マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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岩屋興隆寺宮さんの修正会

2012年02月16日 06時47分12秒 | 山添村へ
奈良では年頭に行われる寺行事の初祈祷、或いは修正会をオコナイ(若しくは行い)と呼ぶところが多いが、山添村岩屋で行われるそれは宮さんの修正会だと話す興隆寺の住職。

本堂に上がっているのは檀家たち22人。

数人の総代らで組織されている。

内陣の脇に当番のドーゲ(堂下)が用意したホウの葉に包んだ御供は数十個。

お寺のコジュウタに納められている。

12月初めころから山で集めたホウの葉。

蒸して柔らかくした葉の中にさらした(乾かして)モチゴメの洗い米を入れる。

そこにはススダケに挿したお札も見られる。

数えてみれば63本だろうか。

お札は「牛王 八柱大御神 宝印」と墨書されている。

八柱大御神は岩屋に鎮座する八柱神社の神さんだ。

これは住職が一枚、一枚、丁寧に書かれたお札である。

一般的には「牛玉宝印」と書かれるお札であるが同寺では「牛王」とされた、いわゆるゴーサンのお札である。

これは法要を終えたのちに参拝者が持ち帰る。

畑にこれを挿して豊作を祈るのだ。

岩屋は84軒からなる集落。

農家はそれよりも少ない軒数というからその本数になるという。

ゴーヅエ(牛玉杖)と呼ばれているススンボの竹は平成20年まではウルシの枝木であった。

1月10日に行われていた正月ドーゲが役目を担ってウルシの木を探す。

見つけるのが困難になってきた。

しかもウルシは被れる植物。

そういうことから竹に替えられたのだ。

コジュウタにはもう一つある。

「シメ」と呼ばれる注連縄はユズリハ、ウラジロに赤い実をつけたフクラシの枝葉を括りつけている。

こうして修正会の準備が整えば法要が始まる。



ローソクに火を灯されて住職は内陣にあがった。

その内陣の前には烏帽子を被った白装束姿の神主が座っている。

八柱神社の祭祀を勤める一年神主だ。

本尊は阿弥陀如来。

両脇には地蔵菩薩や不動明王、千手観音、弘法大師などが安置されている。

香の煙が本堂に漂う法要の営みは長く感じるお経を唱えられる。

およそ30分も続いたであろうか。

お経はいつしか「何何の大明神」を唱える。

全国各地におよぶ神社の名だ。

出雲もあれば石見、安芸の国、近江、備前、南海道、熊野権現、信濃、那智・・・。

いわゆる「神名帳」である。

1月もあったと思われるが聞き取れたのは11月や12月も。

日向、鹿児島、薩摩など九州にもおよぶ各地の神さんにそれぞれの月の神さんを岩屋に呼び込んでいるのだ。

突如として「ダンジョー」と発した住職。

それを聞いた総代は大慌てで本堂を飛び出した。

そして回廊に据えられた太鼓を叩いていく。



「ダンジョー ダンジョー」と叫びながら太鼓を叩く。

その数は30回だと総代はいう。

そのとき同時に飛びだした二人のドーゲ。

「シメ」を担いで岩屋の街道に下っていった。

走っていった先は八柱神社の傍だ。



その道の上に掛ける「シメ」は結界を示すようだ。

梯子を掛けて登らねばならないし、「シメ」の張り具合も確かめなければならない。

それなりの時間を要する。

その間、お寺からは「ダンジョー」の太鼓を叩く音が聞こえてくる。

ダンジョーとシメ掛けは同時進行であるのだ。

およそ5分もかかったシメ掛け。

掛け終えたドーゲはお堂に戻ってきた。

ダンジョーの「動」から再び静寂の「静」に戻り、それからもしばらく続く読経。

またもや「ダンジョー」と発する住職。

再び回廊に飛びだして太鼓を叩く総代は「ダンジョー ダンジョー」と叫んだ。

住職曰く、「東大寺二月堂で営まれる修二会のダッタン行の下駄がカタカタ・・・と同じような音を立てなければならない。それぐらい早く太鼓を打つ。乱れ打ちのようでなければ」と話す。

法要が始まっておよそ1時間後に終えた住職は本尊に向かってお礼を捧げ退座された。

法要はこれで終えたのだが宮さんの修正会(しゅじょうえ)は神主の登場で場は急展開した。

右手に朱印、左手に朱肉を持つ神主はすくっと立った。

朱印はゴーサンのお札に押されていた印しである。

朱肉は今まで見たこともない木でできている。

朱肉につけて朱印を前に差し出しては後方に納める。

その際には「エイ」「ヤー」と声を掛ける。



つまり「エイ」と言って朱印を差し出し、「ヤー」と言って引っ込めるのだ。

その作法は始めに上方へ。

次に下方へとされる。

次は四方に向かって同じ作法をする。

東、西、南、北の方向である。

それは魔除けの作法であるという。

県内各地で見られる正月初めの行事に弓矢を射るケイチンがある。

それも同じように天、地に東西南北である。

つまり村から悪病を追い出す作法と同じである牛玉宝印の魔除けを終えると神主は座っていた檀家の前に立った。

朱印を額(ひたい)に押していく。



悪病を退散させたありがたい朱印を押して貰うことにより無病息災で暮らせるというだけに檀家全員が揃って額は真っ赤になった。



かつては魔除けの作法のときには「にしのくにのいとわた ひがしのくにのぜにかね うちのくらに みなござれ」と詠んだようだ。

この唄は山の神さんに参るときにカギヒキ作法で歌われた詞章であろう。

どうやらケイチンと山の神のウタヨミも混ざった魔除けの作法であったと思われる。

神社の神主が行う作法は寺行事の修正会の一環として行われた。

古い形式を留めている修正会の作法が岩屋に残されていたのであった。

まさに神仏習合の行事である。



そして「蘇民将来子孫門成」と印刷された細長いお札が配られる。

その数は家族の人数分だという。

蘇民将来はどのような神であったのか未だ判然としないが、伊勢志摩辺りで多く目にする護符である。

場合によっては「笑門」などと書かれたものもある。

その多くは木札であって注連縄とともに玄関に掛けられている。

岩屋は三重県に近いところであるだけに伊勢志摩の風習が持ち込まれたのではないだろうか。

そうして始まった直会。

湯とうの酒を一人ずつドーゲが朱塗りの椀に注いでいく。



お酒を飲む檀家たちはダシマメを食する。

桶に入れられたダシマメは各自が皿に盛って回していく。

かつては当家が料理したそうだ。

美味しいダシマメは八柱神社の氏神祭の宵宮でも回されていたことを思い出す。

岩屋の人たちはかなりの量の酒を飲む。

宵宮でも権現講の寄合でもそうだった。

直会の宴は1時間半余りも続いた。

それを見計らって総代が締めの指示をだす。

それを受けてドーゲが湯とうを持ち出した。

頭から湯とうを被るような格好で締めの口上を述べた。



こうして宮さんの修正会を終えた檀家たちは水の神さんと呼ばれるゴーサンのお札を貰って帰る。

(H24. 1. 6 EOS40D撮影)


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