夏祭りに十二振提灯を献灯されるとか、女児巫女が拝殿で神楽の舞いがあるようだと聞いて訪れた葛城市寺口の博西(はかにし)神社。
何年か前のことだ。当地を探してみたものの判らずじまいだった。
神社の鎮座地はどこにあるのだろうか。
それも判らず早めに着いた寺口の山の上方。
集落を抜けても神社は見つからない。
田畑におられた婦人に尋ねてみれば、神社はもっと下のほうにあると云う。
その辺りは20日に行われる商工会主催で3000発の花火が打ち上げる葛城市の花火大会の会場。
山手から街灯りを眺める景観を入れて撮ってみたくなる景勝地である。
「寺口の十二振提灯は」、と聞けば、「今日ちゃうで、明日やで・・・」と返された。
「前年に当番を勤めた人が持っている資料を見てみるわ」と云われて家にあったものを見せてくれた。
それには15日も16日も大神宮(ダイジング)さんであった。
「十二振提灯を調えてしますんや」と云うのだ。
「確かな情報は隣の奥さんが知っているはずや」と呼んでくれた。
結果は、15日が博西神社の献燈。
「他の大字はもう出発しているころや」と云う。
婦人たちが話す大字集落では「当番さんが軽トラに乗せて神社近くで組みたてしますんや」と云うので、大慌ててで目当ての博西神社へ急ぐ。
神社近くまで行けば、提灯を肩に乗せている人が見えた。
車は「どこに停めたら良いのでしょうか」と聞けば、「神社前に一台置けそうやから、そこに停めな」と云われて駐車。
ありがたいことである。
博西神社に十二振提灯を献燈する大字は6カ大字。
寶前組・問屋・北側・二塚・北方が寺口村で、鎮座する地の西にある大字大屋を入れて6カ大字になると云う。
提灯には寺口の各大字を示す寶前組の「敬神氏子中」、「問屋氏子中」、「大屋敬神中」、「二塚氏子中」、「北方」、「敬神中」が見られた。
本殿下の前庭に設えた所定場に提灯を括りつけて立てる。
「これまでは提灯の向きがバラバラだった」ので、数年前に「御神燈」の文字が中央に寄せるようにしたと宮総代は話す。
そのころにやってきた神職は調田坐一事尼古神社の高津和司権禰宜。
お話しを伺えば、なんと、なんとである。
奈良女子大の武藤先生の同級生だと云う。
武藤先生とは県内の伝統行事取材でさまざまな伝承を教わったことが多々ある。
おつき合いをさせていただくようになって十数年。
今でも学生を引き連れて現地学習をされている。
神職は調田坐一事尼古神社が本家。
「19時半には始めなくてはならない」と云われてお祓いを済ませて戻られた。
そのようなわけもあって、本年の女児巫女の神楽はされることはなかった。
陽が落ちた19時半ころともなれば、ローソクの火を灯した十二振提灯が宵闇に浮かびだす。
おつまみとお神酒をよばれて一時間。
「そろそろ終わりましょ」と宮総代の声で夏祭りの幕を閉じる。
かつてはスモウもあった。
夜店も多く出店していたそうだが、今では面影すらなく献燈を終える。
いつの時代か判らないが、大神楽の獅子舞も来ていたと云うのだ。
また、正月の4日から6日の期間は「甘酒をふるまいますねん」と云う寺口の様相は村の正月迎えの在り方。
再訪してみたいものだ。
解散宣言をされて一大字ごと肩にかかげて村に戻っていく十二振提灯。
大慌てで撮ってはみたものの、ブレブレである。
三脚を立てる時間もなかった。
(H26. 7.15 EOS40D撮影)
何年か前のことだ。当地を探してみたものの判らずじまいだった。
神社の鎮座地はどこにあるのだろうか。
それも判らず早めに着いた寺口の山の上方。
集落を抜けても神社は見つからない。
田畑におられた婦人に尋ねてみれば、神社はもっと下のほうにあると云う。
その辺りは20日に行われる商工会主催で3000発の花火が打ち上げる葛城市の花火大会の会場。
山手から街灯りを眺める景観を入れて撮ってみたくなる景勝地である。
「寺口の十二振提灯は」、と聞けば、「今日ちゃうで、明日やで・・・」と返された。
「前年に当番を勤めた人が持っている資料を見てみるわ」と云われて家にあったものを見せてくれた。
それには15日も16日も大神宮(ダイジング)さんであった。
「十二振提灯を調えてしますんや」と云うのだ。
「確かな情報は隣の奥さんが知っているはずや」と呼んでくれた。
結果は、15日が博西神社の献燈。
「他の大字はもう出発しているころや」と云う。
婦人たちが話す大字集落では「当番さんが軽トラに乗せて神社近くで組みたてしますんや」と云うので、大慌ててで目当ての博西神社へ急ぐ。
神社近くまで行けば、提灯を肩に乗せている人が見えた。
車は「どこに停めたら良いのでしょうか」と聞けば、「神社前に一台置けそうやから、そこに停めな」と云われて駐車。
ありがたいことである。
博西神社に十二振提灯を献燈する大字は6カ大字。
寶前組・問屋・北側・二塚・北方が寺口村で、鎮座する地の西にある大字大屋を入れて6カ大字になると云う。
提灯には寺口の各大字を示す寶前組の「敬神氏子中」、「問屋氏子中」、「大屋敬神中」、「二塚氏子中」、「北方」、「敬神中」が見られた。
本殿下の前庭に設えた所定場に提灯を括りつけて立てる。
「これまでは提灯の向きがバラバラだった」ので、数年前に「御神燈」の文字が中央に寄せるようにしたと宮総代は話す。
そのころにやってきた神職は調田坐一事尼古神社の高津和司権禰宜。
お話しを伺えば、なんと、なんとである。
奈良女子大の武藤先生の同級生だと云う。
武藤先生とは県内の伝統行事取材でさまざまな伝承を教わったことが多々ある。
おつき合いをさせていただくようになって十数年。
今でも学生を引き連れて現地学習をされている。
神職は調田坐一事尼古神社が本家。
「19時半には始めなくてはならない」と云われてお祓いを済ませて戻られた。
そのようなわけもあって、本年の女児巫女の神楽はされることはなかった。
陽が落ちた19時半ころともなれば、ローソクの火を灯した十二振提灯が宵闇に浮かびだす。
おつまみとお神酒をよばれて一時間。
「そろそろ終わりましょ」と宮総代の声で夏祭りの幕を閉じる。
かつてはスモウもあった。
夜店も多く出店していたそうだが、今では面影すらなく献燈を終える。
いつの時代か判らないが、大神楽の獅子舞も来ていたと云うのだ。
また、正月の4日から6日の期間は「甘酒をふるまいますねん」と云う寺口の様相は村の正月迎えの在り方。
再訪してみたいものだ。
解散宣言をされて一大字ごと肩にかかげて村に戻っていく十二振提灯。
大慌てで撮ってはみたものの、ブレブレである。
三脚を立てる時間もなかった。
(H26. 7.15 EOS40D撮影)