週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#348 -’21. ここに居ます。(速報)

2021年11月16日 21時01分12秒 | 日常の出来事(日記)

事前予約しての東京国立博物館に訪問です。

東博の平成館で開催されている「伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」に行ってきました。

東博のHPから借用させて頂きます。

2021年は、伝教大師最澄の1200年の大遠忌にあたります。最澄は平等思想を説いた『法華経』に心惹かれ、この教えを礎とする天台宗を日本でひろめました。最澄が創建した延暦寺は多くの高僧を輩出し、彼らが説いた多様な教えは日本文化に大きな影響を及ぼしてきました。本展では、延暦寺における日本天台宗の開宗から、東叡山寛永寺を創建して太平の世を支えた江戸時代に至るまでの天台宗の歴史をご紹介します。日本各地で守り伝えられてきた貴重な宝物や、『法華経』の説く万民救済の精神をあらわす文化財を、地域的な特色を示しながらご覧いただきます。秘仏をはじめ、天台の名宝が集う貴重な機会です。

ネットで予約したのは11時からの入場の回です。11時ジャストは混み合うので10分ぐらい遅くすると空いてスムーズに入場できるとの事でしたが。

しかし、自分たちもですが特別展の大好きな日本人です。東博の入り口は特に列が長いとの印象はありませんでした。でも、平成館に到着して中に入ると入場待ちの長い列でした。列の意味が分かりません。

1  上野駅の公園口が大きく変貌を遂げていたというか工事中でした。改札口を出ると、東京文化会館前の信号機のある横断歩道を渡り上野公園にはいりましたが、大変貌を遂げていました。人に優しく上野駅に沿って上って来る道が途切れてロータリ―になり、横断歩道が無くなっていて往来自由の広場になっていました。東京都の公園緑地事務所前も広場で一体になってました。以前は一般車と観光バス用の線路に沿った駐車場がありました。今では大変貌を遂げていて驚きでした。

振り返り上野駅公園口を望んでいます。

2  東京都公園事務所は変更がありませんが、道路が広場になりどこでもあるけます。

 

3  建物自体も世界遺産に登録された国立西洋美術館が白い塀に囲まれて工事中でした。

4

5  銘ホールが多くなりましたが東京でのクラシックのメッカ東京文化会館と西洋美術館の間を抜けて東博に向かいます。イチョウもこれからでしょうか。

6  恩賜上野公園のマップです。

7  目的地の催事の看板が出てきました。

8  自分が中央と思っている東博前の広場にでてきました。こちらも噴水が変わった感触です。右へ曲がると正面に東博右手に科学博物館で直進すると東京都美術館や上野動物園です。

9  振り返り、桜並木と通りの方向です。

10  東博が正面に見えています。広場が広くなり催事でも開催できるようにしたのでしょうか。

11

12

13

14  既に東京国立博物館の敷地内に入っています。スマホの画面を確認してもらうだけです。

15  建物は表慶館です。右手奥の通路を入り平成館に向かいます。

16  本館と表慶館の間に通路をとおり、いよいよ目的地です。

17  近代的と言えば近代的ですが。

18

19  平成館です。この時点では人も殆ど居ないので良かったと思ったのもぬか喜びでした。

20

21  展示物の中で只一箇所の撮影が許可されている比叡山延暦寺の根本中堂の仏像等です。

その説明文をスクリーンショットで撮影して次にアップします。

次は撮影許可されていたものをスマホで撮影しました。

22

23

21

24

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#347 -’21. 旧嵯峨御所・大覚寺拝観して(その一)

2021年11月16日 00時00分01秒 | 国内旅行

旧嵯峨御所・大覚寺のその一です。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と言うそうです。

今回の京都の少し早い紅葉を求めての寺社仏閣巡りのお宿は、一番お気に入りの三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺です。僧伽小野での美味しい食事が気に入っていることもありますが。四条河原町は繁華街である事もありますが、どこに出るのも便利な交通の要衝です。

1  朝食も済んで、四条河原町かららん電の始発駅の四条大宮へ徒歩で向かいました。前回の30泊31日の旅の時も浄教寺から大宮を越えて壬生寺に行くときも歩いた記憶があり、遠いいいとの記憶がありませんでした。一本道とは言え、朝一番に歩くと遠い事遠い事。地下鉄で二駅歩きました。(京都河原町、烏丸、大宮)スタバも京都の雰囲気を壊す事無く店舗設計がされていました。

2  始発駅四条大宮から乗車のらん電車内です。乗ったのは二両編成でした。終点の嵐山で降りて乗るバスが信号で止まっていた前を反対側に渡り直ぐにバスに乗車できました。始発ではありませんので、座る事はできませんでしたが、混んではいませんでした。

3  バスが停車する所は始発もあり、駐車場にもなっているかんじです。

そのすぐ前がご覧の通りです。大覚寺で、右に行くと大沢池です。

4  いよいよ大覚寺(旧嵯峨御所)です。バスで降りたのは我が家のみでした。大覚寺のHPから引用させて頂きます。

はじめに

平安のはじめ、嵯峨天皇の離宮として建立されて1200有余年。絶えず歩みつづけてきた大覚寺。 今日では“華と心経の寺”として親しんでいただいておりますが、数々の悲運を乗りこえ、その法灯を守り続けてきました。 今日までの人と歴史の軌跡を辿り、この場でしか語ることができない口伝えを織りまぜながら、ここに記して参ります。

弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。 正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。 平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。 嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。 弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。 明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院である。いけばな発祥の花の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもある。時代劇・各種ドラマのロケ地としても有名である。

5

6

7  勅使門に非ず表門だそうです。唐破風にもなって居ない質素な感じでした。なので、勅使門にはみえませんでした。 

8  私たちは事らの門を入ってきました。

9  邸内に入る時、大沢池も見学する人はこちらの戻ることなく池にでられます。で、玄関に履物を置いていかずにポリ袋に居てて持参しました。

10  輿です。

11  紅葉を愛でると言うより緑を愛でると言う感じの庭園です。

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

 

99

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カウンター