週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#347 -’21. 旧嵯峨御所・大覚寺拝観して(その一)

2021年11月16日 00時00分01秒 | 国内旅行

旧嵯峨御所・大覚寺のその一です。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と言うそうです。

今回の京都の少し早い紅葉を求めての寺社仏閣巡りのお宿は、一番お気に入りの三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺です。僧伽小野での美味しい食事が気に入っていることもありますが。四条河原町は繁華街である事もありますが、どこに出るのも便利な交通の要衝です。

1  朝食も済んで、四条河原町かららん電の始発駅の四条大宮へ徒歩で向かいました。前回の30泊31日の旅の時も浄教寺から大宮を越えて壬生寺に行くときも歩いた記憶があり、遠いいいとの記憶がありませんでした。一本道とは言え、朝一番に歩くと遠い事遠い事。地下鉄で二駅歩きました。(京都河原町、烏丸、大宮)スタバも京都の雰囲気を壊す事無く店舗設計がされていました。

2  始発駅四条大宮から乗車のらん電車内です。乗ったのは二両編成でした。終点の嵐山で降りて乗るバスが信号で止まっていた前を反対側に渡り直ぐにバスに乗車できました。始発ではありませんので、座る事はできませんでしたが、混んではいませんでした。

3  バスが停車する所は始発もあり、駐車場にもなっているかんじです。

そのすぐ前がご覧の通りです。大覚寺で、右に行くと大沢池です。

4  いよいよ大覚寺(旧嵯峨御所)です。バスで降りたのは我が家のみでした。大覚寺のHPから引用させて頂きます。

はじめに

平安のはじめ、嵯峨天皇の離宮として建立されて1200有余年。絶えず歩みつづけてきた大覚寺。 今日では“華と心経の寺”として親しんでいただいておりますが、数々の悲運を乗りこえ、その法灯を守り続けてきました。 今日までの人と歴史の軌跡を辿り、この場でしか語ることができない口伝えを織りまぜながら、ここに記して参ります。

弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。 正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。 平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。 嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。 弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。 明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院である。いけばな発祥の花の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもある。時代劇・各種ドラマのロケ地としても有名である。

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7  勅使門に非ず表門だそうです。唐破風にもなって居ない質素な感じでした。なので、勅使門にはみえませんでした。 

8  私たちは事らの門を入ってきました。

9  邸内に入る時、大沢池も見学する人はこちらの戻ることなく池にでられます。で、玄関に履物を置いていかずにポリ袋に居てて持参しました。

10  輿です。

11  紅葉を愛でると言うより緑を愛でると言う感じの庭園です。

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