マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

打上げの日

2013年02月15日 07時21分09秒 | しゃしん(県立民俗博物館展示編)
この日は「私がとらえた大和の民俗」写真展のラストデイ。

2ヶ月間に亘って開催された。

反省すべき点は多々ある。

打合せは議論白熱。

予定の時間がオーバータイムする。

そんな会議に向かう途中は城下町をぶらぶら巡り。

矢田通沿いに鎮座する薬園八幡神社から北方は材木町だ。

しばらく通っていない間に新築の家が建ち並ぶ。

様変わりの状況に驚く。

城下町の面影はいつの間にか変貌していた。

さらに北へと歩いてみれば雑穀町。

料亭旅館の「尾川」の佇まいは変わらない。

ここら辺りの道はとても狭い。

車は直進するほうが良いだろうと思っていたらキュルキュル音。

直角に曲がろうとしていた車の音だ。

エンジン音ではなく電信柱を擦る音であった。



気の毒にと思った角地傍に地蔵尊がある。

城下町の町内にはいたる処に祀られている地蔵尊。

ここにもあったのだと内部を覗いてみれば大きな石造りがある。

それには「三界万霊・・」の刻印がある。

右側には「備前国」で左に「天文十七」とあった。

三界万霊の供養塔。天文十七年は西暦で1548年。

なんと460年以上の代物である。



その時代はまだ城下町を形成していない室町時代の後期。

戦国時代たけなわの年。

斎藤道三が織田信秀と和議を結んで道三の娘を信秀の嫡子である信長に嫁がせた年である。

目を凝らして拝見したがどう読んでも「天文」に見える。

備前の国から移されたのであろうか。



それはともかくこの夜は「ひかり」で打上げ。

盛りあがること間違いなしである。

(H24.12. 2 SB932SH撮影)