マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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中畑町毘沙門会式の籠り

2016年06月13日 09時23分40秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
勧請縄掛けの際に聞いていた毘沙門堂の天王祭。

夕方6時、奈良市中畑町に鎮座する春日神社の祭礼を務める八人衆がやってくる。

八人衆は上座・下座にそれぞれ4人。

毘沙門天王祭は地区役員も参集する「籠り」でもある。

無住寺に僧侶はいない。

村人主体で行われる村行事である。

平成6年7月の発刊の『五ケ谷村史』によれば扁額に「安政七年(1860)毘沙門天王 鈴木氏」とあるそうだ。

五ケ谷村史に、かつて4月15日に中畑町に毘沙門サンの「レンゾ」があったと記している。

旧五ケ谷村の各大字にレンゾがあったのだ。

4月8日は菩提山町・正暦寺の薬師サンレンゾ。

4月21日は米谷町・中之坊の大師サンレンゾ。

6月13日は虚空蔵町・高樋町・北/南椿尾町・興隆寺町の虚空蔵レンゾ。

農家の春休みに弁当を持って山に登り、一日楽しく遊んだようだ。

レンゾはともかく、この日は毘沙門会式。

本尊の毘沙門天王を安置する前にローソクを灯す。

提灯や隣にある厨子にもローソクを灯す。

祭壇のローソクは火を灯したものの仏壇厨子の扉が開けない。

一年前のこの日。

籠りを終えて片づける際にも閉まり難かった扉。

軋んでいるせいか、鍵穴に挿した鍵は空回り。

悪戦苦闘の30分間。

やっとのことで扉が開いた。



その厨子前に掲げている幕がある。

90年前、大正十五年八月に寄進された幕の絵柄は毘沙門天使者とされる「ムカデ」である。

本尊は二体の毘沙門天王。

いつのころか判らないが、垣内日浦にあった毘沙門堂が廃絶したことによって合祀された。

二体は村を守ってくれているという。

その件は正月正月初めに架けられる勧請縄とも関係する。

五ケ谷村史に中畑町の勧請縄はその形状から「ムカデ」の形をしていると書かれていたのだ。



堂内に敷いた座。

テーブルは長机。

仕出し屋に注文したパック詰め料理を並べる。

お神酒、塩、洗い米、一尾の生サバ、キャベツ、梨を供えて神式に則り二礼二拍手一拝する。



祭典はそれだけだ。

席についた村人たち。

お神酒を注いで乾杯する。



これより数時間は籠りの会食に舌鼓だ。

本尊左側にある厨子内に20体以上の木造立像がある。

その中の一体は「ジュラクサン」だ、と八人衆がいう。



「ジュラクサン」は子供の守り神。

子供を授かれば小さなダルマさんを寄せる風習であるという。

かつて別のお堂に安置されていた「ジュラクサン」である。

80年ほど前にお堂が破損したことから合祀したと五ケ谷村史に書いてあった。

「ジュラクサン」はたぶんに「じゅうらせつにょ」。

鬼子母神とともに仏説法に接し、法華行者を守る眷属として仕えた十羅刹女。

いつの時代か判らないが、中畑に鬼子母神信仰があったのだろう。

(H27. 9.15 EOS40D撮影)


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