拝見させてもらった『朔日講宮守の覚え書き』に12月31日、「饌供」とある。
京田辺市宮津の白山神社の年中行事、つまり祭祀される朔日講の行事でもあるのだが、「饌供」は12月31日以外に7月5日の朔日講、10月の秋祭り宵宮にも登場する御供のことである。
村神主が祈祷された御供は村全戸の40戸に配られる。
訪ねた家に人がいない場合は半紙に御供を包んで郵便ポストなどに入れておく。
雨天の場合はビニール袋に包んでポスト入れ。
配るのも気配りされる御供配りをするのは村の子ども。
村神主がついて回るが、実際に家人を呼び出して配るのは子どもであると前日に聞いていた。
午後の時間帯。
全戸を廻るには2時間もかかると聞いていた。
当地へ来るまでは奈良市佐紀町の砂モチ作業を取材していた。
それが終わる時間によっては間に合わない可能性もある。
40戸を巡る順番は聞いていない。
どこを巡っているのか着いた時間帯によっては外れる場合もあるだろう。
そういう心配もあったが、姿が見えた。
村神主は寒いから上着を着ているが、白衣姿。
民家と民家の隙間からちらりと見えた。
今、ここを廻っていると思って近くにおられた男性に取材主旨を伝えて緊急的駐車させてもらう。
遭遇できた時間帯は午後3時も過ぎていた。
残りの民家数はわからないが、何軒かの御供配りの在り方を拝見した。
配る戸数は40戸。
檀家さんの農家さんに配るという御供の中身は籾だね玄米。
呼び鈴を押して家人を呼び出すのは中学三年生の子ども。
かつては登下校に2桁の小中学生がいたが、今では一桁の時代。
半分以下になったという。
配る子どもは毎回一人。
複数人で巡ることはない。
いわば順番待ちに選ばれたたった一人の子どもによって配られる。
御供配りに廻る家は村神主が把握している。
そのリストにチェックをして巡っていた。
つまりは子ども自身が配る家を決めるのではなく、村神主の指示する家を巡っていたのである。
お家から家人が出てこられたらお札のような形に包んだ籾御供を渡す。
手渡しでなくお盆に置いて丁重に渡す。
受け取った家人は逆にポチ袋に納めたご祝儀をお盆に乗せて返す。
御供配りを手伝ってくれる子どもさんへのご祝儀であるが、いただいた祝儀は村神主に手渡す。
次の家に向かう前にリストをチェック。
予めこの日が不在と聞いている家はビニールの小袋に入れてポストに入れておく。
一軒、一軒廻って配る籾御供。
呼び鈴を押せばピンポーン。
奥から婦人の声がする。
玄関扉を開けて出てこられたのは男性。
「白山神社の御供です」と伝えてお盆を差し出す。
「ご苦労さまです」と労をねぎらう言葉で返す。
「いや、まぁ、おにいちゃん」と声が出た婦人は気がつかれた。
「〇〇ちゃんの弟さん」と声をかけたら「ハイ」と応えた子どもさん。
「いくつになったの」といえば「中三です」と伝える。
それを伝えたら「もう、そんなになったん」と返す婦人。
おそらく赤ちゃん、幼児の時代もみてきた村の子どもの成長具合。
御供配りもそうだが、奈良県や大阪府の亥の子や芋名月行事などで村全戸を巡っていく行事も地区の人たちは村の子どもたちの成長具合を確かめていた。
京都府南山城村の北大河原の山の神も同じである。
貰いに村を廻るのは米であったり芋であったり、或いはお菓子の場合もあるが、巡ることによって村の人成長した顔をみてもらう。
「あんた、どこそこの〇〇ちゃんやね。大きくなって・・」という言葉を聞くたびに、大阪住之江で育った昔を思い出す。
貰う、配る行事はなかったが、いつも町内の親たちが成長を見守っていた。
そう、思うのである。
こういう行事を西洋行事のハロウインに似ていて同じや、という人が増えつつある。
ハロウインに似ているってどういうこと。
似ても似つかない日本の伝統民俗行事がハロウインを真似したかのような表現をする人を度々目にする。
もともとからある日本的文化をどうとらえているのか、甚だ疑問に思えて仕方がない。
予定している次の取材先に向かう時間が迫っている。
村神主のYさんと子どもさんに取材のお礼を伝えて村を離れた。
ところで、御供を包む紙片に印判があるらしい。
白山神社では一年に3回。
村各戸に配られる御供配りの紙片を広げて見ることはできなかったが、神社社務所に掲示していた京都新聞が取材・発行した記事がある。
「いのちのほむら」シリーズで発行されたタイトルは『白山神社の朔日講(平成23年1月17日)』である。
その誌面に、「伝統の印しは五角形の紙片におし、柳の枝を割って挟む」とある。
豊作を願い苗代に挿すというからごーさん札の可能性が高い。
新聞記事の写真を拡大してみたら、まさに炎の形のごーさんである。
その記事の撮影日は1月1日の朝9時、白山神社社務所とある。
ごーさんと思われる「印」で紙片に押していた。
色は朱印でなく赤黒いスタンプ色である。
その紙片を挟んでいるのが柳の木片であった。
これらはお供えとあるから元日の準備作業。
朝8時から9時までの作業のようだ。
本日、配られたお札と違うのか、それとも正月朔日は特別なものなのか。
確かめたくなった。
(H28.12.31 EOS40D撮影)
京田辺市宮津の白山神社の年中行事、つまり祭祀される朔日講の行事でもあるのだが、「饌供」は12月31日以外に7月5日の朔日講、10月の秋祭り宵宮にも登場する御供のことである。
村神主が祈祷された御供は村全戸の40戸に配られる。
訪ねた家に人がいない場合は半紙に御供を包んで郵便ポストなどに入れておく。
雨天の場合はビニール袋に包んでポスト入れ。
配るのも気配りされる御供配りをするのは村の子ども。
村神主がついて回るが、実際に家人を呼び出して配るのは子どもであると前日に聞いていた。
午後の時間帯。
全戸を廻るには2時間もかかると聞いていた。
当地へ来るまでは奈良市佐紀町の砂モチ作業を取材していた。
それが終わる時間によっては間に合わない可能性もある。
40戸を巡る順番は聞いていない。
どこを巡っているのか着いた時間帯によっては外れる場合もあるだろう。
そういう心配もあったが、姿が見えた。
村神主は寒いから上着を着ているが、白衣姿。
民家と民家の隙間からちらりと見えた。
今、ここを廻っていると思って近くにおられた男性に取材主旨を伝えて緊急的駐車させてもらう。
遭遇できた時間帯は午後3時も過ぎていた。
残りの民家数はわからないが、何軒かの御供配りの在り方を拝見した。
配る戸数は40戸。
檀家さんの農家さんに配るという御供の中身は籾だね玄米。
呼び鈴を押して家人を呼び出すのは中学三年生の子ども。
かつては登下校に2桁の小中学生がいたが、今では一桁の時代。
半分以下になったという。
配る子どもは毎回一人。
複数人で巡ることはない。
いわば順番待ちに選ばれたたった一人の子どもによって配られる。
御供配りに廻る家は村神主が把握している。
そのリストにチェックをして巡っていた。
つまりは子ども自身が配る家を決めるのではなく、村神主の指示する家を巡っていたのである。
お家から家人が出てこられたらお札のような形に包んだ籾御供を渡す。
手渡しでなくお盆に置いて丁重に渡す。
受け取った家人は逆にポチ袋に納めたご祝儀をお盆に乗せて返す。
御供配りを手伝ってくれる子どもさんへのご祝儀であるが、いただいた祝儀は村神主に手渡す。
次の家に向かう前にリストをチェック。
予めこの日が不在と聞いている家はビニールの小袋に入れてポストに入れておく。
一軒、一軒廻って配る籾御供。
呼び鈴を押せばピンポーン。
奥から婦人の声がする。
玄関扉を開けて出てこられたのは男性。
「白山神社の御供です」と伝えてお盆を差し出す。
「ご苦労さまです」と労をねぎらう言葉で返す。
「いや、まぁ、おにいちゃん」と声が出た婦人は気がつかれた。
「〇〇ちゃんの弟さん」と声をかけたら「ハイ」と応えた子どもさん。
「いくつになったの」といえば「中三です」と伝える。
それを伝えたら「もう、そんなになったん」と返す婦人。
おそらく赤ちゃん、幼児の時代もみてきた村の子どもの成長具合。
御供配りもそうだが、奈良県や大阪府の亥の子や芋名月行事などで村全戸を巡っていく行事も地区の人たちは村の子どもたちの成長具合を確かめていた。
京都府南山城村の北大河原の山の神も同じである。
貰いに村を廻るのは米であったり芋であったり、或いはお菓子の場合もあるが、巡ることによって村の人成長した顔をみてもらう。
「あんた、どこそこの〇〇ちゃんやね。大きくなって・・」という言葉を聞くたびに、大阪住之江で育った昔を思い出す。
貰う、配る行事はなかったが、いつも町内の親たちが成長を見守っていた。
そう、思うのである。
こういう行事を西洋行事のハロウインに似ていて同じや、という人が増えつつある。
ハロウインに似ているってどういうこと。
似ても似つかない日本の伝統民俗行事がハロウインを真似したかのような表現をする人を度々目にする。
もともとからある日本的文化をどうとらえているのか、甚だ疑問に思えて仕方がない。
予定している次の取材先に向かう時間が迫っている。
村神主のYさんと子どもさんに取材のお礼を伝えて村を離れた。
ところで、御供を包む紙片に印判があるらしい。
白山神社では一年に3回。
村各戸に配られる御供配りの紙片を広げて見ることはできなかったが、神社社務所に掲示していた京都新聞が取材・発行した記事がある。
「いのちのほむら」シリーズで発行されたタイトルは『白山神社の朔日講(平成23年1月17日)』である。
その誌面に、「伝統の印しは五角形の紙片におし、柳の枝を割って挟む」とある。
豊作を願い苗代に挿すというからごーさん札の可能性が高い。
新聞記事の写真を拡大してみたら、まさに炎の形のごーさんである。
その記事の撮影日は1月1日の朝9時、白山神社社務所とある。
ごーさんと思われる「印」で紙片に押していた。
色は朱印でなく赤黒いスタンプ色である。
その紙片を挟んでいるのが柳の木片であった。
これらはお供えとあるから元日の準備作業。
朝8時から9時までの作業のようだ。
本日、配られたお札と違うのか、それとも正月朔日は特別なものなのか。
確かめたくなった。
(H28.12.31 EOS40D撮影)