マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

上三橋の苗代作り

2013年08月21日 06時52分16秒 | 大和郡山市へ
東西に貫く奈良市の帯解、今市の旧街道を西に向かえば大和郡山市の上三橋町だ。

街道北には須佐之男神社が鎮座する。

小字でいえば東垣内にあたる。

南側にある大池所在地の小字は蛇南坊である。

意味ありげな小字名が気にかかる。

そこから更に西へ向かった。

通りがかった田んぼで苗代作りをされているご家族がおられた。

もしかと思って緊急取材をお願いした。

もしかと思ったのは4月3日に行われる神社行事のテンマサンの祭りである。

祭りの際に奉納された紅白御幣。

祭典を終えた際に村人に配られる紅白のお札は苗代に立てる。

そう思ったのである。

80枚の苗箱は家でモミオトシをしてきた。

箱に土を入れて機械でモミオトシ。

それから土を被せて苗床に運んだ。

家族と弟家族が食べる分量だけ作ると云うU夫妻。

育苗の品種はキヌヒカリ。早稲だそうだ。

毎年の4月30日から5月3日にかけて良い日を選んでしているという。

良い日というのは天気が良いということもあるが、応援する弟夫婦の家族も来られる日だと話す。



苗床にすべての苗箱を並べたあとは、育苗を保護する白いシートを覆いかぶせる。

この日は強い風が吹く。

西風に煽れられてシートが浮き上がる。

早く済ませねばと四人がかりで抑える。

両端を杭に巻きつける。

風にも負けずにと何本かの杭で抑え込んだ。

こうして出来あがった苗代作り。

終えれば準備しておいたテンマサンの祭りでたばった紅白の御幣を挿す。

御供下げで貰った杉葉とともに挿す。



苗がすくすくと育ってほしいと願いを込めてイロバナと春日大社の御田植祭神事でたばった松苗も添える。

ご主人が春日若宮おん祭にも出仕された上三橋は春日神領地なのである。

「最近はテンマサンの御供下げに来る人も少なくなった」と話す婦人。

生まれ育った上三橋では60年も前には六斎念仏があったと云う。

8月15日は各家で所有している六斎鉦を持ってきて40軒の集落を巡っていく。

集まった総員はその家の廊下に座って並んだ。

その場で鉦を叩きながら念仏を唱えた。

1軒、1軒巡っていたから相当な時間を要した。

念仏をしなくなったが、今でもその鉦は各家で残していると思うと話す六斎念仏は「カンカラカン」と呼んでいた。

鉦を打ち鳴らす音がそのように聞こえたのであろう。

筆者が聞き取り調査をした地域の大和郡山市の白土町ではジャンガラガン(またはチャンガラガン)であった。

同市の井戸野町では「チャンカラカン」であった。

奈良市の八島町や安堵町の東安堵でも同じように「チャンカラカン」だ。

桜井市の萱森では上三橋と同様の「カンカラカン」である。

奈良市教育委員会の調査によればかつてあった大和郡山市の今国府町では「チャンガラカン」で、額田部町では「チャンガラガン」であった。

その呼称は白土町と同じである。

紅白の御幣などを立てたあとは、苗代田へ水を引き込む。

街道筋に沿って東から流れる水路がある。

そこを堰きとめて苗代田の水口から水が流れるようにする。

しばらく待てば流れ出した水路の水。

田んぼはカラカラに乾いているから染み込むまで時間がかかる。

苗代田はヒタヒタになるまでいっぱいの水張りをする。



下流の田主も苗代作りをしていた。

こっちにも回してくれと頼まれて堰きを外して水路の下流に流す。

上三橋は広大寺池の水利権がある。

吉野川分水ができあがってからは利用しなくなったが、両方とも権利料を支払っていると云う。

(H25. 5. 1 EOS40D撮影)