ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



学校なんてつまんない。なんで学校なんて行かなきゃいけないの。勉強なんてしたくないぞ。テストで成績つけられるなんて、いやだなあ・・・なーんて、悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 子供たちは、十年、二十年と勉強に追われ、成績の上がり下がりによって悲喜劇をくり返しています。そのため、非常に大変で、かわいそうにも見えます。しかし、社会人になってから振り返ってみると、「公平な、ありがたい世界に生きていた」と思えるのではないでしょうか。
 大人になって仕事をするようになると、「これだけの仕事をしたら、これだけの結果がでる」ということを、明確に測ることはできなくなります。「どれだけの努力によって、どのような結果が出るか」ということが、なかなか分からないのです。(中略)
 このように、実社会は非常に不公平な世界であり、努力に応じた結果がストレートには出ないものなのです。
 これに対して、学生時代というのは、勉強すれば勉強しただけの結果が出るという意味で、非常に公平な世界です。
 英語の勉強をすれば英語の成績が上がり、数学の勉強をすれば数学の成績が上がります。勉強をすれば、それだけ成績が上がるのです。中間テストや期末テストに向けて頑張れば、その分だけ点数が上がります。受験は厳しいといっても、二年か三年、一生懸命に努力すれば、それなりの結果が出ます。
 もちろん、努力したにもかかわらず、よい結果が出ない場合もあります。しかし、それも努力の世界の範囲内にあることは事実です。
(28~30ページ)

子供たちは勉強に追われてかわいそうにも見えるが、じつは公平な、ありがたい世界に生きている。

実社会は、不公平で、努力に応じた結果がストレートには出ない世界であるが、学生時代は、勉強すれば勉強しただけの結果が出るという意味で、非常に公平な世界である。

努力したにもかかわらず、よい結果が出ない場合もあるが、それも努力の世界の範囲内にある──。

こんなふうに教えていただくと、学生生徒の時代というのは、一生のうち最も努力が報われる時代なんだと気がつきます。

そんな時代に、一生懸命、努力する経験って、年をとればとるほど、そのありがたさの実感がわいてくるんだと思います。

そして、もっと勉強しておけばよかったなあって、後悔するものなんだろうとも思います。

さて、もうすぐ新学期がやってきます。

一人でも多くの学生・生徒のみなさんが、いま置かれた環境のありがたさに気がついて下さいますように。

また元気に、学業に部活に趣味にとがんばって行けますように。

私は強く願っているのです。
 

繁栄の法: 未来をつくる新パラダイム 『繁栄の法』

  大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




学校の勉強とか、就職とかで、思い悩んでる若い人、いませんか? これができるって胸を張れることがあるわけじゃないし、社会に出るって、どんなことなんだろう、自分は何者なんだろう、ってね。

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春に贈る』(幸福の科学出版)で、「青春の方法」と題して、こう教えられています。

未来への自信は、まだないであろう。
過去と訣別するには、春はまだ浅すぎる。
しかし、無明(むみょう)の薄暗がりの中で、
手探りをしているのは、あなた独りではない。
恥ずかしくて消えてしまいたい日も、
悔しくて、涙が止まらない日もあるであろう。
挫折の中、
砂の如き時間を、噛み締め、
耐え続けることもあるであろう。
しかし、
それが青春。
それも青春。
未来の大鷲にも、
飛べない雛の時代はあるのだ。
(11~13ページ)

自分は、いま、飛べないヨチヨチ歩きの雛(ひな)かもしれない。

けれども、未来は大鷲となって、大空を羽ばたいているんじゃないでしょうか。

つまりは、成功するための青春の方法は、まず自分の念いを変えるところから、はじまっていく。

大川隆法先生は、そう教えておられるのではないかと私は思っているのです。

青春に贈る―未来をつかむ人生戦略 (OR books) 『青春に贈る』

 大川隆法著


↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私って、どういう人と結婚したらいいの? 結婚相手の選択法なんて、学校でもどこでも教えてくれないんだけど、どう考えたらいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 知らなければいけないのは、「独身のときに燃える恋愛と、結婚して以降の夫婦の愛は違う」ということです。恋愛と夫婦愛は違うのです。恋愛は結婚した段階で終わり、夫婦愛というものに転換していかなければならないのです。(中略)
 そのときに、「この人と、一生、一緒に生きていける」というビジョンを描けるかどうかです。
「十年後、二十年後、三十年後まで、一緒に生きていけるかどうか。そして、自分が棺桶に入るときに、その人にお葬式を出してほしいかどうか」、この辺まで考えなければいけません。そこまで考えられない場合には、行きずりの恋であり、一時の情熱でしかないのです。(中略)
 そして、結婚の際に、相手にあまり完全性を求めるのは、もちろん問題です。自分も完全ではないからです。そうではなく、その人と長く一緒に生活することが可能かどうかを考えるべきです。大事なのは理解の部分です。お互いに理解し合えるかどうかということです。
 また、伴侶の選択の際に、この世的な面で、当然、考えるべきことがあります。
 それは、ある程度の知力の釣り合いはあったほうがよいということです。知力があまり離れていると、うまくいかないことが多いのです。(中略)
 それから、これも人はあまり言ってはくれないことですが、体格についてもある程度のバランスは必要です。(中略)
 それから、性格の釣り合いもあります。(中略)
 似た者同士であるか、あるいは、違いがある場合には、お互いに補い合えるような関係、補完関係が成り立つかどうかということです。(中略)
 さらに、宗教的信条の問題があります。やはり信仰の部分は大事であり、宗教的信条が極端に違う場合には、なかなか何十年も一緒に住めるものではありません。
(82~93ページ)

一生、一緒に生きていけるビジョンを描けるか、その人にお葬式を出してほしいか。

知力の釣り合いや体格のバランス、性格の釣り合いはどうか、宗教的信条が合っているか。

燃える恋愛と、結婚してからの夫婦愛は違うことを知らなくてはならない──。

本書には、人生の成功法則が、とても詳しく書かれています。

「伴侶の選択」の考え方も、もっと詳しく説かれているんですが、ここではさわりの部分だけご紹介してみました。

興味がある方は、ぜひぜひ本書を手に取られますように!

 

常勝の法: 人生の勝負に勝つ成功法則

『常勝の法』

 大川隆法著


なお、この『常勝の法』には、オリジナルストーリーで書かれたマンガ版もあって、書籍に説かれている深遠な教えのエッセンスが、明るいタッチで具体的に分かりやすく展開されてます。厚い書籍はちょっと、という方に、お勧めです!

マンガ常勝の法

マンガ『常勝の法』

幸福の科学出版


↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




入試たけなわだよね。受験戦争なんて、なんであるんだろうね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ミラクル受験への道』(幸福の科学出版刊)で、こう説いておられます。

 いずれにしても、まずは何かで頭角を現さなければ、認められるということはないのです。みなさんは、まずは芽を出さなければいけません。モヤシみたいに芽を出すか、タケノコみたいに芽を出すか、いろいろ違いはありますが、まずは芽を出さなければいけません。それは、何かの“武器”でもって、実社会や大人の世界で、自分の存在を認めてもらわなければいけないということなのです。
 そして、「受験」という機会は、実はいちばん大きな土俵だと思うのです。全国レベルの土俵で、ある程度、みなさんにチャンスが与えられているのだと思ったほうがいいでしょう。
 「受験戦争」というような言葉もありますが、実際、死ぬわけではありませんから、戦争などというものではありません。「受験に敗れたら死ぬ」というのなら、それは大変です。「大学入試に落ちたら死ぬ、あるいは死刑になる」なんていったら、これはもう大変です。本当に命懸けになりますが、現実はそんなことはありません。大学はいくつもあるし、どの大学に入っても、別に殺されるわけではありません。
 要は、「満足度」の問題です。親の満足度、自分の満足度、世間の評判、こういうところに違いがあるだけです。死刑になるわけでもないし、戦争で死ぬわけでもありません。受験戦争と言っても、あくまで、「同年代の人たちと比べて、自分の努力が認められるかどうかということを客観的に測られる」というだけのことです。
(85~87ページ)

まずは何かで頭角を現さなければ、認められるということはない。

受験という機会は、全国レベルの土俵で、チャンスが与えられている。

受験戦争といっても、実際に死ぬわけではなく、自分の努力を客観的に測られるだけのことで、要は「満足度」の問題にすぎない──。

いま、受験の渦中にある人や、そのご家族は、たいへんな思いをしておられることと思います。

でも、大川隆法先生は、仏の視点で、受験というものの本質を教えてくださいます。

要するに、誰が何にどの程度満足するかということにすぎないんだ、と見切ってしまったら、気が楽になってこないでしょうか。

むしろ、受験はチャンスなんだと前向きに捉えてみたとき、こんな貴重なチャンスを活かさない手はないわけです。

受験生のみなさんが、このお教えを胸に、少しでも明るくポジティブな気持ちで勉強に取り組んでいかれますように、心から祈念したいと私は思っているのです。
 

『ミラクル受験への道』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




理想なんて、どうやって持てばいいのか、わかんないよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 第一の、理想設定の段階について、私は、常々、三段階法を推奨しています。実現を望む理想を三種類ぐらい持つように、常々、提言しています。それは、「小さな理想」「中規模の理想」「大きな理想」の三種類です。
 大きな理想だけを掲げても、現実性がなく、理想を失っていく人が多いのも常でしょう。
 また、小さな理想のみを追いつづけて、大成することなく生きていく人がいることも事実でしょう。
 小さな理想のみを追い求めるタイプの人のなかには、専門職肌、技術者肌、芸術家肌の人が多いように思います。彼らが、その領域において、そうとうの技能を持っておりながら、いま一つ、大成していかないのは、小さな目標、小さな理想ばかりを追い求めていることが多いからなのです。その背景としては、「大志を持つことが大事だ」ということを忘れているのです。
 したがって、私は、「大目標」「小目標」、そして「中ぐらいの目標」の三つを持っていることが安全であると思います。
 いきなり大きな目標は達成できません。「小さな目標を達成していく過程において、自分の実力を磨いていき、その実力について確信をしていく。次に、中規模の目標にかかっていく。そして、大目標にかかっていく」ということが大事です。こういう手順を踏み、梯子の段を上るように、着実な気持ちを持ちながら上っていくことが大切であると私は考えるのです。
 発展的自己実現をしていくためには、常に、二重、三重の目標を持っていることが大事でしょう。
(250~252ページ)

実現を望む理想を、「小さな理想」「中規模の理想」「大きな理想」の三種類ぐらい持つのがよい。

いきなり大きな目標は達成できない。

手順を踏み、梯子の段を上るように着実な気持ちで上っていくのが大切である──。

そうなんですよね。遠い目標なんて、ぜんぜん手が届かなくってと、いつも思ってました。

でも、3つの目標を掲げることにして、まずは小さな目標から片づけていけば、次第に、中ぐらいの目標、そして大きな目標に近づいていく。

手順を踏むこと。

梯子の段を上るように、というイメージで。

まずは3つの目標をたててみよう。

大きな理想、そして大きな目標は、とっても大切だと思います。

そして、着実に小さいところから始めればいいんだと、ちょっと前向きに捉えることができる気がします。

ノートとペンを持って、まずは書き出すところから始めてみよう。そう私は決意しているのです。
 

『成功の法』

  大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




英語とか数学とか、バリバリできる秀才って、いるよね。最初から、別の人種なんじゃないの? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真のエリートを目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 次に、私が述べておきたいことは、やはり、「学問に天才なし」ということです。
 中学・高校では、一般に、英語と数学ができる人が、「秀才」と言われることが多いでしょうが、日本人に生まれて、「生まれつき英語ができる」とか、「生まれつき数学ができる」とかいうことは、ありえないと思ってよいのです。
 日本では、英語を使わずに、日本語で済まそうと思えば済ませられるので、英語は、努力しないかぎりマスターできません。数学も同じです。普通は、買い物をして、お札を数えたり、お釣りがいくらかを計算できたりすれば、あとは数学を使わなくても生活できないことはありません。
 その意味で、英語も数学も努力感の伴う科目であり、「何も努力をせずに、英語や数学ができるようになる人はいない」ということなのです。
 生活で必ず使わなければいけないものについては、自然に能力が発達しますが、使わなくても済むものを努力してマスターするというのは、やはり大変なことです。
 スポーツも学問も、その本質は基本的に同じであり、孤独な闘いなのです。勉強は、一人でするものなので、最後は「自分との闘い」です。そうした自分一人の闘いのなかで、「心の力」を練り上げていくことが大事なのです。
(68~69ページ)

何も努力をせずに、英語や数学ができるようになる人はいない。

スポーツも学問も、最後は「自分との闘い」であり、そのなかで「心の力」を練り上げていくことが大事である。

「学問に天才なし」──。

人間ですから、どうしてもさぼりたくなるのが人情だろうと思います。

でも、勉強できる人は、自分とは違う人種だなんて言って、逃げてはいけない、と大川隆法先生は叱咤激励しておられるんだと思います。

能力は人それぞれなのかもしれませんが、でも、まったくなんの努力もせずに勉強ができるようになる人はいない。

その努力という「闘い」のなかで、さぼりたくなる自分に打ち勝っていくことで、「心の力」は練り上げられていく。

それは誰もが自分の力で勝利していくことができる闘いであるわけで。

その小さな勝利を重ねていくことで、人間は偉大な存在へ少しずつでも近づいていけると励まして下さっているのだと、改めて私は思っているのです。
 

『真のエリートを目指して』

 大川隆法著


↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




愛読書って、一度持ったら、ずーっと一生つきあっていくのが当然でしょ? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 学生時代に愛読書をつくれたら、それは大したものです。
 人は、愛読書を持ちたがるものですが、愛読書と自分とが、ずっと“競争”していくんですよ。その愛読書なる本が、どこまで自分についてくるかという問題があるんです。
 最初に読んだときに、ものすごく感激した本、例えば、中学時代に読んで感激した本、高校時代に読んで感激した本、大学時代に読んで感激した本などがあるでしょうが、そういう本について、社会人になって一年目ぐらいまでは、まだ「いい」と思うけれども、五年目ぐらいになってくると、「ちょっとどうかな」という感じがしてくることがあります。そういうふうに変わってくるんですよ。
 それはなぜかというと、実は、著者がその本を書いたときの年齢と社会的経験が関係するからなんです。著者が経験していないことや、著者の年齢ではちょっと経験不能なことについて、自分が直面し、経験する年代になると、それまで愛読書だったものが落ちこぼれていくんですよ。
 私の場合、小学校高学年のときには、下村湖人の『次郎物語』を読んで、「すごくいい本だ」と思いましたし、中学校に入ったら、井上靖の『あすなろ物語』やアンドレ・ジイドの『狭き門』を読んで、すごくいいと思いました。
 『狭き門』の文庫本の扉には、「力を尽くして狭き門より入れ」という『聖書』の言葉があり、本文中にも、「滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし」という言葉が書いてあります。
 私はその言葉がとても好きで、高校から大学に入るころまでに、五、六回は読みました。一、二年置きに繰り返し読んでいて、大学に入ったころまではもったのですが、その後、私の教養がだいぶ増えてくると、著者であるジイドの限界が見えてき始めたんです。
 この作品は、宗教の入り口のところを描いたものではあるのですが、作者の人生観や人生経験の限界のようなものが見えてくるんですよ。それと、その禁欲主義のなかにある「転落の傾向性」のようなものが見えてくるんですね。
(94~96ページ)

学生時代に愛読書をつくれたら、大したものである。

愛読書と自分とが、ずっと“競争”していき、その愛読書なる本が、どこまで自分についてくるかという問題がある。

著者が経験していないことや経験不能なことについて、自分が直面し経験する年代になると、それまで愛読書だったものが落ちこぼれていく──。

なるほど、なるほど、です。

いくつになっても、何度読んでも、読み返しても、いつも学びになるしまた読みたくなる、そんな愛読書に、学生時代に出会うことのむずかしさ。

ここで大川隆法先生が説かれるような、愛読書が“落ちこぼれて”いく残念な体験は、たしかに自分も幾度も重ねてきた気がします。

そして、大川隆法先生の著される仏法真理の書物は、なかなか“落ちこぼれて”いっていないことにもまた、気がついたりもします。

つまりは、そんなプロセスを経て選別し抜かれた、自分にとって真なる価値を持つ書物が、私たちの人生とともに生き続けていく。

それが「愛読書」という言葉の本当の意味ではないかと、改めて腑に落ちた気が私はしているのです。
 

『知的青春のすすめ』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




国際ビジネスマンになるためには、やっぱし、語学がすべてだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『プロフェッショナルとしての国際ビジネスマンの条件』で、次のように説いておられます。

 結局、「プロフェッショナルとしての国際ビジネスマン」になっていくためには、「単なる語学の問題ではない」ということを、一つ申し上げておきたいのです。「文化の違いを理解し、それから、多様な価値観を理解しないと、国際ビジネスマンとしても、十分には通用しないところがあるのだ」ということを、知っていただきたいと思います。
 それを器用に切り替えて行うか、あるいは、本人の地として行うか、それについては、本人の力量の問題もあるかもしれません。
 ただ、少なくとも、「いろいろな種類の人間がいて、宗教や信条の違いがあっても、会社などのさまざまな組織は成り立ち、運営できる」ということに対する理解の足りない部分が、日本人にはあると思います。
 そのため、そういうことを体験したり、見聞きしたりする必要はあるのではないでしょうか。それを、私は、まず言っておきたいと思います。(中略)
 かつて私が受けたカルチャーショックとしては、例えば、「ワールドトレードセンターで働く人々は、みな、冬でも半袖のワイシャツで仕事をしていた」ということがあります。これはショックでした。
 当時の日本では、「冬は長袖」と決まっており、背広を脱ぐのはよいとしても、やはり、ワイシャツは長袖を着ていないとおかしく、半袖を着るのは夏だけでした。
 ただ、室温はコントロールされているため、冬でも、「長袖も半袖も別に関係ない」と言えば関係なく、汗が出るぐらいなら半袖でも構わないわけです。(中略)
 アメリカでは、こういうものについては、けっこう自由なのです。「本人の体感温度がどうであるか」ということは、その人の問題なので、周囲の人たちは、それについて、あまり言わないところがあります。「自由の女神」の観光船に乗ったときも、本当に、半袖の人から毛皮を着ている人までいるような状況でした。そういう国もありえたわけです。
(60~64ページ)

プロフェッショナルとしての国際ビジネスマンとして十分には通用するためには、単に語学の問題ではなく、文化の違いを理解し、多様な価値観を理解しないといけない。

いろいろな種類の人間がいて、宗教や信条の違いがあっても会社などの組織は成り立ち運営できることに対して、日本人には理解の足りない部分がある。

そのため、そういうことを体験したり見聞きしたりする必要がある──。

アメリカという国の長所が、この多様な価値観の理解にあるのだというこのお教えは、プロフェッショナルとしての国際ビジネスマンを目指す人にとっては、とてもとても重要なポイントではないでしょうか。

そして、この点は、長所がたくさんあったとしても、まさに日本人のもっとも弱いところでもあると思います。

その意味で、この多様な価値観を見聞きして体験することの大切さを、こんなふうに教えていただいたときに、海外留学の本当の意義が、改めて腑に落ちてくる気が私はしているのです。
 

『プロフェッショナルとしての国際ビジネスマンの条件』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あーあ、校則だ、規則だ、法律だって、いろいろ言われて面倒だよね。なんで自由にやらせてくれないのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の科学学園の未来型教育―「徳ある英才」の輩出を目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 先般も、学園で、私は、「自分が人にしてほしいことを、人にもしなさい。自分が人にされたくないことは、人に対してもしてはいけない」という、ゴールデン・ルールの話をしました(2011年7月20日の法話「善悪を知る心」)。
 これは、大きな世界宗教のなかに、基本として、一本、通っている筋なんですね。これが実は正義論の要の部分です。
 今、「天国というか、仏に向かう自由と、地獄に向かう自由がある」という話がありましたが、結局のところ、「基本的にゴールデン・ルールを守りなさい」ということですよね。そこから、必要な規律も出てくるでしょう。
 要するに、「法律は、人々を罰するためにあるのではなく、人々が社会で自由に行動するためにあるのだ」ということです。
 これは経済学者のハイエク的な考え方ですね。つまり、「法律は、昔のように、人を取り締まるためにあるのではない。法律を犯さないようにしていれば、法律の範囲内では何をしても構わないのだ」という思想です。
 法律は、そのように、人間の自由を守るためにあり、「各人が幸福に暮らしていくためには、共通項として、だいたい、こういうことを守っておけばよい」ということを示しているのです。そして、法律に定められていないことについては、責任を問われたり、罪を問われたりすることはないため、安心なのです。
 ところが、あとから事後法で罰されるようなことがあると、やはり自由がなくなります。昔は、権力者が、あとからいくらでも法律をつくることができ、「遡って罰する」などということがありましたが、現代では、「法律は、規制のためだけではなく、実は、自由を担保するためにも存在するのだ」という考え方があるわけですよ。(中略)
 規則には、もちろん、「その人自身を縛って、堕落しないように支える」という面もありますが、ほかの人も、同じように、「幸福な学園生活を送りたい」と思っているので、ほかの人たちの迷惑になるような行為には、ある程度の規制が入るのは当然でしょうね。
(164~167ページ)

「自分が人にしてほしいことを、人にもしなさい。自分が人にされたくないことは、人に対してもしてはいけない」というゴールデン・ルールは、正義論の要の部分である。

法律は、人々を罰するためにあるのではなく、人々が社会で自由に行動するためにある(ハイエク)。

規則には、その人自身を縛って堕落しないように支える面もあるが、同じように幸福な学園生活を送りたいと思っているほかの人たちの迷惑になるような行為に、ある程度の規制を入れる、当然のものである――。

要は、校則や規則を、単なる嫌なものとだけ考えてはいけない、ということです。

厳しいだけで理不尽なだけの校則というのであれば問題でしょうが、一定の校則があるから、その範囲であれば生徒たちの自由が守られると考えることができます。

またそもそも校則や規則は、「自分が人にされたくないことは、人に対してもしてはいけない」というゴールデン・ルールが具体化されていることが多いのではないでしょうか。

そういう内容の校則であれば、その存在を認めるのが、善悪の「善」だ、ということを大川隆法先生は説いておられるのだと、改めて私は思っているのです。
 

『幸福の科学学園の未来型教育』

 大川隆法著


↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




勉強しなきゃなんだけど、なっかなか勉強って進まないでしょ。どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真のエリートを目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 勉強というのは、マラソンによく似ていて、最初はつらいものですが、やっていくうちに、しだいに慣れてきて、楽しくなってくるような面があります。
 これは、会社などの仕事でも同じであり、「最初の一歩」「最初の一鍬」が、とても難しいのです。
 勉強に取りかかろうと思っても、なかなか最初の一歩を踏み出せずに、先延ばしにしたり、後回しにしたりすることがよくあります。そのように、なかなか勉強に手が出ないでいる人がいるわけです。
 この気持ちに打ち克つには、最初は努力が要りますが、勉強する習慣を少しずつ確立していくことが大事なのです。まず、最初の一歩を踏み出す勇気を持つことが大切です。
 会社の仕事でも、何かをやろうとするとき、最初はとても難しく感じるものです。しかし、「少しだけでも、やってみよう」と思って、最初の一歩を踏み出すと、あとは、わりと楽にできるようになってくることが多いのです。(中略)
 それと、もう一つは、やるべきことを小さく分けていくことが大事です。これを「細分化の原理」といいますが、要するに、やるべき対象を小さく分けていくことで、易しく見えてくることがあるのです。
 あまりに膨大なものは、一度にやろうとしてもできないので、小さく分割していく必要があります。これは、ご飯を小分けにすると食べやすくなるのと同じやり方です。
 そのように、やるべきことを小さくし、勇気を出して、最初の一歩を踏み出すことが、とても大事なのです。
(62~64ページ)

勉強というのは、最初はつらいが、やっていくうちに、しだいに慣れてきて楽しくなってくる面があるが、「最初の一歩」「最初の一鍬」が、とても難しい。

まず、やるべきことを小さく分けていくことで、易しく見えてくることがある(「細分化の原理」)。

やるべきことを小さくし、勇気を出して最初の一歩を踏み出すことが、とても大事なのである――。

なるほど、なるほど、です。

参考書1冊の勉強を完成しようとすると、こんなの最後まで行き着くのかなとか考えてしまって、ほかの楽しいことに目が行ってしまって、なかなか始められないのが普通の気がします。

でも、これをいつまでにやろうと計画をたてて、毎日どれくらいやればいいかを考えてみると、1日あたりはけっこうたいしたことなくって、「じゃあ」という感じで始められるってことなんだろうと思います。

「じゃあ」って言って、最初の一歩を踏み出すだけの小さな勇気であれば、私にも出せるかも。そんな気がしてきます。

そして、この考え方は、学生・生徒の勉強の場面だけじゃなくって、さまざまな年齢層の方が、さまざまな場面で応用できる考え方なんじゃないでしょうか。

今日のお教え、とっても実戦的でありがたいお教えだなあと、改めて私は思っているのです。

 

『真のエリートを目指して』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




受験、受験で、ほんっとに大変だよね。こんなの、将来、社会に出るのに何か関係あるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ミラクル受験への道』(幸福の科学出版刊)で、こう説いておられます。

 中学受験、高校受験、模試も含めて、受験は、“十代の戦い”だと思います。つまり、十代の人たちに、ある意味で、勉強の“仕事レベルのやり方”を試しているようなところがあると考えられます。
 大人になって仕事をするようになると、“締め切り”が必ずあります。ですから、「締め切りまでに、できるかどうか」という見通しを立てなければいけません。どれだけの材料を調べて、集めて、そして、どれだけのものに作り上げていくか。どのようにして締め切りに間に合わせるかということです。
 締め切りに間に合わなければ、今までの努力が全部パーッと水の泡になってしまうというのが大人の社会での仕事です。締め切りに間に合わなければ、契約が成り立たないので、契約破棄になって、努力が無駄になることがあるし、信用をなくして、取り引きしてもらえなくなることもあります。
 幸福の科学でも、映画を作っていますが、映画も、締め切りまでにでき上がらなかったら、上映されません。そうなれば、信用丸つぶれで終わりです。「八割はできていたんだけど」などと言っても、上映されなければ、信用を失います。
 受験というものは、ある程度、結論があります。英語で「アチーブメント」と言ってもいいのですが、要は、「到達度」のことです。
 「この学校を目指すのであれば、あるいは、この学部を目指すなら、ここまでの到達度が要る」「受験本番の一月まで、あるいは二月までに、ここまでの到達度が必要だ」というものが、やはりあるのです。
 今までの勉強はどこまでできているのかを見て、受験本番日から逆算して、残り時間のなかで、どうやり繰りして、何をどうしたら、必要な到達度に近づけられるかということを考えなければなりません。
 だから、ある意味で、受験は、締め切りのある仕事を詰めていくような勉強の仕方を教えているのだと思います。
 子供にはそれができないため、塾の先生や予備校の先生、学校の先生など、いろいろな方が生徒を“鞭打って”頑張らせているというのが今の状況ではないでしょうか。
(18~20ページ)

受験というのは、この学校や学部を目指すなら、受験本番の1月や2月までに、ここまでの到達度が必要だ、というものである。

大人になって仕事をするようになると、“締め切り”が必ずあって、間に合わなければ努力が全て水の泡になってしまう。

つまり受験は、十代の人たちに“仕事レベルのやり方”を試しているようなところがある――。

うーん、なるほど、なるほど、です。

指摘されてみないと、受験の渦中にあるときは、普通はそんなことに考え至らないものだと思います。

でも、受験を通りすぎて、社会人の仕事というものを体験した眼で客観的に見たとき、ここで説かれているのが真理であることは、よく分かる気がします。

つまり、受験というのは、単なる“通過儀礼”だとか“嫌なもの”というのではなく、生徒たちが社会人になるための訓練をしている面がある、と考えることができるのでありましょう。

そんなふうに見切ることができたとき、私たちは「受験」というものをもっともっと前向きに捉えて、真正面からぶつかっていくことができるのではないでしょうか。

とにもかくにも、いま受験生活まっただなかのみなさん、そして、そのご家族のみなさんのご健闘を、心より祈念したいと私は思っているのです。
 

『ミラクル受験への道』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




オレって、大志を抱いてるだけど、でも、実現しないんだよね。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 高校野球の選手であれば、プロ野球の有名球団に入って活躍してみたいと思うでしょう。あるいは、世界のために貢献してみたいという志を持つ人もいるでしょう。しかし、その希望がしだいに小さくしぼんでいくことが多いのです。
 たとえば、(中略)地方の高校生が東大に入るのは大変なことであり、合格した人は「十年に一人、あるいは五十年に一人の大秀才」と言われることもあるのですが、その人がいざ東大に来てみると、東大生など、あちらにもこちらにも掃いて捨てるほどいて、どう観察しても、その人たちがすべて偉人や大天才になるとは思えないという現実に直面します。「現実はけっこう厳しかった」というわけです。
 それまでは自分のことを「価値がある」と思っていたのに、急に価値を奪われたように感じてショックを受け、自分が非常につまらないものに見えてくるときがあるのです。
 これは社会に出てからも同じです。有名な超一流企業に入り、「自分は活躍できる」と思っていたのに、コピー取りや使い走りばかりさせられるということは、いくらでもあります。
 あるいは、最近は日本の会社でも、社員を海外の大学へ留学させることが多くなっていますが、アメリカの大学でMBA(経営管理学修士)を取って喜び勇んで帰ってきたところ、単なる通訳に使われてしまい、自分が望むような仕事をさせてもらえないこともあります。
 このように、「これで自分はひとかどの人物になった。これで能力を発揮できる」と思っても、がっかりするような現実に直面することはよくあるのです。
 それでは、「いったん抱いた大志をくじかれてしまい、現実を見れば、自分の能力を発揮する場がない」というようなときには、どうすればよいのでしょうか。私がお勧めしたいのは、「少なくとも三年間は持ちつづけられる志を立てる」ということです。
 たいていの人の大志というのは、一カ月か二カ月、長くても半年で崩れる程度のものであることが多いのです。それは〝大夢〟とでも言うべきものであり、「大志」という言葉を使うのは、ほんとうはふさわしくありません。
 したがって、まず三年間持続できる志を持っていただきたいのです。三年間、一つの志を持ちつづけることができたならば、それだけでも非凡だと思います。それをステップとして、次なる夢をまた持つようにしていけばよいのです。
 大きな夢を最初から持っていても、すぐには実現できません。また、自分がそれなりの立場に立たなければ実現できない夢もたくさんあります。
 私は現在、幸福の科学の総裁をしていますが、こうした立場にあるがゆえに、夢が実現できる部分がかなりあるのです。こうした立場に立つまでは、いくら願っても実現できないことは数多くありました。
 自分のまわりの環境は、毎年どんどん変わっていきます。そうした変化を考えると、三年後の自分は現在の自分と同じであるはずがありません。その意味でも、三年間は継続できる志を立て、それを実践していただきたいのです。
(122~126ページ)

いったん抱いた大志をくじかれてしまい、現実に自分の能力を発揮する場がないというときには、少なくとも3年間は持ちつづけられる志を立てるのがよい。

たいていの人の大志というのは、1、2カ月や半年で崩れる程度のものであることが多いが、それでは「大志」というにふさわしくない。

まず3年間、一つの志を持ちつづけることができたら、それだけでも非凡であって、それをステップとして、次なる夢をまた持つようにしていけばよい──。

この大川隆法先生の言葉を深く信じて、ほんとうの意味での「大志」を抱き、努力していきたいものだと改めて私は思っているのです。

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著


↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




オレって、自分で言うのもなんだけど、情熱に満ちあふれてると思うんだよ。でも、「青いなあ」とか、冷たくあしらわれたりしてさ。どう考えたらいいだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、1989年に発刊された書籍『幸福への道標』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 灼熱の時間というものを、考えられたことがあるでしょうか。目に見えない、透明感のある時間が、熱されてオレンジ色となり、あるいはもっともっと赫々(あかあか)と燃え上がっている姿、それを心に想い描くことができるでしょうか。
 熱い時間というのは、魂が躍動している時間のことです。魂がワクワクしている時間のことです。魂がよりいっそうの成功を求めて、動き、動き、前進し、前進して止まらない時間のことです。こうした熱い時間を、あなたは今年いったい何回持ちましたか。あるいはどれだけの長さを持ちましたか。(中略)
 毎年、毎年、三六五日を生きていて、そして熱く燃え上がることもなく、その一年が終わってしまうというような、こんなバカげたことのために、私たちは生きていられるでしょうか。
 やはり、燃え上がらなければいけないと思いませんか? いや、燃え上がってみたいと思いませんか? さあ、あなたはいったい何に対して燃え上がりますか?(中略)
 私は、今、目の前に生き生きとした光景が広がっているのが見えます。前途は洋々です。そして、光が散乱しています。幸福の科学の運動が軌道に乗りはじめ、そして日本全国を、また世界全体を少しずつ少しずつ照らし出していくのが、私にはこの上なくうれしいことに思えるのです。
 こんなに楽しい仕事はありません。こんなに満足できる仕事はありません。こんなに幸福な仕事はありません。やればやるほど、多くの人たちが歓びに満たされ、幸福に満たされていくというのですから、これはほんとうに興味尽きることなく、そして歓び尽きることなき仕事だと思います。
 そして、この歓びの源泉は私個人にあるのではなく、実在界にある高級諸神霊たちにあります。彼らが、私に歓びをくださったから、私はその歓びを惜しげもなく、そのままに全国のみなさんに分け与えています。
 みなさんは、この私の息吹を、この熱い熱い風を感じとってほしいのです。そして、この風に吹かれて、まるで命が灯った蛍の火のように、その情熱を内に秘めて、全国各地で活動を開始してほしいと思うのです。
 みなさん、人類を幸福化するという仕事には限界がないのです。終わりがないのです。もっともっと、熱く熱く燃えていただきたいのです。熱く燃える時間を持っていただきたいのです。いや少なくとも、一日の枠のなかで考えたとしても、熱く燃え上がる時間を持っていただきたいのです。自分の掌が熱くなる瞬間を、自分の頬が紅色になる時間を、そして歓びが全身を駆け抜けていく時間を、ぜひとも持っていただきたい。
 そして、そうした時間とは、少なくともみなさんが神の心に同通し、他の人に歓びを分け与えることができた時間のことなのです。自分の持っている時間を多くの人びとの歓びのために使えたら、それが熱い時間となって、みなさんの掌中にかえってくるのです。その体験をぜひともしていただきたいと思います。
(180~182ページ)

大川隆法先生は、30年以上も前から、このように、魂がワクワクする燃え上がる時間を持とう、と呼びかけておられました。

その時間とは、人びとを救う活動をする中にある。

人類を幸福化する仕事をするとき、熱く熱く燃え上がる時間がもてるのだ、と。

大川隆法先生の救世の獅子吼は、もちろん30年以上前から、途切れることなく現在に至るまで、よりスケールアップされた形で、若者たちだけでなく、すべての世代の人びとに対して、なされています。

全世界の人びとを救うために、この救世の法を伝えていこう。世界の宗教対立と、それに基づく戦争をほんとうになくすことができるのは、この幸福の科学の教えしかないのだ、と。

この仏の救世の情熱を、念いを、一人でも多くの人びとに、微力ながらもお伝えしていきたいと、改めて私は、静かに、でもほんとうに深く決意しているのです。

『幸福への道標』

 大川隆法著

 

↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




英語って、勉強しなきゃいけないのは分かるんだけど、社会人になっちゃうと、なかなかできるもんじゃないよね。どうしたらいいの? なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『英語が開く「人生論」「仕事論」』――知的幸福実現論(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 基本的に、日本語では入手できない情報に関心を持ち、それを取り続けるとよいと思います。
 特に、国際ニュースについて、日本のマスコミは駄目なので、そういう情報を取ることは、学力維持にも役立つのではないでしょうか。
 やはり、CNN(アメリカのケーブルニュースネットワーク)やBBC(英国放送協会)には、日本のテレビ局が絶対に敵わない部分がありますね。
 例えば、(中略)シリアの内戦や、イスラエルのガザ地区への攻撃など(中略)は、CNNやBBCを見れば分かるのです。しかし、日本の記者は取材に行かないため、きちんと報道されません。確かに、部下に、「死ね」と言うわけにはいかないのでしょうが、やはり、あそこまで命懸けで報道してくれると助かりますよね。
 また、日本では、「ローカルニュースが多い」ということが難点ですので、やはり、意識して国際的なニュースに目を向けないといけません。
 短時間でもよいので、国際的な流れを追うことです。(中略)やはり、国際情勢を分析していくことが大切です。
(129~130ページ)

日本語では入手できない情報に関心を持ち、それを取り続けるとよい。

国際ニュースについて日本のマスコミは駄目なので、意識して目を向けないといけない。

特に、国際ニュースの情報を取ることは、学力維持にも役に立つので、短時間でもよいので、国際情勢を分析していくことが大切である──。

要するに、海外のテレビ放送(CNNやBBCなど)で、国際ニュースを見るようにすること、ということだと思います。

なるほど、なるほど、です。

それで思いつくのは、わかりやすさでは映像メディアに劣りますが、インターネットで海外のニュースサイトを見るようにする方法もあるのでは、と思ったりもします。

たとえば、ブラウザを起動したときに最初に表示する画面を英語ニュースのサイトにしておくなど、パソコンやスマホを使う人であれば、工夫すればもっといろんな方法があるのではないでしょうか。

さて、この話の続きとして、大川隆法先生が推奨される英語の勉強法は他にもあるわけですが、それはまた、次の機会にご紹介したいと思います!
 

『英語が開く「人生論」「仕事論」』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回、すごくむずかしい学校を出てるのに仕事ができない人の3つの特徴ってのを教えてもらったよ。じゃあ、そういう人は、どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不況に打ち克つ仕事法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 それでは、この三つのどれかに当てはまる人は、どうすればよいのでしょうか。
 気配りについて当てはまる人は、まず、あまり自分のことばかりを考えないことです。そして、「ほかの人たちが、どのようなことを考え、どのようなことに関心を持ち、何をしているのか」ということを観察することです。自分のことしか考えていないから、気配りができないのです。
 頭のよい人であっても、自己中心になり、自分のことしか考えていない人はたくさんいます。自分の言いたいことしか言わず、「ほかの人は、どのように考え、どのように反応しているのか。どのような問題点を抱えているのか」ということについては関心がないので、周りの人のことが分からないのです。
 こういうタイプの人は、少し、自分のことに夢中になるのをやめて、他の人に対して目を向けるべきです。
 例えば、電車のなかでも、新聞ばかり読んでいないで、少しは新聞を閉じ、「今、周りの人は、どのようなことをやっているのか。何を話しているのか。どのような週刊誌を読んでいるのか。どのようなしぐさをしているのか。誰が席を立って誰が座っているのか。お年寄りはどのへんに動いていくのか。子供はどうしているのか」など、いろいろなものを見てみることです。そうすれば、世の中の問題点がよく見えてくるのですが、そういう関心がない人は、どうにもならないのです。
 会社のなかにおいても、そうです。自分の仕事だけに熱中してはいけません。やはり、「今、ほかの人は、どのような電話をしているのか。どのような受け答えをしているのか。どのような仕事をしているのか」ということを、広い目で見れなくてはいけないのです。
 これが見えない人は、あまり成功しません。言われた仕事を達成することにしか専念していないからです。(中略)
 次に、「勘を磨く」ということですが、これも、受験勉強には必ずしも付随しないものだと思います。「ヤマ当て」の天才は別として、普通は、必ずしも付随しません。
 それでは、勘を磨くには、どうすればよいかというと、やはり、「孤独な時間を過ごしたことのない人には、勘がひらめかない」ということが言えます。
 「孤独な時間を過ごす」というのは、自分一人のときに、物事を考えたり、あるいは、本を読んだりすることですが、そのように、自分一人の時間・空間のなかで自分を見つめたことのない人には、勘が働かないのです。
 いつもガチャガチャと忙しくせずにはいられない人は、いわゆる「ベータ波動」の人です。こういう人は勘が働きません。
 反省や瞑想は、孤独な時間を過ごすためのよい機会です。そういう機会に、人と話をせずに、しばらく自分を静かに見つめる時間を持つことです。そうすると、勘が鋭くなってくるのです。これも一つの修行だと思います。
(192~195ページ)

気配りについては、あまり自分のことばかりを考えないことであり、ほかの人たちが、どのようなことを考え、どのようなことに関心を持ち、何をしているのかを観察することである。

勘を磨くには、孤独な時間を過ごすこと。自分一人のときに、物事を考えたり、あるいは本を読んだりすること。

反省や瞑想は、孤独な時間を過ごすためのよい機会なので、そういう機会に、しばらく自分を静かに見つめる時間を持つことである――。

さてさて今日は、仕事ができない人の3つの特徴のうち、「気配りができない」と「勘が鈍い」の対策を教えていただいたわけです。

そうすると、「イマジネーションがない」の対策が気になるところですが、それは、またの機会に!
 

『不況に打ち克つ仕事法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ