週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#074 -’20. 今日は四年に一度の2月29日です。

2020年02月29日 13時01分36秒 | 日常の出来事(日記)

今年はオリンピック・イヤーですから閏年です。

今回の新型コロナウィルスでオリンピック開催について噂が飛び交い始めました。

前回のリオデジャネイロオリンピックでもジカ熱騒動で開催が危ぶまれました。

ネット時代ですから、デマの伝播も新型コロナウィルス感染症も伝染するのは驚異的なスピードかも。

致死率が必ずしも高くないことが救いであり、予防に努めて急激な流行を抑え込むだけです。

一般的なインフルエンザの一種として定着するのは間違いのない事実です。

その為にも一日も早く終息してほしいと願うばかりです。

病気に罹らないよう努力は怠らず、でも、精神的に極度な恐れを抱く必要は無いと思っている私です。

 

昨日は、久々にバスに乗りました。

少し離れた遠いほうの駅ですが、歩いて行くつもりで我が家をでました。

バス停で直ぐ後ろからバスが来ましたので乗ってしまいました。

遠い方の駅までのバス停でも、二停留所で駅です。

弱い意思に負けて乗ってしまいました。

歩数は伸びないし、パスモの残金は減りますし。

混んでもいませんでしたから、よしとしました。

買ったのはお花です。

花束が出来上がったので一枚撮影させてもらいました。

デルフィニウムが有ったので入れてもらいました。

帰りもお花を持って居ますのでバスに乗ってきました。

立っている人は居ないで、二人掛けは一人でかけている程度でした。

半数の方はマスクをかけていませんでした。

マスクが買えない人が多くいると実感したほどです。

因みに、私もかけていません。

自分がウィルスに感染しない為の予防と言うより、他人にうつさないエチケットだと思うと少し心が落ち込みます。

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#073 -’20. 京都の長楽館・旧 村井吉兵衛別邸を見学し

2020年02月28日 21時09分22秒 | 国内旅行

昼食を頂きその後、建物内(本館の一部と本館三階と新館のホテル棟は除く)を見学させて頂きました。

長楽館で見学時に頂いたプリントから引用させて頂きます。

長楽館 旧 村井吉衛別邸

長楽館は、たばこ王」と称られた明治時代の実業家村井吉兵衛によって迎賓館として建てられた建物である。「長楽館」の名称は伊藤博文が宿泊した折に命名し、扁額にも記した。皇族や元勲、英国皇太子などの国賓が多数滞在し、「京都の迎賓館」とも呼べる建物であった。工事は、アメリカ人技師 J.M.ガーディナーの設計により、明治42年(1909)6月に竣工した。建物は、1・2回共にそれぞれ特徴のある部屋がならぶ。中でも一階客間は暖炉廻りや壁、天井に植物紋様のレリーフを飾るなど、ロココ様式基調とし、最も華麗で見ごたえのある部屋となっている。一方3階は書院造風の和室で、その豪華なつくりと斬新な座敷飾りはみごとである。建築当初の家具が残っている点も注目される。ロココ様式をはじめそれぞれ部屋に合ったよう様式の家具が置かれ、英国王室御用達であったMAPL社製など、大半が高級な輸入品で、意匠的にも優れる。長楽館は、内部の凝った意匠に見るべきところがあり、規模も大きく、明治後期のおける和洋折衷の住宅建築の代表例として価値が高いことから、家具30点を含め昭和61年6月2日、京都市指定有形文化財に指定された。

                                                         京都市

村井吉兵衛(1864~1926年)

元治元年(1864)、京都の煙草商の次男として誕生。9歳で叔父の養子となり行商を始める。明治初期に、煙草の行商で得たお金を元に煙草の製造に踏み出す。日本初の両切り紙巻煙草を製造し、明治24年に「サンライス」と名図けて発売。その後発売された「ヒロー」は、5年後に年間生産量日本一になる。明治37年に煙草が国家専売制になり、その補償金を元手に、村井銀行、東洋印刷、日本石鹸、村井カタン糸等の事業を行い、村井財閥を形成する。

 

1   知恩院を参拝して、円山公園を歩き大谷祖廟を参拝してランチを予約していた長楽館に戻ってきました。   玄関 イオニア式門柱 村井家家紋 三つ柏が正面にある。

2   玄関のアーチです。再掲です。

3   頂いた邸宅内の案内図の2としてホール兼階段室と表示されているところです。グランドピアノが置かれていました。  ホール兼階段室 各部屋へと繋がるエントランスホール  階段の手すりには、力強い曲線を描いた木材の装飾が上階へと続き階段中ほどの踊り場は、半円形に張り出してバルコニー風に演出

4   ピアノの先には階段が見えます。

5   一階上った二階から眺めたところです。隅に追いやられた階段ではなく中心をなす正に階段室です。素敵ですよね。

6   階段室の上部の半円形のドームです。

7 迎賓の間です。アフタヌーンティーを注文した人はこちらに通されていました。スパークリングワインか白ワインかを冷やしておりました。   迎賓の間  元応接間 現在はアフタヌーンティーの部屋専用の部屋 玄関のそばにあるロココ調の応接間は、現存する日本の西洋館では最大規模 壁の12枚の風景画は、高木背水(誠一)画伯の作品  天井や壁の漆喰彫刻で、シャンデリアはバカラ社製クリスタルを使用

 

8  上の画像は11時半の予約時に来た時ので、こちらは食事が済み建物内を見学させて頂いている時です。既に、沢山の方がアフタヌーンティーを頂いていました。

9       球戯の間です。  元球戯の間で現在は カフェスペース  当時はビリヤード台が置かれており、大理石の洗面台が当時のまま残る

10 サンルームと言う名が付いている通り、本来はサンルームだったとおもいます。今は、長楽館ブティックとしてお土産などの販売などを行っていました。我が家も二つほど葉巻を模したお菓子を買って帰りました。

11

12  一箱1200円ですから必ずしも安いものではないかも。

13  CHOURAKUKAN  BOUTIQUIE 端です。

14  喫煙の間に置かれていた調度品のブロンズ像だったと思います。

15  喫煙の間には沢山の調度品が置かれていました。 食事が終わり部屋を改めて、男性は喫煙の間に移動して葉巻や煙草をくゆらせて会話を楽しみました。上流社会での情報交換の場所でもあります。本館の中二階です。

16  喫煙の間

17 喫煙の間

18  喫煙の間 暖炉とマントルピースです。原村の峠の我が家にも薪ストーブはありますが、ストーブと暖炉は勿論異なります。暖房機と言う意味では同じ目的を持った物ですが、移動可能なストーブと家に組み込まれている暖炉です。

19  喫煙の間  元喫煙スパース 現在はカフェスペース 観音開きの扉には当時のステンドグラスが残り、 その上には伊藤博文公直筆の扁額が飾られている 当時喫煙時に使われた螺鈿の椅子は京都市指定有形文化財 

一番、絢爛豪華の螺鈿は目黒の雅叙園かもしれません。

20 喫煙の間

21  鳳凰の間 元ゲストルーム 現在はカフェスペース 大きな二面の窓から自然光が注ぎ、明るい雰囲気につつまれた部屋 扉の内側には短いアプローチが設けられている    テーブルには白いアイロンの効いたテーブルクロスが一番似合います。

22  バルコニー 元バルコニー 現在はカフェスパース 当時は壁がなく、屋外に面していた

23  接遇の間 元ゲストルーム 現在はカフェスペース 英国王室御用達のメープル社製の姿見付きの家具・ウェールズ殿下使用の衣装ケースなど、京都市指定有形文化財の調度品を展示

(本来、日本で言うところの宮内庁御用達の如き英国王室御用達との言葉は厳密に言うと存在しません。日本と英国の違いです。英国王室では、ロイヤル・ワラントとしてエリザベスⅡ女王、ご亭主のエディンバラ公、そしてのチャールズ皇太子であるウェールズ公の三名がロイヤルワラントの発行権者です。どれか、一つもっていれば俗に英国王室御用達と言う事になりますが、その意味合いは日本の皇室御用達とは一寸異なります。女王、エジンバラ公そしてチャールズ皇太子からロイヤルワラントを頂く事も可能です。勿論、一つ頂いていれば、ロイヤルワラント保持になりますから、ある意味英国王室御用達かもしれませんが、独立してロイヤル・ワラントを授けます。)

24  こちらも接遇の間です。

25  接遇の間です。 鏡は当時のものだそうです。歪みの無い真っ平なガラスをこの大きさで造らねばなりません。当時としては高価になるかと。

26  貴婦人の間  元ゲストルーム 現在はカフェスペース  マントルピースや壁面の鏡がクラシックな雰囲気を醸し出している 

27  貴婦人の間

28  貴婦人の間

29  貴婦人の間

30  長楽館を後にするときに素敵なステンドグラスを撮影しましたが、ピンボケです。

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#072 -’20. いすゞ自動車のボンネットバス

2020年02月27日 14時11分26秒 | 都内の公園&近郊の公園

江戸東京たてもの園の三井邸と常盤平の写真館の間に展示されて居た物です。

トラックと言えばいすゞのトラックと言われた時代がありました。

路線番号が漢数字の四七系統の上野広小路行きのボンネットバスです。

 

 

上野広小路と言えば上野松坂屋です。日本で一番長い歩行者天国が上野から銀座八丁目まで実施されて頃もありました。

 

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§ 新型コロナウィルスとダイヤモンド・プリンセス号で思う事(防疫)

2020年02月26日 21時07分14秒 | たわごと(少し硬派に振って)

読み直していない書きかけですから手直しします。ご了承のほど。

自分の言いたいことを大きく分けて最初に記します。

◎ 今回言いたいことは臨床面での新型コロナウイルスに罹った方の治療ではありません。

◎ 言いたいことは、この一点です。医学生になると最初に習う基礎医学の公衆衛生学です。如何に新型コロナウイルスを拡散させないかです。臨床医学では無いのです。

今回のスレッドは、ダイヤモンド・プリンセス号に於ける防疫体制についての自分が思う事です。自分は医師でも医療関係者でもありませんが、そんな自分ですら解せない処が有るからです。

神戸大学病院感染症内科の岩田健太郎教授言を俟つまでもなく、ダイヤモンド・プリンセス号の船内が防疫、隔離すべき体制が整って居なかったと思っているからです。健康者を病人に変える培地であると思ってたからです。では、本来あるべき14日間の潜伏期間の隔離室としての機能を果たしていたか否かです。

今回の新型コロナウィルスに関する過去の自分のスレッドはこちら2月2日(何の根拠もありませんが)と こちら2月6日(新型コロナウィルスで思うこと)と こちら2月8日(寒天培地のダイヤモンド・プリンセス号)とこちらで時系列にならんでいます。基本的には大きく変わってはおりません。デマの域をでない只のたわごとです。

三本目のスレッドにある如く、健康な方も新型コロナウイルスに感染させる培地なるが如くと心配したからです。その後の経緯で次から次と新たな感染者が驚く数で増えています。まるで実験動物学研究室のハツカネズミの飼育室の如きのダイヤモンド・プリンセス号です。DMATの隊員としてダイヤモンド・プリンセス号に入った大学教授が述べていました。

自分が言いたい事は専門家ではありませんので、岩田教授が言っていたことと少し異なります。

論旨をはっきりする為に箇条書きします。

  1. ダイヤモンド・プリンセス号から早く全員を下船すべきであった事。陸上で、防疫活動を行うべきであった事。
  2. 即ち、ダイヤモンドプリンセス号を隔離施設として使用すべきでなかったこと。乗組員は防疫などの隔離の為の教育も受けていない。
  3. 消毒、殺菌などが完全に行う事が不可能であること。
  4. DMATの経験者である岩田教授などの助言などは重要だと思いますが、防疫の専門家を配備したのだろうか。
  5. 新型コロナウイルスに罹患した患者を治療するのではありません。如何に保菌者から健康な方に伝染させないかの専門家を配置出来たのか。
  6. 大きく分けて医学には臨床医学と基礎医学に分けられます。その基礎医学に公衆衛生学です。狭義では防疫学です。
  7. 大雑把ですが、如何に疫病など疾病を社会に広めずに、人間たる人類の社会を健康に保つかの学問です。
  8. 新型コロナウイルスに罹った個人を臨床的に治療する学問ではありません。如何に人類社会に病気を拡散しないかの学問が公衆衛生学であり防疫学です。
  9. ダイヤモンド・プリンセス号に防疫の専門家が居たのでしょうか。居たのなら絶大なる権限を持って管理統率できたのでしょうか。
  10. もし、船籍や日本との管理権等の問題が有ったならなおさらです。一日も早く全員上陸させて隔離して、日本の管理下に置いて食料から日常生活全般に亘り、隔離の意味を達成すべきでした。
  11. ある意味、DMATは防疫と臨床の二刀流です。でも、防疫の専門家と言うより臨床に重きを置いています。(DMATの救急車を観たことありますか、ドクターズカーそのものですよ。)
  12. 国にも地方自治体にも沢山の医師が存在しています。だぶりますが国立や地方自治体(最近は特別法人化している事が多いですが)には臨床の為の病院があり医師が沢山存在している事はご存知だとおもいます。
  13. 前項で言う医師とは異なり、医療行政の一役を担う医師沢山存在しているのです。その方たちはどちらかと言うと、ある意味公衆衛生学の分野で活躍しているのです。保健所は言うに及ばす、防疫面でもです。その人たちの力が生かされたのでしょうか。
  14. 医師であればだれでも公衆衛生学は学んでいる筈です。その中の防疫に関する知識が何ゆえに生かされなかったのでしょうか。素人判断ですが、何故に生かされなかったのでしょうか。
  15. 隔離する施設が存在しなったのでしょうか。代々木のオリンピック選手村の後の独立行政法人国立青少年教育振興機構 国立オリンピック記念青少年総合センターや国立に施設は使用できなかったのでしょうか。
  16. 民間のホテルを使用せずともいくらでも緊急時の施設と要員は存在したはずです。厚生労働省の医療系技官が長を務めている方の意見が政治的に通らなかったのでしょうか。
  17. 所詮、政治家は素人です。医師たる技官などから助言や具申が無ければ正しい結論には到達しません。なにが、正しい結論に進む道を阻んだのでしょうか。(自分が思っているだけかもしれませんが。)
  18. 本来、船での隔離では、最後の発病者が発生してから14日後でなければ下船できないのが原則の筈です。
  19. その無限連鎖を断ち切る為にも、日本に到着した時点で下船を希望した乗客に関しては日本で隔離しべきでした。

書きかけですが、それでも自分は今のように恐怖を煽る必要の無い疾病だと思っています。地上に存在するインフルエンザの一種だ思っています。インフルエンザだから危険が無いと言っているのではありません。新型ですが、心理的にパンデミックな社会に陥る必要はないと言っているのです。恐ろしいインフルエンザであり、麻疹であり風疹であると言っているのです。その為にも予防できる事は全て努力すべきだと思っています。

取り急ぎのアップですが、デマと何ら変わらない一個人の考えです。このような状況であるが故に、デマがまことしやかに拡散していくのです。権威のある部署を引用して権威付けするのがデマの常套句です。その事を念頭に置き、この文章も信じるに値しない一個人のブログですから引用は禁止です。権威もなりもありませんから引用する人など皆無の筈ですが。

でも、一言最後に「今回のダイヤモンド・プリンセスの件を教訓として、何が問題で何が悪く、何が良かったのかなど、、NTSB(National ransportation           Safety Board)やCDC(Centers for Disease Control and Prevention)など絶大な権力と調査権などを持たせる機関が必要かも。政治家にのみ責任を押し付けるのは不可能かも。新型コロナウイルスを抑え込むことは不可能だと思っています。従って、如何に影響の少ない形で収束させるかです。それは、今如何に徹底的な人口移動を抑え込み国民全体に手洗い、消毒など罹患しない為の予防行為を周知徹底して実践してもらい、緩やかに流行に抑え込むかです。

 

参考:

【削除覚悟】集団感染が起きたクルーズ船に乗り込んだ岩田健太郎氏が語るダイヤモンドプリンセス内の悲惨な現状【神戸大学 レッドゾーン グリーンゾーン コロナウイルス COVID-19 CDC 新型肺炎】

厚生省の新型コロナウィルス感染症の方針等

DMAT

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#071 -’20. 土蔵@三井八郎右衛門邸

2020年02月26日 11時36分28秒 | 都内の公園&近郊の公園

小金井公園の江戸東京たてもの園内に移築されていた三井八郎右衛門邸の裏手に建っていた立派な土蔵です。火事と喧嘩は江戸の花と言われた程でした。火事は商家にとっては大変な痛手ですからそれは土蔵で財産を守った訳です。

土壁と一番外側には漆喰で耐火性を持たせて財産を保全した。三階建ての立派な土蔵でした。今では展示されている物も殆どありませんが、実際は沢山の高価な財物が収まっていたものと思われます。今は金品は別にして三井記念美術館に収蔵されていると思います。

 

1  港区六本木二丁目・今井町に在って今井町邸の敷地内図です。約13,500坪の敷地に和館洋館が建ち、華族邸の風格を備えていた。1945年(昭和20年)の空襲で全焼したそうです。それにしても、都心の一等地に広大な敷地と邸宅を有して訳です。

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3  土蔵の扉厚さの凄さです。

 

4   小千鳥図が建具に沢山描かれていました。シャンデリアの飾られて仏間の前の廊下からも外してこちらに飾ってあり様です。

 

5  小千鳥など小鳥の絵が描かれています。

 

6

 

7  三五の桐紋の描かれた桐のお櫃です。桐は軽く耐火性に優れ且つ湿気も適度に吸い、また排出する優れた木材との事で着物をしまう箪笥は桐と決まっていました。衣類を保管するには最高の部材の桐です。

 

8  こちらのお櫃は漆で外側を塗られていますから、着物などの衣類用ではない物の為の保管でしょうか。嫁入り道具で持参したのでしょうか。徳川家の三つ葉葵の家紋が付いています。

 

9   三階の天井の梁には根曲がり太い木材が使用されていました。根曲がり木材の強度は凄いと聞いています。

 

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#070 -’20. 三井八郎右衛門邸

2020年02月25日 10時46分03秒 | 都内の公園&近郊の公園

今回のスレッドは三井八郎右衛門邸を江戸東京たてもの園に移築したものです。完全な形ではなく一部縮小(省略)して移築したとの事でした。確かに新しい事もありますが、驚く程の絢爛豪華と言う佇まいではありません。しかし、物資不足の中に在っても、戦後の成金とは一線をかす匠の技を感じとることができる邸宅でした。今回は蔵の部分は記載しておりません。

都立小金井公園内にある江戸東京たてもの園の小冊子から引用させて頂きます。

三井八郎右衛門邸

港区西麻布に1952年(昭和27年)にに建てられた邸宅です。客間と食堂部分は、1897年(明治30年)頃京都に建てられ、戦後港区に移築されたものです。また、蔵は1874年(明治7年)の建築当初の土蔵に復元しました。(港区西麻布三丁目/主屋:1952年(昭和27年)*東京都指定有形文化財   

(1874年(明治7年)建築の土蔵は別スレッドでアップする予定です。

1  低い大谷石と奥の門柱が何処となく優雅さを醸し出してはいますが、玄関の造りは質素と言っても良い程です。

2  玄関の軒を噴いているのは銅板のようですが、濡れることなく車が車寄を通り玄関に横付けできる形式ではありあせん。鹿が二頭いる方向から車が入り右に抜けていく形式でも、可笑しくない三井家です。戦後の財閥解体などのGHQの事も意識して外は質素に、見えたい処(欧米人には判らない処)に匠の贅を尽くした感じを受けました。屋根の形状も強度はありあすが、安価で一般的な装飾感や高価さに乏しい切妻形式です。

3  本邸の西側(本邸奥に)に土蔵が移築されていますが、別スレッドにて。

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7   こちらは知恩院ほど雀の画が上手く描かれていないようで、飛び去ってはおりませんでした。知恩院の七不思議はこちらです。

8   組小細工の欄間ですが簡素の中に品位を感じるデザインです。普通の組小細工とは異なり重厚さを感じる姿でした。

9    襖板に書かれたものです。

10    古さを感じますが、その中に在って機能美を感じる台所・キッチンでした。

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4   三井家の紋は別に四つ目結がありますし、のれん紋と言うべきか店章に三井グループの信念を託し、こちらは襖に描かれた三井桐紋です。

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17   城の大広間や寺社仏閣などの本堂などでよく見かける格天井でした。

18   卍くずし欄間です。

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22   京都の仏閣などの本堂や方丈を見学して廻ると多く見かけたこの物、地震などの災害から建物を守る補強筋なのかよくわかりませんが、京都を歩くようになり気が付きました。どちらで聴いても分かりません。ご存知の方が居たらコメント頂ければ幸いです。ウルシ塗りとは思えませんがこの黒い筋交いのようなものです。

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24   枝垂桜らしき樹木がありましたから、今回は梅でしが桜の咲く時期に来るのも素敵かも。

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26  このシャンデリアの下がった空間が実に不思議に思えました。居間など大きな居室と言う感じは全く受けませんでした。少し広い廊下に下がっている感じでした。デザインの一貫性を何ら感じる事がないどころか、違和感を感じました。私が廊下と言うこの右のお部屋は三井領家の仏間で撮影きんしでした。その為に画像はありません。説明者の解説では大磯の三井家から移築したものらしいです。

27   和ダンスの上に載っている三井家桐紋です。

28   廊下の外のお庭から建物を見ると素敵なようですが、今回はスルーしました。

 

 

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§ 自分は朝日新聞を決してゆるさない。(その四・最終回とします。)

2020年02月24日 20時44分24秒 | たわごと(少し硬派に振って)
  • 「§ 自分は朝日新聞を決して許さない」の今回はその三の続きのその四で最終回とします。

『後世の日本人たる私たちの後の世代、即ち子孫に嘘の汚名を負わせることはできません。』

日本人、韓国人朝鮮人、台湾の人達に対し国民であるからとの事で、公権力(警察など)や軍事力によって慰安婦として強制した証拠はありません。(ある行為を行ったとの証明が可能ですが、ある行為を行っていないとの証明は悪魔の証明と言われ、その大変難しいのです。)如何に時代が時代だとしてもです。正義や道徳観念など時代と共に変遷していくのは世の常です。ですが、だとしてもです。人さらいの如くに人権を無視し慰安婦にした証拠は何も発見されておりません。

なのに、本来は権力の横暴をペンの力によって真実を伝え、世の中をただす権力の番人が嘘をついて紙面構成したのです。日韓の蟠りの根底に流れるこの慰安婦問題は、訂正記事を出したとしても十数年間に亘り虚構の記事を押し通したことです。言論、そして権力の番人であると信じていた朝日新聞が虚構の記事を流布したのです。この嘘を信じた韓国人の心からは消えないのです。訂正されたことすら知らない韓国民が多いとおもいます。何度も何度も韓国の教科書で嘘の歴史が教えられているのですから当たり前と言えば当たり前です。

私達の父の世代の事であれ、事実なら致し方ないと思っても、事実ではない事です。私達戦後に生まれた昭和世代、そして私たちの子供たちである昭和と平成の世代の子供たち、そして令和の時代に生まれる世代の人たちにも負い目を負わせる嘘に裏打ちされた虚構。三世代も四世代の後世の日本人に虚構を押し付ける行為の朝日新聞は決して許すことは出来ないのです。亦、負わせてはいけないと思っています。朝日新聞は時代をつなぐ次の世代の次の世代の日本人に責任を何ら感じないが如くの訂正後の紙面です。自分は、朝日新聞がこの世から消滅せねば責任を果たしたとは思いません。何度も日本国民に懺悔して謝罪してもその罪(捏造した罪、二国間の国民を反目させた罪?)、二国間の軋轢を生じさせた責任も果たした事にはならないと思うからの他なりません。国民一人一人が、朝日新聞に対し誤りを犯したら地上から抹殺されるのだとの罰を与えるべきだと強く思うからです。過去にも、色々の企業の責任について述べてきましたが、今回は、国民が団結して購読拒否し、朝日新聞に対して罰を与えるべきだと思うからです。

それ程、朝日新聞の犯した罪は重大です。また、何世代にも亘り嘘の歴史で隣国を咎める韓国も人間的に好きにはなれません。

『後世の日本人たる私たちの後の世代、即ち子孫に嘘の汚名を負わせることはできません。』

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#069 -’20. 東京ゼロエミポイントが届きました。

2020年02月24日 10時38分47秒 | その他

昨年の11月に交換した風呂釜の東京都分のエコポイントが届きました。東京都のポイントは一律10,000ポイントで、その内1,000ポイント分はLEDの限定の物でした。正式には東京ゼロエミポイントと言うそうです。

国からのポイントは国土交通省次世代住宅ポイント制度として補助がされています。どちらのポイントも東京ガスの販売店さんから教えてもらって申請に必要な書類を頂き、個人的に個人作成分を作り二か所に郵送申請しました。国の物は申請時に魚沼産コシヒカリを20キロ選択して書類を提出し、24,000ポイントで既に頂いております。

今回は、音沙汰の無かった東京ゼロエミポイントが昨日書留で届きました。こちらは、1000ポイントはLEDと購入目的が限定されていますが、残りの9000ポンチは好きな物が買えるので良かったです。国の次世代住宅ポイントはカタログの中からしか選択ができずに割高なものを買わされた感じがしないでもありませんでした。でも、流石に魚沼産のコシヒカリですから、5キロ6,000円についても美味しい事は確かですが。

 

¥1000のLEDが一枚と、¥1000×9=9000円です。何か得した感じです。風呂釜と言っても、家全体の給湯(四か所)を行いますから高いと言えばそうなのかもしれませんが、それにしても大型になり高い気がしました。

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#068 -’20. 長楽館でランチを頂いて

2020年02月23日 08時56分08秒 | 訪問した食事処、お茶処

京都旅行の二日目です。今回は一泊二日ですから本日は長楽館でランチをいただいて新幹線に乗って帰宅します。予約していたランチを頂きにお邪魔しました。

長楽館のHPから引用させて頂きます。

百年の昔日、百年の向日

長楽館は明治42年に煙草王・村井吉兵衛によって建てられて以来、
おもてなしの場として、国内外の様々なお客様をお迎えしてきました。
日本の名立たる偉人を始め、各国の皇族・大使とそうそうたる人物が集い、
優雅なたたずまいの中、華やかなひとときを過ごしたのでした。
あれから、110年。
時代の背景は変わっても、この館には華麗なる歴史の面影が今も残り、
当時と変わらぬ満ち足りた時間に包まれることでしょう。

円山公園と八坂神社などの風景などを借景しているとおもいます。神社仏閣も日本独特の文化なのか借景し庭園の風景を現実から隔離して幽玄の世界に浸るようです。(追記です。) 

1   ヒマラヤスギの大木が出迎えてくれます。二人連れの女性の方が観ているメニューの隣にプロパンガスの反射ストーブ(パラソルヒーター)があります。テラス席など外で食事する時など海外でも日本でも最近見かけます。薪棚に薪も沢山積まれていました。

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4   石のアーチの玄関です。

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6  美術の間に案内されて席に着いた所です。

7   予約したコースに入っているスパークリング・ワインです。

8  スパークリング・ワイン込みのコースです。

9   料理はワンプレートの物です。 サラダ、パン、ビーフシチューのセットのなったものです。

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12   コーヒーです。カップは我が家お気に入りのノリタケ・ボーン・チャイナです。

13   室内を撮影させて頂きました。故村井翁が集められた調度品なのか分かりませんが、統一性がとれていて建物にもお部屋にもマッチしていました。

14   ここからの調度品の写真は食事した美術の間調度品です。磁器はマイセンのように見えました。以前にマイセンにお邪魔した時のスレッドはこちらです。

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19  ドアの内側から外に出る直前に撮影させてもらいました。このスレッドとは別に、素敵な建物内を撮影させてもらった物をアップするかも。

我が家が予約した長楽館でのランチとは違いましが、素敵なティータイムもあるようです。Winter Special 2020【デザートカフェ長楽館】京都レストランウインタースペシャル2020【2月1日~2月29日】

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#067 -’20. 今日はニャンニャンニャンのねこの日

2020年02月22日 15時40分25秒 | ねこ&いぬ

地上波も、BSも、CATVも猫の特集を行っている番組が多い。

我が家のナナちゃんですが、我関せずで特別な行事もありません。

特別な食事も頂いていません。

でも、長閑な日を浴びてゆったりです。

撮影は、昨日の日向ぼっこの映像です。

 

 

ここからは、ダーウィンが来た!で放映されえているモンゴルのまんまる珍獣マヌルネコです。

 

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#066 -’20. 舞妓さんの追補版(ニコン一眼レフ版)

2020年02月21日 12時58分54秒 | 国内旅行

前回にアップした舞妓さんは、スマホで撮影したものです。今回はニコンデジタル一眼レフカメラで撮影したものです。

舞妓さんの舞と食事を頂く為に向かう観光バスの車内でガイドさんから説明いただきました。その内容と全く同じと言う訳ではありませんが、NAVERまとめのshinamon0217さんがまとめて舞妓さんの記事を引用させて頂きます。その大本はウキペディアからまとめたようです。以下のブルーの文字はシナモンさんの取り纏めからの引用です。

舞妓さんとは:京都の祇園を中心とした花街で、唄や踊り、
三味線などの芸で宴席に興〔きょう〕を添えることを仕事とする
女性のことで、芸妓の見習い修行段階の者をいう。

舞妓さんが居る花街:京都には現在、上七軒祇園(祇園甲部)、祇園東先斗町宮川町の五つの花街があります。それぞれに歌舞練場というお稽古場があり、芸妓さんと舞妓さんが所属しています。お茶屋さんと置屋さんが軒を連ねた風情ある町並みと、行き交う芸舞妓さんの姿はとても京都らしい風景です。

置屋さん:置屋さんとは、舞妓さんや芸妓さんが所属している「家」のことです。仕込さんの頃から住み込みで修行をし、舞妓さんになってからも置屋さんが衣食住の世話をします。 

お茶屋さん:お茶屋さんは、芸妓さんと舞妓さんを置屋さんから呼んで、お座敷でお客様が遊ぶ場所です。お料理屋さんから仕出しを取ったり、芸舞妓さんとお座敷遊びをしたりおしゃべりをしたり、色々な楽しみ方があります。

舞妓はんとは:舞妓さんとは、京都の花街で、唄や踊り、三味線などによって、宴席を楽しくさせるための仕事をする女性のことで、芸妓の見習い修行の段階です。

1  目の前で舞妓さんの舞を観るのは初めてです。だらりの帯の舞妓さんです。舞妓さんは宮川町からお越しになりました。

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3  「仕込み期間」が過ぎて晴れて舞妓さんになるわけですが、一年未満(以内?)の舞妓さんは下唇に紅はさしますが、上唇にはささないそうです。(ガイドさんより)従って、この舞妓さんは舞妓さんになってお座敷に上がるようになって、一年以内(未満?)です。

4  舞が終わってからの質問タイムと横に座りツーショットの撮影タイムがありました。

5  芸妓さんになると日本髪はカツラですが、舞妓さんは自分の髪の毛だそうです。寝るのも大変で箱枕だそうです。(姉が独身の頃のお話です。お正月に日本髪を結いたくて、何年も髪を伸ばしていました。ご近所のパーマ屋さんの方が日本髪が結えるので、それはそれは楽しみにしていました。姉にとっては人生で一度の日本髪でした。多分結ったのは桃割れです。これ以外、新婦さんの高島田しか思い浮かびませんから桃割れは有名な筈です。)舞妓さんの日本髪の種類は聞きそびれました。

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7  着物も帯も

8  お見世出しを経て舞妓さんに:いよいよだらりの帯をしめれる日がやってきました。舞妓としてデビューする日のことです。そしてそれぞれの花街のお師匠さんをはじめ、お茶屋さんに挨拶回りがはじまります。置屋さんの門を叩いた日からの待ちに待った自分の舞妓さん姿…それは、はじまりでもあるのです。

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12  だらりの帯です。着物は年に12着だそうです。

13   かんざし等の髪飾りの職人さんの映像を見るにつけ、残って欲しい文化であるとおもいます。

14  時代劇の番組が無くなると、色々の職人さん(カツラ、髪結い、かんざし製作者、その他諸々)の技術と文化が伝承されなくなるのか残念です。舞妓さんも芸妓さんも文化として末長く栄えて欲しいものです。その為にはお座敷に呼ぶのが一番ですが。

15   帯どめを撮影させて頂きました。舞妓さんの帯留めをぽっちりと言うそうです。『ぽっちり』は大変高価な芸術品です。宝石や珊瑚など置き屋で代々引き継がれた貴重なものです。実は、家内から帯留めと呼ばずに「ぽっちりと呼ぶんだよ」と助言されました。バスガイドさんが説明していたとの事でが記憶にありません。ネットで調べたら創業したての pocchiri と言うブランドのがま口屋さんたどり着きました。そちらからの引用です。実は、辞書にも載ってない京都の花街だけで使われている「ぽっちり」という言葉があり、舞妓さんが身につけている帯留めのことをそう呼びます。
この帯留めですが、舞妓さんが所属する館(やかた)で古より代々受け継がれているとても貴重で特別なものなのです、「ぽっちり」という名には、そんな存在でありたいという思いも込められています。
『がま口といえば、ぽっちりやね』と言ってもらえるように、商品やお店を通じてがま口の魅力をお伝えし、京都発で日本初のがま口ブランドを目指しています。ぽっちゃりではありませんよ。ぽっちりです。

因みに、大変若い方です。年齢を尋ねると教えて頂けました。舞妓さんになって7ヶ月との事でした。名前が印刷された千社札の様な名刺を頂きました。財布に記念に入れてあります。舞妓さんですから、『お金が財布に舞い込む』そうです。

 

日本人は我が家とあと一組のご夫婦と、外国人とカップルの日本人の5名でした。質問時間では我が家と一組のご夫婦で色々とお聞きしました。大変有意義な時間でした。

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#065-’20. ベオグラードの街歩

2020年02月21日 09時43分23秒 | 海外旅行(ヨーロッパ)

一人旅同士の男二人で、セルビアの軍関係のピンポイント爆撃で破壊されたビルを見学に行った帰りです。

セルビアはNATO軍など西側諸国から攻撃を受けていました。

前日まで一緒に住んでいた通りを挟んだ知人同士が狙撃しあっていたセルビアと隣国諸国。

セルビアでボスニア・ヘルツゴビナの戦いは特に凄惨をきわめていました。

冬季オリンピック会場のスタジアムは死人を埋葬する墓地になっていました。

セルビアの攻撃を受けているので自由に移動ができませんから死者を弔う事事すらままならなかったのです。

その為、死者を弔うためのお墓不足で冬季オリンピックが開催されたサラエボのメインスタジアムが墓地になっていました。(訪問した時の写真がみつかりませんので、今回はアップしません。)

 

西側諸国に嫌われていたセルビアでしたが、自由時間にバスの車窓からみたピンポイント爆撃されたビルを見た帰りです。

1   小さな教会で結婚式を挙げたばかりのようです。

2    新郎新婦のお二人です。写真を撮れ頂きました。幸多かれとお伝えしてきました。

3   重厚な素敵なホテルの外にカフェがありましたので、お茶することにしました。もちろん、セルビアの首都のベオグラードです。

4   御一緒した方のものです。

 

5   自分は JELEN ビール(イエレンビール)をお願いしました。既に味については記憶の外です。

6   道路には黄色いトラムなのかバスなのか分かりませんが長閑に走っています。

7   広い舗道だったかホテルの敷地内だったか記憶にありませんが、植木ポットで囲われてぢましたからホテル内かも。ラタンの椅子に座り待ちゆく人を見ながらのひと時でした。

8   海外ではトイレを見つけるもの大変ですし、基本有料です。それも、綺麗ならまだしも汚いところもあります。二人で街歩きですから、ホテルのトイレを借りることも念頭にお茶したしだいです。結構素敵な佇まいのホテルでした。

9    スワロフスキーのお店も入っていました。地元と言うより観光客が多い感じでした。

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#064 -’20. 北九州市とウェールズとの交流のあゆみ/Summary of exchange between Kitakyushu and Wales (long version)

2020年02月20日 21時23分34秒 | その他

隣国関係さんへ

隣国関係さんのコメントを受けて、そのご返事としてアップしたスレッドです。ある国を好きなる、ある国を嫌いになる事への見本の如くの対応だと思ってアップしました。一旦、好き嫌いに対するコメントはこれで終了させて頂きます。このユーチューブのアップした意味がより鮮明にご理解頂ければと思いこの文章を追記しました。

昨年開催されたラクビー・ワールド・カップで日本人の素晴らしさを世界に示してくれたホスト・シティーを務めてくれた各都市に感謝です。

今回のウェールズのホストシティは北九州市でした。オープニング・トレーニング・セッションでの選手入場時にウェールズ国家を歌う観客に驚きました。何度も見たユーチューブ動画でしたが、今回はロング・バージョンと素晴らしい交流満載です。北九州市民の歓迎に応えるべくウェールズ選手も試合の前の市民などとの交流に努めてくれていたことに感動です。

人は相手の存在を認め、好きになれば応えてくれるとの感情が湧いて来る素晴らしい『北九州市とウェールズとの交流のあゆみ/Summary of exchange between Kitakyushu and Wales (long version)』だと思った次第です。

リーガロイヤル  ホテルで開催された8分前後からの少女たちのウェールズ国家合唱には特に・・・・。

北九州市とウェールズとの交流のあゆみ/Summary of exchange between Kitakyushu and Wales (long version)

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#063 -’20. 京都ナイトツアー後半(ニコン一眼レフ版)

2020年02月20日 10時16分44秒 | 国内旅行

こちらは、しょうざんリゾートのしょうざんリゾート庭園です。素敵にライトアップがされていました。

京都ナビからしょうざん庭園の記事を引用させて頂きます。

北山台杉と紀州青石とを贅沢に使い、梅や楓を巧みに配した北庭園は、自然と人工とが見事に調和を見せる変化に富んだ造りで、台杉の林をそぞろに歩くことができる回遊式庭園です。
庭園内には、峰玉亭、聴松庵、玉庵などの建物が点在し、3月の梅、6月のしょうぶ、11月の紅葉、冬の雪景色と四季折々の景色が楽しめます。
毎年3月中旬には、「梅見の宴」6月上旬には「華しょうぶの会」を催します。

 

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3   北山台杉で京都の杉ですが、お庭に紀州青石とこの北山台杉が贅沢に配したお庭はここだけだそうです。

4   照明でライトアップされたのも素敵ですが、北山杉は京都産の杉として名をはせていますが、その中にあっても北山台杉は特別なもののようでしたから、昼間の明るい時に紀州青石と共に拝見したかったです。

5  醤油樽なのか味噌樽なのかはっきりしませんが、コーテッジとしては素敵かも。

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7   水もに写る風景も素敵です。

8   水面に反射している風景の方がピンとも合っている感じです。

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10   バスに乗ってしょうざんリゾートを後にして、東山山頂の展望場所からの京都の夜景です。ピンボケですが手持ちではここまでがやっとでした。

11   京都タワーが見えるご近所が我が家の泊まっているホテルです。

12   京都駅烏間口に戻ってきましたので、綺麗に輝く京都タワーを一枚撮影です。オートで撮影していましたがもう少し露出不足気味でシャッター優先モードで撮影すればよかったと思っています。

13   都ホテル京都のある八条口の近鉄モールを歩き帰ります。

14   世界的にも有名なハローキティちゃんです。

15   ホテルのチャペルを撮影しましたた、ロビーの照明が映り込んでしまっています。

16    ロビーです。

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#062 -’20. 江戸東京たてもの園のホンの一部

2020年02月19日 18時29分09秒 | 都内の公園&近郊の公園

ビジターセンタ―で入園料を払い今回は、向かって左側の西ゾーンを見学しました。以前に右側の高橋是清邸などを見学しました。

最初に入るビジターセンターは鉄筋コンクリート造りだとおもいました。中の説明者の解説を聞いて2600年(1940年、昭和15年)に式典会場として光華殿として建築されたものを移築されたとの事でした。移築されたビジターセンターは旧光華殿です。

1  ビジターセンター(旧光華殿)を通り入園します。ビジターセンター自体は無料で入れますが、こちらのたてもの園に入る所から有料になります。

江戸東京たてもの園で頂いた小冊子から引用させていただきます。

C1ビジターセンター(旧光華殿)1940年(昭和15年)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典の為に建設された式殿です。1941年(昭和16年)に小金井大緑地(現在の小金井公園)に移築され、光華殿と命名されました。江戸東京たてもの園の開園にあたり、ビジターセンターとして改修しました。(千代田区千代田/1940年)

2  係員の説明を聞いてそんなに由緒正しき建物とは知らずいつも出入りしていました。今回は説明受けた場所から振り返り撮影しました。今は銅板で葺かれていますが、本来は檜皮葺だったそうです。

3  ビジターセンターからたてもの園に入る左右の所に飾られていた物です。只の荒縄も雪吊りとして拝見すると素晴らしく美しいです。庭師の業ですね。また、日本瓦を縁石代わりに最近使用している所が多くなりました。大好きです。

 

4  日本庭園です。こちらの日本瓦の使用の仕方より前の物の方がどことなく幾何学的で好きです。

5  西ゾーンの常盤台写真場です。

健康住宅地として開発された郊外住宅地常盤台に建てられた写真館です。照明設備が発達していない当時、最も安定した照度を得る為に、2階写場の大きな窓には北側から光を採る事ができるように摺りガラスがはめ込まれています。(板橋区常盤台一丁目/1937年)

6  家内ともども撮影させて頂きました。

7  デ・ラランデ邸です。小冊子から引用させて頂きます。

この住宅は、元は平屋建ての洋館でしたが、1910(明治43年)年頃、ドイツ人建築家デオルゲ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わりましたが、1956年(昭和31年)から、三島海雲氏がこの住宅に住んでいました。1999年(平成11年)まで新宿区信濃町に建っていました。

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9   邸内は今は武蔵野茶房として営業も行っています。お茶などを頂かなくても中に入り撮影もできるとの事で入る事にしました。ただ、お茶を飲んでいる雰囲気を乱したくないから自ずと自己規制をしてしまう日本人です。

 

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11  素敵な邸内です。

 

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14  マホガニー材の家具のようです。

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16  こちらは暖炉です。

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