ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



前回、すごくむずかしい学校を出てるのに仕事ができない人の3つの特徴ってことで、最初の2つの対策を教えてもらったよ。で、最後のひとつは? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不況に打ち克つ仕事法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 三つ目はイマジネーションです。これも、素質的に低い人がいます。先ほどのベータ波動の人とまったく同じで、小刻みにいろいろなことをせずにはいられない人というのは、やはり、イマジネーション能力が弱いのです。
 したがって、勘を磨く場合と同様に、イマジネーション能力を高めるためには、一定の時間、ずっと考え続けることが必要です。「これは、どのようになっていくのか」「この人の人生は、どうなっていくのか」「この子供は、どのようになっていくのか」などということについて、いろいろと考えていかなくてはならないのです。(中略)
 こういうイマジネーション能力は、受験適性とは、あまり関係がないのですが、現実に世の中で成功するためには、非常に大きな要素なのです。
 つまり、「この人は、こういう職業に就いたら、二十年後にはこうなる」「この会社に入ると、このようになる」「この人と結婚したら、このようになる」というように、「二十年後にこうなる。三十年後にこうなる」というイマジネーションが働くかどうかで、けっこう人生の成否は決まるのです。
 これができずに、刹那的、衝動的に動いている人は、よく失敗します。(中略)
 このように、イマジネーション能力というのは、この世で成功するための非常に大きな力になるのですが、現実には誰も教えてくれません。ほとんどの場合、天賦の才というか、生まれつきの才能のようなものに依っている面があります。
 しかし、これも、努力すれば、見えてくるようになることがあります。普通の人は、そういうものが、仕事で成功していくための大きな力になるということに気がついていないので、それが分かったならば違いは大きいと思います。
 例えば、「日曜日に、誰かを手伝って、このような仕事をしなくてはならない」というときに、自分の仕事のことだけを考えているような人は駄目なのです。
 「日曜日に、その人がこういう仕事をするときに、どのようなものが必要になるだろうか。天候はどうだろうか。人は何人ぐらい集まるか。どういう場所で行うのか。その仕事の目的はどういうものなのだろうか」ということをイメージしていくと、「何が必要か。何をしなければいけないか」ということが分かってきます。
 これは、「仕事ができる人」の、けっこう大きな条件なのです。これが分からない人は、当日になっても、ただ、自分の役回りのことだけをします。そして、「あれがないではないか。これがないではないか」というようなことを言われて、困ってしまうことがあるのです。
(195~196、198~199ページ)

三つ目はイマジネーションである。受験適性とは、あまり関係ないが、現実に世の中で成功するためには、非常に大きな要素である。

現実には誰も教えてくれないが、これが仕事で成功していくための大きな力になることが分かったならば、その違いは大きい。

イマジネーション能力を高めるためには、一定の時間、ずっと考え続けることが必要である──。

むずかしい学校を出ていて学歴がとっても高いというのに、仕事ができないというのでは、ほんとうに残念な話です。

大川隆法先生は、学校時代の成果だけに頼らずに、社会に出てからもしっかりと努力すれば、仕事はできるようになると教えて下さっているわけですから、ありがたいことだと思います。

そして、努力しようにも、何が原因でうまく行かないのかが分からないままだとどうしようもありません。

ところが、その原因が、学校時代の試験では測られたことがなかったイマジネーション能力の不足だというのは、目からウロコの話なんではないでしょうか。

これをしっかり理解した上で、一定時間、ずっと具体的に考え続ける訓練を重ねていけば、もっともっと仕事はうまくできるようになるというわけです。

これだったら、多くの方にとって大きな福音ではないかと、改めて私は思っているのです。

 

『不況に打ち克つ仕事法』

 大川隆法著


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テレビで、心というのは脳の作用だっていうような番組やってたりするけど、そんなはずないでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『本当に心は脳の作用か?』――立花隆の「臨死体験」と「死後の世界観」を探る(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 脳や心、死後の世界に関心を持つことは良いと思うが、いくら仮説を立てようとも結論は一つである。真理は複雑系の思索の中には存在せず、一番単純な結論を好む。
 本書で紹介した立花隆氏の守護霊の意見は、唯物論の科学者や、朝日系ジャーナリストらとほぼ同じで、何とかして心を脳の作用の一部と考えて、魂について思考停止の状態を維持したいというところである。
 残念ながら現代の宗教学者や仏教学者にも、エポケー(判断中止)を前提に学問をやっている者が多い。紙の上の活字やデータ分析だけで学問を作り上げようとしているのである。戦後の学問の最大の失敗といってよい。ここを改善しないで「教育改革」などは虚しいと言わざるをえまい。
(3~4ページ)

立花隆氏の守護霊は、唯物論の科学者らとほぼ同じで、何とかして心を脳の作用の一部と考えようとしていた。

しかし、いくら仮説を立てようとも、結論は一つである。

紙の上の活字やデータ分析だけで学問を作り上げようとしているのは、戦後の学問の最大の失敗である――。

大川隆法先生は、形なきエネルギー体である「霊」が人の肉体に宿って、人体状の想念体をつくったとき、それが「魂」と呼ばれ、その中心部分が「心」なのだと教えておられます

つまり、結論は一つなんであって、人間の本質は霊であり、魂であり、心です。

心のほうこそが人間の本質ですから、これは脳の作用などではありません。

守護霊として呼ばれ、大川隆法先生の体を借りて霊言をしているというのに、自分自身が「霊」であることさえ分からない。

そんな摩訶不思議なことが、現実に数多く起こっていますが、それが学問を深くやったのが原因だとしたら。

戦後の学問というのは一体なんだったんだろうかと、根本的なところに思いが及ぶのは当然のことだと思います。

この世の事象はもちろんのこと、霊的な世界まで含めて、真理は探究されなくてはならない。そんな学問を、新しい大学で創っていかなければならない。

大川隆法先生はこのまえがきで、じつはそんなことを語っておられるように私は思っているのです。
 

『本当に心は脳の作用か?』

 大川隆法著


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小説家もたくさんいるはずなのに、大川隆法先生って、山崎豊子の霊言を出したでしょ。なんでだったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『山崎豊子 死後第一声』(幸福の科学出版)の冒頭で、次のように述べておられます。

 最近、収録続きでしたので、今日は休みにしようかと思っていたのですが、朝、山崎豊子さんの霊に“つかまり”ました(笑)。
 あちらのほうから来て、「休み? じゃあ(霊言の収録を)できるわね。『幕張メッセ』の日まで帰りませんから」って言って粘られたのではしかたがありません(注。十二月十四日、千葉県幕張メッセで開催の「エル・カンターレ祭大講演会」を指す)。そう言われたら、この人の霊言をせざるをえないでしょう。この交渉力はなかなかのもので、すごいと思います。
 また、「作家というのは、一日も休んでは駄目なのよ。創作は毎日やらなくては駄目。ずっと働かなくてはいけない。映画なんか観る必要はなくて、私の話を聞くのが映画の代わりなのよ。これをエンターテインメントだと思わなくてはいけない。仕事なんて思ったら駄目で、楽しみに思って聞くのよ」と、こう来ましたから、なかなか交渉力がある方だと感心しました。頭がよいですね。
 どうやら、趣旨としては、幸福の科学が“格付け機関”のようになっているらしく、ここで認定を受けなければ本物とは言えないようなのです。
 いくら、この世でマスコミ等に評価されても、ここで「駄目」と出たら駄目なので、「自分でも自信はないけれども、松本清張と一緒か一緒でないか、きちんと格付けを受けたい」ということでしょう。そういう意味で勇気があると思います。
 また、「新潮さんともいろいろあったのかもしれないが、週刊新潮に小説を連載している途中で亡くなったため、新潮は一生懸命に自分を持ち上げている。だけど、おたく(幸福の科学)はどう思っているのか、知りたがっている人はたくさんいるし、読者のなかには、当然ながら、『霊言で出る』と思って期待している方が大勢いるはずなので、その期待に応えなくてはいけないでしょう」と言っていました。
 やはり、交渉力はそうとうなものです。つくづく“頭のよさ”に感心しました。
 なお、「質問者は、誰であればよいですか」と訊いたら、「里村さん」と指名してきたのです(会場笑)。「彼だったら面白そうなものができるかもしれないので、里村さんでお願いしたい。藤木英雄さんの本(『「特定秘密保護法」をどう考えるべきか―藤木英雄・元東大法学部教授の緊急スピリチュアルメッセージ―』〔幸福の科学出版刊〕)よりはよく売れますよ」と、こう来ましたからね(笑)。いや、なかなか手強いので、そう簡単ではないと思います。
 まだ亡くなって間もない方ではありますが、確かに、霊言に登場してもおかしくはないでしょう。
(13~15ページ)

朝、山崎豊子さんが来て、霊言を収録するようにと強く交渉された。

どうやら幸福の科学が“格付け機関”のようになっているらしく、ここで認定を受けなければ本物とは言えないようだ。

「彼だったら面白そうなものができるかもしれない」と、質問者を「里村さん」と指名してきた──。

公開霊言の収録のきっかけは、いろんなパターンがあるようですが、この山崎豊子さんのように、自分からやってきてけっこう強引に出演してしまうのも、一つのタイプかもしれません。

他にも、イスラム国の人質事件の被害者の方がやってきて、公開霊言をしてしまったケースなどがありました。

こんな奇跡の御業が延々と公開され、発表され続けているというのに、そしてその内容の凄さは証明ずみであるというのに、なぜ日本のマスコミは、これをほとんど報道しようとしないんでしょうか。

世界最高の霊能者であり、世界教師にして国師である大川隆法先生は、日本の至宝であり、真の秘密兵器だと言わざるを得ないと、改めてしみじみと私は思っているのです。
 

『山崎豊子 死後第一声』

 大川隆法著


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「知は力なり」って言ったのは、フランシス・ベーコンだったと思うんだけど、現代に生まれ変わってたら、どんなこと言うのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日下公人のスピリチュアル・メッセージ』――現代のフランシス・ベーコンの知恵(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 かねがね気になっていた日下公人氏の守護霊インタヴューをやってみた。かなり面白い発想が出てくるものと期待していたが、実際その通りだった。
 「第三次産業」を超えた「第四次産業」まで言及されたのには驚かされた。
 「智恵のマーケットの時代」を創り出そうとすれば、未来をたぐり寄せられるということだろう。
 自分もこういう実り多い八十代を迎えられるだろうかと、現代版フランシス・ベーコンの知恵に学びつつ、あらためて、精進を心に誓わざるを得ない気持ちになった。
 まことに有難く、日下氏に感謝と畏敬の念を捧げる次第である。

あとがき
 私の率いる「幸福の科学」も「幸福実現党」も、ある意味で、「知は力なり」を地で行っている団体である。若い頃学んだ、イギリスの哲学者にして政治家のフランシス・ベーコンは、「知識」と「経験」によって、人間の知恵が神の如く高まってくることをよく知っていたと思う。
 私自身も、人間の運命は、遺伝子などで運命論的に決定づけられるものではなく、絶えざる精進が道を開くことを、十二分に知っているものの一人である。
 発想力が豊かで、涸れない知恵の泉がいつも湧き出しているような、そんな豊かな熟年期を、多くの日本人が持ちえることができれば幸いである。
(1~2、170~171ページ)

日下公人氏の著書は、いつも未来への希望に満ちあふれているのはなぜだろうと、かねがね思っていました。

たしか90歳をすぎて、さすがにここ数年は著書は出ないようですが、80歳代でも、著書を出し続けておられたのは、ちょっとすごいのではとも思っていました。

フランシス・ベーコンという名前が出てきて、初めて腑に落ちた気が私はしているのです。

『日下公人のスピリチュアル・メッセージ』

 大川隆法著


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いやあ、失敗ばっかりだし、いいことないよね。今は忍耐だなんて言われても、どうしたらいいのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『智慧の法』(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 私は、ここで、「人間がこの世において、成功し、幸福になり、繁栄していくためには、忍耐と努力が要るのだ」という、ごくごく単純な事実を、もう一度、確認しておきたいのです。
 幸福の科学では、二〇一四年は、『忍耐の法』(幸福の科学出版刊)という本を中心にして活動をしてきました。みなさんがいくら努力をしても、なかなか前に進まない時代ではあろうと思います。
 しかし、「この忍耐の時代は、決して、人生において無駄なものにはならない。忍耐の時代こそ、みなさんが本物であるかどうかを試す時期でもあるのだ」と思うのです。
 人間が成功するのは、その人の才能が一流であるからだけではありません。歴史上、成功した数多くの人々は、才能においては一流ではなかった人々です。才能においては一流ではなかったけれども、忍耐を重ね、努力・精進を忘れなかった人々が、次々と困難を乗り越えて、人類史に偉大な一歩を築いてきたのです。
 自分の能力が十分でないこと、自分が才能に溢れていないことを、どうか悔やまないでください。それこそが、みなさんが今世、この地上において、大きな魂となって発展していくために与えられている期待であり、機会でもあるのです。
(40~41ページ)

忍耐の時代は、決して人生において無駄ではなく、みなさんが本物であるかどうかを試す時期でもある。

才能においては一流ではなくとも、忍耐を重ね、努力・精進を忘れなかった人々が、人類史に偉大な一歩を築いてきた。

自分の能力が十分でなく、才能に溢れていないことこそが、今世、この地上において、大きな魂となり発展していくために与えられている期待であり、機会でもある──。

もっと能力があればとか、才能に溢れていたらとか、ひとは考えてしまいがちですが、悔やむ必要はないと、大川隆法先生は説かれます。

それどころか、だからこそ、今世の人生で、人は発展していくことができる、そういう期待を神仏にかけていただいているのだ、と。

これは言葉を換えれば、大宇宙を貫く「縁起の理法」という法則によって、努力・精進は、必ずや何らかの結果に結びついていく、ということでもあるんだろうと思います。

とても前向きで、元気が出てくるお教えではないでしょうか。

「本物」であることを示せるだけの努力・精進を忘れない自分でありたいものだと、改めて私は思っているのです。
 

『智慧の法』

  大川隆法著


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前回、なんで古代ギリシャにヘルメス教団は残らなかったのって、教えてもらったよ。でも、なんでゼウス教団に取って代わられるようなことになっちゃったの?

幸福の科学の大川隆法先生は、『エロスが語るアフロディーテの真実』(幸福の科学出版)で、ヘルメス教団の二代目であったエロスの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 ヘルメスとゼウスには、はっきりとした違いがあるのです。
 ヘルメスは「隠遁者」であり、その意味で釈迦と共通しているのですが、ヘルメスには、わりに見せない部分というか、「隠れし神」の部分がやはりあるんですよ。本当に戦うところもあるけれども、隠遁者の部分もあるのがヘルメスです。釈迦にも、そういうところはありますね。
 ゼウスは、そういう隠遁者の部分があまりない人でして、正々堂々の陣というか、正規軍で戦う傾向がありますね。
 例えば、『愛は風の如く』にもたぶん書いてあると思いますが、ヘルメスは、隠密的に動くのがわりに好きな方なんですよ。
 それは、別に悪いことではないのです。
 近代では、勝海舟なども言っていますが、お城のなかにいると、下情(かじょう)というか、庶民のことが分からなくなるので、やはり、変装してでも、江戸の町に出て、いろいろ見て歩かなければ、正しい治世ができません。
 勝海舟は、そのようなことも指導していたようで、「将軍が、大奥にいたり、お城のなかにいたりして、報告だけを聞いていたら、本当の意味での民の暮らしが全然分からない。内緒にしてでも、出ていって、民の暮らしを見るべきだ」と言っています。
 これは、経営学的に見れば、現場主義ですよね。「現場主義で、きちんと現場を見て、間違っていないかどうかをチェックする」という部分が、ヘルメス主義のなかには入っているのです。
 それは悪いことではないのですが、大会社などでは、普通、社長は社長であって、「部下を通じて仕事をする」「部下に任せて、大きな仕事をやっていく」というのが、経営手法としては本道ですよね。「社長が、いろいろなことを何もかもやる」というようなことは無理です。スーパーマンでないかぎりはできません。
 ゼウス主義というのは、この「正々堂々型」であったのです。ヘルメスが、変装し、一人二人を連れて、けっこういろいろな所に出没していたのに比べれば、ゼウスは、今で言うと、車を十五台ぐらい連ねて堂々と出ていくようなタイプでしたね。
  幸福の科学の総裁は、そういうのはあまり好きでない性格ですが、某大教団などは、例えば、「トップが外遊する」というと、「黒塗りの車を十五台ぐらい連ねて、成田に走っていき、みなで最敬礼してお見送りする」というようなことをしたそうです。そういうのが好きな方もいるわけです。(中略)
 また、ヘルメス軍には、何と言うか、ノウハウが個人的に隠されているところがかなりあったので、そのへんを十分に引き継げなかった面はあるかもしれません。
 一方、ゼウス軍の場合は、そういう特殊な才能を擁する人をあまり気にせずに、「組織として行動して、一定レベルの成果をあげる」ような考え方ができていたということでしょうかね。そういう意味では強かったと思います。
(115~118ページ)

ヘルメスとゼウスには、はっきりとした違いがあった。

ヘルメスは「隠遁者」であって、ノウハウが個人的に隠されているところがかなりあったので、そのへんを十分に引き継げなかった面はある。

ゼウスは、正々堂々の正規軍で戦う傾向があって、そういう特殊な才能を擁する人をあまり気にせずに、「組織として行動して、一定レベルの成果をあげる」ような考え方ができていたので、その意味では強かった──。

うーん、で、古代ギリシャにヘルメス教団は残らなかったのは、この二人の性格の違いだけだったのかというと…、というあたりは、また次の機会に!

『エロスが語るアフロディーテの真実』

 大川隆法著


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創造性って、大事なんだよね。どうやったら、創造できるようになるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『創造する頭脳』――人生・組織・国家の未来を開くクリエイティビティー(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 どうも何かがおかしいのだ。従来「頭がいい」とされてきた人たちの仕事に精彩がなく、実際に生産性がないのだ。どうやら学校教育と社会人教育(特に会社内教育)の双方ともに問題があるようだ。
 発想力、創造性、斬新さ、などはもともとテストで点数化して計測するのは難しいものだ。結果的に顧客の人気や評判、成果で判定するしか方法がないのだ。
 おそらく社会が、生産者主体の社会から、消費者主体の社会へと移行しているのに、あいも変わらず学校も会社も、軍隊型の自己中教育をやっているのが原因らしい。頭がいいはずの人たちにクリエイティビティーがなくなっているというのは国家としても損失である。
 既存の教育体制を体系的に廃棄すべき時が来ているようだ。本書の刊行が活力ある社会を開くための、発想の転換点となることを期待する。
(3~4ページ)

従来「頭がいい」とされてきた人たちの仕事に精彩がなく、生産性がない。

社会が、生産者主体の社会から、消費者主体の社会へと移行しているのに、あいも変わらず学校も会社も、軍隊型の自己中教育をやっているのが原因らしい。

既存の教育体制を体系的に廃棄すべき時が来ている──。

ここで大川隆法先生がおっしゃりたいのは、消費者主体の社会では、作る側(メーカー側)がいくら最高の製品を作ったつもりでいても、消費者(顧客)に受け入れられなければ売れなくてつぶれてしまうのに、そういう時代に対応した教育が行なわれていない、ということなんだろうと思います。

そんな時代に必要なのは、発想力、創造性、斬新さ、などなど。

たしかに、これまでの教育体制を根本的にイノベーションしなければいけない、そのために、幸福の科学は教育事業に進出してるんだと思います。

本書を読みながら、教育体制のあるべき姿を考えてみたいと、改めて私は思っているのです。
 

『創造する頭脳』

 大川隆法著


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アメリカって、やっぱり一番進んだ国なんだから、その歴史認識は正しいんでしょ。だから戦前の日本って、やっぱり悪い国だったんでしょ? なーんて思ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本よ、国家たれ!』――元台湾総統 李登輝守護霊 魂のメッセージ(幸福の科学出版)で、李登輝・元台湾総統の守護霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 (アメリカは)日本に対する偏見の部分について、反省してないよね。だから、歴史認識では、韓国や中国と同じだよ。日本を、悪い国で、ヒトラー的な国にしないと、自分たちのやったことを正当化できないからね。(中略)ハワイの真珠湾奇襲攻撃だって、一週間前から知ってたからさあ。
 実際は知ってたのに、自分たちの身内を犠牲にして、三千人近くの人を死なせてまで戦争を始めたかったのは、ルーズベルトだからね。知ってたんだよ。知ってて、空母だけはちょっと隠してた。
 それは戦争に入るためで、ほら、イギリスが、ドイツから助けてほしくてね。
 あれは、もうほとんどドイツに降伏寸前だったからねえ。アメリカに参戦してもらわなきゃ、イギリスは潰れてたから、どうしてもアメリカを引き入れなきゃいけなかった。
 それに、ドイツをやっつけるためには、やっぱり、ソ連に開戦させて、ヒトラーと戦わせる必要があったけど、ソ連をヨーロッパに引きつけるためには、日本軍に後ろから襲われたんではたまんない。大陸には二百万人もの軍勢がいたのでね。これが全部、シベリアから攻め込まれたら、ソ連はドイツと戦えなくなるから、日本とは、「戦わない」っていう協定(日ソ中立条約)を結んでた。
 だから、そのへんは複雑に組み合わさっているんだけど、大陸にいた日本の軍隊も、本当は余ってたんだから、もし、ソ連が攻撃を開始する前に、もし、ヒトラーがやられる前に、日本がソ連を攻撃してたら、事態はだいぶ変わってたとは思うね。(中略)
 だから、アメリカが言ってる、「東京大空襲と、それから広島・長崎の原爆は、真珠湾の奇襲攻撃、『スニーキー・アタック』や南京大虐殺、従軍慰安婦、その他、日本の残虐行為のすべての『カルマの刈り取り』のためにやったんだ」っていう言い訳があるんだけども、歴史検証で、これが全部逆になった場合、アメリカにとっては、“ベトナム戦争パート2”で、もう一つ前が出てくることになる。
 ベトナムの一般の農民をいっぱい殺してしまってね。もう、枯葉剤を撒いて、火炎放射器で焼いて、ナパーム弾を落として焼け野原にして、農民たちを殺したことへの罪悪感を、アメリカ人はものすごく持ってるから。あれ以降、アメリカ人の間では、マリファナから、もう、いろんなものが流行って、犯罪と非行に走り、みなが、そうやって精神を麻痺させないといられないような国になってきたよね。
 あれのもう一段前から始まるわけだからね。そこを何とか避けたいと思ってるんだろうけど、でも、これは、いずれ、明らかになってくると思うよ。
 だから、ここの部分については、「ヒトラーも顔負けのことをやってるんだ」ということは間違いない。もしかしたら、ヒトラーだって、原爆は落とさなかったかもしれないから。ロンドン空襲はしたけど、原爆は落としてないからさあ。
 あれは日本にしか落とさなかった。朝鮮半島にさえ落とさなかったんですからね。だから、あれは、「人類史上の最大の汚点」でしょうな。
 もし、日本という国を理解し、日本の歴史を正当に理解してたら、落とせなかったと思う。
(152~156ページ)

アメリカは、日本に対する偏見の部分について反省していないから、歴史認識では、韓国や中国と同じように、日本をヒトラー的な悪い国にしないと、自分たちのやったことを正当化できない。

ハワイの真珠湾奇襲攻撃だって、ルーズベルトは実際は1週間前から知ってたが、イギリスを救うために、三千人近くを死なせてまで戦争を始めたかった。

東京大空襲と広島・長崎の原爆は、真珠湾、南京大虐殺、従軍慰安婦、その他、日本の残虐行為のすべての『カルマの刈り取り』のためにやったという言い訳が歴史検証で全部逆になれば、アメリカにとっては“ベトナム戦争パート2”となってしまうが、これはいずれ明らかになってくる──。

たしかに、たしか東京大空襲では10万人以上、広島・長崎の原爆では20万人以上が虐殺されたんだと思います。

このとき犠牲になった人々の大半は、軍人ではなく非戦闘員の一般市民だったはずです。

考えてみると、いくら戦争だからといっても、どうしてそんなひどいことが正当化されるのか、まったく理解できない話ではあります。

“原爆で多くの方が亡くなった”とか言われますが、白紙の眼で考えてみれば、じつは「アメリカが原爆によって数多くの一般市民を虐殺した」と言ってもおかしくない気がします(そんなカドがたつ言い方は控えるのがふつうの日本人だとは思いますが)。

そこに、真珠湾攻撃はじつはルーズベルトの策略だったとか、南京大虐殺も従軍慰安婦もまったくウソ話だった、とかいうことになれば、戦争でアメリカが日本人に行なった悪行の数々は、じつは“あのベトナム戦争”とまったく同じだった、という話になるわけです。

そして、じつはアメリカは、そんな困ったことになるのを避けるために、“南京大虐殺”とか“従軍慰安婦”の問題などで韓国や中国に同調しているというのが、李登輝・元台湾総統の守護霊の見立てなんだと思います。

それにしても、一つの国家の指導者の守護霊であっても、狭い視点しか持てない方はいくらでもいるというのに、李登輝・元台湾総統の守護霊の言葉の見識の高さには、改めて目を開かれた気が私はしているのです。

『日本よ、国家たれ!』

 大川隆法著


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子育てしながら働いてるんだけど、出来の悪い正社員の人よりぜったい仕事できるはずなのに、ちょっと不況とかいうと最初に整理されちゃうのって、なんとかならないの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『サバイバルする社員の条件』(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 ただ、会社には会社の論理があります。仕事をしてもらわなければいけないときに、個人的な用事がたくさん出てくる人には、やはり、信用できないところがあるのです。そういう人には、正規の仕事を任せにくいですし、その人をカバーするために、別の人が必要になったりするので、なかなか信用できないのです。
 民主党的な“大きな政府”の発想では、「そういう問題は、国が全部、面倒を見ればよい」ということになるのかもしれませんけれども、やはり、各自が、人知れず努力しなければしかたのない面はあるでしょう。
 例えば、子供は子供なりに、自分のことは自分でできるように、きちんとしつけなければいけないでしょう。また、ご本人としても、会社の仕事のなかで、家の用事等のために抜けてしまう部分については、「平日、自宅に帰ってからでも、あるいは、休日、手が空いたときにでも仕事をする」といった、何らかの努力は要るかもしれません。
 さらには、自分の長所を探し、「足りない部分は、ここでカバーしよう」と思って、努力するべきでしょう。(中略)そういうなかでも、やはり、努力をすれば、道は必ず開かれます。
 いわゆる子育て中のママさんとして、マイナス面はマイナス面としてあることは率直に認めつつも、「他の同じような条件の人と比べると、私には、ほかの人にはできない、こういうプラス面があります」ということをPRしてもよいでしょう。
 例えば、「私は英会話ができるので、通訳が必要なときに、その仕事のお手伝いをすることもできますし、自分の手が空いたときには、英文書類の翻訳をすることもできます」というようなこともあると思います。
 また、「子育てに手のかかるお母さん同士で協力し、話し合って役割分担を決め、助け合う」といったことも、可能性があるかもしれませんね。
(137~141ページ)

政府に頼るのではなく、各自が人知れず努力しなければならない面はあるし、やはり努力をすれば、道は必ず開かれる。

例えば、子供には、自分のことは自分でできるように、しつけなければいけない。

本人としても、自分の長所を探し、プラス面をPRするとか、子育てに手のかかる同士で協力して助け合うことも、可能性があるかもしれない――。

やはり、大川隆法先生は、各人いろいろな事情がある中で、政府に安易に頼るような道を説いたりはされないわけです。

大川隆法先生のお考えは、自助努力でできることは何かを考えよう、という方向なんだと思います。

そして、その方法について、まだまだ具体的に説いておられるわけですが、気になるその続きは、またの機会に!
 

『サバイバルする社員の条件』

 大川隆法著


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「美」に興味があるんだけど、これって哲学の分野で研究されるべきなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『美とは何か 小野小町の霊言』(幸福の科学出版)のまえがきで、こう説いておられます。

 人生を幸福に生きるためには、「真」「善」「美」の探究が関係してくる。哲学者のソクラテスやプラトンやアリストテレスは、「美」を「善」に近づけて考えていたようではあるが、具体的な「美」についての観察や経験が少し足りていないと思う。特に霊界の奥義としての「美」の実在を体験していないのではなかろうか。
 本書では小野小町霊が、日本文化の伝統でもある「言霊」の不思議にも触れながら、美の世界を表現している。世界に通用する「日本ブランド」がここにある。
 本文では、人気女優・北川景子さんの過去世の一つを小野小町だと言及している。心理学に詳しい北川さんにわかるように言うと、本人と密接な関係のある潜在意識が、魂のきょうだいとして、天上界に存在するということである。
 現代に、美の観音様を、信仰にかえて、視聴率で、人々は支持しているのである。
(1~2ページ)

「美」の探究は、人生を幸福に生きることに関係してくる。

哲学者は、具体的な「美」について、特に霊界の奥義としての「美」の実在を体験していない。

北川景子さんは、過去世が小野小町であり、美の観音様である──。

少し遠回しに説かれていますが、要するに、「美」については、霊界の奥義としての「美」を取り扱うことができる宗教こそが、その真実をほんとうに明らかにすることができる、ということなんだと思います。

それにしても、女優の北川景子さんが、世界の三大美女の一人として有名な小野小町の生まれ変わりであって、「美の観音様」なのだというのは、けっこう驚きの事実です。

改めてこれを機に、北川景子さんが出演したドラマや映画などで、「世界に通用する『日本ブランド』」としての「美」の片鱗を、少しでも研究できたらと私は思っているのです。
 

『美とは何か 小野小町の霊言』

 大川隆法著


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あーあ、校則だ、規則だ、法律だって、いろいろ言われて面倒だよね。なんで自由にやらせてくれないのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の科学学園の未来型教育―「徳ある英才」の輩出を目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 先般も、学園で、私は、「自分が人にしてほしいことを、人にもしなさい。自分が人にされたくないことは、人に対してもしてはいけない」という、ゴールデン・ルールの話をしました(2011年7月20日の法話「善悪を知る心」)。
 これは、大きな世界宗教のなかに、基本として、一本、通っている筋なんですね。これが実は正義論の要の部分です。
 今、「天国というか、仏に向かう自由と、地獄に向かう自由がある」という話がありましたが、結局のところ、「基本的にゴールデン・ルールを守りなさい」ということですよね。そこから、必要な規律も出てくるでしょう。
 要するに、「法律は、人々を罰するためにあるのではなく、人々が社会で自由に行動するためにあるのだ」ということです。
 これは経済学者のハイエク的な考え方ですね。つまり、「法律は、昔のように、人を取り締まるためにあるのではない。法律を犯さないようにしていれば、法律の範囲内では何をしても構わないのだ」という思想です。
 法律は、そのように、人間の自由を守るためにあり、「各人が幸福に暮らしていくためには、共通項として、だいたい、こういうことを守っておけばよい」ということを示しているのです。そして、法律に定められていないことについては、責任を問われたり、罪を問われたりすることはないため、安心なのです。
 ところが、あとから事後法で罰されるようなことがあると、やはり自由がなくなります。昔は、権力者が、あとからいくらでも法律をつくることができ、「遡って罰する」などということがありましたが、現代では、「法律は、規制のためだけではなく、実は、自由を担保するためにも存在するのだ」という考え方があるわけですよ。(中略)
 規則には、もちろん、「その人自身を縛って、堕落しないように支える」という面もありますが、ほかの人も、同じように、「幸福な学園生活を送りたい」と思っているので、ほかの人たちの迷惑になるような行為には、ある程度の規制が入るのは当然でしょうね。
(164~167ページ)

「自分が人にしてほしいことを、人にもしなさい。自分が人にされたくないことは、人に対してもしてはいけない」というゴールデン・ルールは、正義論の要の部分である。

法律は、人々を罰するためにあるのではなく、人々が社会で自由に行動するためにある(ハイエク)。

規則には、その人自身を縛って堕落しないように支える面もあるが、同じように幸福な学園生活を送りたいと思っているほかの人たちの迷惑になるような行為に、ある程度の規制を入れる、当然のものである――。

要は、校則や規則を、単なる嫌なものとだけ考えてはいけない、ということです。

厳しいだけで理不尽なだけの校則というのであれば問題でしょうが、一定の校則があるから、その範囲であれば生徒たちの自由が守られると考えることができます。

またそもそも校則や規則は、「自分が人にされたくないことは、人に対してもしてはいけない」というゴールデン・ルールが具体化されていることが多いのではないでしょうか。

そういう内容の校則であれば、その存在を認めるのが、善悪の「善」だ、ということを大川隆法先生は説いておられるのだと、改めて私は思っているのです。
 

『幸福の科学学園の未来型教育』

 大川隆法著


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なんだか日本って、危機管理の問題ばっかり起きてる気がするよね。官房長官とか副総理とかで、日本の危機管理のときに力を発揮した後藤田正晴って政治家がいたでしょ。いまどう日本をどう見てるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『カミソリ後藤田、日本の危機管理を叱る』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 学生時代に会った後藤田正晴は、警察官僚出身にしては、意外と政治家的演出のできる方だった。その眼光は鋭く、判断は的確で速かったが、自分の失敗談や劣等感などもポロリポロリと漏らし、一瞬にして相手を懐の中に入れてしまうようなところがあった。実際に直接会うと、あの映画「ゴッド・ファーザー」の初代のような、懐の広さと、厳しさがあった。
 晩年は、マスコミ受けも良かったし、率直さ、正直さも人柄からにじみ出ていた。「資産が十億円もあるのは、政治家としてどうか」と問われても、「五十年以上、営々と働き続けて、その程度の資産があるのは当然。」とマスコミに開き直って、相手にはグウの音も出させなかった。
 この「強さ」が、今、「竹島問題」や「尖閣諸島問題」でも必要かと思う。きっと本書が、「日本の危機管理」に役立つと信じてやまない。

あとがき
 生前の後藤田氏には、同郷の一後輩学生に期待をかけてくれたことに感謝の念を禁じえない。
 政治学科の私が、国家上級試験(当時)の「法律職」で受験して、専門試験は、一万数千人中最高点(九割強)だったことを聞いて、「僕でさえ8番だったのに。君ィ、何で官界、政界への道を捨てるのか…。」と雷が落ちるのかと身をすくめていたが、黙ってタバコを一息吸って、フウーッと中空に吐くと、「わかった。君の信じる道を行きなさい。」と一言だけ述べた。「自治省には僕のほうから断りを入れておくから。」
 あれから三十数年の歳月が流れた。私は天命のままに、不惜身命の全世界伝道に打ち込んでいる。東大法学部から、新宗教の教祖へと奇想天外な人生を歩んできた。しかし後悔はない。私は私しか歩めない道を歩んでいる。天上界の元・副総理が今もご指導下さっていることに、限りない感謝を捧げる。
(1~2、152~153ページ)

後藤田正晴氏が、同郷出身の先輩政治家として、学生時代の大川隆法先生と深い縁を持っておられたことは、最近の『小説 内面への道』『小説 遥かなる異邦人』で触れられていました。

ところが、このエピソードは、2012年9月発刊の本書で、すでに赤裸々に明かされていたわけです。

生前の後藤田正晴氏を御存じの方には、ぜひとも本書を手にとって、まさに後藤田氏本人以外にはあり得ない、その語り口に触れていただきたい。

後藤田氏の帰天後の率直な考えを知っていただきたい。

改めてそんなふうに、心の底から私は思っているのです。

『カミソリ後藤田、日本の危機管理を叱る』

 大川隆法著


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死んでも、地獄になんか行きたくないよね。地獄に行っちゃった人の特徴なんて、あるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 死んであの世に還ると、不思議な現象がいろいろと起きるので、「この世の生活とはかなり違う」ということはよく分かります。
 例えば、人とぶつかって、「あっ、失礼」と言おうと思ったら、自分の体が相手の体を通り抜けてしまったというようなことが起きます。(中略)あるいは、壁をスッと通り抜けるようなこともあり、最初のうちは非常に驚きます。それから、遠くでホタルのようなものがポッと明るく光ったように見え、「何だろうか」と思った瞬間、それがヒューッと目の前に現れたりもします。
 そういう現象がたくさん起きるので、最初は、非常に摩訶不思議な世界に入ったような感じを受けるのですが、しばらくすると慣れてきます。そして、「自分は、何かの間違いで別の世界に来てしまったけれども、こちらが本来の世界なのだろう」と考え、「自分はまだ生きている」と思って生活しているのです。
 そのように、地獄の低位霊界といわれるあたりには、あの世に還っているということに、まだ気がついていない人がたくさんいますし、実際に、この世の生活とほぼ同じようなものがあります。
 例えば、この世にあるような店なども、一通りあります。ただ、不思議なことに、店から食べ物を盗んだりして食べたつもりでいても、しばらくすると、食べた物が元の店に戻っているのです。
 そういう不思議なことが起きるのですが、ただ、本人は、自分がまだ生きていると思っている場合がほとんどなので、「あなたは死んだのだ」と説得しようとしても、かなり難しいのです。(中略)
 地獄霊の本質を一言で言えば、“自己中”です。みな、自己中心の考え方をしていて、自分の立場を一生懸命に説得することには非常に長けているのですが、本当に相手の立場に立って、その人の幸福を考えるということは、非常に少ないのです。「自分が犠牲になってでも、人のために尽くそう」と思うような人は、この世界にはまず見当たりません。(中略)
 事故死が多発する場所や、自殺の多発する駅、あるいは、自殺の名所と言われる岸壁などでは、すでに死んでいる者たちが、他の人を引きずり込もうとしています。また、何度も遭難が起きるような場所でも、同じように、生きている人を引っ張り込んでいます。
 そうすることによって、さらに罪を重くしていくわけですが、地獄にいる人の特徴は、自らが反省をするよりも、仲間を増やそうとすることにあります。自分と同じような境遇の人を増やし、仲間を増やせば、自分の苦しみが薄れるような気がするのです。たとえて言えば、「自分だけが貧乏なのはつらいけれども、ほかの人も貧乏になれば、気持ちがすっきりする」というような考え方です。
 確かに、「平等の思想」のなかには、よいものも当然ありますが、そのなかに、もし、「みなが不幸になれば、平等でよい」という考えが入っていたならば、それも一種の地獄的な考え方であるので、気をつけたほうがよいと思います。
(92~98ページ)

霊界では不思議なことがたくさん起きるが、本人は、自分がまだ生きていると思っていることがほとんどなので、死んだことを説得しようとしても難しいことが多い。

地獄にいる人の特徴は、自らが反省をするよりも、不幸な境遇の仲間を増やそうとするところにある。

地獄霊の本質を一言で言えば、“自己中”であって、他の人の幸福を考えることは非常に少ない――。

死後の世界、つまり霊界の実在を信じていない人は、まだまだ多いと思いますが、そんな方が、死んでしまっても自分が死んだことを信じられないのは、当然のことなのかもしれません。

そして、不幸な境遇の仲間を増やそうとする傾向性を持った人や、他の人の幸福を考えない“自己中”の人も、まだまだ少なくない気がします。

地獄にいる人の特徴を生前から備えているそんな人たちが、死んだあとに行く先は、やはり地獄になる可能性がとても高いのは、あまり説明がいらない話ではないでしょうか。

結局のところ、地獄に行きたくない方は、その反対の特徴を備えるよう努力すればよいのではないかと思います。

つまり、まずは霊界の実在を信じること。

そして、「与える愛」に生きるようにすること。

自分が不幸に出会ってしまったときは、反省すべきことがないかを考え、思い当たることがあれば素直に反省し、改める姿勢をもっていること。

たったこれだけのことで、誰もが明るい世界(天国)に還ることができるのだとしたら、それは本当にありがたい仏の慈悲だと私は思っているのです。
 

『死んでから困らない生き方』

 大川隆法著


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中国の政治家については、ズバリ御本人の霊言集だったり、まだ生きてる人は、その守護霊インタビューだったりして、いろいろ出てるけど、毛沢東を支えたあの周恩来は、どうしてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『周恩来の予言―新中華帝国の隠れたる神』のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 中国の今後を予測することは、アジア、太平洋地域の未来や、アメリカ合衆国との第二次冷戦(米ソ冷戦を第一次とすると)の結末、そして、二十一世紀の世界がどうなるかを占うことになる。まだ霊査が及んでいなかった周恩来・元首相を今回、特別霊査してみた。判明したことは、新中華帝国の実質上の「神」が、毛沢東・元主席ではなくて周恩来だということだ。
 中国人の多くが、周恩来というと諸葛孔明を思い浮かべるという、智謀があり、かつ、忠誠の鑑のような人物である。彼の霊言、あるいは、予言には、一定の真実性がある。米中実力伯仲の時期は、もう数年以内に迫っている。「幸福実現党」の主張は決して過激ではない。これが日本生存のデッド・ライン(最終期限)なのだ。民主党ほかの人気取り政党は問題外だが、自民党の政策さえ、十年以上遅れている。祈るような気持ちで本書を刊行する。

あとがき
 劉邦を立て、中国王朝を代表する前漢を建てたのは、蕭何(宰相)、張良(軍師)、韓信(大将軍)の三人である。一介の酒飲みの小役人を漢の皇帝にまでした男、その男が今回、周恩来として生まれ変わって、四半世紀にわたり毛沢東を軍事的カリスマに立てて、中華人民共和国を誕生させたのである。さらに次の新主席となる習近平がジンギスカンの転生の姿となると、今後、新中華帝国が、世界帝国を目指すのは歴史の必然だろう。
 今の日本にも、源頼朝、義経をはじめ、日本武尊など国創りの軍神も数多く生まれている。この十年が勝負である。神の国として、黄金のジパングとして、この国が果たすべき使命は大きい。私は決して負けない。「幸福実現党」はひるまない。「幸福の科学」は決して揺るがない。世界の運命の鍵はわれらが握っている。
(1~2、260~261ページ)

「項羽と劉邦」で有名な劉邦を漢の皇帝にした宰相・蕭何(しょうか)が、周恩来の過去世である。

新中華帝国(中国)の実質上の「神」は、周恩来だった。

その予言に照らすと、自民党の政策さえ、十年以上遅れている──。

衝撃的な霊査とともに、大川隆法先生の日本という国への強い期待、そして世界の未来に向けた強い強い決意が示された、とても重いあとがきです。

本書が刊行された2012年末から、すでに10年あまりの歳月が経過しました。

この勝負の10年間は、大川隆法先生の期待に沿っていたのか、という思いが頭をよぎります。

それでもやはり、仏にして救世主の力強いお言葉を深く信じて、まだ一歩ずつ前進していきたいものだと、改めて私は思っているのです。

『周恩来の予言』

 大川隆法著


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「智慧」なんて、難しい字の言葉を見たことあるんだけど、でも、それって、「情報」とか「知識」と何か違うのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『智慧の法』(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

たえず目や耳を通じて脳に集まっているもの、
それは『情報』だ。
『情報』は集積することも、
処理することもできる。

『情報』が自分で使えるレベルになったもの、
学力になったり、
仕事で有用になったものを『知識』という。

『知識』は力である。
必要なことを知っており、
必要な時に取り出して使えるようにしておくことは、
現代社会では、
生きてゆくための技術であり、武器でもある。

しかし、もっと大切なものもある。
それが『智慧』である。
『知識』が経験に裏打ちされて、
人生観を高めるレベルにまでなったもの、
悟りのための導きの言葉にまでなったもの、
それが『智慧』である。

『智慧』は、
『知識』を善悪のふるいにかける時に生ずる。
深い内省の時、
瞑想の時に結晶してくるものだ。

それは、
天の一角から降りてくる、
インスピレーション(霊感)にも似たものだ。
(20~23ページ)

とても美しい詩篇の形で、情報と知識と智慧の違いについて、端的に説いてくださっている一節です。

そして説いて下さっているのは、「智慧」の奥義の部分についても、ではないでしょうか。

本書では、この「智慧」について、全編を費やして、さまざまな角度からやさしく説かれているわけで、いまを生き抜くための叡知が満載されています。

まだ手にしていない方、さすがにそろそろ手に取られないと、本当に乗り遅れてしまいますよ、などと、ちょっと前のめりにお勧めしたい一冊であると改めて私は思っているのです。
 

『智慧の法』

  大川隆法著


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