前日に自然観察会で訪れた東明寺。
東明寺の紅葉は曇天でも美しかった。
秋が映える季節に新しく法会を始めたいと願っていた住職。
この年で3年目を迎えた大般若経の転読法要。
定まっていなかった期日も第四日曜と決まった。
お寺を案内する看板も新設されて行事日程が刻まれた。
真っ赤に染まる東明寺の紅葉。
モミジと書いて紅葉と表現するに相応しい景観である。
この年もお寺の要請にありがたく受ける。
矢田の山を歩くハイカーにも見ていただこうと配慮されて扉を開けた東明寺。
機材を設営したときに顔を見合わせた男性。
少年自然の家自然観察友の会に参画していたMさんが婦人を連れて来られていた。
驚くことに14年ぶり。
青年のような顔は変わっていない。
この日に来たのは懐かしい紅葉を見るためで、奥さんとともに樹の下でお弁当を広げていた。
奈良大学付属高校教師を勤める休日癒しのひとときを秋の東明寺の景観に時を過ごす。
何人かの人たちは何があるのか扉の向こうを拝観する。
お寺の傍では数人の人たちが居る。
鎮守社である八坂神社の祭祀をしている東明寺地区の人たちだ。
この日は神社の新嘗祭。
これまでは12月12日であったが諸事情で11月末の日曜日に移った。
数年前に行われていた新嘗祭の直会はお寺の山門下であった。
それも変えて八阪神社の境内地となった。
寺と神社の祭祀が融合する日となったのである。
東明寺も神社の氏子。
同一日となった八阪神社の祭礼には母親が列席された。
その母親も寺行事に忙しい。
直会は参加することができない。
廻り当番のトーヤにあたったときにはどうするのだろうかと問うた住職の答えは「なんとかなるだろう」であった。
鉦を叩きながら石段を登っていく僧侶たちは5人。
東明寺住職を導師に矢田寺念仏院、長弓寺、信貴山・・である。
堂内に座った参拝者はおよそ30人。
満席である。
本尊前に座る住職。
要請を受けた僧侶たちはその周囲に座った。
蝋燭を灯され大般若経の転読法要が始まった。
始めに先祖供養の回向である。
お経が唱えられてしばらくすれば散華(さんげ)。
道場を清める散華は仏さんへの供養でもある。
先祖供養、家内安全、身体健全、交通安全、子孫繁栄など施主たちの様々な願いを唱えた後が大般若経の転読法要である。
600巻の般若経を転読する。
経典一巻を順次箱から取り出してパラパラとめくる。
めくるという表現は相応しくないが表現しがたい作法である。
空中から下にあるいは左右へ広げ流すような作法で「だーいはんにゃはらみたきょう・・・ とう(唐)のげんじょうさんぞう(玄奘三蔵)ぶじょやーく だーいはんにゃはらみたきょう・・・」と大きな声で読誦(どくじゅ)する。
大般若経を流し読みをするような作法は転読と呼ばれている。
大きく広げて転読する度に風がまき起こる。
大声をあげるのは煩悩を押し出し、清浄な心と身体になる、という。
一巻を終える度に経典をバシ、バシと勢いをつけて机を叩く。
身も心も引き締まるのである。
5人で転読されるから時間は短縮。
一人でされる場合は2時間もかかる転読法要を終えて般若心経に転じる。
太鼓が打たれて激しさを増す。
奈良時代に始まった大般若経は国家安寧を祈った。
経本を叩くのは煩悩を祓う。
大声をあげて唱えながら経典をパラパラするのは風を起こして賢く健康なるという。
こうして祈祷された般若経は参拝者の肩や背中を叩いてもらうご加持。
家庭円満、健康を授かるのである。
(H24.11.25 EOS40D撮影)
東明寺の紅葉は曇天でも美しかった。
秋が映える季節に新しく法会を始めたいと願っていた住職。
この年で3年目を迎えた大般若経の転読法要。
定まっていなかった期日も第四日曜と決まった。
お寺を案内する看板も新設されて行事日程が刻まれた。
真っ赤に染まる東明寺の紅葉。
モミジと書いて紅葉と表現するに相応しい景観である。
この年もお寺の要請にありがたく受ける。
矢田の山を歩くハイカーにも見ていただこうと配慮されて扉を開けた東明寺。
機材を設営したときに顔を見合わせた男性。
少年自然の家自然観察友の会に参画していたMさんが婦人を連れて来られていた。
驚くことに14年ぶり。
青年のような顔は変わっていない。
この日に来たのは懐かしい紅葉を見るためで、奥さんとともに樹の下でお弁当を広げていた。
奈良大学付属高校教師を勤める休日癒しのひとときを秋の東明寺の景観に時を過ごす。
何人かの人たちは何があるのか扉の向こうを拝観する。
お寺の傍では数人の人たちが居る。
鎮守社である八坂神社の祭祀をしている東明寺地区の人たちだ。
この日は神社の新嘗祭。
これまでは12月12日であったが諸事情で11月末の日曜日に移った。
数年前に行われていた新嘗祭の直会はお寺の山門下であった。
それも変えて八阪神社の境内地となった。
寺と神社の祭祀が融合する日となったのである。
東明寺も神社の氏子。
同一日となった八阪神社の祭礼には母親が列席された。
その母親も寺行事に忙しい。
直会は参加することができない。
廻り当番のトーヤにあたったときにはどうするのだろうかと問うた住職の答えは「なんとかなるだろう」であった。
鉦を叩きながら石段を登っていく僧侶たちは5人。
東明寺住職を導師に矢田寺念仏院、長弓寺、信貴山・・である。
堂内に座った参拝者はおよそ30人。
満席である。
本尊前に座る住職。
要請を受けた僧侶たちはその周囲に座った。
蝋燭を灯され大般若経の転読法要が始まった。
始めに先祖供養の回向である。
お経が唱えられてしばらくすれば散華(さんげ)。
道場を清める散華は仏さんへの供養でもある。
先祖供養、家内安全、身体健全、交通安全、子孫繁栄など施主たちの様々な願いを唱えた後が大般若経の転読法要である。
600巻の般若経を転読する。
経典一巻を順次箱から取り出してパラパラとめくる。
めくるという表現は相応しくないが表現しがたい作法である。
空中から下にあるいは左右へ広げ流すような作法で「だーいはんにゃはらみたきょう・・・ とう(唐)のげんじょうさんぞう(玄奘三蔵)ぶじょやーく だーいはんにゃはらみたきょう・・・」と大きな声で読誦(どくじゅ)する。
大般若経を流し読みをするような作法は転読と呼ばれている。
大きく広げて転読する度に風がまき起こる。
大声をあげるのは煩悩を押し出し、清浄な心と身体になる、という。
一巻を終える度に経典をバシ、バシと勢いをつけて机を叩く。
身も心も引き締まるのである。
5人で転読されるから時間は短縮。
一人でされる場合は2時間もかかる転読法要を終えて般若心経に転じる。
太鼓が打たれて激しさを増す。
奈良時代に始まった大般若経は国家安寧を祈った。
経本を叩くのは煩悩を祓う。
大声をあげて唱えながら経典をパラパラするのは風を起こして賢く健康なるという。
こうして祈祷された般若経は参拝者の肩や背中を叩いてもらうご加持。
家庭円満、健康を授かるのである。
(H24.11.25 EOS40D撮影)