マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

櫟枝の田植え

2014年12月19日 07時17分34秒 | 大和郡山市へ
一か月前に苗代を作った。

その際には櫟枝町の八幡神社で神職によって祈祷、お祓いされたお札を立てる。

ヤナギの枝に挿したお札は予めトーヤが版木で刷っていた。

2年前に聞いていたお札は竃の煤を混ぜた墨だった。

この年のお札はどうやら墨汁であったようだ。

この日訪れた櫟枝町では田植えが始まっていた。

7日の土曜日には池水があった。

池の水門を開けて水路に池水を流す。

水路を通して田畑に水が注がれる。

水張りである。

翌日8日の日曜日には田が満々と貯えられていたようだ。

この日は仕事で患者さんを送迎していた。

天理市の櫟本へ向かって走る。

横田町から櫟枝町を抜ける街道を通る。

町の境界辺りに植えられていた花しょうぶが鮮やかだ。

朝8時50分ころでは田んぼに人は見られなかった。

患者さんを乗せて戻りの道中。

田んぼを見渡せば田植え機が見られた。

田植えが始まっていたのだ。

その時間は9時10分だった。

治療を終えた患者さんは送迎の送り。

迎えの道では田植え姿があったが、10時40分には姿がなかった。

田植えが終わったのか、それとも・・・。

状況を確かめたくて、家で食事を済ませて櫟枝町にやってきた。

午後1時40分のころである。

田んぼには人の姿が見られない。

すくすくと育った苗箱の何枚かが畦に寄せられていた。

苗代があった一枚の田は苗を植えていた。

送迎の通りすがりに見た田んぼである。

見間違いではなかったのだが、苗代に立てられていたヤナギ・お札はなかった。

付近の田んぼは苗箱が寄せられているだけで田植えはされていない。

一枚田だけだったのだ。

苗代のお札はもう1カ所あることは5月初めに拝見していた。

その場も田植えがされていた。

傍らにあったヤナギの枝は2本。

お札は風雨にさらされて溶けていた。

付近を散策すれば男性Yさんがおられたので話しを聞いてみた。

ご主人はこの年にトーヤをてったい(手伝い)する4人のうちの一人。

神社行事は年に4回ある。

2回目の行事にお札を祈祷・お祓いする。

竃の煤ではなく、墨汁を刷毛で版木に塗った。

紙をあてて刷った。

神主は同市の池之内町から来られると云うから植嶋熈一宮司である。

28戸の櫟枝町。

トーヤがあたるのは28年に一度だ。

次の廻りには息子がしていることだろうと話す。

午前中は仕事だったご主人はこの時間帯に田んぼにいたのであった。

2回目の村行事で行われたお札を授かって立てる家は少ないようだ。

地域で育てられる稲の品種はヒノヒカリ。

どこでもそのようだが、家で食べる分量を作っている。

水張りは数日待つ。

染み込んだ水が土を柔らかくする。

その状態を確認して田植えをする。

染み込みが足らなくて土が堅ければ田鵜をしても「浮苗」になってしまうそうだが、最新式の田植え機は、土の堅さによって三段階の切り替え方式。

それなら上手く植えることができると話す。

櫟枝の田植えは来年に持ち越し。

すぐ隣の横田町でも田植えが始まったのではないだろうかと思って足を伸ばした。



変化はなかった。

(H26. 6. 9 EOS40D撮影)