

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自分が人を妬んでしまうことって、ありますよね。それって、よくない感情なのは分かるにしても、でも、どうやって克服していったら、いいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 なぜあなたは他人の成功が妬ましいのでしょうか。それを、いま一度、自分の胸に手を当てて考えてみていただきたいのです。(中略)
 そうすると、思い当たることがあるはずです。それは「自分が興味や感心を持っていない領域については、他人の成功を妬ましく思うことはあまりない」ということです。
 こうしてみると、問題の整理ができます。あなたが他人の成功を妬ましいと思う場合、実は、その成功はあなたの感心領域にあるものであり、その人はあなたの理想像でもあると言えるのです。妬ましいという気持ちは、ほんとうは、あなた自身がその人に成り代わりたかったということなのです。(中略)
 結局、他人が妬ましくてしかたがない人には、次の二つのことを受け入れてもらう必要があります。
 第一に、「あなたが妬ましく思うものは、あなたにとって感心の強い領域がいったい何であるかを教えている」ということです。
 第二に、「あなたが妬ましく思う相手は、あなたの敵ではなく、実はあなたの理想像であり、あなた自身がその人のようになりたいと思っているのだ」ということです。(中略)
 あなたは第一段階として、自分自身を客観的に見て、自分の才能をよく知るとともに、自分に対する他人の真実の評価をよく考え、はたして自分はその妬ましく思う相手と同じ成功を手に入れる可能性があるか否かを考えることが必要です。
 そして、それがまったく可能性のない世界のことであり、宝くじを当てるようなものであるならば、あきらめることです。(中略)
 そのときには方向転換が大事です。つまり、「あくまでも自分に可能性のある領域で自己実現を果たす」ということが大事なのです。(中略)
 それでは、第二の場合、つまり、ある程度の可能性がある場合には、どうすればよいのでしょうか。(中略)
 この場合には、やはり、努力する以外に手はないのです。
 単に相手を妬ましいと思うのではなく、相手が自分の理想像であるという現実を認めなければいけません。相手の成功した姿を憎むのではなく、相手を自分の理想像として見なければいけないのです。
 理想像としての相手のなかには、自分が持っていないものが必ずあるはずです。それを見つけ、努力して身につけていくことです。そうした工夫が大事です。
(42~49ページ)

ここでは、妬みがわきおこる原因が客観的に分析され、それに対する対策が、とても分かりやすく説かれています。

特にポイントは、妬ましいと思う相手が、実は自分の理想像であるということです。

これを素直に認めたとき、自分には可能性がないと冷静に考えて方向転換を図るか、可能性がある分野であれば、理想像に自分を近づけるべく努力を重ねるのか、という対策がたっていきそうです。

幸福になるための方法論は、やはり「科学」だったのでありました。 

 

『「幸福になれない」症候群』


 大川隆法著



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日本もいま、アメリカに近づいてて、離婚する人が、ものすごく増えてます。結婚は約束してくるって話があったけど、離婚もやっぱり約束してきたりするの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 まず、「この世に生れてくるときに、離婚も計画してくるのか」という点についてですが、そうである人もいます。その場合は、何か目的があって、離婚を計画しています。
 たとえば、離婚には、仏法真理に目覚めるための方便としての意味合いがあることもあります。すべてが順調にいっており、人生に満足していると、なかなか目覚めないものなので、倒産や病気、離婚、身内の死、あるいは身内に難病・奇病を持った人がいることなど、何か、きっかけの要(い)ることが多いのです。(中略)
 もう一つ、「離婚を計画していたわけではないのに、結婚が破綻(破れほころびること)した」という場合もあります。現在こういうケースはかなり多いと言えます。
 この地上の世界は、原則として、各人の自由意志、裁量に任されているため、本人が「こうだ」と思い込んだ場合には、守護霊であっても変えられません。これは一つの法則です。
 この地上での生き方によって、来世の行き場所が変わるわけですから、もし、「自己責任の原則」がなく、守護霊や指導霊の力の差だけによって人生が決まってしまうのであれば、人生は不合理です。
 結局、自己責任の原則があり、結婚も離婚も、最終的には本人の自由意志で決められるようになっているのです。そのため、結果が悪く出た場合には、それ相応の償いをしなければいけない責任を生じます。
(87~89ページ)

・・・ということなんですね。

そして、これに続けて、大川隆法先生は、この霊的事実を踏まえて、離婚してしまった人に、どのようにすればいいのかまで、説いてくださっています。

気になる人は、ぜひ、この続きを、本書でお読みくださいね! 

 

『幸福へのヒント』

 大川隆法著



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宗教的にみて、あるべき成功って、どう考えればいいんでしょう。宗教的な性格の人によくあるんだけど、「自分の身を捨てて、他の人の成功だけを願う」みたいな自己犠牲的な姿は、社会人とか経営者にとって、あるべき姿なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私が述べているのは、「あなたが成功を求めて成功するのはよいのです。しかし、その成功を、他の人々をも照らすものにしていただきたい。少なくとも、そう願っていただきたい」ということなのです。
 また、一方では、「自分のことを一切考えずに、ほかの人の成功を願う」という考え方もあります。
 しかし、あまり自己犠牲的な感覚が強くなると、ある種の悲劇性が出てきて、よくない局面も現れてきます。そのため、「自分は滅びよ。ほかの人は栄えよ」という気持ちではいけないのです。
 「自分は滅びよ」「七難八苦よ、われに来たまえ」「私は、ただ苦しむだけでよい。ほかの人だけ幸福になればよい」という考えは、受け入れられやすいものではありますし、結果的に、そのとおり実現する場合もあります。
 ただ、私は、「各人は自分自身の人生に責任を持つべきである」と考えているので、「各人が自分の人生を生きた上で、ある程度の満足感、幸福感が得られる生き方がよい」と考えています。
 「自分は滅びよ」という悲劇的な成功論に立った場合、その人は破滅型になるわけなので、その人の巻き添えを食う人は数多くいます。「世のため人のため」という考えはよいのですが、一家のなかに、自滅するスタイルの人生、破滅型の人生を送る人が一人でもいると、結局、その人一人では済まなくなることが多いのです。親きょうだい、親類、友人、知人、その他、大勢の人が、心配し、骨を折り、後始末をし、苦労することもあります。(中略)
 「われも人も共に発展していく」という気持ちを持ったほうがよいのです.
 そして、人間は、ともすれば自分のことのほうを少し多めに願うものなので、常に、自分のほうを抑える気持ちを持ち、「他の人々に、もう一段、幸福になっていただきたい」という思いを、戒律のように自分に課していくことが大事です。
(180~185ページ)

現代ビジネス社会における、宗教的な観点をも踏まえた「成功」を、どう考えればいいのか、という問題です。

大川隆法先生は、もっともっと深く、でもむずかしく感じる教えもたくさん説いておられます。

今日のところは、こういうふうに誰もが理解できる角度から、やさしく説いて下さったお教えを、ご紹介してみました!

 

『希望の法』

大川隆法著

 

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清水富美加とトラブってる芸能事務所、レプロっていうんでしょ。きちんと対応してたのにこうなったみたいに芸能マスコミは報じてるけど、ほんとなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『芸能界の「闇」に迫る レプロ・本間憲社長守護霊インタビュー』(幸福の科学出版)で、次のように述べておられます。

 今日は本間社長の守護霊を呼びますけれども、私は何度か悪魔と間違えたぐらいですし、そうとうあちこちに出てきています。今は、弱っておられるか、最初のとおり、まだ意気軒昂かは知りませんが、今回の一連の騒動も含めて、ご意見を伺いながら、その本質に迫り、みなさんに考える材料を与えると同時に、まだ見えていない面について、少し“スポットライト”を当ててみたいと思っています。
 睡眠時間三時間で働き続けていた清水富美加さんが、昨年、本当は自殺したいと思って、ベランダから飛び降りそうになったような事実を知っていながら、「そんなものは気の迷い」という感じで働かせ続けて、「脅迫すれば働くだろう」と思っていたとすれば、やはり、少なくとも法的責任があると、私は思います。ですから、損害賠償だの何だの言っても、自分たちのほうの責任をまず認めるべきだと考えています。(中略)
 もし、それで自殺などをされていたら、それこそ、どうなっていたでしょうか。電通のような大きな会社でさえ、新入女子社員一人が自殺しただけで社長が退任に追い込まれました。(中略)あの電通などもマスコミの親玉のようなものですが、そういうところでも問題になっていました。そういう事件とも連動して起きているような気がしています。
 こうしたことは、おそらく、ほかの芸能事務所でもあるのでしょうけれども、みな、言えないのだと思います。「言えば、クビになるか干される」ということで言えないのだろうと思うので、一定の問題提起はしておいたほうがよいのではないかと考えます。
 私どものほうは、人助けのつもりでやっていますし、場合によっては、そういう困った人のための“駆け込み寺”的な使命も果たさないといけないという気持ちで、今回、対応しているような状況ではあります。
 以上を前置きにして、ちょっとやってみましょうか。
(27~29ページ)

女優の清水富美加さんが所属していた事務所は、レプロ・エンタテインメントという会社だそうで、その社長が本間憲(たかし)氏です。

守護霊とは、誰にも一人ついている霊存在ですが、その考えを聞けば、肉体を持った本人が心の奥底で考えている内容が赤裸々に明らかになることは、400冊を超える大川隆法先生の霊言シリーズですでに証明されているところです。

今回の騒動の背景に横たわっている真相を、大川隆法先生が、事務所側の社長の守護霊の言葉(「霊言」)によって明らかにしたのが本書だ、ということになります。

さてさて、これまで誰もここまで本音で語ることがなかった、それゆえに誰も真に解明することができなかった、芸能界を牛耳る人物の心の声は、いったい何を語るのか?

有力芸能事務所の大物責任者は、何をどう考えて、何を理想として芸能界を動かしているのか?

本書の帯に書かれた、「『専属契約』に隠されたカラクリ」、「事務所の要求を断れば『仕事から干す』」、「メディアへの『圧力』と『業界のルール』」、という文字が目をひきます。

本間社長の守護霊の語る言葉が、芸能界の光なのか、それとも闇なのかは、本文を読むまでもなく、やはり本書のタイトルで示唆されているのでしょうか。

その「霊言」がこれから始まる、まさにその直前の大川隆法先生のご解説の部分を、今日はご紹介してみました。

本書は、清水富美加ファンにはもちろんのこと、 少しでも芸能界に興味関心を持った方にとっては、絶対に見逃すことができない超重要書籍だと思います。

本書が少しでも世に広まることで、芸能界の闇が吹き払われ、人知れず苦しみ続けている芸能人たちが一人でも多く救われていきますようにと、心の底から私は願っているのです。
 


『レプロ・本間憲社長守護霊インタビュー』
大川隆法著


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この世は誰がつくったんだろう。神さまや仏さまって、ほんとにいるのかな? いるんだったら、アメーパとかから進化してきたサルが先祖で人間ができたって、学校で教えられるのは、間違ってるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新・心の探究』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 結果に対しては原因があるということを考えれば、やはり、この世界を創ったものがあると考えることは、常識的に考えても筋が通っております。
 この世界を偶然にできたと考えるのは、最近の流行ではあるけれども、これはある意味で、長い目、あるいは広い目で見るならば、異常な思考といわざるをえません。偶然に人間ができるでしょうか。人間がアメーバーから偶然に進化してくるでしょうか。
 人間というものは、いってみれば、超高層建築のようなものです。四十階建て、五十階建ての高層建築のような、目的性を持ったしくみを持っているのです。
 ところが、現在の進化論の主流というのは、偶然の連鎖によって人間ができていると、現時点の肉体と精神を持った人間ができていると主張しております。
 これはいってみれば、コンクリートのかたまりや砂や砂利や、あるいはブロックとか、鉄筋とか、こういうものが転がっていて、偶然に風が吹き、偶然に雨が降って、コンクリートがこねあげられて、そして、いつの間にか鉄筋が積み上がって、つまり、偶然に地震か何かで鉄筋が積み上がって、そして超高層ビルができた、というのと同じなのです。
 人間のしくみの複雑さを知れば知るほど、それが偶然に、そういう材料の寄せ集めでできたものでないことは、明らかであります。それは、目的性を持っているのです。人間の肉体だけを見ても、DNAとかRNAとかいうような、遺伝子の情報システムによって、人間の肉体ができているということが、生物学によって解明されているけれども、これをもってしても説明とはなっていないのです。
 なぜ両親からDNAとかRNAとかいうような遺伝子の情報が伝えられるのか。この情報とは、そもそも何なのか。この分析ができていないのです。偶然にそういう情報が伝わると考えるのは異常であります。
 これは、今の例でいうならば、五十階建ての超高層建築ができたなら、その設計図を窓からひらりと落としたならば、隣にもまた同じようなどルが建ったということと同じようなことになります。遺伝子情報があるからといって、まったく同じものができるという、その不思議そのものを探究しなければ、意味がないわけです。ビルの設計図を落としたところで、もう一つのビルは建たないのです。ビルを建てるためには、その設計図を見て、それを造る人がいなければ建たないのです。そういうことだと思います。
(31~33ページ)

「神」と呼ぼうが「仏」と呼ぼうが、この世界を創った造物主があるのだ、と考えるのは、自分の頭でよくよく考えてみると、とても理にかなっている、ということですね。

アメリカでは、けっこう古くから真剣に、進化論を学校で教えていいのか。教えるにしても、それはまだ立証されてない仮説なんだと教えて、神がこの世を作って人を作った、という聖書の考え方を一緒に教えるべきだという議論が、盛んになされてると聞きます。

当然の話ではありますよね。

この日本においても、この「進化論」というのは、いかに普通でない理論であるか、むしろ間違いと言うべきものではないかという認識が、もっともっと広がってほしいと私は思うのです。 
 

『新・心の探究』

大川隆法著


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清水富美加って女優、いるでしょ。なんだかテレビとかを騒がしてるけど、どうしたのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『女優・清水富美加の可能性──守護霊インタビュー』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように述べておられます。

 今年は、富美加さんは、女優として大ブレイクの年となるとともに、本来の天命に目覚める年にもなるだろう。
 読者は「千手観音」という名前を聞いたことがあるだろう。千の慈手・慈眼をもってあまねく衆生を済度するという変化観音で、「千手千眼観音」とも呼ばれる、優れた救済力を持つ六観音の一人である。といっても個人名ではなく、役職名といってよい。千本の手で多くの人を救済し、千の眼で、暗黒の世で苦しんでいる人たちを探し出していく、女性の菩薩である。
 女優・タレント業の中には、この使命を実現していく可能性が開かれているが、同時に、闇夜を貫く光となる覚悟も必要とされている。暗黒の海を照らす灯台の光ともならねばなるまい。
 私は道を示す者であり、天命に生きることを教える者でもある。この導きの白き手の存在を知ってほしい。
(182~183ページ)

いま、あの若手人気女優の清水富美加さんが、「幸福の科学」に「出家」したということで、テレビもスポーツ紙も週刊誌も、そしてネットの世界も、この話題で持ちきりといった感じです。

教団の公式発表記者会見などによると、富美加さんが「出家」を決意したきっかけとなったのが本書だった、ということのようです。

富美加さんは、「千眼美子」という「法名」(出家者としての名前)を与えられたとのことですが、その由来が「千手千眼観音」であることが、このあとがきで分かるのではないでしょうか。

そして、本文に目を通してみると、清水富美加という一人の個性的な女性の本当の素顔、そして彼女がこの世に生まれてきた本当の「使命」が、くっきりと立ち現われてくるように感じられます。

本書は、今回のニュースで初めて「幸福の科学」という宗教を知って興味を持った方はもちろんのこと、全国に数多い富美加さんの熱狂的なファンの方が、まずは手にとるべき書籍ではないかと私は思うのです。

富美加さんは、いま体調を崩して仕事ができない状況のようですが、早く元気になって、今度は宗教家として大活躍する姿をぜひ私たちに見せてほしいと心より願いつつ。
 

『女優・清水富美加の可能性』

大川隆法著


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一生懸命、生きてるのに、なんで自分は、こんなに気持ちが暗くなるんだろう、なんでこんなに不幸なんだろう、っていう人、いませんか? それには理由はあるんです、・・・というのが、今日のお話。

幸福の科学の大川隆法先生は、『瞑想の極意』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この私たちが住んでいる大宇宙というのはひとつの調和の状態にあります。調和の状態にあって、そこに宇宙の理法が流れています。私たちはいろいろなことを考え、思い、行動いたします。
 そしてそれらの思いや行動は、私たちの自由にまかされているように思いますが、しかしながら私たちの自由意思にもとづく思いと行動は、かならずこの宇宙の大調和の中で、作用と反作用を起こしているのであります。これはまちがいのない事実です。自分が自覚するとしないに関わらず、かならず私たちの思いと行ないは宇宙の調和を乱すものであるか、その宇宙の調和を進歩発展させるものであるか、そのどちらかに関わることとなっているのであります。
 そしてこの宇宙の調和というのは、ひじょうに正確にできているものであって、均衡が破れた場合には、この均衡を取りもどそうとする方向に動くのであります。それが個人のレベルでどのように出てくるかと言うと、みずからの出した思いが、神のつくったこの宇宙の秩序を乱す方向に出た場合、それなりの反作用はかならず出てくるのです。
 それはどういうことかというと、たとえば人を害する思いを発した人、こういう思いを発する人には残念ながら心の乱れ、いらだち、苦しさ、悲しさ、こういう反作用がかならずおとずれることになっているのであります。
 宇宙の均衡というものは、じつにしっかりとしているものであって、落ちただけの力でかならずはねかえしてくるのであります。それを破らんとする者に対しては、かならずそれだけの反作用が自動調整装置のように働くこととなっているのであります。それゆえに、みずからの不幸感覚が強い方は、何ゆえにということを考えていただければよいのですが、おそらくそれだけの不調和な波動をみずから出しているのです。不調和な波動を出しているからこそ、それだけの結果が心の中に生まれてきているのであります。
 しかし、宇宙の法則はひじょうに公平にできています。単に罰を与えるという方向だけに法則が現われるのではありません。逆に宇宙の進化、発展、調和に貢献するような思いと行動で生きた人には、またそれだけの反作用が出てきます。この反作用はどういうものかと言うと、幸福感覚という名の反作用というものであります。思いと行ないにおいて調和されている人にとっては、安らぎという名の幸福がおとずれてまいります。
(44~46ページ)

念い一つで、人は不幸になったり、幸福になったりするというのには、ちゃんと科学的に説明できる理由があるってことです。

要は、人を害する思いを発したら、自分の方に、心の乱れ、いらだち、苦しさ、悲しさというような反作用が来るんだってこと。

だから、幸福になりたいのであれば、まず心を乱さないようにすること。

そのために、大川隆法先生は、「瞑想」というものを教えられてます。

興味がある人は、幸福の科学の精舎へ、一度、足を運んでみられるといいのではと私は思うのです。

 

『瞑想の極意』

大川隆法著

 

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お金持ちは天国に行けないというような聖書の言葉を聞いたことがあるけど、お金って、いけないものじゃないの? なーんて疑問を持っている人、いませんか? この世でお金を稼ぐこと、お金持ちになることは、神仏の心に反することなんでしょうか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『発展思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 お金自体は、どちらかというと価値中立的なものであって、本来、善でも悪でもないものです。しかし、近代社会における経済の発展というものを見てみますと、むしろ善に近い効用を持っていることはたしかであろうと思います。たとえば発展途上で非常に貧しい国では、経済がもっと潤っていれば心に地獄をつくらなくてすむ人が本当に多いのです。けれども、経済が貧しいがために次つぎと犯罪が起きたり病気が発生したりして、その苦しみのうちに死んでいきますと、どうしても地獄領域が増えていきます。その意味で、近代では経済によって環境をよくして地獄領域を減らすという点においては善かもしれません。(中略)
 ところが、この経済には昔から大きな落とし穴があります。イエス様の言葉に、「金持ちが神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通るほうがもっとやさしい」というものがあります。この言葉も非常に誤解されやすい言葉でありますが、これは、この世的なる価値に執着しすぎて、あの世の世界、霊的世界の意味、存在を無視して生きた人は地獄に行くということを、そしてまた、そうした人が天国に行くのはラクダが針の穴を通っていくより難しいということを言っているのです。それは何を意味しているかというと、実は執着というものの恐ろしさを言っているわけであります。
(37~41ページ)

つまり、まずお金そのものが、直ちに善とか悪とかいうのではない。

だけれども、貧しさゆえに悪が起きがちであることを考えると、現代社会においては、むしろ善と考えるべきだ、というんですね。ここが第一のポイントだと思います。

そして第二のポイントは、なぜイエス様が、お金持ちが神の国に入るのがムリというようなことを述べられたか、です。

要は、お金を持ってしまうと、それに「執着」してしまうことで、心が間違ってしまうことが多いから、ということではないでしょうか。

だからこそ、この「執着」を取り去るための一つの方法として、神仏への「お布施」が勧められるんだと思います。

この話は、大事なので、また次の機会に! 

 

『発展思考』

大川隆法著

 

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自分って、いじわるな人間だなあって、思ったりすること、ありませんか? なんでもっとやさしく生きれないんだろう。そもそも、やさしく生きるって、どうことなんだろう。なーんて、考えたりしませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、小さい子ども向けの絵本『しあわせってなあに』(幸福の科学出版)を出しておられますが、その第2巻「やさしく生きること」で、こう教えておられます。

 やさしく生きるって、どういうことか、これをむかしのえらい人は、こういうふうに言いました。
「自分がほかの人からしてほしいように、そういうふうに自分もほかの人にしてあげよう。」
 こう言われるとわかってくるでしょう。自分がほかの人にしてほしいこと、それをほかの人にしてあげればいいんだ。
 ──そうかあ、わかったぞー。
 たとえば、自分は勉強を教えてほしいと思うなら、ほかの人にも勉強を教えてあげると、ほかの人はよろこぶんだな。
 また、自分は友だちにいっしょに遊んでほしいと思う。そうすると、友だちは、自分がいっしょに遊んであげようとすると、よろこぶんじゃないかな。──
 では、もし、してほしくないことをされたならどうですか? あなたが、ほかの人から仲間はずれにされたら、とってもいやでしょう。みんなから仲間はずれにされたら、とってもつらい。とっても悲しい。いやだね。
 すると、そういう気持ちがわかるんだったら、自分もほかの友だちを仲間はずれにしたり、つめたくしたり、いじめたりしちゃあいけない、ということになります。
 だって自分がしてほしくないことです。自分がしてほしくないことは、きっと、ほかの人もしてほしくないのに決まっています。
 あなたがほかの人からしかられたくないように、ほかの人もあなたからしかられたくありません。あなたが、お母さんからしかられたくないように、ほかの友だちも、いろいろな人からしかられたくはありません。こんなふうに、されたくないことは、だれだってよくにているのです。
 これとはさかさまに、あなたがよろこぶことは、ほかの人もよろこんでくれることでしょう。ですから、あなたは、ほかの人がよろこぶようなことをしましょう。
(7~10ページ)

小さい子どもにでも分かるように、こういうふうに教えていただいたら、よく分かりますねー。

これが、ちょっと難しい言葉で言えば、「与える愛」ってことなんだあ、ってね。

よし、自分をいじわるな人間だなんて反省してるだけじゃなくって。

もっともっと、やさしい人間になって、生きていこう。

今日は、改めて、そう決意したのでした。

 

『やさしく生きること』

 大川隆法著



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なんだか日本の国って、いま迷走してる気がするんだけど、どう考えて行ったらいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『天照大神の神示──この国のあるべき姿』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように述べておられます。

 打ち続く天変地異や、外国からの日本侵略の意図をひしひしと感じつつ、何をなすでもなく右往左往しているこの国の政府と国民に対して、天照大神は数次にわたる神示集を送り続けられた。
 伊勢神宮をはじめとする全国の神社にお参りする国民に対し、直接、お言葉を発せられたということになる。また、不安定な皇室に対しても、一言、筋を通されたようにも感じる。
 新春にあたり、「この国のあるべき姿」を、今一度考えてみようではないか。
 唯物論的科学論が学問の場を席巻し、神も仏も、霊も、あの世も、信じない国であってよいのか。今、新聞には、「霊言」があるから「科学的」でないとして、「幸福の科学大学」不認可に動いた天下り官僚たちが、次々と大学などを辞職させられるニュースが一面に載っている。神の裁きの網の目からは何人ものがれられないものだ。
(100~101ページ)

帯には、「すべての国民が知るべき日本の主宰神の『願い』が、ここに。」と大書されています。

打ち続く経済不況や、次々に起こる天変地異の意味。

天皇の生前退位問題。

皇室とはほんとうは何であるのか。

首相の真珠湾への慰霊をどう見ておられるのか、等々。

日本という国を中心になってしろしめる神さまが、直接、私たちにお言葉を下さるというのは、考えれば考えるほど、すごいことだと思います。

また、ここで大川隆法先生は、いまマスコミを騒がせている、文部科学省の違法な天下り問題について、「幸福の科学大学」不認可に直接的に関係した官僚たちであることとの関係を、さりげなく語っておられます。

いずれにしても、日本という国がどちらの方向に進んでいくべきなのかにつき、少しでも興味関心がある方には、まちがいなく必読文献の一つであると私は思うのです。

 

『天照大神の神示』大川隆法著



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宗教をやっていれば、信仰の力でガンが治ったりするものなの? 実際に治ったという話も聞くのに、治らないまま帰天してしまった人がいるのは、なぜなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、信仰による奇跡について、例えば、『愛は風の如く2』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みなさんのなかにも、「物質化現象」という言葉をお聞きになった方も多いかと思いますが、実在界のエネルギーが、なんらかの意図によって、地上界に物質化して現われることあるのです。たとえば金粉現象というのもそうですし、それ以外にも、霊界からみごとな宝石を出したり、あるいは薬を出したりというように、いろいろなものを出すというケースがあります。(中略)
 じつは、宗教によって病気が治ったりする奇跡も、この延長線上にあるのです。体内にガンが巣くっていて、そのガンが信仰によって治ったりする場合も、レントゲンで写真を撮るならば、ガンは物質的には確実にあるものなのですが、それが一瞬にしてなくなるということがありえるわけです。これなども、霊的エネルギーがはたらいて、そういう物質界のつくり変えに力を貸していると思わざるをえないのです。(中略)
 こうしたことが、日常茶飯事に行なわれるわけではありませんが、天上界の諸霊も、必要に応じてこうした物質化現象を起こし、生きている人たちの信仰心を強くする場合があります。
 ただ、なんでもかんでも物質化現象を起こしはじめると、これは地上の人間を甘やかすことにもなりかねません。なぜなら、欲しいものをねだれば、すぐ現われてくるということになりますと、彼らの地上での修行が意味を持たなくなるからです。(中略)地上人はなにゆえに地上に生まれ、赤ん坊から育って大人になって、努力して生きていくか、その意味がなくなってしまいます。
 それゆえに、こうした物質化現象なども、あくまでも例外措置として認められているのであり、それに意味がある場合にのみ許されていると考えてよいでしょう。
(86~89ページ)

祈りの力で、病気が治ることは、実際にあります。

正しい信仰生活をしていると、ほんとうに体験できることがあります。

しかし、残念だけど、いくら祈っても、治らないことも、ある。

そのときは、そこに魂の修行課題があるのだと悟って、その事実を受け入れつつ、自分ができることを精一杯、努力していくこと、ということなんだろうと私は思うのです。

だって、何度もご紹介しているとおり、「人生は一冊の問題集」、なんですから。

 

『愛は風の如く 2』

 大川隆法著


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子どもが生れると、親として、いろいろ心配ごとが増えてきます。「お受験」とか言って、幼稚園のときから早くも受験勉強をさせたりして、塾に通うのがあたり前なんですよね。親としては、子どもたちに、どんな教育をしてあげればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、たとえば、『人生成功の秘策』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 将来を見据えて人生成功の秘策を語るとすると、子供たちの教育のことを、やはり考えておくべきだと思います。(中略)
 そこで、親としてやるべきことの第一点は、正しい信仰心を教えることです。(中略)正しい信仰心を持ち、その性質が善の方向に正しく向くように方向づけることが、人生成功の出発点です。善を求める心を養わなければだめです。
 第二点は、良い教育をつけてあげることです。(中略)
 三十年も経てば、私たちがいま生きている時代よりも、もっと進んだ知識社会が出来ています。したがって、教育投資、あるいは教育訓練というものが、ますます重要になります。
 良い教育をつけてあげるときに考えるべきこととして、教育というものを、もし入学試験での「合格」というように考えているのであれば、それだけではない、ということを知っておいてください。中学、高校、大学と、一流校に合格すれば成功するかといえば、必ずしもそうではありません。(中略)
 やはり、平素から学んでいくという学習能力をつけていくことが大事であって、まず、自分で学ぶ習慣をつけることが、一生の成功の基礎となります。「自分で学ぶことが楽しい」という方向で、努力していく性格を身につけることです。(中略)
 親は子供に、読書する習慣をつけてあげることが大切です。これほど良い教育はありません。親が子供に与える財産として、お金よりも貴重な、いちばん大事な贈りものは、読書の習慣を身につけさせてあげることです。読書の習慣がつけば、その後、世間に出てから、親はなくとも、なんとか自分の人生を切り拓いていくことができるのです。
(143~148ページ)

うん、まず目指すべきは、信仰と読書の習慣をつけさせること、なんですね。

親としては、まず自分が、幸福の科学の教えを学びつつ、手に入るたくさんの書籍を読むところから始めるというのは一つのやり方、ということになりそうです。

ただし、この教えを大川隆法先生が説かれたのは、もう20年以上前のことでした。

当時は陰も形もなかった、全寮制の「幸福の科学学園中学校・高等学校」が、栃木県と滋賀県に生みだされていて、ここに説かれた教育方針で、学業にスポーツにと、まさに驚異的な成果をあげています。

信仰に基づく教育の素晴らしさに興味がある方は、ぜひ「幸福の科学学園」那須本校関西校のホームページをのぞいてみられたらと私は思うのです。

 

『人生成功の秘策』

 大川隆法著

 

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だんなさんが、なんだかなあと思ってる奥さん。こんな人と結婚してしまったのは、一生の不作だとか? まだ結婚してないんだけど、恋人が、ダメなやつだなあ、もう別れてしまおうかとか思ってる人? まあまあ、ちょっと待って下さいよ。

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の科学原論③』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 どうしても男という魂のなかには、あるひとつの傾向性が潜んでいるということです。それは、悪い言葉を使うと、支配欲ということなのかもしれませんが、男性は優位に立たないと男性ホルモンが体中に回らないのです。負け犬のようにしっぽを巻いてしまうと、男性ホルモンが駆け巡らないのです。そうすると、勤労意欲が急速に衰えて、やる気がなくなってくる、というようなことが、どうやらあるようです。
 したがって、賢い女性のあり方とは、男性ホルモンがつねに活性化するように、何か男性が優位となる部分をつくってあげられるような女性となることです。徹底的にたたきのめしてしまったらそれまでなので、本来は自分のほうが優秀だと思えたとしても、他の部分に男性の優位を見出して、それ大いに口に出して言ってあげなければいけないということです。
(22ページ)

世に優秀な女性は多いと思います。

で、優秀であるからこそ、自分が自分がと前に出るんじゃなくって、賢く、あえて男性を立ててあげて、それを口に出して言ってあげる。

たったそれだけのことで、男っていう生き物は、元気にがんばっちゃうんですから。

男性の特性をつかんで、上手に操縦すること。

そうしているうちに、それまで見えなかったいい部分が、どんどん見えてくることもあるんじゃないでしょうか。

今日は、優秀な女性が幸福なカップルを続ける大事な秘訣を、たしかに教えていただいたんじゃないかと私は思うのです。

 

『幸福の科学原論③』

 大川隆法著



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身近に霊現象が起きたりしてる人って、けっこう多いんじゃないかな? テレビでいろいろな心霊現象が取り上げられることも、最近は多いよね。どう考えればいいんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 霊的な現象というものは世界各地で起きていますし、宗教においては日常茶飯事です。しかし霊的な現象にも、はっきり言って天国的なものと地獄的なものがあります。そして、この地上は極めて地獄に近いところであることも事実ですから、この世で霊現象を起こしているものというのは、その九割以上が地獄的なものなのです。しかも、人間の地獄霊だけではなく、人間以外の地獄霊も数多く働いております。(中略)
 しかし一方においては、霊現象のなかには、真実かつ尊いものもあるということを知らなければなりません。
 霊現象が真実のものであるかどうかを見分けるためには、
一、その霊現象を起こしている人の人格がどうであるか。
二、それを信奉している人たち、それを見たり聞いたりして行動している人たちが、その後どのようになってゆくか。
三、その霊現象そのものの中身が、いわゆる高級霊波動、高級な波動、素晴らしいものを含んでいるか。
この三点から検討されなければいけないと思います。
 如来や菩薩といった高級霊たちは、この地上から遥かに離れた世界に生きています。彼らは地上への執着からいっさい離れているのです。ですから、高級霊と称するものが出てきたとしても、地上の人間の執着をそそるようなことをやたらと言う場合には、それは高級霊ではありません。そうしたことはありえないと考えていただきたいのです。
(43~47ページ)

 

霊的な現象にも、天国的なものと地獄的なものがある。

 

地上は極めて地獄に近いところだから、この世の霊現象の9割以上が地獄的なものである。

 

その正邪を見分けるためには、①霊現象を起こしている人の人格、②信奉している人たちのその後、③霊現象の中身が高級霊波動を含んでいるか、で検討されなければならない──。

ありがたいお教えです。

こういう基準であれば、私たちでもかなりの程度、判断できるんじゃないでしょうか。

おかしな霊現象にふりまわされず、天国的なものに心を寄せていきたいものだと私は思うのです。

 

『宗教の挑戦』

大川隆法著


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