マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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矢田坐久志玉比古神社神幸祭

2009年11月22日 07時18分37秒 | 大和郡山市へ
矢田郷は北矢田、横山、南矢田、岡、丸尾、新(しむら)の六ケ大字。

北寄りの大和民俗公園出入り口を抜けると北矢田郷の北村。

稲を刈り取った田園に提灯が立てられている。



それは畑の中の道にある。

それを辿っていけば森を抜けて矢田坐久志玉比古神社に着く。

知らない人はなんでこんなところに立ててあるのだろうと不思議な様子。

ここは旧道で、村から神社に向かう本来の参道である。

大イベント行事になる矢田ふるさと祭りがある関係で、数年前に体育の日から移された矢田坐久志玉比古神社の秋祭り。

宵宮でお神楽を舞った巫女たちは宮司の動きを見つめている。

本殿から神輿に神遷しがされているのだ。

神前に向かって賑々しく扇を広げて舞う神楽を終えるとお渡りが始まる。



明治十三年の銘が記されている神輿は二つある。

鳩の紋が描かれている神輿(おそらく八幡神社であろう)に神遷しされるが、もうひとつの神輿は渡御せずに境内で見守っている。

お渡りは警護、猿田彦、獅子、大太鼓、巫女、お稚児さん(おちんこさんと呼ぶ老女もいる)、榊、神輿、宮司、責任役員の一行は総勢50人。



家族やハイカーなどの拝観者、道中を安全に導く消防団なども加えると倍にもなる大行列となった。



太鼓をドン、ドンと打ちながら向かう神社は本社のお旅所とされる主人神社。

本社からは約1kmの先にある。

通行量が多い県道はバスも停止させてお渡りをする。



今でこそ神輿は台車に乗せて渡御している。

そのころ学生だった団員の話では昭和45年代には既に台車であったようだ。

95歳の祖母の記憶話ですが、と断って話すYさん。

東明寺の八坂神社へ担いで行って、その次は矢田寺の春日神社へ。そして担いで本社に戻ってきたそうだ。

その時代の男たちは各地の秋祭りでも太鼓台などを担いできた。

昔の男たちは逞しかったのであろう。

お渡りは主人神社で神事や神楽舞などをされたあと、再び本社へ戻っていく還幸祭の渡御が行われる。



矢田大宮の秋祭りは餅撒きで締めくくられる。



楼門から氏子役員が放るのを下で待ち構える子供たち。

御渡りの警備をしていた消防団のおじさんも混じって餅をいただく。

神輿は来年まで蔵のなかでじっと待つ。

(H21.10.25 Kiss Digtal N撮影)