マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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須山町の子供の涅槃講

2011年05月02日 09時19分17秒 | 奈良市(東部)へ
3月末にもなるが一向に春の兆しが訪れない。

朝の冷え込みは厳しく霜が降り立った須山町。

農道を行く乗用車は大阪ナンバーばかり。

車の行き先は近くのゴルフ場だ。

住民の車といえば農作業などに向かう軽トラックだ。

そんな様相とは関係なく13軒の山村集落に集まってきたのは大きなカバンを持ってきた子供たち。

毎年この時期に行われている涅槃講の子だ。

一同が揃ったら各家を巡ってお菓子集めに出かける。

おはようございますと声を掛ければ住民は一人一人にお菓子を手渡す。

お菓子の金額は一定で決まっている。

負担をかけないぐらいの金額にされている。

長老たちが子供のときは人数が多かった。

地区を西と東に分けてでかけていたそうだ。

この年は上の子が3人で下の子も3人。

対象年齢は中学生までで下は歩けるようであればくっついて一緒に回るそうだ。

「小さな子もいるので心配なのです」と保護者がついているが本来的には子供だけで回るのだという。

袋はお菓子でいっぱいになったころ、目指す先は円福寺があったとされる高台地。

古いお堂だったそうだが2年前に建て替えられた。

古い仏像が整然と安置されている。

毎月一回は清掃を兼ねてご婦人たちが集まる。

そのときに供えた花や洗い米が見られる。

そこが子供たちの目指す先ではなく数体が並ぶ石仏群なのだ。

近年にこの地から掘り出された石仏を寄せたというだけにトーコンボウ(東近坊)の名が残るよだれ掛けがある子安地蔵辺りを含めた一帯は寺在地であったかも知れない。

それはともかく涅槃講の行為が実にユニーク。

お菓子貰いの際に志ある家から託されたご飯をその石仏に塗りたくるのだ。

以前は西と東のそれぞれでトーヤ(当家)があった。

山盛りによそったご飯はトーヤが用意していた。

両地区の子供たちは競いあうようにお菓子(50年前はキリコやカヤノミのおやつ)貰いに行った。

それを終えて石仏群にやってくる。

早いことご飯を塗りつけたほうが勝ち。

負ければ椀を洗わなければならないというから走るように巡っていたのであろう。

そんな光景はなくなったが年長者から順にそれぞれの石仏にご飯を塗る。

箸で摘んで塗るのは難しい。

ご飯粒なのでポロポロと落ちる。

行者や如意輪観音(十九夜講はずいぶん前に止めたそうだ)の石仏に白いご飯がくっついた。

他の石仏(塔)にはてっぺんや水受けなどに置いたりしている。

ここには競争は見られない。



仲間の一員となって小さな子供も先輩の作法を見ながらご飯を塗る。

この行為がどういう意味をもっているのか長老も判らないと話す。

ご飯を塗りつけた箸は割って如意輪観音の石仏前に置いて解散した。



この行為も判らないが役目を終えた印しであろう。

仮にとすればだが、思い当たるに一つ。

年長者が行った箸割りは子供の涅槃講を卒業する意味ではなかろうか。

子供の時代を断ち切って大人になる。

15歳であれば昔は元服を迎える年齢。

子供から大人へ脱皮する通過儀礼ではないだろうか。

単に本日の涅槃のメシ塗りを終えたという作法であるのか・・・。

2年ほど前はご飯塗りの後にトーヤ家で昼はカレー、夜はイロゴハンをよばれて一日中遊んだ。

もっと以前の昼食はアズキガユだったそうだ。

(H23. 3.27 EOS40D撮影)


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