週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 我が家の通信環境

2016年05月03日 17時06分04秒 | たわごと(少し硬派に振って)
最近、ブログにアップする写真は殆どスマホで撮影した物になってきた。

今回アップするお花も今日スマホで撮影してアップしたものです。

因みに我が家のネット環境はCATVWi-Fi WALKERのルータに依る二つの方法である。
CATVを介してのネット環境は我が家を離れれば使えない。
それの弱点を補完する意味合いでWi-Fi WALKERを利用している。
しかし、これも一長一短で昔のピッチや携帯の如く利用できる電波の届く範囲がせまい。
原村の峠の我が家でもWALKERの電波は届かない。
原村からアップする時は、第三の方法としてLTE 即ち電話回線に乗せてアップしている。
この方法は金銭的に高くつく。
最大2980円/一日当たりかかってしまうのである。
でも、携帯で撮影してWi-Fi 、LTEでそのまま画像をアップ出来るのは簡単で手間が掛からずに利便性がよい。
SDをカメラ本体から抜き出してSDリーダー入れて読み取るか、USBコードを繋ぎ画像を取り込まなければならない。
そのチョットした作業であるが煩わしいのである。
そんな事もあり、最近はスマホで撮影して、そのままスマホにてアップする事が多くなってしまった。
電波(Wi-fi)でいとも簡単に飛ばせるのである。
スマホはニコンの一眼ほどピント及び速写性は優れていないが、ジックリと構えて撮ればそれ相応な写真が撮れる迄性能は向上してきた。
最近はコンデジでもミラーレスでも一眼でもWi-Fi 対応の物が発売されてきた。
欲しいけど、涙を飲むしかないのが現状だ。


こちらは玄関で今撮ったものです。
勿論スマホです。



スマホでアップした写真が余りにもピントが甘いのでスマホに名誉の為、再度します。
撮影は今から5分前程度です。
じつにかんたんです。
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§ 冤罪を憂い

2016年04月08日 11時45分24秒 | たわごと(少し硬派に振って)
取り急ぎ結論のみ。

今朝のニュースで今市市(現日光市)の女児殺害事件で本日午後3時に判決とのこと。

自供のVTRが証拠採用されたので有罪になる可能性が高いと思われる。

全てを録画していた訳では無いので、検察側に美味しい所だけ録画した可能性もある。

自供以外にめぼしい証拠が無いらしい。

疑わしきは罰せずで無罪になる事を願っている。



画像の追記
スレッドタイトルと少し馴染み難い気もしますが、たった今届きました。
クレジットカードでのポイント還元でお願いして居た物です。
物は audio-technica の防水性能IPX5のソニック・スポーツと言うインナーイヤーヘッドホンです。
今は iPod でABBAの曲を聞いています。



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§ 一人称の僕

2016年04月03日 15時17分05秒 | たわごと(少し硬派に振って)
最近TVを見て居ると良く感じる事一つ。

あなたは自分自身を何とよびますか。
男性の貴方に対する問いかけです。

自分自身の事を呼ぶとき、即ち一人称としてと使う事に、私は凄い違和感を感じる。
他人が使う事に対してもです。
違和感と言う程度の甘いものではありません。
いい大人が使う言葉でないだろうと思う程なのです。
違和感を感じる自分が可笑しいのか、使う方が可笑しいのかは分からない、でも書かずにはいられない。
こんな自分が変なのか!
自分自身が感じる感覚なので如何ともしがたい。
幼少期に育った時代&幼少期を過ごした地域や場所に依るのかもしれない。

私(わたくしではありません、わたしです。)が幼い頃育った地域では一般の方は公立小学校で、お金持ちの特権階級の御子息は私立小学校・中学校に通っていました。
勿論、私は由緒正しき歴史のある公立小学校でした。
制服などありません。
今の様に制帽もありません。(制帽は中学生からだったかも。)
鼻たれ小僧で学校に通っていました。
雨が降れば長靴を履き、傘を差して通いました。
下校時に雨が止めば、長靴は履かなければ帰れませんから履いて帰ります。
でも、傘は必ずしも記憶に残るとは限りません。
と言う事は、良く小学校に忘れました。
持ち帰っても、下校時にチャンバラ(今は死語で若い方には分からないと思います。ネットで調べてください。)しながら帰りますから直ぐに取っ手の所が壊れます。
黒いセルロイドの中に白墨の様な石灰の塊で出来た芯でしたから。
直ぐに折れるのです。
でも、公立小学校に通う親はその程度の壊れ方では新しい傘は買ってくれません。
私立の小学校に通うおぼちゃまはその様なはしたない遊びは勿論いたしません。

そんな地域性がなせる業なのでしょうか?
制服を着て、制帽を被り私立小学校に通うガキ、間違えましたおお坊っちゃんでした。
ズボン(今風に言えばパンツorスラックス)は必ず半ズボンでした。
今より格段に寒い東京です。
それでも外套を着てもズボンは半ズボンでした。
それがステータスだったのかもしれません。
私は子供の頃、半ズボンなど履いたことはありません。
親に買ってなどと言おうものなら気でも触れたかと思われるのが落ちでした。

前振りが長くなりましたがここからが本題です
前書きは、自分の育った時代や環境を理解して貰わなければ、その違和感が分からないと思ったからです。)
はなたれ小僧の公立の小学校に通う餓鬼はと自分自身の事を呼んでいました。
小さなはなたれ小僧なのに、いっちょまえにです。
別に粋がって使っていたのではないのです。
周り全体が使っていますから至って自然体で使用していました。

私立に通うお坊ちゃまは、親や女中さんから僕ちゃんなどと呼ばれていました。
勿論名前で呼ばれる事の方が多かったかもしれません。
そのお坊ちゃんが、自分自身を指す言葉として『』と言うのが普通でした。
間違っても、俺などとは言いませんでした。
子供がわたし(私)と言う事もありません。
なので、幼少期より金持ちの餓鬼が自分の事を言う一人称の言葉が即ち『ぼく、ボク、僕』だと思っていました。
即ち自分の脳裏には僕=幼児or子供言葉との固定観念が長い時間を掛けて構築されています。

幼児・児童言葉から大人の言葉に変わる時は心の葛藤がありました。
葛藤と言うと少し大袈裟ですが。
でも、自分自身の親を呼ぶとき、子供言葉として「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼んでいました。
高校生・大学生になって迄、「お父ちゃん」「お母ちゃん」は無いだろうと思い、呼び方を変える時のその心の動きは複雑でした。
(NHKの朝ドラの『あさが来た』では、子供を生んで親になっても「お父ちゃん」「お母ちゃん」と言っていましたが。)

広辞苑で『僕』を、国語辞典で『僕』を何と言おうが私自身の心の中に沸き上がる違和感はぬぐいされないのです。
「いい大人が使う言葉では無いだろう」との感情と言ってもよい感覚です。
いやしくも、意見を述べるコメンテーターが公共の電波に乗せて発言する言葉(子供言葉との意味で)ではないだろうとの気持ちなんです。
わたくし(私)は堅苦しくても、立派なわたし(私)の大人が使うべき言葉が存在するだろうと思うのです

言葉は生き物ですから、時と共に変遷していくのは致し方ありません。
古い感覚にとらわれている自分自身が異端児なのかもしれません。
でも、その偏屈者の異端児の違和感も理解してほしいとアップした次第です。

本音は「わたし」を使えよ!との気持ちです。

真理があり正しいor間違っているとの論旨ではありません。
此処に載せたのも一つの考え方として捉えて頂ければ幸いです。


小学校の画像の追加です。(意味のない只のおまけです。)
今では芝生の校庭です。
自分の小さい頃と大違いです。

でも、校庭はボールが校庭外に飛んで行かないためでしょうか。
ゴルフ練習場みたいに高いネットで覆われています。


細々と。
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§ マイナス金利と世代間闘争

2016年02月25日 17時17分53秒 | たわごと(少し硬派に振って)
日銀が初のマイナス金利を適用した。
総てでは無いらしいが、銀行が日本銀行にお金を預けると手数料たる金利がつく。
お金を預けて手数料たる金利が付くなど、高度成長の右肩上がりの時代に育ってきた自分とすると不思議な感覚がする。
市中からお金を預かり、お金を必要とする人に貸し出しその利ザヤを稼ぐのが大きな銀行の仕事だった。
少ない額を集めて、大きな金額にして企業の発展の素地たる財政を支えていく。
しかるに金が廻らない。
AさんからBさんへ、BさんからCさんへ。
そしてCさんからAへとお金が何回も何十回も、何百回も廻れば経済は発展するしGDPは拡大する。
なのに、銀行が貸付たい企業は内部留保でお金を持ちすぎている。
最近は如何に資本を有効に利用しているか問われる事になり、ROA・ROE等の指数の改善を目指すようになってはきた。
でも、トヨタですら一時はトヨタ銀行と揶揄される程であった。

マイナス金利のニュース解説で超低金利で企業が資金を調達して、企業の発展に費やす事が出来ると解説していた。
教科書ではそうかもしれない。
(それこそ右肩上がりで資金需要が旺盛な時代ならいざ知らず。)
でも、現実の日本企業(大企業)にあって、資金がだぶつく内部留保を考えても、また、市場規模の拡大が望めない中に有って設備投資を図る資金需要がどれ程あると思っているのやら。
教科書は絵に描いた餅になりかねないのである。
経済はそれ程単純ではないのである。

でも、大きな救世主が存在する。
それが、働く若い家族を持つ世代への恩恵なのである。
自分たち・年金泥棒の世代と異なり、将来に希望を見出しにくい現役世代に在ってはマイナス金利は朗報である。
日本の資産の殆どを所有している年金世代。
資産運用で潤う事も厳しくなり、実社会で活躍する世代が我が家を超低金利にてゲットする事がし易くなるのである。
利子が殆ど無いと同じで、住宅などを購入する長期に借入のマンションや戸建ての購入者にはこれ程の朗報はないのである。
現役世代と年金世代の世代間確執が心配される現在にあって、少しでも資金を必要とする世代にお金が低利子で流れるのである。
こんなに良い事は無い筈である。
世代間の軋轢解消には程遠いいかもしれないが、前進で有ると思っている。

小銭は貯め込んでいる御仁は、金庫を買って箪笥預金してはなりません。
所詮、天国にも地獄にもお金は持っていけないのです。
循環する価値ある血液としてお金を使って欲しいものです。

TV番組風に「今日の出来事」:
○ 今月末でジムを退会する。
運動出来るのも今日と月曜日のみである。
で、運動をしに行ったと言うよりお風呂に入りに言った感じである。

○ その後、車の定期整備に行って来た。
買って二年目とのことであった。
走行距離は14000キロでした。
タイヤ&ブレーキパッド残量点検。
エンジンオイル&フィルター交換。
ワイパーブレード(L&R)交換。
10年耐久のボディーコートの点検。
セットで整備コースを入っているようで無料でした。
でも、無料で洗車してくれますが、室内清掃をお願いしたためにそれだけが有料でした。

○ 原村から住宅用地特例の該当通知が届いた。


エジプト旅行の画像です。





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§ アメリカ大統領候補・トランプ氏

2016年02月24日 17時53分33秒 | たわごと(少し硬派に振って)
共和党次期アメリカ大統領候補の選挙でドナルド・トランプ氏がネバタ州で勝利した。
一時は、奇をてらう泡沫候補かと思っていたが、どうしてどうして。
リベラル的な民主党と保守的な色彩の強い共和党の戦いですから、指名候補の前半の選挙戦でトランプ氏が勝利しても可笑しくないと思っていた。
しかし、スーパー・チュースディーが近づいて来たこの時期でも勝利しているとは驚きである。
反対に共和党の本命と思われていたブッシュ帝国のジョン・エリス・ブッシュ氏が立候補を辞退した。
(クリントン家とブッシュ家の選挙戦はこちら。)


日本人が想像しているアメリカ人はどんな思想を持ち、どんな生活態度を取る人達を連想するのであろうか
民主的で柔軟な考えを持ち、世界の自由主義社会を率先していく思想的考え方を持つ国民・それがアメリカ。
でもそのように単純に色付けできるのであろうかと。
正直、自分自身がアメリカ人をいっしょくたに出来ない程変化に富み、地域性に飛んでいる事に気付かされる。
一部の南部諸州では、進化論が信じられてもいないし、教育もされていない。(現在は知りません。)
卑しくも神が造りし人間が猿から進化したなど認める事が出来ないのである。
日本でも法律家で国会議員の信じられない人種差別的な発言を耳にしましたが。
アメリカでは今でも堂々と人種差別は行われているのです。
公民権運動以前には公然と行われていた白人と有色人種の差別は形を変えて今でも存在するのです。
勿論地域的に保守的な南部諸州に多い出来事です。
素敵なレストランに北部から来たアフリカ系アメリカ人が入店しようとしても入れないのです。
地元のアフリカ系アメリカ人は裕福でも最初からその店にはいきません。
入れない事を知っているからです。
どのようにお客を選択するかは至って簡単です。
アフリカ系アメリカ人がくれば予約で一杯と断ります。
席が空いていてもその席は予約席ですと人種を前面に出さずとも至って簡単に断る事が出来るのです。
そんな事も私達日本人が旅行で立ち寄っても知る事が出来ないのです。

多様な価値観を持つアメリカの奥深さ。
良い悪いは別にして、国民皆保険を自由主義経済を国家が蹂躙するとの考えで反対する国。
アメリカ修正憲法で国民が武装する権利を保証して銃を持つことを認めている国。
宗教心に厚く超保守的な人々の多く住む国。
30年以上前にアメリカに行った時、アーミッシュの地域を訪問した。
開かれたアメリカで馬車に乗り文明を拒絶しているようにおもえたその生活。
良心的兵役拒否者として兵役に就く事を拒否する事を認められた福音派の一部。

知らないアメリカの側面を炙りだしてくれるトランプ氏。
アメリカが地盤地下すればする程、トランプ氏が唱える説に共感する選挙民が増えるのです。

追記:不動産で大儲けした大富豪が大統領候補として自分の過激な主義主張を述べる為に立候補した泡沫候補位に考えていた。
如何に大富豪でオピニオンリーダーとして影響力があったとしても、自己の主義主張をこれ程ニュースに上る事はない。
その論旨が全くアメリカの一般の選挙民から隔絶しているのであれば、本当の泡沫候補として消え去る運命にある。
しかるに三連勝である。
州により大きく異なるアメリカにあっても、一部の州では絶対な賛同を得ているのである。
もし、最終的に共和党候補として残れなくても、その主義主張の一部は声なき声として他の大統領候補に多大な影響を与える事は間違いない。


画像はエジプト旅行です。


















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§ 情報格差

2015年12月27日 22時17分21秒 | たわごと(少し硬派に振って)
パリでのテロ事件。
エジプトでのロシア機の爆破事件。
どれをとっても痛ましく、悲しい出来事である。
その悲しみは、その事件の被害にあった人の多さで計れるものでは無い。
しかし、被害者の多さから言えばアメリカの9.11は多数に亘った。
それも宣戦布告する事無しに、戦闘員即ち兵士でもない一般人に銃口が向けられているのである。
それがテロであると言ってしまえばその通りであるが。
戦争であっても、無差別爆撃によって戦士でない罪もない民間人が犠牲になりだした第二次世界大戦(スペイン内戦を含む)。

幾多の紛争でも戦争でも非戦闘員が巻き添えを食って被害に会う事が多くなった近代戦。
民間人である非戦闘員が犠牲になれば成る程、加害者である国の軍隊への憎悪が増してくる。
一般人がテロの被害になると犯罪に会った悲劇の人々として世界から哀悼の意が示される。

情報の氾濫する現代社会において自分達が見ている社会、世界は実像でしょうか?との問いかけです。

テロを肯定している訳ではありません。

世界で紛争などにより人命が失われている現在、正しい情報を私たちは持っているのでしょうか。
それは自分は正しい情報を持って正しい判断をしているとの錯誤の中に有るのではないのでしょうか?
国家が国民を操る積りで情報を操作しても必ず漏れる現代社会ですから、私たちは正しい情報を得ているとの錯覚に陥っていないでしょうか?との自責の念です。

ベルリンの壁が崩壊したのが1989年ですから、既に30年弱経とうとしています。
誰でも知っているこの壁と同じ壁がパレスティナには造られているのです。

シリアでの内戦の現実もトルコ等中東でのクルド人の扱いなど、メディアの対象に成らない情報は私達の耳や目には入ってこないのです。
それでも世界中に生活している人たちが存在しているのです。

パリでのテロもその他の国のテロもニュースバリーが有るか無いかのスクリーンが掛かり選別されているのです。

その情報の格差が益々増大してきていると感じるのは自分だけでしょうか。

ニュースは嘘をついてはいません。
でも、そのニュースにニュースバリューと言う基準が付いて回るのです。
価値の無いと思われるものは私達の所迄伝わってこないのです。
それが情報格差なのです。

世界の主要国がニュースの発信源でなければ、ニュースとしての価値が無いのです。
如何にその国民が独裁者によってしりたげられようが、人権を踏みにじられようがです。
生命を賭して紛争地域に入り正しい情報を流せたとしてもその情報は亜流なのです。
大国や超大国のメディアの力には勝てないのです。
好むと好まざるに拘らず、私たちはスクリーニングされたニュースを見聞きしているのです。

ニュースが溢れ何でも手に入ると思っているなら、それは錯覚であり錯誤です。
手に入れる目が有り気持ちが無ければ入らない世界になってきているのが現実です。

後日加筆構成します。
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§ ギリシャの悲劇はつづく

2015年12月27日 21時45分24秒 | たわごと(少し硬派に振って)
過去のギリシャ悲劇の話ではありません。
が間に入った現在進行形のギリシャの悲劇です。
細かいですが、ギリシャ悲劇とギリシャの悲劇で、が入るだけでも大きく異なります。

偏屈者の穿った見方のギリシャの側面からのスレッドです。
1981年EUに加盟した事にその日、悲劇が始まりだした。
イギリスのようにEUに加盟しても、ユーロを採用して居ない国もあるから、正確には2002年ユーロを採用した事にギリシャの悲劇は端を発しているのです。
一般的には、財政状況を虚偽の申し立てでユーロを採用したと言われている。
勿論、ユーロを採用するためには厳然たる基準(マーストリヒト条約など)が定められている。
その基準を満たしていないから嘘の申し立てをした事は事実。

話は飛んで2015年の9月のギリシャです。
20日に投票された総選挙の結果、チプラス氏が引きいる与党・急進左派連合が勝利した。
チプラス氏が首相を続投することになりそうだ。

ここまでは今年の9月に書き終えて、ぷつっと筆が進まなくなってしまった。
年を越してしまうので理論が纏まらないが、12月27日に書き始める事にした。


何がギリシャの悲劇なのかとのことである。
通貨のユーロを採用していることに伴う悲劇なのである。
一般的には強い通貨のユーロを採用しているからこそ財政状況に見合わない破たん国家なのに持ち堪えていると言われている。
それこそがギリシャにとって悲劇なのである。
ユーロでなくドラクマなら財政破綻(デフォルト)して借金の一部分を債権放棄してもらい、通貨を切り下げて経済規模を適正化する事が出来る道がある。
でも、現在のギリシャにとっては強い通貨のユーロである。
国情に合っていない通貨の為にギリシャ経済が浮上する事は決してないのである。
ドラクマで通過を切り下げてその経済規模に見合った通貨価値で国家再生ができないのである。

この事がギリシャの悲劇が今尚続いているのである。
ユーロを支えるドイツ。
ドイツにとってはギシリャ&スペイン&イタリアなど財政状況の良くない国を足して平均した状態での通貨の強である。
ドイツの国情を反映していない安い通貨価値で得しているのである。

その事がギリシャの悲劇の終焉を迎えない事につながるのである。

ユーロ圏内から分離している英国のポンドを国情に合わせて高くなってきている。
ドイツのマルクなら英国ポンド以上でもおかしくないのである。

声を大にしてもう一度同じことを述べる。
ギリシャの国情に合った通貨では無い、ユーロではギリシャの危機は解消しないのである。
理想で通貨をユーロに統一し、理想で国境を開放(シェンゲン協定)した壮大な構想が崩れ去るのであろうか。

後日、加筆構成するかも。






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§ 東日本大震災から4年9か月(12月11日)

2015年12月11日 21時49分25秒 | たわごと(少し硬派に振って)
あれ程の大震災は世界でも滅多に起きないマグニチュードであった。
その後に襲ってきた巨大な津波で世界が驚愕する程の大震災になってしまった。
今日のNHKニュースを見て4年9か月もたったのかとの思いである。
直接的な被害を被る事の無かった自分自身の記憶にも鮮明に残っている。
4年9か月にもなるとは思えない程のつい最近の出来事に思える。
全ての記憶が時と共に記憶の深淵に落ちて行き心を忘却と言う時の流れで悲しみを流し去ってくれる。
でも、今回の東日本大震災はその悲しみの大きさ深さからして心から消えていかない。
5年弱過ぎ去ろうとしているとはとても思えない。
直接的な被害を被る事の無かった我が身ですらこの様に感じるのであるから、今でも肉親を失い、避難所に入る方の心痛を思い図る事はたやすくはない。


震災に遭遇して命を落とした方が沢山いる上、津波に依って今でも多くの行くの不明者が存在する。
人間の命の儚さを思わずにはいれれないし、津波から生還した方と呑み込まれて命を落とした方との判断、行動に違いは何だったのだろう。
運命と決めつけるのは簡単であるが、災害に有っても生存する為の努力を考えねばと思う。
さもなくば、願う願わないに拘らず命を落とした方たちへの鎮魂の思いにならない気がする。

今日、岩手県陸前高田市長戸田太さんから「陸前高田がんばっぺし応援寄付金」のお礼のリンゴと文が届いた。





東京電力の経営陣の経営陣の判断の誤りが無ければ今日程の沢山の方達の故郷を失わせることもなかったと思うと、決して許すことが出来ない。

今日のNHKのニュースを見て疑問に思った事。
岩手県宮古と福島県いわき市の今なお行くヘ不明の方を捜索していました。
警察官が横一列に並び、小さな熊手のようなもので河川の土を掻いて行くヘ不明者を探していました。
それも熊手で引っ掻くのは表面から数センチです。
片やもう一か所の捜索でも長い警棒のようなもので地面を突っつていました。
こんな事で、こんな方法で本当に不明者を捜索できる気でいるのでしょうか。
この捜索方法を実行して何の疑問も感じない警察官僚(不満を抱く対象は一警察官ではありません、その上に立つ警察官僚です。)に疑問を感じずには居られませんでした。
真に探すのであれば実効力のある方法が有る筈です。
それとも、NHKのニュースで放送される事だけのパフォーマンスなんでしょうか。
沢山の警察官を動員して税金の無駄にしか見えませんでした。
不明者の親族の気持ちを思えばより良い方法が有る筈です。
こんな気持ちを抱く自分がおかしいのでしょうか。

画像は全てスマホにて撮影

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§ 議論のできない日本人

2015年09月18日 22時38分06秒 | たわごと(少し硬派に振って)
国会中継を見ていても、ネットの画面を見ていても感じること。
それが、議論のできない日本人と感じるのは自分だけなのか。

自分が高校、大学時代、今で言うコンビニの前にたむろしている若者の如く、たむろできるところで主義主張を交わしていた。
それは、自分の信じる主義の事もあるし、政治的な事もあり口角泡を飛ばしていた。
一緒に遊び歩いて帰宅してきて、自宅の前で別れる直前に激論が始まり真夜中なのにご近所迷惑を顧みず、母に怒られたのも一度や二度ではない。
激論を交わしてからと言って、友情関係が壊れる訳ではないし、ダダ自分の物事に対する考えや思いの丈をぶつけ合っていた。
時によっては、ディベートの如く議論に勝つ事に目的を置くような議論に陥っている事もあった。
只々、相手の論理を看破することに主眼を置くような議論になる。
それこそ、本筋で論破で出来ればぐっすり眠りにつく事が出来る幸せな夜になった。

今では、自分と異なる意見を持つ者に対して、感情的で中傷するような意見しか言わないような気がする。
人間100人いれば100通りの考えが有って当たり前。
なのに、自分と異なる考えを認めず議論もせずに中傷する。
同じ価値観を持った者同士が「いいね」を言い合っている閉鎖的な社会に閉じ籠る。
このように思えるのは天邪鬼な自分だから感じるのだろうか。

仲良しクラブだけでは、豊かさも奥深さも無い社会になってしまうと思うのだが。


国会も議論を交わすことなく、…戦術におぼれている。

ネットでは、反論する時は匿名で相手をけなすだけの世界。

今の、高校生も大学生も仲良しクラブの延長線上にいるのかも。
未来を憂い、未来を思い、未来を切り開き、未来を開拓していくためには議論を交わし、多様な意見のシャワーを浴びるべきだと思うのだが。

昔から国会議員は議論を交わす教育を受けてこなかったのかもしれない。
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§ イルカ&クジラ食と猫&犬食について

2015年09月11日 18時02分31秒 | たわごと(少し硬派に振って)
あなたは猫派ですか?
それとも犬派ですか?
こう尋ねられると、猫を飼って居る人は猫派と答えるとおもいます。
犬を飼って居る人は犬派と。
愛玩動物(ペット)の世界では10年以上前から猫も犬も伴侶動物と呼ばれるようになりました。
猫も犬も大切な家族の一員として(過保護に)育てられています。
時に依っては子供の発達期の情操教育を兼ねて生き物と接して命の大切さを学ぶと言う事で。
時には子供の居ない家庭にあっては、我が子の代わりに愛情の対象物として。
時には成長して親元を巣だって行った我が子の後の愛情を注ぐ対象物として。
理由はどうあれ犬も猫も大切な家族の一員である事に変わりありません。
亭主に優しい声を掛けずとも、愛猫、愛犬には優しい声で話しかけます。
それは猫も犬も飼い主にとっては、愛情を注ぐ掛け替えの無い対象物だからです。
そんな愛犬家&愛猫家にとって、犬や猫の命を安易に奪う行為に同意できますか。
それこそ、その掛け替えの無い生き物の肉を食べる国があるなど信じられますか。
お隣の中国や韓国、朝鮮では未だ犬の肉を食べる地域があるようです。
NHKBS1で中国でのチベット犬人気の衰退後の(チベット犬の処分を兼ねて業者が秘密裏に買い求める)犬食の被害を防ぐ活動が行われていた。
大多数の日本人からすれば、犬の肉を食べるなど野蛮もこの上無いと思うのが一般常識のはず。
過去から延々と続いた犬食文化など通じません。
犬を食べるなど人間としてあるまじき行為と映るのが一般先進国です。

既にイルカもクジラも人間と同じ感情豊かな哺乳類としてペットではありませんが、伴侶動物と変わる事の無い対象物なんです。
この事を日本人は理解して居ないのです。
過去にクジラ肉を食べて育った食文化があるなど食べる事への理由付けにはなりません。
犬食文化と変わる事のない野蛮な行為として先進的な諸外国には映るのです。

日本に於いて過去の哀愁、思い出としてクジラ肉ないしはイルカの肉を食べたいですか?
クジラの肉を食べる事ができなくても困る事など微塵も無い筈です。
栄養的にもクジラ肉&イルカの肉を食べずとも、世界に誇る日本食が有るではないですか。
世界の常識に反発して調査捕鯨を行い、イルカの追い込み漁をする必要は無い筈です。
それとも頑固に主義主張をして、世界の常識をわきまえない野蛮な異端児とのレッテルを張られたいですか。
捕鯨をしない国がIWCに多く参加して、持続可能な食物としての捕鯨活動が禁止されたなど、既に次元の違う話なのです。
クジラやイルカは猫や犬と変わる事の無い対象物としての地位を確保しているのです。
如何に学術的に反論しようとも、如何に理論的に反論しようともその議論は嚙み合う事は永遠にないのです。
日本人はこの事を理解して居ないのです。
既に議論の場は理性では無く、感情の場であり情緒の場なのです。
勝ったまけたの世界では有りません。
日本がこれから世界でどんな位置に立ちたいか、世界の人達にどのような影響を与えたいかの問題なんです。
理論で勝って、世界から野蛮な国民であるとの蔑みを受けたいですか。

産業形態も時代と共に変遷していきます。
クジラ漁で生計を立てずとも、イルカ漁で生計を立てずとも日本経済はその人たちを立派に吸収していく奥の深さをもっています。
転業し、他の漁で生計を立て世界に誇れる地球上の動物にも目が行き届く暖かさを持った日本人と賞賛される地位に就きたいものです。

先日の雑感で述べましたが、太地町のイルカ漁の解禁のニュースを目にし、調査捕鯨の船が出港したとの報道を目にして再度アップした次第です。

【雑学】
以前、基礎医学・薬学の分野で実験動物と言えば猿類や犬などが使用されていた。
獣医学の講座でも実験動物学が存在した。
人間の命を守る貴重な医学薬学の世界ではどうしても、事前の臨床実験に先立ち動物実験が必要である。
今は高等な動物から下等な動物へと対象を変えていっている。
動物に対する倫理観の変遷の成せる業なのである。

犬の世界で言えば、あの靴の宣伝で一世を風靡したビーグル犬が多用された。
多用されたと言うより、実験動物の犬と言えばビーグル犬を指した。
忍耐強く、実験動物には最適な性格が災いしてしまったのである。
でも、今は如何に人間の命を救う為とは言え、高等な猿や犬に頼る事を極力回避しているのである。
それ程、動物にも人権と変わる事の無い権利を認めようとするのが世界の趨勢なのである。
コメント

§ 2015年8月15日を迎え

2015年08月16日 10時52分34秒 | たわごと(少し硬派に振って)
1945年の8月15日に終戦をむかえ長きに亘った戦争も終結した。

自分を含み殆どの国民が戦後の世代に移行した時代になった2015年の夏。
戦後70年の日本。
組織的な戦争も終わり、第二次世界大戦が終結した。
その後も世界を見回せば、お隣の朝鮮半島は言うに及ばず、殺戮の紛争が絶えない。


なのに、世界に紛争など無いか如くの平和な日本
平和の果実繁栄を謳歌して来た日本人

自分の人生と重ね合わせると、辛苦を甘受しなければならない世界の人々と比べると幸せこの上ない。
戦後とは言え、多分世の中は貧しく簡単には食料も手にする事が出来ずに居た筈である。
親の温かい庇護の下、決して裕福な今のような社会で無かったが、幼すぎた為かひもじい想いの記憶はない。
戦後の日本人世代は、ひもじい想いもせずに、戦争や紛争の為に生命の危機を感ずることも無く生活してきている。

この地球上に性を受けた人類でひもじい想いをせず、生命の危機を感じる事無しに生活して来た人は一握りだ。
有史以来人類は絶えず飢餓と戦の歴史であった。
人類は人間同士の戦の無い時代は片時もなかった。
英知が発達して文化が進んでもこの事に変わりはない。

21世紀の現在に於いても、食料に窮して紛争により生命の維持すらままならない国民は枚挙にいとまがない。

なのに我ら日本は70年の長きに亘り、自然災害はあれど飢餓にも苛まれず、戦争や紛争にも巻き込まれる事無しに歩んでくることが出来た。
無神論者の自分ですら神に感謝し、次の世代にもこの平和と安寧を願ってやまない。

自分の成長と共に社会全体が裕福になる右肩上がりの世に育まれた自分たち。
終戦の記念の日にこの幸せを感じずにはいられない。


平和は政治に依って大きく左右される事象である。
自分達が謳歌して来たこの幸せを次の世代に繋いでいく責任があると感じる一日だった。

窓の外ではミンミンゼミが鳴いている。
一匹だから蝉しぐれと言う程五月蠅くはないが、一匹でも結構うるさく特徴のある声である。
幸せな日本、幸せな世界を考える貴重の一日。
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#252 -’15. 戦後70年談話を聞いて

2015年08月14日 19時22分31秒 | たわごと(少し硬派に振って)
歴代内閣が継承して来た歴史認識を談話の中に含まれていた。
個人的な安倍総理大臣の政治姿勢や政治信条が好きな訳ではない。

でも、以前の自民党総理と少し異なる感じがする。
個性豊かだった小泉さんと安倍総理の政治姿勢なのか、自分の言葉で自分の考え方を表明するようになった。
好むと好まざるに拘らず、良い傾向だと思っている。
意図を隠して、述べずに済ませる政治家ではあって欲しくない。

自分の考えを違えて迄、近隣諸国の友好関係を構築すべきだと思わない。
真に言葉と言動が一致して近隣諸国&世界諸国と友好な関係を繋げれば最高である。

(続くかも)
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#248 -’15. 日航機墜落 阻まれた究明

2015年08月09日 23時18分44秒 | たわごと(少し硬派に振って)
『日航機墜落 阻まれた究明』との見出しで日本経済新聞の2015年8月8日(土曜日)発行の朝刊に載っていた。
週刊誌の中刷り広告ではあるまいに。
週刊誌の刺激的なタイトルで雑誌を購入してくれたり、記事を読んでくれれば良いとの紙面構成は如何なものかとのスレッドである。

新聞記事やTVニュースなどは購読者や視聴者に誤解を与えるべきでは無く、正しい情報を知らしめるべきと考える。

39面の副題は「修理ミス原因」米社聴取応じず とある。
この紙面を書いた記者及び編集者には暗にこのような意図が含まれている事が読者に伝わる。
その意図とは:ボーイング社の修理担当者からの事情聴取が叶わずに、原因究明ができなかった。
それって、数百名の犠牲者を出した事故に対する正しい対応では無く、指弾されるべき行為では。
と。

正確を帰す為に紙面を引用させて頂く。
記事の中段から: 事故機は78年6月、大阪国際空港(伊丹空港)で着陸時にしりもち事故を起こし、損傷した圧力隔壁の下半分を交換していた。この際、ボーイング社の指示書通りの修理がされず、上下の隔壁をつないだ箇所のリベット留めが不十分で強度が足りない状態になっていた。 修理ミスの経緯を解明するため、事故調査委員だった幸尾治朗さん(91)は86年3月、米シアトルのボーイング社を訪ね、「修理担当者に会わせてほしい」と求めた。だが、同社側は「もう、いない」と繰り返すばかりで応じようとしなかった。
 故意がない限り刑事責任を追及されない米国の事故調査と異なり、日本では事故調の報告書は鑑定嘱託を通じて警察の捜査資料に使われる。幸尾さんは「刑事訴追を恐れたのだろう。当事者から話を聞くのは事故調査の基本だけに、悔しい思いをした」と振り返る。


間違いなく、アメリカでの事故では故意でなければ訴追されない事は記事の中に書かれている。
再掲すると『故意がない限り刑事責任を追及されない米国の事故調査と異なり、日本では事故調の報告書は鑑定嘱託を通じて警察の捜査資料に使われる。』としっかり記載されている。
それでも、タイトルを読んだ読者がこの短い文の中での日本とアメリカでの航空機事故の真相解明の前提条件の違いが理解できた人が何名いたのだろうか。
せめて、日米の航空機事故の真相解明に対する方針や法体系を脚注する必要が有ったとかんじるのである。

くしくも先日の#229 -'15. 不作為を恨み のスレッドの中に航空機事故の調査について記述している。
8日の日経の記事を意図して不作為を恨みをアップした訳ではなかった。
でも、8日の記事を読んで新聞記事に関する感想として今回アップする。

1985年8月12日に御巣鷹山の尾根に墜落して天国に旅立たれた、乗客&乗員520名に対し天国にで安らかで有れと祈ります。
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#240 -’15. 許す事、許さぬ事

2015年08月02日 10時21分13秒 | たわごと(少し硬派に振って)
人を許す事。
大きな心を以て他人の行った誤った行為を許す事。
故意・過失に拘らずに誰でも誤りを起こすのは人間の性です。
許す事』何と心地良い響きであり爽やかな風が漂うのだろうか。
誰に対しても寛容で、人間関係も波風が立たず、時に依っては美談にもなる。
人間の本性は「善」であると。
寛容、寛大な心をもって他人も自分も見つめるこころ
その心には憎しみとか妬みとか誹りとかの文字が無いが如くの清らかな思想しか存在しない。
傍で見るだけでも心地よく、地球上にいがみ合いなど存在しないが如くの心地よい風が通り抜ける。
イソップ寓話の「太陽と北風」を読んで育ったのに。
なのに、この性善説に立つ心暖まる寛大さが気に食わぬ。
なんと、醜い狭い心を持った人間なのかと自問自答してしまう。

勿論、天邪鬼の私のブログです。
異を唱えこそすれ、同意する内容ではありません。
人の過ちを許さずに責める、料簡の狭い小さな人間と思っていただいても勿論結構です。
実際の度量の狭い小さな人間の自分のブログです。
故意であれ過失であれ人を罵り咎めずにはいられない。

度量の狭い意見を述べる前に、異なる側面から一言。

他人を誹り、咎める事は自分自身も他の方から誹り咎められるのである。
非を大目に見て見過ごされずに、咎められるのである。
自分自身が背筋を伸ばし清く正しく生きているかはわからない。
でも、社会全体が他人の誤った行いを咎め正す事は自分の行いにも跳ね返ってくるのである。
しかし、現在の日本の状況を見るにつけ、安易な人間関係の妥協の産物の様に感じてしまう。
他人を咎めぬ代わりに、自分の非も咎められずに許してもらう安易な社会に見えるのは自分の天邪鬼の心がなせる技なのか?

今回このスレッドを書き上げる気持ちにしてくれた物がこちらです。 
先日、新聞に『太平洋戦争 DVD全集』なるものの販売の広告が載っていた。
TVのコマーシャルでも何度も放映されたいた。
神宮外苑での学徒出陣の映像とお○○戴の言葉が流れていた。
学徒出陣といい、神風特攻隊といい、何の罪のない人たちがお国の為にとの言葉に。
自己の人生を選択する事も出来ずに、指示命令に従い時の運命に翻弄される人々。
その時の日本国民、下級兵隊には悲しみを禁じ得ない。
その時代に生まれたと言うだけでこれ程の苦しみを味わう人生。
その時代を先導して国民を誤った方向に導いた責任は決して小さくない。
大きな大きな責任を負わねばならない筈である。
しかるに、その時の政治家&高級官僚&参謀本部など高級軍人など責任を問われてきたのだろうか。
占領軍から指弾されるのではなく、日本国民の中から責任が追及されてその過ちの責任が咎められなければならない筈である。
罪の意識に苛まれて自決するのと、責任追及は別物である。
死んだから死者に鞭打つことなく、無罪放免にして咎めるのを止める事は同じ環境下では又その悲劇が繰り返されるのである。
良い事は良い。
悪い事は悪いとして咎められて、二度とその過ちを起こさない堅い決意が必要ななずである。


東京電力の福島原発事故前からの経営陣など自分は決して許す事ができない。
福島の人だけに拘らず人類全員&それから地球上に生存する生物全体に責任があると思っている。
想定外の津波が来た等など真っ赤なウソである。
津波到来時の1〜2週間前に巨大津波の報告書を出しているのである。
確率の問題として却下したにしか過ぎない。
原子力発電は既に神の領域に足を踏み入れたのである。
考えられる最大限の対策をせなばならなかったのにそれを怠った責任は重大である。

天邪鬼の自分としては、他人に対しても自己に対しても甘い社会が良い社会なのかとの思いが言わせる言葉なのかもしれない。

悪い事は悪い、良い事は良いと。


おまけの画像。
幸福を呼ぶポルトガルの雄鶏のガロです。
ガイドさんの説明を良く覚えて居た家内。
無実の青年の命を救った雄鶏です。
私は無実。
雄鶏が時の鳴き声をあげますと。


日本も幸福に満ち溢れる事を願いガロを。
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#234 -’15. 航空機事故の対応(捜査)

2015年07月27日 22時57分46秒 | たわごと(少し硬派に振って)
先日のスレッド『#229 -’15. 不作為を恨み』の中でアメリカ連邦航空局の航空機事故の話をアップした。
航空機事故がテロ等その他の犯罪に起因する時はFBIも捜査するが、過失なら捜査の手を引き再発防止を主目的として連邦航空局(FAA)が捜査して原因究明をすると書いた。
過失責任を問うのではなく、あくまでも事故の再発防止に主眼を置くためである。

国が違えば、法体系も倫理観も責任観も異なる事を強く感じた今回の調布での小型機墜落事故である。
警視庁は業務上過失致死傷罪を念頭に捜査しているようである。
機長の過失を問うのなら被疑者死亡との事になる。
犯罪として立件することは次の事件の再発防止との懲戒的意味合いがあるが、航空機事故においてはアメリカの考え方のように、過失責任を問わずに、墜落炎上した原因を調査して再発を防ぐことに主眼を置くべきだと思う。
故意犯罪の可能性が無くなった時点で、国の運輸安全委員会に捜査を委ねるべきだと思う。
技術的な問題、ヒューマンエラーの問題等、真に事故の再発防止に主眼を置いて捜査結果を航空機関係部署に勧告、是正させるのが良い事だと思うのだが。
真に航空事故の原因を究明するには、ブラック・ボックス即ちフライトレコーダ&ボイスレコーダも重要では有るが、事故に関わる事になってしまった人達の真実の告白が重要である。
明日の航空事故を無くす為に、故意に犯罪を起こすべく行動したので無ければ、真実の原因究明を図らねば解決しないのである。


(雑学)
ここで言う業務上過失致死罪の『業務』は仕事としての業務と言う意味ではなりません。
反復継続して行うとの意味です。
犯罪は犯意すなわち犯罪を犯す意思がなければ罰せられません。
しかるにある特定の犯罪のみ過失でも罰しますと規定されいるのです。
重い罰を受けるような重罪については、過失を罰するのです。
尚且つ、反復して行っている行為には反復していない(業務上でない)よりその注意義務を重くしているのです。


今日、PADIの座学を受けて来た。
今年の夏には資格取得にはならないが、日時が取れずに致し方ない。
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