大和郡山市の上三橋のノガミ注連縄を見たくて八時前から付近に行ったが誰も来ません。
帰りかけたとき一人の男性がおられたので尋ねてみたら地元の人で「ならグリーンファーム(養鶏業)」代表者。
「明日のお城と城下町を考える会」の代表者でもあり大和郡山のお城の追手門櫓などを復元してきた人でした。
たしか若宮おん祭の大名行列郡山藩で出御されてるI氏だった。
注連縄は年末の30日の午前中に神社の注連縄張りの際に張ったといいます。
しかも、ノガミさん(石)は昨年秋に須佐之男神社の造宮の際に、お参りもでけんからと藪の中から移設されたといいます。
神社すぐ東側に石垣積んでそこへ遷座。
その横には砂盛りされた黄金塚跡がある。
なんでも元旦の朝に黄金の鶏が鳴いたという伝説があるそうですが詳しく聞くことができませんでした。
で、6月のノガミ。
それはなんもしとらんといいます。
その後の5月6日も再訪した。
ある人が話してくれたこと。
「おまいさんのおじいちゃんがやってたわ。30年以上も前のことやから昭和50年よりもっと昔かな。」と話してくれた。
当時は家ごとにチマキをこしらえて5本の束にしていた。
それをもうひと房作って合計10本にしていた。
こしらえたチマキを首から下げて出かけたノガミさんのお参り。
当時は、6月5日にノガミさん参りをしていた。
その後に途絶えたノガミさん参り。途絶えてからでも随分と時が経つ。
(H21. 1. 1 Kiss Digtal N撮影)
(H21. 5. 6 聞き取り)
帰りかけたとき一人の男性がおられたので尋ねてみたら地元の人で「ならグリーンファーム(養鶏業)」代表者。
「明日のお城と城下町を考える会」の代表者でもあり大和郡山のお城の追手門櫓などを復元してきた人でした。
たしか若宮おん祭の大名行列郡山藩で出御されてるI氏だった。
注連縄は年末の30日の午前中に神社の注連縄張りの際に張ったといいます。
しかも、ノガミさん(石)は昨年秋に須佐之男神社の造宮の際に、お参りもでけんからと藪の中から移設されたといいます。
神社すぐ東側に石垣積んでそこへ遷座。
その横には砂盛りされた黄金塚跡がある。
なんでも元旦の朝に黄金の鶏が鳴いたという伝説があるそうですが詳しく聞くことができませんでした。
で、6月のノガミ。
それはなんもしとらんといいます。
その後の5月6日も再訪した。
ある人が話してくれたこと。
「おまいさんのおじいちゃんがやってたわ。30年以上も前のことやから昭和50年よりもっと昔かな。」と話してくれた。
当時は家ごとにチマキをこしらえて5本の束にしていた。
それをもうひと房作って合計10本にしていた。
こしらえたチマキを首から下げて出かけたノガミさんのお参り。
当時は、6月5日にノガミさん参りをしていた。
その後に途絶えたノガミさん参り。途絶えてからでも随分と時が経つ。
(H21. 1. 1 Kiss Digtal N撮影)
(H21. 5. 6 聞き取り)